《江戸納涼夏祭》 姉弟抄

■ショートシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:1〜4lv

難易度:難しい

成功報酬:1 G 0 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月26日〜08月31日

リプレイ公開日:2004年09月13日

●オープニング

 嫌いなものを嫌いだといいきることは、つまるところ、決心をあらたにすることに等しい。それをけして好きにはならない、と魔法でもしかけるように、なんどもなんども己の裡でくりかえす。漉された憎悪は、しんかん寂々積み上がり、疲弊の密度を濃くする。両の脚が重いし、吐き気もする。すべての人口に共通するような事象ではないだろうが、すくなくとも、少年はそうだった。青アザの浮いた頬をぬぐいながら、小声で父親への悪態をつく。
「ちくしょう、ろくな稼ぎもないくせに」
 昼間っから呑んだくれやがって。しかも、息子へむかって酒を買いに行けだぁ? 自分で買いに行けよ、ちくしょう。
 ちくしょう、ちくしょう、としつこいくらいに往来で反覆する。こちらを剣呑そうに眺めるものもいたが、知ったことではない。少年の独言にきちんと耳を貸したものは、いままで彼の姉しかいなかったからだ。あとのものはたんじゅんに眉を顰めるだけか、もっとひどいものになると聞こえなかったふりでごまかしたりもした。そんなやつらのために、いまさらなにをおもんばかってやる必要があるのか。少年は、ちくしょう、ちくしょう、と鴉のように噪がしく、くりかえしくりかえし言い腐した。
 少年の姉は、もう少年のそばにはいない。2年まえの夏祭りの日に出て行った。彼女自身の意思というよりは、ほとんどさらわれるように――彼女を気に入った旅芸人が彼女を連れて江戸を離れた。
 だから少年は、旅芸人というものも大嫌いであったし、そいつがあらわれるきっかけとなった祭りの類、特に夏のものを声にもならないくらいに嫌悪している。それを好きだったときもあったのは子どもだったからだ、と思う。まだまだじゅうぶん子どもの顔をして。
 少年の歩く通りから2,3間ほどはなれたところからするりとおとずれる、今もつづく出店のにぎわいが少年の心をさわがしたが、少年は素知らぬふうでなじみの酒屋へむかって歩き始める。祭りは嫌いだ。そういえば、隣の町のある長屋では祭りのまっさいちゅうに一人娘を亡くし、昨日、葬式がいとなまれたらしい。やっぱり2年まえから床に伏しっきりになりあぶなかったというし、きっとそこの家も祭りは嫌いなんだろうな。そんなことばかり考えていると、なぜだか涙がこぼれそうになる。
 が、ふとその足を止める。
 見知った、なつかしい、たたずまい。
「姉さん‥‥?」
 すこし先に立つ、うしろすがたのあの女性は。
 少年は駈けだした。父親からあずかったとっくりが腰からすべって、地面へたたきつけられる。再生なき破壊の破片があたりいっぱいに散らばったが、気にとめてる暇など、ない。
「姉さん、俺!」
 少年の声に見返る女性は、近くで見ても、やはり姉のように思われた。ただ、少年を見る目に表情をかんじられないのがすこし気になったけど。もしかしたら俺だと分からないのかも、と少年は推測した。あれからずいぶん自分も大きくなったから、でももうだいじょうぶだろう、なんといっても俺は弟なんだから。
「江戸に帰ってきてたんだ。な、あいつは?」
 少年は姉の服の袖をひっぱろうとする。が、それはうまいこと交わされる。触れ合いのきっかけを失った少年は拍子抜けしていたが、女性の指に視線をやって、はっと息を呑む。
「‥‥姉さん、手」
 少年に指摘されたのとほぼおなじ瞬間に、女性は手をひっこめる。
 だが、少年は今見たものを忘れない。傷、大きく深く、赤く黒い。たしかに姉の手はきれいなほうではなかった、毎日の仕事に追われて、軟膏を塗る暇もなかった。しかし、そんなあからさまな傷だけはなかった。打ち身だけでなく、火傷もみえた。まるでたわむれに火を押しつけられたような、そんな醜い、痕跡。
「それあいつのせいだろ。そうなんだろ?」
 ぎりり、と少年は歯を食いしばる。
 許せない。たしかに姉が自分のもとから去ったのは悲しかったけど、それでもあの乱暴な父親から離れてすこしは幸せな生活をしていると信じたかったのだ。それが、こんな、残酷にうらぎられた。だから人は嫌いだ、大好きな姉以外の人は、みんな嫌い。そして、その姉の傷を癒すこともできない、自分。嫌いで、憎くて、しかたがない。憤りに体をふるえさす少年をしりめに、女性は走り出す。それはまったく唐突であった。弟に一言も声をかけることもせずに、彼女はいきなり裾をはためかせ、少年に背を向け、ぱたたと走り始めた。少年はいきなりのことに、しばし動けない。
「待って、姉さん!」
 あっちは、江戸を出る方角だ。しばらく行けば、山菜のとれる丘がある。昼はいいけど、夜には化け物がでるといわれている、怖いところ。どうしてそこへ行くのだろう、俺を置いて?
 わけを追求している余裕はなさそうだ。女性は少年の懇願にふりかえりもしない。だから少年もいっしょうけんめい走った。走って、今度こそ姉の袖をつかまえようとおもった。先程ふれることさえかなわなかった、傷だらけの手、を。

