【北伐戦駆】攻め手と逃げ手
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■ショートシナリオ
担当:はんた。
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:5 G 47 C
参加人数:3人
サポート参加人数:-人
冒険期間:12月12日〜12月18日
リプレイ公開日:2009年12月25日
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●オープニング
「なるほど。進路はこれで間違いない、と」
「ああ、違い無ぇよ」
王宮の外れに、その一室は存在していた。狭い室内に窓は無い為に陰気で、異臭と『何か』の染みで満ちている‥‥カオスニアンの男は拘束されたままそこに放り込まれた時点で『この部屋は何の為に存在なのか』を悟った。
カオスニアンに尋問していた男は王宮フロートシップ船長、マルグリッド・リーフ。
「君の協力には感謝をしている。こちらも、拷問なんぞ最後の手段だ。すすんでやりたいものじゃあない」
「流石に命が天秤に乗ってるんならさ、嘘も言えんぜ」
「ああ、全く。『拷問なんて』したくは無いからね」
マルグリッドとカオスニアンは取引をしていた。供述を引き換えにして、カオスニアンを秘密裏に逃がすという、約束。
真実を引き換えに君の命を保障しよう‥‥マルグリッドの言葉を脳内で再生していると、マルグリッドは部屋を出て行く。
小さく聞こえる、声。
「後の事は宜しく頼む」
「任せてくれよ、隊長」
そして次にカオスニアンの眼に映ったのは、新たに部屋に入ってきた男。
カオスニアンの男は呆気に取られていた。男の両手に、酷く大げさな曲刀が握られているからだ。
「どうかしたか?」
その様子を見取ってか、男は傷だらけの顔を更に歪めて――恐らく笑ったのだろう――言った。
「例えば、だ。鳥の嘴に捕らえられたカマキリが『命を奪い取る様な残酷な行為はやめろ』なんてのたまったとしたら‥‥お前はどう思う? 俺なら、可笑しくて笑い転げちまうぜ」
全く不思議なもので、真に磨かれた刀身というのはこんな薄暗い空間でも煌くのだ。
貴族商人平民の境無く、略奪を繰り返すカオスニアンの盗賊団がいた。首領はナイルと名乗る男で、少規模の一団でありながら、機動力と狡猾さを武器に、嘲る様にして追跡の手から逃れてきた。
しかし、そんな不遜な彼らにも陰りが見え始める。
とある貴族の支援を受けた王都の騎士団が包囲網を展開、一団の逃走経路を限定させ、更に冒険者の力を以ってこれを追撃。結果、一団を著しく消耗させ、寒冷の僻地へ押し上げる成果を齎した。
「それにしたって、どこにカオスニアン達が行ったかなんてのは未だに漠然としてるじゃないですか。単純に北って行ってもそれなりに広いんですから」
「ま、確かに」
冒険者ギルドの受付テーブルから聞こえてきた話し声は、受付嬢とマルグリッド。
「だが、敵が行こうとしている場所に、概ねの目星はついている」
そして、マルグリッドは大きな地図を出す。また、それを指差しながら受付嬢に説明をしていった。
「北上した突き当たりに、小さな村がある。周辺には、他に人が住んでいる様な場所は無い」
「ぇ、つまり‥‥どういう事です?」
「みなまで言わずとも悟る、賢い女性かと思ったんだがね。今の息切れ状態の彼等にとっては、辺境の村なんてのは御馳走に見えるんじゃないかな」
「それってつまり‥‥ああっ、なんて酷いことなんでしょう! 村人達を囮にしようってんですか!?」
「ち、ちょっと待って欲しい。奴らの進軍速度と距離で計算してみたところ、間に合う可能性もある。ナイル達の討伐が第一の目的ではあるが、村人達を見捨てろなんて非人道的な事、言うつもりはないよ」
「結局、冒険者頼みって訳ですね」
「そこは否定できないかな。とは言え、こちらで出来る助けはしたい。その村で戦闘になる可能性もあるから、村の情報も、冒険者に知らせておきたい。私は、これほど王都から離れた土地っていうのは、なかなか詳しく無くてね」
