【大火の爪痕】 さようなら

■ショートシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:4〜8lv

難易度:普通

成功報酬:2 G 40 C

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:01月02日〜01月07日

リプレイ公開日:2006年01月11日

●オープニング

 江戸の人口四十万人のうち、十一月の大火で亡くなったものは四万とも五万ともいわれている。
 恋を知らぬ娘もいたし、屏居をはじめたばかりの老人もいたろう。隣の太郎ちゃんと川遊びの約束をしていた僕、お正月の紅い晴れ着を楽しみにしていた私、道場での一番をめざして修練に余念のなかった彼、嫁への小言ををためらいはじめた姑、あぁそれからポチにタマに‥‥。けれど、もっと明確な区分けのしかたがある。
 死んだものと、死にきれぬもの。

 ※

「依頼の内容は、地下洞の視察」
「視察? 視察ってふつうもっとお偉いさんがするもんじゃないか?」
「まぁ、そのへんはおとなの事情っていうかな‥‥」
 市中の三割が焼け落ちる大被害となった江戸の火災、よるべき我が家を失ったものも多い。だが、江戸の地下には大空洞がある。へたすりゃ百単位の冒険者が同時に闊歩することも可能な、恢弘な天井付き、これをみすごす手はない。その存在を知るものは、おのずと、緊急の拠点をそこへもとめた。管理側からみれば有象無象のやからに住み着かれるのは治安上好ましくないが、かといって、代替の施設を用意できるほど江戸の金倉にゆとりがあるわけでもない。非公式ではあるが――つまるところ、見て見ぬふりってやつ――、無数にある入り口のちかくでは、ぽつぽつと、生活をいとなむものもあらわれはじめた。
 ところが、そのうちのひとつで、被災者たちが次々と体調をこわす事態があいついだ。寒波にやられたか、と思われたが、よくよく聞き込んでみればちがうらしい。どうやら、火災による死亡者が霊魂と化し、生者をつのってそこいらへ吹きだまってきたようである。だいたいの幽体は生者に直接的な害をあたえるわけでなく、よるべなしにうろつきまわるだけなのだが、そこ以外に行き場のないものたちにしてみたら、たまったものではない。ろくすっぽ眠ることもできず、明日の見通しもたたぬ精神的な不安もかさなり、この冬をぶじに越せるか、というところまで追いつめられたらしいのだ。
 要は、視察、というのはおもてむきの口上。具体的には、被災者の慰問と幽体の慰霊を同時におこなってほしいというもの。
「でも、あながちすべて嘘とはいいきれないぞ。どうやら本格的に、地下洞へ仮設住居を建設しようってうごきもあるみたいだからな。地下洞はすべて解明されたとはいいがたいし、第一、居住性という点からの資料はないに等しい。誰かがしっかりした拠り所をみせてやれば、仮設の計画も推進されるかもしれん。そう考えれば、やりがいはあるだろう。どうだ、行ってみるか?」

●今回の参加者

 ea2775 ニライ・カナイ(22歳・♀・神聖騎士・エルフ・ロシア王国)
 ea3880 藤城 伊織(36歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea4321 白井 蓮葉(30歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea4687 綾都 紗雪(23歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 ea6154 王 零幻(39歳・♂・僧侶・人間・華仙教大国)
 ea6433 榊 清芳(31歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 eb1833 小野 麻鳥(37歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3582 鷹司 龍嗣(39歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)