 ※

「女を捜してくれ。『みつ』ってんだ」
 ずいぶんと目つきの悪い男だ。目だけでなく人を舐めきった態度も悪い。行儀も悪けりゃ、服の趣味も悪く、このぶんではきっと性根も悪い、つまり何もかもが悪い。いくらかよいのは見た目の男振りだけか。世慣れしていない女性なら、この手の男に甘くささやかれたら、ころりと参ってしまうかもしれない。男は旅芸人だというはなしだから、あちこちの地方で、ほんとうにそんなことをしているのかもしれない。
「祭りで稼ごうと思って、久方ぶりに江戸に来たんだけどよ。女にいなくなられて、それどころじゃねぇ。商売あがったりだよ、やっぱり女がいるのといないのとでは、ぜんぜん違わぁ」
 それはもしかしなくても逃げられたんじゃないか、そう思っていると、
「よろしくやってくれ。逃げようとするなら、すこし痛めつけてくれてやってもいいからさ。さすがに死体っつうのはゴメンだけど」
 自覚はあるようだ。
「そんな外法な商売はひきうけませんよ」
 番頭は、この依頼、いったんは断ろうとした。が、目の前のこの男が別のところにおなじような依頼を持って行かないとはかぎらない、そしてそれが冒険者よりよっぽど荒っぽい精神の連中でない、という保証はない。‥‥つまり、断ることで事態を悪化させる可能性がある。とすると、引き受けたほうがよいのだろう。なに、いざとなったらなんだかんだ理由をつけて、女性を引き渡さなければいいだけのことだ。報酬は減るかもしれないが、悪の片棒をかつぐよりはマシなはず。
「ま、こちらはこちらのやり方でいかせていただきますから」
 そんな機転の利くヤツは、どいつかね。番頭のあたまのなかでは大福帳がめくられそろばんがはじかれ、実際の世界にはさらさらと看板に筆をはしらせる音だけが響く。

●今回の参加者

 ea0062 シャラ・ルーシャラ(13歳・♀・バード・エルフ・ロシア王国)
 ea1488 限間 灯一(30歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea2751 高槻 笙(36歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea3394 ルーン・エイシェント(16歳・♂・ウィザード・シフール・ビザンチン帝国)
 ea3550 御子柴 叶(20歳・♂・僧侶・エルフ・華仙教大国)
 ea4128 秀真 傳(38歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea4376 サラード・エルヴァージュ(38歳・♂・ナイト・人間・イスパニア王国)
 ea4536 白羽 与一(35歳・♀・侍・パラ・ジャパン)

