●リプレイ本文
●「ずしょりょう」と読みます。「としょりょう」でもまちがいではない。
京都御所図書寮といってもひろい――あつかう仕事の幅といった意味で、だ。書籍の保全だけでなく、写書に装幀、筆、紙、墨の生産供給、書物につながるありとあらゆる業務がそのなかで管理執行されている。だから書庫整理といえば、おそらくは、型どおりのもっとも簡明な作業の一種であったろうに。
「これは聞きしにまさる‥‥。あぁ、いや、何も『聞こえない』んだったな」
御影涼(ea0352)、通された部屋の戸口、草次、息を詰める。わざとぐちゃぐちゃにしてないか?というくらい、まるで朽ち葉そのままにした野外。足の踏み場もない、というよりは下手に足蹴にして本を傷めないかと思うと、一歩も動くことはできなかった。同様に、高槻笙(ea2751)の吐息せつなく、視線のめぐりもやるせなく、
「どうやったら、ここまでできるんでしょうねぇ」
「ははは。照れますー」
「褒めてないよ」
カヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)、西中島二儀の頬を拳固で撫で回しながらぐりぐりっと。二儀が両腕あげてじたばたしてるすき、笙はもいちど、幾分大様に、書庫のはじからはじまでを視認した。
「(書物を)愛するものとして、この惨状は心が痛みますね」
「え、僕を愛してるって?」
「だから、云ってないって」
ツヴァイ、ごていねいに、お次は平手を腕首だけではためかせて、ぺしぺしぴしぴし。狩野琥珀(ea9805)が仲裁にはいるまで、いたましい「ほっぺた無限むにむにの刑」は連続された。
「ほぅら、ツヴァイもいいかげんにする。責任者こわしちゃったら、仕事がはかどらんだろ?」
いちおうこの場にいる図書寮関係者は二儀だけなんだから、そういうことになるだろう。ひさしぶりだな坊主、と琥珀が普通の角度で二儀の頭頂をなでる。寺田屋におさめる菓子をつくりあげた(おちついて考えれば、二儀だけ、なんもしてなかったが)あの日以来で、それはツヴァイもいっしょ。なぜか、雉鳩ののんきに、くるくるぐる、とさえずるようなおとがした。
「おっしゃあ。腕が鳴るぜ!」
平素のかぶいた身なりをたすきがけで小さくし、細工はりゅうりゅう、建御日夢尽(eb3235)の意気地は活火山のようにたぎっている。まじりけない精進は見るだけでもなんだかうれしくて、御神楽澄華(ea6526)はくすりと片頬笑む。
「そこまで勢いこむと、かえって本を傷めてしまいます」
「お。そうだったな。ごめん」
「い、いえ。あやまられるほどではありませんし」
「でも、俺こーゆーのぜんぜん分からないし、云ってもらえるほうがよっぽど助かる」
反射的にすなおな謝罪がかえってきて、澄華は自分のほうがよっぽどいけないようなことした気がしてなんだかどぎまぎしてしまうし、夢尽は夢尽で、澄華の教え子であるかのように、瞳きらめかせて次の指示を期待している。にっちもさっちもいかなくなりかけた環境で、神木祥風(eb1630)は櫓を推すことにした。
「どうやら、なんでもかんでもいいかげんにぶちまけてある御様子ですから」
どうしてここまでなったかといえば、二儀が普請の途中で投げだしたから。はじめから冒険者らをたよっていればこうまではなってなかったろうに――いいや。こんなふうになったからこそ、冒険者をたよったのでしたっけ。でも、祥風、聞こえないそぶり。成年にしては淡い肌合いを、ゆめかすかに上気させる。
「分類別にしわけることから、はじめましょうか」
「はーい」
