●リプレイ本文
月の鏡が凛と映える。
「きれえっ」
十五夜のお月さまを見てはねるのはうさぎだと相場が決まっているが、フィアーラ・ルナドルミール(ea4378)は蜉蝣の火のごとく宙を旋回している。
「占いした甲斐があったってゆうかぁ?」
「どんなふうに?」
リゼル・メイアー(ea0380)が桂林の色の瞳をしんしんと耀かせると、フィアーラは得意げに胸を張った。
「うん。ご主人様から借りた草履をぽいっと投げてぇ」
そりゃ草履占い。フィアーラの主とは今日も彼女に付き添ってきたサラード・エルヴァージュのことである。
冒険者たちは小さな集団に別れることにした。天螺月律吏(ea0085)は妹の天螺月たゆら(ea2679)の、まだ何者でもないてのひらをにぎる。
「行きたいところはあるか、たゆら」
「たゆらは あね様とあに様といっしょなら どこでもいいの」
「じゃ、さっそく重箱ひろげようぜ」
妹にたかるでない。姉から小気味よくはたかれる、天螺月秋樺。
大宗院透(ea0050)は天螺月家のやりとりを観察している。観の目に険はない、たしかに『人』はみる必要はあったけど。たとえばたゆらなどは透の理想にちかかったが、姉の鉄壁の護衛をかんがみるに下手な誘いはよしておいたほうがいだろう。
では他に適切な生け贄はどこかにいないだろうか。候補の1人、御子柴叶(ea3550)が高説ぶちかます朝宮連十郎あいてにやたらと真剣な顔で耳をかたむけている。
「いいか、叶。こいばな、とはズバリ」
「(どきどき)」
「『濃い』『バナナ』だ!(!ってバナナっぽい)」
‥‥透、むしょうにくやしい気持ちがする。
それはさておき、彼らとも一線をたもったほうがいいような気がした。忍びとしてつちつかった直感というより、本能の警笛といったほうがただしかろう。透は歩きはじめる。土、草、風、石、月。感覚的存在はその淡泊さで、あわだった肌を冷却する。
「‥‥行け行けイケバナ、来い来いコイバナ‥‥」
勝った。
※
細めの麺状にそろえた葛は、蜜を和えて食す。それと夏の水菓子。
「たゆらどん、すごいべっ。はぁ、どれもこれもおいしそうだべなぁ」
田之上志乃(ea3044)の手放しの絶賛に、たゆらは耳まで紅くした。
「もらいものですけど――よかったら 志乃さんもどうぞ」
「いいべか?」
たゆらが地面にひいた大きなひらつづみのうえに、膝をそろえて招待をうけて勧められたままに口にはこんで、あと2寸で消化のてはじめ、というところで、志乃はすこしゆらした瞳で律吏にたずねる。
「御邪魔でなかったか?」
「いや。賑やかなほうがたゆらも喜ぶ」
律吏の返答を待ち、「お茶もあります」とたゆらは竹筒を志乃にさしだした。志乃は正直にうけとる。口に含めば冷たい、精神がしゃっきりしてくる。と、たいせつなことを、ほんとどうして忘れてたんだろう、思い出した。
「そうだ、オラもお弁当を持ってきただよ。交換するべ」
「おー。漬物、にぎりめし、団子まである。じゃあ俺は」
「おまえはなにも提供していないだろう」
またまた姉からはたかれた秋樺。大袈裟に痛がってみせ、ひとしきり転がってみせ、「姉貴は俺が嫌いなんだぁ」とわめく、たわいない娯楽の一種だったのだろうが、律吏の低い声音にひやりとする。
「‥‥私はそんなことを云ったおぼえはない」
※
一夜ごとに姿を変える不実な天体。が、それだけにいじらしくもあり。夜魄に吹かれる、秀真傳(ea4128)。
満月はさまざまな象徴たりうるが、旅の起と終という考え方もある。月道の発動は、満月の夜の、ほんの短い時にかぎられるからだ。随想する。きざはしをくだるように記憶の時系列を後退させる。
色褪せた西国の風光と重なるように、ひとりの女性の輪郭が浮き上がる。けれど、彼女はけしてふりかえらないらず、表情は判然としない。知りたくて振り向かせたくて、手を伸ばすが。
我に返る。現実には、月光の流動すら、指からこぼれる。
ふと、向こうのほうで、リゼルのうしろを透がつけて歩いているのを見た。事情をまったく知らない人がみれば、友だちをこっそり見張る少女のようにも見えたかもしれない。透の見目形ははたからはどうみても女性のそれだったのだから。
声をかけるべきかと思ったが、どちらも子どもだ、余計な心配は取り越し苦労になるだろう。そう考えたところで、苦笑が自然にこぼれた。己の思考に深刻な年輪をかんじとったので。
――あれから十年。娘か息子をもうけていたら、これと似たような悩みに毎日を忙殺されていたかもしれぬ。それとも彼女のほうが今頃はこんなことを、日常的にかかえているのだろうか。傳とはまた別の男のもとに嫁ぎ、赤子をもうけて。
幸せであるだろうか。
