家族の肖像
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■ショートシナリオ
担当:紺一詠
対応レベル:2〜6lv
難易度:普通
成功報酬:1 G 69 C
参加人数:8人
サポート参加人数:3人
冒険期間:07月06日〜07月11日
リプレイ公開日:2005年07月14日
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●オープニング
麻布の擦れる音をさせて、小糠雨、京の町に降りこめる。七夜月の始めの雨は南の悲劇を悼んでの涙か、都にすらすさびはじめた邪気を清めんがための閼伽か。
「自信が‥‥ないんです‥‥」
彼女は、ギルドに依頼をもちこむものとしては、少々変わった出で立ちをしていた。否、天と地の交合であり祝福であるそれを、異変呼ばわりするのはおかどちがいというものだ。腰掛に座した彼女は、しかしそれでもなんとなく苦しげ。目立つ下腹部のぷっくらとしたまろみ。――‥‥一人でありながら一人でない、彼女。
彼女は外的事象としても、ひとりでなかった。だいたい同年齢とおぼしき男性が、介添えとして従っている。その男性が、口ごもった彼女に代わり、端的に事情を説明した。
「俺たち、もうすぐ祝言をあげることになっているんです」
あぁ、つまり俗語であらわすところのできちゃった結婚、などと気軽にちゃかせる空気ではなさそうだ。今日のお天気以上の鈍色、暗く。会話の進行はかつかつで、しかしその場にいる誰もがせかすような真似はせずに、彼と彼女の好きに任せている。
「けれど、彼女このところ毎日こんなかんじで。なにをやっても心が晴れないみたいで」
「あたし、親なしなんです。いいえ、頼れるような兄弟も親類もまったくなしで育ちました」
やっと決心が付いたのか、彼女が重い口をひらきはじめた。
「それでけっこうな苦労もしましたし、ずいぶんやくざなことに手を染めたこともあります。ずっとそんなふうに生きていくんだと思ってました」
息継ぎ。
「‥‥だから、今、が怖いんです。こんなにいい人に添い遂げようと云ってもらえて、子どもまでさずかって。全部、夢みたいで。夢から覚めるのが怖くて。なにもかも信じられなくて、幸せが幸せだと感じられないんです」
「俺は心配ないって云ってるのに。考えすぎるんだよ、糸は」
依頼人の彼女の名は糸、男性の名は桂助。これ以上はなにを語ればいいか分からなくなった様子の糸をなだめて、桂助は再び長く切り出した。
「たぶん、彼女は俺たちがなるであろう『家族』が怖いんですよ。ひとりで生きてきたものが家族を知らないのは当然で、知らないものに恐怖を感じるのもまた当然でしょう? だから彼女に家族というものがどんなにいいものか、そして温かいものか、教えてあげてくださいませんか?」
すいません、己の無力をさらけだしてしまい。けれど、彼女が一歩を踏み出すきっかけを作るのをてつだってください。それだけでいいんです。もちろん、あとは俺が引き受けます。
依頼人、ではないはずの男が、深々と頭を垂れる。
●リプレイ本文
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空をひそませ地をくぐもらす遣らずの雨が、しぶいている。京をふさぐ湿気は遠近感をひずませて、外出の気概をうつろに刮いだ。
どうしよう、が円にわだかまる屋内にて、姿なきひだるさをうがつのは、はきはきと、堀田小鉄(ea8968)の第一声。
「お腹に触らせてもらってもいいでしょかー?」
保護者の片桐弥助のぎょっとする顔を後目に、小鉄はあどけなく糸に尋ねた。糸は少しばかりとまどってはいたが、けっきょくおずおずながら小鉄の頼みを受け入れる。突撃せんばかりに肩をいからせた小鉄だが、弥助の耳ひっぱりの刑でいけないことだと知って、深呼吸で己をなだめてから、桜貝でもひらうようにそうっと、それへてのひらをあてた。
「あたたかいですー。ふくふくしてますー」
「あんま押すなよ」
「はぁい、ですー」
弥助が忠告するやさきに、狩野琥珀(ea9805)はほとんど心配のあらぬ表情で小鉄を諭した。思ったとおりの晴れやかな返答に、うちの息子もあんなときがあったなぁ、と年期のはいった感慨にふける。天青くんと小鉄くん、同じ年齢なんだけど。懐かしむついでに、その、天青の肩を心持ち――どころか鷲掴みににして抱き寄せる。天青は不機嫌な顔を隠そうともせずに、しかしけっきょくはされるがままになっているが。
