●リプレイ本文
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「難儀なねーちゃんだなぁ」
クロウ・ブラックフェザー(ea2562)、鈴鹿紅葉が薄氷踏むように危なっかしく去ってゆくのを、青い明眸つくづくさせて見届けた。
「京都の治安維持部隊のおえらいさんって聞いたけどホントかよ」
「‥‥『あの』(→具体例:家康へ喧嘩ふっかけに、わざわざ江戸までおしかけた(神剣争奪のこと・語弊上等))虎長殿も、たまに魔が差すこともあるのだろう」
つまりあの人事は不慮の事故とか、不測の事態とか、そういうことか。‥‥納得。
天螺月律吏(ea0085)、こうやってぽつねんと佇むこと、それどころではないような気もしたが、だって虎長様死んでるし(大声ーっ)(いや、陽気にしとけばなんとかなるかなって‥‥ムリだから)、そもそも鈴鹿がギルドをおとなうこと自体がおまえ呑気になにやっとんねんってはなしだから、それほど気にしないでいいんじゃなかろうか。
だって、ひなまつりです。
三月三日は、三百六十五と一日のあいだに、たったの一度きり。密度関数の奇想をわざわざみそれるなんて、あまりにもったいない。
「桃の節供は唐の国の上巳の祓禊が起源、と申しますな」
伊能惣右衛門(eb1865)がひとくさり説けば、イギリス渡り、ステラ・デュナミス(eb2099)だけでなく、ほぅ、と島津影虎(ea3210)までも聞き入る。河畔での禊ぎがはじまりだった、とか。農事に生ける民衆にとっては、冬節の幕切れはこれから秋にいたるまで連続する勤労の口火切りでもある、祭儀というかたちをとって、鋭気をやしなう意もあったのだろう。
泥にまどろむ千町田が田子の跫音にまぶたを半開きにし、福福しいあくびをつく――惣右衛門は、懐かしゅうございます、と、追想する、ぱちりぱちりと赤い火の粉を舞いあげて今も胸奥、燃え盛る記憶。
「しかし、ジャパンでは形代――紙などでつくった人型のことでございます――で身を撫ぜ、穢れや災いをうつす行事のほうが一般的でございます。まぁ、まじないの一種ですな」
と、いうことは――‥‥。
ステラは、む、と手ずから推考にのりかかる。
「鈴鹿さんはそのお人形さんになってみたい‥‥のよね? たぶん」
「‥‥私も」
律吏がつつましやか、居候三杯目にはそっと出し、なふうに手を挙げるのはひたひたした静逸に浸けられる。
「鈴鹿さん、川流れしたいのかしら? そりゃあ、そろそろ水もぬるんできたでしょうけどど、まだぜんぜん冷たいわよ」
「それは、違うのでは‥‥。鈴鹿さんの希望はおそらく、飾り雛でしょう」
影虎の補正に、ステラの長めの耳ににはにかみの色がさす。
公家の御息女らがままごと、ひぃな遊びに使うお人形へつながる、貴人をまねた内裏雛たち。金糸銀糸のおべべをそつなく着こなし、毛氈をあたりまえにして、しおらしい漆の調度をしたがえる彼等はまるで砂糖菓子の結晶。
おんなのこ、ならば、誰でも一度はあくがれる。旦那様との幸福な未来。
「わたくしのところも、娘が嫁ぐまでは毎年飾ったものでございます。とと、相済みませぬ、年寄りの話は長くなりもうして」
クロウ、首を横に振る。惣右衛門がしみじみ頷くのをみていると、なんとなく分かったような気がする。ん、きっと。クロウは、よし、と拳をかためる。
「じゃ、やってみるだけやってみようぜ。失敗しちまっても、俺たちだけで酒盛りすりゃあいいんだし」
あぁ、それは名案だ。が、影虎、始めるまえから転落に考えがいたってしまうのは性分のようなもので、
「‥‥その場合、お代をたてかえるのは誰なのでしょうね」
答えをつまびらかにしないのは、ある種の予感があったから。内懐の巾着あらためる――なんとかなりそうなところが、あべこべに極まりがわるい。
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「『ああ弱った弱った。異国から来た人達に分かり易いように、人間雛で端午の節句を楽しんで貰おうと思ったのに、肝心のお雛様をやってくれる女性がいないー』」
「端午じゃなくって、上巳じゃなかったかしら?」
「あ、悪ぃ」
