●リプレイ本文
●角のない唖像の狛犬は、ほんとうは獅子なんだって。
「ししってなんですか?」
シャラ・ルーシャラ(ea0062)はみぃ、と小首を傾げる。雪白の髪をかぶせた頭ごと落っこちてしまいそうなシャラの仕草は、あどけなく、いじらしく、阿須賀十郎左衛門暁光(eb2688)は青眼というには世俗の濃い――それが証に、ほら、菫色にもなる――瞳を細めた。
耳順と呼称される年齢になろうが、頼られて悪い気はしない。シャラのような稚児となればなおさらで、十郎左衛門暁光の舌は聞きかじった半生な蘊蓄を滔々燃してゆく。
「獅子とはな。拙者のように神皇家に忠義をちかった武士‥‥ではなくて(←「志士」)。遠い大陸の『らいおん』なる獣に酷似した生き物のことだ」
「がおーですね」
がおーってなに? と、それを知るさきに、七枷伏姫(eb0487)にはたった今、どうしても、尋ねなければいけないことがある。
「あのー。たまひよこっこはそろそろ切り上げて、こちらをてつだってもらえないでござろうか?」
鉄槌をふるう腕には棒をわたしたよな筋の張り、にぎる指には行き場をなくした脂汗、幾度めかの振りかぶりが『何事もなく』浅めに終わったことを祝う寸暇すら伏姫には残されていない。一介の石像であるとは思えぬ身軽なこなし、狛犬は蘇芳正孝(eb1963)の矢先へ跳躍したかと思えば、花崗岩造りの爪で、正孝の素襖に裂け目を掛けようとする。
それを棒術の応用で、なだめるように石突を廻しながら、正孝、跳ね退りをくりかえして、己の間合いに行き着く。いくら相手の意を懸け違えるのを得手とする北辰流といえど、そればかりでは真価のよるべもない。
伏姫にしたっておなじだ。守よりも攻を重んずる性格に柵をかけてまでの、連続かつ只管の牽制。心情もいいかげん弱ってくる。いっそなににも気兼ねせずに鎚をぶちかまして、こう、こう、いいやそんなことはまだしない。調査にでかけたものたちがたずさえる、報せを耳にするまでは。
――‥‥だのに、
「すまぬ。シャラ殿に、狛犬とは、と尋ねられてな。つい解説に力がはいってしまった」
「そうです。じゅーろーざさんはわるくないです」
「「それはもう分かってるんで、おねがいしますから、手伝ってください」」
伏姫と正孝の偽らざる本音、が、期せず累なり響く。
や、十郎左衛門暁光(「暁光」って略していい?)だってシャラだって、もちろん悪気があったわけではない。シャラは狛犬についてあれこれお勉強したかっただけ。
でももう、だいじょうぶなんです。
シャラは竪琴を手に、羨しい胸を張る。こまいぬのこともわかったから、シャラはおうたをうたうんです。イリュージョン。つちががらがらっておちてくるまぼろしをつくればきっと‥‥あれ?
