蜘蛛女の傷

■ショートシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:1 G 35 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:10月09日〜10月14日

リプレイ公開日:2005年10月17日

●オープニング

 まるでたいへんな傷をおったようだ、と、少年はかんがえる。それほど大きな脈動が、にぎられた手、にぎりかえす手、に、どん・どん・どん、と拍打って流れ込んでいる。自分のなかの高鳴りがあんまりにも強いものだから、隣の彼女に聞かれやしないか、と気が気でない。血の気をおさえたくって唇ましろくなるほどかみしめてみたが、鉄さびの味が舌にうっすらうつるだけで、他によいことはなにひとつない。
 いらだたしい。彼女の身長が高いことも、彼女が自分より年上らしいことも、彼女が自分を子どもあつかいすることも、彼女がほんとうにきれいなことも、なにもかも。でも、それを口さがなく言い募り、ぎゃあぎゃあと難癖つけるほど子どもではない‥‥と、自分のことをそう思っている。だから少年はむっつりとだまりつづける。彼らのわきの熊笹があざわらうように、ガサガサと気の利かない葉擦れをたて、それがまた少年をなんだかわからないけど口惜しくさせる。
 しかし同時に、安堵もしている。少年は迷い子だ。入ってはいけない、と、おとなにきつく云われていた狭山に度胸試しに踏み込んでみたはいいものの、案の定、帰りみちが分からなくなって心細く泣きじゃくっていたとき、少年のまえにあらわれた彼女。彼岸花を凍らせたような赤い着物を品よく着こなす彼女は、こんな人気のない山奥でいったいなにをしていたのだろう。少年にそれを尋ねる度胸はなかった。
 一心に沈黙する。
 息をつめればなにもこわれない、と、そんな盲信ありがたがる気持ち。
 どれくらい、だまって進んでいただろう。やがて、少年のはじめて立つ見晴らしにたどりついて、彼女はすぅっと人差し指をふもとにさした。
「あそこだ。この道をまっすぐたどっていけば、おうちに帰れるよ」
「どうも、ありがとう」
 そして再び、苦くきまずい沈黙がおとずれる。いや、きまずいのは少年にとってだけで、彼女はなにもおもってないらしく、少年が礼をのべたっきりちっとも動き出さないの、不思議そうにみやっていた。
 なにか云わなければ。少年は、あせる。夏の蝿のようにからからの喉からふりしぼったことばは、あとで考えて、わりと気が利いてるとおもった。
「俺、なにか恩返ししたほうがいいのかな」
「いいって、そんな大袈裟なの」
「でも」
「‥‥まぁ、そんなにいうなら」
 彼女はわらう。ゆがめるくちびる、寝待月のようなかたち。もうすぐ月のない夜が来る、あっというまに闇にとける。
「大きくなったら、あたしんところ、食べられにおいでさ。頭からばりばり、骨一本あまさずきれいにしてあげるよ」

 ※

「彼女は女郎蜘蛛だったんですよ」
 当時のおとなたちは知っていたのだ。その山に、女郎蜘蛛が住まうこと。女郎蜘蛛はあでやかな女性の姿で誘惑し、糸で絡めて男を喰らう。
 ‥‥ただこの山の女郎蜘蛛は少々気まぐれで、かつ、へんに人なつこいところもあった。餌にならない女や子どもにはわりに親切だったのである。少年――かつての依頼人で、今はもう十九歳の立派な成年――を送り届けたのも、そういう風まかせの恣意のひとつだったらしい。時折山へ迷い込んだ無知蒙昧を食するだけで、わざわざ郷へ降りて荒らすようなこともない彼女は、人間の山への立ち入りをいましめるだけで対処がすむので、だいぶん放置されていた。しかし、依頼人は冒険者をやとってまで、禁をおかそうとしている。
「ずっと忘れられないんです、十年もたってるのに」
 ――どんな女性をみても、彼女とくらべてしまう。彼女のほうがきれいな肌をしていた、彼女のほうが赤い唇をしていた、彼女の髪のほうが艶っぽかった‥‥。
 そこでようやく、話を聞かされていた冒険者も、事の次第をおぼろげながらさとる。依頼人の初恋は、女郎蜘蛛だったというわけだ。そりゃ、むくわれない。
「彼女とむすばれたいってわけじゃないんです、ただケリをつけたいんです。俺を女郎蜘蛛のところまで連れてってくださいませんか。‥‥でも、あんまり死にたくないんで、まもってください」
 ちゃっかりものめ。

