【乱の影<新撰組の枝折り>】 偽志士疑惑

■ショートシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:1 G 35 C

参加人数:7人

サポート参加人数:1人

冒険期間:09月17日〜09月22日

リプレイ公開日:2006年09月27日

●オープニング

●新撰組
 京都、新撰組。偽志士の取り締まりを目的として組織された、源徳家康公直属の武士集団だ。
 偽志士とは、自らを志士と偽るすべての犯罪者をさす。では何故彼等が志士を詐称するか――それは、志士がたんに精霊魔法の使える武士というわけではないからだ(第一、志士の中には、まったく魔法を使えないものがいないわけではない)。武士の台頭で求心力の低まった神皇家が、今以てジャパン全土に影響をおよぼす面目と権威を保っていられる理由のひとつに、ジャパンにおける精霊魔法技術の独占があげられる。神皇家に無断で精霊魔法を究理、修得することは、この国においては立派に罪悪の一種なのである。
 つまり、志士とは神皇家から下賜された精霊魔法の通力によって、神皇家に文武にわたって忠誠を尽くす選良層、現代風にいわばエリートなのだ。よって、志士には大義の名の元に、様々な特権が与えられる。神皇家の膝下である京都において偽志士による事件があとを絶たぬのも、無理からぬところだろう。
 こうした不届き者を処罰するのを当初の目的とした新撰組であったが、現在では実質的に、京都の警察の一翼をになうまでにいたっている。このごろの不穏な情勢においては、元々の警察組織、検非違使、京都見廻組だけでは手が回らなくなることもしばしばだからだ。
 かといってすぐさま仲がよくなるわけでもなく、特に京都見廻組とはあいもかわらずなかなか反りが合わないようで、まぁ、これもしかたがないといえばしかたがない。京都見廻組の頂点ともいうべき京都守護職の座をあたためるのは、平織虎長。源徳家康を後見にもつ新撰組
 ――‥‥これら一触即発の、極限まで張り詰めた糸が断ち切られる原因となる事件が勃発したのは、今年の二月になる。
 平織虎長、暗殺さる。下手人は、新撰組一番隊組長・沖田総司。
 とは、巷の風聞、無責任な井戸端の蜚語――お天道様の下に明らかなことは何一つない。けれども、「そんなふうらしい」というだけで、人心を惑わすには充分に足る。
 平織と源徳の関係がぎくしゃくとしはじめ、まるでそれを狙い撃ちしたかのような、五条の宮の叛乱――についての講釈は、また別の機会にゆずるとしよう。
 とうとう、今は、九月。
 ――‥‥今年も、もう残り少ない。けれど、燻る火種がふたたび着火し、謀略の火炎が京都をねぶりはじめるまでには、充分な手間があまされていた。

