●リプレイ本文
●滾々と湧き出る
滾々と湧き出る水の色。
それは深淵を映し出す鏡に似て、クレア流域の諸元とも言われる一つ、山間部に滾々と湧き出る淵を作る湧き水の澄んで闇をも明確に見せる透明度の高さにあった。
「前回と違って落ち着いてるみたいだなぁ」
「そうなのか? 桃代」
桃代龍牙(ec5385)の発言に、淵を覗き込んで調査していた冒険者達の一人、ゼディス・クイント・ハウル(ea1504)は興味を持った様子で視線を走らせていた。
「‥‥皮肉にも程がある」
湧き出る水が澄んでいるが故に、淵の深さが冒険者達をして恐怖させていた。
遠く、何処までの飲み込んでしまいそうな程に深い、深いその淵の奥。
「ここまでの道程で、川の生態系が歪められた様には思えない。凶獣ですらも苦しんだとされる状況は、毒によるものではなかったとすると‥‥さて、後は一体どの様なものが凶獣に与えられたのか‥‥」
過日の謎を紐解く思考することそのものを楽しみにしている様なマリア・タクーヌス(ec2412)の呟きに、龍牙がゼディスと共に顔を見合わせて考え込む。
二人とも、凶獣の死が毒によるものとは考えていなかった為だが、それに増して今までの旅程で見聞きした村人達の様子は仲間が死んだことと不可思議な自然現象、カオスニアンと凶獣が殺人に関係しているかも知れないという三点に限られており、彼らの生活、環境への毒物による悪影響を憂いている様には見られなかったのだ。
「村人の身体が目に見えて衰弱していないところをすると、これは杞憂か?」
「それはどうだったか‥‥」
龍牙は凶獣の死骸を初めて見た時を必至に思い返してみる。
「毒物の変化は‥‥無かったと思う。うん」
「‥‥」
「‥‥」
フェイ・フォン(ec5604)、マリア達に見上げられて更に考え込む龍牙。
「‥‥あーっと‥‥そうそう、あの水源から押し出されてきたんだよね、うん」
指さすのは、滾々と湧き出る水源である、淵の中に見える横穴。
水中洞窟らしいそれは、地元の人々の話では普通の時はほんの僅かに洞穴の天井部分だけが淵に見えていたらしいのだが、今は完全に水中に没している。
「『自然との闘いを満喫して来て欲しい』、か。皮肉にも程がある」
水の中に潜らなければ、決して凶獣の死因には辿り着けない。現場の状況を知ってか知らずか、冒険者ギルドで聞かされていた言葉は計らずも現実のものとして自分達の目の前に存在している。
「いや‥‥現地からの報告くらいはあった筈だ?」
知っていて言ったのかと、ゼディスが肩を竦めながら溜息を吐き出すのも無理はなかった。
加えて、どうやら水源は淵の中に没している。確実に、今回の調査に赴いた四人で水中に赴くのであれば‥‥。
「え? 俺?」
自然と、ゼディス、 マリア、フェイの視線が龍牙に集まっていく。
「当然だ。水中呼吸を可能に出来るのは桃代だけだ。無事を祈るぞ」
「うむ。生きて帰れよ」
ゼディス、マリアも真剣な表情で言う。
二人とも、自分が対応出来ない事を、対応出来る者に託しているだけなのだが、言われる側は非常に重圧を感じる様子で、淵を見下ろしながら龍牙は胃の辺りが段々重くなってくる。
「水溜まりだったら良かったんだけどなぁ‥‥」
湧き出て、流れ続ける清流には、果たしてパッドルワードは巧く働くのかどうかと、試してみた昨日は巧くいかなかった。
今も同じ事だろうと龍牙は意を決してウォーターダイブを己に施すと、仲間達の中で頭一つ巨体の龍牙の全身に青白い光が一瞬浮かび上がる。
「それじゃ‥‥」
ザンブ‥‥と。
飛び込んで、水中に没して周囲を見れば、頭上から水中を照らし出す太陽の光と、足下には深い深い穴蔵が横たわっている。ともすれば脚を引き込まれそうな感覚を、首を振って振り払った龍牙は横穴に入っていく。
