●リプレイ本文
●準備はしっかりと
曇天。のたうつ沈雲、水葉さくら(ea5480)は大きい瞳で見上げて「‥‥くしゅっ」猫のするような生理をひとつ。
少々、間がわるかった。一張羅の巫女服ぬいで身拵えおえたもりになったさくら、しかし鷹神紫由莉(eb0524)が川下でおこなっている作業がすむまでは、憑河はしばしおあずけ。それならもう一度、服をはおればよさそうなものだが「‥‥で、でも、もうすぐ終わるかもしれませんから‥‥」カチカチと歯冠をすりあわせる。
ファング・ダイモスが馬とその荷駄を貸してくれよう、と云ってくれていたが――それは一日しかてつだえないファングの行動を五日制限することになる。ムリ。
「それじゃあですねっ。イリュージョンでたきびをつくっちゃうってのはどうです?」
と、なにか、とんでもないなにか、を期待するように、瞳お星様にさせながら、さくらにもちかけるシャラ・ルーシャラ(ea0062)。
「そ、それって‥‥どうなんでしょう‥‥?」
あったかくなります、実は。燧火を売る少女の話は、じつはこれが元ネタで(嘘)。
その、シャラはといえば、川原の石を背嚢へ放り込む作業に、いっしょうけんめい。いったいなにがはじまるのやら。
「律吏あねさまが、いってました。かわにながされちゃいけないから、じゅんびはしっかりしなさいって」
天螺月律吏の教訓は、たぶん、そういうことを示唆してたのではないと思うが。
石の詰めすぎでかたつむりのお化けみたいになった背袋の、肩紐をしばりつけていざ立ち上がろうとしたシャラ、ためしの一歩――凛々しく持ち上げた右足は、けれどなかなか大地にちかづけず。
「‥‥うごけません」
「それでは、沈んでしまいますぞ。さくら殿も、着衣がきおくれされるのならば、これでしのいではいかがでしょうか?」
伊能惣右衛門(eb1865)が、積んだ布束から数枚抜きとり、さくらに投げる。彼にしてはひどく荒々しい作法だが、まぁまぁしかたがないこと。――だって、さくらの風采、むきだしより薄紙一枚分ましな程度。出家の身とはいえ惣右衛門もいちおう男性だから、最大限に遠慮すれば、仕草はどうしたって粗雑にならざるをえない。
けれど、ようやく駆け込みがみえてきた。依頼をたずさえてきたものたちに力添えを頼み、中洲の川下にじょうぶな長めの綱を一本、川幅いっぱいにわたしていた紫由莉。これならばいざ川におちても、綱をとっさにつかむだけの神経があれば、深みに嵌まることは避けられるだろう、苦肉の策だが、さくらは遠目でみやって、ぽつり、と。
「‥‥これなら、荷物がなくなってしまうことはないですね」
――自分自身は?
しかし、けっこうな重労働だった。外気との対比がかえって、肌身をほてらせる。どかどかする臓腑を嘆息でしずめながら、紫由莉、ふと思い付きを口にする。
「どなたか、あちらの川岸まで飛礫などをとどかせられる方がいらっしゃれば、もう少し仕事もはやくすんだのかもしれませんけれど」
「‥‥私?」
綿津零湖(ea9276)、雪の中の白い花のよう、冷たさ知らずにほほえんだ。
そういえば、零湖、ものを投げつけるのはお株だった。けれど、済んでしまってからやってもしかたがないので、紫由莉もちからなくほほえんだ。
そろそろ行こうということになったが、呼びかけあいながら、しかしひとり水際でぼんやりした彼女の反応はにぶい。
「んー? はぁい、行きましょうか」
紅千喜(eb0221)、うずくまった格好を立ち上げる。無聊を訴えるかのように、骨が鳴った。
●川を渡ります
流動にはむかうのも、盛夏ならばそれも楽しい遊戯の一環であったでしょうに。
皆が一様にかじかむなかで、肩車にのっけられて、シャラはひとりごきげんだ。けっきょくひとつだけ持ち出した小石を、意気高々に、掲揚した。
「あっちになげてみるんです。もしかしたら、すなおとこさんがでてくるかもしれないです」
「では、私がやってみます」
