【伊賀<煙りの末>】 蝶の、舌。

■ショートシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:3〜7lv

難易度:易しい

成功報酬:2 G 4 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:11月04日〜11月09日

リプレイ公開日:2005年11月12日

●オープニング

 古来より伊賀は、隠し国と呼ばれる。
 京に近接する場所にありながら四方を高い峰にかこまれ、往年は寺社の統治する荘園が主な土地をしめていたので、中央が干渉をひろげにくかったためである。このため伊賀は、京で政争に破れたもの、もしくは逆に京の権力術数への挑戦を企むもの、彼らを支援・助勢するもの‥‥などが潜伏する地として、ひじょうに都合がよかった。彼らにとって必要な力とは、敵方のすきをつくための正確な情報網、それを密やかかつしたたかに構築する技術、であった。
 ――そして伊賀は、諜報術について独自の発展をきわめ、それはいつしか忍法とよばれる体系へと昇華された。
 現在の伊賀国は、藩主・国司は建前としてかかえてはいるものの、彼らに実際の権力はあたえられていない。政治経済のほとんどは、伊賀三上忍と呼ばれる三人の領主の合議によって、とりおこなわれている。だが、そのうちのひとり、千賀地保長においては、生活の半分を洛内でおくっている。
 これにはいくつかの理由があった。忍びの派遣をたいせつな産業とする伊賀だが、固い結束を維持せんがためのいくぶん閉鎖的な気質により、外交にあたれる才をもつものはすくない。それを一手にになう千賀地には、伊賀へひきこもるいとまがあたえられなかったのである。
 そして、小なる理由としては――‥‥。

「おかげさまで、めどがつきました。いえ、実際の発足はもうすこし先の話になりそうですが」
 千賀地保長。
 近頃、彼は冒険者ギルドに身をよせる機会が多くなっていた。しかし依頼をおろすことめったにはなく、たいがいは手代と世間話にちかいようなやりあいをしてぶらりと帰ってゆくばかりで、いっけん冷やかしのようにもみえる。しかし、彼には彼で冒険者ギルドと交渉をもたなければならない、大事なわけを胸のうちに秘めていた。
 手代のひとり、格好をあらためながら、話に応じる。
「前からおっしゃられていた『煙(けぶ)りの末』ですか?」
「はい。まだ少し、手間を超えねばなりませんが、たいした山ではありません。そちらにも多々ご迷惑をおかけすることがございましょうが、その節はよろしくおねがいいたします。‥‥手間賃は、はずませていただきますから」
「はは」
 手代はひきつれたような、しびれたような、みょうな笑みをつくってみせる。
 ――‥‥まずいかねぇ。
 京の冒険者ギルドは民間から自然発生した江戸のものとちがい、陰陽寮の外郭団体という、半官半民のあぶなげな位置にある。それがこんな、胡乱な橋わたりに手を貸すような‥‥。まぁ、いいさ。いざとなりゃ責任はひっくるめて「伊賀」がもつってんだから。
「今日はどのようなあんばいで?」
「しばらく、伊賀へもどる用向きがございまして。ほんのしばらくですが」
 千賀地はにこにこと、好々爺のごとく、顔をくしゃくしゃにして笑ってみせる。いや、千賀地、四十に超えるか超えないか。ぽつぽつと霜のふりはじめてもおかしくない頭髪は、墨でも刷いたようにまっくろい。
「私もここ最近は書三昧の、蟄居の身。世間の風にうといものでしてね。郷へもってかえる、よい土産話がみつからないのですよ」
 嘘だ。
 仮にも伊賀三上忍の一角を名乗り、しかもそれをなにひとつ憚ることなく、対外へしめすもの。大名並みの用心の網を、洛内外におさまらず、引いているにちがいない。だが、そんなことはおくびにもださず、うやむやな笑みを絶やさない彼は、ひょっとするとなにもかんがえてないのでは‥‥そういうふうに見えるときもある。
「ですから、冒険者の方から、なにかおもしろいおはなしを聞かせていただけないかと思いまして‥‥そうですね。御題がなくては、舌もすべりにくいでしょうな。『まちがい』というのはいかがでしょうか」
「は? まちがい、とは?」
「人はまちがいをおかすものです。どうしようもない業、しかたがありません。だからこそ、克己し、挑戦し、ついに切り抜ける、その瞬間にかがやきはあたえられるのです」
 だから、そういう話が聞きたいのだ、と。
「‥‥できれば、魔法に関してのおはなしがよろしいのですが。そこのところは、こだわりませんよ」
 あぁ、そうだ。思いついたように、千賀地はつけくわえた。
 冒険者ギルドには、伊賀忍も何人か所属しているはずだ。なかには抜け忍もいたはずだけど――ま、目をつぶっておこう。伊賀をしきるもののひとりとして、千賀地から彼らへの伝言。
「ギルドだけでなく、たまには私のほうにも顔を見せるように、と、お伝えいただけますか?」