●今回の参加者

 ea0822 高遠 弓弦(28歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 ea6433 榊 清芳(31歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea9616 ジェイド・グリーン(32歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 eb1788 華宮 紅之(31歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb1821 天馬 巧哉(32歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3273 雷秦公 迦陵(42歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb3361 レアル・トラヴァース(35歳・♂・レンジャー・人間・エジプト)
 eb3611 六儀 蒼華(37歳・♀・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

アウレリア・リュジィス(eb0573)/ 神哭月 凛(eb1987)/ 鷹司 龍嗣(eb3582

●リプレイ本文

 恋とはどんなものかしら。奇妙で峻烈で放蕩な情念。まして初めてのものともあらば、それはどんなふうに特別のものなのだろう。
「俺の初恋は隣の年上のお姉さんだったな。聞くか?」
「今日はえんりょしとくわ」
 依頼人とおなじく男性である雷秦公迦陵(eb3273)は硬性のおももちにふくむところありそう、しかし、話をふられたレアル・トラヴァース(eb3361)は我関せずと、初恋、はつこいなぁ、と、誰へともなくひとりごちる。
 運命のふりだしで妖異によろめいてしまった、と、宮廷でつむがれる歌物語にもありそうに、たあいない事象。笑っちゃいたいような、しかし、依頼人のそばでにやけるのもはばかられるので、英語やとファーストラブ、と前後不明の繰り言つむぐ。
 その点、天馬巧哉(eb1821)はずばりと切り込み、迦陵へ、けんもほろろに。
「その『お姉さん』とやら、もう、ふつうのおばさんになっていると思うぜ」
「まぁな。それぐらい、分かってる」
 迦陵、三十二歳ともあらば耽溺する年頃もすぎている。海棠の雨に濡れたる風情はあわいをおいてながむるにかぎる。
 ――依頼人はそうじゃあないとおもっているし、だからこそ、依頼がなりたってるわけだが。
 もっといえば、それはおもに男性陣の見解で、女性は他になにかかんがえるところがあるようだ。
 榊清芳(ea6433)。平素、男性的なふるまいを嗜好しても、彼らの恋わずらいの真相までさとれるものでもない。他のものよりいくぶん足曳の山辺慣れてるのをいいことに、あまった耳をそれとなくいっしょうけんめいそばだてたりしているのだった。
「弓弦ちゃん。そこあぶないから、気をつけて」
「はい」
 ジェイド・グリーン(ea9616)は高遠弓弦(ea0822)に障害しめすだけでなく、彼の右手で彼女の左手を引きつつ、弓弦の足まわりとその付近から危険を追い払う。よくよく見れば、弓弦のまなじり、胡頽子のようにささやかに色づき、それはたぶん、活動からくる上気だけでなく、胸の奥からたちあがる作用、反作用。
 ‥‥ふぅん。
 幽深の渓谷のぞきこむように、すとんと腑に落ちた。恋とはそういうものなのだろう。
 ――冒険者たちのめざすのは、かつて女郎蜘蛛が連れて行った依頼人を連れて行ったという、山裾を見下ろせる中腹。のはずなのだが、なんせ、十年も前の話である。肝心のところはおぼえのわるい依頼人、道行きは一筋縄でいかなかった。
「あせっても、しかたがなかろう。ひとまず、このあたりに、巨大な生物はいないようだ」
「熊は? 狼は?」
「さぁ?」
 経巻を巻き戻しながら、華宮紅之(eb1788)はなんでもないように言い切った。たぶん、彼女、朝の挨拶するときも、破産を宣告するときも、こんなふうなんだろう。
 でも、彼女以外はものすごく、時化のあとの海原のごとく、ひいていた。
「な、なぁ。なに、女郎蜘蛛はんに云うつもりなん? ふっきれればええけど、逆に惚れてしもたらどないすんねん」
 レアルが依頼人へたたいた軽口、それもじつは洒落になっていない。鷹司龍嗣も云っていたではないか、女郎蜘蛛は悪性の虫獣というより、典型的な妖怪変化だ。そういうことがないとはかならずしもいえない。依頼人、口ごもるのを、六儀蒼華(eb3611)はつっけんどんに見遣って、
「難儀なやつ」
 ぼそり。にぶい言質で、するどく斬った。巧哉は、はぁ、と、どうとでもとれる深い溜息ついてから、依頼人へすげなく、
「よっぽどの美人は他に、もっといると思うぜ」
「そうそう、ここらには四人もいるしね」
 ジェイド、あぁでも、と弓弦にからめたてのひら、じゅんばんに力こめなおしながら、
「弓弦ちゃんは、やんないけど」
 さようか。

