《下野温泉祭》 およげ! 大役くん

■ショートシナリオ&プロモート


担当:蜆縮涼鼓丸

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:8人

サポート参加人数:8人

冒険期間:01月23日〜01月28日

リプレイ公開日:2005年02月01日

●オープニング

 那須藩を中心として下野国全域で『下野温泉祭』が催されることとなり、各地の温泉好きがこれを楽しみに広く集まってくる。『バカ騒ぎしてパッと新年を祝いましょう』という趣向のこの祭りは、各地の秘湯などが客に開かれるとあって楽しみにしているものも多い。
 江戸での百鬼夜行に始まり、八溝山での鬼たちとの決戦。‥‥と、動乱の時期にあるとして今年の開催は危ぶまれていたが、八溝山に決着が付いたとして開催が決定し、温泉好きたちは胸を撫で下ろした。今回は時期も時期ということもあって、福原八幡宮や湯本温泉神社などで那須藩主である喜連川那須守与一宗高(きつれがわ・なすのかみ・よいち・むねたか)公が戦勝報告を済ませることも祭祀の中に組み込まれているが、それは温泉好きたちには概ね関係のないことだ。

「今年もバカ騒ぎしてパッと新年を祝いましょうよ」
「おぅ、悲しいことは去年に捨ててぇ、新年はパッといこうぜ」
 那須藩は温泉祭りの準備でてんやわんや。でも、みんな楽しそうである。

 ※  ※  ※

 武士道大原則ひとーつ!
 武士たるものは頑健でなければならぬ。健やかなる肉体にこそ健やかな精神が宿るべし。
 武士道大原則ひとーつ!
 治にありて乱を忘れるべからず。常に危急存亡の折と思って行動せよ。
 武士道大原則ひとーつ!

 (以下略)

「‥‥って、むかし、父が言ってました。特に健やかなる肉体って‥‥いいですよね、うふっ」
 冒険者ギルドでなんだか妙に頬を赤らめながら語る、うら若き巫女が一人。鶴と松のおめでたい柄の千早の下に薄桃色のかさねを纏い、目にも鮮やかな緋色の袴を履き。緑の黒髪に桜の天冠、手には神楽鈴がしゃらりと響く。ええどこからどう見ても巫女ですとも。
「というわけでこの度下野温泉祭・那須湯本温泉神社の祭祀に併せまして、鏡が池湖畔下社でも恒例の『琴吹神事(ことぶきしんじ)』を行いますので、ぜひ参加していただければと。えーと、琴吹神事の説明をしますね」

 琴吹神事とは。
 霊験あらたかな鏡が池には数々の故事来歴が残されているが、そのうちの一つ。昔々、鏡が池の美しさを見た三人の天女が天より降り立ち、それぞれ鼓、笛、琴で妙なる調べを奏で始めた。そこへたまたま狩りに来た若者が現れ、その姿に驚いた天女の一人が池に琴を落としてしまった。落ちた琴は風に吹かれて池の中央の小島へ流され、それを見た若者はすかさず己が服を脱ぎ、下帯一枚の姿となってその若さみなぎるたくましい肉体美を惜しげもなくさらし(以下肉体美についての講釈が延々続くので割愛)、身を切るような冷たい水を抜き手を切ってざばざばと、たちまちのうちに再び琴を天女の手に戻し、それに感じ入った天女は若者と結婚して二人仲良く末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
 という伝説に端を発し、新年の禊、その年の農作物の豊凶の占い、心身を鍛え一年の健康を願う、そういった諸々が渾然一体となって出来上がったまつりごとである。
 つまり鏡が池での寒中水泳。
 よーいどんで池の端から中央の小島まで泳ぎ、小島に置いてある琴の似せ物を取り、又泳ぎ戻って天女役の女性に手渡す。それだけのことである。
 ‥‥ただちょっと水が冷たいだけで。

