●リプレイ本文
俺はここまでだから、と、四神朱雀と別れるまでの終日、大和へのびる道すがらは、福音でも降ってきそうな、ものやわらかな空模様。伊能惣右衛門(eb1865)にきざまれた、かつての原風景を往きの友にし、彼らは野辺をゆく。
あの日より、まわりがいくぶん白っぽくなった気がした。土地にも戴白はあるのか――己の鬢を惣右衛門はおぼえずなでつけて――でも今、結実紅葉の時節まで二歩手前のとき。しかし、足元の稲科の雑草、ふくらんだ籾をおさえればひしゃげる、なかに実がはいっていないのだ。
それが、現在の大和である。
まぶしいもの見晴らすように、字冬狐(eb2127)は明眸細めて、空あおぐ。針でついたよな点影。
「ねー。影のあるとこ行こうよぉ」
と、連れの駿馬の手綱ひきながらの、レベッカ・オルガノン(eb0451)。地上から空がひろい、ということは、空からの地上もひろいということ。会いたい気もするけれど、会えないならそのほうがきっといいのだろう、「烏天狗」「小天狗」とも呼ばれる彼らとは。
が、繁みばかりをえらんでは進めないし、そうしたとしても出口で待ち伏せされれば、なおあぶない。鳥獣連れの冒険者ら、街道をおおきくはずれやできないのだ。
馬を置いてこれなかったのには、特にレベッカ、わけがある。荷駄とはべつに、小型のタガネを馬にもたせているからだ。依頼人より借りてきた、金房が鍛冶につかっていたという、道具のひとつ。金房銘の武器は現に市中にでまわっているので、それより確実性のあるものをえらんだ結果がこれ。自分たちはたしかに、金房を心配してゆくのだということをあかすもの。
駿馬の咬むくつわ、ゆるめつなだめつ、レベッカは話を続けた。
「そのほうがやりすごせるしさぁ」
「わたくしとしては逃げまわるより、あえて正面からお話をしとうございます」
「そーお?」
惣右衛門の言い様の気持ちも分かるから、言い返すその代わり、レベッカは金貨をとりだす。悩んだときは、さしあたりお日さまの御気分をうかがってみるのが、漂泊民族の作法だ。
‥‥近いって、さ。
「おいでましたみたいよ?」
と、渡部不知火(ea6130)がつけくわえれば、そのとおり。
‥‥
あやしげな玉蟲色にも照り映える、烏羽玉の双翼。空を飛べるって、すごいなぁ。ついとろめく大空北斗(ea8502)のまえで、緋霞深識(ea2984)が手を振った。
「おーい?」
「あ、あ。ごめんなさい。あの人たち、人っていうのもおかしいですけれど、戦いに来たんでしょうか?」
「‥‥知ってるか? 強いヤツほど、気配をかくすのはうまいんだ」
逆説的に、気のゆらぎをうまく読めないというなら、相手はそれだけできるのだろう、と推測できる。こんなふうに消極的なことで認めてもな、と、深識が内心こぼすと、知ってか知らずか北斗は自分の問いに自分で答えを出した。
「僕、そうじゃないようにおもいます」
‥‥殺気感知なら、北斗のほうが上手だった。
大神総一郎(ea1636)は、道ばたの礫を、拾い上げた。烏天狗と真正面からぶつかりあう必要はない。戦闘を回避して時間をかせげれば、何よりめんどうな彼らの飛行の手立てさえどうにかできれば。‥‥舞い手である彼が魅せるための体のをたいせつにしているように、天翔る烏天狗にとっても、羽根はかけがえのない一部分だろう。できるなら、手折ってしまいたくない。
小石へ錬をおこなえば、と、同時、総一郎に起こった現象が、来訪者たちにもあらわれる。
