ヒマ爺の引っ越し

■ショートシナリオ


担当:紺野ふずき

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 39 C

参加人数:6人

サポート参加人数:6人

冒険期間:01月02日〜01月05日

リプレイ公開日:2006年01月30日

●オープニング

「あんたさんに、これを譲ろう。色々と世話になったお礼ぢゃ。受け取ってくれ」
 ドン・アッカースンが差し出したのは、大人の握り拳ほどもある岩石であった。
 見た目はなんの変哲もないゴツゴツとした黒い岩の固まりであるが、中央がパックリと裂けている。そこに、剣山のような水晶群が、キラキラとした虹彩を放っていた。
「こんな綺麗なものを、一体どうしたんです?」
 あぁ、僕はとうとう呪い殺されるのだ。所持していると、二階から植木鉢が降ってくる。階段から転げ落ちるのかもしれない。暴れ馬に蹴られたり、酔っぱらった悪漢に刺される可能性もある。
 係員は、老人と水晶を見比べ、怪しげな市場を連想した。所持者に不幸をもたらすアイテムではなかろうか。
 そんな黒い疑惑を胸に秘め、覗いていた水晶から目を離した。
「なに。ワシの収集物の一環ぢゃ。今はもう出かけんようになってしまったが、かつては『鉱物』を集めておっての。方々を駆けずり回っていたせいで、妻の死に目もみとれんかったわい」
 遠い日を思い出すかのように、老人は目を細め髭を撫でる。
 水晶は、ただの鉱物であった。持っていても、なんの悪運も呼び込まない。馬車に突っ込まれもしないし、崩れてきた瓦礫の下敷きになることもない。犬に食いつかれて変な病気にかかることもないし、川に落ちて溺れることもない。正真正銘の、『ただの』石ころであった。
 一瞬でも、呪い殺されるのだと勘違いした係員は、神妙な顔つきで自分の考えを正した。
 決して、係員が悪いわけではなく、老人の日頃の行いが悪いのだが。
「それは、お辛かったでしょう‥‥」
「いや、自業自得ぢゃ。好きなことをして良いと言われて、いい気になっておった報いぢゃろ。アレが死んでから、ワシは山へ入るのを辞めたんぢゃよ。とにかく、これを受け取ってくれ。今度の家は狭くての。全部の荷を持っていけんのぢゃ」
「うん? 引っ越しでもなさるんですか? アッカースンさん」
 係員は、受け取った水晶を大事そうに腕に抱く。
「うむ。今の家は年寄りが一人でいるには、広すぎていかんと思っとったんぢゃが、ちょうど良い空き屋をみつけたんでの。移ることになったのぢゃ」
「では、本日は作業の手を募りに?」
「うむ! 珍しく頭の回転が鋭いの!」
 ドンはニッコリと微笑み、係員の肩を杖の先で叩いた。いつもの強い調子ではない。トントンと穏やかな力である。
 遠く離れてゆくのではなかろうか。
 係員の胸をそんな考えが過ぎる。
「‥‥ひとこと余計です。では、仕事は、荷造り、掃除、運搬と、こんなところでしょうか」
 依頼書に文字を書き入れながら、係員はドンの様子を窺った。
 心なしか元気がないようにも見えた。
「いや、運搬は行商をやっとる知人に頼んであるのでいらん。積み込みと掃除の手があれば十分ぢゃ」
「そうですか。では、荷造りと掃除と言うことで宜しいですね?」
「結構ぢゃ」
 報酬や人数などをとりまとめ、係員は依頼書からドンへ視線を移した。
「アッカースンさん」
 次はどちらに?
 聞きかけて、係員は黙り込んだ。
 余計な詮索は無用である。言わないと言うことは、教えたくないと言うことなのだろう。
「なにか困ったことがあったら、直ぐに来てください。いつでも、お待ちしておりますから」
「うむ。あんた、やっぱり良いひとぢゃな。これまで、スマンかった。それとな、『1C』ぢゃ」
 ズイと差し出された手に、係員は首を傾げる。
「わんかっぱー‥‥?」
「あんた、石を受け取ったぢゃろ。ワシャ、『譲る』と言ったんぢゃ。やる、とは言っておらん。引っ越しでなにかと物入りでのう」
 あぁ、なんと言うことだ。僕は詐欺に引っかけられた。あくどい老人の策略に落ちてしまったのだ。せびられた代金はなんと1C。この水晶を一目見た僕の可愛い妻は、きっとこういうだろう。
 ――まぁ、あなた。とっても綺麗。これを1Cで? あなたって、買い物上手でいらっしゃるのね。
 係員は、おもむろに財布をとりだした。
「はい、1Cです。すみません。こんなに良い物を」
「毎度ありぢゃ!」
 妄想は詐欺にも勝る。

