腐敗の妖精

■ショートシナリオ


担当:からた狐

対応レベル:1〜5lv

難易度:普通

成功報酬:1 G 35 C

参加人数:8人

サポート参加人数:5人

冒険期間:08月07日〜08月12日

リプレイ公開日:2006年08月14日

●オープニング

「ぎゃあああああああ!!!」
 その店の奥から悲鳴が響く。
 上げたのは店主。従業員も引き攣った顔でその物体を見つめる。
 それは食材だった。飲食店を営むかの店で用意された今日の仕込み。それがすべて異臭立ち込め、虫が湧き‥‥ようは腐敗してしまっていた。
「店長大変ですーーっ!! 今日買った食材まで全部腐ってます〜〜」
「な、なにいいい!!」
 涙目の従業員に告げられて見てみれば、確かに酷い有様。
「そうだ! 蔵! 蔵はどうだ!!」
 はっと我に返って店主は食材を入れてる蔵を覗く。食材と言っても日持ちのする粉物などや醤油、味噌などの調味料を置いているぐらい‥‥だったが、そこは厨房以上に悲惨な状況。漂う異臭と飛び交う虫に、店主は蒼白な顔で慌てて扉を閉めた。
 季節は夏。油断しているとすぐに食べ物は腐って食べられなくなる。にしても、それは急すぎた。
「閉店!! ひとまず閉店だ!! 本日閉店の看板を出しとけ!!」
「はいいい!!」
 異臭と虫への嫌悪感で吐きそうになりながら、従業員は店を閉めた。

「多分、貴腐妖精の仕業だと思うのです」
 冒険者ギルドを訪れた店主は、顔色悪く深く深く息を吐く。
「実は私、先代から店をいただいた二代目なのですけど。その店をいただく際に、貴腐妖精についてお話を聞かされておりまして‥‥」
 先代店主はその昔、ふとした事から貴腐妖精と知り合った。
 貴腐妖精は物を自在に腐敗される妖精というか、妖怪。ただしその技を生かして果実から酒を造って気に入った相手に渡したりする。
 そこで先代は貴腐妖精と取引し、食事を用意するから代わりに酒をくれないかと頼んだ。その約定は守られ、食事を用意する代償に、貴腐妖精は定期的に珍しい酒を持ってきてくれた。
 その話を聞いていた二代目店主。先代の教えを守って貴腐妖精に食事を作っていたのだが。
 先日、その先代がぽっくりとあの世に逝ってしまい。突然の事で周囲は動転混乱。葬儀やら訪問客やらの応対やらでめまぐるしく動いて、貴腐妖精をすっかり忘れてしまった。
 葬儀の慌しさが済んでほっと一息‥‥すると同時にようやく思い出し、慌てて食事を備えるも貴腐妖精が現れることは無かった。
 御飯をくれない事に腹を立てて、見限られてしまったのだろう。酒は手に入らなくなったがそれも仕方ないと気落ちしていた店主だが。
 貴腐妖精は報復を決めたらしい。
 以来、店では物が腐る腐る。
「食材は勿論ですけど、燃料油とかも腐らされて酷い匂いだし。壁とか床も腐らされて、飲食店なんてとても開けませんし、御近所さんにも御迷惑が」
 しくしくと泣き出す店主を、ギルドの係員はそっと肩を叩いて慰める。
「つまり、その貴腐妖精をどうにかすればいいんだな」
「ええ、そうです。それと‥‥」
「?」
「掃除もしてくれませんか? 従業員は倒れるし、私ももう気分が限か‥‥」
 言うが早いか。ばたんと倒れる店主。気絶しながらも、脂汗流して店が店がとうなされる。
 そんな店主はひとまずギルドの奥で休ませて、係員は冒険者たちを呼び事情を説明する。
「‥‥とまぁ、そんなわけだ。貴腐妖精は気まぐれだが、好奇心も強くて話好きでもある。そんなに賢くも無いが会話は出来るので、上手くすれば和解できるかもしれん。が、駄目そうなら成敗してくれても仕方ない」
 そして、と言葉を区切り、係員は深く息を吐く。
「腐らされてどうしようもない場所になった家の掃除も頼む。‥‥酷い惨状らしいから気をつけろよ」
 もしかすると、そっちの方が大変かもしれない。目を逸らしながら係員はそう助言を入れた。

