【魔剣の系譜】地の宝珠
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■ショートシナリオ
担当:勝元
対応レベル:6〜10lv
難易度:難しい
成功報酬:3 G 9 C
参加人数:5人
サポート参加人数:-人
冒険期間:12月25日〜12月30日
リプレイ公開日:2005年12月30日
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●オープニング
月明かりだけが頼りの薄暗い森の中に、鋭く風を切る音が響く。
――ヒュガッ!
「ひゃー、おっかないねぇっ」
その少年は天空より舞い降りた一撃を鼻歌交じりで回避し、まるでスリルを楽しむように呟いた。
鋭い弧を描くように地表すれすれで旋回したジャイアントオウルは、翼はためかせ空中で一旦急停止、闇の中、不適に笑う少年目掛けて再度急降下を敢行する。
――ギュンッ!
恐らく、常人なら避ける事も受けることも出来ないであろう高角度からの急襲。だが少年は余裕を持って必殺の軌道を見切っている。その嘴はやはり空を切り裂くにとどまり‥‥そして。
――ぐらっ。
ジャイアントオウルは空中で姿勢制御を失いかけ、まるで酔ったようにふらふらと高度を失う。
「へぇ。毒使いオスカルの奥の手だったのに、頑張るねぇ」
少年は感心するように嘯いた。急激に相手が弱ったのは、その身体に突き刺さった短剣のせいだと誰が判ろうか。ましてや、その刃に塗られた毒の効果だとは。並外れた体力ゆえに墜落せずに済んでいるに違いない。
「だけどさ‥‥これでサヨナラ、だね♪」
高度を失いながらも、ジャイアントオウルは少年目掛け、もう一度‥‥そして、最後の突撃を行った。
「キエエエエエエ!」
弱りながらも急降下するその姿とすれ違うように、木陰から一人の影が飛び出し、渾身の力で刃を振るう。
――ドン!
もはや急旋回は出来なかった。ジャイアントオウルは、すれ違いざまの一撃で片翼を失っていたのだ。そのまま地表に激突し、苦しそうに一声、ギィと唸りを上げた。
――フヒュッ!
目にも留まらぬ斬撃がもう一度、その身体を襲い‥‥森の守護神は、動かなくなった。
「さっすが、一刀両断のイオリって言われてるだけはあるねぇ」
血刀を下げ、死骸から離れる女に向け、少年は揶揄とも感心とも取れる調子で呟くと。
「‥‥しっかし、コイツが護ってるって言われても。何処にあんのさ?」
首を傾げ、考え込んだ。死骸からは目的の物が見つからなかったのだ。守護者を倒しただけでは駄目らしい。
と。
すっ、と女が虚空に刀を突きつけた。少年の視線が、つられて女の指し示す方向に向く。
「‥‥あそこかぁ♪」
巨木の中心に、巨大な洞が見て取れた。恐らく、ジャイアントオウルの巣穴だろう‥‥。団長の言っていた『地の宝珠』はあそこにあるのだ。
パタパタパタ‥‥
直後、一羽の梟が巣穴から飛び出し、木々の陰へ姿を消した。大きさは通常の梟程度だが、巣穴の住人を考えれば間違いない。守護者の血脈は、まだ絶えていなかったのだ。
「ヤベ、アイツなにか咥えてやがった! 追うよ!」
「応」
少年の言葉に女は短く答え、二人は飛び去った最後の守護者を追っていった。
早朝の森を、一人の少女が散策している。
飾り気のないドレスを、ひょいと摘み上げ。一人、楽しげに語らいながら。
「朝の森って素敵‥‥」
上目づかいで語りかけた、その時だ。
パタパタ‥‥
弱々しい羽ばたきの音と共に、淡く光る何かを咥えた、一羽の梟が少女の視界に入る。
