【黄泉人討伐】 火車戦

■ショートシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:5〜9lv

難易度:難しい

成功報酬:3 G 29 C

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:09月14日〜09月19日

リプレイ公開日:2005年09月25日

●オープニング

 猫族は別称を似虎ともいう――それに恥じることなく威風堂々とした、秋日のように秘めて燃えたつ金茶の、二本足で疾駆する猫だった。
 湿気ばかりがからいばりする薄闇で、じっとりとくすぶる苔に体をあずけて、ときどきは迷い込んできた虫や鼠をなぶりころして退屈をまぎらしながら、猫はざっと百年ほど生きて死んでいた。醒めるのと睡るのと、交互にくりかえしてたわけではない。猫は幽冥の素体である。どちらもしない、それだけのことだ。
 来る日も来る日もあくびを噛み殺すのが日課だった猫も、しかし、ちかごろは周辺がずいぶんとあわただしくなってきた。ある日のことだ。永年に近い時間、彼を「ここ」に閉鎖したくらやみの施錠がとうとう解かれて、恨み辛みをたぎらせる彼の知己たちの多くは外部に出て行った。その顛末はよく知らぬが、どうやら良いことばかりではなかったらしい。「ここ」に「あかるいところの住人」が出入りするようになったのが、その証拠である。
 まぁ、べつに、かまやしないが。
 猫は鼠よりも虫よりも、雛のほうが好みだったから。人型。男も女も老も幼も。それらを毎日のようになにかしら相手できる現在を、猫はあまりいやがってはいない。ただし、満足にもほどとおい代物であることもたしかだった。猫の欲する雛は特別なのだ、しかたなしで毎日のように創作はしていたが、どれもこれも気に入らない。だいいち猫のもとにはこばれてくる材料からしてまずいのだ。魂の消滅をもおそれず、針のようにたよりない剣ひとつで立ち向かってくる勇士など、猫にとっては問題外である。
 猫の欲しいものは、それでも、わりと近くにある。しかし手出しはゆるされていなかった。猫はただ夢を探るように、爪を研ぐ。いつまでこうしていればいいのだろう?
「‥‥だが‥‥それが‥‥望まれていることだろう‥‥」
 鳥だ。
 陰気な色彩の鳥、もっとも暗中では分かりにくいけれども。これは最近、できた知り合いである。猫は鳥をぞんがい気に入っている。格下であるのに、分かったような口をきくところはおもしろくなかったが、それも個性だとわりきれるくらいには、彼の存在をゆるせるようになっていた。鳥は首をめぐらして、わずかに光のあるほうに向き直る。
「‥‥来た‥‥」
 そのようだ。猫は身を起こす。飛ぶ。虚空へふりあげた爪から、紫光が寸暇のためらいなく伸暢した。

 ※

 その後の大和追討軍の攻勢だが、おせじにも順調とはいいがたかった。連日の疲労を回復させるいとまもなく、掃蕩にくりだされる大和追討軍に対して、休息寝食いらずの亡者軍。かろうじて生者にかたむけられていた天秤は、すこしずつ均衡をあやうくしている。そのなかで、冒険者たちの調査により黄泉比良坂の位置がもたらされたことは、闇の中の光明とおもえたが――‥‥。
「‥‥硬いな」
 その、黄泉比良坂に通ずる石舞台古墳。
 まさしく本営だけある。戦守の牢固なこと、それまでは機密をたもつため、派手な布陣のしかれることのなかった石舞台古墳だが、これが正念場と黄泉人たちも腹をくくったのだろう。大和の南部に拡散した黄泉人たちは、徐々に石舞台古墳への集結をはじめている。また、古墳の真下に封じられていた強大なる不死者が、大和追討軍が玄室へたどりつくことをはばんでいた。
 石舞台古墳にたどりついた冒険者たちにむけて、鈴鹿紅葉から軍令がくだされる。石舞台古墳下、羨道にひそむ妖怪を斃してくれ、と。
「火車だ。種々の風霊をしたがえるが、炎をまとう爪甲もあなどることはできない。そして、その胴体は物理攻撃をはねかえす。銀も無効だから、気を付けてくれ。それから――‥‥」
 めざす妖怪についての特徴ははきはきとした物言いの鈴鹿だが、それが終わるになるにつれて、砂でもふくんだように歯切れが悪くなってくる。
「いや‥‥。火車へは他にも何人か部隊をさしむけたのだが、全滅したらしくてな。どうも、少し不審なところがあって‥‥」
 詳細を尋ねても、にごすばかりで確たる返答をしない。実証のないうちは、たとえ推測であっても口にしたくない、とそういう云い方だった。鈴鹿はどちらかといえば、考えていることは直にことばにする性格なので、こういう態度はめずらしいのだが――‥‥。
 それで交渉をあきらめた冒険者たちが支度をしていると、雑兵が二名ほどぱらぱらと冒険者たちののそばに寄ってきた。どうしても火車討伐に混ぜてほしい、とそう云ってくる。羨道にむけられるのは数をかぎった精鋭部隊だから、彼らは参陣する資格がない。しかし、死んだ前衛部隊は彼らの知り合いで、どうしても仇を討ちたい、と。
「おねがいします!」
 ――‥‥どうしたものだか。