それは、時羅亮(ea4870)にとってもみなれた――もっと身近な、むしろ同一の。彼が呼べばうちから目を醒ます、夾竹桃の色の闘気が、二体の烏天狗の身上にもまばたいた。
「オーラ?」
黄泉の客が、天狗らに対してちょっかいかけた遠因のひとつが、これだ。が、不知火に助言したリュー・スノウが、オーラの存在を知らなかったのもムリはない、ふだんは天狗の指揮下にある烏天狗はめったに人前に姿をあらわさないのだから。でも、これで、まちがえようはない、黄泉人がオーラを使うわけがない。
‥‥亮の、長差し、中差し、をかまえる両腕が、ふいにゆるんだ。あどけない顔立ちをひきしめるため、奥歯に籠めた精一杯がやわらぐ。おなじ技をつかえるものと向かい合える欣悦――二天一流実業の剣客――しかし、それに酔っているときではないことも知っていたから、すぐさま防戦に十手を水平にさしだして、半身をたてる。
「待っててねー。こら、あばれない、こわくないんだから」
ふつう、上からばっさばっさとやってきたら、おっかない。逃げ出したがる匹馬からレベッカが荷を降ろす横で、冬狐は四次元的にしのばせておいた経文の一本、――運良くたがえず、目的の巻をとりだした。裳裾開くよう、それがほどけて、冬狐の肌にも白選の蝶がとまる。
ふいに、一体の烏天狗の動きがにぶった。勇んだ飛行をとりやめ、行き場なくした紙吹雪のようなやさしさで着陸する。が、もう一体は、燕のはやさ、鷲のするどさ、梟の正確さで、鉄槍をちょうど総一郎の「真横」へ突き出した。一分の逡巡もない真空の穂先が、彼の力量をしめしている。
「‥‥帰ってくれ‥‥」
「なりませぬ!」
それはたぶん、千年生きた鶴もおどろくぐらいの珍事。惣右衛門の蛮声。
「おどろかせて申し訳ありませぬな。しかし、わたくしの顔をおぼえておられますか? でしたら老い先みじかい年寄りに免じて、閑談の場をもうけていただけませぬでしょうか?」
‥‥惣右衛門のほうはといえば、実のところ、以前邂逅した烏天狗かどうか、あまり自信はない。知識ないと見分けつきにくいのだ、妖怪・化生のたぐいは。けれど、パチ、と槍のおさめる音がひびいたから、おそらくはそれでいいのだろう。
「あ、あの、僕らは金房さんを助けに行くんです」
北斗、瞬間の烏天狗の槍技にのぼせかかったのを、首を車輪のように振って、もどってくる。
「金房さんを助ければ、あなたがたも黄泉人の言いなりになる必要はないのでしょう?」
「あなたがたもそれを待っていたのではないですか?」
冬狐は、けっきょく『チャーム』の経巻をかたづけた。‥‥使えば、交渉はおそらく楽に運ぶのだろう。が、使ったところを目撃されるのは否めない。魔法で状況を有利にした、と、あとから責められては、意味がない。だから、今は、やめた。
自分のことばで、つたえよう。ほんとうに金房を助けたい、と思っていること。それと同じくらい、天狗たちも助けたいと思っていること。冬狐、ひとりごち、よし、と決断する。
しかし、烏天狗は冒険者らに悲しい目をする。陸にあげられた魚のような、黒い目。
「‥‥遅い‥‥」
「遅い? それは?」
「‥‥行けば‥‥分かる‥‥」
烏天狗は悩んでいるようであった。やっと、タガネを卸したレベッカ、それを助けたい人のように両腕で抱きしめる。
「遅いかどうか分かんないけど、失敗したって、あなたたちのしわざとは分かんないでしょう? ねぇ?」
