ヒマ爺と爺ウマ

■ショートシナリオ


担当:紺野ふずき

対応レベル:2〜6lv

難易度:普通

成功報酬:1 G 1 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:12月25日〜12月28日

リプレイ公開日:2006年01月12日

●オープニング

 今日は誕生日である。夕食の誘いもカードの誘いも断って、真っ直ぐ家に帰るのだ。可愛い妻の笑顔と、美味しい料理が待っている。帰り道で冷えた僕の手を取り、あの娘はきっとこう言うのだ。
 ――お帰りなさい、あなた。こんなに冷えて。さぁ、早くお入りになって。
 僕は妻を軽く抱き締め、柔らかな頬に口づける。二人で暖炉の火を囲み、とりとめのない話に華を咲かせよう。あの娘の頬が、弱い酒に彩られるのを眺めながら、杯を傾けるのだ。
 あぁ、なんて――
 ごグキッ。
「でぁあッ‥‥」
 鈍い痛みが、係員の首を襲った。またしても、首である。背後に忍び寄った誰かが、強引に頭部をひん曲げたようだ。こんなことをする人物は一人しかいない。恐らくこれも、即席で作った『首の強度テスト』とか、まぁ、そんな類の悪戯なのだろう。いい年をして、本当に子供じみたひとだ。
 係員は、自分の手で貼りだしたばかりの依頼を見つめ、大きな溜息をついた。視界が左に傾いている。ほんの少し首を起こすと、全身が固まるほどの激痛が走った。しかたなしに、そのままの体勢で振り返り、予想を裏切らない光景に、もう一度、溜息をついた。
「‥‥アッカースンさん‥‥。僕になにか恨みでもおありですか‥‥?」
「何度、呼んでも聞こえんようぢゃったのでな。実力行使ぢゃ」
 もふもふとした白髭の老人は、そう言って目を光らせた。名を、ドン・アッカースンと言う。懐に自由があるらしく、ギルドへ『あどべんちゃあ』を求めにやってくる、暇な老人である。
「幸せそうな顔で客を無視しおって。腹が立ったので、『えいっ』っとやってみたんぢゃが。あんたさん、えらく不憫そうぢゃのう‥‥」
 係員の目の前を、屈強な冒険者が通り過ぎていく。その腰には、手入れの行き届いた長剣が下がっていた。貸してくれと頼んだら、貸してくれるだろうか。いや、誕生日になんて物騒なことを考えるのだろう。今日は楽しく過ごす予定ではないか。家に帰れば可愛い妻と、美味しい料理が待っている。そして、首の傾いた僕を見て、妻はきっとこう言うのだ。
 ――お願い、あなた。あなたの帰る家は、ここだけだと言って。仕事へ行ったはずのあなたが、まさか、『寝違え』てくるなんて‥‥!
 あぁ、違うんだ。可愛い妻よ。これは、寝違えたわけじゃないんだ。僕には愛人もいないし、別宅で休んでいたわけでもない。ただ、変な老人がやってきて、後ろから僕の首をぐいっとやったのだ。理由はそう、僕がうつつを抜かしていたから。
「‥‥すいません」
「わかれば良いのぢゃ!」
 老人は朗らかに笑う。係員も笑む。心の涙や渦巻く殺意や激痛を隠すのが、接客のプロと言うものである。それでも、痛むものは痛い。係員は労るように、自分の首をさすった。
「アッカースンさん。『冒険』をお求めでしたら、残念ですが、今のところ、おすすめできるような依頼はなにも」
 老人はふるんふるんと首をふり、ニヒルな笑いで顔を埋め尽くす。
「今日は冒険などいらん。ワシは馬を飼うことにしたのぢゃ。知り合いの騎士がな? 戦に怖じ気づいた老いぼれ馬の処分に困っておるで、それを譲り受けようと思っての。もう、厩舎も用意してあるのぢゃ。すごいぢゃろ!」
 胸を反り返し、老人はウッフンと鼻を鳴らした。とても、自慢気である。戦闘馬を貰うと言うことが、よほど、嬉しいのだろう。
 係員は小さく頷いたあと、微笑ましい目で老人を見下ろした。
「それは、素晴らしい。本当に素晴らしい。ほら、アッカースンさん。出かけられるなら、急いだ方が良いですよ。冬の日は短いですから。どうぞ、お気を付けて。さぁ、行ってらっしゃい」
 当分は、馬の世話で忙しくなるだろう。暇を持て余してギルドへやってきては、首を叩いたりねじ曲げたりと言った悪戯も減るかもしれない。
 営業用ではない純心スマイルで、ドンを送り出そうとした係員に、同じ笑顔が返ってきた。
「ワシャ、馬に乗れんし、扱い方も知らん。手綱が引けるのを、何人か見繕ってくれ。『妄想青年』」
 係員の目の前を、戦斧を抱えた冒険者が通り過ぎてゆく。
 キレアジハドウデスカ?
 そんな質問を飲み込み、係員は燃え尽きた。