「ふぇ?」
狛犬はシャラの唄にも幻にも感銘を受けた気色なく、硬調のたてがみを逆立てるのを未だやめぬ。狛犬は形而下のみの存在だから、精神系の魔法は効果がない。シャラのまなじりに、みるみるうちに涙があふれ、弓なりに流れる。
「ふぇえん、ごめんなさい」
「いいや、シャラ殿は悪くない。シャラ殿の魔法にかからぬほうがだんぜん悪い」
「「だから。ほんとに、ほんっとーにっ、てつだって」」
伏姫と正孝の、再度の、重唱。上の年齢と下の年齢の板挟みで、苦労しますね。
暁光は言質を実証した。しつらえた水晶の剣を寝かせて、シャラめがけた狛犬の陣をはばむ。山椒の実のよにぴりっと腰にくる圧痛。踏み張る足が喘ぎをあげて、短くすべる。こりゃたまらん、とは思ったが、若人を前にして音を上げることの悔しさよ。奥歯を噛みしめ、ただただこらえる。
それでも、斃すだけなら難しくない相手、だったはず。ここまで苦戦するのは、いちずに防衛に徹しているのが理由だ。だが、きっとなんとかなる。もうすぐ、彼等が来るはずから。
と、
「待たせた!」
緋霞深識(ea2984)をかしらに四名、狛犬が動き出した原因を調べに行ったものたちが、馳せ付ける。伏姫の面立ちに、ゆるりと愁眉が開かれた。
「どうでござったか?」
「さっぱり!」
おい。
結論をずるずると先延ばしにされるよりは全然いいが、爽やかすぎて、身も蓋もない‥‥。
「やはり、破壊しなければならないということでござるか」
奇しくも精神の欠如はシャラの魔法で立証されてしまったわけだが、しかしまた、狛犬のこれといった落ち度も見つかっていないのだ。かわいそうだけれど。伏姫が鎚を打つ体勢に腕を大きく前へ伸ばしたのをしるしに、合流したものたちも合わせて銘々が得物を、経文を、かまえた。人でつくられた弧が狛犬を中心としてだんだんとせばまり、それが大きな力で押されたがごとく、一時に収束する。
が、やはりためらいがあったのかもしれない。
踏み込みの半端さを、伏姫は自覚していた。正孝は柄にかかった負荷の小ささを認めた。暁光の水晶剣はびりりと濁りを多く、哭く。
彼等がすっかり立ち位置を入れ替えたときも、狛犬は呆然とそこに立っていた。
まだやらなければいけないのか? 彼等は狛犬を見据える。が、狛犬の瞳からはすでに鬼気が去っている。胴に走った血のない傷をそのままにして、狛犬はのたりのたりと這うようにして移動する。そして、彼の家らしき台座へもどると、闘技のときとよりよほど重く息をつき只の石へと体を還す。
「こまいぬさん、なおったですか?」
「ふむ、きっと、シャラ殿の唄に改心したのであろう」
「だな。だから頼む、もう泣かないでくれ。拙者がどうしていいか分からん」
「正孝殿まで、ついにそっちに行ってしまったでござるか」
なんだか予想以上に、いや、予想以外のことを中心に、旗頭というのはたいへんなものでござる。伏姫は肺腑をひっくりかえすように溜息をついた。できれば自分だって、あっちへ参加したいやい。
●そんで、もう片方のが正式な「狛犬」。雄・雌と区別は正しくないらしいよ。
「まったく分からなかったわけでもないんですよ」
字冬狐(eb2127)、我ながら言い訳じみてるとは思ったけれど、ほんとうのことだ。なるべく素直に言葉を継ぐ。
「あの狛犬たちは、本殿よりもかなり奥まったところに設けられていたでしょう? その理由を宮司さんにお伺いしたんですけれど、」
さっさと狛犬の場所にむかった伏姫たちは、ただ妙を感じただけだが、冬狐の云うとおりだった。まるで人の来ないような――いや、来訪を拒むような雰囲気すらある大きな杜を背景に、小さな社と中くらいの狛犬が、絵巻物の風景のように落ち着けていた。
紫煙をくゆらそうとして、藤城伊織(ea3880)、一瞥を狛犬たちに流す。淡い煙に顔をしかめることもせず、狛犬たちは自然の石の冷たさを保っていた。伊織は背をずらし、狛犬たちに煙の向かない方向を模索する。他のものにまかせた説明を、初めて聞くような顔をして見守った。