【おまけ】
 伊賀を統治する伊賀三上忍は、以下のとおり。
・藤林正豊:伊賀国北部
・千賀地保長:伊賀国中部・上野(ただし、現在、伊賀での権限のほとんどを下の百地氏に委任している)
・百地玄西:伊賀国南部・名張
 三上忍は各隠れ里の長である中忍をたばねる役目を負うが、具体的な運営方針はそれぞれの里長の判断にまかせられている。このため、各郷ごとに様々な特色がみられ、伊賀忍といっても画一の基準はほとんど存在しない。
(なお厳密には、三上忍といえど中忍とおなじ一介の領主にすぎず、ただ他よりいくらか有力だというだけである。このへんは三諸侯とよばれる源徳・平織・藤豊ですら、ひらたくみれば全国を統一してるわけでなく、一地方の藩主でしかないのと理屈はいっしょ)

●今回の参加者

 ea5410 橘 蛍(27歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea6393 林 雪紫(29歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6433 榊 清芳(31歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea8968 堀田 小鉄(26歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea9460 狩野 柘榴(29歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea9805 狩野 琥珀(43歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb1861 久世 沙紅良(29歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb2395 夏目 朝幸(23歳・♂・忍者・人間・ジャパン)

●サポート参加者

伊珪 小弥太(ea0452)/ 草薙 北斗(ea5414)/ 狩野 天青(ea9704

●リプレイ本文

 京の町屋といえば「鰻の寝床」と揶揄される細長い造りと、それから、尺寸の壺庭。通風と採光の装置であるそこは、蹲、灯籠、袖垣などが、狭小のくぎりで品よく見目よくあそんでいる故、散策には適しておらず、――‥‥。
「これじゃ、お昼寝ができないですよー?」
「にゃんにゃんさんも、いないですー」
「鬼ごっこもできないですー。でも、かくれんぼにはよさげなのですー」
「こーら、お子さまたち。なにしに来たんだ」
 はじめから順に、林雪紫(ea6393)、夏目朝幸(eb2395)、堀田小鉄(ea8968)。銘々自由に格付けするのを、狩野琥珀(ea9805)はなんだかうれしそうにたしなめた。けっきょくは芯から子ども好き。ごつん、ごつん、とかしらへ順番にやる手に、たいした真剣はこめられていない。
 けれども、もともとお行儀のよい雪紫、わるさしたなぁ、ということを悟ると、ていちょうにお辞儀をして恐縮する。
「ごめんなさい、千賀地様」
「かまいませんよ。奥庭はもうすこし広いですし、柿の木もありますから、あとからご存分にどうぞ」
「‥‥ほんとですか☆ 茜丸もいっしょでもいいですか? 茜丸はぽかぽかふわふわなんです、とってもあたたかいんです、きもちいいんです☆」
 にこにこと輪菊の笑みを浮かべる雪紫はそれでいいのだけども、小鉄は、彼の親分とゆうか兄貴とゆうか、そんな伊珪小弥太に教え込まれたあれこれで、暴走とまらぬ。
「くるっとまわる壁はー? 掛け軸のうらの秘密のおへやはー?」
 ふつうの町屋にまで、そんなものは、ないから。
「‥‥ないのか」
「期待してた?」
「うむ。一度目にする、よい機会かとおもっていたのだが‥‥」
 久世沙紅良(eb1861)に生返事ながら、これだけは云っておかねば、と榊清芳(ea6433)、目を強くして沙紅良を見澄ます。
「べつに、どんでん返しとやらにひっかかってみたかったわけではない」
「はい、はい。私も常々興味深いとおもっていたよ」
 沙紅良、濡れた紅玉のよな、つやめく片頬笑みをさっと。そして、横合いから話を聞きつけた狩野柘榴(ea9460)は、少年と青年のあわいの、胸郭をぐぐいっと反らし、心得顔。
「へへーん。俺なんか、何度も行ったことあるもんね。隠し通路の出口が見っかんなくって迷子になったことも、刀隠しにしまっておいたはずの刀がとりだせなくなったことも、しょっちゅうだもんね!」
 ――‥‥。そこまでいくと、いばってよいものかもしれない。
 けれども、庭園批評でもお宅拝見でもない今日、まずは日常のことわりどおりにご挨拶からはじめましょう。
「本日は、よろしくおねがいします。――‥‥伊賀分家、橘一族の一人。『蛍』ここに推参つかまつりました」
 十七歳、橘蛍(ea5410)。にゃあにゃあと、あちこち楽しげに視線をうつす草薙北斗をなだめながら、片膝ついた恭順で、うやうやしく頭を下げる。

