●リプレイ本文
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なにはともあれ、この祝辞。
「ご結婚まことにおめでとうございます」
綾都紗雪(ea4687)、ずらりと建てこむ京長屋、お優の侘び住まいにて。藁に端坐する。二つ折りのたんねんな礼を送れば、お優、こちらは童子の手習いのようなもたついた会釈。
――ジャパンのお行儀ってたいへんそうですね。
ぼんやり打ち見るジュディ・フローライト(ea9494)、はっと我覚めおのずと挨拶につづく。辞儀のたいへんさをしみじみと、季節の変移のように感じながら、きりだした。
「手紙をしたためてはいかがでしょう」
このあと、ジュディ、お優の婚約者のもとにも出掛ける予定である。
――形而上学の時代から文語と口語の、いずれにせよ言質の無力は物語られる。あるいは悲劇、あるいは滑稽、異国のジプシーたちも流浪のまにまにひっきりなしに語り継ぐ、どうして人は伝え交わしながらすれちがうのだろうかと。けれど、だからこそ
互いがどれだけ婚約者を大切に思っているか。そして、多津吉への心配り。文字にしてはどうか、婚儀間近で忙しい身とは思いますが、と附する。が、お優の顔には懸念、というより、後悔じみた忸怩の影。
「あたし‥‥字が、」
ひどく申し訳なさそうにうつむくので、ジュディもその先を察する。
「私たちがおてつだいいたします」
つと、紗雪がさしだす欠けの多い椀に、ほっこり湯気をあげる夏野菜の煮物。お勝手を借りて紗雪の作ったのだ。やわらかく湯気は満ちてくすんだ室内、うっとりする。紗のような蒸気におおわれた柱の傷、きしむ床――積もる時代と流れる移行、それらに紗雪もまたうっとりする。
「難しいことではありません。ですね、ジュディ様?」
「はい。正直に、まっすぐに、そのまま、それだけでいいんです」
お優がおっかなびっくりながらも承諾するのをみはからい、紗雪、箸を添えた。
「なら、ますます精をつけなければ。弟様はきっと、張ってしまった意地の解き口を見つけかねているだけ。優様がご心労の余り倒れては、弟様も益々意固地になられるでしょう」
そして人見梗(ea5028)も、ようやく己の用件に及んだ。
「相手方をお訪ねしてもよろしいでしょうか?」
紗雪の所作が稲のような優美としたなら、梗のそれ、杉のように質実である。一糸みだれぬ背筋にそっくりの揺らぐことない橋のごとくの、目。
「えぇ、あちらがおいやでなければ」
「梗様もどうぞ」
紗雪のすすめるまま椀をすすったのが、運の尽き。紗雪の微笑、なにかを問いたげに深くなって。
「‥‥例のものを出汁につかってみたのですが、お味はいかがでしょう」
「えぇっ」
「冗談です。気がほぐれました?」
僧侶がそのようななまぐさい賄いをこさえるわけはありませんよ、と花の笑み、絶え間なく。
‥‥最近なにげなく、黒的な実践の多い紗雪。白の宗派のわりに。
このとき、一番の被害者はジュディだった。「例のもの」の正体を気取ったのが幸福中の不幸――これがあたって死ぬのだけは勘弁してほしい、と、それこそ死んでも死にきれぬというヤツ。
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日を追うごとにいや増しついにはおのずさえ灼き尽くしそう、光熱のはずむ蜜色の日射し、早緑のリボンは暴れん坊の機嫌をなだめるよう、祈りによく似た遅速に、ふぅわりなびく。シルフィン・マックスハート(eb3313)は多津吉の世話になっているという彫金師のもとへ、あと三軒もすればそこへ着く、そういうときに聞き留めた。
杖を突く、音。それに、金属同士がかすかに袖触れ合うぐらいにすれあう、波長の高さ。
