【江戸の大火】 天の阻み

■ショートシナリオ


担当:からた狐

対応レベル:6〜10lv

難易度:難しい

成功報酬:3 G 71 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:11月10日〜11月15日

リプレイ公開日:2005年11月18日

●オープニング

 陽は全てを育む。
 あらゆる眠りを覚ます、生命の源。
「その恩恵を忘れた者を貴方は許せますか?」
 否。
 それは即答した。許されざる事だった。一体、どこにそんな輩がいるというのか。
「江戸と呼ばれる都」
 そいつもまた即答した。あえてここの言葉に似せようとしているが、端々に訛りが感じられる。恐らくは北から来たのだろう。
 その答えをそれは少し訝しむ。都があるのは知っている。だが、あの地は‥‥。
「このような山奥に篭り、どの程度の事を知るというのかな?」
 ぴくり、とそれはこめかみを動かした。人と関わるのは好まない。だが、魔法を使えば幾らでも知る手立てはある。
 癇に障ったのが分かったのだろう。そいつは軽く頭を下げた。
「申し訳ない。貴方を侮る訳ではないのです。ですが、かの地は広く、人も多い。その全てを知る事は‥‥可能でしょうか?」
 それは唸った。確かにそこまで言われれば無理だと思わざるをえない。困惑するそいつに、さらに厳しい眼差しをむけそいつは言葉を綴る。
「あの都は今や陽の恵みを敬うどころか、昼夜を問わずに金に溺れ、享楽に耽る大罪の地。許して置けますか? 出来ないでしょう? すでに心ある者が入り込み、かの地を浄化せんと動き出しております。それに手を貸してはいただけませんか? いえ、いつものように陽の恩恵を忘れた阿呆どもに罰を下されればよろしいのですよ。そうされてしかるべき場所なのです」
 それは立ち上がった。怒りに打ち震えて猛然と走り出す。月の元に照らされる片手片足の異様な獅子の姿。
 後に残されたのは弁舌を振るっていた相手。瞬く間に消え行くそいつを見て、満足そうに‥‥心底邪悪な笑みを浮かべた。

 ※ ※

 そして、江戸の地。十日の夜にそれは起こる。
「火事だーーーーーー!!」
 眠りを飛ばす大声。切迫した叫びは、事態の急を告げる。
 慌てて外に飛び出さぬ江戸の民はいない。
「火事?! 火の手はどこだ!!?」
「それがあちこちから」
 確かに。表に駆け出せば江戸の至る所に夜空を焦がす明かりが見える。もうもうと上がる煙は空を覆いつくさんばかりの勢いで。これだけの火が一時に、しかもこれだけ多方面から現れるはずは無く。
「畜生、火付けか! どこのどいつの仕業だ!!」
 忌々しげに罵るも、今はそれすらも惜しい。家人を叩き起こし荷物を纏めると、江戸の民は慌てて火の無い方へと逃げ出していく。
 たちまち、都は混乱に包まれた。