「更に、ギルド頼みって訳ですか。ま、いいですけど」
規模としては100人にも満たない村落であり、村人達は農業、漁業に従事しているらしい。やや寒冷の地であり、村も小さい事から生存力の強い作物を小規模に栽培したり、また漁業もいまいち振わぬ収穫量のせいか副業として漁船を旅船に使い、旅人相手に商売をして日銭を稼いでいる者もいるという。
「あまり豊かな生活をしている方々ではない様だな」
「こんな稼ぎで生活出来るものなんでしょうかね、本当に。更に、村人達かなり排他的らしく、商売の相手になる相手以外は村に入れたがらないし、入れたとしてもかなり警戒されるって話を聞いた事があります。社交性、人柄ともに、宜しい方々とは言えない様ですね」
「そういう性分は、仕方の無い事かも知れないが‥‥冒険者達には面倒をかけるかもしれないね」
余裕の無い人間というのは、自分の利益にならないもの、もしくは利益を損ねかねないものについては懐疑的になってしまうのかもしれない。
「それに、周囲には盗賊が出たとか麻薬を売り捌く悪漢がいるとか、治安の悪い噂もしばしば聞きます。あまり、近寄りたくない地域ではありますね」
冒険者が行っても、なかなか歓迎はされないだろう。また、これまでの経験から、カオスニアン達との戦いも、ただ単純な力比べで終るとは思えない。
なんにせよ、油断が出来ない依頼になりそうである‥‥と思い心配の反面、数多の難問をくぐり抜けて来た冒険者達なら、きっと最善の結果を齎してくれると信じならが、マルグリッドは依頼書へ筆を走らせた。
「ふむ、どうやらここは近道になり得るな」
「しめたもんだな、ナイル! これなら予定よりも早くに、例の村に着けるぜ」
「お前達、言っておくがいきなり略奪したりしない様にな」
「‥‥? どういう事だ」
「さっき戻った斥候から聞いて、あの村について思うところが幾つかある。まぁ、考えがあるんだ。上手くいけば追走してくる冒険者どもをまけるかもしれない」
●リプレイ本文
「カオスニアンの盗賊を探しに来ました」
旅の医者風情の女性から聞こえた言葉など、その村人達の右耳から左耳へと通過しただけだった。
「そりゃ、こんな辺鄙なところまで、大変なこった」
さて目の前には無防備な女がいるわけだ。程度を見るに、人買いに出せば銀貨70枚は下らないだろう‥‥男は下卑た面の奥では、そんな算盤弾きの真っ最中だったのだ。
躙り寄る様にして近づいてくる男達に、流石のエリス・リデル(eb8489)も感じ取るものがあったのだろう、無意識に一歩、後退りをする。
「まぁこんな寒い時期に外ではなんだ‥‥俺の家が近くにあるんでさ」
「お気持ちはありがたいですが、知らない人にはついて行くなって教わった事があるので」
と言うものの、全く反応が無い。どうやら抜群の通気性を持った両耳をお持ちで。
危機感を覚えるエリスであったが、備えといえば片手に持つランタンと、頭の上に乗っかっているねこさんキャップくらいだった。そのチャーミングな見た目から戦意を消失‥‥しなかったのが悔やまれる。
「エリスさん、一人歩きは控えましょう。マルグリッドさんも、この村の正確な地図は持っていない様ですし」
そこに現れた騎士然の女性。腰に帯びた物を見るや、男はその声に卑屈の色を濃くする。
「お嬢さんは、この娘さんのお連れか?」
「ええ、旅路を共にする者です」
「きょうび旅をするってのは、それほどまでに仰々しくせにゃならんのですかい?」
対するフルーレ・フルフラット(eb1182)は、動じずそれに答える。
「護衛の為の剣です。護衛以外では、あまり使いたくありませんね」
「べ、別に文句を言ったってわけじゃない。その辺は、勘違いしねぇでくれよ」
仰々しい手振りでそう言いながら、男達は各々散って行った。
立派な剣を帯刀し、またその所持者の顔立ちや姿勢。フルーレ自身はただ旅の者としか言っていたが、そこにいた誰もが、彼女が高名な騎士だろうと目してやまなかった。
「遠目に見た所では、特におかしい様子はありませんが‥‥やはり何かがありそうな村ですね」
村人の背を眺めながら、呟く様にして言うフレーレにエリスも頷きながら口を開く。
