箒かついで鼠を追えば

■ショートシナリオ


担当:蜆縮涼鼓丸

対応レベル:1〜3lv

難易度:普通

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:02月26日〜03月03日

リプレイ公開日:2005年03月06日

●オープニング

 倉というものは、ものを保管する為に造られた場所だ。屋根は瓦葺、壁は土や漆喰で塗り固め、窓はほとんどないか、あっても通風のためのごく小さなものだけ。頑丈で、火事の折には小窓などを塗りこめてしまえば火が回ることもない。だから、倉の中は薄暗い。窓が無ければ暗いのは道理だが、換気も抜群とはいえないから何だかかび臭いような臭いが漂っているし、例えば倉に閉じ込められるなんて言うのは子供が悪いことをした時のお仕置きだと相場が決まっている。
 お久美の場合は仕置きではなく、親の言いつけで倉の中から品物を持って来いと言われて入っただけだ。
 お久美の家は商いをしていて、屋号を「三倉屋」と言う。屋号のとおり、大きな倉が三つもある、大きな商家である。普段は子供は倉に入れてもらえないが、もうお前も八つになるのだから、と親に言われてのお手伝い。大人に自分を認めてもらえるのは、子供にとってはとても誇らしいことなのだけれど、それでも、薄暗い倉の中は気味が悪いし、恐い。早く出たいなと思って、言われたものを探して急いで目を左右に走らせる。
「ええと‥‥桐の箱に入っていて、それで紫の風呂敷で包んであるの‥‥紫、紫‥‥あれかなあ?」
 お久美が上の棚においてある箱のほうへ手を伸ばした。届かない。踏み台をあっちから持ってきて、その上に両足をそろえて乗る。あと少しのところで、まだ届かない。せいいっぱい背伸びをして、やっと箱に手が届いた‥‥と思ったその時。箱の辺りから、がさがさと動く音がして、黒い目の生き物がひょっこりと顔を出した。お久美はびっくりして手を引っ込め、その拍子に踏み台から転げ落ち、すてんとしりもちをついた。音を立てた相手のほうもお久美と同じくらいびっくりしたようで、慌てて逃げようと足を滑らせたのか、どんがらがっしゃんと、箱ごと一緒くたに目の前に落ちてきた。黒っぽい毛の生えたそいつは体勢を立て直して顔をあげ、お久美とばっちり目が合って、そのまま固まった。黒い、くりくりとした丸い目だった。
「うわあ‥‥」
 お久美の目も丸くなる。目の前の生き物は丁度人間の赤子と同じくらいの大きさで、抱いたら抱き心地はどんなだろうかと思った。同時に、なぜか去年死んだ飼い犬の事を思い出した。揚げたての油揚げのような色をした、よく懐いた犬だった。お久美が生まれる前から飼われていて、物心ついたときにはいちばんの友達だった。ただいまと言ったとき、いつも最初に出迎えてくれて、お久美の顔をぺろぺろなめた。着物を汚すからと親には叱られたけど。
 去年の夏の終わり、何か悪いものでも食べたのか、急に血を吐いて、そのまま動かなくなってしまった。あのときはすごく悲しくて、ずうっとずうっと泣いて、毎日お線香もあげて、でもそれもいつのまにか足が遠くなって‥‥。
 目の前にいる生き物はとても人懐こそうで、お久美を見て固まったままぱちくりと瞬きをひとつ。お久美はちょっと可笑しくなった。
「茶々丸」
 飼っていた犬と同じ名前を呼んで、手を差し伸べてみる。黒い生き物は一瞬後ずさったが、好奇心が勝ったのか、恐る恐る、お久美に近寄ってきた。そしてくんくんとお久美の掌の匂いをかいだ。柔らかくて少し冷たい、濡れた鼻の感触。柔らかいひげがお久美の指の間をくすぐる。直後。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 倉から泣きながら飛び出してきたお久美を、悲鳴を聞いて飛び出してきた使用人が見つけ、母親の所へ連れて行った。お久美の手は血まみれで、ぽたぽたと血が滴り続けていた。これは医者を呼ばなければと、母親は使用人を駕籠屋へ遣って、急場しのぎに娘の手に手ぬぐいをぐるぐる巻いて縛る。縛った手ぬぐいにも少しずつ血が染み出てくる。
「一体、何があったの」
 母親が尋ねるとお久美はいっそう泣いた。
「悪くないの、茶々丸は悪くないの‥‥!」