「もともと宝物殿を護るための狛犬だったそうです。ただ、その狛犬の警備を解除するための呪文だか呪式だかがとぎれて、もう十年近く、誰も近づけなかったみたいです」
「が、どこぞの莫迦が、なんの考えもなしに近づいたようじゃな。小心な物取りのたぐいであろうが、社にめだった跡が残されていないところからして、おおかた何も盗らず狛犬に驚いて逃げ帰ったのじゃろう。しかしいったんはずされた狛犬のかけがねはなかなか戻らず、使命にあてられた拠守の場からすら逸れかねるまでとなる」
そして、黒虎部隊へ要請を送らねばいけないまでになった、と。紅麗華(eb2477)が澄まし顔で、話を止める。
とすると、吽像の狛犬の不動の理由は去った敵を追わなかったというだけで、たぶんこちらが正常の動作なのだ。いくつかの損傷のすえに、唖像は正気をとりかえし、還った。状況証拠からの推測だが、たぶん、そうまちがってはいないだろう。
社に手を出しさえしなければ、狛犬は動き出さない仕掛けのようだ。深識は安心して、吽像の狛犬のぐるりを歩いてそれを見定める。狛犬はつれない彼女のごとく、じっと身を凝らしている。ためしに深識が恐ろしげな前足をぽんと張っても、それはなんでもない巌を保っていた。が、深識は派手に息を呑む。
「こ、これは?! ‥‥まったく、分からん」
似たようなノリが二度めともなれば、殺意もたなびく。物騒な沈黙をひしと感じ、深識はあたふたしながらとりつくろった。
「こういうのって趣味やら流行やらに左右されて、これと決まった様式はないんだよな」
「要するに、基本型から大きくはずれていねぇってことだな」
吐き出す煙に遊蕩をただよわせながらも、伊織の意見はするどい。深識は「今日の俺は隊長だぞ‥‥」とさもしいあがきを残す。悪戯げにほころんだ冬狐は声をつくり「緋霞た・い・ちょ・う・さ・ま」と呼び掛ける。緋霞・鏡夜とは、本日より三日間の深識の別称だ。たとえば麗華は「くれない」になる。
「隊長様、狛犬の傷って修理できると思います?」
「他人のいないところで、たいちょーさま連呼してくれるなよ」
でも、悪い気はしないのだけど。
「かなり高つくけど、金泥でも塗っときゃかたちは整うんじゃないか? どこかに頼んでみるか」
それを聞いたシャラの表情が、星でも降ったようにぱぁっと灼爍する。それへなにより肩を撫で下ろしたのは正孝だ。このあと三日間も涙に付き合わされたのでは、正孝の神経は焼き切れかねない。くれないこと麗華は、重苦しい半首と鬼面をはずし、ふぅっと平和へ穴を開ける。
「黒虎部隊として行ったみたいところがあるのじゃが、付き合ってくれるかのぅ。隊長」
「かまわんが?」
●黒虎がいるなら白虎がいてもいいんじゃない? そして「ふたりはプ(ふっつり)
洛中を肩を切って颯爽と歩く。記憶より馴染みの狩衣とことなる肌触りは、面映ゆい。今にも心地がほどけてしまいそうで、冬狐はひきしめとにやけの二面相にせわしない。これではいけない、と彼女は気を張る手立てに、深識へ会話をもちかけた。
「このまま御所の神皇様の間へ昇殿‥‥は無理ですよね」
「ちょっと、な。神皇様であろうと、たとえ黒虎部隊のまえにだろうと顔を出すのは緊急時ぐらいだろ」
「それは承知してるのですけれども‥‥」
でも、あぁ、一度でいいから、あの烏帽子の下のかわいらしいであろうあたまをなでなでしてみたい。ほっぺたをふにふにしてみたい。膝枕をしてあげたい。そして、おしまいには、ぎゅっと、ぎゅーっと。
――‥‥それは、自主的イリュージョン。
「隊長ってじつは貧乏くじの当たり役じゃないのか?!」
深識、うっとりと己を抱きしめる冬狐をひきずらなければいけぬ段になって、隊長服を着られたからといってホンワカしてる場合じゃなかったことを、かつがつ悟った。つまり、伏姫がわりと早い段階で知った現実。半首の鬼面は心を鬼にしなければやっていけぬ、そういう意味なのかも。