「あら?」
梟はそのまま、力尽きるように高度を落とし、少女の胸元へ飛び込んだ。
「あら、あら‥‥」
戸惑いながらも受け止めると、夜通し飛んでいたのだろう、梟はぐったりと動かなくなった。
「‥‥どうしたものかしら」
流石にこんなことは初めてで、少女は途方に暮れた。可哀想だし、とりあえず家につれて帰って‥‥。
「――アッチだ! 一晩中てこずらせやがってっ」
茂みを掻き分ける音が、響く。誰かが近づいてきているのだ。恐らく、この可哀想な梟さんを追って。
「に、逃げなきゃっ」
咄嗟に少女は身を潜め、声の方角とは反対方向に走り出した。
‥‥迂闊な事に、森の中心方向へに逃げる羽目になってしまったが、街に向かおうとしてすぐに捕まるよりはマシだろう。少女は混乱する頭でとりあえずそう結論付け、走った。
「破滅の魔法陣の噂は、貴方達のよく知るところでしょうね」
冒険者ギルドを訪れた司祭――マリユス・セリエは、常の温和な笑みを仕舞い込み、小さく深呼吸した。
「噂によれば各地の魔法陣はそれぞれ独自の条件で発動し、その効果も範囲もまちまちだそうですが‥‥ともあれ、今回の問題はこれです」
言うと、男は一枚の羊皮紙を差し出した。
『――今、この街は存亡の危機に瀕している。
‥‥そう、破滅の魔法陣だ。太古の昔に悪魔が作り上げたとされる、恐ろしい存在だ。そして私は、その封印の一部なのだ。兄さんには黙っていたが、破滅の魔法陣は確かに此処、ミッデルビュルフに存在する。機密保持の事情から、長期間連絡を取らなかったこと、すまなく思う。
ミッデルビュルフの森に、もう一つの封印がある。こちらは森の守護神が護っている筈だ‥‥それさえ無事なら、魔法陣の発動はだいぶ難しくなる。最悪でも、それだけは死守して欲しい。
出来れば、生きて再び兄さんに会い見えたいとは思う。私も最大限あがいてみるつもりだ。聖なる母のご加護があらん事を。――クロード・セリエ』
「一刻の猶予もありません。貴方たちには現地に赴き、封印の片割れ――地の宝珠を守って欲しいのです」
マリユスは沈痛な面持ちで言った。
「高速馬車は私が手配しましょう。一日で辿り着けば、ギリギリ間に合うかもしれません。皆さんには非常に大変な依頼をしてしまい、申し訳なく思いますが‥‥よろしく、お願いします」
男は小さく頭を下げると、高速馬車の手配をすべく、領主館、古い友人の下へと向かった。
森の手前。
「どうしたものやら‥‥っと、お前か。奇遇だな」
黒衣の青年――草壁豹馬は一人の冒険者を見かけ、軽く手を上げた。
「俺か? あぁ、ヨハンの奴がまた我侭を言い出してな‥‥森の奥に向かった少女を助けてくれ、とな」
苦笑を一つ、青年は頭を軽く掻く。
「どうも、あれからその少女の様子をちょくちょく見に行っていたらしい。どうせなら力になってやればいいのに、見守るので精一杯とはなんとも不器用な事だが」
人の事は言えんな、と青年は再び苦く笑う。
「ともあれ‥‥俺は森には疎いからな。闇雲に探した所で如何にもならんと、途方に暮れていた訳だ」
腰に手を当て、小さく溜息を吐くと。
「‥‥で、お前は如何したんだ?」
青年は隻眼を向け、微笑を浮かべた。
●リプレイ本文
木々の合間で木漏れ日が弱々しい自己主張を行っている。骨に染み渡るような冷気が漂う森の中、そこここの陽だまりに感じる気休め程度の安らぎ。太陽はまだ昇りきっていない。短い昼を迎える頃には、多少なりとも過ごしやすくなっている筈だ。