鐘のなるように響く。月の暈のような輪をえがいて、みなぎる。
矢作坊愚浄(eb5289)――河伯の身なれど、黒の雲水として諸国をさすらう身の上。杖をもたぬもう一方の、水掻きの張った手には素焼きの茶碗、家々の取っ尽きに立ちながら、家人へ施しをこいねがう最中か。塑像のような愚浄の面差しからは、感情の行き交い読み取りにくい。愚浄のあとにつく仔馬のほうが、まだ情操ゆたかにみえたろう。
「托鉢‥‥でしたか」
シルフィンは、声を掛けようかとしばし思案する。
河童族というのは、めずらしい隣人のようなもので迫害はないけれども、町中でこうして尋常に出会うのはやはりジャパンでもそこそこ希有なことらしい。それはハーフエルフの我が身にも心当たりがあることだからと。――もっともジャパンという国では、民衆にそれほどハーフエルフ差別はゆきわたってはいない。エルフが土着の民族でないこともあり、そもそもエルフとハーフエルフをきちんと見分けられるものもすくないからだ。ただ黒髪黒目の単一色が多数をしめる国だから、そういう意味では金髪と碧眼のシルフィンは浮き上がりやすいのだが、むろん愚浄も。
思案が突き当たった。あれは行の一環だという、ならば途中で割り込むのはかえって失礼になるだろう。
「こんにちは‥‥失礼します。あの、こちらの多津吉さんのことでおはなしが」
色金、四分一、熔けた金属が色濃く立ち込めるそこへ、蝶のようなリボンを揺らしながら蝶のようにふわふわと入ってゆく。
「おぉ。やってんなぁ」
重く低い騒然、よどむ気配、束の間の喜悦と雉の尾羽のように長々した嘆息。鍋で煮出すようにそれらはすべて渾然とし、分かちがたい。
いいね、このどうしようもなく浮揚のしがいのないところが。
藤城伊織(ea3880)、片手にくるめる賽をぽーんと投げ上げる。二度、三度、ぽーんぽーんと。落ちるたびにひとつの手触りがまちがいなく手の窪におちこむの、すさまじく愉快で、煙管を噛む口元、にやり、と波打つ。
「ちは、遊ばせてくれ」
伊織を御同輩とみたか、とりわけ拒まれることもなく奥に通された。
「んーと‥‥」
探し人を探して――あぁ、いたいた。
お優に聞いた特徴どおりの青年未満は、泣きだすのを辛抱する幼子のように意地の張った表情で――負けが込んだな。勝ちにしろ負けにしろ、どうして人ってのはそうそう陳腐な応答しかとれないものか。自分なら、エウレカとでも叫んで飛び出そうか、あぁ、それもいいかも。
と、
昼から夜を一閃につらぬくような、じゃらんという音響、迷いのないこと彼の身構えによく似た――幻聴だけど。伊織の四辺に満ちるのはあいかわらずの喧噪で、そんな涼やかなのが聞こえるわけはないが。
「‥‥あぁ、いけねぇ。やらねーよ」
愚浄だ。
どこか遠くから見張っていてくれているはずなので。伊織が逸れるのを監視しているわけでなく、いざ彼がちんぴらにでもからまれたときの助けとなるための配置だが、降魔杖から繰り出される一撃、彼にも落雷せぬとはいいきれず。
六の目のみをくりかえすように細工された賽を指先でつまぐりながら、伊織、多津吉とおぼしき青年の隣へあぐらで陣取り、「按配はどうだい?」とさも親愛に満ちた顔付きになって――胡散くせぇなぁ、と、我ながらうすめの自嘲。どうせ優しくするならほんとは姐さんがいいねぇ、とは、これまた頭蓋骨の下だけの秘密、博徒らしい女性へにやけてみせながら、煙管をくわえなおす。
「どうしてお椀をおもちに?」
「いえ‥‥お気になさらず」
例のもの、なる単語を耳にしたときからここまでずっと駆けどおしだった――というわけだ。ジャパンの安寧をつかさどる志士(まぁ、ちと大袈裟だけど)が飯茶碗を片手に、ぜぃ、はぁ、と、息を枯らして、それでも最低限の礼儀だけはたもつのはとてつもなくおかしな風情だったけれど、人柄なのだろうと思われて、その場は了承された。