夢尽、では入室、と歩幅ちいさくすすめようとしたら。ぎゅ。床板とはちがう、やわらかいような、それでいて存外踏みごたえがあるというか、自然にはない風合いをあしのうらにかんじる。あ、とたしかめてみれば、伊能惣右衛門(eb1865)の袈裟の裾をにじっていたようだ。‥‥いくら大袈裟がめじるしのような壊色といえど、かわいそうなお姫さまじゃないんだから、ひきずるほどではない。そうなったのは惣右衛門がうずくまりすっかり腰をおちつけていたからなのだが、夢尽、それをたいせつなおしごとをしていたからだととった。
「わるい、へいき?」
「いえいえ。こちらこそぼんやりして、あいすみませぬ」
でもじつのところ、惣右衛門、さっそく拾い上げた経籍の中身に、どうやらすっかり心奪われていたらしい。のんびりしていてはいけないと分かっていても、いざ知識の大海のさんざめく波濤を一目見ると、若者のように心はおどる。
夢尽が横目を投げると、忍びのつかう暗号のような、小難しい漢字ばかりが蟻の行列のように紙の上を行進しているのが見えてきた。こんなのばっかりじゃないな、と少し思う、いや仏道をばかにするわけじゃあないけど。
●狩りってのはあせっちゃだめなんですよねー(by二儀)
「数冊ってきいてたけど‥‥。僕の知ってる数冊よりぜんぜん多いみたい」
「安心していいですよ。ツヴァイさんのおっしゃるとおりであってますから」
ツヴァイ、本のおもてをはたく。わりにジャパン語は達者なツヴァイだが、高価な書物ともなるとこみいった専門の知識まで必要になってくることもしばしば、ざっと目をとおしただけではどこへ置いたらいいか分からないことも多かった。そういうときは、そばのだれかに気兼ねなく、ききただす。今は、笙だ。
「ねぇ、これなに?」
「これは‥‥漢詩のようですね」
「じゃあ、華国のところ?」
「いいえ。これはジャパンで記された漢詩をあつめたもののようですから、詩歌の書棚がてきとうでしょう。ではありませんか、夜来さん」
笙にふられるがまま、鳳夜来がたしかめる。笙のいっているとおりで、夜来はひとつしずかにうなずいてみせた。
由来のふかすぎる漢詩に関しては、ジャパンで独自の研究がなされたせいで、本来の華国語をはなれてそういうことも起こりうる。華国語を熟知していなくとも、作法を学べば創作はできる、それが華国語として通じるかどうかというとまた別の話になるが。
――というようなことを、笙、語って聞かせる。絶句、律詩‥‥。それらを談義するとき、笙、黒い目が弱い生き物をいたわるようにやさしくなる。
「おもしろいでしょう?」
「なんか変ー」
が、ツヴァイはやっぱり納得いかない。一分かそこら熟考してもけっきょくわからなくって、なんだか悔しかったから、ひとまず二儀(手近な物陰にいた)をこづきまわして、憂さを晴らす。
「そちらのお国とはずいぶん文墨の事情もちがうでしょうから」
と、祥風がとりあげたのも、漢字の盈々。これは経典。けっこう、重い。しかし、祥風は眉を寄せたりはしない。花つむようないたいけな手つきで仏道の区分けへおこうとするが、そこでは涼が神妙なおもだちで書籍のひとつをにらんでいた。読みふけっている、というのはどこかちがっていそうだ。
「‥‥虫が食っている」
「むし?!」
打てば響く玉鐘のよう、過剰すぎるほどすなおな波及がかえってくる。それときっかり、おそらくはしばらくまえにもあったであろう規模の、雪崩といっしょに。でも、今度は二儀じゃない。澄華、どうころんだものだか、しかし責任感だけは先行した結果、頭頂に三冊、右手左手二冊ずつ、遅れて墜落する一冊は左足で確保。おみごと。‥‥涼はひところ、救出作業に集中した。
「す、すいません」