琥珀の肌の翡翠の瞳、ありとあらゆるところを真剣の本気にした。それ以外、知らなかったし。本当のこと以外、できなかったし。けれど、返辞はそれでもとがった沈痛。
あたりをうかがうのみの不知火が、突如ぽつりとことばをもらす。警戒時の鷹の目が烏天狗を見るとき、水を入れたように、うすらいだ。
「本意なき場に留まる森民の身は『苦しい』のではく『悲しい』‥‥そう云う女が居てな。どうだろう、もう一度だけ賭けてみちゃあくれないか?」
痛み‥‥あわく、退いてゆくように。
重さ‥‥ゆっくりと、なくなってゆくように。
不知火をまねるような声色で、烏天狗はようやっとふたたび口をひらく。
「賭けるのではない‥‥」
つづけて、
「信じる、のだ」
まるで、刷毛で、まっしろにつぶしたような、あいま。北斗はこけつまろびつするように、はいはい、と片手上げる。
「ぼ、僕も。僕も烏天狗さんを信じます!」
「坊や。きっと大きくなったら、私みたいないい男に育つわよ?」
「わぁっ?!」
やにわに不知火に頭かかえこまれて、北斗、わたわたする。不知火はあまったもう一方の手で、烏天狗に挨拶をおくった。うってかわって、あだっぽくなる仕草に、烏天狗のかえした礼儀はかなりぎこちないものだった。
「あなたのお名前は?」
「羽黒坊烏慧‥‥」
‥‥
「俺、出番がなかったな‥‥」
だって、残念ながら、みんなで説得するわけにもいかなかった。大和が不死者でまんぱいなのはいまや童唄にすらうたわれる現実だ、誰かが常に周辺へ気を配っていなければならなかった。
俺のあたまじゃ烏天狗怒らせただけかもしれないしな、と、深識、ときどきは桃木の刀を薙いで旋風まきおこして、戦わないですんだんならめでたしだよな、と、深識、駆ける足は跳ねて過ぎて蹴って、
「その恨み、ここで晴らせてもらう!」
なにが原因であろうと、奮戦はたたえられるべき、かも。まばらな数の亡者ども、棺職人は電撃的にからっぽの早桶へたたきこむ。亮は苦笑し、ちがった流儀で、あとを追う。烏天狗にあったきらめきを、今度は亮、己にはためかせながら、翼あるもののように両腕をまわす。ひたすらに斬り、さばき、死のむせる悪臭までは十手だろうとふせげないから、刀の割った剣風でひるがえす。
冬狐のもつ念話の経巻であらかじめ金房とやりとりしていたとはいえ、彼のいる位置はしっかりさせられなかった。少しずつ、やってみるしかないだろう。
‥‥でも、どうして烏天狗さんはここへ来なかったのでしょう? と、冬狐は水に落とした墨のような一抹の不安をかんじる。烏天狗は、共同の作業は拒んだのである。遅い、と、さみしく。
――‥‥よく考えてみよう。烏天狗、ついに剣はまじえなかったので、真の腕前まではたしかめられなかった。が、おそらくはこの場の冒険者と対等以上にわたりあうことができるだろう。そして、今、冒険者たちはまるで蟻の堤をくずすように、あっけなく戦線をすすめている。それは黄泉人の防御態勢がずっとうすくなっていたのもあったし、事前の入念な作戦の打ち合わせもあったけれど、なにより冒険者ひとりひとりの強靱さもあった。
じゃ、冒険者以上に強力な烏天狗たちはなぜに全員が結託して、ここへ踏み入らなかった? 人質をとらえられていたから? しかし、それをいうなら、冒険者とて立場はそれほど変わらない。冒険者らは一度、ここへ来て姿をあらわしているのだし、「人」である金房をつきつけられればいっしゅんぐらいは「人」である冒険者もたじろぐだろう。なにか、見落としてやしないか?
