●リプレイ本文
子どものちゃんばらと主婦の井戸端会議と夕飯の支度とが堆積する、ごく凡庸な界隈のこと。自らが動いてやらねば風はない、そんな日。彼等の歩調は怠惰な気流を半分するよう、すみやかだ。
うちの大神総一郎(ea1636)、踵をほとんど上げぬ歩き方。「板に付く」とは能舞台から出た言い回し、役者が舞台にぴたりと足裏添わせる歩き方をさし、転じて、動作や態度がさまになる意となった、その足取り。狩野琥珀(ea9805)は地に音吸わせて粛々と、伊能惣右衛門(eb1865)は農事できたえた健脚きびきびと、蘇芳正孝(eb1963)は時折閲するがごとく歩を留め、足並みも人それぞれ。しかしまもなく、沓音はまばらに尽きる。
「あそこだ」
と、琥珀がしめしたは、かしこの飴屋。柿色の甘露の芳香が腑を弄する。でも、まずは現場の再現なんてどうかね? 琥珀は幽霊娘(と仮に名付けた)と談話したという番頭をまねき、両手を扇状にひらいてみせる。
「八つと一つくださーい」
そんなにいるものか? 総一郎の目線の怪訝を、琥珀はぐっと反らせた胸ではじく。
「みんなの分だよ。一つは、うちの息子のおみやげだけど」
「おぉ、それはよく気がつかれましたな」
惣右衛門におだてられて図に乗った琥珀、「どうぞっ」と商売ごっこで惣右衛門に手ずからわたすが、しかし、総一郎はいまひとつ納得がゆかぬ。
「これでは、当夜の再現にはならないのでは」
おまけに、はやばやと味見してるし。
こちらは、一口もつけずに飴の容器を背なの袋にしまい、惣右衛門は店のものに始終を尋ねていた。
「娘さんはいまでも来られるのですかな?」
「ええ。このあたりでは飴屋はここだけですし。かの娘、素知らぬ顔であれからも毎晩来ますね」
「じゃ、今夜も待ってりゃいいわけだ」
そりゃ楽しみ。琥珀は水飴の棒きれねぶりながら、首めぐらせて、夜、に忍ぶ場所を選ろうとした。総一郎は思案する――遠慮はしていないのだな、猫らしく。
猫。描きわりの月のごとく、背景をわざとらしくちらつく単語の漸及を、ここにきてうたがうものはほとんどいない。よみがえりの可能性が考えにくいわけでもないが、死人憑きならばこうやって理性だった行動ができる道理はなく、霊魂は憑依でもしなけりゃ実体は持ちえない。
化身つかいわける化け猫ならば――たとえば路地の消失の不思議は簡単に説明がつく。本性にもどし、物陰に身をよせれば、小さな体はかくせるはず。
が、それだけだ、と総一郎は手許の扇をぱちんと鳴らして、冷静に沈思する。謎は連鎖。なにを目的とし、動機とするのか。そこまでを明かして、はじめて解決にいたるだろう。
正孝もそれを知りたがっている、特に、気になるのは買われた飴の行方だ。‥‥このてのひらのなかのものとおなじ。正孝、さしだされた水飴をおさめあぐねていたが、やがて納得できる持ち方を見いだし、三人に分散を告げた。
「どこに行かれるのですか?」
惣右衛門の問いに、正孝は、例の女性の墓前だと答える。ギルドでたしかめたところ、所在はここからはそこそこ離れているようだ。
「墓碑を確認してくる。もしも飴が供えてあれば、それが目的だったとしれよう」
「そういえば、そうですね」
「遅くまで、もどれぬかもしれぬ。それまでに解決しているようだったら、そのほうがいいのだが」
足が大事、と信ずる正孝は、目標がからであってもはなから徒労とは考えていない。総一郎が店のものに尋ねるには、死んだ娘も時折この店には飴を求めに来ていたそうで。では、己も手向けようか、と正孝はもういちど飴の瓶を抱え直す。
