●リプレイ本文
●往路
冒険者たちは焦らず、徒歩で進む。佐紀野緋緒(eb2245)の調べてきた、危険の少ない通い路を。
が、それは『今』安全であるというだけ。道のはし、黄ばんだ過去の事象。髑髏――ひたすらに小さな。
麦の秋。湿潤な風、遙かな空へ逆巻いた。いつのまにやら緋緒は、右の手首を左の手でまさぐっている。指の引っかける繊維。もう少し力を込めれば、紐はおのずとほどけるだろう。玉の緒の結びはかくももろくて――切れそうに切れず――。
「あ」
と、急に何を思いついたのか。ブルー・サヴァン(eb2508)、足を止め、背嚢をさかさにふる。法衣に霊薬、そして保存食がふたつっきり。地にこぼれて、ものがなしい騒音が空の胃に響く。
「ごはん忘れちゃった」
たしかに、足りない。余分に兵糧のたくわえのあった蘇芳正孝(eb1963)がだまってさしだしたのを、ブルー「ありがとー。お金はあとから払うから」と破顔でむかえ、ぱくつく。正孝はブルーを珍しい動物でもみるように眺めやった。
「ブルー殿は少ない荷物だな‥‥少なすぎやしないか?」
「青クンって呼んで。開いたところには別のものを入れてるんだよ」
ここ、と、ブルーは左の胸を手で(保存食は離さずに)、示す。胸の奥には心の臓、心の臓には魂。魂には記憶。
無意味な休憩ではない。緋緒が選び、ブルーが念押ししたこの道。おそらくは、帰還の際も利用することになる。だからこうして、周囲の様子を再確認してるというわけ。‥‥食べながらってのは、頭脳労働にはちょっとよくないかもしれないが。
紅麗華(eb2477)も、おもむろにブルーの胸部に目を留めると、心底不思議そうに言い放つ。悪意なし。
「そんな小高くもない丘に収められる嵩なんぞ、たかがしれてるだろうに」
「それ云っちゃだめーっ」
シャラ・ルーシャラ(ea0062)はじぃっと自分の胸を見下ろしたあと、なにか物問いたげな視線を正孝に投げかけるが、正孝、応えられるわけもなく、かといって拒むこともできず。梯子渡しの要領、正孝、大空北斗(ea8502)へ目だけで助けを求めたが、北斗にだって(だからこそ)どうにかできるわけもない。伊庭馨(eb1565)はブルーの検討に助言を添えるふりをして、そしらぬふう。伊能惣右衛門(eb1865)はにっこりと古木のような笑みを保って、だけどけっきょくは無言のままだ。
遠くへ踏み出しかけた緋緒は、ここ、へ還る。
稀薄にふるえる虫けらのように・血肉に飢えた妖刀のように・夕刻に響く鐘の音のように。命とはそういうものだということ。知っていた。
●村内
「私は旅の僧だが、このあたりの伝説に興味があってな。少し話を聞かせてくれんかのぅ」
実りを束ねたよな金色の髪、すらりとのびる耳、瞳は野中のいばらの鮮やかさ。
麗華の外見を印象づける要素は、どれもこれもジャパンの民のものとはかけはなれている。旅、という言葉には妙な説得力があった。村人たちは気圧されたようではあったが、特に麗華を不審がるでなく村内へ迎え入れる。
さて、冒険者たちは三々五々と分かれて行動を開始する。
シャラは緋緒とともに、信仰にいくらかの疑問をもっているという若者の説得にあたるはずだったのだが。
「ねこさん、こんにちは」
彼女の飼い猫によく似た体色の仔猫が、路傍、いっぱいの伸びをする。それをしゃがんで興味深げに眺めるシャラは、ひとりだ。
「ねこさん、まいごですか? シャラもです」
後半だけが、正解。抜き足で動き出した猫のうしろを、とっとっとっ、シャラは踵を地につけぬ歩き方で追い掛けた。小さな村だ。とっとっとっ、はまもなく尽きて、シャラより一回り年下と見ゆる男の子が猫を掬い上げる現場に行き当たる。
