●リプレイ本文
●壱
依頼の請負が成立した場合、談合がまとまれば早めの行動をこころがけるのが通常だ。しかし今回にかぎってはわりあい日にちに余裕があったので、冒険者たちは事前の調査にあるていどの時間をさくことができた。もっともそれとて急ぎに急げばなんとか可というぐらいだったから、調査の先鞭をになった死先無為(ea5428)は食事をとりにどこかへ立ち寄るひまもなく、しかたなしに、保存食を2つばかり空にするはめになったのだけれど。
冒険者ギルド。行きにはずれたのとおなじ卓で待つ彼らのもとへ、無為は短い断りもなしで彼らに近づく。
「どうだ?」
九印雪人(ea4522)が冷めた麦湯を無為にすすめる。無為はいっきくたに喉底へながしこむ。時間が惜しい――せめて江戸での聞き込みを誰かに委ねれば、いくらかの手間をはぶけたかもしれないが。情報の収集には意外に時間がかかるものだ。距離のある2点の聞き込みを徒歩以外の交通手段をもたないものがたった1人、3日ですませたことが奇蹟というべきか、否、神さまだのみのことばづかいはよそう、無為の尽力によるものだ。実際、平気な貌をしているけれど、無為の疲弊は頂点に達している。汗を噴かないのがそれこそ奇蹟のように。
とにかくことばにしなければなにもはじまらないと、無為は語る。
「先の刀自は御存命です。これは朗報になるでしょうか」
暮らしぶりはひじょうにつつましいものらしい。山の草庵にひとりすむ。ほとんどの物資は自給自足で調達しているらしいが、たまに降りてきて籐であんだ籠などと交換に、こまごまとしたものを手に入れることもある。いきおくれ、とまわりからは思われている。けれどもよくよく調べればすぐに分かることで、行けなかったのでなく行かなかったのだ。
彼と彼女の経緯と顛末は、年のいった何人かが知っていた。しかし彼らの知っているのは片手の指にもとどかぬ数の現象と、劣化した模造の風聞だけであり、心のうちは誰も知らない。語られることもなければ記されることもなかったそれは、海の底の宝物のように、忘れかけたころにちいちゃいあぶくを吐き出すだけで、今はたゆとうてしずんで深く秘めやかに眠る。無為、最後の結論をつける。
「人の噂は現実を射てはいても、真実を射ているとはかぎらないからな」
「俺もそう思う」
いわゆる般若湯でもあおっていたのか、大鳳士元(ea3358)の顔はうっすら朱に染まっている。とんと卓をはじいて韻をとる興もみせる。
「爺さんのほうもひとりみだろ? 雨だれが石を穿つほどの年月の懸想か。やるねぇ」
士元の手元、賽がふたつ所在なげにころがされていた。おおかた、無為のいないあいだの手慰みにされていたのだろう。無為はべつにそれをどうという感慨もなく見やったのだが、視線に気づいてあわてふためき賽をしまったのは、士元でなく高野鬼虎(ea5523)だ。
なるほど、士元の相手は鬼虎か。強引に付き合わされたかと推察されるが、まじめな白の僧兵である彼にはさぞかし大儀であったにちがいない。が、7尺を超える強面の大男が顔を真っ赤にしてわたわたしているのも、ほほえましいといえばほほえましい。‥‥まだまだ少年なのだ実際のところ。士元のなりゆきに否応もなく巻き込まれるくらい。
反面、鬼虎と同族の雷電月光(ea5511)は、ずっと無口なふうで、卓から距離をおいたギルドの柱骨の影にたたずんでいる。座りっぱなしはただとてもたんじゅんに苦痛なのだ。できることなら、今すぐにでも飛び出してゆきたい、闘いたい、たぎる本能を満たしたい。が、罪もない相手にいどむのは武道家の真理に反する。20歳のやるせない血気を散華させるかのよう、月光はうわっつらの牛角拳を柱へたたきこむ。
ま、ジャパン語を理解しない彼にとっては、シフール越しの会話がうっとうしいというのもあったかもしれないが。若いねぇ。士元は横目にみやりしみじみと感じ入った風情で、話し合いに一息入れ、再びつづける。
「依頼人の爺さんにゃ、再会をこばまれたけどな」
「すこしでもその気があれば、最初からそういう依頼でしたでしょうし」
「つまり、向こうの出方次第か」
連れてはゆけなくても連れてくるのなら、あるいは。雪人のかすれたつぶやきはそこに集うものの総意に等しく、思いがけず注目をあつめ、雪人は彼らの視線をごまかすかのように、隣に座る女性の肩をたたく。
「そういうわけで、手紙の受け渡し役のそっちにすべてがかかってきそうだ。よろしくな」
ライラ・ドンウィール(ea0987)がこくりとうなずき、金の髪がはらりと流れるのを、意気を増した陽射しがからりと照らしだす。真夏の正午。
※
もしかすると、冒険者たちはギルドに少々長めに居座りすぎてしまったのかもしれない。話し合いを円滑にすすめられるようギルドには大なり小なりの気配りが用意されている。具体的な例をあげるとするなら、シフール通訳。最適化された居心地にぬくぬくと浸かっていたせいか、基本の基本のことが頭からぬけおちていたのだから。