●サポート参加者

伊珪 小弥太(ea0452)/ 片桐 惣助(ea6649

●リプレイ本文

 地盤から沁むのはただただ烏有、背骨につながれるものを、しゅうしゅうと凍えさせる。藤城伊織(ea3880)、長着の襟もとをたてて払い除けようとするが、それは繁殖するかのよう、詰め寄ってくる。
「さぶ。こんなん人間の長居するとこじゃねぇよ」
「藤城殿」
「‥‥あぁ、悪ィ」
 榊清芳(ea6433)に責められ、伊織は首をすくめる。分かっちゃいる、それでもここに暮らしをたてなきゃいけない人たちがいること。清芳とて伊織を罰するつもりではなかったし、ただ気兼ねをしただけだ。どうも高熱にそっくりの寒けに冒険者生来の気丈がむしばまれ、往く足、なんとはなしおぼつかなっている。
 そこへ。罅入った土鈴がころがるような、かさついた音響。空咳。衆目をあつめる王零幻(ea6154)、いささかどころでなく居心地が悪い。どぶろくで喉を湿らせるか、と、伊織の申し出には片手を向ける。小指の爪までもいかめしい零幻だが、手は不思議にうすく、骨張っている。
「気持ちだけ受け取ろう。いやさかもなしに、献杯はうけられぬよ」
 被災者らが日常にあてているみぎりは、あと些と、離れている。それぞれ、くさぐさ、たずさえ進む。
 ‥‥綾都紗雪(ea4687)がのぞんだような古布や古毛布の調達はむずかしかったが、その代用でもないけれど、ニライ・カナイ(ea2775)が毛布、保存食、どちらも三十ほど、自腹を切ってあつらえてきた。
 ことさらにあげつらうのもなんだが、もとより依怙の沙汰はのぞましくない。
 たった三十、されど三十。保存食などはもって一日半、それも地下洞のすべての人々の胃の腑を満足させるにはほど遠い。それは江戸をくべたあの日の火焔よりあきらかだろうて、紗雪が用意できなかったことも主にそのへんに理由はあるのだが、
「焼け石に水でも一時凌ぎでもかまわぬ」
 それを採ったニライの進行は、陽の下往くように、英姿颯爽として。覚悟あるもの、立志をつらぬくもの。
 履行がともなわなければ、理想も信条も目標もないのと等しい。
「眼前に生きる人々を放ってはおけん」
「きっと喜んでもらえますよ」
 紗雪も神杉みたいに、背なの中心線すぐにして。
 反面、かったるそうな足捌きは、荷をはこぶニライの愛馬・ユタの、合わせて四本。
「私も連れてこればよかったかしら」
 白井蓮葉(ea4321)、管理側に遠慮してかわいいカルミアを置いてきたのだが、地下空洞は月道貿易にも使われているくらいなので、じつは荷馬の出入りは割合ある。
「でも、いいわ。おどろかせちゃいけないもの」
 ここからはあいまをへだてているが、妖異化生が出現した、という伝聞もある――目的のところにはそもそも霊魂がうろついているわけだが。不要のもめごとは起こしたくない、孵るまえの卵をみまもるように、ひっそりと。
 ほどなく、到る。
「‥‥失礼する」
 小野麻鳥(eb1833)が声を掛けると、そのうしろから、伊珪小弥太、片桐惣助のふたりがひょひょいっと順繰りに、顔を出す。