「こんにちはです」
麗華についての説明が、シャラにもおなじようにいえる。もしかするとその子は、エルフを初めて見たのかもしれない。シャラは‥‥ちょっと困ってしまった。自分はここへ説得に来た、それは分かってる(ねこさんでちょっと忘れかけたけど)、けれど、その始めての相手が幼い子ども、というのは、だいいち話を理解してくれるかどうか。
――あ、いいことをおもいつきました。
「ねこさんのおうたしってますか?」
一節、歌いそめる。男の子はすぐにおぼえてしまったらしい。いっしょになって繰り返す、遠い国の旋律をふまえたシャラの唄は村へ鳥の翼となってひびきわたる。それに呼ばれたか、人影が一人、もう一人、違う方向から。
「シャラさん、捜しましたよ」
ひとりは、緋緒。もう一人は二十歳そこそこの女性。態度から察するに女性はこの子の母親か。ちょうどいい。シャラは男の子と手を繋いで、女性のそばによった。緋緒は女性に向き直る。
「私たちの話を聞いてくださいますか?」
――黄泉人が齎す死は死であって死でない、そのことを。あなたの子を死なせない、ために。
長い歳月――木や岩や星の光陰――を経たのだろう。村の祠はずいぶんと古びてはいたが、丁寧に清掃されて、苔や断裂とは無縁である。
「特になにも見えません」
魔力看破の呪を得ての、緋緒の見立てにまちがいはなかろう。が、それだけでは、暗号、神像等の存在ははかれない。正孝はいらついたように少々乱暴な手つきで、祠を開け放した。途端、黴っぽい封印の空気が冷たく正孝の額や頬をはたくのへ、正孝はつらしかめて手を伸ばす。馨が正孝の肩越しから、ひょいと顔をのぞかせた。
「どうでしょう?」
「これは‥‥」
正孝は云いさして、足りぬと思ったのだろう、御神体をとりだし馨に手渡す。片手で足りる大きさ、木像、意外と重い。それが大した傷みもなく残っているのは、よっぽどしっかりした手入れを重ねてきたからだ。眺めつ眇めつ、馨、推測する。
「阿弥陀像ですね」
仏教の教えを曲解するものがこの世にいないわけではないが、祠を調べるかぎり、異状の形跡はなかった。僧侶である惣右衛門に尋ねればもう少し細かなことまで判明するかもしれぬが、今、彼はここにはいない。
「なんともいいがたいですね。緋緒さん、これは?」
やはり魔力の類はかんじられないそうな。ただの信仰の象徴なのだろう、ともどしかけて、しかし馨は止んだ。これをここに置いていけば村を出てまた元へと還ってくるその日まで、このままになるということになる――それは忍びない。
生きていないが生きている、そういうものだから。
ここはもういいだろう、と、正孝が立ち上がる。不敬を詫びながら、扉を閉める。
「拙者はもう少し村を調べてみようと思う。脱出に役立つものが見つかるかもしれぬ故」
「私は北斗さんたちと合流します」
馨は阿弥陀像をそうっと指でこする。如来の顔は穏やかで、祟りとも怒りともほど遠い。あのいっしゅんの冷気は、きっと、一瞬気をむっとさせただけだろう。
「‥‥阿弥陀仏は死をあたえる仏ではなかったな」
行こうとしていたはずの正孝、なぜか、足を止めて振り返る。あやふやながら、そうですね、と馨は応える。手元から肯定が立ち上がる気がした。
人前で苦しい素振りをみせるのは、みっともないことだ。北斗はわりと単純にそう考える。だから、ただ真剣のみを表に出して説得を続ける。