「東都の凶。ここに発現す、ですか」
「何を暢気な」
 江戸に広がり行く炎。焦りを覚えるギルドの係員は、対照的に呟く安倍晴明を思わず睨みつける。
「江戸の各所。どうやら何者かが火を放っているようです。それに乗じて何かを企てる動きが見え、侍たちが騒いでおりました」
 告げる晴明に、ギルドの係員が頭を抱える。
 不穏な動きは前々から報告されており、それに奔走してきた冒険者たちもいる。今この時点でもそれに絡む人手を借りにギルドに足を運ぶ依頼人もいた。
「火を消そうと、火消したちも奔走しておりますが‥‥。何分、この風ですからね」
 運悪く。北西から強い風が吹いていた。風は火を煽り、火の粉を乗せてさらに広げてしまう。
「ええ、ええ。真面目に大変なんですよ。この火の騒ぎでここにも助けを求めに依頼人が殺到してますし。そもそも、ここに居たっていつ火の手が来るかも分からなくて怖いし、僕だって逃げたいんですよぉ。あああああ、雨でも降ってくれればまだマシなんでしょうに」
「難しいでしょうね。今のままでは」
 やけにきっぱりと晴明が断言する。その自信の強さを感じ取り、係員は訝しむ。
「陰謀云々はさておいて。せめて火の手を押さえようと雨を呼んでみましたが、上手くいきませんでした。どうやら魃が入り込んでいるようです」
「魃‥‥。確か、旱魃をもたらす精霊でしたか?」
 告げられ、係員の顔が引きつる。晴明は表情を押さえると黙って頷いた。
「ええ。何がどうしたのかは分かりませんが、魃が旱魃をもたらす間は水の恵みはとてもとても」
「って、どうするんですかーーっ」
 わたわたと係員が暴れる。どうやら本気で火事から逃げたいらしい。当たり前といえば当たり前だが。
「なので、ここに来た訳です。魃の居場所は概ね推測ついていますので、冒険者の方にどうにかして欲しいと」
「分かりました。それでは募集をさせてもらいます」
 ある意味、自分の命もかかっているからか、係員の行動は実に素早い。
「ただ、魃は結構厄介ですよ。魔法に対する抵抗が高く、特に陽系列の魔法は確実に抵抗されます。戦闘力もありますし、陽の魔法も扱います。何より速い」
「どのくらいの速さで?」
「駿馬のおよそ倍ですね」
 さらりと言われた一言に、係員は思わず筆を取り落とす。
「出会うと大概逃げます。その速さなので、捕まえるのも大変でしょう」
「どうするんですか、そんなの」
「どうにかして欲しいから頼んでるのですよ」
 何だか泣きそうになってる係員に、晴明はさも当然と言わんが如く笑みを向けたのだった。

●今回の参加者

 ea1956 ニキ・ラージャンヌ(28歳・♂・僧侶・人間・インドゥーラ国)
 ea5557 志乃守 乱雪(39歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 ea5694 高村 綺羅(29歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea5899 外橋 恒弥(37歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea8903 イワーノ・ホルメル(37歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb2905 玄間 北斗(29歳・♂・忍者・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 十一月十日の深夜。まさしく眠りを覚ます大事件が起きた。
 何者かが江戸中に火をつけて回ったのだ。
 密集した木の建物は瞬く間に火に包まれ、おりからの北西の風に煽られて燃え広がる。
 勿論、それをのうのうと見ている民草ではない。火消し組が消火活動に奔走し、手の空いた者は水を汲み広がらぬよう家を倒し、警備の侍や冒険者たちは火付け犯たちを追いかける。
 そして。
「うーん、大江戸大火に魃くん登場! って胡散臭いね〜。妖狐騒ぎが懐かしいよ」
 顎に手をやり、感慨深げに外橋恒弥(ea5899)が頷く。――余談ながら、この大火騒ぎに絡んで妖狐目撃の報告もあったとかなかったとかだが、いずれにせよ、今の時点では知る由も無い。
 空を見上げると沸き立つ煙の向こうは満点の星。冴え冴えと輝く月は僅かに欠けて天を行く姿が拝める。
 雲一つ無い快晴。これも魃の能力の一つだろう。もし下手に居座られればこの先一ヶ月はこの状態が続いて旱魃を招く。
 旱魃も重大事だが、さしあたっての問題となるのは雨が降らない事だ。たくさんの人たちが消火に尽力しているが、一押しがあると無いとではまた結果も異なろう。
 故に、陰陽師・安倍晴明から江戸市中に入り込んだ魃を探せという依頼がなされた。
「晴明さんの話では街中に入り込んでいるという事なのだ。大まかな場所は教えてくれたけど‥‥晴明さん、江戸の土地勘ないので良くわかんないって事なのだ」
「そういう問題なん?」
 玄間北斗(eb2905)がのほほんと告げると、ニキ・ラージャンヌ(ea1956)が呆れたような声を出す。
「京都の方だから仕方ないかも。どこにいるかも分からない移動する相手を一応の範囲まで狭めてくれただけでもマシ‥‥かな? それより、魃を見つけた後の方が心配だよね」
 わずかに目を伏せる高村綺羅(ea5694)。晴明からの話によれば魃の能力は総じて高い。それでも全員でかかればどうにかなるかもしれないが、問題はその足の速さだ。駿馬が走る速さで歩ける相手を逃がさないように、となるとさらに状況は厳しくなる。
 晴明にもギルドにもその旨を告げ、精一杯やる事は約束しているが‥‥果たして、そう上手くいくかは謎である。
「この人込みの中じゃ、逃げられちまうと追っかけるどころじゃねぇだよ」
 イワーノ・ホルメル(ea8903)が外に目を向ける。通りからは様々な喧騒が聞えてくる。焼け出されて逃げる人や、火の勢いを確かめようと現場に近付こうとする者など、昨日の今の時間とは打って変わった様相になっている。混乱の最中にある江戸の町は、昼間とも違い普通に移動するのも苦労しそうだ。
「心配ですかね。確かに、この『お雪ちゃんの昔話白書』によれば魃が会話に応じる可能性は実に一割となってます」
 手元の資料に目を通しながら、志乃守乱雪(ea5557)が厳かに告げる。もっとも、その資料がどんな物なのかはうかがい知る事は出来ないが、本人いたって真面目である。
「一割‥‥。これを難しいと思いますか? 可能性とはどのくらい頑張ればよいかの目安に過ぎません。一割もあるなら楽なものですよ。逃げてもやり直せばいずれ応じてくれますから」
 そしてにっこりと笑う。
 一応話して分かる相手である。そこに突破口を見出すしか無い。

