●リプレイ本文
●夜3
弓引く動作は生き物の喉を絞めあげる行為にどことなく通じる。握り込んだ他人の抵抗へ、我が脈動を溶かしてゆく。キリキリと枯渇した断末魔が、皮膚の下の振動といっしょに停止する。対象に終わりをあたえたときが、これからのはじまりになる。
絵空事にふけりながらもイツキ・ロードナイト(ea9679)は、まつろわぬ女へ弓を張る。
●昼1
在来種としてのエルフの存しないジャパンでは、ハーフエルフとエルフを見分けられる人間はすくないが、どちらもえらく浮くという点ではそれほどかわりはなかった。突出するものには崇敬か差別があたえられるのが世の常で、閉鎖された貴族社会ではそれが倍にもはねあがる。
「あー、むかつくったら」
僕はみせものじゃないっての。カヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)はギルドの暖簾を乱暴に押す。そのまま、倉梯葵(ea7125)と伊庭馨(eb1565)のついた卓まですすみ、諤諤とまくしたてる。
「ジャパンの貴族って全部あんなの? ハーフエルフの禁ならまだいいよ、ほんとはよくないけど。っとにもう!」
「ご苦労さん」
葵のねぎらいにもツヴァイが機嫌を直す様子はない。どういう状態に捲き込まれたかは想像がついた。
「恨みをかってる路線はなさそうだね。依頼人に子どもさんはいなかった。いたらもうちょっと楽だったろうって、噂されてたし。ほんとうに貧乏みたい。前から人付き合いは悪かったけど、世捨て人みたく酷くなったのは最近。ギルドに出入りするようになったのも、そのあたり。以上」
「奇遇だな。こっちもそんなものだ」
おなじように聞き込みにまわった葵と馨も、程度の差はあれ、ツヴァイほどではないが似たようなめにあってきたのだ。冒険者のように腕一本で成り上がろうとする彼らを、雅(みやび)や貴(あて)に殉ずる貴族たちはいちだん下にみる。情報の収集は一苦労だった。
きっとあのときの自分の舌はこれ以上はないくらいに我慢強かったはずだ、と葵は思い返す。依頼が終わったら存分に遊ばせてやろう。
「つけくわえるなら、猫を飼いだしたのも同じ頃だってぐらいだな。それが、解せない」
生き物を飼い始めた人間が、死にたがる。ちぐはぐだ。
「何故『今』だ? じいさんになるまで生き延びてきたのに? 命を捨てたいなら自分でやればいい。貴族へのこだわりも半端だ」
「まだ、おかしなことがあるんですよ」
馨が割ってはいる。依頼を持ちかけた手代に、冷ややかな一瞥くれながら。
「肝心なことを云わないんですから。依頼人の姓は青柳(あおやなぎ)というそうです」
「ん? その人の猫って、アオっていうんじゃなかった」
「ええ」
「おなじだね。よくあること?」
「そうでもないと思いますよ」
全員がなんとなくおしだまる。こうして整理してみたところ、霧は晴れてくるどころかますます際だつ一方だ。
「青柳老に直接お目にかかる必要があるようですね」
「だな」
「それでやっぱり死にたいって云われたら、どうする?」
それとも、ほんとうは別の誰かを殺したいとか。ツヴァイの質問が場を静かに冷やす。
「そのときはそのときです」
馨は右の刀に手を添える。刃の質感、夢の夢、水のようにきしむ剣影、足でにじる。
●昼2
「この仔だよ」
佐々宮鈴奈(ea5517)が奥から連れ出してきた仔猫は、彼女の腕からおとなしくぶらさがっている。イツキがためしにくすぐりあげても、煙たげに黄色い瞳ををそむけるだけ。
「白いね」
「うん」
「じゃ、ちがうかな」
イツキの故郷には黒猫の姿のデビル/悪魔がいる。どんなの?とたずねられて、イツキはしょうしょう心許ない知識を総稼働させた。
「ぐ、ぐりぐら?」
グリマルキンだ。ジャパンで確認された事例はないが、油断禁物。疑心をいだきつづけるのは、まったくつらいことだけど。