●今回の参加者

 eb0094 大宗院 沙羅(15歳・♀・侍・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb2007 緋神 那蝣竪(35歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb2782 セシェラム・マーガッヅ(34歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb3064 緋宇美 桜(33歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb5103 ストレー(30歳・♂・カムイラメトク・パラ・蝦夷)
 eb5228 斑淵 花子(24歳・♀・ファイター・河童・ジャパン)
 eb5400 椥辻 雲母(33歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb5484 千住院 亜朱(29歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)

●サポート参加者

マナウス・ドラッケン(ea0021)/ 物部 義護(ea1966)/ 四神 朱雀(eb0201)/ 所所楽 柚(eb2886)/ 和泉 みなも(eb3834

●リプレイ本文

 完全に戸締りされた店。外見こそ普通の店だが、一種妖気が漂うような‥‥。一歩近付く事に不快感が蟠り、耳になにやら騒音が届く。
 萎える足に喝を入れ、家の前に立つ。反射的に出る吐き気押さえ、無言で一寸だけ戸を開け‥‥、
「!!!!!!!!!!!!!」
 同時に飛び出る大量の虫。聞こえた騒音は蝿の飛び交う音。這いずり回るは俗にGと呼ばれる油虫。その他名前もよく分からない虫が所狭しと蠢いている。
 夏の暑さでさらに腐敗が進んだか、言いがたい匂いが脳天を刺激。もはや凶器に近く、死んだ御先祖が川向こうで手招いた。
 即行で、扉を閉め直したのは罪ではない。
「約束が守られてなかった訳だから、相手が怒るのも無理ないと思うわ。‥‥けど‥‥‥‥この悪臭は‥‥さすがに、命の危険も‥‥」
 不快に胸を押さえ、緋神那蝣竪(eb2007)が蹲る。他の面々も概ね似た表情や姿勢で、非難がましく依頼人を見つめた。
「忙しかったとはいえ存在を忘れ、挙句に約束も守らない。店側が悪いのは間違いないわよね。‥‥とはいえ、こっちの話も聞かずに怒りに任せて迷惑かける妖精も困ったものだわ」
 千住院亜朱(eb5484)が、困惑しきりに嘆息する。
「お店の経営崖っぷちだけですけど。あたしらも崖っぷちに立った気がしましたわ。いえ、むしろ飛び出しました?」
「そんなぁ」
 遠い目をする斑淵花子(eb5228)に、涙目浮かべる依頼人。だが、それを見ると、花子がにこりと微笑む。
「大丈夫ですよ。依頼はきっちり頑張らせてもらいますから」
「そうそ。金と人情は大事やさかい、気張らせてもらいまっせ」
 大宗院沙羅(eb0094)も軽い口調で承諾を入れる。
「貴腐妖精か。飲食業には最高の相棒なんだが‥‥。それを怒らせるとはもったいない。私が変わって再契約したいくらいだ」
「怒らせると‥‥こうなるよ‥‥」
「約束守ればいいんだろ」
 口惜しそうに告げるセシェラム・マーガッヅ(eb2782)。ストレー(eb5103)が苦笑めいて告げると、改めて皆を見る。
「知人曰く‥‥貴腐妖精は攻撃的な妖怪では‥‥ないそうです‥‥。むしろ会話を好む‥‥傾向があると‥‥」
 聞いた知識を皆に伝える。会って即戦闘になりにくいだけで、話次第で敵対する事もありえるらしいが。
「私も教えてもらった口だけど、化け狸とかの方に近い存在らしいわ。腐敗させる他に月魔法を幾つか使うし、こっちの魔力を奪う術も持っているとか。体長はシフールよりも小さいし、空を飛ぶ術も持ってるから、下手すると結構大変になるかもね」
 小首を傾げて亜朱が嘆息する。 
「でも、彼らはちゃんとそこにいて‥‥、存在している‥‥。自分と対等な事を忘れるな‥‥と言われました」
 ストレーが依頼人に伝えると、申し訳なさそうに店主が身を縮める。
「商売の邪魔するんは許されへんけど、契約破る店側もあかんわな。商売は信用第一。いい加減な事してたらえらい目に会うちゅう訳や。もう忘れるんや無いで」
「ははっ。えろう申し訳ない」
 骨身に染み付いた商人魂。経営指南でしっかり釘を刺す事も忘れれない沙羅だった。