「ちなみに、当神社、縁結びのご利益もございます。この神事をきっかけに縁を結んだお二人は、如月の縁固めの祭礼の後にめでたく末永い縁となりますこと確定なのでございます。今年の天女役は私が務めますのでよろしくお願いいたします。なお琴を私に手渡してくださった方には金一封と賞品をご用意してございます。ちなみに琴吹神事は筋骨たくましい若者を最も吉祥といたしますので、どうか胸の筋肉がぴくぴくと動くようなステキな方をぜひぜひお待ち申し上げております」
「というわけでやんすが‥‥ほかに何か聞きたい事はごぜえやすかね? どっちかってえとあっしはこれ以上あんまり聞きたくねえんですがね‥‥」
 ギルドの係員、目に『筋』と『肉』の字を浮かばせてうっとりと空中に視線を泳がせる巫女を眺めつつ、‥‥巫女でなけりゃあハリセンで一発。と、こっそり思ったとか思わなかったとか。

●今回の参加者

 ea0031 龍深城 我斬(31歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea0167 巴 渓(31歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea2034 狼 蒼華(21歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea2478 羽 雪嶺(29歳・♂・侍・人間・華仙教大国)
 ea2557 南天 輝(44歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea2700 里見 夏沙(29歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea3094 夜十字 信人(29歳・♂・神聖騎士・人間・ジャパン)
 ea6142 佐竹 康利(39歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

天螺月 律吏(ea0085)/ 美芳野 ひなた(ea1856)/ リンナ・シュツバルト(ea3532)/ 風御 凪(ea3546)/ 羽 鈴(ea8531)/ 元 鈴蘭(ea9853)/ 瓜生 勇(eb0406)/ 佐竹 政実(eb0575

●リプレイ本文

●準備・運動
「え〜ふんどし〜ふんどし〜フンドシいかがっすか〜」
「僕に一つ」
「俺にも頼む」
 などという光景が繰り広げられつつあるここは那須の地、霊験あらたかな名勝、鏡が池。ちなみに前述のやり取りはふんどし商人ではなく、風御凪が羽雪嶺(ea2478)や南天輝(ea2557)たち琴吹神事の参加者に六尺褌を貸し出しているの図。越後屋の店先からふんどしがことごとく売り切れ姿を消している今日この頃では、自前のふんどしを準備するのもなかなか骨の折れることだ。買い占めている者が居るとか輸出用に回しているので国内分がないのだとか噂もあったりするが、それはさておき。
 狼蒼華(ea2034)はそんな時代の趨勢にもめげず自前でふんどしを用意し、すでにきりりと締め上げて準備万端の態だった。
「子供は水の子、元気な子♪ 心頭滅却すれば水もまた温かしって言うのもあるし、年明けからこっち褌一丁の依頼ばっかり受けてんだ、寒さには結構耐性が付いて‥‥たらいいなあ」
 何だか仮定形。狼が遠い目を向けるその先には鏡が池がキラキラと、その名の如く鏡のように太陽の光を反射していた。幸いにも上天気に恵まれたとはいえその辺に雪が積もっていたりする。鏡が池には波ひとつ立っていない。立ちようがない。……凍っているし。
 里見夏沙(ea2700)は鼠の着ぐるみに身を包み、それでもなおかつプルプルと震えていた。
「寒い寒い寒いさーむーいー。悪いが俺は猫気質なんだ、ワンコじゃないから本当は寒中水泳なんて真っ平御免なんだっ。来月に
月道渡る予定で少しでもご利益と思ったが、それさえなけりゃこんなところにわわわわわぅ」
 寒すぎて歯の根が合わない。彼が姉上と呼ぶ天螺月律吏が応援のために側に居ても、その騒がしいほどの応援の言葉まで右から左にスーッと抜けているようだ。
 巴渓(ea0167)は夜十字信人(ea3094)に持参の赤褌を手渡し、にいぃと笑って見せた。赤褌には若葉屋という屋号が堂々と書き込まれ、そればかりではなく気づけばあちらこちらの垂れ幕にもこっそり若葉屋の名前が書き込まれていたりする。まるでイベント主催者のようで、依頼人の巫女も少しばかり顔をしかめたけれども、結局押し切られた模様。唯一の救いはこの時代の識字率が低くてよかった、ということに尽きる。ちなみにこの赤褌が後で一騒動起こすのは今はまだ予想外のことであった。
 受け取った夜十字には応援のリンナ・シュツバルトがぴったりと張り付く。あくまでも応援であって苛めに来たわけではない、例えその手にしっかりと鞭が握られていて、潤んだ目で夜十字を見ながら使う機会をてぐすね引いて待ち構えていたとしても。
 佐竹康利(ea6142)はポージングをしていた。両腕の上腕二頭筋を強調したり横から見た胸の厚みを強調してみたりポージングは形じゃない心なんだーと訴えかけたりしているが、頷いている客は皆無に近かったりする。若干一名巫女が微笑ましげに見ていたりもするが、一般的に言えば、あなたの知らない世界というかむしろ知らなくていい世界。ちなみに筋肉見せる大会じゃなくて寒中水泳ですから。少し離れた場所では打って変わって、至ってノーマルでほのぼのとしたやり取りが繰り広げられている。
「それにしても、鈴ねえにばったり会った時はびっくりしたよ。『なんで此処に?』ってさ。そしたら、輝さんを追いかけてきたって言うんだもんな」
「ああ。‥‥羽鈴。本当は双子の雪嶺の応援をしたかったんじゃないか?」
 南天に腕を絡めていた羽鈴はきょとんと恋人の顔を見上げたが、直後、くすくすと笑い出した。
「雪嶺の応援は間に合ってるね」
 彼女が指差した先には雪嶺の応援に来た瓜生勇がとてとてとよろめきながらこちらに歩いてくる。酔ってもないのに千鳥足なのは応援のために十二単を着込んでいるからで、この十二単という代物、鉄板を繋ぎ合わせて作った武者鎧と同等の重さを誇る、超重量級の晴れ着である。その重さゆえに、いろいろとトラブルの元になる場合がある。例えばつまずいて転んだ場合。さらに転んだ先が池だった場合。
「きゃーっ!」
 瓜生の悲鳴に、あわてて雪嶺が手を差し伸べるが、間に合わない。瓜生の十二単の冬色の裳がひらひらとたなびき、池に落ちた。ごつん。水音は、無い。
「痛い‥‥」
 硬く張った氷に助けられはしたものの、ぶつけた額を押さえ、痛がる瓜生。それを見て胸をなでおろしながら、今度はしっかりと手を握り、雪嶺は氷上から岸へとあっさり瓜生を引き上げた。
「全く、そんなもの着てくるから」
「あら〜、だって、祭典に出るなら十二単でしょう? 何か間違いました?」
 育ちがいいのか、おっとりと問い返す瓜生。一体どちらが年下なのか、微妙なやり取りである。
「雪嶺、まだ時間がある。どうだ、準備体操代わりに組み手でも」
 南天にそう言葉をかけられた雪嶺は恋人と離れ、姉の恋人であり自分の友(強敵と書いてもいいかもしれない)である南天と組み手を始めた。
「鈴ねえを泣かすと、僕の爆虎掌受けてもらうからね」
 交わす拳の合間に青春真っ盛りな爽やかな台詞を吐く雪嶺。ただ、目が恐い。

