●リプレイ本文
ミッデルビュルフの街の片隅に、その屋敷はあった。
街で最も賑わう中心部から外れ、人通りの疎らな場所にあるそこは、一見して何の変哲もない建物に見えるが、“名工”と敬われ、そして“呪われている”と恐れられる剣匠の住居にして仕事場らしい。冒険者たちを呼びつけたシフールの少女は、そこに間借りしているというのだ。
「‥‥とうとうここまで来てしまったか‥‥」
裏門の前に佇み、カノン・リュフトヒェン(ea9689)は半ば呆然と、溜息混じりに呟いた。
彼女に言わせれば、この依頼、参加したのは本意ではないのだ。一晩中、恋の話に興じるなどはっきり言って柄じゃない。長年自分を抑えて生きてくれば、素直になるにも勇気の一つや二つでは足りないのだから。
「片道二日もかけてコイバナだなんて‥‥ファウも変わった依頼出すわよね」
隣に並び、シアン・ブランシュ(ea8388)は小さく苦笑い。確かに、珍しい依頼である事に間違いない。無報酬だが酒とツマミ全面提供の条件で、集まった冒険者は全部で五人だ。これを物好きが多いと見るか、少ないと見るかは意見の分かれるところだろう。
「まったく。ヒョウマ殿の気持ちも分かろうというものだ」
真っ先に餌食になりかけた青年は、さっさと敵前逃亡を企てたらしい。私も逃げておけばよかったか‥‥と、もう一度溜息を吐くカノンに、イコン・シュターライゼン(ea7891)はあどけなさの残る面持ちで頷いた。
「わかります。恋は秘めるもの、ってやつですね」
正確に言えば、そう言っていたのはイコンの友人だ。出かける直前にも会ってきたのだが、君の話もしようかなと言っただけで満面の笑みもそのままに脳天に拳骨を貰ったりした。デリケートな男は案外多いものだと、身体で知った少年である。
「――そして恋は語るモノ、だよね☆」
弾けるような明るい声は、一行の頭上から。
見上げれば、シフールの少女が一人。その瞳を期待に輝かせて冒険者たちを出迎えていた。
一同が案内されるまま屋敷の離れに入ると、既に飲み物と軽食の準備が万端整っている状態だった。
たかが六人分とは言え、用意したのはシフールの少女で、その殆どが人間用サイズのもの‥‥つまり、ファウにとっては完全に規格外。
「大変だったでしょう? 言ってくれれば手伝ったのに」
「いーのいーの、ボクのワガママで集まってもらったんだしね」
手土産を取り出しながら、シアンの目が気遣いの色を見せる。だが、少女は全く疲れた様子がなかった。よほど楽しみだったのだろう。
「もうね、楽しみで眠れなくってサ。夜通し準備して、さっきまで寝てたんだ♪」
徹夜したらしい。気合入りすぎだ。
輪になって座ると、少女がパタパタと飛びながら酌をして回る。全員に行き渡った所で乾杯、宴が始まった。
「俺はメフィスト、パリから来た」
自己紹介がてら、先陣を切って話し出したのはメフィスト・ダテ(eb1079)だ。
「俺の恋は始まったばかりだ。きっかけは肖像画だった‥‥」
杯を片手、青年は立ち上がると、愛しいひとを脳裏に描くように目を閉じる。
「褐色の肌。長くつややかな黒髪。健康的な肢体‥‥美しかったよ。一目で惚れた」
「肖像画でそれだったら、実際の彼女はもっと綺麗なのでしょうね」
イコンの言葉に青年はうむ、と頷き、杯を一気に呷った。
「当然だ。きっと、本人の輝きは肖像画など圧倒するに違いない‥‥」
「きっと‥‥?」
ぽい、とツマミを一口、シアンが首を傾げた。
「ああ。実際に会った事はない」
「それはまた‥‥随分と情熱的だな‥‥」
驚きと呆れが9:1ほどの表情のカノンに、青年は胸を張って答えた。