動悸、息切れ、頭痛‥‥はない。澄華、あんまりにもひどく仰天したものだから、起きあがると、せっかく仕事のためにかたく結わえていた着物がはだける――本で隠しちゃえ。
「つい。目から光線だして、はばたくたびにキィンと耳鳴りのする音をさせて、口から泡と糸を吐いて獲物をがんじがらめにするような、全長十丈もある虫けらを想像してしまったものですから」
なお、そんな虫はまったく図書寮にはいませんから。違う依頼になっちゃう。
紙魚に喰われた本は、もっと本格的な修繕がひつようになってくる。手短にあらわせば、別の和紙をあてがって補強する。
「膠なら持参したが」
「ごめんなさい、膠だと食べられちゃうんです」
動物性の膠は紙魚や黴の格好の餌食なので、塩化水銀などを混ぜて使用する。涼、ほぅさすがは図書寮の小間使い、と感心しかけ、いやちょっと待て、紙魚が出たことに、そもそもいちばんはじめの問題がある。
「曝書はしていたのか?」
「僕、あっちがんばってきます」
逃げられた――ということは、答えは明白だ。
二儀の逃げた先では、琥珀、綿糸をふりあげていた。ゆるんだ和綴じをしっかり締めなおし、できあがりを夢尽にてわたす。和綴じに必要な技術は裁縫の技術とは厳密にはことなるけれど、和綴じ自体そんなに難易度のたかい作業でもないから、もともと器用な琥珀はなじんでくると、効率よく幾冊もしあげていた。
「はい、もういいぜ」
「おー、どうも」
夢尽、云わなくてもいい礼をわざわざ口にするのは、その本がずっと気になっていたから。やっと見つけた猿楽の研究書らしいのだ。この時代、書籍は高級品であるせいか、お上品だったり堅気すぎたり、そんな内容のものがおおい。基本的に庶民の余興とみなされる猿楽についてはなかなかよいものがみあたらなくって、夢尽、なんとなく無念に思っていたなかで(夢尽の生業は猿楽師だ)、ようやく発見した一冊なのだ。
書庫のすみ。宝箱をあけるようなどきどきする気持ちで、紙を繰ろうとすると、影が差した。
「おや。おもしろそうなものを」
惣右衛門だ。‥‥たゆんでいるのが、ばれてしまった。
「あ、あはははは。‥‥怒る?」
「若いうちから書物に親しむのはよいことですよ」
書物に触れるようになったは仏門に入ってのちですから。そういう惣右衛門がいだくのは、般若心経、たぶんジャパンでもっとも普及している経。これを理解するまでお迎えは待ってほしいものです。どこかしんみりと、惣右衛門は話した。
●そろそろ動きますよー(byまた二儀)
「よ、図書寮のかわいいべいべ二儀。どうした?」
「はーい、かわいいべいべです。お仕事おつかれさまですーって思って」
といって茶や菓子を用意するわけでなく、しかたないか、書庫なんだから。それに琥珀としては別のところが気になっている。
「おまえさん、その巾着なに入ってんだ?」
「やだー。すけべー」
と、じゃれあいもみあいしてるうち、
「やっ」
こんなおもしろい催しをツヴァイがみのがすわけはない。うしろからそーっとしのんだツヴァイに、鳶に油揚げをさらわれた。ツヴァイはとりあげた二儀の巾着をてばやくあらためる。胃をかきならす甘い匂いがした。
「僕知ってる。月餅だー」
そう、いつぞやの月餅。どうやら個人的に、せしめてたらしいよ。お菓子持って書庫うろうろしてたら、そりゃ紙魚、出るわな。
――ガン、
「今度はきちんと聞くように。書物は大切に扱うものだぞ」
とうとう鉄拳制裁がでた、涼、さすがに腹に据えかねたらしい。涼は気に入ったらしい歴史書片手に、訓諭をはじめる。
「この中に先人の貴重な知識と記憶が詰ってる‥‥素晴らしいよな」
「まったく。涼さんのおっしゃるとおりです」