 ※

 被災者への見舞いを先だてることにした、魂魄との対話との平行もできなくはないが、どうせことわりは入れなければならない。麻鳥の同伴者たちは枝分かれに奥まった人気のない方角に散ってゆく。
「安心して欲しい、慰霊は行う。ただ、少しだけ協力して欲しい。大火により霊となりし者たちを、外見だけで恐れないでやって欲しい」
「心配で見ているだけだ、恨み言を言っているように聞こえるだろうが、真に語りかける手段もない今、どのように恨み言と判じられることがあるだろう」
 零幻と清芳が被災者との対話をおこなっているあいだ、鷹司龍嗣(eb3582)はすばやく目をくばる。
 なにもないところだ。あるのは人だけ、がらくたもどきの身の回りだけ。うさんくさい宗教の世話になってはなさそうだ、今はまだ。
 おぶった荷袋から占事の道具をとりあげようとする龍嗣――と――‥‥。
 ニライ、例の現物を降ろすと、どさり、と地下がはねあがる。保存食はこのままでもむろん食べられるが、食の細くなっている彼らに硬骨な食料はあつかいにくかろう、と、ニライ、同士に問う。
「私は調理がからっきしなのだ。誰か煮炊きを頼めるだろうか?」
「草っぱが食べられるかどうかなら、見分けられるが」
 清芳の物言いはきれいになかったことにされて、蓮葉がけっきょく応じる。
「竹之屋じこみの腕前をおみせしましょう。水はあるかしら? 井戸はないわよねぇ‥‥。汲みに行きましょうか」
 じつは蓮葉、店員とみとめられて日は浅いのだが、蓮葉のお手並みが達者なのは動かしようのない事実だし。ではそのあいだに、と、紗雪はことばをさしはさみかけて、
「子どもたちのお世話をみようかと思ったんですけれど‥‥」
 一瞥くれて、くすりとこぼす。
 その、わらべたちは、龍嗣を遠巻きにかこんでいる。颯羽の携帯した占具ときたら、彼らの関心にぴたりとそぐった。居心地わるげな鷹の颯羽もふくめて、だ。
「私は京ではそれなりに名のある占い師だが‥‥」
 水が紙へ浸透するみたいに、でっちあげがまた、あっけなくゆくものだから、体のそこかしこがむずがゆい。
「よう、お父さん。もててんなぁ」
 伊織は子どもたちにむけて、ふくべをかかげる。
「飯ができあがるまえに一杯開けとくか?」
「‥‥食事のまえの甘酒は、あまり褒められたことではないぞ」
「清芳は、欲しい?」
「もらう」
 即答は即答に、はばまれる。
「すぐにできあがるわよ」
 龍嗣がお父さんなら、蓮葉はお母さんといったところ。熱くなった鍋を、火から下ろす。水際だった経過と結果。
「とりあえず、いただきましょ。おしゃべりでもしながらね」

 ※

 透徹にとろけた外形、宙にただようは、飛行への希望でなく、地上に吸い付く踵の非存在をなげいて。食事待ちが、ちょうどいい人払いもかねた。人であるものは、麻鳥と零幻のふたり、かつては人であったかもしれぬものたちを前に。
 そのあたりは、深海の溝、それとも六道が辻を思わせる。昼間でも仄暗く。視界はききづらい。けれど、麻鳥の声音は玄冬より切れ味鋭く、端々を光らせながら、通りぬける。
「話せ‥‥俺が聞いてやる」
 霊魂たちの感情が、ひときわ高まったようだった。おびただしい霊気が、指向を変える。なかの一部には麻鳥の鼻筋にまでぬっとおよぶ、零幻のほうへも同様に。零幻は睫一本ふるわせるでなく、自若にかまえている。
「‥‥理解しておる。おぬしらは別段、生者を憎悪しているわけではなかろう」
 ただ己の運命を受け入れられぬというだけで、
「憎悪の不在は、自分らもおなじ。話せぬというなら、術の準備もある。話したいことがないというなら‥‥今しばらく耳をかたむけてはもらえぬだろうか」

 ※

 蓮葉はおもに大人たちの相手をした。生活事情を把握しているのは、やはり年長者だ。
「この寒さがきびしいみたいね。春まで待ってってわけにはいかないし」
 保安上の問題もあった。妖怪はむろん、いまだここいらにまでは及んでいないが、目端のきくやくざものがこっそり手を伸ばしてきている巷もある。物質はいくらあっても不足する。過剰であるのは屍と重い現実ばかり。
「‥‥話を聞かせてもらった私が暗くなってちゃ、世話ないわ。おかわりは、いかがかしら。他に用事でもある?」
 ほんとは、こうやって甘やかすような真似はよくないのかもしれない。だけど、今日は特別に休日ってことで。今日の一日が、明日からの連日をすばらしいものにするように。蓮葉はてきぱきと、家政をすすめる。
 ところで子どもたちのほうは、ようやく「お父さん」も鎮まったので、紗雪といっしょに外に出かけることにする。こんなところでくすぶっていては、きっと体全部がすすけてしまう。快晴ではないが、いたずらに情動をとざすぐらいでもない天気。野遊びぐらいはできるだろう。
「私も行こう」
「ええ。‥‥ほら」
 紗雪は、少年のひとりをうながす。するとその子は無性的な清芳をものめずらしげに眺めやったあと、す、と彼女の指をつかむ。手つなぎ、というには、なんだかあぶなっかしいかんじのする。清芳はだいぶん躊躇ったが、やっぱりそれはとりはらわなかった。
 さても、ようやく解放されたか。龍嗣は、こき、と肩をならす。
「これで卜占をはじめられる」
「俺はちょい、様子を見てくるわ。幽霊の旦那方はどっちだっけねぇ?」
「あちらだ」
 伊織の問いに指示をだしたのは訊かれた龍嗣ではなく、ニライ、彼女はそっちに行こうと思っていたので。

