鳥たちの詩

■ショートシナリオ


担当:紺野ふずき

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 31 C

参加人数:4人

サポート参加人数:2人

冒険期間:12月26日〜12月29日

リプレイ公開日:2006年01月18日

●オープニング

 鳥が空を渡ってゆく。囚われない翼が、太陽を背に光る。彼らは自由だ。
 そんな当たり前のことを思うだけで、何故、哀しくなるのだろう。思い出せなくなってしまった過去に、関係があるのだろうか。
 自分がどこの誰であるのか。それはもう、どうでも良くなってしまった。
 ここには、頑固だが心優しい老人と、元気な少年と、そして、一匹の犬がいる。近くには小さな村があり、育てた野菜が、肉や衣料と変わる。なにも不便はない。
 例え、記憶をなくしていても、生きて、暮らしている。新しい名前もついた。
「カラス!」
 笑いながら手を振り、少年がやってくる。名はルーティーと言う。年老いたボーダーコリーを相棒に持つ、素直な良い子だ。
「おじいちゃんが、カラスに渡したいものがあるって。畑仕事は終わりにして、家へ帰ろう」
 幼くて強引な手に引かれ、一つ二つと歩いた。目の端に黒いものがちらつき、空を見上げる。一羽のカラスが、青の中を滑ってくる。それは、冬枯れの木へ舞い降り、太い声で鳴いた。
「また、カラスを見てるの? あの鳥、そんなに好き? だから、おじいちゃんに、『カラス』なんて名前をつけられちゃうんだよ」
 ルーティーが無邪気に笑った。
 自分でも良く分からない。ただ、なにかを思い出しかける。
 空。
 鳥。
 カラス――
「『キジ』‥‥」
「え? 『キジ』? 『キジ』ってなに?」
「わからない。今、思いついた」
「ふぅん。もしかして、記憶が戻りかけてるのかな」
 ルーティーは繋いだ手を前後に大きく揺らしながら、聞き慣れない歌を歌った。切なげな調子だった。
「僕さ。もし、カラスがいなくなっても、泣かないよ? ちょっとだけ、寂しいけど。おじいちゃんも、『テッド』もいるし」
 名前に反応した老犬が、ルーティーを見上げ尾を振る。ルーティーは手を伸ばし、その額を撫でてやった。
「この間さ、リンさんに絵を描いて貰ったよね。僕、リンさんがキャメロットまで出かけるって言うから、お願いごとをしたんだ。あれを使って、良いことを考えたんだよ。たくさん人が集まるところだし、きっと、カラスのことを知ってるひとがいると思うんだ。ねぇ、カラスも家族に会いたいよね? 僕、早く見つかると良いなと思って――」


 ギルドに、新しい依頼が張り出された。内容は人捜しである。
 川辺の流木に引っかかっていた若いジャパン人を保護したが、記憶を失った状態であるため、親族を探し出して欲しいと言うのだ。
 寡黙で良く働き、空と鳥を見ることに興味を示す。特に、『カラス』を良く見ているそうだ。
 依頼には簡単な絵が添えられていた。
「あれ、あんた。帰っちまうのかい?」
 ギルドの係員は、一人の青年に声をかけた。
 彼はこの依頼を見つけるなり、長い間、絵に見入っていたが、突然、興味を失ったかのように、踵を返したのである。
「てっきり、引き受けるのかと」
「‥‥いや」
「そうかい。まぁ、報酬も安いし、これだけの特徴じゃなぁ」
 彼は頷き、係員に背を向けた。やってきた時の彼には、もっと翳りが見えたのだが、それが今は消えている。口元には淡い微笑さえ浮かんでいた。
 係員は、壁をみやる。
「この絵のせいか‥‥?」
 絵の中には、若者と犬がいた。犬は、あぐらをかいて座る若者の肩に前足をかけ、立ち上がって彼の顔をなめている。くすぐったそうな苦笑顔が微笑ましい。ささやかな幸せの感じ取れる絵であった。

●今回の参加者

 ea2806 光月 羽澄(32歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea5819 鷹屋 千史(29歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea9589 ポーレット・モラン(30歳・♀・クレリック・シフール・イギリス王国)
 eb2336 ラウルス・サティウゥス(33歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)

