●リプレイ本文
「きれいなもんやなぁ」
まあたらしい金色は、太陽の光の束からいちばんいいところをすぐったよう。紅珊瑚(eb3448)はしばし蒼穹にかざす、光焔がちかちかするたびいちいち頬を緩ませていたが、あるとき、きりりと、おもざしを盤石に。式事の厳粛さで指輪を小指のほうへ――けれど、第一関節のあたりから行きがままならない。
「あっ!」
「‥‥指が大きいようですな」
と、伊能惣右衛門(eb1865)、ずんばらり。否、語尾はそれほどとがっちゃいない。豊かに皺だったまなじりがひずむ、水嵩の充足しながらも過剰でない河流の波立ち。
「鋳物屋か指物屋にでもおねがいすれば、細工をしてもらえるでしょう」
相談してみると、そちらの費用は依頼人がもってくれるという、これまた知り合いに、その手の細工を得手にするものがいるそうで。
「‥‥しゃあない。おとなしゅう待っとくわ」
「私もくわえてもらっていいだろうか」
天螺月律吏(ea0085)、彼女のほうがよっぽど「ずんばらり」で、なんの寓意でもなく。
霊験を秘めた日本刀、三日月の波紋・太刀「三条宗近」、小太刀「四季彩」、をいっしょにかまえるさまは興行師のようでもあるが、にしてはほのかに鬼気めいたものもただようみたいな。
「上質な刃物をつかえば、作業もはかどるのではないか?」
「‥‥おそらく、どれをとっても千々に砕けるかと」
金看板。そんなとこ恋仲の白河千里が見れば百年の恋も冷める、ということもなかろうて、なんといっても恋は異な物味な物妙な物ですから。どこか、たぶん最後らへん、まちがったかもしれない。律吏はすなおにひきさがる。
「店へ持ってゆく役目は、私が引き受けよう」
珊瑚のと惣右衛門のと律吏のとは、そういうことになる。
「黄金は御国の言葉でなんとおっしゃられるのですか?」
「aurum――太陽と命の輝きを意味するそうです」
高槻笙(ea2751)の質問をかわきりに、リラ・サファト(ea3900)は花唇のまねく懐旧の白昼夢に短く酔う。心ふるわせる旋律にめぐりあったときとおなじように、ジプシーの少女が瞼を静謐な重みにまかせていると、まばたきからめざめたとき、藤野羽月と目がゆきあう。
リラにとって、彼の国は、遠い。ビザンチンには、彼は、羽月は、いない――だから、遠いのだ、あまりにも。
大黒町、三番地。
神楽龍影(ea4236)は墨をする。硯の海から陸へ松煙は何度も行き来する、というより、慇懃すぎた。
書簡というやつはいったん凝り出せば、際限ない。紙質に、敷き詰める香の種類、知るかぎりの外形はととのえさせて、ようやく決死の覚悟で筆をしめらせれば、馴染みのはずの己の書体に愕然とする。百年ともまごうくらいの長い格闘の末、ようやく思うようなものが得られたとき、龍影はふと視線を感ずる。
なぜか通りすがりのカヤ・ツヴァイナァーツが、窓枠に首をのせて。自室、それも書道に専心しなければならぬこともあって、面をはずして没頭していた龍影は大いに動揺、しかしツヴァイは素知らぬふう、
「僕も手紙を出しに行くんだけど、ついでだから持ってったげようか?」
「い、いえっ。これだけは雨が降っても槍が降っても、手前が出してきまするっ」
じゃあものはためしに、岩でも降らせてあげようか? とは云わず、ツヴァイはおとなしく立ち去る。あとへのこされた龍影は、雷鳴の律動にとどろく胸郭をおさえながら、絶え絶えの死に息。
しかし、ようやく龍影はいざ死線――黒虎部隊の詰め所へと。
一方では、新撰組の屯所、惣右衛門も立ち会って笙が五番隊の者を呼び出すと、あるいは想像のとおりなのか、建物から姿をあらわしたのは――彼女は自らの身分を五番隊の伍長と名告る――姓は「渡辺」、名は「うさぎ」。