年輪めぐらした瞳で莞然つくり、糸たちと琥珀たちを見比べる、伊能惣右衛門(eb1865)はなにを想っているのだろう。それはいつかののなんでもない朝焼けだったり、実りにたわむ稲穂の黄金だったり、雪解け水の淅瀝だったり――つまり終わった過去だ。いろどりあざやかなおもかげに意識をうばわれること、寸刻。ふたたび外界にひらけた惣右衛門は、ぎこちなく寄り添う糸と桂助にあたたかくまなじりを下げる。
「なにはともあれ、おめでとうございますじゃ」
人生のことほぎに贈られる言辞は、麗句である必要はないのだ。好事は加えられて足されて増すための容れ物だから。序からなみなみと注いでは、すぐにあふれてこぼれてしまう。ならば肝心なのは、器のほうだろう。母体――命をおさめる鞘に入りかけた罅をうめるため、惣右衛門の言は、むしろ乾いている。
「どうでしょう、今までの暮らしをもう少し詳しくお話し頂けませぬかな」
あてがったままだった小鉄の手の窪が返されそうになるくらい、大きなわななきを感じた。伊庭馨(eb1565)が桂助に退室をうながし、藤城伊織(ea3880)はとっくりを肩から提げて二人を追う。もともと窮屈な場所だったせいか、三人がいなくなったとしても、隙間がへんにだぼついた。いや、それはほんとうに空間的な変転だけが問題なのだろうか。イツキ・ロードナイト(ea9679)はぼんやりと、密度を思う。
「お気を悪くされてしまいましたかな」
惣右衛門の謝意を、糸、ゆるゆる首を横に振り、
「いえ。一度、余所の方にじっくり聞いてもらったほうがいいのかもしれません」
さて、それを逐一述べる必要はないだろう。小鉄にはたやすく想像のつくことで、イツキだったらそのとき傍にいればぜったい手をさしのべたにと悔やむ、そういう内容。疲弊と諦念と失意とが一から十まで支配する黄昏。
イツキは矢をもてあそぶことで手持ちぶさたを解消しながら、彼女の話に耳を澄ませる。ひっきりなしに回転する矢は少々物騒な風車にも見える。とどの詰まりまで聞き終えたとき、矢のむきは自分自身を指していた。
「僕は兄弟姉妹の多いなかで育ったから『家族が怖い』って感覚はわからないけど‥‥『終わりが怖い』というきもちなら分かると思う」
矢が落ちれば、カラン、と軽い響きが場をつんざく。落とした。とりあげる。
「人間同士だもの、はじめからうまくいくわけがないよ。いろんなことがある。思うことを伝え合って、お互いを理解し同じ道を一緒に歩む。少しずつ前に進めば良いよ、焦らずに」
また落として、とりあげて、くりかえして、何度でも。カラン、カタン、とそのたびに矢はきしむ。やりすぎれば、折れてしまうかもしれない。けれど、それがとてもたいせつな仕事であるように、イツキは累ねる。地に着くたびに異なる方向にむきかえる矢、拾い上げるとき修正する。
この世の物事は、これくらいにはあっけなく進まないが。
「‥‥僕はそう思うよ」
「えっとー、糸さんは桂助さんと結婚したくないんですかー?」
すっかりお気に入りになったそこから手をはずして、小鉄は問う。云ってから、だいじょうぶかなー、と、んんーと背をそらして保護者の顔色を窺ったが、制される気色はないから、まだ続ける。
「僕もね大陸で孤児だったんです、でも堀田家の人に拾ってもらって、今とっても幸せですー」
こんなに。両腕を伸ばしきっても、まだ足りない気がして、短い距離を右から左へ走った。で、埃を立てるな、と今度はしかられた。
「‥‥こういうこともありますけどー。でも、幸せですー。きっと人生には幸福と不幸の絶対の分配って決まってて、きっと糸さんのは今からはじまるんですよー。それはずっと続いて、また不幸がはじまることはなくって、なんでって云われても困りますけどーえーとえとえっと」
んー、と自分で自分の言語に発熱しかけた小鉄の頭、かぶすように、ぽん、と繊維が載せられた。琥珀だ。
「ま、うだうだ考えてばっかじゃ、詰まってくるわな。どうだ、おしめでも縫ってみるってのは。縫い物はいいぞぉ、一針一針ちくちくってやってるうちに実感がわいてきて」
「ああ。それはいいんじゃないんかな」
イツキは気軽に賛同した、いろいろに手を染めてはみたが裁縫はさすがに守備範囲外だ、好奇心がそそられる。僕も、僕もてつだいますー、と小鉄。また糸の腹にてのひらを戻している、あ、ちょっと動いた。ぴくって。