●今回の参加者

 ea0352 御影 涼(34歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea4530 朱鷺宮 朱緋(36歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 ea6321 竜 太猛(35歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea6967 香 辰沙(29歳・♀・僧侶・エルフ・華仙教大国)
 ea8212 風月 明日菜(23歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb0487 七枷 伏姫(26歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb1822 黒畑 緑太郎(40歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb1963 蘇芳 正孝(26歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

白峰 虎太郎(ea9771

●リプレイ本文

「なぜ我らの邪魔をする。おたくの望みは何だ?」
 心なきものへは心話はならず。肉声でたむける黒畑緑太郎(eb1822)の問いにかえってくるのは、がらのよう、なにかがすっかりこそげおちた音律。
『おかしなことをいう。はじめに私たちを地下へとざしたのは、いったいどちらだ?』
 ことによると、火車の語りかけていた相手は緑太郎ではなかったのかもしれない。――そう、彼はずいぶんあとになってからかんがえる。百年前と百年後が同調する感情が、刃もないのに緑太郎を攻める。
『これ以上、ねぐらを荒らされたくはない。それだけだ。退け、豊聡耳にくだりしものたちよ』

 めかくしのほどけるようにするりと、戦陣はひらかれる。

 裂いて、咲け。

 煮え湯を注がれるのに似た熱帯の錯覚が、真っ赤な、目から胴へ、突き抜けた。けれどほんとうに撒きちらかしていたのは自身の生のままの鮮血である。緑太郎の肩口に降ろしたたったの一削ぎで、火車は彼の安静をねこそぎうばう。
 しかし、緑太郎はとくべつ照射されやすい位置にいたわけではない。だのに、どうしてこうもやすやすと布陣がくずれたのだろうか? それは火車の行動の線型が、冒険者らの予想を超えていたからにある。火車は飛んだ。勢いまかせの跳躍ではなく、計算尽くの正確な飛翔。羽がないから人は弱い、空をすぐ忘れがちになるから。
 緑太郎はあふれた薬水ぬぐうのに、口許へ手をやった。
「‥‥これだったのか」
 意識は、しっかりしている。
 じゃ、魔法なんざ、これからいくらでも唱え放題。緑太郎は強敵への畏怖でなく、来たるべき熱狂に口をすぼめれば、ふふ、とこらえきれない歓喜が蜘蛛の子散らすように逃げてゆく。

 ※

「これでいいのだろうか?」
 緑太郎の持参した道返の石は、陰陽師である彼を気遣い、蘇芳正孝(eb1963)が代わりにつかった。が、加持のたぐいは、正孝、特に専門なわけでもない。緑太郎に正否をたずねたかったのだが、緑太郎は占盤片手にぶつぶつとひとりの問答にひたりつづけている。
「‥‥めざすものの居場所‥‥どこでもない?」
 ――緑太郎、なかなかもどらない性格だったから。
 久方ぶりの地下だが、御影涼(ea0352)は安堵も懐かしさもちっともかんじなかった。このあなぐらは、人が平凡に生きるようにできていない。全体ごと虚空へおとしこんでしまいたくなる誘惑を、涼は右側に帯びた太刀を、淡く、とめた。地に膝付けてそれを融通したときの、白峰虎太郎との無口なやりとりが、まぶたのうらに焼き付けられ――つよい軛になっている。
「わぁーっ!」
 が、ひどく慌てたふうの風月明日菜(ea8212)の背面が突如せまってきて、涼の回顧は中断せざるをえない。白御幣のささった明日菜の背をささえると、鈴のようにすずしく響いた。
「ごめーん」
「‥‥ネズミか」
 明日菜、まわりを警戒してたら、見つけてしまったのだ。怖いんじゃなく、おどろいてしまっただけ。現に、やっぱりおどろいたネズミが逃げてく様子をみおくる明日菜は、心残したわりには、やたらにきらきらしい瞳をしていた。
「もっと、ぜんたいがもこもこしてて、しっぽがふわふわしてたらよかったのにー」
「それはリスだろう」
「リスだよー♪」
 ‥‥こんなとこにリスがいたらそれはおそらく不死者だろうな、とは、いわないでおく。