●飛び込め! 筋肉!
 神事を仕切る巫女(筋肉好き)が、しゃなりしゃなりと祭壇上に現れた。冒険者達を初めとする多くの若者がずらりと居並ぶのを微笑んで見回し‥‥ある一点で表情を強張らせた。祭壇から飛び降りると、現れた時とは正反対の乱暴な歩き方でその人物の前に歩み寄る。
「そこのあなたっ!」
「‥‥俺?」
 ずびしっと指名を受けたのは龍深城我斬(ea0031)。
「なんですかその褌は」
「何って妖怪褌だけど。白だし六尺褌と同じにすれば問題ないだろ?」
「問題大有りですっ! 神事なんですよ神事っ! 神に捧げる行事でそんなモノを身につけるなんて言語道断です、信じられません!お兄様方、この褌を処分しちゃって下さいっ!!」
「ういっす!!」
 巫女の金切り声に呼応して気合の入った声が響き、6人の屈強な筋肉男が現れた。たちまち龍深城を取り囲むと、

 *** しばらくお待ち下さい。***

「‥‥あーっ、俺の妖怪褌がーっ‥‥!」
 白い布の残骸を前にがっくりと膝を突き、涙に咽ぶ龍深城の姿があった。見かけほどクールな漢じゃいられない。というか、その前にとりあえず隠せ。そんな状況を見て同情したのか、冬なのに日焼けしたお兄様方の一人が、龍深城に白い布を極上の笑顔と共に差し出した。
「これを使うといい。妹が手ずから縫い上げた、我々が使っているのと同じものだ。これを使えば、君も我々の様になれるだろう」
「それはそれで遠慮‥‥いえっ使わせていただきますっぜひっ」
 何もかもがむき出しの今、彼に嫌と言える余地はなかった。
 巫女はくるりと別の方向に頭を向け、また別の人物にもにじり寄った。
「そこのあなたっ! なぜ白でなく赤褌を締めているのですかっ! 神事なんですよ神事っ! お兄様方、(後略)」
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ! 借り物なんだ乱暴はよしてく」