●サポート参加者

アルンチムグ・トゥムルバータル(ea6999)/ イリーナ・リピンスキー(ea9740

●リプレイ本文

「兄者、袖がほつれてしまった」
「そうか。なら、取ってしまおう」
 弟とは、六つ年が離れていた。
 あとを追ってきては、良く転んだ。
「縫えば、まだ着られるのに」
「縫える者がいない」
 哀しげな顔をする弟の袖をもいだ。
 思えば、あれは、翼だったのかもしれない。
 母が死に、身寄りが果て、里へ預けられた。鳥の名を受けたが、空へは飛び立てなかった。
 幼い顔が笑わなくなったのは、いつの頃からであろう。
 それすらも分からない。
 忘れても良いと思えるほどに、記憶は薄い。

●絵の中の
「この絵に見入っていた?」
「そうなんだよ。随分と、長い間ね。細身の長身に、黒目、黒髪のジャパン人だよ。心当たりはないかい?」
 その青年は、皆と同じ冒険者で、『十二天永(とじたかなが)』と言った。最近、名簿の末席に加わったばかりだが、良く出入りしているので、係員も名を覚えていたのだ。
「トジ――聞いたことがないけれど、まさか」
「『鴉』殿か?」
 光月羽澄(ea2806)とラウルス・サティウゥス(eb2336)は、顔を見合わせた。
 半年も前のことである。
 ある依頼で、忍びの兄弟と知り合った。兄は鴉、弟は『雉』。二人は鳥の名を持っていた。ギルドに相談を持ち込んだのは、雉の方であった。
 鴉は『主殺し』の罪で、一族から追われていた。
 雉の剣には、兄討滅の使命がかかっていた。掟破りと裏切りを、雉は許してはおけなかった。
 だが、それらは、一族の長たる男が仕組んだ罠であった。私欲のために、兄弟は利用されたのである。気づいたのは、鴉が倒れたあとだった。
 雉は、鴉の命を救うべく――そして、殺された主や仲間の意趣返しを誓い、冒険者と共に男を討ちに出た。
 それが、兄弟の別れとなった。
 鷹屋千史(ea5819)の目の前で、雉は崖に吸い込まれて消えた。空からの救助を試みたポーレット・モラン(ea9589)の願いも虚しく、悲愴な結末を携えて、冒険者たちは帰途についたのだ。
 それを聞いた鴉は、驚きも嘆きもしなかった。ただ、こぼれそうな思いを繋ぎ止めようとしているかのように、拳をギュッと握りしめた。
 手を伸ばせば、或いは、一歩踏み出せば、助けられたのではなかろうか。
 千史は深い後悔に苛まれ、辛く苦しい日々を過ごした。
 あれから半年である。
 ギルドに張り出された一枚の絵が、千史の心に光明をもたらした。
 紙越しの再会だが、どんなに嬉しかったことだろう。
 その気持ちは羽澄もポーレットも、そして、ラウルスも同じであった。
 雉が、生きて、笑っている。
 彼は死んでいなかったのだ。
 千史は絵の中の雉に、目を細めた。
「十二が鴉だとしたら、これを知らせてやる必要はないかもしれないが、行かないと言われるがままに、放っておいて良いのだろうか」
 ポーレットが、嘆息して首を振る。
「良いわけないわ」
 先ほどまで、この吉報に感謝の祈りを捧げていた姿とはうって変わり、憤懣やる方ないと言った体であった。
「確かに、雉ちゃんは幸せそうよ。だけど、今のあの子は抜け殻だわ。その上に成り立った幸せなんて、幸せって言えるのかしら? それに、自分が現れなければ、雉ちゃんが幸せでいられるなんて思ってるんだとしたら、大きな間違いよっ」
 いつになく強い口調で訴えるポーレットに、羽澄が頷く。
「今、一番、辛いのは雉さんよね‥‥。それを、鴉さんがわからないはずないわ」
 十二が鴉だと言う確証はないが、鴉以外に思い当たる者もいない。
 ラウルスは係員を呼び寄せると、十二の住まいを聞き出した。
「行って確認するしかなかろう。もし、彼が鴉殿なら、雉殿と会っておくべきだと思う」
 決断に躊躇している余裕はない。
 四人は冒険者街に足を向けた。