「尋ねて教えてくれれば楽なんですが。無理なので自力で探すしかありませんね‥‥」
確かにここは、一見すればやや寂しさの漂う辺境の集落でしかない。ただ、周辺に流れる噂や村人達の反応を見聞きして『のどかな田舎』で済ませられるほど、冒険者達は平和ボケしていない。
「あれ、そういえば雨霧さんは一緒ではなかったのですか?」
「‥‥私はてっきり、フルーレさんと一緒かと」
酒場、と言っても貧相なもので。せいぜい共同食堂、程度の言葉がお似合いの場所。
酒を飲む男達は、到底その味も香りも喉越しも楽しんでいる様には見えない。恐らく、寒さ対策の為だけに飲んでいるのだろう。酔っ払い達の臭気が門見雨霧(eb4637)の鼻を通った時、彼はここに蔓延するアルコール群が、如何に質の悪いものかを悟った。
「(王都の古ワインって、贅沢品だったんだな〜)」
背骨を弧状にしながら座す雨霧の姿は、まるでテーブルに突っ伏している様だった。
「(そういえば王都の古くないワインって幾らだったけ‥‥たしか、1Cくらい? 日本円にして‥‥100円。1杯100円! これは安い! いや、ホントこっちの物価の安さって凄いよね。もしかしたら元いた地球より、生活しやすいのかも――)」
ある意味で天界人らしい夢想に浸っている最中に、雨霧は、自分の席の周りから人がそそくさと退いていく様子が見えた。
「(――ただし、身の危険はあるだろうけどね)」
振り返れば、大柄の男がいた。その風貌は、毎日真面目に働いて会社から月給を頂いているサラリーマン‥‥と真逆のそれだった。取り巻きも、例外なく悪漢のなりをしている。
「この辺じゃあ見ねぇ顔だな」
酒場客が退いていくのも無理は無い。いかにもな外観はならず者と形容にするに易く、力無き物にとっては恐怖の対象として瞳に映る。特に、雨霧に話しかけてきた男は大柄で、顔にはこれ見よがしな傷さえある。なんとも分かり易い。
しかし雨霧にとっては海老に掛った鯛に見えた。
「いやぁ、昨今の戦事情っては、俺の様な楽師見習いにとっても面倒なもので。ちょっとカオスの連中が暴れてしまえば、折角のねぐらもアっと言う間に消えてしまう。で、また新たな拠点探しでこの村に来たってわけでさ」
「こんな辺鄙な場所に手前のおまんまが転がっている様に思えるのか?」
「語り引き用に、話の種があるに越した事は無いからね」
「話の種なんざ、尚更こんな村に‥‥」
「おっと、そうだね。語り引きする度に憲兵に囲まれてちゃあ、商売にならないもんだよね」
まるで凄味も込めず、軽口そのままに言った雨霧であったが、それを聞いた男は顔の色を変えた。取り巻き達の中には動揺した様子を見せる者さえいた。
お前達が村で秘密に行っている悪行などお見通しだ。雨霧が言わんとしている事はつまり、そういう事。
「(よしカマかけ成功! あとは――)」
「手前ェ! どこで知りやがった!」
雨霧の思考を遮る、怒号と拳。まさか今更『ただ言ってみただけでした』と言ってみせても、男の腕が止まるとは思えない。
「うぁっとっととと、ちょっと待って‥‥!」
たたらを踏みながら、危なげに攻撃を避ける雨霧。大げさに振るった拳は宙を切り、男は舌打ちをしながら振り返っ――
「いて!」
――たその時、彼の鼻面を打つ小さい衝撃。いつの間に取りだしたのか、雨霧は一枚の硬貨を親指で弾いていたのだ。
「舐めた真似しやがって!」
「お、親分! それって‥‥!」
いきり立つ男を諌める取り巻き達。その原因は、雨霧がその指弾に用いた硬貨にあった。
「それってもしかして、金貨ってやつじゃねぇですか!?」
「そうなのか!? 俺は初めて見たぞ!」
「間違いねぇぞ!」
随分と大層な驚き方をしているなぁ‥‥等と思いながら、相変わらずの口調で、雨霧は話し出す。
「ちょいとあなたさん方に用事がある。もし報酬としてお望みなら、それと同じ物を百枚出せる用意が俺にはあるんだけど」
まるで紫煙の有様で、ゆるり宙を漂う様にして言った雨霧の台詞だが、それは悪漢達を黙らせる程に重みがある言葉であった。
冒険者達は、旅人に成り済まし村でそれぞれ調査を続けている訳だが、大まかな推測を予めしている。