「破滅の魔方陣‥‥斯様な街にもあったとはな」
森の奥、木々に閉ざされたその只中を見つめ、天宵藍(ea4099)は呟いた。
「地の宝珠とやら、全力を賭して守らねばなるまい」
この森のどこか、地の宝珠と呼ばれる封印の片割れと、それを狙う敵が存在する。万が一にも奪われる事があれば、多くの命が失われる事に繋がるだろう。男の目が厳しさを増す。脳裏に蘇るは過去の痛み。家族を失い天涯孤独の身なれど、だからこそ決して見過ごせないのだ。
「宝珠を奪われたら破滅へのカウントダウンが早まる、ですか‥‥」
男の言葉を受け、イーサ・アルギース(eb0704)は言った。
依頼人の話によれば、封印はもう一つあり、それらが魔法陣発動のリミッターになっている。宝珠さえ守ればそれで万事済む訳でないのは厄介極まりないが、防げるタイミングと往き合い、協力できる力を持ちながら看過するなど出来よう筈もない。
「ったく、破滅の魔方陣なんて面倒くさいモン残すなよな」
ニュイ・ブランシュ(ea5947)の言葉は正直だった。少年らしい率直な言葉だが、大人びた顔立ちはその決意を物語っている。もう一つの封印には姉が向かっているのだ。それなのに、面倒などといって負けていられる訳が無い。どこまでも自分に正直だからこそ、少年はいま、この地に立っている。
「‥‥好きにはさせない。あの街には多くの人と‥‥大事な者がいる」
呟いたのはカノン・リュフトヒェン(ea9689)だ。森を切り裂くように視線を飛ばす。
「大事な者がいる、か‥‥」
森の手前で偶然一同と出会った草壁豹馬は何やら神妙な顔で聞き入った。封印についてはニュイや宵藍から粗方の説明は受けている。状況が状況だけに単独行動は危険と諭され、渡りに船と同行したのだ。
「‥‥それでは俺も協力せねばな」
何を思ったか、黒衣の青年は僅かに寂しげな顔で笑む。
「まさに容易ならざる事態ですな。私も微力を尽くしたく思います」
イレイズ・アーレイノース(ea5934)も言葉を合わせた。この初老の神聖騎士は人一倍邪悪を憎む。悪魔の産物たる破滅の魔法陣が相手なれば、それに対する意気込みも違うというものだ。
「私も全力を尽くさせて頂きましょう」
イーサが弓を手に取ると、一同は森の奥目指し歩みだした。一刻の猶予も無い。この際、時はブランよりも貴重なのだ。
さあ、行こう。悲しみと絶望は旧い年で終わりにするのだ。喜びと希望を胸に、新しい一年を迎えるためにも。
追跡行はかなりのハイペースで進んだ。
土地鑑に長けたカノンと宵藍が、真新しい通行の痕跡を探し出す。獣道と人が踏み荒らした痕跡の差は、見る者が見れば明白だ。特にカノンの捜索範囲は驚異的で、次々と怪しい痕跡を見つけ出している。人間の肩の高さを掻き分ける獣など、早々いる筈も無い。その読みは正鵠を射、探索の速度を大幅に引き上げていた。
(「逃げ回った経験が役に立つとは、な‥‥」)
我知らず唇を歪める。だがそれが今役に立つのであれば、辛い記憶に感謝しても悪くない。人生は皮肉だ。
「偶然だがお前と出会えたのは僥倖だったな。俺一人ならばたちまち迷子になること請け合いだ」
「‥‥以前のヨハン襲撃の際に力を借りたし、な。お互い様だ」
豹馬が感嘆の声を上げると、女は微笑んで返した。頼られるのも悪くないものだ。
「‥‥うん、こっちで間違いない」
ニュイが行使した魔力で木々と会話する。追跡ルートの真贋が一発で判定できるのだから、これ程便利な事はない。
「それにしても、守護神とはなんであろうな」
追跡の最中、宵藍がふと疑問を口にする。