それまではやりとりを見守るだけだった片桐弥助(eb1516)が、鈴奈からアオをひったくる。高い高いと持ち上げると、猫もさすがにもがいてじたばたをはじめた。
「あ、生意気。唐織なんかしてやがる」
首にまかれた高級織物を、弥助はめざとく発見する。元は自分か家族の着物の一部だったかもしれない。それがどうして猫の持ち物なんかになっているのだ。売ってしまったほうがよっぽどの実入りになるはずで、それをしないのは純粋に愛猫のためか、貴族の矜恃が供出をこばんだのか。
「‥‥わかんねぇな」
「そう? 私は少し分かる」
飼い猫をかわいがる余力があるなら、まだいい、と鈴奈は思うのだ。押しかけ女房も同然に依頼人の屋敷におしかけ、片っ端から家事をはじめてはや半日。それは、ぬかに釘うつよな半日でもあった。
こまごまとした雑事に工夫を凝らす時間は嫌いじゃない。だけど、許容されるでもなく拒絶されるでもなく、逸品と信じたおかずの感想を「‥‥うん」だけですまされるとさすがに、自分のおとないの意義は、とむなしくなる。だのに、とりすましたかおの猫にだけは熱心に話しかける依頼人を見ていると、私は猫以下か、と思わなくもなかったが、
「べつに待てるから。猫の次の次の次ぐらいだったとしても、もう少しぐらい我慢する」
「けど、肝心の自分自身まで猫の次、ってなぁどうかな。みてくれだけが大層な器みたいなもんじゃね?」
「にぎやかですな」
三人が閑談していた場所は、依頼人の屋敷の縁だ。どこもかしこもいたんではいたが、五月のぬくもりを取り入れることに関してはなんの不都合もなかった。ジャパンの屋敷に多い開け放しのつくりで、敷地の入り口から玄関を介さず、庭へ出入りすることができる。
伊能惣右衛門(eb1865)は人の声をたよりに、ちょくせつそちらにまわってへ声をかけた。用事があるからといって遅れてきた彼は、あらわれたときには、シャラ・ルーシャラ(ea0062)の手をひいていた。と、それだけならほのぼのとした一場面にもなったろうに、迎えの三人がぎょっとしたことには、シャラはうっすらとまなじりを濡らし、かるくしゃくりあげていたりもする。
「どうしたの?」
「まよっちゃったです」
京に来てまもないシャラには新しい星座でも発見するようにすべてがめあたらしく、誘われるまま歩いているうちはぐれてしまったらしい。そこを惣右衛門にひろわれたのだ。
「ごめん。いっしょに来ればよかったね。お茶でも煎れようか。一夜漬けは好き?」
すっかり家庭の主婦風情で鈴奈が立ち上がろうとするのを、他のものが引き留めているすきを、アオが衝く。弥助の拘束からのがれて、シャラの隣を過ぎ、形をたもっているのがようやっとの門をくぐって去った。
「ねこさんいっちゃったです‥‥」
「すぐ帰ってくるだろ」
猫なんてそんなもの。気まぐれで、身勝手で、悪い女そっくり。シャラはそうなるな、と言いかけた弥助の後頭部を鈴奈がはたいて、けりがつく。惣右衛門は目を細めた。まろやかな日だまりでのおだやかな団欒、しかしここには決定的な要素が欠けている――もてなす主人の不在。
「依頼人の方はどうされましたか」
「それが顔も見せてくれなくって」
依頼内容以外のことにはかかわる気はない、と。
だから、弥助はこんなところでくだをまいている。とりあえずは棚上げにして、馨たちの調べを待っていた。
「出てけ、といわれたわけでもねぇんだけど。イツキは泊まり込んでみるってよ、だろ?」
「はい。了承はもらったから」
「ならば私も待たせてもらいますかな。そのうち気が変わることもございましょう」
惣右衛門は遅刻の理由を弥助たちのとなりに置いた。庭木の苗、これを手配するのに時間が必要だった。べたつく緑の正体を、ツツジ、と鈴奈が看破する。惣右衛門は、ほほえみながら首肯した。
「花はすぎてしまいましたが」
でないと植え替えができないので。きちんと根付けばまた翌年、蜜のあふれる甘い花をふきこぼらせるだろうが、今は葉だけが線細くそよぐ。シャラはツツジと屋敷の奥を交互にみくらべる。どちらもこわいほどの、寂寥。隠者のそぶりで黙して語らぬ過去のように。