笙、こちらはすでに木簡を日蔭にはこんだりして、曝書(虫干し)にはいっていた。続刊ものはべつに内容と番号を記帳して、次に必要とするとき、てまどらないようにする。行儀よくならべた書物の一覧、心地よい労働の疲労をあじわいながら笙、かわいい我が子をながめるように目を細めてみやった。
「‥‥意外とはやくかたづきそうですね」
「もう、そんな時間?」
「みなさんでがんばりましたから」
祥風、晴れ晴れとほほえんだ。正味に気をうばわれることもたびたびだったが、それだけ書物を愛するものが多いということである。順調はすなわち良好であるはずなのに、なぜか――というのもいまさらの感だが、わてわてする二儀。ツヴァイから巾着とりもどすことも忘れて、琥珀にすりよる。そっちにしたか。
「ねぇ、琥珀さん。涼さんがいじめるんですー」
「まぁ、仲のよろしいですこと」
『聞いていなかった』澄華は、それを、親子のような交流だとかんじる。あれぐらいの年頃だと、やはり強そうな殿方に憧れるものなんですね、とほほえましくも気持ちをぽそりとつぶやくと、ツヴァイが隣でうんうんとうなずく。
「見てるだけならおもしろいよねー。月餅食べる?」
「あら。おいしそうですが、こんなところでは‥‥。それは?」
「二儀くんからもらった」
あげてない。でも、本人、それどころじゃないみたいだし。
「よぅ坊」
そういえば依頼人にじっくり挨拶をしてなかったな、と、夢尽は二儀の頭をぐしゃぐしゃかきまぜる。目下にあるから、まぜやすい。煮物の味をなじますように、何度もやった。
「なんだよ、狩野殿とばっかあそんでないで。俺もまぜてくれよ」
「えー。でも夢尽さんに琥珀さんとられちゃやだし。夢尽さんにはたすき用の手ぬぐいさしあげたじゃないですか」
「だから礼を云おうとおもってたのに、どうして、そうなるんだよ」
「やんっ。俺のために喧嘩はやめてっ。それもこれも俺のうつくしさがわるいのかっ?! でも許してくれ、俺は人類皆恋人なんだ!」
‥‥と、琥珀、魚をすくいあげるように、がばりとパラをかかえあげた。かるい、けど、パラにしてはちょっと重い。紙の束はかさばるものだ。どどっとくずれる音韻と事象。
「ほーら、みーっけ」
「あー、それ僕のないしょの」
パラのくせ、みょうにおなかがふくらんでいたから。ばればれなんだって。しかし、知らぬは本人ばかりなり。
「えー、もしかして、みんな知ってたんですか?」
「‥‥だから、依頼したとき、自分でばらしてたって」
「それどころか、図書寮の方々も、お気づきのようでしたよ」
惣右衛門、じつはここに来てすぐ、図書寮の人間にそれとなくたしかめてみたのである。ふだんがふだんの二儀のこと、まわりのものたちはきっと悟っているのだろうな、と。‥‥そのとおりだった。
「処分はわたくしたちにおまかせする、ともおっしゃられてました」
しゅんとしていたとしていた二儀、処分、と聞いてなぜか顔をかがやかせる。あ、そういう趣味もあるんだったこれ。お尻たたきじゃよろこばれそうですね、と、笙、ひとりごちてなげく。ほんとどうしよう?
「よっしゃ、じゃ、俺が接吻の刑を」
「では僭越ながら」
祥風、それも処罰になってないよ、と、琥珀をしずかにとどめながら一歩前へ。
「折檻ではかわいそうですからね。私とおはなしいたしましょうか」
「観音菩薩が深遠な知恵を完成するための行を実践をされている時の事でございます‥‥」
「みゅー。僕はおなかがへりましたー」
「それこそ悪鬼による迷いでしょう。いまこそしっかり、仏のおしえにすがるときです」
般若心経のくどくどと唱ずる声、翌朝の小鳥のさえずるまで続いたという。南無阿弥陀仏。合掌。