●説得
 見慣れた佇まいの続く一角に、天永の部屋はあった。
 果たして、鴉なのだろうか。
 期待と不安が交錯する中、現れた顔は、ラウルスの知るものであった。
「鴉殿――いや、今は、天永殿か。雉殿のことで、話があるのだが」
 一拍ほど間があった。天永は皆の視線から逃れるように、目を伏せる。
「あれを見たのか‥‥」
「ええ。雉さんだった。彼は生きていたわ」
 羽澄の言葉に、天永は小さく頷き同意を示した。そして、ポツリと吐き出す。
「良い絵だった‥‥」
 動かない表情の底で、なにを思っているのか。
「行かないつもりではあるまいな?」
 ラウルスが尋ねた。
 天永は否定も肯定もしなかった。ただ、哀しげな目でラウルスを見つめた。
「‥‥雉は、死んだ。やっと、自由になれた。縛るものは、なにもない」
「そうかもしれないな。忌まわしい鳥の名を忘れているのなら、それはそれでいいことだと思う。だが――」
 異議を唱えたのは、千史であった。かぶりを振って、天永を見据える。
「例え、記憶を失おうと、雉は雉のままでいる。その証拠に、『鴉』を忘れていない。生きていたのも、依頼となったのも、運や偶然ではなく、雉が望んでいるからではないか?」
 再会を。
 ぴくりと、天永の眉尻が動いた。
 雉が呼んでいる。声無き叫びをあげ、ここにいるんだと訴えている。
「けれど、俺が行けば、過去の因縁にまた囚われることになる」
 天永は依然として、誰とも目を合わせようとしなかった。
 決意が固まっていないようだ。葛藤が、固く握られた拳に現れていた。
 雉は、天永のために無謀な剣を取った。
 天永は雉のために、身を退こうとしている。
 互いの平穏を願うそこには、固い絆があった。決して、血が繋がっていると言うだけで、生まれるものではない。
 羽澄はそれを確信して、言葉を繋げた。
「因縁だけじゃないわ。その中には、あなたと過ごした温かな記憶もあるはず」
 天永は答えずに、目を閉じた。
 迷う心に、ラウルスが言った。
「蘇った過去に苦しんだとしても、手に入れた自由が失せるわけではなかろう? それに、記憶を失くしたままで良いと、雉殿は思うのだろうか」
「これは、白き母様が与えてくださった慈悲なのよ、鴉ちゃん。判らない? 空っぽのあの子に、もう一度、翼を与えられるのは、あなただけだわ。それに、雉ちゃんは言ってたもの」
 最後となったあの日、雉は皆と約束をかわした。ここにこれなかった仲間の思いもこめて、ポーレットはそれを唱える。
「『必ず生きて、あなたの元に帰る』って」
 天永の唇が、聞き取れぬほど小さな声で、弟の名を囁いた。

