【魔剣の系譜】悲しみのリフレイン
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■ショートシナリオ
担当:勝元
対応レベル:5〜9lv
難易度:やや難
成功報酬:2 G 42 C
参加人数:5人
サポート参加人数:1人
冒険期間:11月23日〜11月29日
リプレイ公開日:2005年12月01日
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●オープニング
忙しいのは良い事だと言ったのは、どこの誰だったか。
呟くと、草壁豹馬は腰の皮袋から水を呷った。貧乏暇無しとはよく言ったもので、このところ彼は孤児院の見回りやら家主の警護やら買い物やらお守やらファウの相手やらと息つく暇もない。これで実入りがいいのならまだ救われるのだが、その大半が無報酬だったりするので疲れる一方。
「クサカベヒョウマからクタビレヒョウマに改名するしかないね、ウン」
とシフールの少女・ファウに言われた日には、不覚にも涙が出そうになった豹馬である。無論、情けなくてだが。
そんなある日の事だ。
豹馬が日銭を稼いで帰宅すると、居候先の主が青年を待ち構えていた。当然出迎えに来たわけではなく(彼はそんな愛想の良い人物では無い)、厄介ごとを頼むつもりなのは明白である。
「‥‥教会の裏手にな、一人の娘が住んでいる」
教会とはミッデルビュルフの中心部にある白の教会のことだ。お帰りの挨拶も無しに、主は用件を切り出した。
「‥‥それが近頃、狂ったらしい‥‥」
「待て、ヨハン」
青年は慌て気味に言った。言葉どおりに解釈すれば、とんでもない厄介ごとである。
「お前まさか、俺にその娘を何とかしろと」
「‥‥話が早いな。では任せたぞ」
男――ヨハン・ディマーナクは一方的に告げると、工房へと姿を消した。詳しい話を聞こうにも、工房の中からは槌打つ音が響くばかりで、それ以上話すつもりはないらしい。
「‥‥行けば判る、という事か」
思わず深い溜息をつく豹馬だった。
翌日。
しばらく娘を観察して、確かに様子がおかしいことは判った。
テーブルの上に並んだ食事。
手を繋ぎ、寄り添って歩く街並み。
恥じらいながら交わす愛の言葉。
その全てを、彼女はたった一人で行っていた。そう、どこにもいない誰かが彼女の目には映っているのだ。
「‥‥何故‥‥」
奇異、あるいは憐憫の視線を注ぐ道行く人々に混じり、青年は呟いた。
「先日、年若い娘ばかりを狙った通り魔事件が起きました。その際、偶然居合わせた警邏の衛兵が亡くなっています」
隣からかけられた声に目を向ければ、一人の司祭が痛ましげな視線を送っていた。
「‥‥ひょっとして、それは彼女の」
「そう、婚約者です。数年前にたった一人の姉も亡くし、天涯孤独の身でやっと掴んだ幸せだったのに‥‥」
司祭は頭を振ると、言葉を続けた。
「彼女はいま、訪れる筈だった幸せな日々を過ごしています。やんわりと諭してもみましたが‥‥修行が足りませんね、私も。無理に現実を突きつければ、絶望が彼女の命を奪いかねません」
「参ったな‥‥」
思わず青年は頭を抱えた。只でさえ朴念仁と揶揄される事があるというのに、これは手に負える相手じゃない。恋人を亡くした気持ちは判らないでもないが‥‥。
「‥‥仕方ない」
溜息を一つ、豹馬は冒険者ギルドへの依頼を決めた。冒険者への報酬はヨハンに請求すればいいだろう。
――しかし、彼女はヨハンの何なのだろう?
