●リプレイ本文
●準備のはなし
ジャパンではさほど肉食は浸透していない。海産物はというと、海洋から距離がある京においては、塩蔵品か干物が中心になる。それらをおぎなうために発展したのが京野菜のはじまり、というわけで、
「京野菜は都の浪漫です。今だったら、たけのこが旬ですよね」
紫上蜜(ea4067)の熱弁に片頬笑む、香辰沙(ea6967)のまなじりには淡い朱がきざしている。怒号じみた呼び込みが飛び交う、ここは幸佐の父がひいきにしている市の一角。といっても、『当日』まで日のある今日はただの下見にすぎないのだが。異国の人いきれが、辰沙をかるく酩酊させる。
「もう少ししたら茄子の季節です。ぬか漬け、田楽‥‥」
しかし、どことなく偏重した蜜の案内のおかげで、気後れだけはしないですむ。菜っぱ、根菜――路地は寸詰まりで、逍遥はじきに尽きる。これで切り上げることにした。
ふたりきり――寂しくもあり寂しくもなし――は、あっけなく終了する。幸佐の店にほどなくのところで、綿津零湖(ea9276)とばったり出くわした。もっともこの邂逅は、深遠な偶然とはよほど趣を別にしたが。
「零湖さん、雀のおかあさんみたいですね」
蜜が比喩する。十指でたりない数の童子をひきつれている零湖、楽隊をしょったようににぎにぎしい。しかし――。たしか零湖は幸佐とともに近所をまわって「此度、幸佐さんのおうちでうどんをつくりますから、みなさんもいっしょに来てくださいね」というようなことを伝えに行ったはずだが、どうも肝心の幸佐がみあたらない。それを尋ねられた零湖が肩をすくめると、銀の髪が雪の降る音をたてて、流れた。
「逃げられちゃいました」
くすくすと囀るように喉をふるわせながら、零湖は報告する。途中、幸佐のとんだ逆襲にあったんだそうだ。やりくちは単純だ、零湖が志士だということを大声でばらしただけである。神皇家お膝元の京で魔法をつかいこなす志士といえば、子どもたちからちょっとした憧憬と好奇をあつめる、零湖がそうは見えないものやさしげな女性だということもあいまって昏迷が発生したすきに、まんまと幸佐はどこかへ去った。
「それくらい元気なほうが、男の子はたのもしいです」
が、零湖はたいして気に病んではいなかった。どこかではっていてくれたはずの笹林銀の追跡までかいくぐるのは難しい。怪我の功名ということもある。その分、子どもたちとも仲良くなれた。
「では、みなさま。ぜひいらしてくださいね」
威勢のよい承諾をあとにして、一人増えた帰路。子どもたちのにぎやかしが針ほどにも細くなったとき、辰沙は失礼かなと思いつつ、なんとはなしの不安を口にする。
「子どもさん、多すぎやありません?」
「なんとかなりますよ」
常のように零湖は微笑んで、実用の対策があったわけではなかったけど、神様仏様もそう云ってくれるだろう。たぶん。
踏み台をつくる。木板に鋸を入れたときにぱっと散る金茶の匂いに励まされれば、仕事もはかどる。
「ええと‥‥あら、足りない? いいわよ、あとでなんとかするから」
でも成長期の男の子の道具だから、半端な大きさだとかえって使いにくいわよね。どうしようかしら。
藍月花(ea8904)の工作は、設計図なし、とにもかくにも材の加工からはじまる。できあがった台は、極楽のはちすのうてなのごとく、とはいかないけれど、頑丈さだけは折り紙付き。むこう十年はもつだろう、いや、さすがに十年後には用済みか。
「それじゃ置いてきます」
「こっちからいきましょうか」
