●リプレイ本文
彼らは神木と呼ばれる大樹のまえで、果てにたどりついたような、途方に暮れる。
「切って呪われてみれば神木の呪いがわかる‥‥それは冒険というより、物騒とか無謀というんじゃないかな」
ランティス・ニュートン(eb3272)の言辞、うんともすんともつかぬうち、彼が木製の湯呑みをごく自然な流儀でてわたすものだから、雪守明(ea8428)は識らずうけとる。木肌にしみた熱は、明のかっとしていた部分とうまく親和する。
「私も、よからぬたくらみが隠されているだろう、と思う」
杜は、冬。鏃を研いだような、冴え冴えとした冬枯れがたちならぶ。吐く息に霜が降りるのも、すぐ。明は喉をやけどさせたいかというくらい、一気くたに茶を流し込む。
「次は、伊庭さんにあげるよ」
「ありがとうございます」
ランティスの親切に、伊庭馨(eb1565)はかじかむ手をさすりながら、応答する。いざというとき鍔をさらえないようでは、露散る名刀も棒っきれと違いはない。
そう、冬なのだ。
この時期、戸外でうたたねしようとするのは己の極限にいどもうとする雄志か、
「ぜんぜん平気っすよ!」
よっぽどの変人か。太丹(eb0334)の場合、のっぴきならぬ事情をくわえて、開き直りを乗じた、というところ。
「おうちがなくなって以来、ずっと野宿っすからね! 草が枕で、星が自分の菰っすよ!」
‥‥心の根から冷え切った。
愛馬のパイロンから防寒服を引き出してくれば寝られないこともなかろうが、そうまでして何故横にならなきゃいけないか、となると、もはや人間としての尊厳に関わる問題だ。南雲紫(eb2483)はつくづく嘆息した。
「私は、大の男のおもりなんてイヤよ」
「いっしょに寝る方がいいっすか?」
「もっとイヤ!」
べつに冒険者らはただぼんやり、樹木――神木を見上げているわけではない。待ちぼうけ。カヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)や香山宗光(eb1599)の聞き込みが、さしあたっての首尾をすくうまで――しかし、それはあまりかんばしいものではなかった。先日、別件で冒険者らが似たようなことをおこなったが、その折聞きはさんだものと、たいした変奏はみられない。巷説のような御伽のような「むかしむかし」的、よしなし弁。
だから、鷹神紫由莉(eb0524)は進取の気構えで、しかける。内心、やれやれ、と、億劫をもたげながら。
「私どものところに、この杜の神木を伐ってほしい、という依頼がもちかけられたのですが」
いちから打ち明けたのだ。己が冒険者であることも、依頼のおこなわれた前後も。
その杜の社の神主は、あきらかに困惑していた。心当たりがなにもなかったから、である。念のために見回ってほしい、とのお墨付き、冒険者らはこうして堂々と、もとより立ち入り禁止というわけでもなかったけれど、神霊の眠る地としては少々物騒な獲物をひけらかして、歩き回る。
「好きでそうしているわけではないのですけれど」
剣よりは華を、楯よりは琴を、敵意よりは憐憫を。
流れる血潮よりは、心とろかす甘い蜜を。
紫由莉はしだれる小鬢をなでる。ゆるりと黒髪のはためきが、世相の憂いへ漉き込むよう。
「馨さん、知っていることがあれば話してくれないかい?」
そして、視点はふたたび、はじめにかえる。
ランティスの問いに、馨は瞳を伏せて、去就の一部をうちあけた。ここで、あったこと。夜叉という悪魔との確執、そのさいに夜叉がうそぶいた一言。明は、ふぅん、と、相槌を打った。
「まじないもことほぎも、みあたらないようだがな」
明は例の神木よりは、幾分、あいだをおいていた。かぎられた視角でなるたけの水平風景をのぞむには、それが一番都合がよかった。よく、見わたせる。今は、高槻笙が、空間との対話、ステインエアーワードをためしている。
ただ、ここは屋外。大気は常に対流している。よどむ風はといえば、突如の冒険者たちの出現によるもののほうが大きく、場所は思ったように返信をよこさずにいる。
「でもやっぱり、なにかおかしい気がするの」
まだるっことしいことは、嫌い。だから紫は、せおった感情をとらえあぐねている。
違和感。それと知らぬまに、めっきでも着せられたような。不快ではないが――否。あべこべだ。全幅の信憑、とむらった依存心、あまねくつつがなしだという鏡像、睡魔的なやすらい。
――己のなかに、別の心映えがあらわれている?