惣右衛門がわずかに顔色くもらせたのは、正孝をひとりでやることの心配と、墓参を人任せにしてしまうことの責任。しかし若さに身をゆだねられる正孝とちがい、惣右衛門は急ぎの遠歩きに耐えきる自負はなかった。しかたなし。諷経は別にささげるとしよう。
「じゃ、俺たちは、娘さんが姿を消したっちゅう行き止まりに行ってみようか。ここから、そんなに歩かないんだろ?」
教えられたとおりの道すじ、少し減った人数ですすめば、甘さがだんだんととおざかり、庶民の喧噪が耳をすすぐ。暑気にくすぶる、京の盆地。だが総一郎は、すくなくとも容貌に出る部分だけは涼しげに、いともゆかしく摺り足を続ける。能の歩みは厄除けの反閇から来ているそうだ。
その、行き止まりにて、
「‥‥めだつな」
うっそうとした袋小路ではあったが、まったくの無人というわけでもなく、引いては往来にも直結する路地だ。そういうところを昼間にあされば、多少なりと、人目を引く。だから藤城伊織(ea3880)に張り番に立ってもらったのだが、それはそれで、逆効果のようだ。――憂いをまどわすよう、紫煙をくゆらす伊織。なんか、ものすごく、真夜中っぽい職業の引き込みに見える。お日さまはまだ高いのに。
榊清芳(ea6433)、仕事を交代すべきか、と悩むが、ほとんど好転しないだろうという次第を認めて――僧兵が立ちっぱなしでは托鉢とまちがわれよう――早めにすませるにかぎる――おとなしく検見に精を出した。
見廻り組などが来てくれるなよ、と、仏に祈りながら――なかなか非常識なことをねがっている、とも考えながら。実際にやましい所業に手を染めているわけではないが、端から見れば、住宅の日陰を偵察しているようであることぐらい、自明だ。
しかし、けっきょくは、たいした込み入りのないところ。目処がつくまで、大袈裟な手間はかからない。
「あった」
ちんまりとした穴。板壁に明けられている。
これで猫がすがってくれれば、かんぺきなのだが。清芳、にゃーお、みゃーご、とてきとうに呼び掛けてみて、やはり応じる声はなく――と思ったら、
「清芳さんが化け猫だったの?」
背に浴びせられる、とんきょうな仰天。飴屋からたどりついた琥珀たちが、物珍しげに清芳の猫真似を観察している。そんなときのために配したはずの伊織ときたら、べつに同輩の接近までは責任ではないとばかり、心得たふうに、ひときわ渺漫な煤をふかした。
「荷物がおもくて、とっさに動けねぇんだ」
嘘だ、ぜったい。清芳の恨みがましさ半分恥ずかしさ半分の気持ちは、しかし、土産の飴でいくらか解消される。ごまかされたわけじゃない、と清芳、今日はいろいろわずらうことが多い。
そしてまた人がそろったところで、次の目的地は、今はもう誰も住まわぬという空き家だ。
破れ傘のような建築は、重みが擦れるごと、がたぴしきしむ。人をなくした住居は荒れやすいという消長を、実直にほどこした末路がここにあった。喉をいがらにさせる埃に苦心しながら、大空北斗(ea8502)はこわごわと天井をあおぐ。
「飴買い幽霊のおはなしはちっとも怖くないですけれど‥‥。こういうところって、なんだか、や、ですよねぇ」
北斗のさきにたって屋内に探りを入れていた伊庭馨(eb1565)が、ふりかえる。
「どうして怖いんです?」
「だって、出そうじゃないですか。げじげじとか、ゴ――とか‥‥」
云ってるそばから不吉な羽音が飛びそうで、ぞっとしない。北斗は肩ふるわせて馨のそばに寄ろうとしたが、北斗の怯懦をおもしろがった馨は、意識的に身をはなす。馨の心組みを知らず、北斗はまた近づこうとするが逃げられて‥‥。以下、三度ほどくりかえし。