 花子が御近所に掃除の協力を仰いだが、一律拒否。不始末は自分で何とかしろと突っぱねられた。
 もっとも、ようはここに近寄りたくないのだろう。冒険者一同もまた、全力で逃げたい衝動を意思と意地で飲み下し、悪夢の店に踏み込んだ。
 古着を着こんだり、妙な物を入れたりしないよう口を布で覆ったり、各自お掃除衣装は調えている。
「貴腐妖精さん‥‥出てきてくれませんか? 俺達は‥‥あなたに会いに来たんです‥‥」
 ストレーが呼びかけるも、反応無し。今はいないのか、黙ってるだけなのか。
 とかく、ぼさっと待つだけも何なので、その間に掃除を進めておく。
「汚物は消毒だーっ、て違う?」
「あんまり違わない気もする。これはちょっと酷いねぇ」
 軽いノリの緋宇美桜(eb3064)に、椥辻雲母(eb5400)はがっくりと肩を落とす。踏み込んでみると惨状一際。一体どこから手をつけるべきか。
「腐ってどうしようも無い物は埋めます? 焼きます?」
「店の人から許可もらったから、庭の隅に埋めさせてもらおうよ。今、セシェラム君とストレー君が裏で掘ってて、あたしも手伝う所。‥‥変な病気発生させそうなのは焼いてもいいけど」
 言って、厨房を見る雲母。饐えた臭いに涙が出そうになる。
 加えて蔵に置かれた酒の数々。すっかり変質して、飲めそうも無い。その量を思えばため息しか出ない。
「家事で得意なのは裁縫なのだがな‥‥」
 穴掘りで泥だらけの顔になりながら、遠い目でぼやくセシェラム。
「裁縫かて後片付けは大事やろ。商売は見た目大事。こんだけ荒れてたらやりがいもあるし、がんばるでー」
 沙羅が声を上げるも、全体の士気は結構低い。
 最初こそあれこれ指示もしあったが、段々と無口になり、やがて呟きだけが聞こえてくる。
「臭いなんてしない。臭いなんてしない。臭いなんてしない、においなんてしない、においなんてしないにおいなんてしないにおいなんてしな‥‥」
 延々延々途切れる事無い桜の繰言。それは念仏かはたまた呪詛か。そうやって自分をだまさねば正直やってらんないこの状況。
「掃いて拭いて磨いて掃いて拭いて磨いて‥‥吐いて吹いて身が痛い気分だ‥‥」
 臭いがしみて目すら痛い。片目を押さえてセシェラムが息を吐きだす。
 庭の穴への往復も何度目か。
「うきゃーーー」
 捨てに行く最中、腐った床板踏み抜いて花子が腰から嵌る。ひっくり返った汚物を頭から被り、虫がぶんぶんたかる。
「大丈夫?」
 問う声ももはや力無く。いい加減、誰もがそれを当たり前のように
 適当に返事して、花子が床から抜け出ようとしたのだが。
「きゃー!!? 何々??」
 何かがぺたぺたと尻を撫でる。驚いて花子が腰を浮かせると、ぼろりと触られた箇所の衣服が腐り落ちた。
「床下に何かいます!!」
「その前に、何か着るなりしてくれ!!」
「どうせまた腐らされるだけですから、お目汚しでもご勘弁下さい」
 腐敗で襤褸になった衣服を剥ぎ取り、花子は床下に潜り込む。あちこち開いた穴から光が差し、床下もかなり明るい。
 その中に一尺程の生き物が。葉っぱに身をくるんだ、シフールよりもやや小さなそれ。花子と目が合うと、思いっきりあかんべをしてきた。
「いました!!」
 声を上げると同時に、貴腐妖精は近くの穴から床上に出ると、そのまま空を飛んで天井まで駆け登る。
「待って! こちらの話を聞いてくれないかしら?」
 亜朱が呼びかけるも、相手は変化無し。天井裏で動く物音がすると、その内に一部が腐り出す。円を描くように天井が腐ると、今度は蹴る音と同時にそれが勢い良く落ちてきた。
 慌てて逃げると何時の間に回ったのやら、無事だったはずの床板が腐っており、踏み抜いて落ちる。
「怒りはもっともだわ。でもね、最初にキミと食事の約束をした先代は亡くなったの。それで、忙しくなってしまって用意できなかったのよ。決して、キミをないがしろにしようとした訳じゃない。ううん、むしろキミの存在は店にとってなくてはならないと今の店主も従業員も実感しているのよ」
 那蝣竪が声を張り上げる。すると、ぴたりと貴腐妖精の動きが止まる。緊張しながら冒険者たちが見守る前、天井裏からひょこりと貴腐妖精が顔を覗かせた。
「先代、いなくなったのか?」
「いなくなったと言うか‥‥死んでしまったの。それで、今の店主は忙しくなって、決して悪気があった訳じゃないの」
 優しく亜朱が語り掛けると、不審の眼差しで貴腐妖精は見つめ返している。
 警戒するように、慎重に近付く。おもむろにその手を亜朱に伸ばすと、着ている衣服を掴む。睨むように亜朱を見つめる貴腐妖精。その掴んだ手から衣服を腐らせると、一気に剥ぎ取る。
 目を丸くする亜朱に、どうだと鼻で笑う貴腐妖精。だが、亜朱はにっこり笑ってしゃがみこむと、
「きちんとお話したいから、まずは物を腐らせるのを止めてくれないかしら? そうしたら、お礼に食事を用意させてもらうのだけど」
 その態度は不満だったのだろうか。口を尖らせると、貴腐妖精は踵を返しどこかに行ってしまう。
「ど、どうしよう」
「とりあえず、服をどうにか調達しようね」
 さすがに青い顔して亜朱が慌てるが、どうにもならない。とりあえず、掃除だけでもしっかりしようと作業を再開する。
 徐々に綺麗になる店の中。そうして、そろそろ全部終わる頃、貴腐妖精は再びひょっこりと顔を出してきた。
「御飯、用意してくれるのか?」
「そや。あんさんの為に腕を奮わせてもらうさかい、機嫌直してんか?」
 ほっとして沙羅が告げる。何事も無かったかの如く、貴腐妖精は鷹揚に頷いた。