 *** しばらくお待ち下さい。(二人目) ***

 よってたかってお兄様方が何かしているのは肉の壁に阻まれて良くは見えないが、リンナは目を細めて鞭をしごきながら、喝の入れ方が足りませんでしたわね、と呟いた。
 最後にお兄様方が湖面の氷に一斉に槌を打ち込むと、厚く張っていた氷にひびが入り、そこから数mの幅の水面が覗いた。
 佐竹が恐る恐る着ぐるみを脱いで出した手を水面に近づけ、触った途端に壮絶な表情を浮かべた。言葉にしてみるなら『武士道とは死ぬことと見つけたり』といったところだろうか。
 狼は逆に冷たい水を掌ですくい、ばしゃりと頭からかけた。両手で自らの頬を叩き、気合を入れる。また南天も、
「寒いなんて直ぐに出てくるなよ」
 と不適な笑みを浮かべ、余裕のあるところを見せた。佐竹は相変わらずポージングを続けていた。
「だっはっはっはっは!! このクソ寒い中水泳ってのもまた粋だねぇ! よっしゃぁ! 頑張るぜぇ〜!!」
 なぜかお兄様方とも意気投合して、ポージング合戦のようなことになっているが、くれぐれもそういう大会ではなく寒中水泳大会ですから。
 池のほとりに泳ぎ手が並ぶと、観客も皆静まり返った。巫女が手にした神楽鈴を振り上げ、はじめ、の声と同時に島の方向へ振り下ろす。ざぶん、と幾つもの水柱が上がった。
「水冷たいっ!」
「冷たーー!? てか、痛ーー!?」
「うおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!! 冷てぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
 口々に上がる悲鳴。しかし勝負はすでに始まっている。
「よっしゃあ、行けぇ! ポロリだぁ!」
 巴は今まで着ていた巫女服を脱ぎ捨てさらしに錦褌、天晴れ扇子という色んな意味でおめでたい姿に変身し、下手な男性よりも鍛えあげられた上腕三等筋を余す所無く披露した上に心のこもった応援をがっつりと繰り広げた。‥‥むしろ解説という方が適切か。
「あなた、なぜ男でないのですか」
「なぜって言われてもなあ。まあいいじゃん」
 何だか涙ぐんでいる巫女の隣に陣取り、巴は親しげに話しかける。
「夜十字はマブダチなんだが、コイツの家系、先祖代々幼女萌えのロリスキーらしくてなァ。おーーいロリスキーーー、是非優勝してくれーー!! で、先祖が勲章もらったときに『モニカ姫激ラブ(はぁと)』なんて彫り込んだんだとさ」
 真実は神の味噌汁。味噌汁といえば巴の手伝いで来た美芳野ひなたは大鍋に具沢山の味噌汁をせっせと作っていた。芋や大根などの根菜に、山鯨こといのししの肉。冬場に温まると言ったらこれにかなう物などそうそうはないだろう。その他焚き火の用意なども、瓜生や風御の妻・元鈴蘭、また佐竹の妹である佐竹政実たち女性陣がそれぞれ分担し、手際よく準備していた。羽鈴の懐には南天から『天女にははるかに及ばないが大切な笛なんでな』と言われ預かった笛が入っている。その意味、自分が大事なものを預けてもらえる存在だということを考えると、羽鈴の頬が緩んだ。