 この辺り、と晴明から言われた場所は庶民の長屋が立ち並ぶ住宅街だった。四方から火が上がるのが見えるが、まだこの辺りが出火する気配は無い。その為、人々が不安そうに道端から火の手の方角を眺めている姿が見られた。
「これ以上の場所の絞込みは自分たちで探せ、なんだよね〜。ん〜、三味線弾きながら呼びかけてたら出てくれないかな〜」
 乱雪が全員にグッドラックをかけてから二手に分かれて、魃探しを始める冒険者たち。
 まずは一方。ニキと恒弥と綺羅が組んで魃を探す。
 試しに恒弥が荷から三味線を取り出すが、じゃらんと弾いた途端に周囲から白い目を向けられる。やはり、火事場の危機感から皆神経が尖っている。うるさいと怒鳴られない内に恒弥は愛想笑いで挨拶した後、一旦は三味線を仕舞う。
「まぁ、こちらから探すんも何やし。これで気付いてくれはらへんやろか」
 言って、ニキが反物を広げる。単なる反物ではなく文字やら絵が書き込まれている。
 いずれも魃に呼びかける内容で、文字は北斗に書いてもらった。会話が出来るが文字が読めるかは不明である為、太陽の形や魃の姿の絵も描き添えてそれを補う。
 相手もこの事態をどこかから見ているはず。ならば、これを目にすれば何らかの返答をくれるのではないか。そう考えたのだ。
「後は目撃情報探しかな。姿消してる可能性もあるけど、やらないよりいっか」
 相手は陽魔法全般に精通していると聞く。だが、魔法にだって効果時間はあるのだ。たとえインビジブルを使われたとしてもずっと使用出来るモノでもない。
 問題はむしろどう情報収集するかかも知れ無い。常と違って町中が殺気立ってピリピリしている。ま、これも下手に接しない限りは怒られる事も無いだろう、とどこか暢気に恒弥は考えた。
 もう一方は残るイワーノ、乱雪、北斗だが、こちらは神社を中心に捜し歩いている。北斗がニキ同様反物で呼びかけ、屋根に掲げてまわる。
「相手は人見知りをする恥ずかしがりやさんです。見通しの悪い建物よりも自然に近い場所を選ぶのではないでしょうか」
 とは乱雪の言葉。とはいえ、境内は一時の避難として逃げ込んできた者や神仏の加護で火を消してもらおうと祈りに来る人などで、決して静かと言える場所ではなかった。
 その人々も雨でも降らないかと天を見上げている。
「本当にどこに隠れているのだぁ? 魃の性質を考えると率先して火付けに加担しているとも思えないし、この事態は魃にとってもいい状況ではないはずなのだぁ」
 腰に下げたてるてる坊主にぼやいてみるが、どこぞの誰かに似たてるてる坊主は何も答えない。隣の愛犬は周囲の雰囲気が常と違うのを感じてか、不安そうに主の傍を離れずにいる。そわそわとしながら周囲を見回していた愛犬だが、ふと耳を立てると一角に向けて吠え立てた。
 何をと思ってよく見ると、足元に奇妙な大型の足跡が残っている。
「まだこの辺りに居るかもしれないのだ!」
 北斗の言葉に俄然周囲に目を向ける。
 乱雪はグッドラックを掛けなおすと、周囲に向かって呼びかけた。
「魃さま。そこにいらっしゃいますか? どうかお姿を見せて下さい」
 必死に叫ぶが。虚しくその言葉は空に消える。やはり姿を現す気は無いのか、それとももはやこの場は立ち去った後か。
 がっかりとしてまた別の場所を探そうかと思案しかけた時、北斗の愛犬がまた吼えた。
 見れば、神社の裏手。広がる鎮守の杜の中にひっそりと異形が立っていた。
 外国にでも行かねば獅子なんてものは実物など見る事無いが、伝え聞く話では確かにそれと良く似る。違うのは片手片足しかない事。動きづらそうに見えるのに、相手は苦も無くただ超然と冒険者たちを見据えている。
 驚きが勝って一瞬だけ動くのを躊躇う。その隙に魃は実に素早い動きでさっと身を翻した。
「逃がさないだよ!!」
 イワーノが素早くローリンググラビティーを唱える。しかし、発動には失敗した。やはり一瞬で確実に発動させるにはまだ技量が足りないか。
 それでも攻撃される気配は感じたのだろう。二発目を唱える前に魃の姿は唐突に消えた。
「何してるんですか!!」
 そして、乱雪の手刀がイワーノに炸裂。彼は一瞬気を失いかけたが、どうにか気力を保って彼女へと振り向く。
「痛いべさ」
「当然です。交渉する相手に攻撃してどうするんです?!」
「逃げられたら元も子も無いべよ!」
 主張しあう二人は平行線を辿る。
「何をしてるのだ? お前たちは」
 そこに静かな声が降り注ぐ。よく見れば景色がわずか不自然にちらつく箇所がある。姿を消してはいるが、まだそこにいるらしい。
「屋根の張り物‥‥。向こうで同じような事をしている者たちも見た。――仲間か? 我に用でもあるのか?」
 どこかたどたどしく告げる相手に、冒険者たちは首を縦に振った。