それはどちらをさして思うのか。彼女か、それとも、己か。
「‥‥かへりみて 月の滴に 君想ふ」
月の光に歌をかざせば、のびる影、眩さおぼつかなさ。過去。
※
バナナ、それは月道貿易でのみ入手可能な果物。
「『れんあい』ってバナナがたいせつだったんですね」
連十郎さんが★有料★で僕を助けてくれるのは、日々をバナナに費やすためだったんです。『れんあい』は食べ物でないと思っていたのは僕の勘違いだったんですね。連十郎さんさすがですっ。
「叶。男はバナナだぞ」
叶vs連十郎。戦い(戦ってない)の趨勢(どこにも向かっていない)は、波乱含みである。ところで頼みますから台詞を深読みしないように。
「じゃあ、連十郎さんのそのひらひらの女性が着るみたいな(←そのものです)恰好はなんなんですか?」
「これか? バナナは特別な果物だろ、特別な恰好でお相手つかまらなきゃそっちのほうが失礼にあたるってものじゃないか」
「すごいです連十郎さんっ」
!!! ←バナナで展開をごまかす
※
「よいしょ」
適度な木陰に、リゼルは腰をおろした。よいしょ、はちょっとはしたなかったかもしれないけど、お月様、聞き逃してください。
ほんのちょっとのあいだひとりになろうと思った。理由はとりたててない‥‥たぶん。ひとりで見る月とみんなで見る月とはちがうものか、それをちょっとたしかめたくなったみたいな。これと似たようなもやもやを、最近、体感したことがある。この依頼をうけたときに聞いた『恋愛』という単語に。
「だってみんな好きなんだもの」
物語でよく云うような、特別、が分からない。今までに、こんにちは、さようなら、した人はみんな好きだ。だから毎日が楽しい。リゼルの世界はそれで完璧な構築をなしていた。だけど『恋愛』という概念は、それに穴を開ける。そこから何が出て行くのか、何が入ってくるのか、リゼルはとんと見当が付かない。
いつか分かるのかなぁ。心中しみじみと月に問いかけたリゼルに声をかけた人、
「よろしいですか‥‥?」
透だ。
※
叶と連十郎、絶賛続行中。
「これからが本番だ。寝そべる! 生の太ももをとことんあらわに! よし叶、極限まで色っぽくなった俺を本能のままにおしたおせ!」
「‥‥えっと(ありません、本能)」
「まだるっこしい。こうだ!(がばっ)」
月の滴どころか、悪党さえ裸足で逃げるんじゃないかなぁ。
「ほえー。お坊様にゃそういう御仁が多いっつぅ話だけど、叶どんところは一段と進歩的だべなぁ」
いいや、逃げなかった人がいた。志乃。お弁当のおすそわけに叶たちのもとを訪れたのだが、しっかり見てしまった。聞いてしまった。誤解の環が拡がってしまった。
「バナナだべか。都会のやり方はほんとおもろいべなぁ。オラもいつかはバナナだべよぉ♪」
!!!!!! ←困ったときのバナナ頼み
※
「ど、どうぞ」
「では‥‥」
透は茫洋とした表情をちらともくずさずに座す。人遁の術で姿を変えようかとも思ったが、リゼルの好みがいまいち不明だったので、そのままでゆくことにした。
恋とはなんぞや。
難問を実践で解決せんと、透は他の誰かにそれをしかけようとしていた。たゆら、叶、と純朴そうな人を順々に見定めていって、最後はリゼルにおちついたけれど。で、これからどうすればいいのか。それをまったく思いつかない透の代わりに、リゼルは切り出す。
「あのね。月の滴さんってどんな精霊さんだと思う?」
リゼルは怪物の類に関してはあかるいほうだ、精霊界からの客人についても基本的な素養はある。だが、それ以上に『ブリッグル』は稀少すぎて、彼女の知識量を超えていた。じっさいそれと見て判断できる自信はない。
「そうですね‥‥」
「『恋愛と音楽が好き』なんでしょ。だから私は女の子じゃないかなぁ、っておもうの」
「し、し、滴よこい、こっちの恋は甘いぞ‥‥」
「‥‥え?」
「いえ、音楽が好きだという話でしたから、歌を少々‥‥」
しれっと断言する、透。困惑する、リゼル。膠着のとき、わずか。それまでの展開をひっくりかえすように、透が「イギリス語は通じるのでしょうか‥‥?」とまったく別の話題をふったので、リゼルはふしぎに安堵する。
「きっとだいじょうぶ。ふつうエレメントって、テレパシーみたいなもので会話するから」
てれぱしー‥‥? 透の疑問は具現化するまえに、離れたところの志乃からの呼びかけで霧消する。志乃はどん、どん、とかかげた太鼓に桴をぶつけた。空間が震動する。
「リゼルどーん、いっしょにやらないべか〜?」
「はーい。今行くよ。透さんは?」
恋愛とは誘い誘われるところからはじまるらしいから、と透はリゼルについてゆくことにする。が、ちょっとしっくりこない(当然だ)。首をかしげ、ぽつり、
