●リプレイ本文
●夜刀神
広い田だった。僅かに傾斜のついた大小様々な形をした田には、山から引かれる水が一面に張られている。それはまるで水鏡のように光る‥‥はずだった。
今、その薫風吹く田には、うねり。うねりと、我が物顔で田の泥を満喫しているらしき長者がいる。
「米は日本人の心の食べ物だ。春に田植えをし、夏は目に鮮やかな緑の田、秋には黄金色の穂が垂れる。白い米の握り飯ほど美味いものはないだろ。その神聖な田に巣食うとは許せない妖だな。さっさと退治しないと」
その、大好きな愛しい米の色である、真っ白な髪を田を渡る風に揺らして石動流水(ec1073)は、僅かに目を細める。風の中に生臭さは無い。妖の数は二十を僅かに超えるというのだから、呆れてしまう。料理人の端に連なる者としては、放っては置けない。米の実る田は、なにより大切な場所だと思うから。
うねる長者は、冒険者達は確たる名前を知らなかったが、夜刀神という精霊の一種である。自らの精霊力に対応した色の鱗を持ち、蛇に似た姿を持つ。
「赤や青や緑や茶‥‥四色の蛇に似たモノがうねうねと‥」
あまり、見たくない風景ではある。十六夜りく(eb9708)は、僅かに肩を竦める。
「借りてまいりましたわ」
ふわりと、高く結わえた艶やかな栗色の髪を揺らしながら、音羽響(eb6966)が両手いっぱいに田下駄を抱えてきた。田の中に入るのならば、少しでも動きやすい方が良い。水の張られた田はすっぽりと足首深く埋まり、下手をすれば脛まで埋まる。よく耕され、育てられた田はそんなものだ。畦道はあるとはいえ、万が一を考えればあったほうが良いだろう。僅かに高くなった箱型に抜かれた下駄は、体重を分散させて田に沈まないようにしてくれる。その高下駄を受け取り、流水はからりと笑う。
「やれやれ、次から次へと騒ぎが起こるもんだな。戦が終わったと思ったら次は妖。こんな田舎にまで現われるんだからねぇ」
「‥水門近くから順に潰しに掛かるか?」
ざあと、室斐鷹蔵(ec2786)の見事な銀髪を、風が、己が分身のように引いて流す。ひとつに括られた長い髪が五月晴れの空になびいた。
「一つずつ虱潰しに掛かるのがよかろう?」
口の片端を引き上げて笑いつつ軽く顎を上げ、肩で風切ると、鷹蔵は、水門の方角へと歩いて行く。
夜刀神は、そんな冒険者達の動きなど意に介さないように、火を上げ、氷を吹き上げ、風が水飛沫を上げ巻き上がり、軽い振動がひっきりなしに襲っている。
すたすたと先を行ってしまった鷹蔵の後を歩きながら、流水は、田の夜刀神をまた眺めた。
「我が物顔って感じ?」
「まだ人が襲われていないけど、誰かが傷つく前に退治したいわ」
りくの言葉に頷くように、忍犬らいと、柴犬の茶々音がりくの前に出てくるりと顔だけ振り向いた。
「あれが着たら」
水門に辿り着くと、りくは、うねる夜刀神を指差し、愛犬二頭に言い含める。
「吠えて」
つぶらな黒目がりくを見る。らいも茶々音もだいたいの意味は理解しているようであった。
「俺も手数のひとつにはなるだろう」
腰の刀に手をやりながら、山本剣一朗(ec0586)も、うねる夜刀神を眺めて、ひとつ頷く。頬に当たる風は、水の匂いをたっぷりと運び。
「壁役。やらせてもらう」
油断無く夜刀神を睨みつつ、剣一郎も、堅実な足運びで田に一歩踏み出した。
●泥田での戦い
剣一郎と鷹蔵が、畦道を伝って、田の中へと進む。ぴくりと、夜刀神達が、侵入者に──彼等の方が侵入者なのだが──警戒をする。
「いくわよっ!」
りくの身体から煙が立ち昇る。そして、田には。
水飛沫を上げながら、大ガマが出現している。一番近くの田に居たのは、吹雪を生み出す夜刀神である。僅かにその身を光らせるのをそのまま見ている事は無い。
「っし!」
流水が、その手の槍をくるりと回転させると、夜刀神に突き出した。空を切るその槍は修羅の槍。地獄の業火を思わせる赤い残像が残った。
どう。
田の中のうっすらと赤く色付く夜刀神は大きくその身をうねらせる。そこに大ガマの攻撃が入ると、あっけなく赤い色を光らせ夜刀神は消えていく。
「しかし滑稽な‥笑わせよるわ」
りくの大ガマの姿を見て、鷹蔵はちらりと視線を投げかけると、また口の端を引き上げるような笑いを浮かべる。その目は広がる田畑に向かう。ここからは消耗戦だ。切って、切って、きりまくらなければ終わらない事を鷹蔵だけでなく、皆が知っていた。
赤、青、緑、茶。手近な田から淡い光が浮かび上がる。
「‥いいぜ。かかってくるといい」
鷹蔵の目が眇められる。
水の張られた水田にむくりと持ち上がる夜刀神に一歩踏み出し、日本刀の鯉口を切った。ガマがその後を追い、畦道を潰す。
決して良くは無い足場から、その淡い光目指して泥水蹴立てて飛び込んで行く。
「青いのと、茶色いのは任せておけ」