 それでも、おびただしい時間の経過ののち、らしきところにはたどりつくことができました。
 ここが一時の拠点。乙女は乙女にまかせまして、と、彼女らが山間へ分け入ってゆくのを、待機する側の男性たちはたのもしく、さみしく、それとも他人任せの申し訳なさ、こらえながらみおくって、しばらくして。。
 ジェイド、依頼人の手元を星降る碧の瞳で見澄ました。
「しおれちゃったね」
 目線でたぐるは、彼岸花。
 ジェイドの、花でももっていったら、との勧めに、依頼人がえらんだひとむら。贈る花としてこれほど不適切なものはない気もしたが、その、金色の秋には似つかわしくない紅が、彼女をどこかおもわせるというので。
 ジェイド、べつに、ジャパンの大多数の感ずる彼岸花への忌みはもちあわせていない。だから、へぇ、と納得した程度だ。弓弦ちゃんの着物の柄にどうかな、と、おもしろがるゆとりまである。
 縒った花弁が涼籟にすすがれるたび、迦陵はおちつかなくなった。右目が共振して、粒子に流れてしまいそうなまぼろし。が、そんなもろさはないしょにして、いつもどおりの面構えたもったまま、依頼人のかたわら、彼の生来のしめすままに忍ぶ。
 ――山はひっそりとしている。ひどく。
 それは、彼女たちが行ってしまった、というあきらかな立証でもある。レアル、そろそろや、と、小憎たらしくほくそえんだ。
「なにを」
「じょそうやよ」
 女装。
「なんで!?」
「ほな、逆に訊くがな。女のかっこして山のぼりたいか? むっちゃしんどいで?」
 問題の要点は「女装するか・しないか」であって、「いつどこで女装をするか」じゃないのだが。
「万が一ってこともあるやん。女郎蜘蛛もかわいらしく決めといたら、みのがしてくれるかもしれんで。ひょっとすると」
「ひょっとすると、のために、女装か!」
 ‥‥あんた、ツッコミじゃなかったのか。レアル。水を得た魚のような、滔々とした、我が道我が旅ぶりはなんなんだ。
 森閑をかきみだすにぎやかさに、巧哉は陰にまぎれて、くたびれた吐息を、ほぅっと。こういう噪音は苦手なのである。山のもつがままの、得体の知れぬあなぐらみたいな、暗がりや静けさを愛する巧哉は、そうっと場を離れようとする。しかしさすがに咎められ、彼はあらかじめ胸にためておいた計画をうちあけた。
「相手は女郎蜘蛛だ。食えない彼岸花ばかりじゃ機嫌をそこねかねんだろう。いまのうち、ウサギでも狩れないか、と思ってな」
「付いてこか? 僕とかレアルはんとか、けっこう上手やよ」
 レアルもジェイドもレンジャーだから、狩猟についてはそれなりの知識や経験がある。しかし、巧哉は淡々とかぶりをふる。
「依頼人を放り出すわけにもいかないだろう。すぐ、戻る。あぶなくなったら笛を吹こう」
 うん、それじゃあ気をつけて、と送り出してから、数刹那もたたないうち、レアル、事の真相に気が付いた。
「逃げられてもうた!」
 ご明察。
 レンジャー畢竟、狩人である。レアルは崖っぷちにのこされた哀れな獲物をながめわたした。