ややこしいぜ。ジョーシのセックだろうがジョージの絶句だろうが、いいじゃん。でも、後者は微妙にイヤ。
「いる?」
「いるわよ、そこ」
ステラが袖でおさえたしおを、クロウがみとめる。よく通る目を凝らす必要すらなく、人目を盗んだつもりだろうが、街角から着衣のはじがぴよぴよとはみ出て――ひよこ――かくれんぼうの才はまったくないようだ――じゃあなんの才能がとか、おねがいですから訊かないでください。
クロウ、いちから隠密の手解きしたくなるのをこらえて、ステラと目配せ交わし合う。
――作戦、続行。
――了解。
「折角お菓子まで用意したのにね‥‥もったいない」
「『折角、特製のお菓子と甘酒までも手配したのに無駄になってしまうのかー』」
まぶたのうらに茶菓をまざまざとよみがえらせるステラの演技(一部、本気)は町並みの喧噪にじわっと溶け込むけれど、クロウ、十指によけいな圧迫をこめてのふるまいは大袈裟というか、さすがは怪盗コルボ。
「げほがほごほがはっ。い、いま俺の過去から悪魔が! ‥‥なんでもねぇ。続けようぜ、『ああ、何処かにこの役目を引き受けて下さる、お雛様に相応しい気品と凛々しさを兼ね備えた、義侠心に富んだ女性は居ないものだろうかー?」』」
「いるわよ、そこに!」
ステラの一挙一動まで、とうとう芝居がかってきた。町の群集の冷え切った目線をステラの指名がつらぬいたところ、とんずらのきっかけを失った鈴鹿がまごついている。
「あ、あの‥‥」
「鈴鹿さんなら、こーんなにも困っている私たちを見捨てたりしないわよね? 助けてくれないかしら」
「え、ええと‥‥」
「あぁ、このままじゃ私たち明日にも路頭にまよっちゃう(よよ)」
「‥‥じゃあ、ちょっとだけ」
「ありがとう」
鈴鹿の双手をにぎりしめながら、ステラ、にっこり、あどけなく、笑う顔は打たれぬと申しますように。
――‥‥茶番というのもおこがましい、かもしれない。
それをさしのぞく影法師一丁、律吏、雛祭りの手配に南船北馬ではしりまわっていたところを行き掛かり、ほんとうはステラとクロウの加勢に入ろうとしたのだが――背を返してとりやめる、徒競走におぼえはあれど、町人からの白眼視をあそこまでものともしない勇気は、別腹。
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畿内のとある旅宿の一室、といってもなかなかの上宿、部屋はなかなかの広さがある。
「連れてきたわよ。」
「あぁ、どうも。せんだってはたいへんお世話になりました」
先日というのは、京都御所図書寮の小間使い・西中島二儀の誕生会の折り。
律吏、けっきょくさばさば青空のようにゆくことにした。くよくよしても、破れた鏡にはヒビかけた虚像しか投影しないのだ。ステラやクロウに対しても、さも千秋万歳の再会のようにふるまってみせるが、こっちは別の理由で。
「新撰組所属の天螺月と申します。貴方の事はシャラからお伺いしておりました。一度、ゆっくりお話してみたいと思っておりました」
「どんな噂話だ?」
「‥‥私は好ましいと思いますよ」
なんの追い風にもなっていない、むしろ失速。が、鈴鹿にしろ律吏にしろ女性にしては粗削りな部分が多めだったので、はっはっ、と、陽性な風向きがさらりとなびくにとどまった。
「どうです、駆け付け三杯‥‥ではありませぬが、一口」
道具立ては、おもに惣右衛門が指示した。郷里のならわしどおり。
緋の毛氈、桃の花、紅と草を練り込んだ団子に菱餅、桃花を浮かべた甘酒、白酒‥‥。逐一、品名をあげるたび、惣右衛門のまなじりのひだが深まった。律吏が高杯ですすめたのは、よもぎをたきしめた餅菓子。緑の生地にいよいよ生え抜きの鶯色が金魚のようによじれるところは、繊維質。
「桃の節供は、別名、草餅の節供といいますしね。餅屋からもらってきたばかりなので、匂い豊かですよ。笹鰈も御用意したかったのですけれど‥‥」
影虎は笹鰈を手に入れられなかったことを、ひどく残念がっていた。畿内では、三月節句に好んで食されるらしい。それから、蜆も。あいにく蜆も都合がつきませぬが、と、惣右衛門、
「代用になるかどうかは存じませぬが、浅蜊の汁物もあります」