地と水の魔法に抵抗する衣装を着込んだ流水は、率先して手近の青の淡い光目指して足を進めると、再び炎の軌跡を描いて槍が飛ぶ。
田下駄を履いているとはいえ、剣一郎はその足取りに苦労していたが、流水が一撃を浴びせ、うねりあがる夜刀神を、ざくりと切り裂く。
流水が声をかける。
「二手に分かれるか?」
「足元が悪いのは見ておったであろう。一つの田を一人二人で追い回した挙句、逃げられるようでは馬鹿げておる」
軽く顎を上げた鷹蔵が、流水を見る。槍を使うの流水ならば、攻撃範囲は多少広い。だが、日本刀を振るう鷹蔵と剣一郎は、追いかけるのは意外と難しい。五、六体倒しただろうか。そうこうしているうちに、りくの大ガマの術は時間が来てしまう。
「っ!もう一回!」
りくが、もう一度大ガマを呼び出そうとした時、田のなかほどまで進んで来た五人は、嫌な気配を感じた。残りの夜刀神の動きが妙だ。
流水が目を細める。
「来るか?」
「だめよ、空きが多過ぎる」
りくも蠢く田から、視線が外せない。なんて‥嫌な風景だろうと思う。ぞろぞろと蠢いて押し寄せる泥を被った夜刀神の姿に、こくりと息を呑む。再び流水の声が飛ぶ。
「散会するか?」
「遅いだろう」
鷹蔵の冷めた声が響く。
ぞわり。
言葉に直せば、そんな音と共に、残った夜刀神が一斉に動き出す。
向かうのは水門。山に戻ろうというのだろう。
一斉に向かってくる夜刀神。
「っ!」
りくの声にならない声は術を紡ぐ。だが、術が形になる前に、夜刀神は何匹も冒険者達の間を縫って水門へと抜けて行く。ただ、そのまま、彼等の手の届かない場所を通った夜刀神は吠え立てる犬達に見向きもせずに山に抜けていく。けれども。
ざばざばと、剣一郎が袴を深く泥に浸しつつ振りぬく刃に夜刀神はその足を鈍らせる。
「いかせるかっ!」
「抜かせない!」
唱えられ、襲い来る夜刀神に怯まない響の魔法は、逃走本能に支配された夜刀神の何体かを呪縛する。とろりとした色合いの赤い勾玉を握り締め、りくも唸る。
「行くわよっ!」
煙を上げ、放たれるのは、良い香りの漂う春花の術。前衛で戦う男達を避けて放たれる。逃げようと焦る夜刀神を何体か捕縛し。
何匹か、山に逃げられ、畦は少し決壊したりもしたが。
「皆さん、ご無事ですか?」
怪我があれば、すぐに治そうと気を張っていた響のたおやかな声で、夜刀神は広い水鏡のような田から居なくなっているのが確認出来たのだった。
●田植え
墨色をした羽を羽ばたかせ、ゴイサギが田にやってくる。白い羽のコサギがゴイサギの様子を窺うように番で田に降りる。草原のように稲が青々と茂る頃には頭が黄土色した子供のコサギが何匹も群れに守られる事になるだろう。甲高い鳴き声が、薫風にのって田と村に響き渡る。
「腰が痛いっ!」
りくが何枚目かの田で悲鳴を上げる。中腰で泥の中に稲を立たせるのはかなりの筋力がいる。
「普段食べている米はこうして作られているのか‥‥大切にしないといけないな」
剣一郎も、長身を屈めて田植え体験をしていた。固まった腰を伸ばし、穏やかな空を眺める。ほんとうに小さくて細い稲が、夏を越え、秋を迎え、青い草原が金色の絨毯に変わる頃、そんな金色の外套に守られて、白い米は実る。
「豊作だと良いな」
同じく、長身を屈めて田植えの手伝いをしていた流水が戦闘時には何処かに行ってしまっていた愛馬時門が戻ってくる姿をみつつ笑う。
「あれ?ひとり足らない?」
りくが風に引かれる銀髪を捜す。
「厠だって言ってたな」
流水の言葉に、ふうんと、頷く。だが、鷹蔵は厠へ行くと言って、村を後にしていた。武士であるという矜持が農民と共に田に入ることを許さなかったのだ。
「そうそう、筋がええ」
「ありがとうございます。でも、これは毎日やらなくてはならないのですよね?」
「そりゃ、ぬかどこだしなぁ」
響は村の自慢の料理を教わろうと女達に混ざって食事の支度をしていたが、これと言って無いと、からりと笑われる。進められるのは、ぬかどこだ。
「確かに。小さな茄子とか胡瓜を漬けると美味しいですね」
野菜はどうしても間引かなくてはならない。間引いた小さな野菜はぬかどこに寝かされ、信じられないぐらい美味しい漬物になる。
「みなさん〜。一服しませんか〜っ?」
「いっぱい食べてな!」
得体の知れない妖怪に田を占拠されていた農家の人々がこぞって冒険者に握り飯を持ってくる。真っ白なご飯を握り、塩を振っただけの塩結びに、古漬けの沢庵。濃い目に入れられたお茶が、喉に染みる。
「やった!」
「白いご飯はご馳走です」
「頂きます」
子供のように歓声を上げる冒険者達を、村人達も嬉しそうに見て。
豊かな実りの秋を迎えられますように、弥勒菩薩様のご加護がありますようにと、手伝った響は明るい空を見ながら思うのだった。
明るい笑い声と、穏やかに吹き込む風と、景色を映す鏡のような田。冒険者達によって、今年の田植えは上手く行ったようであった。