「弓弦さん、どうした?」
「『いやっ。おかされる!』とジェイドさんの悲鳴が聞こえたような‥‥」
 でも、ジェイドさんは男性ですもの。鳥の声を聞きちがえたのでしょうね。弓弦は白い顔にくったくのない笑み浮かべて、清芳もそのとおりだろう、と信じていたから、こくりとうなずく。
 純粋って、すばらしい(視線を合わせずに)。
 日ごと冷めゆく昨今だが、山中はすでに肌寒い。日射に悩まされるよりはずいぶんマシだが、線の細い弓弦には袈裟一枚きりではたまらないものがあった。清芳のうしろからついていくのがせいいっぱい。
 しかし、彼女は彼女のできるかぎりをやろうと思う。
 なんだか、ぜんぜん怖くないのだ。足場は悪いけど、誰かが場所を空けて待っていてくれるような気がするほど、彼女の心拵えは前向きだった。なにより依頼人の恋心のため、すべての恋のため、というのは大げさだけど。
 清芳は一足すすめるたびに、きょろきょろ、あたりをうかがっていた。女郎蜘蛛につながる痕跡でも見つからないものかと。
「ないな」
 今回はたまたま山に居着いていたようだが、他の女郎蜘蛛も山中を在処とするとはかぎらない。獣道や水をとれる草などの見分けはついても、それを女郎蜘蛛が用立てているかどうかまでは、なかなか見定められなかった。ついに観念する。
「呼んでみたほうがいいのだろうか?」
「どうやって呼ばいましょう?」
「じょろうぐもさーん、と声をかけるのは‥‥」
 なんか、おかしい。
「では、弓弦さんが迷子になった、と、泣いてみる、のは」
「えぇ?」
「いや、やっぱりいい。もうしばらく、歩こう」
 たとい、ふり、でも弓弦を泣かせるのはたいそうな悪さにおもえたので、体力のけずられる一方だが、きちんと足を棒にすることにした。

 紅之、しっかりはぐれている。
「なにがまずかったのだろう。あかふん君、どう思う?」
 利き手のあかふん君(赤褌装備の身代わり人形)ぱくぱくさせながら、対等に会話をする。いや、たぶん、それが原因ではないかとおもうのですが‥‥。
 巧哉から借り受けたブレスセンサーの巻物があるので、人のいるところは見つけようと思えば見つけられる。だから、紅之はそれほどあわててはいわなかった、というよりこれも気立てなのだが。
 山歩きの風景は微妙な変化の連続だが、そればかりでは、じょじょにだれてくる。必要なだけの注意力もなくなりそうで、いっぺん彼女は足を止めることにした。
 空が、見たい。
 葉あいから折節にこぼれるてっぺんは、きれぎれすぎて、ものたりない。これでは天候をうまく読めないではないか。出かけに神哭月凛がウェザーフォーノリッヂで、短期間の予測をたててくれてはいたが、天候占師の矜恃としては、手ずから確認しておきたかった。
 それに、
「山の天気は変わりやすい、とよく云うしな」
 あ、あ。そんな不吉なことを、ほんとうに口にしてしまっては。

 まよったと思うときに、人は途方に暮れる己を初めて発見する。のぞめばいつでも錯綜、昏迷、鬼笑う闇、はおとずれる。そう、今、たった今。
「じゃあ、迷ったな」
 結論、はや。
 蒼華は迷い子(←二十七歳)とはおもえぬくらいに堂々と、体をそびやかし、ぐるりと八方睨みつけた。沈没の深緑、紅葉。しかし、彼女はおぼれない。
 ――出てこい、女郎蜘蛛。
「待つ用意はある」
 ちょい待て。さすがに野営の準備はしてないでしょが、それは決意のほどを高らかに表明したというだけだ。蒼華、まるで討ち入り寸前の剣客のよう、ゆるぎない気迫をあたりへくばる。
 そのまま、四半刻ほど過ぎたろうか。
 いいかげん目を光らせることにも倦み、蒼華、なんとはなしに枯れ枝蹴り上げたときである。
「おもしろいねぇ」
 声。
 かけられる、突如、うしろから。
 慌てず騒がずおもむろにふりかえれば、山中には不似合いなしどけない女、人似が、唇つりあげながらこっちを見ている。
 殺気はないような気がする。人間への観察をあてはめてよいかは不明だが、己の勘以外、この場合は頼れるものがない。
「私はおもしろいか?」
「だって、迷ったと云いきっときながら、そこまで超然とかまえてるやつ、見たことないから」
 ‥‥褒められたことにしておこう。
 蒼華は麓が見えるところまで、案内をたのんだ。目印はつけてあるが、山間はおそらく彼女のほうが詳しいだろう。
 彼女が、女郎蜘蛛ならば。