まず、この村は貧しさから、黒い副業が蔓延している事。そしてその一つが漁船を用いた、犯罪者達の逃亡幇助。この地へと逃れてきたカオスニアンの一団、ナイル達にとって、なんと都合のいい場所であろうか。
「村の様子は平常通りの様ですね。それが却って不気味です」
エリスは、習熟している医学知識を用いて、旅の医者を名乗りながら村の様子を探っていた。
「恐らく、買収されているのではないでしょうか」
「でしょうね」
「‥‥その者が人道に反していないのならば、人道より外れた手段を用いる事はまかりなりません」
装いこそ旅人だが、手に持つ剣、教養漂う言動、外套の下に覗き見える勲章‥‥フルーレはどこかの貴族の騎士というのは火を見るより明らかであった。故に警戒する村人も少なくない。
「船を見せてもらったけど、どれも控えめな物だったね。数もそれほど無い」
しかし、そうしてフルーレが注目を集めた結果、雨霧は動き易く、また訝しがられる事も無く船を抑えるに至った。
しかしカオスニアン達の居所に関しては手掛かりが、依然として無い。ナイル達は、そもそもこの村に来ているのか? そんな根本に疑念を抱く程に状況に進捗が無かった。
「秘密を持った奴が相手なら、奥の手を使わざるを得ないですね」
「え、何か妙案があるのかい? エリスさん」
「カオスニアンの居場所を知らせてくれた人には賞金を出します‥‥マルグリッドさんが。と、言いふらしてみましょう」
「ま、待った待った! それだったら俺が出すよ! って言うか、既にそういう方向で悪漢達に話をしているのさ!」
「そうですか、それは残念」
エリスと雨霧がそんなやり取りをしている間、フルーレは一人思念に耽る。
「(ここまで小さな村で‥‥まさか探しきれないなんて事は無い。まだ隠された船等がある? 雨霧さんが金貨を差出し、一帯の『副業者』はそれに対して一見、従順に見える。‥‥充分な報酬を目の前にしてまでも、まだ隠し事をする理由は?)」
結論に辿りつけないフルーレを嘲笑うかの様に、寒風が音を鳴らしながら吹く。
「寒いですね」
「海に面しているから、仕方無いって言えば仕方ないけど」
エリスに返しながら海の方を見た雨霧は、己が瞳に映ったそれに思わず言葉を漏らした。
「あの方の船は、チェックしていないぞ‥‥」
「え‥‥」
「奴らが隠していた帆船が有ったって事!」
風を受けるべく帆が張られた一隻の船が、今まさに発進の準備に掛かっているのだ。
「交渉には応じている様子だったのに‥‥」
「今はまず、ナイル達を止める事が先決です!」
フルーレがそう言うと、雨霧もエリスも頷き、一同は船着場の方向へ駆け出して行く。やがてそれに近づくにつれ、雨霧はらしくも無く頭を掻き毟りたくなる程の苛立ちを感じた。どこに隠していたのか、その帆船は遠目で判断してもも20人は乗れそうな大きさ‥‥カオスニアンの一団は全員乗れそうな代物であった。
丁度そんな時、雨霧と悪漢の頭らしい男と目が合う。
「この帆船の話は聞いていないぞ!」
普段穏やかな彼が言うからこそなのか、男は大柄に似合わない程うろたえながら、返す言葉すらない。
しかし、不思議な事に船を出す動きは止まらないままだ。何故か。
「話は聞いている」
その言葉は物陰から。ゆらりと出てきたのは、痩けた褐色の男‥‥ナイルだった。
「世の中、金だけじゃあない‥‥って、お前達人間が良く言っているだろ。大金を積んで何でもかんでも好きにやろうとは、感心できんね」
ナイルの右手には手斧もどき、左手には、首根っこ掴まれた女性が。顔は青ざめ、絶句している。
金以外で、悪漢達を動かす方法‥‥成る程、人質か。
「しかし、最も感心出来ないのはお前だ。俺達との約束を破ったんだからな」
「ま、待ってくれ! 彼女は――!」
「一つ、『冒険者達に気付かれる事なく我々を出港させる』!」
ナイルの言葉尻と同時に、女の首は掻っ切られ、あふれ出る鮮血の中へと沈んだ。
「ア、アイリーン! アイリーン!」
「売女一人死んだだけでうろたえるんじゃない! 船の中にお仲間が積まれているのを忘れるな!」