●冒険者ギルド
「志士だっておはなしだけれども‥‥たしかに、羽織は見せてくれましたが‥‥でも、きっとまともな人じゃないですよ。一日中、お部屋にこもってこそこそして」
 依頼人は、るみ、という名の、齢は十七、ぐる髪の、なかなか気の強い娘だ。
 さて、依頼の本題。彼女の家は小料理屋で、近頃、通い詰めるというよりは部屋のひとつに居着くようになった数名の与太者風情をどうにかしてほしい、というもの。見た目からして静安とはほど遠い彼等のせいで常連の客足がとだえがち、になったのが、るみの機嫌をそこねたのだ。
「‥‥いえ、ちょっと語弊がありますね。実際に泊まり掛けているのは志士を名乗った一人だけです、うちはただの部屋ありの小料理屋で、ほんとうは泊まり客なんか引き受ける義理はないんですが、強引に小判を積んでお父さんを押し切っちゃったんです」
 あるはずのない手当てに応じるほどだから、さぞかし夢のようにうずたかい金銭を押し付けられたとみえる。るみは事細かな額面を述べることこそしなかったものの、神経質そうに鼻をうごめかす嫌悪の表情と、押せ押せだった前向きな態度がそこに至ったときのみ不明瞭によどんだ事実から、拒みたくとも拒みきれない、市井の複雑な台所事情がうかがえる。
 要するに、切っても切れない贔屓と引き替えにしてまでの大金だった、と、そういうわけだ。
「お金を置いて泊まってるのは与野井さんっていう人で、自分が志士だっていったのも与野井さんです。与野井さんは毎日、なんだかあまり感じのよくない人たちを取っ替え引っ替え部屋に引き入れて、ぼそぼそと何かを打ち合わせをしてるみたいなんですが‥‥。あたし、一度、お部屋にお茶をもってったことがあるんですけど、とても怖い顔で睨まれちゃいました。よっぽど聞かれたくないことがあるんですよ」
 憤慨したように、拳をぶんぶんふりまわす。
「与野井さんは、たしかに、志士らしい方ですよ。いつもきちんとした身形で、立ち居振る舞いも立派だし。でも、なんだか人を見る目が冷たいんです。‥‥あの人の正体がどうか、なんて、私は知りません。いえ、これもちょっと嘘ですね。ごくたまに、与野井さんのほうから外出するときもあります。一度あとをつけてみたことがあるんですが‥‥」
 すぐに撒かれたそうだ。あとでるみと顔を合わせたとき、それを云い咎める様子もなかったことから、与野井がただの脛に傷もつぼんくらでないのが知れる。
「だから私は、後腐れなく、与野井さんたちにただ出て行ってもらえればそれでいいんです」
 言いたいことを言い切ったか、意気込みどおしだった口調が、ふと途切れた。安らかな深呼吸に心行くまで耽るかと思えば、ふと思い出したように、言い添える。
「うちの店、新撰組の常連さんもいるんです。その人に相談もしてみたんですが、なんだか煮え切らなくって。だから私にはもう、こちらしかないんです」
 ぜひ、おねがいします。るみは、振りかぶるように、勢いよく頭を下げる。

●新撰組
 新撰組五番隊伍長・渡辺うさぎは難しい貌になって考え込む。
「‥‥やはり気になります」
 行き付けの小料理屋の娘から持ち掛けられた相談の件について、だ。あの娘は少なからず思いこみに走りすぎているような気もしたが、世話になってるのは確かだし、気に入りの店の雰囲気が段々と悪くなっているのもやはり気にくわない。だから、ざっと調べてみるぐらいは構わないかと思ったのだが、与野井というらしい相手の面相をそっと物陰から認めたときから、喉に小骨が刺さったように、神経のどこかが引っかかっているのだ。知っている顔ではない――というより、名まできちんと承知の間柄ではない。が、どこかで見たことがあるような気がする。そして、うっすらと焦げ付く記憶が、アレわ危険、とささやくのだ。
「とにかく、このままにしておかないほうがいいですよね」
 が、どこからどう手を付けてみたものやら。
 どこか、どこぞで見かけたことがあるのは、きっと確かだ。なら、自分の暮らしを再検するのがいいかもしれない。といっても、屯所以外には大して余所に出入りはしていないから、行くところはかぎられるだろう。食事を取ったり、他所の道場をおとずれたり、が、せいぜいだ。
 ――‥‥やけに消極的な調査だ、という、自覚はある。
 だが、そうしなければいけない相手だ、という直感もあるのだ。
「組長には‥‥言わなくてもいいですか。これは私個人の事柄ですから」
 ほぅ、と、疲れたように息を捨てる。あの娘の思い違いであればいい。だが、裏付けのない偏見が真実とはほど遠い、とはかぎらない。碁盤の目のように秩序正しく道筋のとおる京都という都市、だが、そこを行き交う人々の思惑はひっからんで、もつれっぱなし。‥‥疲れる、と、とうとう、本音が口をついた。