 ※

 零幻は四方に霊をひかえさせて、こんこんと説き明かした。輪廻転生のさだまり。焼けた肉体は灰となり土へなり、春になれば、そこから物憂く芽吹く種。
「弥勒の慈悲は、おぬしが霊だからといって分け隔てられるものではない」
 話を聞くものもいた。聴かれることをねだるものいた。吐露されるのは哀願、怒号、迷妄、ほとんどが言葉未満のきれはし。
「弥勒か‥‥。浄土に知人はおらぬから、それは不可能だが」
 といって、泰山符君の再現もかなわないのだが。イリュージョンは魔法といってもしょせんは現実の産物で、知らぬことはつくれないし、いちどきにみせられる数もかぎられている。
 麻鳥が急々如律令、の布達のもとに写し取ったのは、「道行きだ」と天へとのぼるきざはし。紫雲たなびく、麝香は馥郁と、洞穴からぐるりとめぐって小波が重なるような一段、一段。
「見えぬものにはすまぬが、見えるものに付いてゆけばよかろう」
「では、唄はいるか?」
 突如、わりこむ、唄ではなく、中庸の呼びかけ。
 ニライがそこに立っている。
「あちらで子守歌を教えてもらったのだ。旅立ちにはふさわしくないかもしれぬが、慕ってきた生のわるくはないだろう」
 イリュージョンをこうむったものには唄はとどかぬが、そうでない霊のほうが圧倒的に多い。見えぬのなら、せめて、耳を、もう形はなくなっても、聴くものたちへ。麻鳥は凍結の目元を、やわらげる。
「頼めるか?」
「承知した」
 ニライが瞳の色より硬質の表情を心許りゆるめて、桃唇がきざむ、ねんねこさっしゃりませ。
 昔から逝くことは眠ることによく喩えられる。睡眠は安堵で温順で充足で、精神がしなやかでなければ得られないものだから、輪廻の道をたがえるものたちもそういうふうにあればいい、と、ニライは聖なる母の胸元のまろみを思い浮かべながら、口ずさむ。

 ――‥‥ねんころろん ねんころろん

 龍嗣がそれを目撃したのは、神事の舞の最中である。なだれる霊魂に驚き呆れる人々へ、彼はこういうふうに説法した。
「あれは吉兆だ。光がある」
 蓮葉は洗濯と掃除をはじめたところで、
「よぅし。私もがんばろう」
 腕まくり。

「お。どうにかなったみてぇだな」
 伊織はひとりでちびちびやっている。子どもらにくばった甘酒でなく、濃いめの濁り。
「ってことは、献杯はしたくしたいたほうがよさそうかね?」

 紗雪と清芳は外にいた。いくばくか遅めの正月遊戯に興じる。駒をまわす、凧をあげる、そのあいまには戯れにみせかけて生活の手段をまぎれこませて。子どもらはこんなときでも腕白だった。引き回すつもりが振り回されて、すばらしいくたくたの疲労感へ、その行列は上方からそっとまぎれこんできた。紗雪はあおぎみる。初めて飛ぶ鳥を見守るように、優しい気持ちだった。
「浄魂は入り用ではなさそうですね」
 あれは何か、と、尋ねる子らに、清芳は噛んでふくめるように諭す。
「怖いものではないのだよ」
 永の煩いを経てかつかつ天へ昇ってゆく、悦ばしいが、悲しい光景だ。
 どういう言葉で伝えてやろう。生きたものと死んだものにある、境界線のこと。清芳は眉を寄せて考え込むが、けれど、そのまえに目を伏せて、祈りをささげる。
 銘々が銘々のあるがままで。

 ※

 さようなら。