相対した黄泉人の記憶たぐりよせながら、死のこと、己の死は己の悲しみだけにとどまらないであろうこと。死は惜しみなく奪う、与えるでなく。だが、心を込めた呼び掛けも、長々と続ければ戦闘とそう変わらない疲弊を生む。村の入り口ちかくを陣取った、すでに講演の様相をしてるそれは、徐々に人をあつめていた。すでに何人かは心変わりを表明している。
「‥‥もう少し」
夏のとばぐち。何をしても汗が流れる。北斗はぐいっと額をぬぐった。
「無理しちゃだめだよ」
ブルーが心配そうに声をかけたあと、まだためらいがちの人々をねめつけて、叫ぶ。
「ほらぁ。この子はこんなにがんばってるんだから。ボクだって、四十五歳だけど十五歳の僕だって、がんばってるんだからっ。この子、生きようとしてるのに。それでもキミたちはここに残るっていうの? それなら止めないけど。ここに残りなよ、もうどこにも進むつもりがないなら」
(実質)十五歳のブルーに『この子』呼ばわりされる自分って。
と、ついわずらいかけた北斗だが、そういう場合でないと思い直し、
「おねがいします」
頭を下げる。自分を弱く見せる以外の方法なら、なんでも用いるつもりだった。
「どうして神が怒っていると思うんですか?」
血は吐かない。慟哭は吐かない。北斗が代わりに絞り出すのは、ひたすら疑問。それは神なのか? 許さないものが神なのか? 死を強要するものが神なのか? あなたがたはそれほど悪いことをしたのですか?
「そうですね。あなたがたは怒りを買うような人ではありませんよ」
「馨さんっ?」
「失礼。勝手に持ち出させていただきました。あまりに可哀想でしたので」
場をしずかにみだした馨は阿弥陀仏をかかげてみせる。
「いいお顔をされてます。あなたがたは許されていますよ」
それが、結論。
彼等は、罰を受ける人間でない、と。
最後にしぶっていた村人たちが、阿弥陀仏にみちびかれるようにそろそろと出口へ向かい始める。
「ありがとうございます、馨さん」
「これが今日の仕事ですから。さて、あとは‥‥」
「麗華殿も村長のお屋敷に?」
「せっかくの酒だ。分かる人に味わってもらいたくてのぅ」
では、ごいっしょに参りましょうか。妙齢のご婦人のお相手が、こんな老体につとまるかは疑問ですが。ふたりは連れだって天然の生け垣をちょっと整えてやっただけの門をくぐる。
神楽出流の言い分では、この国の神様はお酒がお好みらしい。もちろん大勢の人も好きだ。冒険者たちが村へ入ったときと同じように、村長はあっさりとふたりを迎え入れた。
「あなたがたの神、黄泉人についてお話しさせていただいてもよいですかな?」
惣右衛門とそう変わらぬ年齢であろう村長は、惣右衛門に、どうぞ、と云った。惣右衛門は特別な修辞をならびたてることもなく、ただ見たまま、聞いたまま、感じたまま、を枯水の局地で語った。黄泉人にともなう悲劇、恐怖、憎悪。黄泉人は死人憑きを生むこと。旧い夢を語るように、淡々。村長も淡々と聞き流す。
「知っております。こんな村でも噂は流れてきますから」
「では、そんなものを信仰するに足る伝説やら言い伝えやらがあるのか?」
責めているわけではない、と麗華は後置きして。ただ知りたいだけだ、見聞を広げるたねとなろう。
村長の披露した話は、世界中のあちこちによくある祟り神の話に、ジャパンらしい変奏をまじえたひとつにすぎなかった。ちょっと退屈。自分で訊いたことながら、最後のほうになると、時折まじる難しげな単語に、麗華はこっそりあくびをかみころしはじめる。反対に惣右衛門は熱心な表情を最後までくずさなかった。
「その話しぶりですと、あなたは心の底から黄泉人を信じておられるようですじゃ」