●リプレイ本文

 失言しただろうか、と白羽与一(ea4536)は考えた。彼女は依頼人に依頼の詳細をたしかめるという冒険者にとって当然の実務をこなしただけである。そこには駆け引きにいたる下心もなければ、誠実で残酷な正義感もない。彼女は尋ねただけだ。依頼人の男に、どうしてみつ殿をとりもどしたいのか、と。そして彼女に何をさせたいのか、と。
「それは与一でも務まるお仕事でございましょうか?」
 しかし、男の機嫌は目に見えて悪くなっていく。といっても叱られた子どもがふてくされるのとおなじで、旗色の悪さを横柄加減でごまかしているにすぎず、底を見抜くのは漣――与一の愛馬だ――の心調をはかるよりはるかにたやすい。
「悪いか」
「与一は責めているわけではありませぬ」
 とがった耳をもつ与一の身体は、小さい。今はふたり、一室の座敷で正座しているから身丈の差はせばまっているものの、それでも頭ひとつ分は優にちがっている。自然、与一の目は常に相手をみあげるようになり、黒い瞳は試金石の冷たい純度をたもっている。長の沈黙のあと、男はようやくことばをみつけだした。
「回収しなきゃいけねぇだろ」
「何をです」
「かけた手間だ。金貸しはどうして金を貸す? 奉仕か、ただのお節介か? いいや、つけた金以上の利鞘を懐におさめるためだ。俺は時と心を貸した、愛というかたちでな、だからあいつにも返してもらわなきゃいけねぇ。俺はべつに愛はいらねぇから‥‥」
 ダン、と大きく部屋が鳴る。彼のことばをさえぎる。
 棘、のような輪郭の、八方の刃。与一が身につけておいた手裏剣。それが与一の服のはしからこぼれて‥‥そんなわけはないのだが‥‥部屋の床、与一と男のちょうどまんなかに突き刺さっていた。
「‥‥それをあなたは愛だと申されるのですか」
 与一はとりおとした手裏剣をひろいあげ、また元のように身につける。
 男はもう、しゃべらない。与一も最後まで聴こうとは思わなかった。これは、依頼の遂行に必要ない、と判断する。それでは、と部屋を出る与一はすでに、いつものように降る花のたおやかな仕草をとりもどしていた。

 江戸から数里にも見たぬ近場を、冒険者たちが動く。行くごとに虫の音が閉じ、代わりに草を蹴る音がさわりと開く。
「なにかみえますか?」
「急がないの。ちゃんと探してるから」
 急ぐな、といわれたから、シャラ・ルーシャラ(ea0062)は焦らないことにした。東へ西へ黒アゲハの羽をはためかせて飛び回るルーン・エイシェント(ea3394)が怠けているとは思えない。自分ももうすこしがんばろう、とシャラはエルフの細い耳をうんとそばだてて変わった物音が聞こえないかとつとめる。けれど、少しばかりはりきりすぎたのだろう。
「わっ」
「きゃっ」
 視界が急に暗くなった、と思ったら、一歩前を行く御子柴叶(ea3550)の背に頭からぶつかっていた。これではまるで不意討ちである。叶は前方につんのめり、シャラは後方にしりもちをつく。限間灯一(ea1488)がふたりを助け起こす。
「だいじょうぶですか?」
 灯一がそれほど心配した理由は、エルフであるシャラも叶も、人間の灯一からみればとんでもなくかよわく見えるからだ。まぁ、さすがに大事にはいたらなかったけれど。おどろかせたキリギリスがせいいっぱい跳ね回りながら逃げていく様子が、状況とはおかまいなく、のどかだ。思いもがけず一休みを入れるようなふうになり、サラード・エルヴァージュ(ea4376)はやれやれ、と腰をたたいた。なぜだか二人分の背嚢を持たされている彼、さすがにそろそろ疲れが出ている。ひとつはとうぜんサラードのものだが、もうひとつは‥‥。
「だって僕、それ持ってたら飛べないんだもん」
「‥‥べつに、シフールの荷の係にされるのは慣れたが」
「そうそう。たいせつにしてくんなきゃ、ダメだよ」
 サラードの嘆きを知ってか知らずか、どっちにしたって大した差異はない、ルーンはついっと彼の頭上の空間をすべり、再び高く高く上昇する。
「‥‥ん?」