猫目斑(ea1543)と協力しあい、厨房のめぼしい箇所に設置してゆく。斑はこれから予行として、一度、厨房を利用する。彼女の指示を参考にしていけば、当日の障害になることは避けられる、というわけだ。でもやっぱり実行におよぶものはない、と、予行開始。東条希紗良をを幸佐に見立てて(大きすぎる?)、指導をはじめる。献立は、うどん。
「しっかり見ていてくださいよ、周防様」
「はいはい」
子ども用に修正した厨房で成人男性二人が同時にならびたつのはやりにくそうだったので、周防佐新(ea0235)は厨房の見える位置の客席から観察することを義務づけられた。
しかし、斑の骨折りは理解できるのだが、いかんせん佐新のいるところから見るべきものといえば斑の背中ばかりで、いまいち親身になりにくい。おまけに、隣の席では狩野琥珀(ea9805)が、幸佐の父がつくったうどんを試食しているのだから、そっちも気にかかる。
「いっただきまーす。お、ほんとだ。関西のだしってなぁ、色からして薄いんだな」
うどんは飲み物だったかな、という具合ではやばやと椀を空にして、琥珀は「ごっそさん」と手を合わせた。晴れやかな表情で口をぬぐっているのが、感想代わり。
「で、さ。この店のお奨め品ってある? うどんのだしついでにそれも指南してくれると‥‥え、食わせてくれんの? どうもどうも」
はりはり、と漬け物をほおばりながら、琥珀は器用に会話をつづける。
「うん、うまい」
「そうだ。懇意にしている客や友人に頼んで、料理人がいかに格好いい存在かを伝えてみては?」
「でも、男ならやっぱ人には頼りたくないもんじゃね?」
天城烈閃の提案。幸佐の父の返答がするまえに、琥珀がすかさず代弁した。
「俺も息子ラヴ(下唇噛んで発音)だからな、気持ちは分かるぜ。いや、もう、息子のためなら、新撰組みたいに『天青命』の半被着て京の町を練り歩いてもいいくらいだからな!」
それは愛情表現じゃなく、趣味、ではないだろうか。心の底からの疑問をおさえて、佐新は自分も幸佐の父に問いかける。
「なぁ。仕事にかまけて幸佐と遊んでやるのがおろそかになった、とか、そういうことはなかったか?」
「してないと思うんですけどねぇ‥‥」
「こら。なに、さぼってるんですか」
あ。とうとう、斑にばれた。
「そんな周防様には熱湯うどんしか用意してあげません。おでん並に熱々のうどんですよ」
「や、それは勘弁」
●朝のはなし
夜明け前はまだまだ寒い。ずっしりと重い冷気のただなかを抜けようとする小さな影ひとつ、は、戸に手を掛けた時点に遮られたり阻まれたり。
「おはようございます」
天鳥都(ea5027)。陽の色すら判然としない薄明に、寝間着にしては整いすぎている風采で朝の屈伸の最中だった。
「幸佐さん、約束をおぼえていてくださったんですね。うれしいです、さ、ごいっしょに三つ葉を採りにまいりましょうか」
「やくそく?」
「おぼえてません?」
幸佐、追想。一、二、三。
「したかぁ?」
「しましたよ。ねぇ零湖さん?」
「ええ。ちゃんとしました」
いつのまにかあらわれた零湖までが「今日、」と都を擁護する。
「逃げたりしてせっかく集まってくださったお友だちを悲しませるようなことがあったら、私にも考えがありますよ。そう約束したじゃあありませんか」
「それ約束かぁ?!」
「約束です」
「それとも、」
透ける微笑をくずさない零湖と対照的に、都は眉根を八の字によせる。捨て犬のように心許ない表情で、ぽつ、と言の葉を継ぐ。
「幸佐さんは『私』との約束をやぶりたいほど、料理をされるのがおきらいですか?」
――みょうな進行になってきた。
夢寐のはざまの時刻、寒々とした空気に音という音は吸い取られたかのよう、しんとする。ふぞろいな呼吸が、青い世界をうがつ。
