●リプレイ本文
暑い日中だ。開け放した部屋の中だろうと、べたつく空気にからみつかれて、むしむしする。で、猫がお手上げするような姿勢になったのが、おそろいで、ひぃ、ふぅ‥‥みぃ。
「でろでろだよー」
「ぐずぐずになっちゃうよー」
「シャラもとけちゃうですー。とろとろですー。しゃらとろですー」
‥‥えぇと。
「聞いてたのよりひとり多くあらへんか?」
「紅さん。最後の、シャラちゃん」
狩野柘榴(ea9460)に小突かれて、紅珊瑚(eb3448)、あぁせやな、はた、と手を打つ。寝茣蓙の上で陸にあげられた鮎のように、ごろごろり、と寝くずれていたのは、雪女の子女が二人に、シャラ・ルーシャラ(ea0062)。
「ぐったり」
「シャラちゃん、溶けちゃダメだよ。こるりちゃん紹介できなくなるよ」
「はっ。シャラはしゃらとろやめますっ」
あんまりいきおいよく跳ね起きたものだから、二つ分けにしたシャラの銀色の頭頂がいきおいよく柘榴の下顎を張り飛ばす。小枝を数本ほどまとめてへし折るような音といっしょに、柘榴、ごちんと腰砕けて束の間、意識が魂の彼岸に遠退いた。
「ふわぁ。ごめんなさい」
「あ、あはははは。かまわない」
ひりつくおとがいを撫で付けながら、柘榴、あるだけの英気でどうにか笑みをかたどった。
――ま、元気がいちばんだよな。
狩野家は男所帯だから、自分よりずっと小さい少女らがこうしてのびのびやってるのは、それだけでいいと思う。秋の水霜そっくりにだらだらはしていたけれど、いざ腹を括ればなかなか快活なシャラ、端座してこるりを膝に引き揚げる。だらーん。お布団みたいにひろがった。
「シャラは、シャラなんです。そしてこっちがこるりです。にゃー」
にゃー。雪娘たちが瞳を据える――そういえば、猫とは冬は炬燵で円くなる生き物だ、夏も似たようなものだけど――おなかをさわさわしたり肉球をふにふにしたりして、かまってやるが、こるりは猫らしく大儀そうに、突っ慳貪なおもてなし。
「猫がゆうたんなら、うちもちゃんと紹介せなあかんなぁ」
はじめまして、と、珊瑚、にっかりと小麦色の笑みをきざんで、ホァン・シャンフゥととなえる。異国の声韻は、香しい幻想をともなった。
「月と海の向こうから来たんや。お嬢ちゃんらのお名前、教えてくれへん?」
はだれ、わた、と、彼女らはそれぞれ名告る。では自分も御挨拶を、と、いつのまにやらさしのぞく海上飛沫(ea6356)。
「維新組所属の、[水]の志士、海上飛沫と申します。よろしくおねがいしますね」
「「はぁい。よろしくです」」
返辞がなかなかまっすぐなのは、彼女が久世沙紅良(eb1861)と手分けして、アイスコフィンであちこちを凍らせていたのを知っていたからだろう。風が渡るたび、鈴が鳴るような知覚、涼風はかろやかに透徹の裳裾をひるがえらせる――でも、それは青空が動くごとの、ほんの時折の気まぐれ。そういう日だ。沙紅良は起き上がった子らへ、市女笠を順々に付けてやる、シャラも真似しようと――‥‥人参の鉢植はたぶん頭上に置くものではない。
「さて、気が付いたようだね。まだ眠いようならいっそ添い寝を‥‥いやいや、出掛けるとしようか」
「「どこに?」」
「散歩だよ、そのために降りてきたのだろう。夕べのあとの藍色も結構だが、白昼のすきまの溶けるような蒼空もまた格別だ。小さなお嬢さんがたも、それにふらりと誘われてしまったのだろう?」
もうすこし大きくなったら是非とも私に誘われてほしいものだがね――と、こちらがより本音であった沙紅良の与太は(いや本人は、すさまじく大真面目)、ぱっと一足飛びに駆けだした彼女らに忘れられて――氷結を抜く風は、身を切るように、冷たい。細工は粒々、あとは仕上げをごろうじろ。ふるるる、と、鼻風すさまじく吹かせ、表口の外、レオーネ・オレアリス(eb4668)の従える青毛戦闘馬ピナーカがお待ちかね。