偏屈で他人にあまり関心を向けない男にしては珍しい態度に、ふと疑問が浮かぶ豹馬であった。
●リプレイ本文
ミッデルビュルフの街中を、一人の少女が歩いている。傍ら、誰もいない空間に向けて語る言葉。幸福と空虚が同居する姿に注がれる、奇異、そして憐憫交じりの視線。その娘は、一人で恋人と散策をしているのだ。
その脇を一人、小柄な少女が通り過ぎた。ごく当たり前の光景が、ある意味で異様に映るのは、娘の傍を通ろうとする通行人があまりにも少ない事、そして――茶髪の少女の目論見ゆえ、かもしれない。
「あはは、ゲットゲット!!」
すれ違い、何気ない様子で仲間の下まで辿り着いたカラット・カーバンクル(eb2390)の手には、一枚のハンカチ。常人の目には留まらぬ手捌きで抜き取ってきたのだろう。炎の精霊の力を借りて根性まで注入してもらっている辺り、何もそこまでとか思わなくもないが‥‥ともあれ接触する為の切っ掛けに都合いいことだけは確かだった。
「まあ大したものだが‥‥」
お前その腕、普段から活かしてないだろうな? と苦笑いする草壁豹馬に、やですねえ草壁様あたし地元じゃ負け知らずなんですよあははと笑って誤魔化すカラットである。
「いや、見事なお手並みです」
イーサ・アルギース(eb0704)が小さく手を叩く。
「では、これは拾った事にしておきましょう」
ハンカチを受け取り、イーサは後を追うべく歩き出す。年若い娘が天涯孤独で味わった苦労は計り知れないだろう。やっと掴んだ幸せがどれほどの喜びだったか、そして理不尽な理由でそれを失った時の絶望がどれほどのものだったのか‥‥。同情の影が、青年の顔を一瞬よぎる。それでも、現実を忘れてはならないのだ。たとえ辛くても、生きていかなくてはならないのだから。
「芝居の類は苦手だが‥‥」
腕組み、呟いたカノン・リュフトヒェン(ea9689)が呟く。現実からの言葉だけでは、娘に届く事はないだろう。彼女だけに見える恋人がいるのならば、自分たちもいるものと扱う事で同じ土俵に立たざるを得ない。
娘の恋人は、この少し前に発生した通り魔事件に巻き込まれてこの世を去っていた。その犯人を追ったこともあるカノンではあるが、残念なことに取り逃がしていたのだ。出来れば、仇を討った上で会うのがベストだったが‥‥。今更言っても仕方ない事だ。
(「果たして、私の声は届くのか‥‥」)
今は、あの男と同じ混血の身が歯痒かった。我知らず、耳元に手をやる。この街で耳隠しを外すのは、叶わぬことなのかもしれない。
「あの娘の事が知りたいんだ」
クロード司祭に面会するべく、ニュイ・ブランシュ(ea5947)は白の教会を尋ねていた。
「心の傷は簡単には癒せない。少しでも多くの手助けと、情報がいる」
すでに娘の様子はその目で確かめてあるから、後は司祭から前後関係を確認しておきたい。特に、娘の家族‥‥親や婚約者の事を聞いておいて損はない筈だ。
「ええ」
司祭の答えに否やはなかった。
「私の知る限りでよければ、ですが」
応接室、常の柔和な笑顔をたたえ、男は知る限りの情報を教えた。
両親は娘がまだ幼い頃、事故で他界している。崖崩れに巻き込まれたのだ。そして唯一の肉親になった姉も、数年前に他界‥‥こちらの詳細はやや不明瞭だが、やはり不慮の事故と言う事だった。
「ヨハン・ディマーナクとの関係は?」
「さて、そこまではなんとも‥‥私が赴任する直前の話ですから、さすがに個人的な関係までは」
「そうか‥‥」
ニュイはやや落胆した。人嫌いのヨハンが何故娘を気にかけるのかが気になっていたのだ。あまり他人と交流を持とうとしない名工に関して、正確な情報を掴むのはクロード司祭と言えども難しいのだろう。
「‥‥ただ、根も葉もない噂ですが」
だから、彼に関しての話は噂レベルに落ち着くしかないのかもしれない。
「ヨハン・ディマーナクは以前冒険者であり、そのパートナーが彼女の姉だった‥‥と言う話なら、聞いた事があります」
一旦切り、そして男は慎重に、言葉を選ぶように続けた。
「そして、ヨハンは恋人を殺した、とも」
「‥‥まさか」
少年は我が耳を疑った。不慮の事故ではなかったのか。だが、呪われていると揶揄される名工には相応しい噂だと思えなくもなかった。
「ここですか‥‥」
路地裏、ルナ・ローレライ(ea6832)が呟く。通り魔事件の犠牲者、そして娘の婚約者が命を落とした場所が、此処だった。
「‥‥ああ。ここで奴は、真一文字に首を掻き切られ、事切れていた」
傍ら、その場所まで案内した衛兵が答える。通り魔に追われる犠牲者を見つけ、割って入った所で殺されたらしい。少し離れた所で無残な姿の女性が見つかっている事からも、それが伺えたと言う。
月の力を借りようとも考えていたルナだったが、事件の起こった日を聞いて諦めざるを得なかった。一週間以上はゆうに過ぎていたのだ。
「惨い、事ですね‥‥」
女は痛ましげに目を伏せた。ちくり、と過去の傷が胸を刺す。あの日の事を忘れた事は一度だってない。本当なら、私にも彼女にも同じ幸福が訪れていた筈なのだ。だが二人が味わったのは全く同じ不幸。人生は皮肉だ。だからこそ、彼女には立ち直ってもらいたい。同じ痛みを味わい、同じ思いを抱えた者として‥‥。
目を上げようとした女の視線に、鈍く光る何かが留まった。路地の片隅だ。引っかかる何かを感じ、ルナはそれを拾い上げた。
「――これは」
砂埃にまみれ、さび付きかけたそれは、銀のネックレス。何かの拍子で千切れ飛び、誰にも見つけられぬまま路地の片隅に眠っていたのだろう。だが、所々に付着したくろずみが何かを物語る。――これは、ひょっとして血ではないか?