できれば二人に感動の再会を果たさせてやりたいとねがう、ライラ。その祈りは気高く尊い、だが。
彼女も、月光とおなじだった。ジャパン語をまったく話せなかったのである。
幸いなことに、同行のシフールのレンジャーが、片言ではあるものの言語にあかるく、ほとんどの現代語を訳すことができた。これでギルドを離れても最低限のやりとりは可能になったが、こまやかな気遣いや感情の微細なうつりかわり、そういったものをあらわすのはさすがに無理がある。
「しかたがないわね」
そう納得せざるをえない、が。
ふところにしまった書簡を、ライラは今一度とりだす。楮紙は彼女の育った国(あぁ、過去は思い出さないことにしたはずなのだが、こういうふとした拍子に比較する)で時折使われる羊皮紙とは色も厚みもずいぶんちがっている。蝋の封のない付け文、目を通してもかまわないと云われたが、ライラには一文字すら読み取ることもできない。指のはらで文字をそうっとなでる。墨が手に付くかと思ったが、すこし波打った紙のおもてを感じられただけだ。これっぽっちの文にどんなときをかけたのだろう。まばたきするほどの寸隙か、それとも霜髪を得るまでの年月か。叮嚀に折り直し、ふところに戻す。羽毛のような軽さ、宵闇を超過する重み。
●弐
道行きはあっけなかった。いくら山の庵といっても、おそらくはたいした武術の心得もない老婦人がひとりで棲まうところなのだ、そうそう危険はない。傾斜角度とはちがったところで多少の悪所はあった、丈ののびきった草の横やりやら敷き詰められた砂利やら。が、それも障害といいきれるほどでもない。
月光が少々物足りなそうにしている。巨人族には山岳地帯の出身のものも多いから、これくらいは平地と変わらないように思えるからかもしれない。おなじく山岳にはつよいはずの鬼虎が月光とは対照的にものめずらしそうにしているのは、育った山の自然と比べてのことだろうか。
侘び、寂び、とあらわせば語感はよいが、風が吹けばきしみ、雨が降れば流れそうな、あばらや。軒をくぐろうとしたライラは、いったん立ち止まる。左右で色のことなる瞳の両方に不安と憂慮を、雪人はみる。彼はこう云うしかない。
「だいじょうぶだって」
とはいっても、いいかげんなことも口にできないし。
「逃げやしない。ここにいるから」
今までだってきちんと付いてきたろ。魔除けたるでくのぼうの効果は覿面、ぜんぶ杞憂じゃないか。おどけた卑下を折り込み、そういうふうなことを両手をあげてつたえると、やっとライラは笑顔を見せて、歩をすすめた。
「ゴメンクダサイ」
教えられた挨拶で、邪魔をする。
鶴髪童顔、という成語がある。邪気のない顔つきの白髪の老人をそういうのだが、おそらくは一間っきりの余地で黙々と籐をしごいている、こういう人のことをいうのだろう。彼女はライラの来訪を悟ると、分かりやすすぎるくらいあきらかに身を固くした。それはそうだ。ライラの身の証をたてるようなものは、何もない。ジーザス教という観念のかの字すらない相手には、聖なる十字架だってちぐはぐな立体だ。
「‥‥」
だから沈黙をたもったままで、ライラは差し出した。無香の一葉を。
沈黙はそのまま守られた。老婦人がそれからのながいながい数劫ちかいような刹那、手簡に目を通すあいだ、なにも発しなかったからだ。ライラは肌にまぶすようなしびれをかんじる。やっと彼女が口火を切る(これからの会話のあいだ、もちろん、通訳ははさんでいる)。
「これはあの人のものですね」
『はい、そうです』
「他には何も?」
『はい』
終了のきざし――それだけで閉じられてしまうのが怖かった。ライラは必死につけくわえる。
『この手紙を読んで、私は思いました。依頼主はただあわせる顔がなくて、いまでもあなたに逢いたいと』
言葉の壁はわずらわしい。だがもっとわずらわしいのは、肉体の封鎖だ。胸をひらいても真心はない。あたまをわっても信念はない。‥‥他に示す方法があればいいのに。
『もしあなたが逢いたいとおっしゃるのなら、私は責任を持って、あなたを依頼人の元へ送ります』
ふたたび沈黙がつづく。しかし、今度の沈黙の比重は、さっきよりもよっぽど重い。是か否、行き着くさきがどちらかだけだからだ。それはまるで判決を待つ咎人の気分にも等しい。これも神の試練とわりきろうとしても、早鐘はとまらない。鼓動が満つる紛いの静寂、それをやぶる突然の声、
「失礼します。そこの騎士の連れのものですだが」
無為。それともうひとり、雪人。
「もしまだ返辞を迷っておられるのなら、聞いてください。依頼人はほんとうはあなたに会いたいと思っているのです。でも、あまりに長いときがたってしまったし彼にも事情があったため、どんな顔をして会えばいいか判らないだけなのです」