そして、彼らはたどりつく。金房のもとへ。‥‥惣右衛門、少しだけ見覚えがあった。よく似ている。しかし、過信は禁物――冒険者ら、以前に痛い目をみて、それがこんな追いつめられた状況をまねいたのだから。レベッカ、どうも、とかるく挨拶、
「ごめーん、あなたが黄泉人かどうか、しらべさせてもらえる?」
「私の知るかぎり、変身後の黄泉人は、呼吸ぐらい、いつわれたはずですが」
と、レベッカ、云われて、転けた。確かめたい当人から、つっこまれてどうする。
「じゃ、俺が桃の木刀で」
「桃は黄泉人の苦手ではありますが、黄泉人のなかにも感情をつくろうことができるものもいるでしょう。過信は禁物だとおもいますが」
といわれて、深識もレベッカに続いた。何故、こんな場面で、突然の滑稽劇場が開催されるんだ。
「どうすりゃいいってんだよ!」
「‥‥ここまで助言をおこなう黄泉人がいるとは、思いませんが」
「それは、そうだ」
総一郎、じっとその人を観察する。御影涼のしらべてくれた面立ちによく似ている。涼が調べるついでに聞き及んできた情報も耳に呼び覚ました‥‥鍛冶屋の手は独特の労働のあとがあるから、それを調べろ、と。黄泉人が鍛冶屋をまねていないかぎり、そこまでは偽れないはず。
耳学問で得た知識でみるのは不安だったけれど、金房、と名乗る男の手を取ると、鍛冶屋らしきようにおもわれた。‥‥緊張をほどく。
「烏が心配していました‥‥彼に無事な姿を見せてやって貰えないだろうか」
「それはおことわりします。お帰りいただけますか? もう遅いのです」
どこかで聞いたような、台詞。
「あなたがたが一度、私を救出に来てくださったこと、失敗したことは聞き及んでいます。天狗は黄泉人への非礼をわびるため、協力を約する他、担保としてべつの烏天狗をさしださなければならなかったそうです。私がここを抜けたことが知れれば、彼の身があやうくなるでしょう。ですから、私はうごけません」
‥‥囚人の板挟み。
金房さえ助ければなんとかなるなどと、甘い策を、あの狡猾な黄泉人たちが弄するわけがなかった。そして、それまでもまねいたのが自分たちだったということを知った惣右衛門は、総一郎以上に息を細くする。
「たしかに‥‥。あなたさまの手紙には、帰れない、とだけしたためてあったそうですが‥‥」
「あ、手紙」
惣右衛門のつぶやきに応じて、冬狐は経巻だらけのふところから器用に、一葉、ひっこぬいた。‥‥遅い、の意味を知ってしまった冬狐のうごきは、鉛でもふくんだようにずっしりとしていた。
「これ。これだけでも受け取ってください」
「私もこれー」
レベッカ、タガネを置く。‥‥ほんとうは金房といっしょに持って帰るはずだったもの、でも、せめて彼のそばにあれば、金属は鍛冶師といっしょにいるのが、いちばんだ。しかし、常日頃冷静な総一郎は、まだ身じろぎできないでいた。沈着であるが故に気付いてしまったのだ。未来の可能性。
「私たちのしたことは、また、烏天狗たちに危険をおよぼすのだろうか」
「それは、私がなんとかしましょう。私さえここにいれば、なんとかなりますから」
「すまぬ‥‥救出に来たはずが、面倒をかけるとは」
「いいえ。人の声をきけただけでも、ありがたかったですから」
これ、と総一郎に重みのあるものが手渡される。
「‥‥隠しておいたんです。私の代わりに、これをどうぞ。この世にふたたび『山城国金房』がでまわれば、私の解放とはべつのかたちで、なぐさめられる人もいるでしょう」
銘のはいった槍を、総一郎、槍以上に重い責任から返そうとして‥‥ひきとる。もう、すでに迷惑はひきかえせないとこまできている。ならば、この槍で武功をたてるのも、それもまた責任のとりかただろう。
「分かった。それでは、きっと」
きっと?
「ここを無事に脱し、必ずや黄泉人を殲滅することを、誓おう」
こうして、当初の依頼は達成した。冒険者たちがねがった二次的な目標『金房救出』はならなかったが。
そろそろ朱く染まる夕空、無常の思いで、見上げる。
初雁のすぐるだんだんの空を、半人のひときわ大きい影がよぎった‥‥ような、気がした。