 求肥飴に、栗きんとん。通草ほどの大きさの菓子のなかには砂糖がたっぷりとまぜこまれて、寥々たる贅沢。清芳は見た目だけでもう、じゅうぶん堪能‥‥ということは、ない。小鉄は黒文字たばさみもせず、手づかみだ。
「どなたからお話を聞かせていただけます?」
「ほら。こてっちゃん、こぼしたやつを拾って食べない。‥‥あれ? みんな食べるのにいっしょうけんめい? じゃ、俺かね」
 こんなときでもうかうかと子守を優先させてしまう琥珀、ぱっと見にはわりをくっているようだが、猫舌の彼にとってはお茶を冷ますあいだをつくるにはちょうどいい。それを知る柘榴は、わざわざゆるやかに、ぱくついていた。
「んと。金房って名のある鍛冶師がいるだろ。その人が黄泉人にさらわれて、でもとりかえせなくて、だのに烏天狗から長槍あたえられて。俺は何してんだろうなって。それが今の、人生最大の汚点」
「‥‥ま、おじさんはがんばってると思うよ」
 柘榴はまだ半分も手を付けていない求肥飴を、あらたまって草刈りするかのような按配でざくざくと切り分け、口内へ投げ込みがら、むごむごとしゃべる。
「俺も、やっぱり冒険者ギルドの依頼の話なんだけど。‥‥力が足りなくって、がっかりすることはいつもだよ。邪魅ってゆう妖魔がいてさ、邪魅は人をそそのかすんだけど」
 食道をつるりとすべりおちておさまる、甘露。こんなふうにあっけないものなら、ぜんぶ、ゆかしい障害ならば。
「‥‥べつに、そいつは倒せたんだけど、邪魅にけしかけられた女の子は、いつか幸せになれるんだろうかって。なんか‥‥すごい悲しいんだ。いくら忍法とか体術とか強くなったって、それを活かせなかったらしかたがないんだよ」
 しん、とした。
 森の奥。湖の傍ら。朝焼けの山際。そういうふうに寂々になった――ところを、小鉄が、肺をしめあげそうなほどせつなげに吐く、感心感動の気息。
「へー。やっぱり忍者さんはちゃんと『宿敵』をもってるんですねー」
「あ?」
「僕の親分さんが、そう話してたのですー。忍者は一家に一台『宿敵』をもってるって。あ、でも、皆さん真っ黒い服着てないですから‥‥忍者のみならいさん?」
 僕の一族にも「自分は忍者だ」っていう人がいるのです。でももう大人だし、かわら版屋さんだし植木屋さんだから、偽者だとおもうのですー。
 右手をしかと固めながら主張する小鉄を、琥珀は、骨がきしきし云いだしそうなほど、ぎゅっとかかえる。
「‥‥かわいいなぁ、こてっちゃんは」
「おじさん、そんなことばっかりやってるから」
「うちの天青もな、今日は別件で連れてこれなかったけど、すっげえかわいかったんだぞ。や、今でもじゅうぶんかわいいけど。だのに、柘榴が江戸に行ったら天青も追っかけてってちまうし。怖い江戸で怖いおっさんにわけのわかんないことされたらたいへんだって、おっかけてったんだけど」
「わけのわかんないことやってるおっさんは、そっちだろーーっ」
 ぐしゃ。
「‥‥云わんこっちゃない」
「敵ですね、敵ですねっ」
 息子です。
 ――と、講釈するはずの琥珀がのびてしまったので、はいはい、と、元気いっぱいになのりでた、
「朝幸ですよー。朝幸は千賀地様におたずねしたいことがあるのです」
 どうぞ、と、うながされると、朝幸は過去にすねこすり相手の依頼を受けたのですけれど、と粛々と。
「すねこすりさんは、うにゃーん、な、ちょっと変わってますけれど、とてもあいらしい猫さんなのです。朝幸でもどんなにかわいらしくても、妖怪は妖怪ですし、退治する対象なのです。けっきょくすねこすりさんは捕獲して遠くに逃がしましたけれど、『妖怪は退治すべき』」という考えが正しいのなら、これは『まちがい』なのですよねー」
 茶請けをひととおり、ぱらける粒まであまさずたいらげた清芳は、黒文字を懐紙に丁重につつんで、朝幸の話に耳を傾けている。
「朝幸は常に的確な判断を下せるようになれるのでしょうかー?」