 店内は掃き捨て、拭き清め。沙羅が匂い消しにお茶柄撒いて香りの良い花を飾ったりとするが、染み込んだ匂いは早々取れず。
 まだ長時間居れる状況でも無いので、親睦会は那蝣竪の提案に従い外で。その前に、身を洗って衣服を整える。とてもじゃないが、そのままでは食欲も湧かない。
 庭の隅に小さな祠があり、セシェラムが調達、沙羅が調理した料理がその前にずらりと並ぶ。ちなみに、金は依頼人。
「機嫌直して欲しいんやったら、腹括っていいもんそろえてや」
 と、笑顔で告げられたら逆らいようが無い。他にも冒険者らで用意した酒が並ぶ。
 外に捨てた分量も相当量。それが臭ってもおかしくないが、雲母が持っていた清らかな聖水で清めたおかげか、さほど気にする事はなかった。
 というよりも。
「臭いがしない‥‥」
「味も‥‥無いというか、口が‥‥」
 沙羅は料理を腐った物で纏めていた。納豆や浅漬けに加えて極わずかとはいえチーズまで用意したのは、依頼人さすがとしか。
 得てして臭いも味も癖がある食材。が、強烈な悪臭の中での長時間作業で、すっかり鼻が麻痺してしまっていた。それに連動してか味覚の方もかなり狂っている。
 正直、何食べても美味しくない。
 その中で、貴腐妖精だけが珍しそうに料理を覗き込んで感激していたのが救いか。
「なぁ、名前なんて言うの? 良かったら、一緒に飲まない?」
「教えない」
 雲母が亀甲の杯を渡して、発泡酒を注ぐと沸き立つ泡に目を輝かせる貴腐妖精。
「それではここらで一つお粗末な芸を。果実からお酒を造ってしまうあなたには負けるけどね」
 那蝣竪が手品を披露すると貴腐妖精は手を叩いて喜んでいる。
 桜も三味線を取り出して負けじと場を盛り上げる。
「こう構えて九字を唱えると――なんと、びっくり手拭いから花が」
 手にした手ぬぐいから花束を見せると貴腐妖精は、むしろ苦笑というか失笑というか。
「ベタかな。だったら、取って置きの火芸を‥‥」
「それは‥‥ここでは、やめた方が‥‥」
 印を組む桜に、ストレーが冷や汗流して止めに入る。
 種を明かせば火遁の術。威力はそれなりにあるし、一応範囲もある。うっかりで怪我でもさせたら、大変だ。
 そんなどたばたも加えつつ、宴会はわりと和やかに進む。
「それでね、今回の件だけど」
 那蝣竪が頃合見計らって、話を切り出す。
「さっきも言ったように先代店主が亡くなり、今の店主はそっちにかまけて食事を用意できなかったのよ。けっして故意じゃないから、許して欲しいの」
 那蝣竪が頼むと、亜朱が頷く。
「出来れば以前と同じく店に協力してもらうのがいいのでしょうけど。もう二度と忘れないよう店の人にも誓ってもらうし」
「店の人たちは‥‥皆許して欲しいそうです。これからは絶対約束は破らない。そう信じていいと‥‥俺らも保証します」
 ストレーからもゆったりと告げる。杯で酒を飲みながら貴腐妖精はただじっと話を聞くだけ。その様にセシェラムが身を正し、向かい合う。
「貴殿がここで初めに言葉を交わした者の存在を、まだここで感じられるか?」
 問われて、貴腐妖精はただ首を傾げる。
「残念ながら契約相手はもう居ない。それで、貴殿はどうしたい? 貴殿が契約で求めたのは彼の作る味か、彼の持つ人格か。味なら、彼の後継者――今の店主と契約更新すればいい。人格なら‥‥どうすべきか分かっているな?」
 真摯に告げるセシェラムだが、相手はただきょとんとしている。首を傾げ、何かを考える風にはしていたが、
「ごちそうさまー」
 杯を雲母に返すと、飛び立ってしまう。
「行っちゃったね‥‥」
「ああ。宥めるのはそれなりなんだが、説得はやっぱり難しいな」
 貴腐妖精の見えなくなった後姿を見送りながら、セシェラムは口惜しそうに頭を掻いた。