さきに近所への聞き込みをすませて、分かったことといえば、幽霊娘はけっこう困ったさんらしい、ということだ。路地にのこされた衣服は盗品だった。よくよく訊けば、小銭が紛失する事件も頻発していた。律儀に金子と引き換えとは行儀のよい――とかんがえていた馨だが、先入主を訂正せねばならないようである。
ちなみに、なくなった娘だが、懐胎や出産していたような事実はないらしい。ひとりぐらしな女性が身ごもるというのはジャパンの道徳的にたいへんなことであるし、現実的にもたくさんの猫を飼いながら――というのもやはりたいへんだ。
「でも、」
とうとう馨の心添えをあきらめた北斗、どことなくべそがき顔で、右顧左眄。
「なんだか赤ちゃんの泣き声みたいなものが聞こえません?」
北斗と馨、ならんで息を殺す。と、にぃにぃ、と音律のまったく合っていないわりには、やけに心なだめるふしまわしが奇妙に微塵に湧き出ずる‥‥湧く? 下からだ。馨が耳殻をぴったり床板に添わせると、音はくぐもりながらもいっそう高くなる。
「どうしましょうかねぇ。一匹や二匹ではないようですが」
しかも、この鳴き方は‥‥ひたすらまっすぐに護り手求めるだけの‥‥おさない仔猫だろう。
床板を押し上げれば、おそらくは、対面できる。が、親猫は仔猫が人にさわられることをひじょうに嫌う、場合によっては人に触られた仔猫を咬みころすことすら、ある。下手な手出しは、かえって悲劇となりうる。
琥珀たちと合流し順繰りの配達により、飴を受け取った馨、さしあたり床に寝かせて動静をみまもったが、気配に敏感な猫が姿をあらわす様子はない。いったんかんぜんに立ち去り、再び戻ると、飴は器ごとなくなっていた。
満つる間近の夜。
ひゅーどろにはお札で対処しましょうね。
「魔よけはともかく、なんで家内安全の札なんか。しかも二枚も」
「気合いと信心と温度と湿度いかんで、なんとかなるもんなんだって。いや、ほんと。おでこに貼ってあげようか? 似合うぞー」
「てめぇの口でもふさいどけ」
伊織と琥珀、内々とはおもえぬじゃれあいの二人。飴屋の店舗の内側。いらいら・どきどきと待って、やがて来る噂の娘は意外にへいきな顔で飴をもらってゆく。そしてたどるは、昼のうちに通ったとおりの行路。すくなくとも、番頭は嘘はついていなかったわけだ。
伊織と琥珀、顔を見合わせてあとをつけた。抜き足差し足‥‥が、尾行の場合、消音も必要だが、もっとたいせつなのは月夜の影をなくすことだろう。二人の尾行はけっこう心許ない。だからといって、幽霊娘はあせるようではなかった。
物語をなぞるとおり、あの路地へもぐる幽霊娘。追跡かなぐり、二人も急ぎ体をすべらせる。けれど、彼等が見つけたのは‥‥ちょっと意外なもの。
「やーん、お化けこわーい。怖いからじっと見ちゃうー」
「おぉ。眼福」
‥‥誰も深く考えていなかったようだが、衣が脱ぎ捨てられていた、理由。
いくら化け猫だからって、着るものまで自在とはいかぬ、人化するたび服はべつにあたらしく入手せねばならないのだ。
伊織と琥珀が出くわしたのは、その、ちょうど反対。娘が着物を捨てて裸になったところ、だったり。
しかし、彼等の遊興はあっというまにふっとばされる。なぜだか忍び歩き以上の隠密加減で伊織と琥珀の背後からちかづいた清芳、無言で彼等の頭に金剛杵をめりこませて、おもむろに毛布をとりだして娘に近づいた。
「さくらさん、か?」
それは馨が昼のうちに、近所で聞き及んできた猫の名前のひとつだ。子持ちの猫がいなかったか、という質問に、十軒以上もまわってようやくのことで入手した回答。けれど、娘は、ふるふると、首を横にする。
