●リプレイ本文
●腰痛の薬師
薬師は、薬箪笥に悲愴な顔でしなだれかかっていた。その姿はまるで、旅立つ男を引き留める情婦のよう。
上がり框に腰掛けていた先客が、「私が来たから起きあがってきて、あそこで固まったんだ」と説明すると、老人は拳を振り上げ目を剥いた。
「これが一番、楽な姿勢なんじゃあ!」
滋藤柾鷹(ea0858)と、茘茗眉(ea2823)は、土間に佇んだまま、「はぅ」と言ったきり動かなくなった老人を、無言で見守った。
鈍い時の流れを感じた。
いつまで待っても、薬師はピクリとも動かない。拳は宙で止まっていた。
やがて、柾鷹が静かに言った。
「手を貸した方が、良さそうでござるな‥‥」
「‥‥そうみたいね」
先客と三人して、薬師を寝間へ運び込み、話はやっと始まった。
●長屋の姉弟
狭い長屋の一角に、響の家はあった。
病の床に連れ添っていた幼い少年は、姉の顔を見るなり泣き出した。心細かったようだ。
「ご免ね? 不安だったね?」
膝を突き、覗き込んでくる姉の顔に向かって頷くと、少年は皆に座を譲り、土間の端へと身を移した。
妹は苦しげな呼吸を吐きながらも、響の呼びかけに小さな返事を返す。
「意識はしっかりしておりますね」
朱鷺宮朱緋(ea4530)は、床の中の顔に微笑を落とした。
「お辛いでしょう。直ぐに薬草を採って参りますので、もう少し頑張ってくださいませ。あとで、美味しいものもお届けいたしますから」
そっと差し出した小指に、少女の熱い指が絡まる。
響はそれを見届けると、名残惜しげに立ち上がった。
「そろそろ、出かけなければならないのですが‥‥」
と、妹から目を離さずに言う。
妹も寂しげであった。
天鳥都(ea5027)は、後を追って立ち上がり、響を玄関先まで送り出した。アイリス・フリーワークス(ea0908)も、共に続く。
「何も心配なさらず‥‥あとは、私たちにお任せください」
都は、そう言って響の手を取り、軽く握りしめた。見た目以上に、カサカサと荒れた手であった。
だが、生きる者の懸命さと美しさを、都はそこに感じ取った。
「頑張ってくださいね」
そう付け足す都に、響はこくりと頷く。
「お二人は、お友達みたいですね〜。私は、最近ジャパンに来たばかりで、そう言う人が少ないのですよ。響さん。良かったら、お友達になってくれませんか?」
アイリスの突然の申し出に、響はいささか面食らったようだ。束の間、目を丸くしたが、嬉しくもあったのだろう。直ぐに、はにかんだ笑顔を見せた。
「ええ、あの‥‥私で宜しければ‥‥」
「じゃあ、今日からお友達です♪」
屈託のない笑みと一同に見送られ、弟に留守を頼むと、響は仕事に向かった。
残された末っ子は、土間の隅で涙を拭っている。二つ上の姉には近寄ろうともしない。
「どうしたでござるか」
音羽朧(ea5858)が声をかけると、少年は激しく首を振った。
「もう、看病はやだよ」
一同は顔を見合わせた。
「何故でござる?」
「僕が作った大根のお汁、お姉ちゃん、食べてくれないんだ。お薬もないし、きっと‥‥きっと‥‥し、死」
そこまで言うと、少年はわんわんと泣き出した。まだ、七つの子供である。自分では対処しきれなくなった想いが、破裂したようだ。
「大丈夫でござるよ。死にはしないでござる」
朧は、巨躯を折って膝をついた。ヒエン・ラクシャ(ea0375)が、それを見守り言い添える。
「心細いだろうが、病に倒れている者も同じ。薬を取ってくるまで、面倒を見てやる事はできないか?」
ミフティア・カレンズ(ea0214)も、泣きじゃくる少年の顔を覗き込み、大丈夫だと笑いかける。
「もうすぐ、薬師さんのおうちに行った、お兄さんとお姉さんが帰ってくるの。そうしたら、直ぐに薬草を採りに行くから、その間、待っててくれるかな?」
「お姉ちゃん、死なない?」
語尾も声音も様々であるが、皆、間髪おかずに返事を返した。言葉がさした意味は一つ。
少年はそれを聞いて、ぐいと涙を拭った。
「『絶対に、死なない』なら、僕、頑張る」
泣きやんだ少年の頭に、朧の手が伸びた。
●蝶の原
「森を迷わず抜ける事が出来れば、群生地に着けるそうよ」