山といってもそう難しい地理でない、坂はゆるく、藪は低く、けれどなにしろ夏方の昼時だ。リュー・スノウ(ea7242)はいっそう無垢となる額をぬぐう。渡部不知火から託された草履で足元はやわらかかったが、けたたましい炎威まではたわめられず、白瓜熟す、清潔な着物がしぼみゆく。しかし、さほどあえいでもおらぬのは、森林のほどを了解しているからだろう。
捜索の足を引くようならなだらかなところに回ってもよいかと思ったが、これならば、いっしょに向かっても迷惑はかからないだろうか。それに、汲みやすしとみた丘陵でも地の利に通じておらぬものでは途方に暮れることも多い。なにより、ぽち、ボーダーコリーがなつっこく人々との触れ合いをたのしんでいるようでもあったので。――そういえば、ぽちは出掛けにずいぶん、旦那様にしぼられていたようですね、と、リューは思い返して、くすり、と、さざめきをこぼせば、知ってか知らずかぽちは飼い主に向けてやたらと尾をふった。
藤野羽月(ea0348)は山歩きにはいささか心得がある――がさつな道行きでも、皹の入らぬ竹細工のようにまっすぐな姿態をふと止めて、一言、仄めかす。
「洞穴や鍾乳洞などはここいらにあるだろうか?」
氷柱を打ち出して作ったようなのが雪女、地肌のはだけたところにはおるまい。ただ問題は、人間の関知する遣り場にまでいるかどうかだ。リューも、そうですねぇ、と、小首をかしげた。
「もしかすると、川や沢などの水辺で休まれているかもしれませんわね」
畢竟リューの指したようなところのほうが近いというので、先にそちらから行くことになる。歩みを、再開する。羽月、敷き詰めた毛氈を踏むよう、梨の花の気品で歩く。いつもながらの平常のおもむきだけれども、実は、ずっと気になっていることがある。
――雪女の親子の情とは、いかがなものだろう。
どうしてすぐさま迎えにこないのか。事故や事件ならばまだよいが――いや、ほんとうはよくはないが――それが彼女らの種族の作法だといわれれば、こうして大人をかきあつめて仰々しい行列をつくっていること自体、無駄となってしまうのだ。千尋の谷の獅子の喩えよろしく、まさか帰ってきた子だけを我が子とみとめる気ではあるまいな。
「考えても、詮方なきことだ」
昼は花たちも休んでいるのか、つややかな百日紅の表を飾る、紅、白、散れば咲き咲けば散る、礼儀正しい花朶は令嬢の髪飾りを真似て、物憂い溜息をつくようにひやひやと光を千切る。暑さを堪えても見たいという気持ちも、分からないでもない。
「きれいですね」
リューの相槌を夢の彼方にしながら、羽月は切り取るよう、青い瞳に風情を映し込む。この、なにげない平日の延長の煙霞を、細君は喜んでくれるだろうか。いつ習わしたともしれぬ小唄が、ふと、口をついた。
「立派な馬だねぇ」
「熊さんみたいだねぇ。鬼さんみたいだねぇ」
賛賞しているようにはまったく聞こえないけれど、たしかに、そうなのだ。レオーネの連れてきたピナーカぐらいの良馬ともなれば、庶民には手がとどきがたい。もったいない言葉だ、と、レオーネ、このまま風を切り、土を薙いで走らせればもっと喜ばせることもできたかもしれないが、そうするとあとのものが付いて来れない。てっくり、てっくり、蹄をのんびり跳ね上げる。
柘榴も、柴犬、蘇芳や萌黄を引き連れ、あとから付いていく。東西屋がそうするように、夏風に横たわる律動におのずと足付きは浮き立って、だって、みんなで川縁に行くのだ。草を愛でたり、水を蹴ったり、蝉を探したりしに行くのだ。これがどうしてじっとしておられよう?