「あたしはさくらじゃないよ」
事実関係は少々、複雑だった。
亡くなった娘の飼っていた猫のうち、さくらという名の腹ぼてがいた。この、さくら、娘の逝去と前後して、事故でおなじく亡くなっていたらしい。あとに残されたのは、乳飲み仔が六匹。他の猫はじょじょにどこかへもらわれていったり、野良に返ったりしたが、床板の奥ですやすやとねむっていた仔猫たちは最後まで人に見つけてもらえず、飢えと渇きに危篤におちいりかけた子らをなんとかしようとしたのが、実はただのお節介な通りすがりの化け猫(野良なので、名無し)だった。
「でも、あたし、おっぱい出ないもん。だから飴を買いに行ったの」
「お‥‥」
北斗はかぁっと頬を桜色に染める。今にもはだけそうな毛布一枚を巻き付けただけの女性(化け猫だけど)という光景は、彼にとって、あまりになまめかしすぎた。思い思われのよい話だとは思うが、感動にむせぶいとまもない。
ことの整理のため、空き家へまねかれた冒険者たち。馨が代表して、化け猫と問答を交わす。
「では、どうして夜に出かけていたんですか? 日のあころでも条件はおなじでしょう」
「だって人間って怖くって、でも飴は欲しいし、ひとのすくない夜のがいいなぁって」
「怖い?」
「うん。‥‥おにいちゃんがね、人間にね」
びぃ、と語尾といっしょに顔をゆがめる化け猫。どうもいやな思い出があるようで、だから尚更、人間に仔猫をわたしたくなく、ムキになって養っていたらしい。じゃあどうして自分たちには天生あらわしたか、と尋ねれば、
「飴おいてってくれたし、それに『さくら』の名前も知ってたし。尾行、下手だし」
ぎりぎりのところで勝ち得た信頼のたまものだった。つか、最後のはいらん。
「だが、いかに子のためといえど盗みはいかん」
正孝、表情きりっとつくって糺すが、いかんせん北斗とおなじで、見た目だけは年かさの、しどけない格好の女性が相手ではどうにも決まらない。正座に組んだ足が、もじもじとこそばゆいのは、昼のうちの行き来がはげしかったばかりだからではなかろう。そのあとの台詞がうやむやな正孝に代わって、馨が話の歩をすすめる。
「正孝さんの云うとおりですよ‥‥ところで金子を盗めるほどの手管があるのなら、飴を盗んだほうが手早かったでしょうに」
「そっかー。おにーさんあたまいーね」
「‥‥ボケか」
最凶の返答。これをやられたら、かなわない。総一郎、唇を透明にゆがませて、笑うともなしに笑う。憎めない性質の猫だ。
「飴屋には、私たちから事情を話そう。これを機に『幽霊飴』と売り出すようにな。店が持ち直せば、飴のひとつやふたつ、成熟するまでの短い間なら分けてくれるだろう」
「ほんと?」
「では、私は墓標をたてましょうか」
惣右衛門の突如の表明についてゆけぬのは、皆、おなじだった。しかし、むしろ、きょとん、としたのは、惣右衛門のほうである。さも自然の成り行きだとばかり、語る口調はすべらかだ。
「さくらさんとやらも亡くなったのでしょう?」
「うん」
「供養は未済とお見受けしましたが」
ほんとうは亡くなった娘のためにささげようと思っていた唱名だが、亡き愛猫とともに護摩をたいてもらえば、それこそ成仏の基だろう。
それから全員がいっせいにかかって、小さな墳墓をひとつこしらえた。惣右衛門が己の飴をそなえ、北斗は用意してきた花をたむける。ひとすくいの月光が飴の瓶をつらぬき、金色のまるのなか、知らない娘がこちらに丁寧なお辞儀をやり、それもまた、あっというまに消える。悉皆、飴のようにとろける夜の出来事である。