「ここじゃ」
麗華が案内したのは京の一角。
って。
「黒虎部隊の詰め所‥‥。なあ。やばくないか?」
「心配いらぬ。私らも今は黒虎部隊なのだからな」
といっても、生粋のジャパン人のそろう黒虎部隊のなかで、麗華の稲穂色の髪はやっぱりめだつのだけど。まとめきれなかった髪の一筋をふりあげて、麗華は神も妖もおそれぬ風情で、たったひとりそこへ入ってゆく。深識は救いを求めるがごとく伊織に目を移すが、
「だいじょうぶだろう? 俺もちょっともぐってみるわ」
「おい」
深識は迷ったあげく、外で待機することにした。冬狐がまだ夢から醒めておらぬ、これを持ち込むのも置いていくのも懸念のしどころ。
深識の内心。誰か俺に精神的危険手当をください。
――さて、深識たちの待ち時間を、もうひとつの黒虎部隊を描写にあてよう。
「そういえば、シャラ殿の寸法にあう黒虎部隊の服がよくあったものだな」
「あのですね。夏沙にーさまにおなおししてもらったんです」
「それは先程の戦闘中、青くなったり白くなったりしてシャラ殿を見守っていた御仁かな?」
「はい、そうです」
「あぁ‥‥気持ちがいいものだ。そうだ、シャラ殿にはこれをあげよう。さっきそこで買ってきた菓子だ」
「わーい、ですー♪」
まったり。
狛犬と対峙しているあいだこそふんばってはいたものの、暁光の腰痛は激痛といっていいところにまで悪化していたらしい。さすがにそんな彼をひきずるのも悪い、と例の神社の一室で、シャラは十郎左衛門の腰をもみ、伏姫と深識は祀られた奥深い緑を眺めて、目と心を涼めていた。
「正孝殿はその格好でどこか行きたいところはあるでござるか?」
「いや別に‥‥。あぁ、黒虎部隊が人手不足というならそれをてつだうのもよかろう、と思ってはいたが」
「拙者も同意見でござる。断られるかもしれぬが、声をかけるぐらいはしてよかろう」
「ところで、話を転換させてもらう。さりげなく、気付いてしまったのだが」
深識は、ひそ、と声をひそめる。
「シャラ殿が勝手に黒虎部隊の服をなおしたという、あれはいいのか?」
「黙って返しておきゃ、分からないでござるよ」
これは義理とはちがうから。たぶん。深識より一足先に、責任放棄のありがたさにめざめた伏姫だ。
もうひとつの部隊は黒虎部隊は、なんちゅうか、もう。
冬狐の夢見る瞳が時をおって現実の黒い瞳へなる頃合いに、麗華が入ったときとおなじような心得顔で出てくる。ただし、うしろから雑巾ひきさく怒号をひきつれて。
「‥‥なにをしてきた」
「黒虎部隊がなにを食しておるか、興味があってな。厨房へ行こうとしたのだが、これをやるからもう来るな、と追い出されてしもうたんじゃ」
「それ、悪戯小僧に菓子やって追い返す原理とおなじじゃあ」
「保存食じゃな‥‥。ふむ、もったりとしてそれでいてひじょうにしつこく、しかも不味い(もぎゅ)」
「はやっ。喰ってる?!」
「御菓子‥‥。神皇様とおまんじゅうを分け合いっこ‥‥きゃ☆(歓声)」
「こっちは元の黙阿弥にっ?! きゃ☆(悲鳴)」
おさまったと思った怒号に地鳴りがもう一つ。それをきっかけにして出てきたのは、伊織。
「麗華嬢が黒虎部隊に追われてたようだから、いっしょになって追われてみた。さすが、黒虎部隊。足もきっちり鍛えている、よい修練になったぞ?」
「おまえらじっとしてろーーっ!」
さすがにこんなことのあとでは、黒虎部隊が彼等の協力を受け入れるわけがなかった。冬狐(やっと完治)の案により、おとなしく市中を見回ることにする。暗躍がおもな黒虎部隊であるが、黄泉人騒動による大事だからか、それほどめだつことはなかったようだ。火付け騒ぎも二度めはなかった。その後、ちゃんと無事に解散。おつかれさまでした。
ところで。
深識は寺院に精神的重傷を申請したが、当然、受け入れられなかったらしい。南無三。