●涙は拭こう、凍る前に
「夏沙ー夏沙ー夏沙ー! がんばれよー夏沙ー! ‥‥しかし猫かきとはまた新たな芸だな。流石は、というべきか‥‥」
 多分そこ感心する所じゃありません。応援団付きで盛大に応援を続ける天螺月であったが、応援相手のほうはすでに半ば沈みかけていた。
「俺、泳げないし。犬掻きならぬ猫かきだよなあははは。せめて沈まないようにがんばろう‥‥ごぼ」
 しゃべる余裕があるのか、と他の参加者が追い抜きざま視線を投げかけるがそれどころではない。ひたすら地道に、沈まない様に泳いでゆく。
 龍深城もまた地道に泳ぎ続ける。泥縄とはいえ一応訓練をしたのは確かに効果があったようだ。ただし、体を温めようとこっそり酒を飲んでいたのは不味かった。酒を飲むと体の反応が全般に鈍くなる。これがどういう事かといえば、下がった体温が戻りにくくなる。筋肉に力が入らなくなる。手足の血の巡りが良くなる分、身体の中の血はそっちに取られて巡らない。
 真先に脱落したのは龍深城だった。お兄様方に助けられた彼が、一杯の味噌汁をこんなにありがたいと思ったことは今までなかったらしい。
 泳者たちは団子状態のまま島に着き、小さな社の中の琴を目指す。火花の出るような争奪戦を繰り広げたのは南天と雪嶺。
「お姉さん、とって悪かったな。一番は俺達には難しくても‥‥競争だぜ」
 南天、年上の余裕か。僅かの差でミニチュアの楽器を奪い取る。
「なんだ作り物か。一度弾いてみたかったがな」
 管弦士を生業とする身なれば思うところもあるけれど、今は前進するのみ。群がる人間を踏み越えて。
「って待て、お前ら俺に掴まるな! そんなところを引っ張るなーっ!」
 踏み越える前に踏み越えられたかもしれない。お先にっ、と意趣返しのように雪嶺が南天の手にあった琴を奪い取る。上天気だったはずの空はいつのまにか雲が立ち込め、一面薄暗い色で覆われていた。
「夏沙ー夏沙ー! がんばれ夏沙ー!!」
「そんな大声で応援しなくても聞こえてるから〜」
 里見のかすれ声は天螺月の元まで届かない。そして折り返してきた泳者達が立てた波に、里見は飲まれた。その直後。
「ふぁいやーばーっど!」
 不死鳥のように。里見が飛んだ。そして。
 墜落した。
 どうやらあまりの寒さで極限に達していたらしい。雪がちらつき始めていた。
 佐竹は団子状態の中、苦戦していた。氷の割れ方はまっすぐではなく、割れ方の狭い所では我先にとひしめき合うことになる。そうなると、例え妨害の意図が無かったとしても。
「あっこら何しやがる! こうなったら反撃だ!」
 違う争奪戦が始まっていた。水面にたなびく六尺の布とか沈んでいく白い布が見受けられる。やがて佐竹がしてやったりと言った顔で団子から抜け出したが、その時すでに雪嶺は巫女の待つ岸の近くまで来ていた。
 そのころ夜十字はある意味生死の境をさまよっていた。早く岸に上がりたいが、すでに勝敗が決した今、そこで待つのは鞭を持ってうきうき待機中のリンナ。四面楚歌という言葉が頭に浮かび、ゆっくりと沈みかけた時、額の前で種が弾けた気がした。
「頑張れ俺ー!」
 猛然と泳ぎ始めた、逆方向へ。弾けたのは種でなく泡だったか。いつか、たどり着くだろう。たどり着く先は地獄かもしれないが。
 勝利の笑みを浮かべ、岸に着いた雪嶺は冷たい身体を水中から引き上げた。しかし彼に「おめでとう」を言うものはいない。そこで初めて、寒さで手の感覚が無くなり、いつのまにか琴を手放していたことに気づいた。
 上がった佐竹が全裸でポージングを始めたのを妹が必死に服で隠すころ、狼がたどり着いた。その手には琴があった。
「浮いてたのを上手く取れた‥‥」
 巫女に琴を差し出す。巫女は熱いまなざしで狼を見つめると、いきなり狼の手を握った。うろたえた狼が振りほどこうとして、もんどりうって二人とも池に落下する。パニックになって暴れる巫女をやっと引き剥がし、岸に上がって、がたがた震える巫女の手に白くて長いものがあるのに気づいた。何気なく自分を見下ろすと、そこには‥‥。
「母上、ジャパンの巫女は、恐いです」
 後で温泉で呟く彼の姿を目撃したものは多い。
 温泉で落ち着いた後は、巴の提案で、風御夫婦の新婚祝いの宴がかなり豪華に催された。ちなみにその宴席の垂れ幕にも、全てあの店の名前が入っていたと言う。