北へ向かえ、と言う薬師の指示と茗眉の誘導で、一行は無事に森を抜けた。
辿り着いたのは、緩い丘陵の原野であった。
「わぁ、ヒエン、見て。綺麗〜♪」
夏の花々が咲き乱れているのを見て、ミフティアは歓声をあげた。ヒエンはさりげなくミフティアの傍らに並び、その動向に気を配る。
「お嬢。動き回ると危険だ」
愛想無く言ったヒエンに、ミフティアは笑顔を向けた。同じ海を越えてやってきた彼女の事を、ミフティアはいつも考えている。その言葉が叱咤ではなく心配だと言う事も、十分、分かっていた。
「大丈夫。ちゃんと、気をつけるから」
そう返すと、ヒエンは黙って頷いた。
薬師を襲ったと言う蝶は、直ぐに見つかった。その数は三匹。不規則な軌道を描き、花の上を飛び交っている。
皆、用意した布で目から下を覆うと、柾鷹の取り出した半紙を覗き込んだ。細くひょろ長い茎に、小さな花芽を持った草が描かれている。薬師の筆であった。
「これが薬草でござる。解熱には根が必要との事でござったが、今回は急を要するが故、地表に露出して乾いている部分を集めるでござるよ」
口では伝えにくい事も、絵で見れば頭に入りやすい。
「これなら、植物に疎い私たちでも探せそうです」
都はしばらく見入っていたが、やがてそこから目を離した。
朱緋の視線とぶつかる。
「では、早急に済ませましょう」
「あ、待って」
ミフティアは皆を呼び止め、空を見上げた。
風は南から北へ。
それを聞き、皆は原野へと散った。
蝶の動きは全く読めなかった。
スーイ、ヒラリと右へ舞い、左へと泳ぐ。
誘導を買って出た朧もアイリスも、これには翻弄された。
腐った果実を入れた袋は、蛾や虻を呼んだが、この蝶には利かないようであった。好む匂いが違うのだろう。
風に乗る木の葉のように、蝶は一行に近づいては遠ざかった。
風向きを知っていた事と、口元を覆った布のおかげで、鱗粉を吸い込まずに済んでいるものの、薬草を採取するどころでは無い。
都は袖を口にあてがい、蝶の動きを見守った。
キラキラと落ちる粉を見つめる。
「毒粉は蝶に取って身を護る術‥‥。ここで倒しておかなければ、また、誰かが危険な目に遭うかもしれません」
「殺生は好みませんが‥‥仕方が御座いませんね」
と、朱緋も折れた。
「どうする。剣で戦うには分が悪いようだが」
振り返ったヒエンの視界で、柾鷹は大風呂敷を広げた。
「こうするでござるよ」
蝶が近くへやってきた時を狙い、それを覆い被せる。飛ぶことを封じてしまえば、あとはたわいもなかった。
●その男
「おや、熱心だね」
男は、薬師の家に、またやってきた。
「ええ、昼の調子では、お手伝いが必要だと思ったから」
茗眉は、薬を煎じていた顔を上げる。
「三段目。右から二番目の引き出しから、葛の根を出してくれ」
「これでござるな?」
薬草を届けたついで、朧も言われるがままに薬師の声に従った。もう少しで、薬が出来上がる。
「蝶はまだいたかい?」
男は上がり框に腰掛け、寝たきりの薬師に手を挙げた。薬師は都に手を借りて起きあがり、ぷいっとそっぽを向く。
「薬師様」
「ええんじゃ。どうせ、からかいにきとるのだから」
都が苦笑すると、老人は煙たげに手を振った。
会話が途切れるのを待って、茗眉が話を戻す。
「ええ。でも、もう大丈夫よ」
その言葉を聞き、男は身を乗り出した。
「大丈夫とは?」
「全て駆除してきたの」
「それは良い!」
男はほくほくとした顔で、嬉しそうに膝を叩いた。
●連鎖
粉末を、口に含んで顔をしかめる。上下する喉を見下ろし、響はホッと息をついた。
「本当に有り難う御座いました」
「響様。どうか、お顔をあげてくださいませ。私たちも、無事にお薬を届ける事ができて安心いたしました」
深々と手をつく響を、朱緋は抱き起こす。弟が朱緋の顔を覗き込んで言った。
「お母さんも、最初は風邪だったんだよ。長い間、寝てて死んじゃった」
「それで、あんな事を言ったのでござるか」
朧に見下ろされ、少年は照れくさそうに笑った。
「うん」
響は袂から、手製の巾着を取り出し、皆に一つずつ差し出した。