風化しそうな恐懼が、随をかけあがった。
「どこかで経験したような‥‥。ねぇ、明。分からないかしら?」
「何故、私に?」
「なんとなく‥‥」
不本意ながら利用した言語の、もどかしさに爪をかめば、隔靴掻痒は底抜けにまずい。
と、そこへ宗光とツヴァイの合流。宗光は申し訳なさげに、肩をおとしながらの参上だ。
「特に、この樹に障りをもつらしい者はみあたらなかったでござる」
長らく待たせてしまったあとでの半端な報告は、性分のかたい彼にとってはじゅうぶん畏縮にあたいする事項だったのだろう。だが、ツヴァイはそういう宗光を、サムライって生真面目(すぎるのも中にはいる)なぁ、と、彼らしい感慨でみやる。
「人間にはね」
思わせぶりにひとことを追加すると、灯を消したよう、場は鎮まった。
「やっぱり本人――本樹?――に訊いてみるしか、ないみたい」
ツヴァイがいそいそとグリーンワードを行使しようとしているあいだに、馨はふたたび懇話をはじめる。明くる話題はリュー・スノウから聞き伝えたもの、リューはこれが木魂ではないかという予測をたてていた。
「木魂って?」
「知性をもつ樹木のことです。故に、自身の属する森林の鎮守となっていることが多いそうですが」
「そういえば、鳥がたくさん止まってるみたいっすね」
それは、常磐。生をめぐむ慈雨のごとし、夕暮れの長い影のごとし、さんさんとひとかたまりになって注がれる鳥籟。冬枯れの今、鳥類が好む樹木はかぎられてるとはいえ、異常といっていいくらいの数量が集合している。畏れ知らずに、丹はぐるりと一周をめぐる。
「これじゃあ、昼寝しても糞が頭に落ちてきそうっすね」
「妙なこと云わないで!」
紫がついにぶちきれるのに、失礼とは分かっていても、馨はほほえましくなる。性差に過敏な紫のことだから、遠回しな安静をもちかけた。
「紫さん、この木に癒してもらうのはいかがでしょう? 木魂は近付くものの心をひきつける力があるそうですから」
「‥‥それよ」
が、馨の案に相違して、紫の青い瞳はいよいよゆらいで燃え立つ。
「魅了よ。このかんじは、あの、九月鬼とかいうのに遭遇したときと、よく似ている。私たちは、とっくに、この神木に魅了されてるの」
愕然とする。明はおぼえず、己の、かたくなな鳩尾をおさえるが、紫の云っているようなかんじはそこにはない。
距離だ。
明は警戒を主な役割としたため、神木からもっともへだてた位置にいる。だから、神木の能力は彼女のところまでおよばなかった。
「‥‥えーと。この場合、どうするんっすかね?」
「私はこの樹を伐りたくはありません」
丹が問いをひらくと、むしろ、楽しげに、紫由莉は意見する。そうと分かってみれば、かえって気が楽というものだ。聞き込みは調査の基本であるが、より確かなのは、きちんとまなこにおさめること。自動せぬ樹木だからといって、遠隔からの観察をおこたったのは――繁茂の小鳥たちも、おそらくは神木の魅了のもとにあるのだろう――、少々の手落ち。きらめく魔法とちがい、外覧をともなわない術をもつものも、広い世には存在する。
が、それももはや、どうでもいい気分になってくる。
神木はそれ以外のことを、していなかったから。押しつけがましい部分はいただけないが、絵画に見とれたり詩吟に聴き惚れたり、感動に神木のもたらす『魅了』はよく似ていた。なら、受け入れてやってもかまわない。強情なお子さまを、あずかるのだと思えば。
「皆様も、そうではございません?」
「‥‥なんとなく、分かったかな?」