「俺の身長よりも高いんだ‥‥」
話してみても、誰からも返事は返ってこない。
当然だが、諦めと決意を持って横穴に進んでいく龍牙。そして‥‥。
「‥‥入っていきましたね」
フェイが心配げな表情を浮かべて二人を見上げる。
「ここまでの調査で、川や、源流の洞窟の状況は水量が多いが、それ以外は変わりないことが判っている。異物も無い。後は、この水流の奥に何があるかを確認しなくてはならない‥‥」
マリアはギルドからの話と龍牙からの先の調査の状況の報告を重ねて考えた上で、調査の向かう先を示して言う。
「解決できた方が良いのは言うまでもないが、現段階では元凶の特定もできていない」
対処のしようもないと続けてゼディスは視線を水中の洞窟に戻した。
「取り敢えずは洞窟内の調査を行い‥‥全ては、それからだ」
その調査そのものが他人任せという点に、ゼディス自身納得がいった風ではなかったのだが。
「そもそも、相手が生物かどうかすら不明だ。現段階では自然現象である可能性の方が確率が高い‥‥ん?」
見つめていた三人の前で、洞穴の天井が水面上に現れた。
「水位が下がっている?」
「‥‥桃代に何かあったのか?」
凶獣も、この洞穴から吐き出される様にして出て来たと聞いていた。
ゼディスは背の荷物入れからスクロールを取り出して、ウォーターウォークを発動させる。
「ここまで引いたのなら大丈夫だろう。先に行ってみよう」
龍牙が余裕で中に入っていける程の大きさの洞穴を、フェイを先頭に三人は進んでいく。
「滑りやすくなっています」
「判ったわ」
フェイ、マリアは洞穴の床を踏みしめながら進むのに対し、ゼディスはまだ流れている水の上を進んでいく。
「固い岩盤みたいだな‥‥」
洞窟内の壁を見ていたマリアは、床や壁、天井も全て固い岩盤であることに興味を持っていた。切り出して石の細工でも出来そうな程の厚い岩盤に穿たれた穴。
それが、今彼女達が歩む水中洞窟の正体だった。
「‥‥そろそろ、洞穴が変化するぞ」
フェイの肩越しに先を見ていたゼディスが、進行方向の変化に気がついて注意を促した。
「話し声が聞こえる」
注意を促すゼディスに、フェイとマリアが頷くのが気配で判る。
静かに洞穴の中を進む三人が、急に大きく広がる空間にでたのは、その直後だった。
「新しいお客様‥‥あの方々が、龍牙さんの言われていたお友達ですか?」
「お友達というか‥‥」
聞き慣れない、鈴を転がした様な女性の声に続いて、龍牙の声。
殺気は感じられない為に、三人とも一歩踏み出して、広がる空間の圧倒的な存在感に一瞬言葉を失った。
「広い‥‥これは山の中に広がっている?」
「岩山の中央にこれだけの空間が」
ゼディス、マリアが淡い夜光虫と何かの光を頼りに見上げる空間は、先が見えないまでに広がっていた。
「火を付けて構わないか? 俺達ではこの闇は動き辛いのだが?」
「‥‥構いませんわ」
一瞬、間があって答えられた声には含んだものはなかった。
ゼディスは荷物からランタンを取り出し、周囲の臭気を確認してから火を灯した。
「‥‥」
「‥‥え?」
「貴女は?」
暗闇の中にともされた灯り。
その眩さに慣れた頃に、三人は濡れ鼠の龍牙と、彼の横に座して水の中に長い薄布のドレスを浸している少女の姿が見えた。
「桃代、彼女は?」
「命の恩人さん。えーっと名前は‥‥」
苦笑しておいて、そう言えばまだ名前は聞いていなかったという表情になる龍牙。
「聞いていないのか?」
恩人の名前を聞いていないと答えたも同然の龍牙の表情にマリアが溜息を吐く。
どう見ても、カオスニアンとは思えない少女。