 ※

 火車は、ふたたび上に還る。竜太猛(ea6321)は縄手つかんで、舌打ちした。こんな長さでは、ぜんぜん届かない。よしんばひっかけられたとしても、完全な飛行との、対抗は分が悪かった。
 縄を捨てる。うしろへ。
 ふりかえらない。
 どうせこのような不安定な拮抗が、長く続くわけはない。冒険者らは先に進みたいし、火車はそうさせたくない、真逆の欲望は重ならず正面からぶつかりあう。なら、そのときまでにやれることをやっておくだけ。太猛が腰を低めると、束の間、薄桃の輝きが太猛の全身を陽炎のようにゆらぐ。
 灯がうつるように、他の冒険者たちも次々に、戦士たるふるまいをおこなった。侍である七枷伏姫(eb0487)や明日菜は太猛に続いてオーラの集中にはいりはじめたし、朱鷺宮朱緋(ea4530)は縛呪、コアギュレイト、を数珠に誓い、空のものへ投げようとする。
 けれど。
 火車と目がゆきあった。それは獣性の顔ににたりといびつな笑みを浮かべる。
『白き潔斎の聖光。永き闇夜では、めだつよな』
「!」
 二撃。朱緋の呪縛をやすやすと避けて、火車は彼女の体に爪をすべらせる。緑太郎にあたえられたような猶予は、まったくない。骨に達するまで、えぐられた。
 熱い、痛い。
 痛い、
 ――自分はほんとうに人だったのだろうか? ただのがらくたが、盧生の夢を見ただけではないのか? でないと、こんな分解されるような激痛は説明が付かない。生き物がこんなにも無惨にいためつけられるわけがない――イタイ。
 これが羨道をあばこうとしたものへあたえられるという罪科なのでしょうか。‥‥ふいに、そんなことを考えた。火車は悪人の死屍を連れ去る妖怪だと、聞き伝える。ここを通ろうとすることそのものが悪事だから、火車は生者を罰しているのでしょうか‥‥と。
 香辰沙(ea6967)のデティクトライフフォースにより、火車が不死者であることは知れていた。だからだろう、朱緋がねらわれたのは。とすると、次に火車が爪をかけるべきは、
「僕、もってるー!」
 薬もった明日菜が、朱緋のもとに寄ろうとする。来ちゃ、いけない。そう云いさした朱緋のくちびるは、現世の色から刻一刻とはなれかけている。
 ‥‥オーラのものを不死者が憎悪するのは、ごく自然ななりゆきだ。

 ※

 冥府への通い路。行くあて、人と同程度の影が、ひとつばかりある。生命走査の呪によりそれは分かったけれど、引き返せるわけでもなし。冒険者らはのろのろとすすむ。
「あのお人ら、付いてきたりしませんやろなぁ」
「まさか」
 辰沙、ふりかえれば、朱緋も心配になって真似をした。冒険者らにすがった雑兵は、ほとんどいっせいの説得により、しぶしぶ引き下がったようだった。辰沙、仇討ちを達成できる力の自負はあるのか、と尋ねた。朱緋はその命、次の戦いへのこすよう、諭した。置き去りにしたものたちからあずかった革緒が、涼のたずさえた太刀の柄で、ふらふらと蕩揺する。
 しかし、ただひとり、太猛だけは奇妙な予感をしょっていた。
 雑兵らと対峙したとき、殺気を感じたのは、まぁ、いい。彼らが仇討ちに燃えているのなら、それはそのまま敵意と等しくある。が、なにかちがうのだ。彼らは遠くないところを見ているようだった。むしろ至近の、眼前の――‥‥。
 太猛の不安をあおることは、もうひとつ。火車との対峙の記憶を下聞きしたとき、いまひとつ根のある返答が得られなかった。
「まさかとは思うが」
 しかし、伏姫が喚起した一言で、太猛は欲しくもなかった証拠まで得ることになる。
「すまぬが、これを見てほしいのでござる」
 伏姫は火車のことをよく知らないし、人体について医家なみの知識を有しているわけでもない。だから、誰かに訊かずにはおれなかった。尖端を行っていた伏姫の足元には、明日をみることもなく、希望半ばで絶え入ったものたちのひとり。かしずき、それを打ち見ていっしゅんで、太猛とおなじ不安が伏姫の胸によぎる。
 血色の小さく深い洞。‥‥矢傷。