ランティスまでも、術中にあるわりには、余裕綽々に。伝承の一端、見えてきたような気がする。
「たとえば昔、二人の男が結託して『神木』を伐採しようとした。一人は魅了され、一人は逃れる。逃れた方の男は当初の目的を遂行としようとするが、別の男はそれをはばもうとするだろうね。『魅了』なんだから。いきなりの心変わりは、見方によっては、呪いのようにも見えただろう。‥‥あくまでも推測だけど、どうだろう?」
「で、僕、ずっとひとりぼっちなんですけどー」
ええ。魔法というのは、存外に、孤独。神木とのようやく対話を終えたツヴァイ、ぽつねんと。ひとしきり放っておかれた愚痴をこぼしてから、分かったことをこんこんと語った。
――‥‥この神木、ちょっと人に不信があったみたい。嫌悪まではいかないんだけどね、馨さん、以前にここで夜叉と戦ったことがあるんでしょ、それじゃない? 杜の守護としちゃ、領内で危ないことされたら嫌がるのは当然だもの。でも、僕のことはそう嫌いじゃないって。
「感謝されてるのかな? よく分かんなかったや。でも、馨さんに勝ったみたいで、きもちいいなー」
「‥‥そうですか、私は嫌われ者ですか。では、さっさと退散したほうがよろしいですかね?」
馨、苦笑でごまかすしかない。ランティスの当て推量どおりなら、「神木」の「呪い」は、本能的な自己防衛機能だ。それをわざわざ侵犯する必要はなかろうか、と、後ろを向こうとすると、
梢がざわめく。
怪鳥の飛翔めく不吉なさわぎが、急激に彼らの真中へ墜落した。白い、毛むくじゃら。翼はないが、牙はある。
「やはりただではすまぬか!」
ふっきれたような愉悦で、明は霞の刀をぬきはらう。しかし、突き立てたと確信した瞬間に、泥でもかぶったような、ふやけた重量感だけが手応えになる。
「では、これでどうでござる」
宗光が練気の日本刀で斬り上げる。丹の同等の拳に、顕が、つづいた。聖なる生は、次こそは明確に、捉えて、たいらげ、終わらせる。しゅうしゅうと妖気がはかなくなる点景を間近にし、ランティスは眉をひそめて脳裏さぐる。
「今のって、たしか、邪魅じゃない?」
「悪鬼‥‥変身能力があるんじゃありませんでしたか?」
馨自身が云っていた、この依頼の汐先には夜叉が関わっていると。では、依頼人もその眷属の可能性もあるのではないか? ならば、依頼人の手がかりをもとめってどうしようもない。より高度な変身能力を、彼らは所持しているのだから。
馨はふたたび、神木を顧みた。この邪魅はどこから来たのだろうか、と、問おうにも――神木はひたすらに黙している。海の底のような沈静が、波もたてずにひろがってゆく。どこまでゆくのだろう。‥‥のばしたてのひらより、まだはるか。
ちなみに半数の冒険者たちが気にかけていた依頼料の件だが、依頼人が冒険者ギルドにふたたび姿をあらわすことはなかったので、うやむやのうちに、彼らのものになる。
「現金は使われてこそ、価値がありますわよ」
「どうせ後ろ暗いとこがあるんでしょ、なら金銭くらい日の当たるとこにだしてあげなきゃ」
「うむ。剣はふるったのだから、問題はない」
あっけらかんとしたツヴァイや紫由莉の釈明はまだしも、明の判断となると、ちょっとばかり剣凶がはいっている。宗光は低くうなった。もし己の采配がとりかえしのつかないものであれば、いさぎよく報酬を辞退しようと思っていたのだが‥‥。
「じゃ、潔く、僕にちょうだい」
宗光はいさぎよく、自らの袖に金子をすべらせる。