「忙しいのだから、用件は手短におねがいします」
渡辺百合の墓の所在を訊くと、洛内からさほど離れていない霊園をおしえられる。
「今日のところは、おふたりでごゆっくり」
惣右衛門と笙の目的はほぼ一致していたけれど、日付はばらばらになる。が、笙、なんとなくではあるが、ちゃんと真相を悟っている。
「気を遣わせてしまったようです」
人見梗との道行き、墓詣でからの戻り。
既往の余韻は深すぎて、志士である笙の身に帯びる陣羽織が実際でなき目方を彼にあたえるようなもので、憑いて離れず「そこ」へ――笙は肩に手をかける、羽織ならば束の間とはいえはぐこともできようが、「それ」は少なくとも今日に至るまで「そこ」にあった。
「今日はありがとうございます」
つと、対象の抜けた謝辞を、ぽつりと梗が切り出した。
「いえ、こちらこそ」
どことなくよそよそしいおもむきもある対話、あとへはまた寂寥が、鹿苑のよそおいで、
「‥‥私は、」
が、ふたたび梗がつづける。
「私は本日、笙様にお声をかけていただき、とてもうれしかったのです」
「‥‥梗さん。お礼をいわなければいけないのは私のほうです」
笙が足を止めると、梗も釣られたかたちでたちどまった。笙は腰から一本の小太刀を神妙にはずす。
「ですがこれは、薄謝といったものではありません」
盟友の証のようなものだ、と、説きながら、笙はそれを梗の手ににぎらせた。受け取る梗は――‥‥、
「貴女とは恋や愛よりもっと絆の深い‥‥互いに高めあえる盟友のような関係でありたいのです」
「えぇ‥‥」
えぇ、それこそ貴方のきらきらしい誠意なのでしょう。
笑みをひろがらせながら、しかし梗、睫のかげに憂慮をさす。今日、悼んだ彼女は武士の道より女性の性をえらんだのだと聞かされて、そねむ己が卑近なのだと――うしろめたさへ沈む寸前、ふいにてのひらへ金属以外の温みがこめられた。
笙の手が、梗の手にかさねられている。
「ぼうっとしている。いつぞやの『草結び』もそうですが、梗さんはすこし無防備すぎます」
「あ、あれは」
梗は頬を丹色でみだす、あれは時間のうつろいが、ほんのはざまにみせた幻覚のようなひととき。そういうことにしておきましょう。
鋳物屋においては、
「自らの手で介錯、ではない、工作をしてみたいのだ」
実は、あきらめてなかったのですか、律吏。霜刃をじゅんぐりにうなりをたててひけらかすありさまは、どうみても強請とか脅迫です。
「律吏がすればいい。そのほうが似合うだろう」
「いや、ぜんぜんよくはない」
偉大な(伝記にのせたいくらい偉人だ、いやまったく)千里、唐突にひっぱられてここへ連れてこられてわけもわからぬうちに、恋人のだんびら公演をみせられながら(しかも、店頭)、にこにこと、苦笑のような厭みまじりひとつなく、彼女の所行を逐一ながめていた。
「ふたつでなければ、いけないのだ」
円は完成型だと聞く。指輪のような形状は特に輪環体と呼ばれ、世界の完全性に等しい。
律吏は威風をきかせた様子で語る。だから、それをふたつに分けて、律吏と千里でひとつずつ持ち合うのだと――別れた「ふたつ」は寄せ合って唯一の「ひとつ」になるのだと――別状なく銀色の舞踊を手許に引き寄せながら、律吏は云う。抜き身をつきつけられて冷や汗たっぷりの職人が、仲介案をもちだした。
「屑金がありますから、ふたつで分けたうえに、膠で意匠を懲らすのはどうですか?」
「おぉ、ではそれで頼む。‥‥金は足りるか? 足りなければ、いくらでも生産するぞ?」