「恋とは‥‥むずかしいものですね‥‥」
ほんと。
※
サラードを先導し、フィアーラは夜気を縫うように飛んでゆく。すくなくとも、たゆらたちの重箱が見えないところ。万が一にでも、サラードが自分以外のものに目をうばわれるのは、いやだから。視力のいいフィアーラは行きすぎるくらいに飛び、
「んーっ」
どん。夜食を置こうとして、落っことしてしまった。やはり重すぎたのだ。こんなに散らかして、サラードは当然フィアーラを叱ろうとしたが、毒を抜かれる。
「うぇえん」
フィアーラが声をあげて泣き出したからである。何を云われてもいつも笑顔を絶やさないフィアーラ、がだ。身も世もなく髪と羽をふるわせてる。
「だってせっかくご主人様とお夜食いっしょにおいしいのダメになっちゃって。ひっく」
「‥‥明日がある」
サラードは片手ですっぽりつつむことのできるフィアーラのあたまを、ぽむと軽くたたいてやった。これはいつものおまじないだ。しかし、これだけでは足りない。めったにみせぬサラードの微笑と、
「あ、そうだったっけ」
そして、フィアーラの朗笑で、円を閉じるようにして完成するのだ。
「そういえば、むきゅむきゅとはなんなんだ?」
「あのね」
ごにょごにょ、直接耳元でささやいてあげた。こーして、こう。
「‥‥フィアーラ、正座をしなさい」
「えーっ。むきゅむきゅするから、許して。ねん♪」
「なおさらだ!」
※
「姉貴? ごめん、ほんっとーにごめん。怒った?」
あれきり一言も発しない律吏に呼応するよう、晩は刻一刻と冷えてゆく。が、いちばんおびえていたのはたゆらだ。せっかくのお出かけがこんなかたちで終わるなんて、泣きたくなる。
「あね様 あに様をゆるしてあげて」
「私はべつに怒っているわけではない」
律吏の声はいまだ低い。
しかし、律吏はほんとうに腹を立てているわけではない。やたら悲しかったのだ、なぜか。べつに秋樺の一言にたいした意味はないのは分かってはいたのに、過剰反応した自分が自分ですら不思議である。
実際、律吏が秋樺に嫌悪をもつわけがなかった。幼い日の律吏をみちびき、天螺月の意を語った律吏たちの父、律吏たちの母を誰より優しく愛した男、そして律吏の初恋の人。彼にそっくりな秋樺をどうして嫌えようか。
ただ、それをそのまま口にするには、律吏にも責任と意地があった。父に恥じぬような、秋樺を一人前の男にする。びたいち文句をつけられぬような見事な男になったあかつきに仮にあずかった家督をゆずる、それは律吏の希望であったが、きっと実の父親の希望でもあり、なにより秋樺のためになるだろう。
「‥‥たゆらの頼みだからな」
たゆらにはすまぬ、と思ったが、妹を思いやって苛立ちを消したふりをする。たゆらは憂いにしずんだ貌をぱっといっしゅんでといて、律吏の胸元へ飛び込んだ。
「あね様 ありがとう」
だから大好き。そっと付け加える。
ほんとうはもう1人いっしょに来たかった人がいた。その人もギルドのお仕事の都合で来られなかったけど‥‥だけど勇気を出して誘ったら、仕事を断ろうとしてくれた。それでじゅうぶんにしよう、とたゆらは思った。だけど、たとえばフィアーラが楽しそうに夜食をはこんでいるのをみると、なんだかやっぱりさみしくなる。だから、己を己で律することのできる律吏はたゆらの理想だ。こんなふうなおとなになりたい、月の満ち欠けよりもはやく。
秋樺はひとり、ふてくされている。
「こんな姉貴が俺の初恋なんてばっかみてぇだよなぁ」
「どうかしたか、秋樺」
「べっつにー」
「あ」
たゆらが律吏の服の襟から貌をあげたのは、志乃のたたく太鼓の音が聞こえてきたからだ。そういえば、笛を合わせる約束をしていた。どぉんどぉん、とふるえる空気を追い上げるように、志乃がたゆらに呼びかける。
「たゆらどん、こっちが広くて気持ちいいだよ」
「待ってくださぁい」
姉と兄のもとをたゆらは離れた。野辺にのびるたゆらの影はながい。だけどそれが、
ほんのいっしゅん、ぐにゃりとゆがんだことに、たゆらは気づかなかった。
※
依頼の六日はあっというまだった。透は恋愛をいくたりか知ったか、叶が男の本懐を遂げたか遂げられたか(!←バナナ)、謎はひとまずあっちゃおき。
「どうじゃろう?」
最後の日に、傳は依頼者に尋ねる。楽しい幾日かではあったが、いざ現実にたちかえると手応えがまるでない。そういった意味ではこんなにも不安を生じる依頼は初めてだ。
「ありがとうございます。おかげさまで助かりました。私はきちんと月の滴をみることができましたよ」
「ほんとっ、どんなっ?」
フィアーラの好奇心に画工はこたえる。まだ下絵だからと、墨一色でかかれた絵には、
月光にわらう11人が描いてあった。