「てぇなワケで」
 ギルドの係員は唇の端をゆがめ、笑う。
「倉の中の大鼠を退治してきておくんなさいまし。三倉屋の番頭さんが倉ン中を覗いて見た限りじゃあ何匹かいるようで。ま、つがいに子供って所でしょうな。今のところは倉のものを齧られたりはしてねえそうでやんすが、放って置けば数も増えて、えれぇ事になるやもしれやせん。お嬢さんの傷は大したことはなかったってえ話でやんす、もっとも、たまたま子供鼠が相手のこってすからね、大きくなった鼠だったらどうなっていたものか。‥‥ああ、倉のものを壊したり火の気を持ち込んだりはご法度ですぜ、まあ言わんでもお判りでしょうがね、念のため。では、よろしくお頼み申します、皆様方」
 係員は頭を下げた。

●今回の参加者

 ea2724 嵯峨野 夕紀(30歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6877 天道 狛(40歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea8562 風森 充(32歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb0139 慧斗 萌(15歳・♀・武道家・シフール・華仙教大国)
 eb0342 ウェルナー・シドラドム(28歳・♂・ファイター・人間・ノルマン王国)
 eb0938 ヘリオス・ブラックマン(33歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
 eb0939 レヴィン・グリーン(32歳・♂・ウィザード・人間・ロシア王国)
 eb1265 レーヴェ・フェンサー(35歳・♂・神聖騎士・シフール・ノルマン王国)

●サポート参加者

美芳野 ひなた(ea1856)/ 九十九 嵐童(ea3220

●リプレイ本文

●【転】ぬれねずみ
 前夜からの雨で川の水かさは増し、流れも早くなっていた。ヘリオス・ブラックマン(eb0938)とレヴィン・グリーン(eb0939)が川沿いに走るが、それとほぼ同じ速度でそれは、もしくはそれらは、流されていった。
「お久美さん! しっかりして、目を開けて!」
 ヘリオスが叫ぶが、反応はない。どこからか流れてきたらしい木の枝にかろうじて掴まり、顔は水の上に出ているものの、目は閉じたまま、血の気もない。冬の水にこのまま浸かり続けていれば、たとえ溺れなくとも凍え死んでしまうだろう。早く引き上げなければ、と焦るレヴィンの目に、木の枝にくっついている黒っぽい塊──子鼠がもぞりと動いたのが映った。同時にその重みで僅かに方向を変えた木の枝が、岸から突き出た倒木の根に絡まり‥‥止まった。
 二人は倒木に駆け寄ると急いで手を伸ばし、お久美を引き上げた。レヴィンはさらに、未だ水の上で定まらない木の枝にしがみついている子鼠(とはいえ、鼠というより犬のような大きさではある)も引き上げようとした。だが、伸ばした手を恐れてか、子鼠は枝の先のほうへ、岸から遠い方へ身をよじらせ逃げようとする。毛皮は濡れ、細い柔らかいひげには雫を溜め、がたがた震えているのが見て取れた。
「大丈夫‥‥恐くありませんよ。おいで」
 精一杯の優しい声で、レヴィンが呼ぶ。子鼠はぱちぱちと瞬きをした。やがて決心したかのように、レヴィンの方へ一歩を踏み出し、そしてその一歩を踏み外し‥‥濁った川面へと吸い込まれていった。鳴き声一つ上げず、静かに‥‥そしてそれきり、浮かんでくるのを見ることはなかった。
「‥‥帰りましょう」
 ヘリオスの言葉でレヴィンは立ち上がり、お久美を背負ったヘリオスと共に三倉屋への道を無言で急いだ。