錬金術においても至高の命題とされる黄金を、では、律吏がどのように「生産」するかといえば、あいかわらず人切り包丁をひらひらさせているところからいって、「黄金製の事物をばらばらにする用意なら、いつでもできている」とかいう意らしい。
――‥‥それでも、千里、律吏を好きだなぁと思う。偉大。
土が指と爪のあいまにまで潜り込んでしまった。痛いような痒いような、なんとも喩えようがないけれど、リラは後悔していない。リラと羽月は指輪を、鍛冶屋町へ埋めた。要するに、ふたりの居所のほど近く、庭内に。
「指輪は所有――契約完了の証です」
嫁ぎ嫁がれた同士が銘々指輪を分けあうことで、既婚者であることをしめすのは、西洋ではよく知られた風習だ。
「‥‥ですが、私は羽月さんを所有しているのではないし、そう思っても欲しくないですから」
だから、「そういうふう」にはもちいない。これは「贈り物」なのである、未来、きっといるであろう自分たちに。
ふたりで見繕った容れ物は無骨な陶器、顔料で覆われることもなく、派手な象眼がきざまれるでもなく、ごつごつとした風合いは神の手にも似て、きっと彼女らの願いを永久に守り続けることだろう。件の指輪、書簡――「今は幸せですか?」「病気などはしていませんか?」と他愛なく、そっけなく、だが「私たち」ならきっと分かってくれるはず。
ふたり共同、手作業で土をかける。凍氷のようかと思われた土塊だが、覚悟を決めてのぞんでみると、案外あたたかい。ぼんやり心遊びにふけりかけ、それが些細な透切をまねく。
「あ、」
「どうした」
「いえ‥‥」
しかしリラが指先をしまわぬうちに、羽月が先廻って彼女の手をとり、
のみならず、
含む。口に。
――‥‥リラの玉指に、小さな棘が突いていた。
「あの、泥が」
「それより、こちらだ」
ふっくらとした血の玉を嘗めとったあとで、裂いた手拭いで縛り上げる。
「針の穴からつつがが忍ぶこともある。ひとりの体ではないのだ、油断するな」
「それは羽月さんもおなじです。悪い虫が這入ったら、どうするのですか」
ふたりは軽く、にらみあう。両者一寸も引けをとらず――と、どちらからともなく、クスリと吹き出す。それでもはじめは微々たる忍び笑いだったのが、ふたりで声をかさねてゆくと、春の芽吹きのざわめきのように賑々しくなって――ふいにリラは小腹をそっと抑える。
この子も聞いてくれるのでしょうか? 今の微笑みを。
四日めは、図書寮の小僧、西中島二儀の誕生日は一月二十三日だったのだが、十三歳にとっちゃ多少の遅延はなんともない。
しかし、彼、龍影にとっては西中島はきっかけにすぎぬ。宴会にまねいた彼女が来るかどうかが、分かれ目だ。
果たして彼女はあらわれる。黒虎部隊隊長、鈴鹿紅葉。
「久しぶりだな。神楽殿」
龍影、面にとざした頬そめて、書簡を鈴鹿へわたしたときのことを思い出し――といえるほど、おぼえてもいないのだ。実は。
『日に透けて 肌も染め抜く 朱紅葉 風に遮られ 指も届かず』
あくまでも自然体をまもるつもりが、文をわたすまえにあろうことかすっきり詠み上げたことまで記憶に留めていなかったなんてのは、ある意味では龍影にとっては幸運だったかもしれぬ。手伝いをつのった鈴鹿を、龍影は物陰へいざなった。騙すようで悪いとは思ったが、龍影は人前では鬼面をとることができぬ。
それだけは面越しでなく、唇でしっかりと刻まなければならぬところが、肝要であったので。
白日のもとで告げなければ、告白だから、
「しょせん私は、生まれも解らぬし、野盗をしていたような、卑賤の身。鈴鹿殿と吊り合うてはおらぬかもしれぬが‥‥想いに偽りは御座いませぬ!」