●今回の参加者

 ea6393 林 雪紫(29歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb3848 ラーズ・イスパル(36歳・♂・ジプシー・人間・エジプト)
 eb4891 飛火野 裕馬(32歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb5808 マイア・イヴレフ(25歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb6665 ロザリオ・ナイツ(34歳・♀・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 eb6967 トウカ・アルブレヒト(26歳・♀・ウィザード・エルフ・フランク王国)
 eb6974 榊 神(33歳・♂・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

李 明華(ea4329

●リプレイ本文


 さて、なんとも剣呑な依頼だ。目星の付いていそうで付いていない、それもこれも依頼人が偽志士だなどと騒ぎ立てたからなのだろう。林雪紫(ea6393)は両手に挟んだそれに、あむ、と、食らいつく。おむすびらしい――あちこちが曲がり拗って、さながら端切れの継ぎ合わせ、とても食物とはおもえぬ外形となってはいたが。
「嘘んこはいけないのですよ」
 お口が曲ると教わりましたのです。ひょっとこ顔になっちゃうのです。こーんなふう、と、雪紫、御丁寧にくちびる突き出して実践する。米粒を載せた鼻の下を開いて、彼女なりの案を明かした。
「どっかに志士さんの名簿とかないですかねー」
 姓氏とはいえ、与野井、と名は分かっているのだ。そちらから、どうにかして当たれないものか。
 ギルドの職員に尋ねると、結論から云えば、ある、らしい。だが、情報公開なんぞ夢にも思いいたらぬ境域、時代のことである。それを手元に置き、なおかつ自由に閲覧可能な人物といえば、志士の統括を勤める彼ひとりきり。
「平織虎長、だって」
「死んでるじゃないですかーーっ!」
 というより、たぶん、そう生きてても見せてもらえるものじゃない‥‥雪紫の場合、ちょこちょこと「おねがいです☆」しにいきそうでもあるが。
「曲がりなりにも偽志士の取り締まりを管轄する新撰組の問い合わせなら、応じてもらえるだろうけどな。が、それだって『新撰組』という公的な機関の体面をたてるのが目的で、個人の質疑にゃそうそうかまってられんだろう。だいいち、本人の許可も得ず、身も知らぬ他人に構成員の素性をほいほい差し出すような、そんな危なっかしい組織に誰が所属する?」
「とゆうことは、部外者の雪紫たちじゃムリそうですね。しょぼん」
「ん、しゃあないな」
 飛火野裕馬(eb4891)、顎を撫で付け、玻璃色の瞳をゆるりと瞬かす。ややこしいのややこしくないの、しかし、ざっとあらましは分かった、ような気がする。
「でも、新撰組なぁ。新撰組のお人に会うゆうんは悪くない思うで。俺、ちょお顔だけでもおがみに行ってくるわ」
「あら」
 マイア・イヴレフ(eb5808)も、実はそうしようと思っていたのだ。実際のところ、顔を拝む、以上の意図があったのだが、そこまで莫迦正直に申してたてる必要もあるまい。
「では、私も同席させていただいて、よろしいでしょうか」
 冒険者が日を置かず、立て続けに顔を出す。こちらのほうがよっぽど、事態としては不可解だろう。彼女なりの演算での申し出は、しかし、裕馬の口辺をニヤリと油断なくしならせる。
「おぉ。別嬪さんといっしょやなんて、心強いなぁ」
「よろしければ、軽く打ち合わせしましょうか。あちらも、同じ話題を長々と聞かされてもかなわないでしょうし」
「喜んで。ついでや、酒でも酌み交わそか?」
 るみが相談を持ち掛けたという、彼女、新撰組の隊士がるみの店に来る時間はほぼ決まっているらしい。それまでには、つくろっておきたい。が、口説き半分の裕馬と、能率優先のマイアとでは、まとまる話もまとらなぬそうだのに、はかどりだけは淡々と進む。こういうのをマンザイというのでしょうか。端から見守るトウカ・アルブレヒト(eb6967)は、気品のある穏やかな顔立ちを他人のふうによそおいながら、そんなことをしれっと考えている。
「じゃ、これ、お土産です☆」
 どかっと、雪紫が端切れの群体を提供する。作りすぎていたようだ。このままじゃ腐っちゃうです、しくしく、と、手のひらでまぶたをこすりあげられては、お人好しなラーズ・イスパル(eb3848)が黙っておられない。けっきょく彼は余りのほとんどを胃の腑へ引き入れ、おまけに腹痛まで引き受けるハメとなった。