が、
「ぐったり」
説くまでもないかもしれない。蒙古馬の嘉古にまたがったまま、シャラがふりだしにもどっている、このままでは、雪解けよりも落馬が先だ。柘榴はあたふたと、シャラを揺り起こす。
「シャ、シャラちゃん。歌は?」
「はっ」
シャラの必勝の避暑(‥‥つっこまないでください)。メロディーで魔法って自分にも効いたっけ、そもそも気温を錯覚させるのってほんとにできるのかな、といった諸々の疑念を吹き飛ばしながら、シャラは、えいえい、と、嗄れた喉をしぼって月精の歌唱を吟ずる。
「♪ すずしくなったらいいですね〜、あ、すずしくなりました〜♪ すずしいといったら、おばけです〜♪ ひゅーどろどろどろーの、うらめしや〜♪」
――‥‥、
「‥‥なんだかこわくなりました」
「‥‥途中、ちょっとまちがえたね」
「すなおに頼ってくれればいいのだよ」
沙紅良がアイスコフィンで結び手拭いで包んだ木炭を、シャラに分ければ、シャラ、ぐったりというよりゆったりと、これもなかなか危うい姿勢だが、そろそろ着くだろうから、問題はないか。
「おぉ、ここやな」
と、珊瑚が手庇でしめす方角――ようやく水辺に出た。レオーネは、上手に馬に乗れたね、と、はだれとわたのかしらをかいなでるその手の底を、さぁ姫君たち、と、今度は鐙の代わりに下へさしだす、豪奢な表情にさしこむわずかな色めき。漆黒でそろえた装束とあいまって、それはまるで、叙勲をさずかった騎士の礼法、もしくは生まれながらの貴族の威風堂々の居住まい。
「どうも商売敵のような気がするね」
そんな彼の佇まいに用心と対抗をくばりつつ、沙紅良は、都で仕入れた仙花紙の束をぱさりとはたいた。
遠くからも近くからも、水のしきりにそそぐ残響がする、淙々と――淙々と。珊瑚たちが河川に到着する頃合いと大体前後して、羽月らもその上流へと行き着いた。底が深く行き溜まっているせいか、おなじ水が、ここでは、なお色が濃い。
リューは草履を脱いで、淵のかたわらへ近付いた。むくみかけた土踏まずを水面にさしこもうとすると、対極のほとり、合歓の木陰に、合歓の花よりまだ白くはかなく、寒々しい影法師。
「もし‥‥こんなところでどうされました?」
――確認するまでもない。彼女が、雪女であろう。リューが群山の方角を問うた小娘らと、絵からとってきたか、あまりによく似通っている。彼女はリューの呼びかけにふぃと顔を上げる。
「もしや道に迷って?」
「そのようなものです」
「‥‥お探しの珠玉でしたら、もしや、こちらでおあずかりしておるやもしれませぬ。お迎えに上がられますか?」
察した羽月も傍へより、言葉をえらびつつ、つっかえながら――彼としては、実に、誠に、めずらしい――仔細を述べた。
「おや、まぁ。まさか山を降りておるとは。さぞかし迷惑をかけていることでしょう」
羽月とリューは顔を見合わせる。彼等はまだじかに辟易はこうむっておらぬ――今はまだ、が、村人は身にしみたか、一線置いた向こうで、うんうん、と、しきりに首を縦にする。‥‥やはり相当なのだろう。
「えぇ、降ります。ついてゆきましょう。同族のしつけがたしかであること、お見せしなければ、こちらとしても顔向けできませぬもの」
羽月がクーリングの冷却を提唱すると、雪女はやんわりと手を取った。それもまた骨まで届くように冷たく、美しいだけが特徴の普通の女にみえて、やはり雪女なのである。しかし、よその女性の手の冷たさを伝えて、羽月、妻女の誤解はまねかないのだろうか‥‥まねかないのだろう。
「なんで、凍らせちゃいけないのー?」