「えへへー。この子のですねー。糸さん、お母さんですねー」
決まりだな、と琥珀は指を鳴らした。
「おい、天青、ありったけのサラシ持ってきてくれ。‥‥あ、ちょい待ち。こんなところにいいもんがあった。薄絹の単衣つってなぁ、神皇家御用達の紗らしいけど、よう分からないから使っちま」
蹴られた。息子に。
●
雲居に星が懸かりはじめるころには笠もいらぬくらいの小止みとなった。足元の悪さもこれくらいならば許容の範囲。和泉琴音(eb0059)は糸を誘う。
「すこし散歩でもいかがでしょうか」
視線をちらと横へ配る。馨と伊織がまだ桂助を囲んでいる、こころなしか温度が高まっているようだ。ああいうときの男性は童心にかえったようでかわいらしい。
「男の人同士はなにか秘密のお話があるようですから」
「ちょうどいい」
と、交じってきたのは蘇芳正孝(eb1963)。たった今外から帰ってきたばかりの彼、捌き髪が蜘蛛の糸のごとく濡れそぼっている。
「ぜひ行ってほしいところがある」
「遅くありません?」
「約束はとりつけてきたから、心配はなかろう」
そういう意味ではなくて、こちらに心配はないか、という意味であったのだけれども。阿須賀十郎左衛門暁光もいっしょに付いて来てくれるというし、それほど気をもむ必要はないかと思ったら、
「糸殿。おぶろうか?」
正孝も漫然とは分かっていたらしい。適度な運動は薬になりますよ、とたしなめながら、琴音は嫣然とほほえむ。正孝は(「も」というべきか)十六歳だと聞いた、それでこの心遣いができるなら立派だと思って。正孝は琴音の思惑を知らず、罪悪感に似て非なるところを琴音の笑みに刺激され、あ、あぁ、とくちばしがこもる。
「若いんも若くねぇのも、連れてったからな。万が一の悪さぐらい、はたけるって」
酒が入れば陽気になる人間は多々いるが、伊織は酒の前に立ち上がる芳醇を嗅ぎつけただけで、気分のひろがる性分だったらしい。云ってることは本心なんだけど。
馨の顔がほころんでくるのは、空気がよいから。珍酒「化け猫冥利」に必要以上にこだわる琥珀、彼をどぶろくで釣り上げようとする伊織。あれはまったくの他人です、というふうに容貌つくろって、馨は円座をつくる。安物のつまみを、適当にみつくろってくる。
「腹を割って話し合いましょうか。糸さんのまえではけして云えない本音や不安もあるでしょう? さっきの糸さんのようにね、口に出すだけで心は軽くなるものです。余計な重みは捨てて、これからのために必要な重みをとりいれましょう。糸さんを安心させる言葉などをいっしょに考えてみましょうか?」
それでちょっとした宴の模様なんだけど、でも、酒精というやつはすぐに蒸発してしまうのではないかなぁ、などとは考えないでおく。
「糸様のお気持ちはとても自然なことです。私もそうでした。‥‥私にも身寄りはありません、」
糸もそうだったけど、正孝も真摯に琴音の話に耳をかたむけた。剣術や漢学よりよっぽど入り組んだ教育を受けているようだったが、とにもかくにも言葉じりのひとつも聞き漏らすまい、と身体を巻き貝のようにかたくして付いていく。
語る琴音はまったくの自然体。夜風のまんなかへほどけそうになるほどに。玉になった水滴が、ときおり、裾にまで跳ねてくるのをかえって楽しむように、月影と戯れるようなふうに歩く。ぴん、ぴん、としたたりのなかでちぎれる月の光。暁光はただのっそりと、彼等から目を離さず、しんがりを行く。
「今の家へ奉公に上がったのは、七つのときでした。若様にはたいへんよくしていただきました、楽は奥様からならったものです。‥‥病弱な方でしたから、すぐにはかなくされてしまいましたが。その後、のぞまれて後妻となり、二人の子どもまでさずかりました」
だから私は先の奥様ふくめ、五人分、幸せにならなければ。
琴音の言葉はつばめみたいに道をすべってゆく。途中で向きを変え、また返ってくる。つらぬかれる。そして、またどこかに飛ぶ。それぞれの胸のうちで反覆される。
糸は十八で、桂助は二十一。出会いはまったくの偶然だった、蕎麦屋で席が近くなり‥‥。
「いい邂逅してるねぇ。夢みたいだ」
伊織の冷やかしに、桂助は本気で照れる。赤面のいきおいで空になったおちょこに、伊織は桂助の意見もとらずにおかわりを注ぐ。二度や三度ではおさまりきらぬ数、彼はおなじことをやる。
「糸さん云ってたけど‥‥『今』が夢みたいだってな。こういうものかねぇ」