「そうそう。このまんまじゃすっきりしねえだろ、お互いさ」
2人もかさを増やした闖入者に、老婦人は目を丸くする。が、彼女は驚きや非礼を指摘するかわりに、吐息をついた。
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えましょう」
くだされた是。にっこりと微笑んだ雪人が、いつぞやのようにライラを押す。
「やったな」
訳されてないから正確な意は理解できないけど、おおよその心づもりはつたわっただろうに、ライラの表情は微妙である。泣こうか笑おうか、ためらいのまんまで凍り付いているようである。
そして、一拍おいたあと。
笑った。
泣くにははやすぎる。とっておきの涙はもっととっておきの瞬間にあればいい。
●参
むかしむかし、売られてゆく娘がいました。彼女には恋人がいましたが、そのときの恋人には何の力も財もなく、ただ逢瀬も最後という夜に娘へ「必ず取り返す。明日を信じて待っていてくれ」とつたえるのがせいぜいでした。だから娘は待って待ち続けて、身を裂くほどに苦しい昼も涙で血がにじむほど泣ける夜も、沈殿した時が若さをおしやり腰がだんだんと曲がっていっても。
――それで、終わりはどうかって? そんなん知るか。だってまだ世界は終わっていない。谷のあいまを水が走るように、山の稜線を風がつたうように、世界が世界であるゆえのつながりはそのままである。
教訓。どうしても終わりを知りたかったら、自力ででっちあげてやるしか。
「つうーのは、師匠からの受け売りだが、なんつっても」
士元。視線は見るように見ていない。いちおう空へやられているようだが、ほんとうにそうなのかは怪しいものだ。
「めでたしめでたし、で終わる物語が最高だよな。あ、最後には愛が勝つ、でもいいや。そう思わん?」
「そうですね」
鬼虎が一言かまってくれたことに気をよくしたのか、士元の口調はさらなる流暢へ。
「だからさ、つまり結末なんだよ。糸口とか過程がムダとかじゃなくって、最後がいいとあとあとまでなんかいい気持ちになれるだろ。おまえも若いんだから、今からだろ」
「それ、僕にむかっていってます?」
「うーん? だから物語だよ、誰かのつくりばなし」
士元はすらりと、鴉の子みたいな鬼虎のまっくろな瞳の追求を交わす。
「どだ。また呑みに行かね? またさいころあそびを教えてやるって。丁半が飽きたなら、次はちょぼいちか?」
「いりませんよ。いえ好意『だけ』はありがたいんですが、僕も仏につかえるもののはしくれとして博奕はやっぱり」
「まーまー、世の中、いろいろなお勉強も必要だ。雪人も行くだろ?」
「あぁ」
雪人も酒量には自信がある。冒険者としてでだしの仕事のまずまずの成功を、伝統と斬新のせめぎあうかたちで祝ってやるのも、またよきことかな。しかし、もっと直結な反応をみせたのは月光だ。彼はやはりだまって歩いていたのだが、前触れもなく立ち止まり、典礼のごときすばらしい直立不動の姿勢で、ぽつりと、
『呑む』
「え、なんて」
『呑む』
自分よりでかい鬼虎をからかうようにまとわりついていた士元が、今度は月光にひきずられはじめる。「ちょい待て、離せ、つか話せば分かる」という士元の主張(絶叫ともいう)も東風にながし‥‥しかたがない、月光はさきにもいったようにジャパン語はさっぱりなのだから。
ただ、無為だけが彼らの最後尾で冷静な観察をつづけている。
「ふむ。力がありあまってるとはああいうことをいいますか‥‥」
けっきょく月光ののぞむぐらいの大立ち回りはなかったから、ちょいとばかりやけになってるのかもしれない。それでやけ酒にはしろうというのか。それとも、今、士元をひきずって鬱憤を晴らしているのか。
「まぁそれも若さです」
そして、
「あれが老い」
――再会はかなった。
老人のほうは、冒険者たちが老女を連れてきたことに愕き呆れたが、けっきょく断らなかった。老人を迎えに行ったのは士元と鬼虎の2人だが、僧兵がそこまでそろえば、罪ない老人の大概は連れ出せるだろうという無粋は抜きで、冒険者には気楽でも年寄りにはつらい距離をわざわざ越した彼女の決意を無碍にするなど、できなかったのである。冒険者たちは場所だけ提供して、あとは遠くから見守った。
それから2人がどんな結論をだしたか、士元じゃあないけれど、さぁ、知らない。ただ悪くはないだろうと思う、表情があかるかったから。
そのとき、こっそり影から情景を眺めていたライラは泣いていた。泣きじゃくっていた。何事か自国のことばで独言したかもしれないが、無為は忘れたことにしている。
無為は18歳のライラの衝動を若さのせいにはしなかった。
「それが、人でしょう、ね」
世の風は、夏らしく、熱い。
幸せな結末が、いいだろう。