 京かというのは、妙な町ですね。切り窓の向こうに幽か、蜃気楼の城郭めいてけぶる京を見はるかして、ラーズはふと思う。杓子定規に整斉とした町並みかと思えば、そこを行き交う人々の思いときたら、針鼠のように全体がそそけだっている。触れれば、切れそうに。穏やかな都になれば、きっと、もっと綺麗なのに。 夢のようなやはりただの夢を胸郭に押し込み、ラーズは目前の使命に専念する。‥‥腹はまだちっと痛んだが。
 ラーズがるみに頼んで融通してもらったのは、るみの嫌悪するやつばらが滞在する部屋の隣室だ。時々、ごと、ごと、と、さほど丈夫でない造りの天井板がぐらつくのは鼠の仕業でなく、雪紫が隠れているらしい。しかし、それらの遠鳴りを塗り潰すような喧騒が、まもなく彼の傍らから湧き上がる。人が集まったのだろう。薄い壁に、ラーズは耳朶を押し付ける。
「‥‥」
 ラーズを顰めた。存外、会話は聞き取りやすい、だが、文意まではほとんど酌み取れないのだ。猥雑な語法が多すぎる。切れ切れのそれらを順当に繋げあわせられるほど、ラーズはいまだジャパン語になじんでおらぬ。天井の雪紫に望みを託すしかなかろうが、ラーズは待つのみを、よし、と、しなかった。――依頼を受けたのは、自分でもあったから。日の恵みをするりと体に這わせれば、肉体が陽炎とうつろい、光と影を透き通す。いささかくらりとしたが、歩けぬほどでもない。一歩、二歩。慎重に歩を進める。そして、部屋の表にまで来た。
 ――‥‥息を整える。彼が声をかけられるまで、その程度のことしかできずにいた。
「インビジブル‥‥でしたか?」
 ぞくり、と、した。
 有象無象の集団。中で選りすぐって身形のよい男――おそらくは、与野井――が、誰にともなく、口を開く。
「‥‥気付きませんか? 先程から、この部屋の酒の匂いが乱れてるのですよ。私は呑まないのでね、かえって酒精に敏いんです」
 もはや、忍び足どころではない。
 魔法も、切れる。くるりと背を返し、ラーズは一目散に引き揚げる。異変を勘付いたどよめきがすぐ側まで打ち寄せてくるが、しかし、実際の人影が迫る気配はない。店を出たラーズが一息ついていると、雪紫が様子を見に駈けてきた。
「きっと、あの方、なかなか勉強家さんじゃないかと思いますです」
「どうしてです?」
「だって、ラーズさんの魔法、見抜いたですから」
 皇家に精霊魔法技術が独占されている以上、魔法を咄嗟に、そして正確に識別できるものは、ジャパンに少ない。きちんとした教育を受けた証左だ。
「だから、それが分かっただけでも、ラーズさんのやったことは無駄ではないです☆」
「はぁ」
 それから、雪紫の報告を受ける。与野井には訛りがあるようだ、と、雪紫は聞いた――どこの訛りかまではちと分からなかったが。
「あと、京都がどうとか準備がどうとか、いってたですねー」
「‥‥やっぱり、京都ですか」
 何故だろう。とりたてて、違和感がないのだ。あらかじめ悟っていたような気がする、彼等は『京都』に関して集まっていたのだと。あとはできれば、これを新撰組に伝えられれば――‥‥。