 ※

「させぬ!」
 正孝が火車の大腿部へ、穂先をめがけた。風に吹かれる木の葉相手するように、かすめたのは火車のはじだったが、裂果するのを見、正孝はたしかな手応えにふるえた。火車がじっとそれを堪えるわけはなく、緑太郎を、朱緋を、血の海に沈めた灼熱が正孝へもくりだされる。いちどは不覚で踏み込ませた、朱緋への攻伐をこれ以上続けさせては、正孝は自分が許せなくなる。
「死をにじる罪より、生を守護する努めだ!」
 正孝があえて受けたすきをねらい、涼、「三条宗近」の太刀にて、毀損の打撃をおろす。が、それは火車のうわっつらをむなしくすべる。爪のような細小の破壊は、それに特化した技術(ポイントアタック)も施行せねばならぬのだが、大振りを得意とする新陰流の気風がそれを不得手とするように、涼も会得していなかった。おとせぬことを悟った涼は、新陰の立志をつらぬくほうへ、手段を変えた。
 抜き胴。
 進突と斬り上げを同時におこなう。右の腕でおこなったはずの斬撃は、左の腕にまで金属をたたいたような大仰な反動をもたらした。
 火車の金色の眼球が、涼を憎悪の曲線にとじこめ、燃える。

 ※

 鈴鹿紅葉はあれで、大和討伐軍においては、それなりの権力と責任がある。だから軍全体の士気に影響を与えかねない不用心は彼女なりに避けているが、逆をいえば、必要とあらばどんな非情も無礼もおこなう。
 もしも、火車に烏天狗が協力している徴候があれば、それがとるにたらない萌芽だとしても、ずけずけと指摘していたはず。下手に隠しだてするほうが軍におよぼす損害はおおきい。
 しかし、彼女はなにも云わなかった。
 ――‥‥彼女はなにをおもんばかっていたか?



 木刀は、火車の攻撃をふせぐのには、不都合だ。魔力によって守護されていたとしても木製であるといういしずえまでは変えられない、火車の一手は閃炎の一手でもあるのだから、木と火では優位はあきらかに片側にある。気付いた伏姫は、桃の木刀を放擲した。折りを見、現出させたもうひとつの光剣、オーラソード、の二刀流、伎倆も知略もすくなく、彼女はただ双腕を募る。くらがりでも、オーラの剣は、おさまるところをたがえはしない。鞘をもたずに生まれた刃は、鞘をもとめて、敵へ喰らいつく。
「キミ、だいぶん弱ってきたよねー!」
 天衣無縫に言い放ち、明日菜は両腕の剣と刀を、跳梁も落下も横転も、あまねく駆使して、斬りつける。なにと比較しても小さな体が、はげしく位置を入れ替える。軌跡がそっと朱いのは、額にのこした、かすり傷。
 ――弱ってきているのは、火車だけじゃない。その場に、あるものあらざるべきもの、選ぶことなくすべて。
 けれど、明日菜は知っていた。血を流さず息もない火車の状態は、分かりにくい。が、辰沙のなす黒珠、はじめのうち、それを火車は風の防呪をも併用して、糸くずのようにたやすくふりはらっていたが、だんだんとされるがままになってきている。火車の攻撃は等しくふるまわれるようになり、辰沙も崩れ落ちそうになっている、ビカムワースの威力は最小で、成功率も徐々に下がってきているにもかかわらず、だ。
 夢の糸口を見誤ったとしても、これはまちがってはいない。
「負けないんだー!」
「これが責というなら、折れた骨を代価としよう!」
 正孝が槍を、童のもてあそぶ風車、まわすようにひとつだけしならせると、弓なりの風刃が狭隘な中有を滑空する。オーラを獲得して、それは、亡者をも断罪する切っ先となって火車の脇腹にめりこんだ。
 薬水はとうに使い果たしても、緑太郎、菱に組み合わせた指型で欲望をはく。
「今度はいつやれるのか、分からないのでね」
 鋭形の鏃、白々とした孤峰、井戸の底へ忘れられたようなかぼそい月の羽箭がはためく。矢の飛ぶのは、つらぬくためだ。緒をひく人工の帚星。
 それを追って、太猛も飛ぶ。いや、彼は跳ねた。肉食の獣が獲物をとらえるに似、生まれたての子鹿が生を謳歌するようにも似、なにより人であるそのままのかたちで、躍り上がる。肉をさばいたような薄い朱にくるまれた、龍のたける右の手、素の左手と足、たたきつける。渾身、なんてやわじゃなく。みなもとをすべて借りて、打ち込み、ねじる。
 どっと、
 目は汗と血で、明かりがあったとしても、もうよく見えなくなっている。だから、音だけした。