●【起】鼠口終に象牙無し
 そもそも一番最初に三倉屋を訪れた冒険者は、天道狛(ea6877)だった。お久美が鼠に噛まれた時、たまたま通りがかり、治療を施していたのだ。傷は小さいながらも深かったが、達人並みの腕前を誇る天道の的確な処置のため、大事には至らずに済んだ。店の人間が顔を見知っている天道を筆頭に、冒険者達は依頼主とお久美のもとへ通された。
 そちらには行かず、三倉屋に到着するなりまっすぐ倉に向かおうとするウェルナー・シドラドム(eb0342)に、嵯峨野夕紀(ea2724)が声を掛ける。
「どちらへ?」
「先ず倉の荷物を運び出します。鼠を始末するにせよ、追い出すにせよ、その方が良いでしょう?」
「そうですか。断りなく倉のものを弄って問題になりたいのでしたらどうぞ」
表情一つ変えず言う嵯峨野に気圧され、ウェルナーの足が止まった。
「萌様や他の方がお久美様から事情を聞かれるそうです。それまでは現場検証に止めるべきでしょう。もっとも、そもそもお店の方に錠前を開けていただかなければどうしようもありませんが」
 言いながら、嵯峨野は前もって倉の周囲を検分するためにゆっくりと歩き始めた。
 三倉屋の客間では、御蔵屋の主人、新造、そしてお久美が揃って冒険者達を出迎えた。
「この度はお手間をおかけします。あの鼠のおかげで倉が丸まるひとつ使えずに、商いが難儀をしておりまして、おいでいただきまして助かりました。申し送れました、手前、当三倉屋のあるじで木兵衛と申します、どうぞお見知りおきのほど。それと、そちらの先生には先日娘が大変お世話になり、ありがとうございました」
 頭を深く下げる主人を制して、ヘリオスが本題に入る。
「ところで、鼠は殺すのか、それとも生け捕りでも良いのでしょうか? 人里離れた山に放すという方法もあります」
「囲って飼うというのはどうでしょう? 場合によって売り物にするとか」
 さらにレーヴェ・フェンサー(eb1265)が畳み掛けるが、主人は
「これは異な事をおっしゃる。小鳥であれば買い手もつきましょうが、鼠もねずみ、大鼠なぞ、どこの誰が金を出すと言うんです? 犬畜生ですら飼うのは大変、ましてや大鼠を飼うことなど酔狂も良い所でしょうな。それに、うちに居た鼠が万一他所様で悪さでもしたら、この三倉屋の看板に泥を塗ることになります」
「そ〜だよ〜、三倉屋さんの言うとおり〜。怖〜い病気の元だし〜、絶対無理無理〜」
 三倉屋の主人に同意したのは慧斗萌(eb0139)。
「萌っちの知ってる鼠はみ〜んな繁殖力が強くてどんどん増えちゃうし、歯が伸び続けるからいつも固いものをかじってないと死んじゃうんだよ〜。世話するの大変って言うか、飼えない飼えない〜」
「なら、せめて一匹だけでも」
 今まで黙っていたレヴィンが口を開いた。
「私は小舟町の棲家で動物の研究をしています。そちらの要望は倉から鼠が居なくなること、ですね? でしたら、私が引き取ってもよろしいですか? 無論、こちらにもう現れないことは保障します」
 レヴィンは豊かな動物知識を披露し、熱心に説得を続けた。少しの間、三倉屋の主人は天井の辺りへ目を走らせ、考える風を見せた。今までうつむいていたお久美が顔を上げ、父親の顔をじっと見ている。
「‥‥そこまでおっしゃるのでしたら」
 ほのかに薄日が差したような空気になった。
「一匹だけ、ですね? それと、ひとつ条件を。ここからお宅まで運ぶのにどんな檻を使うのか、見せて貰います。錠前もきちんとしてるものでなけりゃ、万一途中で逃げたらどういうことになるのか、恐くて怖くて」
 檻、という言葉に、再び場の空気が止まった。
 そんなものを用意している者は誰も居なかった。

●【承】窮鼠猫をかむ
 三倉屋の主人が客間を去ったあと、天道がお久美の傷の経過を見ると言い、お久美の母に湯を持って来るように頼んだ。お久美の母が場を外すと、天道は
「さて、と」
 と、お久美に向き直った。
「手を見せてもらうわね、お久美ちゃん。‥‥ああ、もうほとんど大丈夫ね。このままでもいいけど、念のために術を使うわね?」
 数珠を取り出し、押し戴きながら呪を結ぶ。黒真珠のような淡い光が一瞬彼女の身を包み、同じようにお久美をも黒く淡い光が取り巻いて、すぐに消えた。
「もう一週間もしたら、きっと傷跡も残らないわよ」
「ありがとうございます」
 小さな頭をぺこりと下げるお久美の手に、また包帯を巻きなおし、天道は少し身をかがめてお久美と同じ目線まで顔を落とした。
「あのね、お久美ちゃん。怪我した時の事、教えてもらえるかしら?」
 少し、間があってから、ぽつりぽつりとお久美は語りだした。『茶々丸』がくんくん自分の手を嗅いで、それからすり寄って来た事。『茶々丸』の頭をなでていたら急に『茶々丸』が逃げた事。逃げたのを追ったら、もっと大きな鼠が飛び掛ってきて、手を噛んだ事‥‥。
「だからね、茶々丸は悪くないの。悪く、ないのっ‥‥」
 ぎゅっと着物の袖を握り締めて、泣きそうな顔で訴えるお久美。
「俺達はこれから蔵にいる鼠を退治するつもりだ。少なくとも倉からいなくなるだろうねぇ‥‥それでいいのかい?」
 風森充(ea8562)が言うと、お久美はぎゅっと唇を噛み、うつむいてぽろぽろと涙をこぼした。天道が指で涙を拭ってやるが、お久美の涙は止まらない。いいわけがないのだ。
「‥‥人であっても、動物であっても、いなくなるのは寂しいですね。でも、お久美さん。あれは茶々丸じゃない。鼠です。鼠を茶々丸だと言っては、本当の茶々丸が悲しむのではないですか?」
 ヘリオスの言葉にも、お久美はただただ泣くばかりだった。
 風森は懐から横笛を取り出し、唇に当て、吹き始めた。どこか物悲しい調べがあたりを流れた。