今度こそは。
シャラから小石をうけとった零湖が肩先をひねって方向を指示すると、小石は箒星のようにいさごたちのあいだへそのまままぎれる。
一度。
液体にちかい性質の砂利が急速に練り上げられて、意味ある人型の立体になる。
でもそれは短くて、砂男がまた元の平坦なかたちにかえってゆくのを、零湖はぽぅっとみすごした。おなじく、ぼーっと感心する、シャラ。ものすごーく平和だ、えらくまちがってるけど。
「こんどはまほうです! すなおとこさんにあたれ、ですー!」
まちがってる、らしい、ということをシャラ、ようやく悟ると、月光の射手、ムーンアローを爪の先からうちだした。光学の尾をたなびかせて、着弾。‥‥中洲はいったん、ふぃっと波立った。が、それっきり。
「きいてないですか?」
ないわけでは、ない。ただムーンアローじゃ、大振りさせるには、ちと、よわすぎた。
「もっと、うちますー! だんまくいっぱいですー!」
「まぁ、まぁ、おちついてくださいませ」
不思議な方法でじたばたするシャラを、零湖はあいだをおいてなぐさめる。とにかく、目印になることは分かったのだから、あせることはない。それよりも、今は足元に神経を集中しなければ。腰や腕にまきつけた縄をほどきながら歩いていると(一端は川辺の杙につないである)、水蛇にでもなった気分。
「生まれ変わったら、それも楽しいかもしれませんね」
が、不可抗力の輪廻は、当分先回しにねがいたいものである。
●失策−1
「むぅ、あたってくださいー」
そんな必然もないのに、シャラは両手を突き出した印章で、幾度めかの月色を発射する。そして当然、あやまたず砂男をうちぬいた。砂男は反射に倦んだのか、ぽつ、と小さく盛り上がっただけだが、しかし、それを見つめつづける青い瞳にはじゅうぶんな目印。
紫由莉が斬り込む。
紫電を白地に沿わせながら。
不意打ちをかわした紫由莉の刃は――血をともなわない斬撃は「たたく」と記すほうが正確か。が、それは反射も同時にもたらした。
砂男の隆起した器官が、紫由莉の装甲を打つと、きらめく弧と線がいくつも散開する。ライトニングアーマー――しめた、と、けれど紫由莉の鬨を終了させたのは、先鋭の、回転の廻天。
砂男の皮膚から離脱できなくなったことを知った刹那には、紫由莉の体は楽々と持ち上げられていた。腕力ではない、紫由莉を支えているのは砂男の尖端のみ。懐の妙薬が、漸次ころがる。紫由莉は手近なところへきりつけるが、自動的な接着は痛覚によって中和されるしくみでもないらしく、ほんの偶発がやっと彼女をあたたかな砂地へひきもどす。
もしくは、祝福。惣右衛門のほどこした、好運の祈願、グッドラックが功を奏したのか。半身にかぶった水音。
「‥‥そういえば、ギルドで云われておりましたわね」
砂男は砂粒でできた膠のようだ、と。
だが、ギルドではまだ他にも忠告していなかっただろうか。「そのまま包み込んで」とか。
「きゃあっ!?」
斬り痕をたしかめようと接近しすぎたさくらも、砂男ののりしろにさらわれる。紫由莉よりいちだんと闘衣のうすかったさくらには、いちだんきわまった悲喜劇が用意された。
閉鎖――体内にとりこまれること。
おがくずの海におぼれるように、砂男の芥子色の層へずぶずぶと沈没する。あわてて忍者刀をふりかぶろうとしたが、砂男内部のすべてにはばまれ、腕をまわすどころか呼吸すらもおぼつかなくなる。
千喜がこじあけてくれなければ、すんでのところで生きる砂におぼれていたかもしれない。
「うわぁ。‥‥べたべた」
千喜にひきずりだされたさくらは、透徹なすきまのすばらしさに、へたりこむ。
消化液なのだろう。ぴりぴりとした粘質が、さくらの全身を這っていた。なんだか危なすぎる見た目だが、そうものんびりしておられぬ――いや、本人は「き、着てなくて、よかったです」と自分の危機より、巫女服の無事をいわっていたが。
さて、これからは?