「俺はな、彼女の身も心も射止めるために俺の人生を奉げると誓ったんだ‥‥」
この人を探そう。探しだして、自分の思いを伝えよう。来歴も判らない肖像画、そのモデルの行方を生涯かけて探し出そうとは――それは例えるならば、砂浜に紛れ込んだ一粒の砂金を探し出す行為にも似て――普通の人々から見れば荒唐無稽な夢物語にも映る。であるが故に、彼の想いは無垢で純粋だ、とも言える。
「その名は、ヴァルキリー・イエーガーと記されていたな‥‥いい名だと思ったよ」
「すっごーい! メフィくん、ロマンチックだよ! ボク、ダンゼン応援しちゃうね!」
のっけから大興奮のファウである。今の話、なかなかお気に召したらしい。
「ありがとう。上手くいくよう、祈っていてくれ」
やや照れくさそうに応じると腰を下ろし、もう一度杯を呷るメフィストであった。
「ボク、冒険者を呼んでダイセイカイだったよ。次はダレダレ? カノン?」
期待にわくわくと羽を振るわせ、話を振ってきた少女に、カノンはとぼけて見せる。
「恋の話か‥‥そういえばシフールは話好きと聞いていたが、話題のテーマ限定で禁断症状が出るのはやはりファウだけなのか?」
「そうでもないよ? ボクのお父さんなんか、お酒の話が切れると手が震えてたモン」
『‥‥それは別の理由じゃ‥‥』
同じ事を考えつつも、敢えて深くは突っ込まない一同だったとか。
「それじゃ、次は私が行こうかしらね」
苦笑を一つ、シアンが二番手に立った。
「そうねぇ‥‥初恋ネタなんてどうでしょ」
「初恋いいね、サイコーだね♪」
喜ぶ少女の食いつきのよさったら。シアンは笑むと、ワインを一口、語りだした。
「私は5人姉弟の一番上で、弟や妹の面倒を見る立場なのよね。中でも一番手がかかったのは末っ子なんだけど‥‥まあそれは置いといて」
食い意地の張った末っ子の顔を思い出し、女は僅かに苦笑を浮かべ、話を続けた。
「だからかしら、頼れるというか甘えられる存在に憧れたのは‥‥いつも優しくしてくれる近所のお兄さんが大好きだったの。お互い満更でもないと思ってたのよね」
「ん‥‥判るな、それは。良く判る」
切り分けられたチーズに手を伸ばしながら、カノンが小さく頷いた。
「でしょ?」
女は横合いからの同意に深く頷くと、
「それがね、ある日、お兄さんは何か用で街を発って‥‥それっきり帰って来なかったの‥‥」
あの凛々しい後姿は、今でも忘れられない‥‥それだけ言うと目を伏せ、女はしばらく押し黙った。
一同は沈黙に込められた悲劇を理解し、それぞれ同情の表情を浮かべる。。
「それは、ツライね‥‥」
ファウの言葉に、女はガバと顔を上げ、叫んだ。
「‥‥イギリスへお婿に行っちゃったのよ!」
「なんじゃそりゃ!?」
ドラマチックな展開を裏切られ、全力でツッコむファウだ。
「信じられる? 海を挟んで遠距離恋愛ですって! あーもうやってらんないわよ‥‥」
突っ伏し、ブツブツと呟くシアン。どうやら未だに引きずっているようである。
「そ、それじゃ、次のヒトー」
ヤケ気味に酒を呷るシアンをとりあえず放置して、少女が次を募ると。
「うむ、それでは私がなんでロマンスグレーに憧れるようになったかをお話しよう!」
ドワーフの少女、毛翡翠(eb3076)が鷹揚に頷き、三番手と相成った。
「あれは‥‥まだ私が14歳のころだったか。祖国で父上が十二形意拳『亥』の伝承者として大会に出たときの話である」
シアンの持ってきたお茶を片手、翡翠が朗々と語りだす。因みに、14歳とは暦年齢なので念の為。
「その時の父上は一撃で対戦相手を粉砕すると言われるほど強い武道家でな‥‥」