●今回の参加者

 ea4764 談議所 五郎丸(29歳・♀・僧兵・ドワーフ・華仙教大国)
 ea5529 レティシア・プラム(21歳・♀・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)
 ea7905 源真 弥澄(33歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea9012 アイル・ベルハルン(29歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 eb0410 シーラ・ムーンフェイテ(36歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 eb2287 ソウェイル・オシラ(22歳・♂・ウィザード・エルフ・ロシア王国)
 eb2347 アステリア・オルテュクス(21歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb2934 アルセイド・レイブライト(26歳・♂・神聖騎士・エルフ・イギリス王国)

●リプレイ本文

●係員、早退ス。
 冒険者たちの静かな戦いは、ドン・アッカースンの真新しいミトンを目にした直後から始まった。
「わぁ、暖かそうだね☆」
「良いぢゃろ。おろしたてぢゃ♪」
「ちょっと触っても良いかなぁ?」
「ダ、メ、ぢゃ☆」
 これしきのことで、くじけるつもりはないのである。
 ソウェイル・オシラ(eb2287)は、穏やかな笑みを絶やさず、ウッフと笑う老人の手を見おろした。
 異様だ。異常事態だ。ミトンに包まれた左手の甲が、こんもりと盛り上がっている。指先から手首まで、細長い何かが入っているようだ。
「今日は手を繋げないの? ドンじー」
 談議所五郎丸(ea4764)のつぶらな瞳に見つめられ、ドンは激しい身悶えをした。
「許せ、ゴロよ! 今日のワシは、いつもと違うのぢゃ!」
 確かに、いつもと違う。
 振り上げた拳が、拳になっていない。指が曲がっていない。謎の物体は硬いようだ。そして、そこそこの重量があるらしい。ミトンが重たげにたわんでいる。
 いったい何が入っているのだ。
 源真弥澄(ea7905)は、軽い頭痛を覚えながら言った。
「所持品の検査をさせて貰えるかしら」
「そんなものは家でしてきたわい」
 老人は弥澄に向かって『あっかんべー』をした。
 可愛げのない態度であるが、こういった問題点を血縁の者から嫌と言うほど聞いてきた弥澄は動じない。
「今回の馬に光り物は厳禁なの。それに冒険者たるもの、所持品と装備の確認を怠ってはいけないわ」
 それを聞いたドンは、チチチと舌を鳴らした。
「お前さん、わかっておらんのお。『ワシの持論』を教えてやるから、よーく覚えておくのぢゃぞ。所持品と装備の確認、それに、『向かう先の情報収集』が、冒険者の必須項目ぢゃ!」
 どーん。
 と、指先を弥澄の鼻に突きつける。
 あれは、いつの依頼であっただろう。仲間の冒険者が、老人に言って聞かせていたような気がするのだが。
 アイル・ベルハルン(ea9012)は、遠い目で老人を見た。
「持論になってるわね」
「なっちゃったんだね☆」
 いっそ清々しいほど爽快な返答を切り返すソウに、アイルはかぶりを振る。
「学習能力はあるのよね‥‥」
 それが、いつも斜めに利用されている気がしてならない。
 老人は弥澄に向かって、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「どうぢゃ。ワシの方が優秀ぢゃろう?」
「ええ、ちゃんと『覚えてた』って、『彼女に』伝えておくわ」
 弥澄もニッコリと笑い返す。
 見つめ合う二人。 
 だが、愛は生まれない。
 老人はおもむろに、髭を撫で始めた。目は遠く空を見つめている。平穏そのものの顔つきで、ふうっと大きく息を吐いた。
「いい天気ぢゃのお」
「ドンさん、ごまかせないから」
 見つめあう二人。だが、愛は略――
 その時である。髭を撫でていたミトンの中からごっとりと、革の鞘に納められた小さな短刀が滑り落ちた。
「お前さんは何も見んかった!」
