●リプレイ本文
昼日中の暑さも夜には一息つける。
とろりとした京の夜風の中、冒険者達は宇治川へ向かう。宇治の川縁は、京の街中の暑さを忘れさせる。清々しい川風が、涼を求めてやってきた人々を癒す。
鬼はすぐ側に居る。
しかし、そればかりを気にしていては、生活が成り立たない。
吹く夜風が納涼の浴衣の袖にはらみ。
おう。と、声が上がる。おう。と、返事が返る。
暗い川に篝火が明々と灯る。
鵜飼の始まりだ。
今回、夜の闇にまぎれて、人々を不安にさせているのは、癪に障る事に、同じ人である。鬼の襲来で、気の張り詰めた一部の荒くれ者が、弱いもので憂さを晴らそうとは、ふざけた話である。
巨躯を揺らし、明王院浄炎(eb2373)がゆっくりと鵜飼の川沿いを歩く。
「一人で対応出来ぬほどの相手が町衆相手に鬱憤晴らしとは考え難いが、念には念を入れて置くに越した事は無かろう」
ぽつりと呟き、宇治川の川沿いを睥睨するその姿は、遠くからも目立った。
───冒険者が警備に来ている。
それは、いつも犯罪の抑止になった。
長い黒髪を夜風になびかせ、明王院未楡(eb2404)がくすりと笑う。軽装で見物客に混じっている彼女の最愛の人は、その姿だけで、十二分に目立っているからだ。悪い目立ち方では無い。
ああ、安心して遊んでいて良いのだと思わせる姿だ。
「篝火はいつ見ても安心致しますね」
そう、浄炎のようにと、未楡は何となく思う。
ぞろりと羽織った着物姿の拍手阿邪流(eb1798)は、どちらが荒くれ者かわからないような雰囲気で軽く肩で風を切る。何かあれば、拳でカタをつける気まんまんであるが、そういう雰囲気は伝わりやすい。コウキと呼ぶ、燐光を発する光球を連れていれば尚の事、あれは冒険者だよと、ひそひそと人々は連れに耳打ちして回る。
鬼に蹂躙されるのを防いでくれた冒険者達。
そんな人に喧嘩を売るような輩は、幸いにして‥阿邪流にとっては、残念だったかもしれないが‥居ない。
川に太鼓の音が響き始める。鵜飼舟が出るのだ。
「連れてっても大丈夫かい?」
「喜んで。どうぞお連れ下さい」
舟の出る少し前、黄桜喜八(eb5347)は、鵜匠頭と打ち合わせをしていた。綺麗な光を放ちついて来る燐光のアオイと、可愛らしく喜八の周りを飛ぶ、背中に金色の蝶の様な羽根が生えた小柄な女の子の妖精りっちーを舟に乗せて良いものかと考えていた。場所が違えば仕切りも違う。喜八の細かな心使いに、鵜匠頭は、穏やかに微笑んだ。物見高い人の近くで大丈夫でしたら、皆喜ぶでしょうと。
同じように拍手阿義流(eb1795)も舟の上で警備をするつもりだったが、鶏のセキカンと小さなトカゲのセイリンは、預かりましょうと、鵜匠の待合場所に留め置かれた。鵜と鶏がにらみ合ってもまずいし、鵜が間違って呑む事は無いでしょうが、落ちたら大変ですからと、微笑まれ、複雑な眼差しで自らのペットを眺め、お願いしますと手渡した。
ペット。
それは、阿義流にとっては特別な意味があるようである。
(セイリン、今はお前だけが精霊への頼りですよ‥セキカン、あなたは闘鶏になりませんね‥)
阿義流は空をぼんやりと見る。陰陽師としての能力が関わっているのでは無いかと考える阿義流にとっては、特別な生き物に成長する事が己の能力の物差しのようである。実際はどうかは定かでは無い。だが、彼はそう信じている。弟の阿邪流と警備の別れ際、つい弟の後をついて飛ぶ、輝く球のコウキをうつろな目で眺めてしまい、喜八に肩を叩かれて我に返った。
「いくぞ?」
「はい。すいません」
先輩冒険者達の中にも、喜八のように、妖精を連れたり、燐光を連れて行く人も少なくない。目を細めてそれを見るが、それは、特に何という思いは無い。自分では無く弟に‥。それが、阿義流の心の何処かを虚ろにさせるのかもしれなかった。何かをふるい落とすように首を横に振ると、喜八とも別れ、一人篝火の番をするべく、舟に乗った。
遠くから宇治川を見れば、暗い世界に小さくも力強い紅い火の玉が幾つも浮かんで見える。ゆらゆらと水面に反射して、橙にも青にも光は揺らぐ。
鵜匠の掛け声と共に、幾本も縄で括られた漆黒の羽を持つ鵜が何匹もひとつの舟から川にするりと踊りだす。幾度か身震いし、川の水をはじくと、たぽん。たぽんと、真っ黒な水中に潜って行く。
「邪魔になんねぇようにしねぇとな」
喜八は、舟に括りつけられた篝火の番を打ち合わせ通りに、慎重にこなす。目立たないように、鵜と鵜匠の動き易いように。
篝火に照らされる川面のうつろいに目を細めた。アオイとりっちーは、船上の客達の目を楽しませている。そして。
ぐん。
僅かに鵜匠の手が返るのを見た。水中に消えた鵜がぽかり。またぽかりと浮かんでくる。魚籠を近付けると、鵜匠は手際よく鵜の喉の奥から、鮎を出す。鮎は、篝火を反射し銀色に光ると、魚籠に消えていく。