●『カラス』
 冬木立に囲まれた古い民家は、耕したばかりの畑を抱いていた。町の喧噪が届かない、静かな場所だ。畑のへりにそって歩く少年と犬が見えた。
「雉はいないようだな」
 冬の陽に目を細め、ラウルスは言った。
 天永はホッとしながらも、雉の姿を目で探している。
 少年がこちらに向かって走り出した。皆の存在に気づいたようだ。
 犬を従え、息せき切って雪崩れ込んできた。
「ねぇ、もしかして、僕のお願いを見てくれたひと達?」
 皆の顔を見上げる少年の瞳が、嬉しそうに輝く。
 羽澄は小腰を屈めると、少年と同じ目の高さで笑いかけた。
「ええ。『カラス』さんは、いるかしら」
「家の中にいるよ! おじいちゃんの手伝いしてるんだ。お姉ちゃんは、カラスの友達?」
「同じ依頼を受けたことのある仲間よ」
「すごいや! 仲間がいたんだね! ねぇ、僕についてきて。カラスにわけを話すから」
 手招きする少年のあとに続き、一行は部屋の中に入った。
 テーブルを挟んで、老人と青年が座っている。卓上にはなめし革と工具が散乱しており、老人が身を乗り出して、青年の手元を見下ろしていた。
 扉に背を向けているため、青年の顔は見えない。だが、その後ろ姿に、ポーレットが再び感謝の十字を切った。
「おじいちゃん、カラス! お客さんがきたよ! カラスの仲間なんだ」
 青年の手が止まり、老人の顔が上がった。
「‥‥そうか」
 老人は重たげに席を立ち、カラスの肩に手を置いた。
「話が終わったら、呼んでくれ」
「どこ行くの、おじいちゃん」
「裏庭だ。薪を割ってくる。ルーティーもくるんだ」
「でも、僕‥‥」
「くるんだ」
 不服顔の少年を連れ、老人は出ていった。
 カラスの手は止まったままだ。ぴくりとも動かない背中に、動揺が漂っている。それを、天永は見つめていた。
「こんにちは、カラスさん‥‥」
 躊躇いがちな羽澄の声が、カラスの背中に吸い込まれる。
 カラスはゆっくりと振り返り、五人の顔を見回した。羽澄、ポーレット、ラウルス、千史――そして、天永。
 カラスは目を細めた。記憶を呼び覚ますには、いたらなかったようだ。ゆるゆると首を振り、苦しげに言った。
「ごめん。判らない‥‥」
 ポーレットは穏やかに笑って、老人が座っていたイスの背もたれに腰を下ろした。
「謝ることないわ〜。直ぐには無理だもの。今日はね、『雉』ちゃんがここにいると聞いて、顔を見にきたのよ〜」
 意識もせずに漏れた名前に、カラスは反応した。
「キ‥‥ジ?」
 反芻する目が、宙をさまよう。記憶の底に封じられた言葉を、探しているのだろう。
 羽澄は穏やかな声で言った。
「『雉』と言うのはね。あなたが記憶をなくす前に呼ばれていた名前よ‥‥」
「キジが‥‥? キジが俺の名?」
 それが思い出すための呪文だとでも言うように、何度も口の中で繰り返す。
 痛々しい雉の姿から、天永は目をそらした。
「もう良い。お前が生きていてくれただけで十分だ‥‥。顔を見、声を聞いた。これ以上、なにも望むことはない」
 そう言って、ぽつり、故郷の言葉で付け足す。
「達者で」
 踵を返す天永を、ラウルスは呼び止めた。だが、天永は立ち止まらなかった。扉が鳴いて、冷たい風が流れ込む。
 天永の立っていた場所に、ラウルスは視線を落とした。
「雉殿、騒がせてすまない。だが、そなたの幸せを喜ぶ家族が、こうして他にいると言うことを、知って欲しかった‥‥」
 カラス――雉はラウルスの言っていることが、良くわからないようであった。首をひねり、ラウルスの顔を凝視する。
「待ってくれ。あんたは今、『家族』と言った。彼が、そうなのか? 俺の家族なのか? 最後に言った言葉が、俺にはわかる。ここへ来る前、俺はどこでなにをしていたんだ? 仲間ならわかるだろう? 教えてくれ」
 ラウルスは小さく息を吐き出した。雉の真っ直ぐな目が、ラウルスの言葉を待っている。
「ならば、話そう。雉殿は敵を追って、この地を訪れていた。そして、仇討ちの最中に揉み合いとなり、崖から落ちた」
「ここにいる皆の前で」
 千史は、まばたきを忘れ、呆然としている雉に言った。
「‥‥鴉と同じことを言うが、生きていてくれて良かった」
「さっきもそう言った。『鴉』とは、彼のことなのか?」
 雉の口調に、苛々とした調子が混ざる。自分のことであるにも関わらず、他人のことを聞いているようなもどかしさが、そうさせるのだろう。
「そうよ。彼は『鴉』と言うの。あなたも今は、そう呼ばれているのよね」
 羽澄は、言葉のない雉の横顔を見つめた。
「あなたが、命を投げ出してまで救おうとした、大事なお兄さんよ」
 思い出してと願う。羽澄の眼差しにも辛さが漂う。
「兄? 鴉?」
 震える雉の肩に、ポーレットが手をかけた。
「俺は、雉?」
「無理に思い出そうとしないで。時がくれば、きっと思い出せるわ」
「彼は兄‥‥」
 タッシャデ――
 そう言った。
「なんでだろう‥‥。俺も、誰かに言ったことがあるような気がする‥‥」
 こぼれ落ちる雉の涙を、止められる者はいなかった。