●今回の参加者

 ea2806 光月 羽澄(32歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea4764 談議所 五郎丸(29歳・♀・僧兵・ドワーフ・華仙教大国)
 ea5884 セレス・ハイゼンベルク(36歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea7044 アルフォンス・シェーンダーク(29歳・♂・クレリック・エルフ・イギリス王国)
 ea9012 アイル・ベルハルン(29歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 eb2287 ソウェイル・オシラ(22歳・♂・ウィザード・エルフ・ロシア王国)

●サポート参加者

シーヴァス・ラーン(ea0453)/ 葛城 伊織(ea1182)/ ヴォルフガング・リヒトホーフェン(ea3143)/ アルンチムグ・トゥムルバータル(ea6999)/ 天霧 那流(ea8065)/ ユイス・イリュシオン(ea9356

●リプレイ本文

 開け放たれた窓から、陽光が射し込んでいる。磨き込まれた調度品には、塵の一つも見当たらない。荒れ果てた庭とはうってかわり、室内は使用人たちの手入れが行き届いていた。だが、その功労者たちの影はない。今朝早く、役目を終えて出ていったのだ。代わりに、行商人親子が皆の到着を待っていた。
「わー、すごーい! お二階にドアがいっぱい☆ ドンちゃん、行っても良い?」
 階段の手すりに指をかけ、ソウェイル・オシラ(eb2287)は老人を振り返った。コの字をひっくり返したような廊下の左右に、合わせて三つの扉がある。右に一つ、左に二つだ。
 ドン・アッカースンは幼い子供を見るような眼差しで、行って来いと手を振った。
「はしゃぎすぎて階段から転げおちんように、気をつけるんぢゃぞ」
「うん、わかった☆」
 三角巾とエプロン姿のエルフは、嬉しそうに階段を駆け上がる。今日のソウェイルは、光月羽澄(ea2806)と揃いの格好をしていた。
「やけに似合ってるな」
「ソウくんって、可愛いから」
 セレス・ハイゼンベルク(ea5884)の言葉に、羽澄は微笑を返す。 
「さて、始めようかの。必要なものは、ワシの書斎にまとめてあるで、それ以外は不要物ぢゃ」
 室内だと言うのに、老人はマフラーと手袋を身につけている。出立の時、那流が餞別として手渡したものだ。口には出さなかったが、よほど嬉しかったのだろう。ドンは、それを外そうとはしなかった。
 颯爽と、そして、軽快に、アルフォンス・シェーンダーク(ea7044)の前を通り過ぎ、ふと何かを思い出したように立ち止まった。
「そうぢゃ、お前さんに言いたいことがあったのぢゃ」
 老人にしては珍しい、とても優しい微笑を浮かべている。
「なんだ?」
 半ば薄気味悪さも感じながら、アルフォンスは怪訝そうに尋ねた。さすがの老人も、住み慣れた家を離れるとあって、思うところがあるのだろうか。
 老人はアルフォンスの腕に手をかけ、穏やかな声音で言った。
「お前さん、無理はせんようにのう。年寄りに体力仕事は辛かろうて、老青年や」
 いつもとなにも変わらなかった。
「誰が年寄りだ。じじいこそ、年寄りだろが! そう言うのをジャパンじゃ、『年寄りの冷や水』って言うんだぜ。いいから大人しく監督でもしてろ!」
「トシノリノシミーズ? なんぢゃそれは! そんな怪しい呪文でワシを騙そうったって、そうはいかんぞ!」
「いったい、どういう耳をしてやがんだ! 『としよりのひやみず』だ! 年寄りが身の程をわきまえず、危ねぇことをするっつうたとえだ!」
「ふぉっ。今日のお前さんに、ぴったりの言葉ぢゃな」
 フッと、アルフォンスがニヒルな笑みを浮かべた。老人もほっこりと笑っている。はたから見れば、仲睦まじい様子にも見えるが、二人はネズミ色の生暖かいオーラに包まれていた。
「最後までにぎやかね」
 部屋の中を見回していたアイル・ベルハルン(ea9012)は、暖炉上の壁で目を止めた。柄の欠けた金槌がかけられている。老人がその昔使っていた代物なのだろう。今は壁の飾りとなっていた。
 テーブルへ目をやる。かけられたクロスは色褪せている。花瓶敷きとお揃いの淡い水色で、縁にはレースがあしらわれていた。老人の趣味ではなさそうだ。
 それらは時の止まった、だが、捨てられないものたちなのかもしれない。
「‥‥この家には、奥様がまだ生きているのね」
 アイルは感傷的な気持ちで、扉の一つに手をかけた。軋んだ音がして視界が広がる。目に飛び込んだ風景に、アイルは絶句した。
 古びた銀色の鎧に大きな盾、長い槍。ありとあらゆる長さの剣に、クラブやスピアにスタッフもある。ごたごたと武器が居並ぶその中央、にシングルサイズのベッドがあった。枕の上に放り出されているのは、シークレットダガーだ。
 妻の影はまるでない。
「‥‥前言撤回。『リビング』には、奥様がまだ生きているのね」
 アイルは遠い目で呟いた。背後で老人の声がする。
「客間を改造した、自慢の寝室ぢゃ!」
 武器保管庫ではなかったようだ。
 目頭を揉むアイルの顔を、談議所五郎丸(ea4764)は心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫? ドンじーの家だから、いろんなものがありそうな気がしてたけど」
「ええ」
 クローゼットの中には、ぎっちりと洋服が詰め込まれていた。普通であった。
 と、思ったのは一瞬だった。足下に見えたなにかの頭部に、二人は反射的に飛び退いた。
「ど、ドラゴン――」
「の、兜だね」
 アイルはフラリと蹌踉めいた。
「‥‥書斎へ行くわ」
 疲労感の漂う声だった。
 