 ゆがみ黄ばんだ歯のあいまから濁流の音をたてて、安酒が臓腑へと流し込まれてゆく。不健康すぎる他人の光景を、呆然と見る。いけないと分かっていても、高槻笙(ea2751)は頬筋のこわばりをおさえられない――つまり紛れなく嫌悪感だ。だが彼はそれを隠滅するぐらいの常軌はきちんとわきまえている。だいいち、もうここに用はない。
 形骸化した挨拶とひきかえに、辞去する。右の肩口のうしろに、室内の饐えたにおいと閉鎖のかげりがいまだとりついているようで、知らず知らずのうちに手ではらう。が、ふとわきあがる嫌悪のかげりが、仕草をにぶくする。さきほどの悪感情はたしかに外部へむかっていたけれど、今のそれは内部、笙の精神を射殺そうとしていた。
 あれも哀れな人間のひとり。おまえにこばむ権利はあるのか、と冷たく断罪する、幻聴。望まれることを望む、重複のねがいと対立する。誰かに必要とされたいものが他人に拒否をかんじるだなんて――‥‥。
「もうすこし自然体でもよいと思うがの」
 呼ばれた気がして、は、と顔をあげる。と、先にやることを終えてしまったらしい秀真傳(ea4128)が、笙が出てきたばかりの戸口のそば、気配もはかなくたたずんでいた。そんなに分かりやすく怖い顔をしていただろうか、と笙はすこし情けなくなったが、あえて反省を秘匿した笑みを傳に投げる。
 ふたりはそれぞれの聞き込んだ話を、交換する。傳は主に、向かったであろう先の具体的な危険を。
「おぬしのほうはどうじゃ?」
「ええ。ちょっと聴いていただきたいことが」
 笙が今しがた出てきた家は、みつと少年の実家だった。そこで父親から聞き出せた話は、穴だらけの言い訳や日常のありふれた愚痴だらけで、それほど重要でもない。だが、ついでのように近所で聞き込んだ別の噂は、別だ。胸騒ぎを起こす。それが自分の思いこみかどうだかみてもらうため、笙は傳に語りはじめる。
 最近、隣町で死んだ娘がいる。めでたいときに不幸があることは、そう珍しくもない。だけど、その娘が本格的に寝付いた頃合いがみつが江戸を離れたときとなると――
「時期がぴったり合いすぎると思いませんか?」
 割り符のように、と笙がつけくわえると、傳はしたりとうなずいた。
「うまい喩えじゃな」
「もうひとつ。例の依頼人。その娘の家のちかくでも目撃されてます」
「いつじゃ?」
「3年まえと‥‥ついこのあいだ」
 傳が、ふむ、と目を落とし、なにもない地面に透明な像を写しているようで、それで笙は確信した。心のざわめきは、正しい。
「分かった、そちらは儂も心に留めておこう。おぬしは先行のものを追いかけるがよい」
「はい」
「儂も急ごう」
 泥水がふくれるような、明確な形状のない厭な感覚。
 実際、傳にもたらされた情報もそんなものなのだ。たしかにその場所にいくらかの化け物は出るらしいが、今すぐどうにかしたほうがいいほど、被害が多いわけではない。ところが最近、いくばくか活発化した、という真贋の定かでない噂もきこえた。
「2人とも、無事じゃと良いが」