「いーやーー俺の初めては弓弦ちゃんのものなのーーー」
 斬新だな、と、蒼華は考えた。
 女郎蜘蛛に食べられるくらいなら、いっそ、まえもって仲間内で食べてしまおうとは。
「時期尚早すぎやしないか? 女郎蜘蛛だ。彼女の態度をみてからでも、遅くはないだろう」
「ちゃうっちゅうねん。見て分からん?」
 ちっとも、分からん。レアル、空き時間、ジェイドへうまのりになって女装させようとじたばたしていました、なんて、説明してもらわなきゃぜったいに分かりません。
 なお、迦陵は自称”炸裂玉”こと微塵隠れを連続させたおかげで、かろうじて被害をまぬがれていた。事前の戦法はじゅうぶんに練っておくべきだという教訓だが、それは、女郎蜘蛛への対策ではなかったか、というツッコミは、お空の彼方にぽいっ。
 やっぱり女郎蜘蛛だった彼女、さすがに目の前の展開には唖然として、なにも手出す気が起きなかったらしい。ぼけた睨み合い、続けるともなしに続けているうち、離れていた冒険者らももどってくる。弓弦の帰還までに着衣の乱れを修正することができたので、ジェイド的には、間一髪。
 依頼人が女郎蜘蛛の前に立つ。すると、冒険者たちのあいだに、あらまほし緊張感がかえってきた。化生への変身は、すなわち、彼女の食欲をしめす。そうなってからすぐに動けるように、と、かまえてみれば、依頼人の額もすぅっと小粒の汗がつたい。
 依頼人は、あの彼岸花と、胸に入れておいたなにやら一葉を女郎蜘蛛につきつけて、
「読んでください!」
 と、元来た道、冒険者たちをそこへ置いて駆け足、去ってゆく。これが依頼人のいう、ケリ、であった。思いの丈をぶつけた印を、かたちとして残してゆくこと。――でもさぁ。
「女郎蜘蛛って‥‥」
 きっと、手紙は読めません。冒険者たちの懸念、どんぴしゃである。女郎蜘蛛、受け取った花と書簡、眺め眇めつしていたが、赤子がそうやるように、がじがじと端から甘噛みしだす。
「あ、いけません。そんな乱暴にあしらっては、せっかくあの方がおいていってくださったのですから」
「えー。でも、あたし、おなかへったよー?」
 冒険者たち、ようよう、おもいだした。そうだ、これは、これでも女郎蜘蛛だった。いつなんどき、本性にかえるか分からない。
「うらんでくれるな」
 紅之、指を魔呪のかたちに合わせる。月光のまたたきとともに、眠りの粉がさらさらと湧きだし、女郎蜘蛛のまぶたをぬった。すやすやと眠りこける女郎蜘蛛のそばへ、巧哉は狩り出したうさぎ、添わせる。
「土産だ。うさぎは喰ってもいいが、手紙は喰うなよ」
 まぬけな手段だが、あれでも依頼人のできるかぎりのようだから。
 ジャパンではよくあることだけど、恐懼もたらすものを祀りあがめているうち、親しみや愛着に変わったりする。アウレリア・リュジィスが村内で聞き及んできたかぎりでは、女郎蜘蛛は麓の村にとってそんな存在だった。‥‥ちと、しんみりする。
 なるべくなら殺したくないし、まぁ、できれば、心のうちも傷つけたくはない。こうしていろいろうやむやにしてしまって、とっととこの場を去るべきだろう。依頼人、一足先に行っちゃったことだしね。
「そうだ、云わなければと思っていたのだが」
 そうしてしずまってみて、紅之はやっとたいせつなこと、思い出した。
「あかふん君と相談したのだが、どうやらそろそろ雨が降るようだ」
 ――そして、しんみりどころか、冒険者たち、どしゃぶりのなかを帰ることになったのである。
 ただ、彼岸花だけが、雨に打たれて生き生きと光、はなっていた。