「それは、奴の‥‥」
女が手に持つそれを見つめ、衛兵は絶句した。間違いない。見落としていた遺品だろう。
「渡さなければ、なりませんね」
ルナは呟いた。問題は、どうやってそれを渡すかだ。
「ヨハン様〜」
工房にカラットのある種、能天気気味な声が響く。
「‥‥お前か。何の用だ」
槌打つ手を止めず、男は無愛想に答えた。筋肉質な背で、無造作に束ねた金髪が揺れている。
「ねえねえヨハン様、何で草壁様にこんな事押し付けんですか? 心配なら自分で行った方が良いんじゃないですか? もしかして恥ずかしいとか?」
一気に言い放つ少女へ、やや苛立つように男は返した。
「‥‥五月蝿い」
「あ、この前はすみませんでした。でも、ご飯の仇はいずれ必ずっ!!」
コロコロ話題が変わる少女に男は毒気を抜かれたのか、珍しく唇の端を少しだけ歪めた。
「‥‥また作れ。お前の飯は旨かった」
「でもでも、心配だったり気になるなら、ちゃんと言わなきゃ通じませんよ」
「‥‥」
会話が成り立っていない。
「お手紙でも書いたらコッソリ届けてあげますよ? あ、もちろん、皆には言わ‥‥」
「お前に何が判る! いいから出て行けッッッ!」
「あ、あははは‥‥それじゃ、またっ」
激昂し、槌を振り上げるヨハンに、笑って誤魔化しつつそそくさと逃げ出すカラットである。
激しく叩きつけられた扉の向こう、男は、項垂れて呟いた。
「‥‥俺には、彼女に会う資格などないのだ‥‥」
「‥‥やっぱ、ダメか?」
「みたいですねぇ」
工房から出てきた少女を見て、ニュイは娘とヨハンを引き合わせる事は断念した。この分では、豹馬に頼んでも駄目なのは明白だ。
「しかし‥‥」
腕組み、考え込む。扉の向こう、呟きは少年の耳にも入っている。根も葉もない筈の噂は、急速に現実味を増してきていた。
テーブルの上に並ぶ、空いた皿の数々。落し物を届けてくれたお礼にと、娘が冒険者達に昼食を振舞ったのだ。
僭越ながら食後のお茶は私が、とイーサが席を立つ。用意の傍ら、汲み置いた水で洗い物をする娘に、何気ない素振で青年は語りかけた。
「私も‥‥昔大切な方を理不尽な理由で亡くしました」
小首を傾げ、少女は青年の話に聞き入った。私も? この人は、誰と自分を重ねているのだろう。
「その時は死んだほうがいいと投げやりな気持ちでした‥‥・ですが神様の御慈悲なのでしょうね。新たに大切に思える方々に出会う事が出来ました」
世界は悪い事ばかりではない。それを思い出して欲しい。青年の想いは、伝わるのだろうか。
「それは、よかったですね」
少女は微笑んだ。
「今は‥‥心を癒す為に逃げてもいいでしょう。忘れろとも言いませんし言えません。ですが、逃げ続けないで下さい。現実に立ち向かっても絶望に呑み込まれないで下さい。辛くとも生きていれば‥‥きっとまた、新たな幸せを掴む事が出来ます」
「よく、わからないですけど‥‥」
困惑する少女に、イーサは独り言ですと答え、微かに、笑った。
「この先、何か困ったことがあったら‥‥」
香りを楽しむようにカップから立ち上る湯気で顎をくすぐり、カノンは言った。
「‥‥隣人を頼るといい。あの白の司祭は優しき慈悲深い人物だし支えにもなろう」
「え? ええ」
少女の困惑が深まる。あの司祭は、お気の毒ですがとかワケの判らない事を言ってきた人だ。そう、さっきの『独り言』のように‥‥。この人たちも、仲間なのかしら。私になにがしたいのかしら。あの人はもういないなんて嘘を並べ立てて‥‥。確かに今はいないけど、さっき散歩をしてくるって言って出て行ったはずだ。そう、そうに決まっている。死んだなんて嘘。嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘。そうじゃなければ、私は、どうしたら――。