 忍びといっても、迷ったり悩んだりしないわけではないのだな。
 朝幸がいたいけな年少だから、といったらおしまいだろうけど、それを言い出せば幼ければ幼いほど、苦悩というのもささいだったような気もするのだ。幼年時代は水綿にしずみ、総じて混沌にひとしくなってしまっているが。
 清芳はみずからをふりかえる。みちのりは長くない。
 千賀地は本日のお茶会(‥‥か?)における会話の御題を「まちがい」とおいたが、それなら清芳にも心当たりは十二分にある。褒めたつもりがおびえさせた、とか、あらましだけしるしてもさまざまだが、要点はむしろそれからである。
 まちがえたくはない、というのは、とりかえしのつかない失態をおかしたくないという、本心。臆病にちかづく、真相。が、どうやったってしそんじるときはしそんじるものだし、瞳をおろしてわずらいすぎれば、閉じたまぶたのうえで、真実は最悪のかたちで恣に「かしこ」になる。
 だから、清芳にとって、朝幸の質問はそれほど彼方のものではないような気がした。
 千賀地は朝幸の問いかけに、ひとしきり思案をこらしてから、
「‥‥なにが的確な判断か、というのは一概に論ずることは難しいですね。『後悔のしない選択を』という紋切り型はうつくしいですが、それまでに経た悔恨と自省を無価値にかえします。裏の柿も登らなければ、熟柿はもげません。歯軋りなんぞは『あと』の自分にまかせて、『今』の自分は今やれるだけのやればいいと、私は思いますよ」
 朝幸は、一言ごとに胸へ刻むようこくこくやりながら、しかしうなずきかけた小首を最後にはっと止める。
「でも、わたくしは忍びではないのですよー」
「うんっ。黒い服じゃないですもんね」
「忍びではなかったのか。それは、失礼した」
「私はちゃんと伊賀忍です。にんにん☆」
 ――‥‥なんとゆうか、なんともたとえようのない縦横無尽だった。朝幸は周囲を納得させられた(向こうが勝手に納得したとゆうか)ことに気をよくして、千賀地へさらなる問診をかさねた。
「でも、どうして『魔法』なのです? なにかのおまじないでしょうか?」
「知りたーい。おはなしってなーに? 抜け忍の誰かを追いかけろ、とか?」
「‥‥そうですね、そろそろお話しいたしましょうか。じつは、冒険者の方々におねがいしたいことがございまして」
 千賀地は沙紅良へ、為体のしれぬ観覧をやる。沙紅良は、おや、と嵩の尽きかけた茶碗を、卓へとのせた。
「伊賀はね、魔法の教養のあるものがすくないのです」
 そっけない演算だ。伊賀は小さな国、しかし忍者という特殊な階級だけは、比率、総数ともに、他国にくらべ群を抜く。では、なにがわりを食うかというと、侍や志士、陰陽師といった中央の係累にちかしい彼らである。
「下国の伊賀へは、そういった官職の方々が、なかなかいらしてくれないのですよ」
 だけじゃなく、追い返したりもしているのが最たる原因なのだが。
 封じられた里は侵入者を完膚なきまで拒絶する。そのあたり、こころあたりがあるのか、琥珀は視線を宙に拡散させた。――‥‥むしろあべこべな感情。自分も出てくるとき、苦労したなぁ、と。
「が、近頃の日ノ本の情勢では、そうのんびりもしてられません。知識や経験の不足で負け戦をしたとあらば、ますますです。ですから、冒険者の方々に御助力を乞い、魔法に対する研究と研鑽の集団を結成したい。それが『煙りの末』です」
「ふむ」
 沙紅良は、引きのある、不思議に苦み走った笑みをかたどった。
 欧州ならばいざ知らず。ジャパンにおいて民間による精霊魔法の討究は、あやうく御法度ものだ。陰陽師、志士、という一部のくらいにかぎることで、神皇家はかろうじて形骸化の道をたどらずにいるのだから。
 それを陰陽師たる沙紅良の直前であきらかにするだけでなく、手を貸せ、と悪びれもせずに言い放つ。『そういう』人物である、と、沙紅良は了承した。