●夜2
けっきょくは全員が宿泊した。いちおう貴族の家屋だから、それくらいの空間は確保できたのである。しかし、たいへんなのは鈴奈だ。食べ盛りの冒険者のしたくまで請け負わなければならなかったのだから。
けれど、青柳老はいつのまにやら帰宅した猫といっしょに、自室にこもったままだ。鈴奈が膳をはこんだときも、年寄りは夜がはやいから、と彼女を詮無く追い返す。
冒険者たちはなんとなく眠れないでいた。その夜はあまりにぬるかった。野辺の送りの煙にあぶされるような気分、こんな夜はたいてい祝福以外のなにかが起きる。
そのとおりだ。夜半過ぎ。うとうとしかけた彼らを、イツキがたたきおこす。
「はやく。庭に!」
せかされるまま、冒険者たちは庭へ急ぐ。
月下にたたずんでいたのは異様な風体の女性だ。月よりも青白い顔色の。だが、そのもっとも特殊なところは、首から提げた縄をかだましい夜風にひるがえらせていることだ。縄に結ばれた赤い布きれを、弥助は見知っている。
死臭にはためく、唐綾。
●夜1
その夜、依頼人の寝所の天井裏にひそんだイツキが見せつけられたもの。
布団のはじで暖をとっていたアオがあたりを窺ったかとおもうと、湯でもかけられたように大きさを変えて、老人――青柳老の姿をとる。アオ=青柳は青柳老に近づき、地の底をさらう汚濁した声でささやく。
「死ンダホウガイイ」
●夜4
畢竟ずるに、アオが悪魔ではないか、とうたがったイツキの判断がほぼ正解だったのである。生の望みの尽きた人間を引っ張る魔、縊鬼という。悪魔はたいがいが卓越した変身能力を所持する。青柳老をたぶらかすのに青柳老自身の姿と、周囲をたばかるのに猫の姿と、二つを使い分けていた。
「死ンデシマエバイイ。死ンデアタシニ魂ヲサシダセバ楽ニナル」
イツキが聞いたとおりの台詞をくりかえし、縊鬼は凶鳥の嗤いをさざめかせる。
つられてイツキが射った矢は、縊鬼の肌をかすめたとたん、失速する。地にまろびる鏃には、血の一滴も、皮膚の一切れも付着してはいなかった。
「きかない‥‥!」
「任せて!」
「やめてください!」
ツヴァイの構成しかけた精霊力は、しかし、弱々しい牽制に中断される。冒険者たちがひとしくひるんだ寸刻をかすめ、縊鬼は猫のように体をくねらせながら逃亡する。追跡は思案に入れなかった。折伏は依頼の解決にはならない。
青柳老がそこにいたからだ。去る女の背へ、驚愕でなく哀惜を送り。
葵は違和感の正体を了解した。
「あんた、知ってたんだな」
同じ名前をつけていたのが明白な証拠だ。青柳老は愛猫が縊鬼であることを認知していたのだろう。縊鬼は言葉巧みに冥道へ勧誘するが、文言そのものに魔力が秘められているわけではなく、その気のないものへははじめから近づかない。
「でも、まだ分からない。どうして俺たちに殺しを依頼した? あいつに頼んだってよかったろ」
「それをあの子がのぞんでいたから」
「他人にも罪悪感を負わせてやろうって? ばからしい」
ツヴァイはがつ、と足許を蹴る。小石は大きくたわんで闇に消えた。
「デビルを喜ばせるために、なんで僕たちが人を殺さなきゃいけないの。じゃあ、訊くよ。あなたは本当に死にたかったの?」
「あぁ。見たろう、私にはもう貴族としてすがる夢はどこにもない。アオは楽にしてくれると云った。あたらしい夢をくれると」
「冗談!」
次に、足許を蹴ったのは鈴奈だ。彼女の下の大地は揺るがない。
「死んで夢がみられるわけがないじゃない。死ぬのが幸せだなんて、云わないで」
青柳老の邸宅は髑髏にたとえたくなるほどの残骸だった。しかし鈴奈はそこから、いろんなものを引き出した。日のにおいのする寝具、臓腑に染みる菜と汁、毛羽立つ床から埃を追い出して。
それは貴族の恋う夢とは異なるものであろう。けれど、夢といってはいけないのか?