と、煙管から吐き出す煙が、いっしゅんの群雲をきざみ、拡散する。傾奇を自負する伊織は、ことその手に関しては、器用だった。片手で煙草をふかしながら、もう片方の手でとっくりやらひょうたんやらをきれまなく回す。馨が呆れて注意をさしはさんでも、それが矯正される気配はない。
「それをいうなら生そのものが夢みたいなもんだな。消えることがさだめの泡沫、なら今を楽しんだほうがいい。馨はどう思う?」
「どうでしょうねぇ。どうせなら、なにか残してみたいとは思いますが」
「子どもとか、か? いるのかい?」
「どうでしょう? さしあたっては、伊織さんが大きな子どもみたいなものかもしれませんよ。あぁ、ほら、散らかさないでください」
「しみったれたこと云うない。ちゅー公にくれてやってんだよ」
いつのまにやら伊織の隣で相伴にあずかる齧歯類。なにしてんだか、と、しおれる馨に、酒気にまみれた琥珀は盛大な勘違いを起こした。
「そっかあ、伊庭さんは俺と子どもがつくりたかったのかぁ。けど、俺も伊庭さんも男だし、しっかたねぇな、ここはなぐさみに接吻だけでもやらにゃ」
「はい、プラントコントロール」
正孝が案内したのは、悲田処と呼ばれる施設だ。寺院などに併設され、身寄りのない老人や孤児などを世話するところ。もう大概のものたちは寝入っていたが、なかにどうしても寝付けないものたちもいる。原因のほとんどは痛みだ。体にしろ、心にしろ。
「糸殿には今更だったろうか」
正孝、ここまで来てからしまった、と思ったのだ。糸は今が幸せだと云った、それは見方をかえれば、過去にいくらかなりと嫌悪をいだいていることの裏返しでもあったのだろう。糸の生い立ちからすれば、この手の施設に厄介になった可能性は高い。
が、彼の後悔とはべつに糸の目は食い入るように、悲田処を見据えている。
「ここは嫌いです」
やはり、と肩を落としかけた正孝、けれど、
「嫌い、でも‥‥。あたしはこの子たちすべてをひきとるには力が足りないけれど‥‥おなかの子は幸せにできますか?」
「できますわ、きっと」
云って、少し軽かったかしら、とは思ったが、琴音は請負を続ける。
「桂助様もごいっしょですもの、きっとよい家庭が築けますわ」
時間が時間なので、長居はまずかろうということになり、早々に立ち去ろうとする。が、
「ですが、そのまえに。ここの皆様にご迷惑をかけたお詫びに、一曲だけ‥‥。子守唄を」
笛では音が高すぎるので、三味線をとった。子守唄だが、唄はない。旋律が静寂にからむ、それは玉の緒つなぐ糸のように、琴音のつまびいた音曲はごく短かなものだ。
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「申し訳ありません。桂助さんを酔い潰してしまったようです」
「わたくしが付いていながら、申し訳ありませんなぁ」
しっかりと夜更けである。
伊織の調子は、さすがに早すぎた。桂助だけでなく、琥珀も小鉄もイツキもうでんうでんになっている。ちなみに琥珀とイツキは伊織に捲き込まれただけだけど、小鉄のはただの睡眠欲だ。聞き上手に徹して避けつづけた惣右衛門と、かたづけでそういういとまのなかった馨の二人だけが立ち、伊織はけろりとした顔で鼠との親睦を深めている。ことはおさまったのに、これでは泊まってもらうしかない。
「お詫び‥‥ではありませんけどね。これを用意しておいたんです。受け取っていただけますか、糸さん?」
と、馨がさしだしたのは、朝顔の鉢。まだ蕾もつけていない若い緑だ。
――‥‥ただし、微妙にツタがうごめいている。おまけに茎の太さが琥珀の腕に残る痣と一致していたり。見なかったことにしよう。
「毎年、生まれ落ちる種。いつか生まれてくる子どもさんたちと語り合え‥‥」
「ふにゃふにゃふにゃ」
「ん、ん」
「あぁ、もう人がせっかくいい話をしているのに」
保護者役までいっしょになっておやすみなさいへ旅立っている、琥珀と小鉄。歩きすぎたか正孝までが柱によりかかり、うとうとしかけている。馨は琴音と手分けして上掛けを探し出してきて、投げるようにして乗せてやった。惣右衛門はくすくすと声をひそめながら、糸と顔を見合わせる。
「‥‥家族、みたいだとは思われませんか?」
「ほんとうですね」
糸は惣右衛門に云われるがまま、つぶれた桂助の手を握る。小鉄は弥助と、琥珀は天青と、あまったイツキと正孝の手を惣右衛門は茶目っけたっぷりにつないでやった。きっと朝までこのままだろう、みんなみんな。
そして、朝には――‥‥?