「聞かなかったふりをすればよろしいのかな?」
「御随意に。これは茶会の戯言、喉元過ぎればなくなる湯に相等しい。果ててしまえば、あとかたもない」
 玉塵に、似る。なごりの露筋だけが、なにかを訴えるように、ふやけた染みを溶いて。
「私は仁はおろか、忠にも義にも欠けていてね」
 やれやれ、と、沙紅良はけだるげに首をめぐらせて、
「なにせ今日の御題に沿えば、私は私が陰陽師であることが、そもそものあやまちだと考えている。たまたま公家の筋に生まれ、たまたま魔法の素質にめぐまれてしまった。あげくに退屈な修養に勤行。退屈は神をも殺と聞いたような気もするが、あれは嘘だね。それが本当なら、私はとうに此の世にいまい」
「つまんなかったのですか?」
 雪紫は月のように青い瞳を、くるりとまわした。
「私は忍者、楽しいです☆」
 あんまり上手じゃないですけど。
 春花の術に自分もかかっちゃったり☆ お魚を焼いてるところを野良猫が銜えて逃げたのを追いかけて七輪を倒しちゃったり☆
「宿無し烙法天狗って呼んでください☆」
 それはその後の江戸をかんがえると、しゃれにならん。
 境涯は、人それぞれ。雪紫の生い立ちは、沙紅良のちょうど右左を反転させたようなものだ。置いてけぼりの赤子で、「じじばばは、はかなくなっちゃったですけど」冒険者として修行をがんばって、といっても花嫁修業ばかりだけども、楽しいし。嫁の行き手がみつからないのは‥‥いつかなんとかなる、のかな?
「でも、失敗したって、私はまっすぐ明日にむかって進んでゆくのですよ☆」
 沙紅良はくすくすと喉をくるめかせながら、雪紫のおさげを指にからめる。
「こんなに、かわいいのに? きっと周りの男どもは見る目がなかったんだね」
「じゃあ、沙紅良様、雪紫をお嫁さんをいかがです? 歳末ご奉仕で、お勉強しますですよ☆」
「だーめ、だめ! 女の子は自分をたいせつにせにゃ」
 とゆうことは沙紅良への売り込みは、投げ棄てあつかいなんだろうか。琥珀がやっぱりぎゅっで雪紫をすくめて沙紅良からきりはなすのに、柘榴がふたたび諭そうとすると、琥珀がぽつん、と、口のなかだけでなにかをささめいてるのが聞こえた。
 ――‥‥俺の蓮華さんは、兄者も、兄者の奥さんも、柘榴と天青おいてさっさと夭逝しちまったからな。よそんちのお嬢様には、もうちょっと長生きしてほしいよな。
「ほどほどにしといたほうがいいよ、おじさん」
 隠す必要もない。要は、柘榴、好きなのだ。琥珀と、彼の愛息と、ふたりがきゃきゃとじゃれてるのが。柘榴の注進はみのらず、輪っかをなぞるようにもう一度、再生される草履の投擲。案の定、ころげる琥珀はしあわせそうに窓から外をながめている。
 これで総掛かり、ひとりひとり懇話を終わらせたか、と思ったら、そういえば、ひとりが脱けていた。
「蛍くん?」
 蛍、いつのまにやら柱にもたれて、華胥の国へと遊里する。かぼそい寝息を呑むたび瞼がふるえるのは、月の酒をあじわう夢か鳥と恋するまぼろしか。
「イギリスやノルマンと欧州を駆け回っているそうですから。お疲れなのでしょう、そっとしておいてあげますか」
 手伝いの人はすくないらしく、千賀地が手ずから寝具をとりだしてきて、うずくまって枕をかかえこむ蛍へかぶせる。着座したばかりのときとちがって、緊迫をそっくりはらった蛍は、年相応に少年――というより、少女めく。
「それでははじめのお約束どおり、柿の木にご案内いたしましょうか。実はすっかり落ちてしまいましたが」
「平気なのです、忍者さんが『春花の術』でお花を咲かせれば」
「私がつかえます☆ 春花の術ってお花も咲かせられたんですねーへー」
 小鉄に雪紫、びみょうな齟齬。――‥‥雪紫、まだ春花の術をつかいきれてないのね。
 柘榴もあとからついてゆく。立冬をすぎた陽日は錦の光斑を、恵みの雨のよう、優しくふりおとす。――目を細めて、満身で受けとる。