「これ、本当に全部、処分なさるんですか?」
「そうぢゃ。ワシはカップと、皿が何枚かあれば良いのでな」
 木箱の中に移し替えた食器の中には、高価なものも含まれている。
 羽澄は、一枚の銀皿を手に取った。ここにも、使用人たちが尽くした影がある。
「優秀なお手伝いさんたちだったのですね」
「なんのかんのと口やかましい連中ぢゃ。『アレ』が死んでからは、ますますうるさくなって、手に負えんかったわい」
 老人は笑った。羽澄も笑った。
 本当に、手に負えないのは誰なのか。老人は気づいていない。
 恐らく、毎日が戦いだったのだろう。ああ言えばこう、こう言えばああと、息切れするような言葉の応酬を、羽澄は何度も見てきた。
 だが、それで逃げ出す者はいなかったようだ。仕事熱心で、そして、主思いの使用人であったことが、銀皿一枚からも窺える。
「愛されていたんですよ」
 羽澄は木箱に封をしながら言った。
 思い出が一つ閉ざされた。
「ドンじー、これはどうするの?」
 寝室から出てきた五郎丸は、白いドレスを抱えていた。亡き妻の形見であることは間違いない。
「クローゼットの奥にかけてあったよ。女ものはこれだけだったけど、持って行かなくて良いの?」
「いらん。着るものもおらんしの」
「でも、ドンじー。これだけは、ずっと大事に取っておいたんでしょ‥‥?」
「肖像画を持った。それだけで良いんぢゃ」
 老人は顔をそらし、それ以上、思い出の品を見ようとしない。
 愛はまだ、続いているのだろう。五郎丸と羽澄は、老いた背中から静かな想いを読みとり、微苦笑をかわした。
 一階の作業は、行商人親子の手もあり着々と進んでゆく。
「そう言えば、書斎に行った皆が静かなの。どうしたのかな」
 寝室の荷を運び終えた五郎丸は、二階を見上げた。五郎丸と羽澄以外は、皆、上へ行っている。
「ぬっ! まさか、さぼっておるのぢゃなかろうな。行くぞ、ゴロ、羽澄! ワシに続くのぢゃ!」
 二人の間を、骸骨の顔が颯爽と走り抜けてゆく。
 仰天した羽澄の声が飛んだ。
「ドンさん、『スカルフェイス』は外して行きなさい!」