 踏みなじってそれを隠すドンに、弥澄の声が飛ぶ。
「見たわ! やっぱり、そんなものを隠して! 没収!」
「ぬおー! あんた、誰かさんにそっくりぢゃ! こんな小さなダガーまで取り上げるとは、なんとまぁ、『ケーチケチケチケチケーッチケチ娘』めぇ!」
 全部で、六つあった。
 しかも、リズミカルだ。
 脳裏を駆け抜ける顔に、弥澄はそっと報告する。
 ――あたしの方が多いみたい。
「噂には聞いていたが、これはすさまじいな‥‥」
 遠い目の弥澄に同情の眼差しを向けた、シーラ・ムーンフェイテ(eb0410)が、煮ても焼いても食えない老人の傍若無人ぶりに苦笑した。
「皆をみれば分かると思うが、武器を所持していないだろう? よほどのことがない限り、俺も弓を取る気はない。だから、アッカースンさんも我慢してくれ」
 老人が踏みつけている武器を見る。普通の短刀よりも小柄で、隠し持つには良さそうだ。
「『シークレットダガー』か?」
 問うたシーラに、老人は「そうだ」と頷いた。
「とにかく、それは預からせて貰うわ。ケチや意地悪で言ってるんじゃないのよ。暴れ出した馬を宥めるのは大変なんだから」
「せーっかく貰ったと言うに」 
 老人は渋々、足下の暗器を拾い上げ、塵を払ってから弥澄に手渡した。弥澄はそれを、竹王の背に預ける。
 騒動が収まったところで、レティシア・プラム(ea5529)がすっと老人に近づいた。そして、ペンと羊皮紙を老人に差し出す。
「そんなものをいったい誰に貰ったのだ?」
 あからさまな怪訝顔で、老人はレティシアを見上げた。
「これから馬を引き取りにゆく家の主ぢゃが。はて、なんぢゃ」
「万が一のときのために、遺産の半分を教会に寄付するというサインをしていただこう」
 老人は片手を耳にあてがい、しばらくの間、遠くを見つめていたが、やがて、至って真顔のレティシアの前を通り過ぎ、そっと五郎丸の手をとった。
「ひどい風ぢゃったのう。ゴロや、飛ばされないように、手を繋いで行こうかの」
 聞こえなかったふりをしたようだ。
 この光景に、アステリア・オルテュクス(eb2347)はニッコリと微笑した。
「『年寄り』って本当に大変だよね。怪我をしてもなかなか完治しないし、耳は遠くなってくるし」
 皆は見た。
 微笑む少女の目の中で、黒い炎がメラメラと燃えているのを――
 老人はハッと身構え、アステリアを凝視した。
「ワシは騙されんぞ! あんたの正体はわかっておるのぢゃ!」
「『猫かぶり』じゃないもん!」
 アステリアの脳裏に、かつて、『ぐりまるちきん』と言われた記憶が蘇る。老人と仲良くなりたいと思う反面、燃え盛る闘志が邪魔をして、言葉尻に現れてしまうのだ。
 自らが招いた原因を思い出したのだろうか。老人は翳りのさした顔で言った。
「なんぢゃ、それは」
 全く覚えていなかった。
「なんぢゃって、ドンさんが言ったんだよ!」
「うふぉー?」
 アステリアはムッとした顔で、ほえほえと髭を撫でている老人を睨み付けた。ドンは薄く微笑み、アステリアを見つめている。
「‥‥話している間にも、グレードアップしていくわね」
 ポツリとアイルが言った。
 誰も否定はしない。
「それで、アッカースンさん。正体とはいったいなんのことでしょうか」
 らちのあかない話し合いに、業を煮やしたアルセイド・レイブライト(eb2934)が、二人の間に割って入った。幼馴染みの窮地とあって、心穏やかではいられないようだ。笑いかける瞳の中で、アステリアと同じ黒い炎が燃えている。
 二人から放たれた緊張の糸が、老人に向かって延びる。それはピンと張りつめ、途中で折れてたわんだあと、波打って風にそよいでいた。
 老人は靴の裏についた泥を気にしている。
「アッカースンさん」
 アルセイドの声が僅かにやつれた。
「おお、そうぢゃった」
 老人はぽむっと手を打つと、皆の顔をぐるりと見渡し、声のトーンを落として言った。
「このお嬢さんの正体はな。ブドウの葉を体にくっつけた、可愛らしい姿をしておるのに、触るだけで物を腐らせる力をもっとる怖い妖精ぢゃ! 名前も教えてやるから、覚えておくのぢゃぞ! 良いか? 『えりーちゃん』ぢゃ!」
『シェリーキャン』よ。
 弥澄がぼっそり呟いた。
 