 ズシャー‥‥。
「ここまで鬼が‥‥」
 灯一は顔にかかった小鬼の返り血を着物の袖口でぬぐった。表情に翳がさす。これでは姉弟をみつけたときに怯えさせてしまいそうだ。しかし、危険を再認識したからには取るべき道も一つ。
「急ぎましょう」
 小鬼の骸はそのままに、仲間たちは手分けして丘を捜索した。このときの彼らには知る由もないことながら、江戸は百鬼夜行をむかえようとし、有象無象がそこら中に隠れていた。脳裏に浮かび上がる最悪の光景を打ち消そうと、野を埋める草木の影を掃い、静止したような虚空に目を凝らす。
「見つかりましたか?」
 馬を飛ばした笙が先行隊に合流したのは探し始めてから四半刻も経った頃か。
「‥‥」
 一瞬の静寂。仲間たちの視線の先に、目当てのひとがいた。

 丘の上に男女のすがた。片側の若い女性こそ冒険者たちが捜していた『みつ』に間違いない。どうしてって、女性の側に立つ少年がさっきから女性に縋り付いて『姉さん』と連呼している。ならば少年はみつの弟で、女性はその姉だ。いくら江戸が広くとも、そう似た偶然があるものでもない。しかし、感動の再会と見えないのはどうしてだろう。
「姉さん、どうして返事してくれないんだよ、俺が分からないのか!」
 震える声で姉を見上げる少年に、みつは何の感慨も示さない。弟を見ていない、他人より遠いその瞳には見守る冒険者たちも暫し、惑乱された。あれほど嫌悪した依頼人や姉弟の父親ですら、今のみつと比べるならば人間的ではないかとさえ思える‥‥その違和感の正体が分からない。

「だいじょうぶ、です。みんなでちゃんと考えました。みつさんも、しあわせになれます、きっと」
 シャラが口火を切る。ひらけた草原を謡い手の声はよく通った。但し、当人は心情の一分一厘も言葉にあらわせないもどかしさに顔が赤くなる。
「あ‥」
 少年ははじめて冒険者たちに気がついたようだ。身を固くして、姉のからだにしがみつく。無理も無い。この状況で味方が現れるとは誰も思うまい。
「自分達は貴方たちを探しに来た者。害意はありません」
 刀を地面に置き、灯一は丸腰を示した。これ以上は怯えさせてはならないと近づきたい衝動をぐっと堪える。2人を捕えてしまうのは訳もないことだが、それでは何もならない。
「赤の他人が知った風な口を、と思われるでしょうが‥」
「‥‥だれ?」
 それまでの無反応が嘘だとでも言うように、みつが冒険者たちを呼ぶ。弟には目もくれずに。
「みつ殿、自分はぎるどの冒険者、白羽与一と申す者にございます。この意味がお分かりでしょうや?」
 反射的に与一は答えていた。算盤ではない。誤魔化す術はなく、騙ることを善しとせず、老獪な知恵も持たぬ身に残った侍の愚直だ。依頼人の名を出し、仔細は省いて簡潔に口上する。
「されど!」
 下腹に力をこめ、与一は口上を続ける。与一はみつ殿を依頼人の方へ帰すつもりはありませんと。姉弟には夏祭りを楽しんで頂きたいのだと。
「‥‥あのひとが、わたしを探してる?」

「叶さん」
 意外な成り行きを見守っていた叶は突然、後ろから自分の名前を呼ばれて飛び上がるほど驚いた。声の主が笙と気づいて吐息を漏らすが、その顔が意外なほどに険しいのにまた驚かされる。
「説明している暇はありませんが」
 笙はその内容で、叶を三度驚かせたのだった。