「どうか、お受け取りください。ほんの気持ち程度でしかありませんが‥‥」
戸惑いながら手にする一同。
そんな中、アイリスは、受け取れないと返してしまった。
「私と響さんは、お友達ですから〜。薬草を採りに行ったのも、お友達が困っていたからです」
最初から、アイリスに報酬を受け取る気は無かったのだ。気づいた響は、しばし呆然とアイリスを見つめた。
「えっと‥‥響のお姉さん」
ミフティアも、響の手を躊躇いがちに取り、そこに巾着を乗せ両手で包んだ。
「私、食べる事が好きなの♪ だから、お姉さんのお店に行った時に、お団子とか甘酒とか、おまけしてくれると嬉しいな♪」
「ミフティアさん‥‥」
「その際は、私の分をミフに」
ヒエンも、受け取ったものをそっと前に押し出す。
「良いの? ヒエン」
ヒエンは、ミフティアと響と、二人に向かって頷いた。そして、まだ乾いていない薬草の根を、響に差し出す。
「売れば稼ぎの足しになるはず」
「では、そこにこれも乗せてくださいませ」
朱緋もそう言って、巾着を添えた。
「御弟妹に美味しいものを買ってあげてください。指切りをいたしましたので。響様がご用意されたのもお気持ちなら、私たちの行いもまた同じで御座います。どうか、快くお受けください」
「それに、元はと言えば、薬師さんが腰を痛めたのが原因よね」
五つ目の巾着が、茗眉から響に渡った。
結局、素直に報酬を受け取った者はいなかった。
都は早朝より外出し、薬の予備を仕入れて戻った。
驚く響を、さらに驚かせたのは新しい笄であった。
「お金をお渡しすると、御弟妹の為に使われてしまうでしょうから‥‥。大切な人が出来た時に、身につけてくださいな。それまでは、お守りとしてお持ちください」
「こんな事までしていただいては‥‥」
「良いんです。昨日、朱緋さんもおっしゃいましたが、ほんの気持ちです」
妹の熱はだいぶおさまり、呼吸も楽になった。感謝に堪えない上に、皆の気遣いが心にしみる。
響は、笄を抱きしめ目を閉じた。
「薬師殿の具合はいかがでござったか」
「柾鷹さん。ええ、相変わらず」
「そうでござるか」
やってきた柾鷹の腕には、弟がぶらさがっていた。
「ねぇ、お兄ちゃん達、お姉ちゃんが治るまで家にいて」
弟はそう言って、駄々をこねる。
響は困った顔で、弟を引きはがそうとした。
その時である。柾鷹の袖からぽろりと、何かが滑り落ちた。
「なんだこれ‥‥」
弟が拾い上げたのは、彩色が虹色に変化する綺麗な櫛であった。
「先日、江戸の祭りで手に入れたのでござるが、拙者には不要な品‥‥代わりに響殿が使ってくれると有り難い」
「まぁ‥‥でも」
「きっと、似合うでござるよ」
頭上から振る優しい言葉に、響は頬を赤らめた。
●別れの日
妹の熱はすっかり引いた。
一行は出立を決め、姉弟に見送られ村を立った。
三人の姿が点になる。
「おーい! 待ってくれー!」
そこへ、薬師の家にいた男が、雪崩れ込んできた。
「私にも礼をさせてくれ」
男は腰を折って膝を掴み、肩で息をしている。アイリスがその頭を見下ろした。
「あなたは誰ですか?」
男は顔を上げると、ひぃはぁと胸を上下させた。額に汗が浮かんでいる。
「私は、この村の長だよ。薬師が倒れてから、毎日、あそこへ様子を見に行ってるんだ。蝶の事も困ってたんだよ。響があんた達を呼んでくれて、本当に助かった」
村長は心配事が消えたと喜び、皆に包みを配った。金一封である。柾鷹はそれを辞退した。
「響殿から頂いた故」
「拙者も同じく」
一歩、身を引き振り返る朧。
まだ去ろうとしない小さな三つの影に向かって、巨躯の忍びは微笑えんだ。
「あれ? 姉ちゃん、駄目だよ。せっかく貰ったのに‥‥」
いつ、落としたのだろうか。
縁台に置かれた櫛を弟に掲げられ、響はハッとして胸元に手をやった。固い感触に指先が触れる。確かに、櫛はそこにあった。
誰かが忘れて行ったのだろうか。
だが、思い起こして、気がついた。
最後に家を出た大漢が、やけに慌てていた事を。
「いつか、あなたに大切な人ができるまでの、お守りにしましょう」
妹を見て、響は微笑む。
伴う感情を変えながら、連鎖はこうして続いてゆく。