●騎士、笑う
「随分と遅かったですね」
「うむ。いろいろと大変でのう。やれ、馬の扱いはこうぢゃの、ああぢゃのと、みな若い癖に『心配性の年寄り』のようでいかん」
 誰が大変だったのか。
 騎士宅に辿り着いた老人は、皆の気苦労をよそにさっくりとのたまった。
「こっちぢゃ、ゴロよ」
「待って、ドンじー」
 老人は通い慣れた足取りで、五郎丸の手を引き裏庭へと消えてゆく。二人の姿を見送って、騎士は一行に笑いかけた。
「なるほど。私の申し出が断られるわけだ」
「申し出って?」
 脇腹に小さな驢馬がじゃれついてくるのを構いながら、ソウェイルが言った。
「馬の扱いをしらないドン老一人では危険だから、家まで送り届けましょうかと聞いたら、手は足りていると言われてね」
 騎士は皆を厩舎へと案内した。
 二頭の黒毛が繋がれており、うち一頭は、皆の姿を見ると鼻を鳴らして近寄るのを嫌がった。主にたしなめられても、不満そうに前足で土を蹴っている。随分と若い馬のようだ。
「可愛げがないぢゃろう? ワシの馬はこっちぢゃ」
 ドンはもう一頭の馬の前に、皆を寄せ集めた。
 額に一掴みの白い毛が生え、左耳には掻き傷がある老兵だ。
「優しい目をしてるのね」
 闘争心を失った戦闘馬は、アイルの手が伸びても微動だにしない。撫でられるがままに、じっと皆の様子を窺っている。
「名前は何て言うのかしら」
 弥澄が騎士に尋ねた。
「『白光』。二十年来の友だったが、先の戦で傷を負ってからと言うもの、走ることができなくなってしまったんだよ」
 シーラは騎士の言葉に頷き、白光を見た。
「そんな大事な馬を、手放して良いのか‥‥?」
 老人は煙たげに手を払う。
「良いのぢゃ。新しい馬が来て、こやつはもう払い下げぢゃ。ここで繋がれて一生を終えるより、ワシのところで第二の人生をエンジョイするのぢゃ」
 騎士は痛いところをつかれて苦笑する。
「否定はしません。しかし、私もあなただから」
「うるさいわい。わかっておる。お前さんは、新しい馬と戯れておれ。老いぼれ同士、ワシらはワシらで仲良くやるわい」
 ここでも、ドンは相変わらずだ。騎士はお手上げと言うように、口を噤んだ。
「さて、別れは手短が良い。行くとしようかのう」
「良いのか?」
 レティが問いかけたのは、ドンではなく騎士の方だ。騎士は頷き、白光のたてがみを撫でた。目で別離を告げたそこに、言葉は無かった。
 レティに手綱を引かれ、白光は騎士の家の門を潜った。
「光るものは駄目なんだよね? 他に、注意することはある?」
 五郎丸は見送りの騎士に尋ねた。
「いいや。見たところ、皆の装備にも問題はなし。誰かが隠し持っている暗器を、突然、振りかざすような真似さえしなければ、大丈夫だよ」
 そう言って、冗談だと笑う。
 アイルは出立前の一悶着を振り返り、ふっと疲れた笑みを浮かべた。
「それが、冗談じゃ済まなくなるところだったのよね」
「と、言うと?」
「ドンさんが、ミトンの中にダガーを忍ばせてきたのよ」
 騎士はアイルから目を反らし、ゴホンと咳払いをした。
「チェーンホイップを持ってたこともあるよね☆」
 ソウェイルの言葉に、騎士は頭を掻く。
 どうやら、老人の武具入手先は、この騎士のようだ。気まずそうに笑って、最後に大きな咳払いをした。
「まぁ、その。あなた方といるようになって、ドン老が活気を取り戻した。私がまだ、ドン老の家の近所に住んでいたころは、彼も元気で、方々出歩いては、色々な冒険談を持って帰ってきた。その話を聞くのが好きだったのだが、ある時を境にぷっつりと無くなって」
 騎士はそこで言葉を切り、そして、笑った。
「これからも、ドン老をよろしく頼むよ。憎まれ口は叩くが、本当は――」
 本当は――
 レティと白光を従え、ドンはすでに歩き出している。老人の後ろ姿を見つめる一行の間に、しんみりとした空気が流れた。
 ふと、ドンが振り返る。
「いつまでブツクサ話しこんどるのぢゃ。お前さんは、あの新しい馬を早く調教せんか。ワシの顔を見るたびに、ブルブル鳴きおって。全く可愛げがなくていかん!」
 本当は――
「短気でせっかちで、うるさい老人だ」
 全くフォローにならなかった。
 