「多分、報告書にあったジャイアントオウルの事だと思うけど」
少年は推測を述べると、木々から更に話を聞きだす。
「‥‥ここを通った人は三人。一人は少女。一人は少年。一人は女。梟は少女と一緒」
断片的な情報。だが大方の全容は推測できた。逃げる梟と少女、追う少年と女という構図だ。
「間違いありません。豹馬様、恐らく目的の方は追われておいでです‥‥守護神と共に」
「そのようだな」
イーサの言葉に豹馬が短く答えると、すぐ傍、カノンが振り返る。
「‥‥あの少女にこれ以上の不幸は要るまい。こちらは戦う必要もある、守ってやってくれ」
「無論だ」
返答は簡潔を極めた。
巨木の根元、少女はよろめくように凭れかかると、ずるずると尻餅をついた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ‥‥」
息が上がる。胸が張り裂けそうだ。飾り気の無いドレスは方々に鉤裂きができ、剥き出しになった手足からは浅く血が滲んでいた。慣れない森での逃走劇とあれば、街中よりも負担は激しい。右の足首が鈍く痛むのは、何かの拍子に軽く捻ってしまったのだろう。気付いてしまうと痛みは酷くなった。
胸元、抱きかかえられていた梟は身じろぎ一つしなかった。安心しきっているのか、消耗しきっているのかも判らない。なりこそ大きいが、この分だとまだ子供なのだろう。咥えた宝珠が淡く光っている。きっと、大事なものに違いない。
少女は大きく深呼吸、息を整えようと努めた。この子は追われている。誰かが守ってやらねば。そして、それが出来るのはこの場に自分しかいないのだ。意に反し休息を要求する手足へ懸命に命じ、少女は体を起こす。この子を守りきれば、きっと、あの人だって‥‥。
と。
「――はうっ!」
突然、ふくらはぎに鋭い痛みが走り、少女はくずおれた。視線を落とすと、そこには見慣れないものが生えていた。――ナイフの柄だ。何者かが投げつけたのだろう。即ち、追手が。
「追いかけっこはもう終わりにしようよ、お姉さん」
少女を見かけるや否や問答無用でナイフを投げつけた少年は、子供のように無邪気な笑顔を浮かべた。
「そのフクロウさえ渡してくれれば見逃してあげるから、ね?」
「嫌!」
少女はフクロウを抱きかかえ、頭を振った。
「あっそ。なら、お姉さんごと真っ二つにするだけだから、この人が」
「応」
進み出る、大柄な女。その手に持った大ぶりな太刀が、無慈悲なイメージを放散する。無骨なそれは、ただ斬る事の為だけに存在するのだ‥‥。少女は再び逃げ出そうとしたが、何故か身体に力が入らなかった。
「残念でした☆」
楽しそうに少年は笑った。
「お姉さん、もう動けないんだなぁ。そのナイフ、毒が塗ってあるから」
ゆっくりと、二人が迫る。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴が、森の中に木霊した。
宵藍が不意に立ち止まる。
「――今!」
木霊する悲鳴は冒険者達の耳にも届いていた。
「間違いないな、この近くだ」
「恐らく‥‥あちらですな」
ニュイの言葉に、イレイズは悲鳴の方向を指し示した。木霊する悲鳴の大元を運良く聞き分けたのだろう。
「いけません、急ぎましょう!」
イーサの言葉に一同は走り出す。もはや形振り構ってはいられない。茂みを強引に突っ切り、枝葉は駆け抜け様に切り払い、一直線に駆ける。蹲る少女に襲い掛からんとする二人が見えたのは、すぐだった。
――間に合えッ!