わあ。きゃあと、舟の客達が歓声を上げた。
川岸でも、そんな鵜の姿を見て、同じように歓声が上がる。
「あれぇ」
「見掛けた顔と思えばお前達か。その草むらの先は深みで危ないぞ」
「知ってるよ!ちゃんと調査済みやし」
「おかあはんもおとうはんも一緒やから大丈夫や」
「‥何処にいる?」
「すぐそこの人だかりの中やから、大丈夫!」
夏場の祭りだ。子供達もこの時とばかり夜っぴいて出歩いている。だが、流石に宇治までは親と一緒に来ているようだ。親と一緒に来ては居ても、子供のやる事だ。目を離せば、浄炎がやれやれと溜息をつくような場所で陣取り、鵜飼を見てはしゃいでいる。やれやれと首を横に振ると、何かあったら声をかけるよう言い含め、警備に戻る。
ちらちらと川面を照らす篝火と浮かんでは潜る鵜の姿は、見ていて意外と見飽きないものだと口の端で笑みを作った。
「きっと大丈夫ですよ。どんなに暗い時勢にあっても‥あの篝火の様に光り輝き、辺りを照らす人々が居ますから」
物騒なご時世だよねぇと、人当たりの良い未楡は川岸を警邏しながら、声をかけられていた。そのひとつひとつに、丁寧に返事を返す。鵜飼は楽しい。祭りは楽しい。夏は楽しい。けれども、得体の知れない不安は心の奥底にひっそりとあるようで。
大丈夫。そう、微笑を繰り返す。
「おいおいおいおい、大人しく見てられねぇのかよ」
荒くれ者も居ないでは無い。だが、阿邪流が声をかけるのが早いか、逃げ出すのが早いか。
「ま、何事もなけりゃ良いんだけどよ」
舟に乗っている兄阿義流を透かし見る。
(まったく、少し落ち着けっての)
阿義流が何にこだわっているのか、阿邪流は知っている。面と向かって言われた事は無いが、そんな気配を感じられないほど鈍くも無い。だが、なるようにしかならないと、軽く肩を竦め。
宇治川の鵜飼は無事その幕を引き。
篝火に見送られ、宿の者に手を引かれたり、家族同士つれだったりと、ゆっくりと、潮が引くように人の波がはけていく。
心地良い人のざわめきが無くなると、宇治川のほとりは、しんとした空気が降りてくる。
吹く風に、僅かな秋の気配も含まれて、僅かにせつない香りがした。
舟が冒険者達を乗せて、ゆるゆると宇治川に出て行く。鵜達はもう休ませなくてはならなかったので居なかったが、炭火で塩焼きにされた鮎が無造作に皿に乗る。
あれこれ手をかけるのは料亭に任せましょうと鵜匠頭は笑う。川に冷やされた酒も引き上げられ、青竹をぐい飲みに見立てて切り出したものに並々と注がれる。ふうわりと、青竹の香りが立ち上り、酒の味と交じり合う。
程よく漬かった色鮮やかな茄子の漬物も、ざくりと取ってきた笹の上に盛られて供される。淡い翡翠色に剥かれて、出汁に浸された焼き茄子も、味噌と生姜で味をつけられ、炙られた茄子もあり。
「どうされました?」
「ん?美味ぇよ?」
鵜達の泳ぎをまだまだだなと思いつつ、茄子に手を伸ばした喜八が、妙な顔になったのを、阿義流が不思議そうに覗き込む。水気があって、とても美味しい茄子なのだが、喜八の夏の野菜といえば、胡瓜である。食感がどうにもなじまなくて、何となくとほほといった顔になってしまったのだ。出された人に悪いと思うからか、鮎をぱくりと慌てて口に入れると、今度は違った意味で表情が変わる。
「お!この鮎は美味ぇな」
「とれたてって、良い香りしますね」
「まだあるぞ」
浄炎が、次々に料理を運ぶ。簡単なものだが、未楡が舟に乗る前に申し出たのだ。
「町衆の心の拠り所を守ろうとして下さった皆様の心意気に‥ささやかですが感謝の気持ちを伝えさせては頂けませんか?」
「当然の事をしているまでで‥ですが、ありがたく頂きます」
そう、感謝を伝える未楡に、全員でひとつの舟に乗ることは出来ないので、と、深い笑みを浮かべて、鵜匠頭は舟に乗る前に作られた料理を鵜匠達と楽しませてもらいますからと頭を下げた。
酒がすすむと、夏の疲労がすこしづづ押し寄せてくる。
うつらうつらと浄炎の横で安心して寝かかっている未楡に、浄炎はそっと手を回す。ことりともたれるままに、川風に冷えぬようにと上着をかけて。
このまま、のんびりとした時間が続くかのような錯覚さえ覚える。だが、彼等は冒険者だ。また、様々な厄介事に関わるのだろう。
青竹のぐいのみを、浄炎は静かにあおった。
そうして。冒険者達が座布団の裾から出た紙の包みに気がつくのはもう少し後。それには、寸志と書かれており、冒険者の人数分あった。大入り満員何事も無いご祝儀だった。
ぱちぱちとはぜる火の粉の音と、僅かな水音が、耳に小さく残って。水の香りと、燃える火の匂いが夏の終りの思い出として刻まれる。
来年も、楽しい夏が来ますようにと。