「う、うむ。が、ひとりでぱくつくのも気まずいのだが‥‥」
「それじゃ、みんなでいただきますをしましょうか。クロウさんも仕事をいったん休んで」
「へいよー」
時ならず、御食事会、
あむ・あむ・あむ。
一家団欒のようである。
「これ、おいしいわ。なんていうのかしら?」
「ばら寿司です、関東ではちらし寿司といいますが」
「きれいな色だなぁ。俺、おかわり」
「はいはい、ちょっと待ってくださいね」
となると、母親役は影虎だろうか。似合いの前掛けをたらしながら、自分の取り分にもかまわず、せっせと皆の分をしゃもじでよそう。お母さんにまわってもおかしくない律吏は、箸をいかに効率よく作動させるか、剣をひらめかせる手口とおなじにがんばっている。
はじめに気が付いたのは、意外なことに、鈴鹿である。
「‥‥なぁ? 私はてつだいに呼ばれたのではなかったか?」
あ、と、皆、浅くうめく。つい、うっかりしていた。
しかも、おなかいっぱいだ。が、まだ杯を交わしていない。菓子のたぐいだってまったく手付かず、いやいや、そうではない、
「そ、そうそう。こっちだ!」
そのためにステラとクロウを見捨てた律吏(もしかしたら、これも語弊)、鈴鹿をしょっぴいて隣室へ先導する。各自の克己尽力の結果、合板を組み合わせた段段づくり、部屋の中央にしつらえられる、鈴鹿が、ほぅ、賞歎の息をつけば、ぼんぼりのなかで斎火があだめきゆらめく。
「ここに座って欲しいのだ、ちょうど女雛の役がまにあわずで」
「じゃあ、私は三人官女ね」
ステラが告げれば、律吏、さも大儀そうに首をふり、
「私は五人囃子をしよう」
「おひとりで?」
「かまわん。私一人で五人分ぐらいの用事はすませられる」
「五人分ぐらいって、体重のこと?」
クロウ、あえなく、律吏の手剣にしずむ。万事手抜かりなく、クロウが人事不省におちいってるあいだ、影虎がせっせとクロウの衣裳を剥ぎ、男雛の衣裳を着付ける。むろんそんなもんは女性がじっくりみるものではなく、別室にうつった彼女らもちょうどいいので身拵えをはじめた。
「おぉ、皆様方。たいそう晴れやかにございますな」
「ん? なんか酒も呑んでねぇのに、くらくらしてる‥‥」
惣右衛門の声に目を醒ましたクロウ、見渡してみれば、そこにはせいいっぱいにめかした三人の女性。よく見れば惣右衛門まで常の袈裟をかなぐりすて、背なの矢籠がいさましい隋臣姿、それで、影虎、いったいなんなんだろう? ‥‥忘れられがちの仕丁、御所のお掃除係。
「もうみんな着替えたのかよ、はえぇなー。‥‥って、あ、俺もだ。やっぱ酔っぱらったのかな、俺」
「それだけか、クロウ殿」
尾羽打ちからす惣右衛門ですら一言なりと賛嘆を吐き出したのに、れでぃーふぁーすとの国、イギリス出身のクロウ
「ええと、ジャパン語で褒め言葉はなんつったんだっけ‥‥? あぁ、そうだ。『マゴニモイショー』だったな」
――‥‥。
「あら。クロウさんってば、また寝ちゃったわ」
「なに、静かなほうが仕事がはかどるだろう」
「じゃ、みんなでひきずりましょう」
嬉々として壇をよじのぼりはじめる彼等、荷物が一。
惣右衛門だけはその場にとどまる。タマが、ふにゃあ、と一啼きしたので。愛猫の呱々という声柄によく似たどよめきが、壇の下側から、ぴしぴしと聞こえたような気がしたので。
「啓蟄でございますなぁ、いよいよ暖かくなって参りました。樹木の喜楽もいっそう高らかになるようでございます」
と、彼がそぞろに口ずさめば、おなじことがいっせいに起きる。
で、どうなったかというと、まぁこれはある日の挿話だから、ぶっちゃければ。
――‥‥彼等はそろって、ぐしゃりと、雛壇をふみぬいた。
落ちて、オチる。
それも、またひとつの、めでたしめでたし。
(おまけ)
ステラ「‥‥はっ。もしかして『雛人形を片付け遅れると婚期に恵まれなくなる』って、怪我をして婚儀の日どりがのびるってこと?」
影虎「それはぜったいに違うでしょう‥‥」
鈴鹿「つまり、縁組みの予定がなければ、とばっちりもくわないということだな?」
影虎「自爆です、それ。第一かえって、雛人形をないがしろにしたむくいで呪われるような‥‥」
その後、鈴鹿はお百度参りをはじめた(←そういうことは、虎長様にとっておけ)。