 裕馬が、渡辺に持ち掛けた要件は、そう難しいことでもない。
「俺、あっちに潜り込もう、思ってんのや。そんでな、もしものときに意思が通じあわんかったら困るやろ? でな、情報流すさかい連絡方法教えてもらえんか思ぅて」
 渡辺は裕馬の弁舌を腐すでもなく栄やすでもなく、終いの終いに、一言で結論づける。
「イヤです」
 と。
「私を買い被りすぎですよ。私の持つ連絡網を使おうとなさってるようですが、あなたのように取引を持ち掛ける相手にいちいち明かしていたら、それは内密にもなんにもなりません。逆に、あなたが、私を賞嘆させるようなとっときの連絡手段を提示してくださったら、それも含めて、私はあなたを評価できたでしょう。違いますか?」
 ――‥‥ふぅむ、と、マイアは感心する。そういう言い方もあるのか。立場や権力、それに伴う各種の計略や駆け引きの腐臭にはうんざりする。が、そこに見るべき段取りがあれば、マイアは素直に称える。それとこれとは、別の問題だからだ。渡辺は、最低の取り決めだけならば約束してもいい、という。面通しは叶ったのだから、裕馬を「偽志士」の仲間として見掛けても、
「簡単な取り調べで解放してあげますよ。もしも、あなたが本当に無実でしたら」
「俺はほんま、お日さんみたい、ぴっかぴかに綺麗なもんや。そんじゃあな」
 裕馬が立ち去り、あとには二人が残された。ここは件の小料理屋ではない。渡辺がそこを厭がったので、いくばかりか離れた別の店だ。渡辺はマイアに向き直る。
「あなたのほうのご用件は?」
「‥‥私が尋ねたいのは、あなたのことです」
 偽志士かどうかはともかく、あの、与野井という人物がなんらかの腹黒い心算を抱えていたとして。それが渡辺を標的としたものではないか、と、マイアは告げる。そのために、この
「‥‥可能性は否めませんね。羽織をもっていくような無粋はしませんが、十全に素性を隠してまで、昼餉をいただこうとも思いませんし」
「普通は、新撰組が常連として訪れる店は都合がよくない筈、だと思いますけどね」
「そうでもありませんよ。その人物を仲間に引き入れようとするなら、彼が私的に一人で出入りする行く先なんてのは、接触地点としてたいへん有効でしょうから」
 と胸を衝かれ、マイアは見返す。新撰組の伍長は、とりたてて視線をさまようような真似もさせない。
「ずいぶん、狡獪な意見ですね。てっきり、新撰組を引きずり出し何か騒動を起こす気ではなかったのか‥‥と、愚察したのですが」
「あぁ、そういう考え方も良いと思います。私だったら、私みたいな小童にかまわずもっと大物を襲撃しますが」
「狡獪というよりは、大雑把でしょう。それは」
「そうかもしれません。‥‥あなたとの談判は、なかなか有意義でした」
 渡辺は、がた、と、椅子を蹴る。終了の意か。おや、と、マイアは別なことにとられていた。有意義、といった渡辺に、当て擦るような意図はみられない。少なくとも、表面的には。喜んでいいものでしょうか、マイアにはなんとも判断が付きがたい。
「決めました。やはり私は、表沙汰を避けて、調査をしたほうがよいようです。以降、申し訳ありませんが、しばらく連絡は断たせていただきましょう」
 と、なり、渡辺はしばらく店に姿をみせなくなったので、ラーズは己の見聞を伝言する術を失った。彼の知り合いの李明華がごろつきの一人を追跡してくれようとしたのだが、彼等はるみの店から出、るみの店に戻る。正体もなにも、あったものではなかった。