●爺、家に帰る
「あなたは穏やかな良い子ね」
 アイルは白光の横にマブを巡らせ、長い睫毛の奥を覗き込んだ。大きな瞳が、アイルと愛馬の白い身体を映している。
 先ほどまではマブに騎乗していたアイルであったが、駿馬だけに体力が保たず、アイルもそれほど馬を巡らすことに長けていない為、今は降りてマブと共に歩いていた。
「年老いたと言っても、さすが、戦闘馬よね。怪我さえしなければ、まだ現役だったのに」
 弥澄は感慨深げである。
 白光を眺めながら、ドンは髭を撫でた。
「これからは、ワシの散歩友達になるのぢゃ。戦えなくとも現役ぢゃて」
 黒毛に疲れは見えない。レティに代わって馬上の人となったアルセイドを乗せ、悠々とした足取りを保っている。
「似合ってる」
 アステリアは、勇ましい幼馴染みの勇姿に笑いかけた。
 老人には強い態度で接してきたが、ここまでずっと、馬とドンに危険がないよう気を配ってきた。その甲斐あってか、至って平穏な旅路が続いている。
「そうかな。ありがとう」
 アルセイドは微笑して頷き、前方に目をやった。
 建物の群が見える。ドンの家のある町だ。
「ここからは、ワシが手綱を持とうかの」
「練習になって良いかもしれませんね」
 アルセイドは馬を止め、綱をドンに手渡した。一際心配そうな顔で、五郎丸がドンの細い腕を見つめる。
「大丈夫? ドンじー。ゴロも傍で注意してるけど、万が一、白光が暴れたら、直ぐに手綱を離してね?」
「頼りにしとるぞ、ゴロや。それぢゃ、行こうか。白光」
 老人は頷き、ちらりと弥澄を見た。
「そう。行きがけに教えたことを思い出して。声をかけながら、ゆっくり。優しい気持ちで接してあげるのよ」
 言葉の通じる人間と違い、感受性の強い動物が相手とあって、さすがの老人も慎重な面もちだ。
 家に辿り着くまで、いつもの虚勢はなりを潜め、薄気味が悪いほどしおらしい生返事が続いた。
「ここが、ドンちゃんの家?」
 白壁の塀に囲まれた小綺麗な邸宅を見上げ、ソウェイルが言った。
「すごいお庭だね」
 花も木々もない。敷地の中に足を踏み入れると、脛から下が雑草に埋もれて見えなくなった。
 かろうじて緑から逃れた石畳が、玄関に向かって延びている。庭の端には一本の真新しい杭が打ち付けられ、傍に水桶が置いてあった。
 レティは周囲を見回した。
「荒れ放題だが、手入れする者はおらぬのか?」
「おらん。庭には手をかけん。自然が一番ぢゃ!」
 ドンは事も無げに笑い飛ばし、杭に手綱を結びつけた。
「厩舎があると聞いてきたんだが、それは違うよな?」
 シーラとソウェイルは顔を見合わせる。
「天然のご飯はいっぱい☆」
「ソウ‥‥。いや、確かに食事には事欠かないかもしれないが」
 白光は水桶の水を飲み、足下に生えた草をむしって食べ始めた。
「ここは仮ぢゃ。あとで、ちゃんとした場所へ移すで、心配せんで良い。それより、腹は減らんか? 食事をおごってやるから、ついてくるのぢゃ!」
「雨が降らないと良いわね」
 弥澄は白光を見つめ、苦笑した。

 結局、家の中には入れなかったが、僅かな滞在時間の中でわかったことがある。
 アイルがポツリと言った。
「家族はいらっしゃらなかったのね」
 黒毛を横に、いつまでも手を振っていた老人の姿が、やけに小さく感じた帰り道となった。