「子どものころからずいぶんと長く祖母に聞かされてきました。私の祖母もまたおなじように祖母から聞かされてきたのでしょう」
だから信じる、と彼は云った。伝統・歴史をよすがとする愛着。惣右衛門にも感ずるところがないわけではない。では、どこを端緒として斬り込むべきだろう。
「黄泉人がこの村へ来るまで、漫然と過ごすわけでもなかろう? 備蓄などはあるのかのぅ?」
ある、と答える。そこ、と。袋に全部詰めてある。麗華は立ち上がり、示された方向へつかつかと近寄る。
そのとき、彼女がとった行動は、
「‥‥下手にこんなものがあるから」
生を誤解するのだ。死とまったく同一の等価だと。
麗華はぶちまける。米、麦、稗、粟――雑穀がざらりざらりと、黄金の音をさせてこぼれる。桶にあった水をかける。保存が可能なのは、水気からなるべく離しているから。梅雨の時期。これではもう、長くは保つまい。
「さぁこれでどうされるのだ?」
が、それは、
村長はひどく哀しい目をした。年寄りのものとは思えぬ、愛しい玩具を毀された子どもの、それ。
「それは‥‥私たちが心を込めて作った米です。あなたの持ってこられた酒も、そしてあなたがたがここへ来るまでに口にされた食物も、もしかしたら私たちが作ったのかもしれません」
それは――ひとつの寄る辺をくずし、もうひとつの寄る辺――黄泉人へ近寄らせるきっかけを誕生させたのだ。
「私たちは村百姓。この梅雨の時期、田畑を放り出さなければならぬのは、身を斬られるよりつらい。そして、それを味気なく無駄にされることも。でも仕方ありませんね」
はっ、と麗華はあとじさる。
「あなたがたを責めることはしませんよ。お気持ちは分かりますから」
けれど、受け取ることはできません。もうお帰りください。
言葉だけで二人を拒否した村長が庭へ下りると、また新たな冒険者に遭遇した。脱出に役立つ道具を探していた正孝が、それの充実しているだろう村一番の邸宅に寄ることは当然だった。勝手にもちだした荷車引いた正孝へ、村長は慈愛の笑みをやる。
「持って行きなさい」
「どうやって返せばいいのだ?」
「持って行きなさい」
頑とした言い分。年齢のもたらす、迫力。
「そしてあなたがたは、生きてください。こんな老いぼれなぞいても邪魔になるだけでしょうから」
太陽の傾きが時刻の到来を告げる。
●帰路、そして
がた、がた、がた。馬に引かせた荷駄が小石に当たって揺れる。脱出行は準備が完全だったこともあって、なんの滞りもなかった。順調――本当に? 正孝は考えざるを得ない。人を欠いて、なにが順調か。
「後悔しておりますか?」
「あぁ。力ずくでも連れてくるべきだったか」
「ですが、そうやってもめてるあいだに、この道にも亡者の軍が侵攻していたやもしれませぬ」
そうすれば、脱出行はもっと苦戦し、被害も増えていたろう。惣右衛門の言い分も分かる。けれど。
シャラが唄を教えた男の子は、それが気に入ったらしく、何度も何度も口ずさむ。気丈にしていたシャラの口許がだんだんと重くなり、ついにつぐんだのを見ると、これでおしまいと思ったのか、
「おじいちゃんは?」
と、母の袖を引っ張った。
シャラは、シャラは命はただ大切だと無邪気に云いきるシャラは、あんなの神様じゃないよぜったいに、と、
泣いた。
こののち。
畿内の方々で、一部民衆のなかに黄泉人へ流れる徴候があらわれはじめる。この事件がどう影響したかあるいはしなかったか、それに判断をくだすは後世の物語作家の仕事だろう。
脱出人数‥‥村民二十五名中、二十二名(村長、村長の妻、彼の親友が村に残る)。