お優に取り次ぎされた主旨つたえると、梗は快く通される。婚儀を間近の忙しい時期だ、手伝いはいくらあってもよい。装束をたすきがけにして気合いを入れ直す、この合間に彼の人となりを見極めようというのだからさらなる大仕事だ。
「おじゃまします。‥‥あ、人見様」
「ジュディ様。どうして?」
「こちらのお方にも書いていただこうかと思いまして」
お優の書いたのを封書にして見せる。そういえば、そんなことも云っていたような、ジュディはにこにことあどけなく笑まう。
「人見様はかえ‥‥」
「かえっ!?」
「‥‥あれから帰ってこられないから、心配していたのですが」
平気そうですね。
それこそ梅雨どきのカ○ル(←良心)のように跳ね上がる梗、紗雪のやりよう、クレリックのジュディはジャパンにおける布教だとみならったか。いや、これってどこにも信仰はないのだけれども。
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結論からいおう。伊織の実入りはとんとんだ。
六の目のみのイカサマ用の賽子といっても、それのみではどうぞ見え透いてください、というようなものだからここぞというときぐらいにしか使えない。そして酒や煙草を愛するように刹那の遊技は好みでも、いささか勝負勘には欠ける伊織には、賽子の出しどきをあんじょうよく見極めるのもむずかしい。
「赤字になんなかっただけ、御の字か」
「ん?」
「あ、こっちの話。呑め、呑め」
伊織は多津吉の猪口へ、なみなみしたたらす。勝ちの祝いとはいかぬから、これは安物酒だ。伊織、賭けの仕納めどきに多津吉を近くの酒場に誘い込んだのだ。
「丁半の運つーのはあれだな、上や下やの歩合とはぜんぜんちがわぁな」
「‥‥そうだな」
多津吉はぐいと際疾く酒を煽って、伊織、空いたそばからまたぐいぐい差す。
「頭だの体だのの都合が差配する。おまえさん、負けがごたついてるそうじゃねぇか。なにかあったんじゃねぇか。借金とか」
「まだ、してない」
「そうだっけか? あぁ、それならいいんだけどよ」
「‥‥勝ちてぇな」
ごろん、と、猫のそうするように、多津吉、卓へうつぶせる。
「‥‥姉貴におめでとうを言いそびれてんだよ。俺になんにも相談せず結婚つい、かっとなっちまって‥‥おとなげないって分かってるんだけど。」
「金銭や物品でつぐなおうというのが、そもそもの失策であろう。悔悟の意を表明しようとするのであれば、真心のこめられたたったの一言で十分だ」
「あ、あの、」
しゃらん、と、ふたたび波長。
愚浄に、ジュディ。ジュディ、両方の書簡をあずかり届けようとしたのだが、すでに彼等は賭場にはおらず、おまけに、いいところのお嬢さんふぜいのジュディをそんなところへ送り込むのは、犬狼の巣に羊を投げ込むようなものだ。だから、あいだの愚浄が、ジュディをここまで連れてきたのだけど、彼女の遣いはムダになりそうだ。‥‥人並みの男が、伊織の頂点にかなうわけはなく。
「すまん、つぶしちまった。あとは持って帰ってからにしようぜ」
丸太のように、多津吉を持ち上げる。よ、と、前へ踏み込む足取りには剣呑なところがどこにもない。ふむ、と、愚浄、感心をみせたあとに視線をずらし――猪口にはわずかに余剰の馥郁――すかさず指ですりとり、ほんの少しを、ぺろりと舐めた。
――‥‥。
「気がつかれましたか?」
多津吉が目を覚ましたとき、井戸水でとっぷり冷やされながらきりっと水気をとられて気持ちのいい手拭い、それを置いたのはシルフィンだ。
「つらいなら、もうしばらくそうしていてくださいませ。お師匠のほうにはお体が元通りになったら戻るよう、報せておきましたから」