今、先制できるのは自分だけだ。逸早くイーサが弓を引き絞り、短剣を振りかざす少年めがけ放つ。
「サヨナラ、お姉さ――ん? うわっ!」
足音と草むらを掻き分ける音に少年は振り返ると、考えるよりも速く飛び退った。イーサの放った矢は巨木に突き刺さったが、間一髪、冒険者達は間に合ったのだ。
「何奴!」
ほぼ同時、女も振り返ると冒険者達に対峙し、太刀を構えなおす。
「貴方達に名乗る名は持ち合わせていませんね!」
イーサは言い放つと、続けざまに少年めがけて矢を放った。少年はバックステップを繰り返し、巨木の陰へと身を隠す。
「‥‥頼んだよ」
「有り難い」
宵藍の右足が魔力の炎を上げる。ニュイが行使した炎の聖霊の力だ。女はその炎を見咎め、太刀を垂直に構えるや宵藍めがけ奇声を放ち、突進した。
「キエエエエエエエ!」
「ぬうっ!」
猛烈な速度で迫る斬撃。宵藍は寸前でサイドステップ、危ういながらも身をかわすが、掬い上げるように続いた二合目を避け損ねてしまう。飛び散る血潮。傷は決して浅くない。
「あれは蜻蛉の構え‥‥よもや、示現流とはっ」
豹馬が畏怖の声を発する。独特の構えから突進、全体重を乗せて放つ初撃を喰らえば命はないとすら言われる苛烈な剣法だ。
蹈鞴を踏む宵藍を庇うようにカノンが前進、長剣を薙ぐように振り払う。突進に隙を露呈したかに見えた女だが、強引に太刀を引き戻すと叩き付けるように受けてみせた。返す刀で袈裟懸けに見舞う剣閃も同様、苦しい体勢ながらも受けきる。カノンはそのまま鍔迫り合いの体勢に持ち込むべく、手元を押し込んだ。切っ先よりも速度が乗らぬ部位であれば、拮抗しやすいであろうと踏んだのだ。
「奮!」
女は瞬時に弾き返したが、構わずカノンは長剣を振るいつづけた。
『く、くくく‥‥』
カノンと三合、四合と打ち合ううちに、女の表情は愉悦で解けていった。
『待っていた! 待っていたぞ! このような心焦がす鍔迫り合いを!』
言葉が伝わらずとも見るだけで判る。楽しいのだ。真っ当に打ち合える相手がいるのが楽しくて楽しくて仕方無いのだ。
『示現流、東郷伊織‥‥推して参る!』
「哀れな‥‥」
対するカノンの表情は冷え切っている。
「‥‥だが外道を断つに私の剣は躊躇わない」
かかる火の粉を払う為身につけた技だが、今は世界を焦がす焔の元を断って見せよう。カノンの剣は受けられてしまうが、重い太刀を得物とする伊織は防戦で手一杯になった。
「すまぬ、リュフトヒェン殿!」
懐からポーションを取り出し、一気に飲み干して体勢を立て直した宵藍が戦列に復帰する。強敵相手に一対一は博打同然、二人の手数で押し込むのが当初の予定だったのだ。
『小癪なっ』
右腕の剣、そして蹴りを交えた変則的な塘路で宵藍が迫る。魔力を宿した右足を見せ技に使うその手管、太刀で受けようものなら次の瞬間カノンに斬り倒されるだろう。伊織は苦虫を噛み潰すと、身を捩るようにして男の連撃を何とか捌く。拮抗は徐々に崩れていこうとしていた。
「う、うざいなぁ!」
顔の傍を掠めた矢に肝を冷やし、少年は腹立ち紛れに叫んだ。巨木の陰から飛び出そうとすると、待ってましたとばかりにイーサの矢が飛んでくるのだ。
「タイミング計ってるな‥‥出るぞ、そこ」
ニュイが的確な助言を送る。今、彼は体温を見ているのだ。緑や青に染められた視界の中、常人よりはるかに鍛えられたその目は僅かに動くオレンジ色の物体を見逃さない。
「引っ込んでいなさい!」
イーサは叫ぶと少年を釘付けにし続けた。
「ちっくしょ、腹立つなぁ!」
顔を出せばニュイのガイドで正確な矢が飛んでくる。無傷で済もう筈もない‥‥。少年は覚悟を決めると、巨木の陰から飛び出した。