に、と弥助がうすい笑みを刷く。
「納得いかねぇなら、一回死んでみっか? な、シャラ」
「さん、はい、ですね」
弥助のまねをして、シャラも彼女にはそぐわない細く釣り上がった貌をつくった。
さん、はい。
弥助は沈む、忍ぶ刀ごと。白刃は青柳老の冠に懸かり、それを真二つに割った。
シャラは胸のまえで殉教者のかたちに手を組んだ。紡ぐ。織る。鈴の唄――そこに、別の夢がある。死の夢、苦悶の夢。
ひとしきり旋律を終えたあと、シャラはシャラの貌になり、深く頭を垂れた。
「いやなことして、ごめんなさい」
「俺は謝んねぇけどな。死ってなぁ、こんなもんなんだよ」
なにかとてつもないことを口走った気がしたので、鼻を掻いてごまかした。
「えらそうにいえる立場じゃねぇけどな。でもな、今、南じゃこれよりひでぇことが毎日起こってんだ」
「そうですね。樹木の最後の一本までも、むしりとられた土地もあると聞いております」
惣右衛門のたずさえた苗。あんなに極少の緑さえも、失われてゆく。
仏道では現世を苦界と呼ばう。とかく嗟嘆にみちて、今世を終え来世に望みを託すを幸せと思いたるも、人の性。惣右衛門はそれを否定しようとは思わない。が、悲しみを聞く、他人事としてでなく我が物へ循環する用意ならいくらでもある。
馨が黙礼をささげた。
「申し訳ございません。どうやら私たちはあなたの願いをかなえることはできないようです」
臆病だから、と馨は添えた。
冒険者のすすむ道が光あるとはかぎらない。むしろ、斬り打ち誅した黄昏がへりまでみなぎる。
そこへあなたの血の色をくわえることはできない、といった。
「あの。ねこさんがいなくなってさみしいでしたら、シャラもいっかいうたいますけど」
「その必要はないようですな。どうでしょう?」
猫はいなくなったが、苗はある。冠は割れたが、鈴奈の準備した朝餉はある。
「また、いつでも来ます」
惣右衛門は淡々と、鈴奈はいきごんで宣言する。
馨が歌を添えて、
――泡沫なす仮れる身そとは知れれどもなほし願ひつ千歳のいのちを
海のように深い一夜が明けて、花開く日が始まる。
――‥‥青柳老はここにあるものを手に取る。
●昼3
葵が冒険者ギルドの手代に尋ねる。
「『覆水盆に還らず』ってどういう意味だったんだ?」
「冒険者ギルドは慈善事業でやってんじゃない。冒険者がやらかしたら、目ぇつけられることもある」
たとえば新撰組などの隊員のなかには冒険者を親の敵のようにあつかう輩もいる。まさかのときは一蓮托生、とそういう意味だ。
「でも、まぁ」
彼はあごをあげて、つぶやいた。
「なんとかしてくれるだろうって、信じてたけどな」