「‥‥じつは私も料理はできないんです」
ついに都が静寂をやぶった、ところにはもう、いつもどおりの貌にもどっている。
「火も包丁もたしかに怖いですよね。どちらも人の生活には欠かせませんが、人を傷つける物でもありますから‥‥。野菜をかわいそうだという優しい気持ち、大事な物だと思います。でも、使い方を誤らず、人や物の痛みを忘れずにいれば、素の何倍も力を引き出す事が出来るのです」
幸佐は都の所見を黙って聞いていた。都の言が終わるか終わらないかのうちに、何事か無音の発声をためしている。負けた。おそらくはそう口を動かしていた。
「分かったよ、いっしょに行けばいいんだろ」
「ありがとうございます。きっと気持ちいいですよ」
植物も土もキラキラして。都に証をたてるよう、朝の光の切っ先が、一筋。
「零湖様、おつかれさまどす」
じつは表に出なかっただけで、早朝の幕間劇にはあとふたりばかりの観客がいた。辰沙と幸佐の父。野菜は鮮度が命、なので今から買い出しにでかけるのだ。たださすがに、幸佐たちのやりとりをぶったぎるわけにもいかなかったので、こうして物陰で待機していたのだが、もう隠れる必要もないだろう。
「ほんなら出かけますんで、あとお頼みします」
「まかされました‥‥ふぁ」
らしくなく大口を開けた事実を抹消するかのごとく。零湖は口唇に添えたてのひらから、赤い舌をいっしゅん出した。
●本番のはなし
蜜は「雀のおかあさん」といった。本日、こうまで海千山千の子どもが集まっている様子は「めだかの私塾」といってもいいかもしれない。
「よろしくな、幸佐。これが終わったらおっちゃんと甘味屋行こうな!」
琥珀、それをひとりひとり「あの子は五歳の頃の息子に似てるなぁ。そうそう、九歳ぐらいのときにはあいつもあんなんだった」と具体的に個性をみぬいているあたり、さすが歴戦の強者というしかない。佐新はうなった。いつかは自分もああなるのだろうか、なれるのだろうか? どうにもうまく頭に絵図が思い浮かばない。
べつに琥珀は全員をいちどきに相手してもよさそうだったが、有限の空間の都合もある。それで、半分くらいの子どもたちは月花に託された。外で薪割り班、である。
「え、えぇ? だいじょうぶかしら」
さすがに集団の子守りまでは予定になかった月花、こばむわけにもいかず、かといって胸をたたいて請け負うこともできず、立ちつくす。うどん作りたさに集合した子どもたちに、代わりに薪割りをさせるのだから、けっこうな大役だ。月花は先日完成したばかりの踏み台を見返る。――あれと同じ、やってみればなんとかなる、きっとそう。
「はい、分かりました」
「がんばってくださいね、私もお手伝いに行きますから」
でも、毒味のできる時間にはもどっていたいです。と、蜜はちゃっかり。
さて。
なんのかんのと、調理を開始しましょうか。まずは火を起こすところから、蜜。火打ち石をとりだしてかちかちと摺り合わせる。あられのような火花――何故だかなかなか火炎とまで成長しない。
「火は、怖いものですから、幸佐ちゃんは間違ってはいませんよ。感謝してきちんとあつかえば‥‥ちょっと待ってください」
待つしかない。四半刻後、蜜が肺臓を困憊させて鼻のあたまも煤だらけにしたあかつき、ようやく轟と吠える熱が完成する。
「ほら、できました。人はやればできるんです。幸佐ちゃんもきっとお料理できますよっ」
趣旨と主張がびみょうに変化している。しかし幸佐はおとなしく蜜のいうことをきいていた。蜜も手際の遅さを照れたように笑った。責める言葉も責められる言葉もない。