 話をするに至り、魃の意向でまずは一旦合流する。
「それで何の用か?」
 姿を現して尋ねる魃に、一同は顔を見合わせた後、北斗が一歩出る。
「あなたは太陽の恵みを忘れた愚か者の元にしか現れないとお聞きしているのだ。でも、ここにはそんな者は居ないのだ」
 北斗の訴えに、ぴくりと魃の目が動く。
「しかし。この町は、陽を敬わぬどころか夜に遊び、金子を追いかけ、道理を失っていると聞く。そのような都を庇いだてしても仕方あるまい」
「だから、それが誤解なのだ。夜の賑わいは今日の恵みに感謝し、明日への活力を得んと一時の安らぎを求める者たちの姿に過ぎないのだ。
 ‥‥今、江戸の地はこの地を灰塵と化し乱を起こそうとする悪しき者たちに狙われているのだ。あなたは雨を呼ばせない為に利用されているのだ」
 話をじっくりと聞いていた魃。一応話は聞き入れているが、不審な眼差しを他の者に向けている。
「罰を与えるつもりで来てはる以上、悪い所があるんならこちらも改めますよって。けれど、聞いたと言うてましたが、誰から聞いた話なんですやろか。普段は自分の目で確かめて罰を与えてると思いますけど、誰かの口車に乗ったまま、いるかどうかもしれない不心得者を罰するんは、真っ当にお天道様に対して生きてる人たちにとって乱暴な事とちゃいますか?」
 ニキの言葉に、恒弥とイワーノが揃って頷く。
「日の出なんて見たらなんかもう浸っちゃうよね〜。そこで隣に涎垂らして寝こけてる顔なんてみたら、今日も一日頑張ろー♪ って思うしさ。
 美味しい胡瓜が育つには、お天道様の恵みは必須だからね〜。日照り続きじゃこれまた美味しく育たないし、俺もなんかこうくらくらしてくるんで、何事も程々が良いんだけどさ。皆、当たり前の事にはちょっと忘れっぽいだけでさ、恩恵は確かに忘れて無いと思うよ」
「なして、そのあんたがこげな所に居るかは正直よう分からんけど。こん火事みてぇな時に居続けっと皆お陽さんの事も嫌いになっちまわぁよ。日ごろお世話になってるのが悪く言われんのは辛いだよ」
 よよよと無く真似をしてイワーノが袴をめくる。ちらりと覗く日輪の褌に顔を顰める魃。
「おまえは、下穿きに太陽を使うのか?」
「いつも太陽と一緒と云う事だべさ」
「そういうものか?」
 首を傾げている。
「いぜれにせよ、このような火災を促すような事、常の魃さまのなさる事ではないと存じております。このままでは江戸は焼け野原、来る冬の厳しさが重なれば多数の死者が出て、むしろ人心はすさむばかり。この災禍を忘れぬようにきちんと祭ってもらうよう頼むつもりです。‥‥ですから、もう御勘弁願えないでしょうか」
「あなたのような純真な者を騙し、悪しき目的に利用する者は必ず退治するのだ。どうかこの場は引いて欲しいのだ」
 乱雪と北斗の嘆願に、魃が低く唸る。何かを考え込むようにうな垂れた後、やおらその頭を上げるといきなり踵を返して歩き出した。その歩調は速く、見る間に遠ざかっていく。