当時の様子を思い浮かべ、身振り手振りを交えて少女の話は続く。
「このまま優勝かと思ったが、決勝ででてきた相手が灰色髪の老武道家であった。あの方の戦い方は父上とはまったく正反対ではあったがとても強かった。流れるような戦い方で突いても薙いでも柳のように身を捌いて‥‥」
それは言うなれば、剛を制する柔の具現。憧憬に、少女の目が細められる。
「案の定、父上の攻撃はすべてかわされてしまっていた。だが、父上も負けてはいない。相手が攻撃をかわしたときにできる微妙な隙を待っていたのだ。そして、父上が奥義を放った‥‥」
それは、達人同士の戦いでしか見られない誘いのようなものであったのだろう。勝利を確信した渾身の一撃を避けられ、死に体となった彼女の父は、真剣勝負の場にあって死を免れない致命の瞬間を晒したのだ。
「この瞬間、私の脳裏に最悪の光景が浮かんだ。だが、その方は何か父上にささやくと同時に当身一発で、勝負をつけたのだ‥‥」
「ギリギリで情けをかけたのか‥‥?」
真剣勝負の末、生涯を終えるも良しとされる世界だ。手加減されたとあっては武人の面目も立たなかろうに。メフィストは不可解な面持ちで呟いた。
「その後に聞いた話だが‥‥父上は気絶させられる寸前にあの方から、『娘さんを泣かせる訳にはいきませんから』と言われていたらしいのだ。そう聞いた時、私はあの方に尊敬を抱くようになった。戦いの最中、そこまで相手の事を思いやる人がいたのかと」
それは相手の一挙一動を見落とさずに、会場の観客も把握していたと言う事だ。なおかつ相手の家族まで慮ったとあれば、よほどの傑物に違いない。まさに圧倒的実力である。
「名前も、流派も聞かずじまいだったが‥‥それ以後、あの方に似た素敵なロマンスグレーの人をみると、ついはっとしてしまうのである」
「それはアットウテキ紳士だね!」
その辺の機微が判っていないファウは、なんだか良く判らない感心の仕方をしていたようだった。
四番手はイコンだ。
「僕の理想の人は、自分と他の人を大事にする方、目標を持ってそれに向かって努力している方ですね」
少年は振舞われたグレープジュースで唇を湿らせ、言葉を紡いだ。
「容姿はあまり気にしないですけど、欲を言えば料理が上手い方がいいですね‥‥」
料理は人を幸せにしますからね、そう言って穏やかに笑うイコンだ。
「ねぇねぇ、まだリソウノヒトにはめぐり合ってないの?」
ファウの問いに、少年は照れくさそうに答えた。
「実は‥‥初依頼で逢った方が理想の女性でして‥‥」
「いるんだ! ひゅーひゅー☆」
「いやぁ、その人が関わった依頼を請け続けて、ついに告白もしたんですけどね‥‥」
イコンは頬を染め、後頭部を軽く掻いた。一世一代の勇気を振り絞って用意した指輪は、だが、少女の手からやんわりと彼の掌へと返されている。お互いに立派になったとき、もう一度という言葉とともに‥‥そしてそれは、少年を高みへと突き動かす原動力にして、己への誓いとなったのだ。
「今は‥‥この指輪に恥じない自分であるために努力する毎日です」
懐からそっと取り出した銀色の指輪を見せると、少年の瞳が決意の色に燃える。
「その料理人のオンナノコと、上手くいくといいね☆ ボク、応援しちゃう!」
ファウの言葉にありがとうと答え、微笑んでみせる少年はやや大人びて見えた。想いは、少年を大人にするのだ。
「それはそうと‥‥ファウさんには気になる方はいないんですか?」
「ボク? ボクねぇ‥‥ぜーんぜん出会いがないの、コマッタことに」
残念そうに肩を竦めるファウであった。
「さて、サイゴになっちゃったね‥‥?」