薄布のドレスを身に纏い、あどけなさの残る整った容貌は芸術品の趣をも思わせる。
長い髪はランタンの明かりに照らされて濡れて輝き、白磁の肌が薄い装束に透けて見える様な錯覚さえ覚えさせる。
「私はマリア。つい先程まで、この水中洞窟に水が一杯あった筈だ。どのような仕掛けがあったのかは知らないが、助けて貰って礼を言わせて欲しい」
頭を下げるマリアに、笑顔で首を傾げた少女が良いのですわと続ける。
「この方が私の課した試練を乗りこえて、ここに辿り着けただけのことですわ。先に来たカオスニアンは試練を試練とも思っていなかったようですけれど‥‥」
「かおすにあん? そういや、嫌われてるみたいだし、襲われたけど『かおすにあん』って何だ?」
「え?」
龍牙が少女の言葉を遮る様に尋ねると、一瞬、場の空気が凍った。
「良くわからないが『かおすにあん』って奴の死体が上がったって話しだなぁ?」
「えーと‥‥本当に知らない?」
フェイが覗き込む様に尋ねると、真顔で龍牙は頷いた。
「その説明は後にして。‥‥試練とは、どういう事だろうか?」
マリアの問いに、ゼディスも興味の対象となった少女を見つめる。
「私の名はクレア。皆さんは私のことをフィディエル<川姫>と呼ばれるみたいですわ。もうお解りかと思いましたが‥‥ご存じ、有りません?」
自信なさげに言う少女。
「‥‥フィディエル‥‥」
もしも、敵対していたらどうなっていたかを考えるとぞっとするゼディス。
「クレア‥‥貴殿はこの川の精霊なのだな」
「‥‥そう言うことになりますわね」
「自覚、無いんだ‥‥」
一瞬考え込んで返事を返したフィディエルに、フェイは驚きのあまり呟いた。
「試練を見事果たしたって言われてさ、こう‥‥試練て言や師匠だろ? 師匠と言えば‥‥はぁ」
フィディエルを見て溜息の龍牙は横に、マリアはいくつかの今回の事件に関わりの有りそうな事例を尋ねてみるのだが、クレアはカオスニアンが彼女を捕らえようとしていたこと、その為にこの水源を一時的に堰き止めて、彼女の拉致工作を計っていた事への抵抗と試練として水流による抵抗を試みたのだと判った。
「可哀想ですけれど、カオスニアンに付いてきていた凶獣はこの洞窟で亡くなったのですね。飼い主は兎も角、使役される凶獣に罪はなかったのですけれど‥‥」
「ここを調べるって言っていた、地元の連中は?」
「淵迄は来られましたけれど。息が続かない方が多くて、洞窟を抜けてこられる人はいませんでしたわ。あれからは、カオスニアンも私のことは諦めてくれたみたいですけれど‥‥」
龍牙の問いに、付近の様子を知っているのかクレアは静かに返し、そっと出口への道を指で指し示した。
「私が答えられることはお話しいたしました。水を止めておけるのも、もう少しです‥‥」
「判った」
自分達が帰れば、再び水流を元に戻すのだろうと察してゼディスは暇を告げる。
「最後に一つだけ。カオスニアンがここを狙った理由、想像は付くのか?」
「難しいですわね‥‥色々な意味で、私達はあなた方にとって珍しい存在でしょうし‥‥」
「確かに。では、これで失礼する」
「ん? それじゃまたな」
「失礼します」
マリアも別れを告げてもと来た洞穴に入っていく。龍牙、フェイもその後に続く。
岩をくりぬかれて続く深い穴を、四人がようやく抜け出した頃。
徐々に水かさを増した水源から流れ出る水は彼らの膝を越えていた。
「フェディエルの護る水源か‥‥」
「でも、カオスニアンが何故ここに?」
謎は謎のまま。
しかし、不可解な水流の増減の理由は解明された。
何処まで真実を告げて良いものやら悩みを抱えつつ、冒険者達は帰途に付くのであった。