 慌てて北斗が微塵隠れを使って魃の前に立ち塞がる。が、魃はそれをするりと躱すとさらに進み続ける。
「待って下さい!!」
 合わせて綺羅が疾走の術を使い追いかける。恒弥も馬の輝明くんで追いかけようとしたが、火事で怯えているのと錯綜する蹄で道行く人を蹴散らすわけにも行かず断念する。
 街中に入り込まれて北斗もさらに術の行使を躊躇う。混雑人の中、幾ら威力は低い方の術とはいえ、無用な怪我を周囲に負わせかねず。
 綺羅も疾走の術で追うが、全力で駆けてなお魃にかろうじてすがりつける程度。いや、相手はあくまで歩いているだけである以上、本気で走られたらとてもでは無いが追いつけなくなる。
「日本では、古来から天照大神などを祀っている。江戸の民だって、感謝の念を忘れてなどいないはず。確かに、人は愚かかもしれなけど、けして馬鹿じゃない! あなた達のような存在がいる事を忘れてはいない。今はこうでも、何時かはきっと、皆、目を覚ましてくれる。だから‥‥!!」
 走りながらも相手に訴える綺羅。
 と、横から飛び出てきた人影。家財道具を積んで逃げてきた人らしい。とっさに跳躍して躱したが、着地した場所にさらに子供が居るのを見、慌てて身を捻って回避する。
「あいったた‥‥」
 体勢崩して滑って転ぶ綺羅だが、その甲斐あってか、誰も怪我は無い。だが、そのせいでどうも魃の姿を見失ってしまったらしい。周囲に見当たらずがっくりと肩を落とした綺羅だが、
「必死だな」
 声だけが降り注いでくる。はっとして目を凝らせば、歪んだ景色が目に入る。
「当然‥‥」
 綺羅が頷くが、見えないままで魃は四方に目を向けている。
「確かに、今のこの状況は我の望むものではない。ここの状況を告げたのはどことも知れぬ輩。上手く人に化けてはいたが‥‥。なるほど、やはり我は利用されていたか」
 言うが早いか。魃が身を翻す。
「汝らの熱意に敬意を払って今は去る事としようか。‥‥だが、我がこの目で見、都が真に陽の恩恵を蔑むと知らば、我はいずれの日にかまた戻る」
 揺らめく陽炎のそのもののように、江戸の外へと魃の姿が遠ざかる。

 魃が去ってからしばしの後。冷ややかに地上の喧騒を見下ろしていた月の顔に雲がかかり、江戸の上空が俄かに閉ざされて行く。やがて、ほつりほつりと地面が濡れ出せば、ほっと一息安堵とともに空を見上げる者が、その日何人いただろう。
「これでまずは一安心‥‥やろか」
 降り注ぐ雨を見つめながら、ニキが不安げに呟く。
「少なくとも、やれるだけはやったよね‥‥」
 綺羅が毅然として告げる。成す事は成し得た。
 細く降りそそぐ雨の向こうでは、今なお大火の炎が上がっている。魃を探して交渉している間にも火の手は増え続けていた。飛び火した分もあれば、火付け犯たちが新たに火種を増やした箇所もある。雨の後押しが成った以上、後は現場で直に物事に当たっている者たちの頑張り次第とも言えるし、実際、あちこちで奔走する姿が見られる。
 そんな人々たちを見遣る冒険者たち。
 そして、雨はゆっくりと激しさを増していった。