お次は、斑。一度流しているから手順は完璧だけれど料理は水物、結果は水面に浮かんでみなければそれとしれない。鉢に小麦粉を充たして、あとは鹹水をそそいでやればいつでも混交をはじめられるというまえ、斑はふと膝をついて、幸佐と視線の高さをおなじくする。
「幸佐さんはお父さまがお嫌い?」
幸佐の父は月花といっしょに外に出ている。だから幸佐は本音を口にすることに遠慮はないはずで――彼は首を横に振った。
「おぉ、そうか。幸佐は父ちゃんが好きかぁ!」
「嘘はついてねぇな? 嫌いなのは料理だけか?」
我がことのように歓喜して幸佐の頭をわやくしゃにする琥珀、斑のまねをして膝を折る佐新。佐新の再度の問いに、幸佐は次に首を縦に振る。肯定。なら安心してこの伝言をいえる。
「幸佐。おまえの父御もおまえのことを好きだぞ」
幸佐の父の言葉で直接教えてやれないのが残念だけど。斑ににらまれながらたしかめたのだ、まちがいない。
「だから、機嫌直してあのお姉ちゃんのいうこと聞こうな? あのお姉ちゃんは怖くないから‥‥いや、たまーにちょーっと怖いけど、そんときは俺もいっしょに逃げ、いや、逃げるのはまずい」
「なーに余計な知識うえつけてるんですか、佐新様」
斑、うどんの生地をこねるまえに、頬という部分の人肌をこねる。もちろん、他人の。そこでどっと起きる、哄笑。
作業再開。力仕事はみんなで力をあわせてがんばるのが、もっとも近道だ。辰沙や都もいっしょに参加する。狭い厨房、押しくらの人だかり、みんな真剣だ。火よりも人のほうが熱い。はふ、と、知らず知らずの辰沙の吐息まで熱っぽい。
「そうや、幸佐様。知ってはります? 幸佐様のお父さまも昔、こんな熱い厨房で倒れはったって」
「それ、私も聞きたいです」
真剣にやらなきゃ美食家は満足させられないかもしれないけど、べつに、それが目当ての催しではないし。楽しくなけりゃつまらない。軽口をまじえながらで、冴刃歌響直伝の手元はたまにおろそかになったりもしたが、どうにかこうにか格好は付きそうだ。こねこね‥‥。
「男も女もうどんも腰が命! こう! 情熱的に、パッションだよパッション!」
そのイギリス語の使用法、たぶん、まちがってるんじゃないかな。琥珀さん。身ぶりまで付属してくれなくてもいいんじゃないかな。が、琥珀の酔狂は、特に幼い子どもたちに受けがいい。まねをするものまであらわれて、しばらくあと、この界隈でごく一部に琥珀ダンスが流行したのはまた別の話。
「負ける」
と、佐新、陰でぼやく。おふざけもよい、生地を妙ちきりんに成形するのいいだろう、とは思っていたが、さすがにあそこまでは開き直れない。父親とはたいへんだな、と思ったが、たぶんあれは別の次元だ。
ちょうどよい硬さになったら、生地はしばらく寝かせる。お次はだしだ。「鰹節と昆布からしっかりとりましょうね」と、削り器を厨房に置くと、幸佐は目に見えて身をひいた。おっと、と、琥珀が幸佐を受け止める。
「びびんなよ。あれ、親父さんの道具だからな」
「ほんと?」
「ほんとって。あれで俺も教えてもらったんだから」
だから、だいじょうぶだ、と幸佐をおしだす。ためらいながらも刃に手を掛ける、幸佐。時間をかけたのち、煮立った湯から食欲をそそる香りが沸き立つ。それは棚雲のごとく、外の月花のところにまでふわりとたなびく。
「‥‥ちゃんとできあがったみたいですね」
「ほんとう。どんな味になるのでしょうか」
こんな味かしら。月花ひとりでは寂しかろうと、零湖は外へ生地を持ち出していた。それを掌のかたちにして前にかざすと、子どもたちはけたけたと笑いはじめる。うん、きっとそんな味。
いただきます、まで、あとすこし。