 何が起こっている?
 泰然自若を絵に描いたようなサラードは、この場は傍観者の一人に過ぎなかった。驚くべき時に取り乱すことが無いというのは、思えば長所ばかりでは無いのかもしれない。騎士は話に耳を傾けながら、油断なく敵の攻撃を警戒する。だが敵とはこの場合、何であろう。自分達は何から2人を護ろうとしているのか。まるで、たちの悪い幻術にかかったようにすべてのことが曖昧で、暗く澱んだ結界を丘の上に形成していた。
 夢遊病のような娘、半ば壊れた弟、立ち尽くすのは彼ら。
「ひとつ、確認したいことがあります」
 笙が姉弟の前に進み出る。対決するためだ。同じ情報を聞いている秀真がいてくれればと思うが、危険を報せる鐘は今も頭の中で鳴り響いている。

 ――さん。
 笙の口から、冒険者たちが知らない名前が出た。或いは知ってる者の名でも、この場に相応しいとは思わない。呼びかける相手が居ないのだから。しかし、みつだけは明らかに反応を示した。
「‥‥」
 笙はみつを見ている。冷静を装っているが、ぶっちゃけてしまえば打つ手は多くない。道中であれこれと思案したものの徒労だった。あの娘に推測通りのことが起きたのだとしたら、最初に想像したよりも事態は悪い。そもそも‥‥この敵に彼らは勝てない。
「聞かせてください。あなたの話を――」

 死んだ娘の説得には一晩以上かかった。最後のほうは体力の無いシャラやルーンは不覚にも眠ってしまい、大いに悔しがった。同類のはずの叶は徹夜に強く、存外に頑張った。
「だけど、驚きました。みつさんに亡霊が取りついていたなんて‥‥」
 叶が心底驚いたふうで感想を口にする。
 依頼人に恨みを残して死んだ娘が、みつに憑依したのが事の発端、だった。
「不思議なこともあるものです」
 単純に不思議がる叶だが、本職なのだから少しは気づいてもよさそうなものだと思わなくもない。しかし、叶のホーリーライトが無ければ、亡霊に無防備な冒険者たちに明日が無かったのも事実。また叶はみつの傷を心配して、今度ギルドを訪れるように言った。今の彼女にはみつの傷を癒す実力が無い。
「みつさんが自分から逃げたんじゃなくて良かったね☆」
 ルーンは無邪気に喜んだ。シフールはその小さな手で正気を取り戻したみつの手を掴み、くれぐれもと弟さんの事を頼んでいた。本当に、みつに逃げる心が無かったかは分からない。それでも。
「澱んだ心に屈したらそれこそ堪らなく惨めだよ。諦めないで。ムカつくものに負けないで」
 シフールの心は姉に届いたろうか。
「でも本当に良かったですね。あの依頼人の元に戻らなくて」
 シャラは必要ならイリュージョンで依頼人を騙すことまで考えていた。もし失敗したら大変だが、そこまでの危険もなく、依頼人は一人で江戸を離れていた。死んだ娘の亡霊を恐れたのだろう。
「あの娘には余計なことをしてしまったかもしれぬの」
 傳は死んだ娘の事を思う。虫の好かぬ依頼主など取り殺された方が良かったのではと思わないでもないが、さすがに口には出さない。
「‥‥」
 サラードは仲間達の話に耳を傾けていた。ふと彼はこれは奉行所が扱うべき事件だったのでは無いかという疑念に囚われたが、今となっては終わった事として気持ちを封印する。
「みつさんや弟さんは大丈夫でしょうか?」
 灯一は姉に拒絶された時の弟の顔をありありと思い返す。姉だけを唯一の味方と思っていた少年には、桁違いの痛みだったのではないか。父親の件も片付いた訳ではない。
「限間殿、案ずるより生むが易しでござりまする」
 与一は聞いていた。百鬼夜行の妖怪に荒らされた夏祭りが、延長になる話を。
 姉弟は共に夏祭りを愉しむ時を得た。
「そうか。ではこうしては居られんな」
 冒険者たちは最後に少しだけ世話を焼くために慌しく動き出した。

 2人にはこれからも厳しい現実が待ち受けているだろうが、今年の夏祭りの記憶が涙だけで終わらないとしたら、その一時の幸せは‥‥。

(代筆:松原祥一)