「冷たいよ、気持ちいいよ、きらきらになるよ」
「ダメやゆうたら、ダメなんや」
その川からは用水も引いてあって、しまいに至る田畑では、天を衝くように濃緑の稲穂がさやさやとすりあう。彼女らにしてみれば冷凍だって一種の愛情表現で、悪気はないのだろうけど。これがこうしていることが「生きて」るのだということを分かっていないのだろう。珊瑚、ジャイアント族とはおもえぬあどけない顔だちを龍のようにおっかなくつりあがらせる。
「あんたらはこんな草よう喰わへんやろけど、うちらにはとっても大事な草やねんや。いたずらばっかしたら、あかん」
「食べられるの?」
「食べる、食べる。しゃりしゃりのが、おいしいよ」
「せやから、あかんて」
――だから、悪気はないのだろうけど。よぅし、とっておきだ。
「いたずらすっとなぁ。都から、こわーーーいボーケンシャがやってくるんやで!」
「ボーケンシャって?」
「ボーケンシャちゅうんはな、山より大きな鳥だの、翼を持った獅子だののごつい怪物を自由に操ってなぁ。刀を振れば岩を砕き、山を切り裂き、劫火を起こして、沢山の雪も溶かしてまうんやで!」
といっても、言い回しが上等すぎたか、はだれたちにはぴんと来ぬようだ。んー、と、しばし思案のあと、珊瑚は飛沫を手招きする。
「なんでしょう?」
「ボーケンシャゆうんはなぁ、こういう人んことゆうんや」
勝手はよく分からないが、どうやら例示に使われたらしい、と、知った飛沫、せいぜいしかつめらしく、お世話になった皆様に迷惑をかけたら――と、すごんでみせる。と、雪の子どもらは、ようやく主旨を理解した。
「鬼さんみたいに怖いね」
「ねー?」
‥‥ぶっとばしましょうか。あら、思わず、はしたない。遅ればせながら、飛沫、ほほほと慎ましく口許をすぼませるが、一度定置した場はそうそうひっくりかえらなかった。
「凍らせなくても、そのままにしておく遣り方はあるんだよ。これ」
柘榴は、沙紅良から借りた紙束を、ばさり、と、彼女らのまえにひろげる。
「絵日記つけようか」
「えにっき?」
「うん。ちゃんと筆も墨もあるからね。見たものや聞いたものをそのままそのとおり書くだけ、簡単でしょ?」
字が分からなかったら俺が教えてあげるから、なんなら葉っぱや石をはさんでもいい――と、柘榴、師範気取りだ。いいじゃん、だって俺もうハタチなんだし。ハタチってゆうたらあれだよ――なんかあったっけ――とにかく、もうおとなだしっ。
「はい、シャラもやりますです!」
「では、そんなシャラ君を、私が描くとしようか。柘榴くんはおとなだからかまわないね?」
「なんか不穏な補足が‥‥」
いや、そもそも俺が子どもだろうと書く気はないでしょう、と、柘榴のもっともな抗弁は馬耳東風、沙紅良はなにやらさらさらとかきつけはじめる。
「まぁ、いいか」
今日は、こんなにきれいなのだし。
あと、もうすこしここで待てば。
この川を伝って、羽月たちが彼女らの親が降りてくる。――むろん、今の柘榴たちは与り知らぬことではあるが。レオーネは見送りの、アレーナ・オレアリス、アンリ・フィルス、ヴェニー・ブリッドらに、にぎやかな土産話を持って帰ることだろう、だけど、今は、それまでは。
青い空を、木々の緑を、白い光を、蝉時雨、夏蝶、小川のせせらぎ、夏色の鮮烈な要素たち、くちづけたくなるような綺羅――彼女らが凍らせるように胸の絵図にしたてよう。よぅっし、と、柘榴は決意をあらたかに即席の草橇ひきだす。シャラもげんきいっぱいあそぶんです! 思ったとおりの応答が、ずっと下から、した。