この女性以外にも、どうやら脅迫の種は残しているらしい。
「‥‥黙って船出を見送るつもりはありません」
「俺だって、ただここにいるだけじゃあない」
船にグラビティーキャノンを撃ち込もうとするエリスと、それを止めようとするナイル。
しかし、その両者の間に割って入ってくるのは騎士‥‥フルーレだ。
「っと、これはまた随分と久しく見る小娘共じゃねぇか」
「それはこちらの台詞です。船で逃げるなんて真似はよして、大人しく降伏しなさい。えーっと‥‥ナムルさん」
ド真面目な顔のままに言うエリスに対し、『ナイル』は口をへの字の曲げる。
「わざとにしたって、もう少し演技の仕方ってのがあるだろ」
「あれ、ナマルさんでしたっけ? これはわざと名前を間違えて挑発しているのです。決してナメルさんの名前を忘れた訳ではありません」
「‥‥」
ナイルは相当機嫌の悪そうな顔をしているが、とりあえずフルーレに止めてもらっているので大丈夫だろう。
エリスから放たれた重力波は船を大きく揺らす――が、船は沈まない。一撃に、それ程の威力が無いからだ。
その揺れに呼応してか、カオスニアンがぞろぞろと船上に現れる様子は、まるで巣を突かれた雀蜂の様相であった。カオスニアン達は一斉に弓を構え、エリスに向けて射る。これに対してエリスは物陰に退避してやり過ごすしか手は無い。
雨霧もフォールディングボウで対抗してみせはするが、既に船にはナイル以外のカオスニアン達が乗っていたらしく、多勢に無勢。カオスニアン達の射撃も出鱈目ではなく、雨霧もその全てを回避しきれていない。
「生憎、お前と剣の腕を競う為に此処にいるわけじゃない。準備が出来次第サヨナラだ――」
「逃げるなッ!」
短く、されど強い意志を込めて放たれたフルーレの言葉を受け、ナイルは瞳を鋭くして声の主を睨む。
碧の両眼は射抜く様にしてナイルと捉え、離さない。そして隙無く構えられている、いつナイルの手に持たれている折れたハルバードが来ても渾身の反撃を返せる様に。
「逃げるな、か‥‥」
呟くナイルの面には、微笑が浮かべられている。嘲笑――には、見えなかった。
「その言葉、グエン・アバラーブの墓の前で言ってやりな」
「何!?」
「自分の娘に、武家に纏わる辛い思いをさせたくないが為に、奴が選んだ選択が『家名を貶めてアバラーブ家の権威を地に落とし、その柵から我が子を解放させる』なんだってよ。その為に、自分より弱いカオスニアンに負けて、紋章入りの武器さえ預ける様な回りくどい事をしたんだ。全く自分勝手に、勝ち逃げを決め込んで逝っちまったよ」
「権威‥‥、解放‥‥? それならロイさんが――」
「ああ、そうだ! お前達のお陰でな!」
いつもの調子と違い、語気を強めて言うナイルの言葉にフルーレは奇妙ささえ感じた。少なくとも、彼女が知る『ナイル・アバラーブ』と名乗っていた蛮族は、もっと飄々としている。
「だが何でお前達は今になって、現れたんだ! 遅すぎたんだよ、お前達は! もっと早く、あいつがあんな馬鹿な事を決める前にお前達がいれば、こんな事になんてならなかった‥‥!」
と、そこまで話してナイルはなにか、きまりが悪い事に気がついたかの様にして、口を一旦つぐんだ。
「‥‥さて、時間稼ぎの戯言も此処までだ。これ以上は邪魔しないでくれよ」
そしてナイルはカウンターに身構えるフルーレなどお構いなしに、背を向けて船の方へ走り出す。
「逃がさない!」
フルーレも疾駆して手を伸ばす、が、盗賊らしい敏捷性でナイルはそれをかわして、既に動き出している船に飛び乗る。ナイルが船に乗ると、カオスニアン達は、矢に火を灯し出した。
そして降りかかる火矢。
最早、カオスニアン達がどうこうと言う問題ではなかった。そんな事よりもこの炎を止める事の方が、大事な様に思えた。
もしこの炎が広がり燎原の火となれば、多くの村人が苦しみながら死ぬだろう。もしここで命を粗末にしたら、今、船に乗って逃げる連中と同類になってしまうだろう。
かくして村の全焼は免れた。一団には逃げられたが、悲観している暇は無い。潮の流れや航路に詳しい者がいないか、探し、それをマルグリッドへ報告する仕事が、まだ残っているからだ。