師匠――要は多津吉の奉公元、それを聞き付けて多津吉ががばりと起き上がる。鮫が跳ねるような勢いの良さで起き上がるから、シルフィンもびくりとおののき、
「あ、あ。‥‥さしでがましい真似だったでしょうか」
「いったい何をしにいったんだ」
「‥‥ええと」
「シルフィン様はあなたの横着を免じてくださるよう、おねがいにまいられていたのです」
白い肌を赤くして恥じらうシルフィンを制し、紗雪も口をはさむ。そのあと紗雪も彫金師のもとを訪ねた。多津吉がなにかこぼしておらなかったか、それを知るためであったが、ふさぐような気味のあっただけで、具象をともなう何事かは知れなかったが、そうそう、と、思いついたように、金髪のお節介焼きのことを珍しそうに披露した。
シルフィンは毎日、毎日、そこへ通っていたのだという。
「真っ当な生活に戻れる先をご用意しておかなければ可哀想だとおっしゃって、」
――紗雪の語るかたわら、シルフィン、それはもう、尋常でもじゅうぶん赤い夕日に茜の顔料をぶちまけたような真っ赤になって、項垂れる。爪紅の鳳仙花のしおれたようだ。
「‥‥多津吉さんの代わりを少しでもできないかと思って、でも、彫金ってすごく複雑ですね」
「たりめーだ。トーシロのかなう技術じゃねぇ」
「では、その誇りをまっとうしてください」
梗、凜と言い放つ。
「私はここ数日、お優さまのお相手のもとで働かせていただきました。えぇ、はたからみていても気持ちよく笑いながら、うわべをつくろうだけでなく、お客様に接するお方でしたよ」
梗が、嘘がカエ○(←良心)の次程度に苦手な梗が、あいもかわらず柱のようにまっすぐ背筋を伸ばしながらいうのだから西と東の証左のようにまちがいはない。といったって、多津吉、それを知るわけはないのだろうが、梗の朴直のおしだす気迫にのみこまれたか、
「‥‥明日からお師匠のもとへ戻られますか?」
こく、と、まるで叱られた子のようにうなずく。
「では、指輪を掘っていただけないでしょうか? お姉様がたご両人の結婚指輪を‥‥」
念を押すように、紗雪が微笑むと、もう一度点頭がかえってきた。
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七日後。その日、梅雨を離したような、五月晴れ。
婚儀はとどこおりなくとりおこなわれた。どちらの親族の出席も欠けることなし、むろん多津吉もいっしょで。
梗、切望のような、憂いのはじからはじまでつめられた吐息をおとす。
「きれいだったですねぇ」
指輪をわたす際、ちょっとした仰天を演出したのだ。相手には当日までなにも伝えず、いきなり指輪を贈る。仰天もしたし、雀躍もした。思いどおりだったのが他人事なのに、子どものように嬉しい。上の姉が嫁いだときは何をしたか、と、ふと色褪せぬ追憶にとらわれたり。と、そのときの寂しさが一抹、書物の栞のようによみがえり、しかしふたたび閉じられる。
「えぇ、ほんとうに」
シルフィンもまた似たように、切なく。故国の父と母を朧気に思う。
――自分もまた、いつか大好きな方と結婚する事ができるでしょうか。
むろん返る声はない。セーラ神は存外慌ただしいらしく、巷の乙女の大多数の望みにはどうやら無関心。ふと目の前をかげったのをもしやと思えば、黒白の貴族服をひるがえらせて、燕がついっと頂点を横切ってゆくだけ。
「そのとき、わたくしたちがお手紙を書くのもいいかもしれませんね」
ジュディはけっきょく彼等の手紙を一回こっきりもさしのぞいてはいない。だが、きっと『兄』は『弟』に思い遣りにうるおった文辞を送っただろうと思うと、自然、双手が、互い違いに組み合わさる。
――聖なる母よ。
――新たなる道を歩まんとする『三人』に、幸多からん事を願います。