砂男はそれほどすばやく攻撃できるわけでもなし、気にしないという方法がないわけではなかったけど、紫由莉もさくらももうげんなりして、剣より先へ、なかなか進めないでいる。
「えい、えい」
シャラの月映えが砂男をふたたび地下へもどさずにいるのに、彼女らの剣儀はいちいち冴えのない。懸待のそろわぬ袈裟懸けに、神罰は縁遠かった。ついにみかねた零湖が、
「気合いですよー」
と、ぜんぜん説得力のない――状況というより、資質――だって、こんなときでも零湖の呼びかけは揚羽のようなうららかだ――ふうに、声を出す。
「水はそこらじゅうにありますから、体はいつでも洗えます。志士たるもの、果敢と挑戦をくりかえしてこそ、後世につたうる戦法を発見をできるものですよ」
「で、では、零湖様がまえにおいでになって」
「私はアイスチャクラがありますから」
「あ、わ、私もライトニングサンダーボルトが‥‥下がって‥‥」
「一蓮托生という教え、ごぞんじかしら。水葉さん?」
「仏語ですな。おなじ蓮の葉に生まれる、という意です」
「いちばん・たくぞー?」
いや、こんなときでも平生なのは、それはそれですばらしいかも。
「じゃ、私が囮になるわ」
「紅さん、よろしいのかしら?」
「まかせて。あたし、そういうのはとっても上手なの」
見ててね。千喜、同輩の是非はそのままに、走り出す。
「こっちにいらっしゃい!」
明朗たる木剣、めったやたらに払い、ついでにすらりとのびる足をみせつけるように蹴り上げ、千喜は体をひるがえす。すこしずつが異なる静系を継ぎ目なくつなげれば、それが速度。整数的にはなれた音階が交響を生み出すように、千喜の疾風とはかたちもいろも別の早手がうしろから、かすめて、氷輪が、砂男、えぐる。
しかし、連続はない。
自負はたしかで、千喜の敬遠は、炎におどるよう。だがそれは後方の零湖にとっては、砂男のまえに立ちはだかる、妨害にも等しくて。狭小の中洲ではなかなか位置も入れ替えられず、零湖は好機をなかなか発見できずにいる。
が、再びのそれは、とてもおだやかに、おとずれた。
進行がなくなる、寸瞬。
「たいへん遅くなりました」
惣右衛門の不動明王呪の誦経が、ようやく、織り上げられた。‥‥むろん、惣右衛門は怠慢でおくれたわけではない。砂男が受け付けなかったんである。油道をたどるやりにくさで、五度めにして、成就。
「乙女をひっくりかえしてもらった責任は、とってもらいますわよ」
紫由莉の腹立ちを代弁するように、供の雷火が次々にはじける。霞とおぼろな片刃で砂男を横一文字にすれば、ざらり、とまずひとにぎりが、次いで、ざらざらと、視界がまっくらになるほど大量の嵩が墜落する。
事切れた。
●おつかれさまでした
ただし、対峙者の戦法を考慮に入れない布陣には、少々高いツケが支払われた。惣右衛門はコアギュレイトで疲弊していたので、治療をほどこしきれず。回避能力のたかい千喜をのぞき、近接組のさくら、紫由莉は使い古した畳のごとく、すっかりけばだった。
「お風呂‥‥」
が、弱酸まみれの体のそばにあるのは、ごうごうと掻き鳴らす泥流ばかり。さくらが忍者刀にむすびつけた七色の短尺まで、わらびのようにしょげている。
「これで体を拭いてくだされ。少しは気分がすっきりしましょうぞ」
惣右衛門の準備した大量の手ぬぐいは、彼の想像以上に効力を発揮していた。鑢をかけるようにかわいた手拭いが次々とおろされるのを見て、惣右衛門、新たな健康法をなんとなく思いついたくらいである。
藁火にかけた鉄瓶が、しゅんしゅんとくすぶる。鍋の熱燗は、指をあてると耳たぶが恋しくなるくらいのぬくもり。零湖はふぅわりと清潔な絹のように笑む。
「お風呂は帰りに探すことにしまして、先に体を温めていかれては如何ですか? 体調を崩し易い時期ですから‥‥」
「シャラもー」
「シャラ殿はお茶ですな。舌をやけどされないよう、気をつけてくだされ」
が、千喜ははじめとおなじよう、皆と少し離れてたゆとう水際へなにやら思いをはせている。手にはちゃっかり、銚子一本ふらふらさせて、惣右衛門はシャラに茶碗をあたえてから、彼女をみやる。
「どうされました?」
「砂男ってどこから来て、なにかんがえてたのかしらって」
「‥‥どうでしょうなぁ」
一寸の虫にも五分の魂。なら一丈の砂男はどれだけの魂魄をつめていたのやら。里にさえ下りてこなければ討伐されることはなかったろう、といっても、人のみえないところでそれはいくらでも生命を喰いながら、己を肥えふとらせてゆくのだろう。この獣のような川も、いつか恵みの海にたどりつく論理とおなじで。
惣右衛門は、手を合わせた。
酒精が蒸汽に変わってゆくなかで、かすかな唱名もまた、十一月にさらわれてゆく。