●鳥たちの詩
「ごめん。僕、余計なことしちゃったみたいだ‥‥」
 気落ちするルーティーの頭を、ラウルスはそっと撫でた。
「そんなことはなかろう」
「でも、カラスを傷つけたよ‥‥」
「傷はいつか癒えるものよ〜。そうしたら、また飛べるようになるわ〜」
 ポーレットは少年に向かって、片目をつぶった。少年は肩をすくめ、溜息をつく。
「そうだと良いな‥‥。カラスのお兄ちゃんもごめんね」
 老人は庭に出したイスに腰掛け、遠い木立を眺めている。薪割りは部屋を出る口実だったのだろう。皆から、話を聞いてもこれと言った言葉もない。寡黙な男であった。
「いや‥‥。これで良い。迷惑でなければ、このままここに置いてやってくれないだろうか‥‥」
 天永は老人へと言葉を流した。
「あんたはどうするんだ」
 ぶっきらぼうな返事が返る。
「置いておくのはかまわんが、あんな状態の弟を一人にしておけるのか」
「いずれ、逢いに」
「面倒なことを言うな。あんたもいれば良い」
 皆、互いの顔を見合わせ、老人の言葉に喜色ばんだ。
 状況が許せば、羽澄もラウルスも提言を考えていたのだ。
「そう言っていただけると助かるわ。それが、一番良いと思っていたから」
「僕もそれが良い! カラスがいなくなったら、やっぱり、淋しいもん。ここにお兄ちゃんがいれば、いなくならないよね!」
 ルーティーがテッドの首を抱き寄せ、嬉しそうに歓声をあげる。
「天永殿‥‥」
 ラウルスは天永を振り返った。
 こんな風に、人の情けに触れたことはなかったのだろう。天永は戸惑い顔で立ちつくしている。
「お爺ちゃんの気が変わらないうちに、カラスを呼んでくるよ!」
 玄関を開けたルーティーが、なにかにはじかれて尻餅をついた。
「イッテー」
 しかめっ面で見上げた少年の前に立っていたのは、赤い目の雉だ。
「聞いていたのか‥‥」
 少年に手を差し伸べながら、千史が言った。
 雉は頷き、兄の顔をじっと見つめる。
「‥‥俺の、本当の名は?」
 天永は僅かに笑んだ。
「お前の本当の名は、『十二房遠(とじ・ふさとお)』。『天永』と言う俺の名前と、対になっている。連なりを失わず、永久に、自由に――そう言う意味があると、母が話してくれた」
「母が‥‥」
「もう死んでしまった。お前が五つの時だ」
 雉の目に溢れた涙が、頬を伝って地面に落ちる。
「悲しくないのに、涙が出る‥‥」
「『房遠の記憶』が、泣いているのだろう」
 二人にとって過去は苛酷で辛いものだったに違いない。
 だが、雉は自分でも届かない場所で、兄との思い出を覚えている。
 千史は微苦笑を浮かべ、兄弟を見比べた。
「思い出せるだろうか」
 雉が言った。
 天永はやはり、首を振る。
「楽しいことなど一つもなかった‥‥。鳥の名も、過去も、忘れたままで構わない」
「俺は、思い出したい。『房遠』と言う名を聞いて、もう一つ、気になる言葉を思い出したんだ」
『兄者』――
 気丈だった天永の顔が歪む。
 老人が小さく微笑した。
 二人の横顔に、羽澄はそっと言い添える。
「辛いことがあっても、二人で乗り越えて。時間はたくさんあるわ。あなたたちはもう、自由なんだから」
 長かった鳥たちの冬は終わったのだ。