 ‥‥ここ数日で、ジャパンの食事にもだいぶん慣れました。そして、ジャパンの人々のねぶるような視線にも。
 トウカ、ぐったりと気疲れの勝った吐息におぼれる。容貌には浮かばない。気品ただよう雪白の皮膚にも、奥ゆかしい柘榴色の瞳にも、鈍った様子はいちいち見られない。けれど、たしかに少しだけ彼女は精神を病んでいた。
 ここはるみの店の一角だ。
「元気だすですよー☆」
 ごと、と、雪紫が茶飲みを置いていく。今日は店員らしい、かんむりに「どじっこ」と付く。どれくらいどじっこなのかと茶飲みを覗くと、水なし、茶っ葉が山盛りだった。うん、立派にどじっこだ。
 トウカは尾行に自信がない。ならば、せめて、客の振りをして見張ろうと――ところが、これが尚更目立ったのだ。彼女は、自分の容姿を思いやっていなかった。森妖精はジャパンの生粋の種族ではない。冒険者ギルドには数多くたむろっているものの、街中ではまだまだ数少ない。そんな彼女が、ちょいちょい、場末の店をおとずれば浮き上がってしかたがない。聞き耳をたてる向きの一群から、あべこべに冷やかされる始末。聞きたくないものまで聞こえてくる。ほとほと参ってしまった。
 京が魔都というのは、ほんとうですね。これも情勢が悪いからでしょうか‥‥少し、違うだろう。
「なんだか柄の悪い人たちですね。新撰組や見廻組に、相談してみては?」
 るみがトウカの相手をしようとするとき、面当てするように、トウカはしみじみ嘆く。前半は、心の底からの感想である。だが、るみはこう答える。
「当てにならないですよ、だいいち相談する相手もいません」
 ――‥‥そうじゃなくって。彼等の威を借りて追い出そうというのに、真っ向からそれを打ち消して、どうするのだ。新撰組や見廻組が、実際、るみは私的な筋とはいえ新撰組を頼ろうとして、結果を得ていないのだ。こう断ずる気持ちも分からないではない。
「あんま女の子からかうなや。かわいそうやろ?」
 いつもの下卑たやじが始まろうとする頃、しかし、この日は優しく諫める一声があった。裕馬だ。渡辺に宣言したとおり、どうにかやりくりして潜り込んだらしい。が、今日はまだ、与野井の姿は見当たらぬ。――と思ったら、二階からあらわれた。
「あ、初めまして」
 訝りと詮索の目を留められると、裕馬、飄々と片手をみせて挨拶する。まるで久方の知己に再会したような。
「なんやえらい羽振りのええ仕事があるって聞いたんやけど。わいも入れてくれへんか?」
「そうですか」
 与野井は裕馬の牽制を、えらくあっさりとあしらう。まったく裕馬に気のない素振りで、彼は、ぐるりと店内に首をめぐらせると、やがて、ぽつん、と口火を切った。
「露骨すぎるでしょう」
 ‥‥見慣れぬ、どじっこ店員。
 やはり、見慣れぬ、エルフの客。
 そして、見慣れぬ、青い目の新入り。
 たしかに、あからさますぎた。これが何らかの手回しにあるものか、予想の付かぬこともなかろう。与野井は苦く、口許をしならせる。
「そこまでして警戒されては、出て行くしかありませんね。ですから、来てくださったばかりで申し訳ありませんが、あなたももう必要ありません。荷物はなるべく軽くしたいのでね」
「うわ、無駄足?」
 冒険者でなくあくまでも用心棒としてふるまおうとする裕馬に、えぇ、と、与野井は首を振る。そして、彼以外の野郎どもに短く、告げる。解散を。

 そして、与野井らは店を去った。水鳥が池を飛び立つがごとく、泡沫も散らさぬ、見事な撤退。彼がどこへ引いたか、噂の欠片すら、流れては来なかった。
 ただ、いつか、店へ現れた渡辺はこう告げる。
「私は、思い出しましたよ」
 与野井と、どこで出逢ったか。
 が、彼女はその場所を告げようとせず、今日も、るみの店で昼餉を漁る。