ファウがジト目でカノンを見た。
「いや‥‥その、勘弁してもらえないか?」
最後の悪足掻き、自分でも往生際が悪いとは思うものの、素直に頼んでみるが‥‥。
「一人だけソレは許されないよねぇ」
『ねー』
‥‥満場一致で否決されてしまったようだ。最後まで誤魔化せればそれが一番だと思っていたようだが、ことこの場に及んでそれが許される筈もない。はぁ、と溜息を一つ、観念するカノンである。
「仕方ない‥‥人間で言えば10歳ぐらいの頃の話だ」
恋愛といえるか知らないが、と前置きして、女は勢い付けに杯を呷り、話を始めた。
「父の知り合いで、神官の青年だったか‥‥私は生まれが生まれだけに、他人にあまりいい待遇を受けなかったのだが、そんな中で遊んでくれたりと色々と良くしてもらった人が初恋の相手、になるかな」
カノンはハーフエルフにして、黒の神聖騎士だ。この世界の現状を考えれば、子供の頃の苦労は想像に難くない。
と。
「ほぅ、それは妾と似たシチュエーションじゃの」
偉そうな物言いに、誰かと思えばシアンだったりする。酔うと女帝化するらしい。ってマジか?
「これ、そこの若人。苦しゅうないぞ、どんどん注がぬか」
‥‥マジらしい。イコンを侍らせ、酌をさせてご満悦である。いいのかそれで少年。
「‥‥」
あ、イコンがコッチを見てふるふる震えてる。逆らえないらしい。
「んー、まあアッチはどうでもいいとして」
サクッと少年を見捨てて、ファウが話の続きをせがんだ。
「ステキなヒトだね♪ そのオニイサンにはスキとか言ったの?」
「‥‥」
カノンは珍しく、怜悧に整った表情を少しだけ、苦くゆがめた。
「‥‥‥‥父の寄付目当て、ご機嫌取りの道具だと知ってしまわなければ、言ったかもな」
「‥‥」
「あれ以来か、人に感情をぶつけるのを抑え始めたのは‥‥」
「ゴメンネ、嫌な話、ムリヤリさせちゃって」
しゅん、としょげて謝る少女に、カノンは頭を振った。
「いや、気にしなくていい。今にして思えば、懐かしい話だしな」
カノンは淡く笑んだ。
「この話も懐かしんで出来るようになったのは、また心境が変わったせいかもしれないな‥‥」
「シンキョー?」
「‥‥あ、いや、それはな‥‥」
少女の興味しんしんな素振に、どう誤魔化そうかとカノンが悩んだその時だ。
「許せん、許せんな! そのように惰弱な輩、片端から妾が成敗してくれるわ!」
女帝化が進行したシアンが、レイピアを抜き放ち、声も高らかにダメ男撲滅宣言。
そのままなんだかワケの判らない宴に突入し、カノンの心境告白はうやむやになったのだった。
――そして、翌朝。
「うー、頭イタイ‥‥」
シアンは二日酔いで痛む頭を抱え、旅立つ羽目になった。弟から飲みすぎるなよと言われていたような気もするが、後の祭りである。
「有難うございます」
裏口まで見送りに出たファウ(やはり頭が痛そうだ)に、イコンは礼を述べた。
「‥‥今回の事で『守るべきものを守る』と云う大切な事を思い出しました」
流石に寝不足なのだろう、目を赤くしている。みれば、他の面子も似たようなものだった。後半は混沌としていて、いつ眠ったのかさえ定かではないのだが‥‥まぁ、これもいい経験だろう。
「楽しみにしてるからね、結果報告とか☆」
一人、またひとりと歩き出す冒険者に、少女が手を振る。
そんな中、カノンは一人、物思いに耽るように佇んでいた。
――ぶつければいい。何時でも尋ねてこい。
脳裏に甦るは僅かに錆の混じった、低めの声。
カノンは目を閉じ、自分の心を確かめるように胸に手を当てる。
そして、わずかに微笑み、皆の後に続いたのだった。