「今だ!」
「はいっ!」
間髪いれず矢が放たれる。頭めがけて飛ぶそれを少年は自分の左腕で受け、腰から短剣を抜き放ちつつ一気に迫った。
と。
「させませんぞ!」
その進路に割り込む一人の男。イレイズだ。不可視の障壁を二人にかけ、飛び出して文字通りの盾になる腹なのだ。
「邪魔なんだよぉ!」
少年は自棄になったように叫ぶと、右手の短剣を素早く閃かせ、イレイズに襲い掛かった。振るわれた軌跡は都合四回、そのどれも稚拙な攻めだが、手数に押し切られた男はわき腹を浅く切りつけられる。
「ぐ、む‥‥っ!?」
掠り傷の筈が焼け付くような痛み。少年の短剣に塗られていた毒だろう。傷口を抑え、男は片膝を付きつつも横殴りに刀を振り回した。
「へ、当るかってんだ――!」
苦し紛れの一撃を余裕で避け、少年はあの憎たらしい弓師にお得意の猛毒を振舞うべく――己の胸板に一本の棒が生えているのを、信じられないといった目で眺めた。
「やべ‥‥」
慌てて手近な木の陰に逃げ込もうとするも、痛みに反応が鈍る。‥‥背中に、もう一本棒が生えた。もう一本、今度はわき腹に。続けてもう一本。更に‥‥。
冷たい視線でイーサは少年を見つめる。命を玩ぶような輩を相手に手加減はできそうもなかった。
「くそ‥‥」
力を失い、倒れかける少年の視界に、黒衣の青年が映った。巨木の傍で蹲る少女の傍に駆けつけるところだろう。
「死んじゃえよ、おまえらぁ!」
最期の力を振り絞り、懐から壺を取り出して投擲する。武器に塗って乾かす暇はなかったが、被ろうものなら全身が腐るであろう猛毒。せめて、お前らだけでも道連れにしてやる。
ゆっくりと放物線を描き、庇うように身体を投げ出した青年目掛けて飛んだそれは、球状の見えない障壁に遮られ虚しく大地に染み込んだ。よろめくように二人に近寄り、結界を作り上げていたのはイレイズである。
「‥‥ずる‥いや‥‥」
雲散した奥の手を呆然と見送る少年の後頭部を矢が貫く。毒使いオスカルは、それで事切れた。
一旦崩れた均衡が元に戻る事はなかった。
「シィッ!」
宵藍の右足が煙るように掻き消える。十二形意拳・酉の奥義だ。
「屈ッ!」
出所を見切ると、伊織は仰け反るようにして見えない蹴りをやり過ごした。
「そこっ!」
仰け反り、死に体を晒した身体をカノンが捉える。袈裟懸けに振るわれた剣閃は避ける事叶わず、女の身体から鮮血が舞う。畳み掛けるように宵藍の蹴りが見えない速度で伊織の鳩尾にめり込み、もんどりうって女は倒れた。
「が、はっ‥‥殺ァァァァ!」
血反吐を吐き、それでも女は立ち上がると、再び蜻蛉の構え、走り出した。
「終わりだ」
無表情にカノンは告げ、往時の力を失った太刀を易々と弾き飛ばし、返す刀で長剣を振り下ろす。宵藍の蹴りが決まった時、東郷伊織はもう、動かなくなっていた。
「さて、守護神はどうするべきか‥‥」
激闘の傷跡を薬で癒す最中、宵藍が呟いた。親鳥を失った守護神の処遇が、最後に残っているのだ。
「私がお世話しようと思ってます」
薬を与えられ、何とか回復した少女が答えた。
「かなり難しいですぞ?」
イレイズが難色を示した。猛禽の扱いは大変なのだ。それが大梟となれば、尚更である。
「焦る事はありません。お茶を淹れますから、戻ってゆっくり考えましょう」
微笑を浮かべ、帰り支度を始めるイーサだ。
「済まないな、色々と」
二つの骸に痛ましげな視線を送るカノンの肩に手を置き、豹馬は礼を述べた。
「世界に愛されずとも世界を愛すことは出来る‥‥それが出来ず駄々をこねる相手に、負けはしない」
「‥‥まだ食ってないもん多いしな」
カノンの言葉にニュイが合わせると、森の中、弾けるような笑いが木霊した。