「いやあ、助かりました。これでどうにか人が招けます」
 それからも細々とした場所を整理して、ようやく店は綺麗に片付いた。腐った家屋の修繕は大工を呼ぶなりしてもらうとして、ひとまず人が来ても大丈夫な場所にはなった。臭気は残っているが、これも直に飛んで消えるはず。
 貴腐妖精の事を話すと残念がったが、そもは自分の不始末が原因だからと店主は納得していた。
 そして、冒険者は京へと戻る――はずだったが。
「これやる」
 店主に最後の挨拶を告げていると、突然ばらばらと魚の干物が降ってくる。見上げれば貴腐妖精が悪戯っ子のような笑みを浮かべて、そこにいた。
「あれもやる。御飯、おいしかった」
 その笑みを消して、今度は感謝するような声音で指し示す。その先には小さな樽。雲母が確認すると中には酒が入っていた。
「おい、お前。御飯くれるか?」
 これは店主に向けて。一拍置いて、店主が「はい」と大声で返事をして首を縦に振ると、満足そうに貴腐妖精も頷く。
「そうか。じゃ、酒用意して待ってる」
 それだけ言うと、貴腐妖精は飛び去っていく。
「つまり、これからも契約続行って訳?」
「やっぱり説得はよく分からん‥‥」
 首を傾げて纏める花子に、セシェラムも眉間に皺寄せ悩み出す。
「気まぐれ屋さんという話だから」
 答えになってるようなないような。亜朱も曖昧に笑う。
「これからも‥‥お酒作り続けてね。こういうのは残っていいもの‥‥だから」
 去って行く貴腐妖精に、ストレーは笑顔で手を振る。貴腐妖精は振り返ると、上機嫌でくるりと宙返りをして見せた。

 かくて、一同京へと戻る。
 なお、悪臭で狂った嗅覚と味覚と体調がすっかり戻るには、さらに数日の時を有した。