「‥‥しかし、貴女が羨ましいな」
「‥‥?」
錯乱の一歩手前に陥った少女の耳に、カノンの言葉が飛び込んできた。
「愛する人と一緒に暮らしているのだろう? 羨ましくもなる」
不器用に響く女の言葉は、逃避に合わせる為の不慣れな演技ゆえ。だが、少女はその手の事が苦手なのだろうと思い込んだ。精神のバランスを取り戻そうとしたのだろう。
「‥‥私などは近くにいることもなかなか適わなくてな」
「駄目ですよ、こういう事はもっと積極的にならないと」
苦笑いをするカノンに、少女は頑張ってと微笑んだ。
「変な人たちでしたね、あなた」
夕暮れの路地に、言葉が空々しく響く。
辞した来客を見送った後、少女は買い物へと市場に足を向けていた。思わぬ事で、食材が足りなくなったのだ。
色々あったせいか、今日は疲れたようだ。あんなに人と話したのは久し振り‥‥久し振り? 変ね、私の隣にはいつもあの人が‥‥。
立ち止まり、当惑し、泣きそうになったり、傍らに『彼』を見出して微笑んだり。それが表の心と裏の心のせめぎ合いだとは、少女が知る由もない。
と。
――がうがう!
突然、目の前に突き出されたドラゴンのぬいぐるみが、少女の声でがうがうと吠えた。
「――え? なに?」
少女は目を丸くして驚いた。そりゃそうだ。ぬいぐるみを掴んでみれば、その後ろには小柄な少女が。
「んむ、ちゃんと生きてるなら大丈夫!!」
カラットは意味不明な事を言い放つと、回れ右して逃走の構え。が、迂闊な事にその右手はそっと掴まれていた。
「駄目よ、悪戯しちゃ」
年端もいかない子供を叱るようにめっとやると、少女は微笑み、その手にぬいぐるみを握らせる。
「ふ、不覚!」
ぬいぐるみを小脇に抱えると、カラットは一目散に逃げ出した。真の目的は、もう果たしているのだから問題もなかった。
「へんな娘‥‥」
くすりと笑むと、少女は懐の違和感に気付いた。重たい何かが、ポケットに。
探れば、そこにはくすんだ銀のペンダント。さっきの少女が入れたに違いないそれは、確かに見覚えがある。だけど、どうしてあの娘がこれを‥‥。
「これ、どこかで落としたの?」
傍らを仰ぎ見る。
そこには、誰も、いない。
――辛くとも現実を忘れてはいけません。いま生きているのですから。
昼間の『独り言』が、もう一度聞こえたような気がして。
少女は一人、泣いた。
「あれで、良かったのでしょうか?」
物陰から様子を見守り、イーサが呟く。
「切っ掛けは作れたのではないか? もう少し時間があれば、もっと違ったかもしれないが‥‥」
痛ましげな瞳でカノンは言った。失くす事を恐れ嘆く心は、今の自分なら判る。
「まぁ、ああやって少しずつ現実世界へ戻ってこれればいいさ」
ニュイは頷いた。
「耐える必要はないと思う。泣きたいだけ泣いて途方に暮れて、それから差し出された手を取ってもいいだろ」
心の問題は一朝一夕に解決する事じゃないが、少なくとも生身の人間の暖かさには気付けたのではないか。そう思う少年だ。
「愛する人を失った悲しみ‥‥それは誰しも同じです。ですが、本当に愛しているのなら前を向くことも必要だと思います」
自分のように、前を向く事が出来たら。時間はかかるにしても、そうなる事を願って止まないルナである。
見やれば、泣き崩れた少女が立ち上がり、誰かと寄り添うようにして歩き出していた。そうやって行き来しつつ、時と共にこちら側の比率を高めていければいい。
悲しみはぶり返すたびに、少しずつ、少しずつ薄れていくのかもしれない。少なくとも、今回だけはそうあって欲しかった。