云いきった。
裸になるような心持ちで、すべてをさらけだした。が、とうの鈴鹿はきょとんとしている。
「神楽殿はそのぅ‥‥神皇様に懸想されておるのではなかったか?」
『わーい、色紙ありがとうございまーす。きゃーっ、手形ーっ』 ←主犯
――‥‥なんともいえぬ苦々しい空気のなかで、肉料理にもだえるお子さまの歓声だけがにぎやかしい。鈴鹿と神楽のまわりだけから、音声という音声が絶え、妖じみた重圧がだんだんとそれにとって代わり、はいずった。
「えー、あー、そのぅ。なんだ。おなじ鬼の面なら‥‥」
と、どうやって片付けておいたものだか、鈴鹿は懐から取り出したるそれを龍影の額にあてがう。
「神楽殿はこちらが似合いだ」
鬼首をあしらった、半首。黒虎部隊の隊長格が好んで愛用する防具。
「‥‥ほんとうは誕生祝いの品にするつもりだったのだが、道具も仕える主をえらびたいだろう。神楽殿がとっておいてくれ」
龍影の必死の告白は、それでなぁなぁにすまされてしまう。‥‥もしかすると、龍影が申し開きの機をのがしたことで、鈴鹿の誤解は逆にかたまってしまったのかもしれぬ、で、それを哀れに思っての鬼面頬。
ってゆうか、きっと、そう。
そのころ、いない二人は、
「なにしとるん?」
「おや、紅さんこそ」
珊瑚と惣右衛門が、邂逅する。しかし、行動の是非はむしろ珊瑚が問われるべきか。惣右衛門はできあがった指輪を――彼は律吏とちがい、横切り、輪っかふたつになるよう鋳物屋にたのんでいた――墓前にそなえようとしていたのだが、霊園間近なところでばったり。
「えーと。散歩?」
としか、珊瑚としては云いようがない。珊瑚はここ数日、ギルドで通常の依頼をうけたとき以上にめまぐるしく立ち働いていたのである。すねこすりの好物を調べたり、それを与えに行ったり、牢屋者との対面を役所まで申し出たり、離れた鬼の仔へ物思いを投げかけたり。ありったけの人脈と徒歩を駆使したせいで、どうも神経が過敏気味、それをなだめなかったのだ。
下働きの身でありながら店の主人を殺害し、両親をも兇刃にかけようとしていたしのぶは、だいぶおだやかな顔付きになっていた。それを知れただけでも、この苦労は無駄ではない。
「‥‥いろんなこと考えたくなってん。ここいらは閑かやし、ちょうどええかなって」
惣右衛門はそれ以上、問いをかさねず、すこしゆるめになった金の指輪をさしだした。
「そちらの分もあずかってきました。いかがです?」
「あ、おおきに。やぁっぱ、きれいなもんやなぁ。お礼に荷物もったるわ。辛いやろ?」
と云いつつ、ほんとうは自分がちょい人恋しくてならなかった。
いろいろなことを考えたら、いろいろな寂しさが胸をよぎった。それらはふだんはがっちり繕ったはずの心の透き間へ容赦なく通り風を送り込む――だから、他人との触れ合いで、見せかけだけでもふせぎたかった。
「なぁ、ほんまどこ行くん?」
「許されぬ‥‥墓所ですよ」
渡辺と彼女の恋人はほぼひとつところに眠ってはいたが、それはうつくしい夢物語の果てではない。要は、ふたりとも罪人としてのあつかいだったから、ろくな手当てをされていないという点でおなじにされていただけである。
「‥‥武士として死ななかったことが、あるいはよかったのかもしれませぬなぁ」
「ふーん? よぅ分からんけど」
金色は太陽の光の束からいちばんいいところをすぐったよう、
「けどなぁ、喜んでるんちゃう? 仏さんもきれいなもん、もろぅて」
「‥‥どうでしょうなぁ」
光が濃ければ闇も極まるとは陳腐な言い回しだが、まさにそのとおりで。
金色を跳ねる墓標の陰影は、涙のように、不安定にゆらいでいる。