 崩れる音、横たわる音、壊れてなくなる音、粗雑な息遣い。

 まだ、終わりは来ない。

 ※

「だいじょうぶじゃろうか?」
 軽傷ですんだのは、合剤を大量に用意した太猛と明日菜ぐらい、ひどいのは、治療の担い手であるはずの朱緋だった。その役割を見越されて、念入りな報復を受けた彼女は、終始ほとんど動けずにいた。‥‥中傷以下の快復力しかもたないリカバーポーションは重傷になってしまえば、それを回復させることまではできないのだから。
「申し訳ありません、あまり皆様をおたすけできなかったようで」
「しかたあるまい。‥‥辰沙殿。どうじゃろうか?」
「いちどやったら、なんとかなる思う‥‥」
 来るときに打ち合わせたとおり。片肌を入れ替えるような、かつがつの余喘をのけるようにして、辰沙は数珠を合わせた。ぼ、と光ともいえずただ黒である球体が、彼女の思考へ周囲を透徹する恣意をおしえる。
「おります、うしろ。ふたり!」
 太猛は見返る。だが、それよりはやく動いたものはいた。
 辰沙は伝えそこねたが、前にもいたのだ。ひとり、一体。
 翼あるものの敏捷さで、冒険者たちに先駆けた。弓弦をかまえる二人の雑兵の首を掻く。あっけなく終演はもたらされた。

 ※

 鈴鹿が、優先させるもの。それは『味方』だ。
 背信を告知すればどうなる? 危うい均衡でたもたれている大和討伐軍は、内部からがたがたになるだろう。だから、彼女はたしかな証拠が得られるまで、動けなかった。けれど、そんなときでも、寝返りがとどまることはない。優しく弱いふりをして、毒牙をみがき――‥‥。

 ※

 雑兵の命を絶ったのは、烏天狗である。彼は、云った。死んだ友にささげるのだ、と。
 ――朱緋の知る伝承どおりだ。火車が欲しがっていたのは「悪人の死屍」、味方をあざむき敗北へ追いやるものたちこそ、まさにそれ。うらぎりをかかえた雑兵の屍は、なかよく、火車の倒れたあとへ寝かされた。
「‥‥扉はひらかれる‥‥私も地上へもどろう‥‥」
 正孝はぼんやりと彼の退く様をみまもる。烏天狗と交わらずにすんだことは、よろこばしい。が、しかし、これは喜んでいいものなのか? 緑太郎も、烏天狗と相対したことあるものたちは、ただあっけにとられて、傷をふさぐこともなく、突っ立っている。
 ふと顔の向きを変えれば、伏姫が死んだ雑兵たちをあらためている。
「‥‥鈴鹿殿へ伝えなければいけぬでござろう?」
 この顛末を。この道化芝居じみた、からくりの劇の結末を。伏姫は
 涼はあずかった皮緒を亡き骸のうえに落とした。弱い紐だ。涼が残りの力をふりしぼって、太刀をおさえつけると、ふつり、と裏切りもののもちものにふさわしく、たいした抵抗もなく切れる。
 ほんとうに、なにもかもが、もろかった。
 人の体も、人のつながりも。
 ただ、それだけは強固であった、黄泉路への道を冒険者たちはひらいた。‥‥しかし、このまま前進をつづけるほどの力ものこされていない。負傷の部分のほうが多い肉体を、冒険者たちは地上へ向けた。