「ほら、こうすると七色に光るよ☆」
「本当だな。こっちの石も綺麗だが、その水晶も良いな♪」
「うわぁ、これもすごーい!」
 ソウェイルとセレスが鉱物に夢中になっている中、アイルは壁にかけられた夫婦の肖像画に見入っていた。アルフォンスは羊皮紙の束を抱え、気難しい顔で読みふけっている。
 本来の目的を遂行しているものは、誰もいない。
「こううりゃああああ! なにをしておる!」
 部屋へ躍り込んだ老人は、ソウェイルとセレスから水晶をむしり取り、アルフォンスから羊皮紙の束をひったくって、肖像画の前に立ち塞がった。
「遊んどらんで働くのぢゃ!」
「でも、ドンちゃん」
 ソウェイルがほえほえと笑う。
「ドンちゃんも楽しそうだよ☆」
 骸骨の面鎧で遊んでいる姿が。
「異議なし」
 アルフォンスが手を挙げる。
「確かに‥‥」
 セレスも同意した。
 老人はくるりと振り返り、肖像画と向かい合う。そして、小さく首を振った。
「わかっとらんようなので説明してやろう。これは、ワシが二十四、『アレ』が十九の時の絵ぢゃ。この頃から『アレ』は病気がちでの。あまり外には出れんで、ワシには自由に遊べと言って」
 全く違うところへ話が逸れた。
「聞いてねぇ!」
「待って、聞きたいわ」
 叫んだアルフォンスを手で制し、アイルが言った。
「続きを聞かせて、ドンさん。奥様との馴れ初めは? 私に似ていると以前、言ったことがあったわよね。聞いてみたいの、彼女の話を」
 絵の中の娘は微笑を浮かべ、若かりしドンの腕に手をかけている。
 黙り込んだ老人の様子を窺うように、皆も沈黙した。
「ドンちゃん‥‥」
 ソウェイルは老人の横顔を、じっと見つめた。
「やっぱり、その骸骨だと、ドンちゃんが一番、遊んでるようにみ」
「そ、ソウ君!」
 無邪気なその口を、羽澄は慌てて塞ぐ。
 骸骨はフッと息を漏らした。
「ワシは『アレ』に言ったことがあるのぢゃ」
 初めて語られる老人の話である。誰もが老人の一挙一動を見守った。
 老人は穏やかな目を、セレスへと向けた。
「あんたも聞きたいかの?」
「辛くなければ‥‥」
 セレスは今日、この依頼で初めてドンと出会った。
 我が侭で子供っぽい老人である。
 だが、過去の記憶を無くしているセレスにとって、そんな老人でも見ていて思うことがあるのだ。
 父や祖父は、こんな風かもしれないと、心がふっと和まされる。
 今は、骸骨面だが。
「そうでなければ、聞いてみたい。人生の大先輩の話を」
「では、話してやろう」
 ドンは白い髭を撫でながら、小さく頷いた。
「もう昔のことぢゃ。ワシは『アレ』に言ってやったのぢゃ。寝室に武器を飾ろうと。すると『アレ』はワシに目を剥いて、こう言った。『ふざけるんぢゃないわよおぉ』。それで、ワシは一度は諦めたんぢゃ」
「それ、関係なくねぇか」
 疲れた顔でアルフォンスが言った。アイルは白目を剥いている。
「ん?」
 骸骨が首を傾げた。

「それで、どうしたの? ドンちゃん」
「ワシは騎士をつれて出かけ、その岩を気合いの塊で吹き飛ばさせたのぢゃ」
「うわぁ、それでそれで?」
「もう。二人とも、話はあとって何度言ったらわかるの?」
 羽澄に怒られたのは、これで八度目である。
「ごめんなさい」
 てへっと笑って謝ったあと、ソウェイルは床磨きに戻った。五郎丸から手渡された雑巾を手に、ドンも真面目に床をこすっている。
「どうなったのかなぁ」
 続きが気になって仕方がない。ソウェイルの口からポロリと漏れた言葉に、老人はずいっと顔を近づけた。
「それがの」
「うんうん」
「ソウ君、ドンさん‥‥?」
 二人の視界が突然、暗くなった。背後にひとの気配がする。冷たい視線も感じる。
「お仕事お仕事♪」
 ソウェイルが再び、床を磨き始めると、気配はすーっと去っていった。
「猫みたいな娘ぢゃ」
 老人の言葉に、ソウェイルは頷いた。
「はーちゃん、忍者だから」
 階段を登りかけた忍者の目が光る。
「そ、掃除って楽しいよね☆」
 慌てて腕を動かすソウェイルの姿が、五郎丸の笑いを誘った。
「そうだ、ドンじー。報酬はいらないんだけど、代わりに貰いたいものがあるの」
「なんぢゃ」
 老人は手を休め、五郎丸へと顔を向けた。
「あのね、縁あって馬を飼うことになったの。それで、名前を付けてくれないかなって」
「おお、ゴロもか! よしよし、今、考えてやろう」
 老人はしばし悩んだあと、ぽむっと手を打った。
「『メイ』でどうぢゃ?」
「めい?」
 首を傾げる五郎丸に、老人は声を落とす。
「『アレ』の名ぢゃ。気にいらんかったら流すが良かろ。それから、お前さんは報酬はいらんと言っておったが、忘れずに持ってかえるのぢゃ。馬にやるでの」
「ドンじー‥‥」
 老人は五郎丸の肩を叩いて頷く。
 その顔を見つめた五郎丸は、肖像画の中のドンの微笑を思い出していた。

「さて、愛馬が新居で待っておるで行くぞ。手紙はギルドで見るようにの」
 別れの挨拶は手短であった。手を挙げ、口をへの字に曲げて、荷車の先端の僅かな空間に身を押し込む。前を向いた老人は、それきり、皆と目を合わせようとしなかった。
 ごろごろと重たげな音が響き出す。
「じじい!」
 アルフォンスの声に、老人の目が微かに動いた。
「俺のいねぇとこで、簡単にくたばんなよ! そんときゃ俺が、直々に引導渡してやるからな!」
 へそ曲がりからの精一杯の優しさだ。アルフォンスは荷車の背に向かって、親指を突きだしてみせた。
 老人は思慮深げな様子で髭を撫でたあと、しばし、目を細め、やがて耳をほじって、その指に息を吹きかけた。
 聞き流したようだ。
「最後まで可愛くねぇじじいだな!」
「うるさいわい! お前さんこそ、『ヨルトシノヒヤミミズ』にならんようにの!」
「教えたことぐらい真っ直ぐに覚えろ、じじい!」
 アルフォンスが中指を立てると、老人は舌を突き出した。それが終焉の合図だ。
 遠のいてゆく行商人一行を、アルフォンスは見つめる。その横顔に向かって、アイルが言った。
「‥‥あなた達って、似たもの同士よね」
「冗談」
 アルフォンスはポケットに手を突っ込み、肩をすくめてみせる。
「俺たちも行こうぜ」
 そう言って、アルフォンスは歩き出した。キャメロットへと延びるそれは、老人とは反対の方角であった。
「さよなら、ドンじー」
 口うるさい老人であったが、その手は温かで優しかった。後ろ姿に決別の言葉を投げかけ、五郎丸もアルフォンスのあとに続く。
「ドンちゃん、行っちゃった‥‥」
 寂しげなソウェイルに、羽澄が笑いかける。
「また、いつか会えるわよ」
「うん‥‥」
 元気でいれば、どこかでばったり出逢うこともあるだろう。だが、その言葉は、故郷へ戻る羽澄には使えない。ソウェイルは消沈し、黙り込んだ。
「あの手紙、何が書いてあると思う?」
 気を紛らせるつもりで、アイルが言った。その手で受け取った手紙には、固く封がなされていた。
「新しい住所かしら」
「それと、じじいのことだ。言えなかった礼あたりだろ」
 アルフォンスの言葉を受けて、セレスは頷いた。
「確かに、はっきりとした礼や別れの言葉は、出てこなかったな」
 最後まで、素直ではない老人だった。
 骸骨面の顔を、セレスは忘れないだろう。
「新しい住所か。どこに移られるのだろうな」
「近くなら良いわね。遊びにも行けるし」
 どんなに振り回されても、やはり老人のことが気になってしまう。アイルは貰った手紙を、服の上からそっとおさえた。

 ギルドへ辿り着いた一行は、あの係員を尋ねた。報告を済ませ、手紙を開封する。達筆な筆で綴られていた内容はこうだ。
『ワシは皆が好きぢゃ。依頼でしか逢えんのは寂しい。ぢゃから、傍へ引っ越すことにした。場所は、キャメロットのエチゴヤの近くぢゃ。いつでも遊びにくるが良い。愛馬と待っておる』
 別れは芝居だったのだ。
 形容しがたい悲鳴と歓声が、ギルドの中に響き渡った。