 三つの倉の周囲は嵯峨野たちによって一通り調べられ、倉の一つ──お久美が鼠にあったあの倉だけ、僅かに鼠の通り道らしき隙間があるのがわかった。念のために他の二つの倉の錠前をあけて中を見たが、やはり鼠の痕跡らしきものは無かった。
 手伝いに来た美芳野ひなたや九十九嵐童達の手も借り、問題の倉から荷物の運び出しと、逃げ道封じのために見つけた隙間や通風口などに板を打ち付けて塞ぐ作業が行われた。三倉屋には了承を得ているので気兼ねは無い。
 通風窓も何もかも塞いでしまえば、火の気の無い倉の中はかなり暗くなるが、その点でも冒険者達は対策を立てていた。間口三間の倉のおもて、入口付近に天道が陣取る。風森、慧斗、ウェルナー、ヘリオス、レヴィン、レーヴェは倉の中に入り、嵯峨野は万一鼠が外に逃げ出してきた場合を考え、倉に入らずに忍者刀を手に待機した。
 レヴィンがブレスセンサーで、息遣いを確かめる。冒険者以外の生き物が確かに五つ。二つはやや大きい。場所を他の冒険者に指示し、それぞれが鼠を探す。
 レーヴェはシフールである事を活用し、飛びながら探す。光が入口からの一方向のみで物陰になっている所もあったが、優良な視力の持ち主であるレーヴェには苦にならない。早速天井のはりの所に子鼠を一匹見つけ、十手で攻撃を仕掛けた。はずみで鼠は落ちたがうまく受け身を取ったらしくそのまま隅へと走る。そこにはウェルナーが待ち構えていた。だが忍び歩きで気配を消していたためにネズミは気づかず、左右に一振りずつの短刀を構えるウェルナーの元へ走る。ウェルナーは鼠に苦痛を与えぬよう一撃で切り捨てるため、その刃を渾身の力で振り下ろす。
 キン、という金属音がした。
 疾風の術で駆けつけた風森の短刀に弾かれたのだ。もしウェルナーが両手効きというだけでなくダブルアタックの使い手であったなら、一刀は間違いなく鼠の腹を切り裂いていただろう。
「‥‥血が多く出る殺し方は止めた方がいいでしょう‥‥」
 先程の遊び人を思わせる口調と今の忍び装束姿の彼とは別人のようだった。風森の言うとおり、倉の全てのものを運び出せたわけではなく、汚れは少ない方がいい。また、血の匂いは換気の悪い倉の中では好ましくないと思われた。
 なら、とウェルナーは今度は短刀をくるりとひっくり返して逆手に持ち、怯える子鼠を貫いた。きいきいと悲鳴が上がる。短刀の一撃では命を奪うには至らず、まだ戦闘は続いた。
 また別の方では慧斗が飛び回り、囮役として奮闘していた。敏捷性を活かし、追いたてたり追われたりかわしたり。ラビッと飛ぶぴょん、とばかりに兎跳姿も活用。相手が動いても目の良い分きちんと追いかける。
「萌っち狭い倉の中でも全然平気だよ〜」
 だが後ろにまでは目がついていない。たまたま逃げ惑う鼠の一匹が慧斗の背後からどん、とぶつかった。
 余裕の表情を見せていた慧斗の口元が引きつった。
「‥‥いってーじゃねーか‥‥うぉいコラどこに目ぇ付けとんじゃワレ! チョーシこいてんじゃねェこのド畜生が、俺様の羽根に毛程の傷でも付けてみやがれ、そん時ゃ‥‥吐いた唾飲まんとけよコラァ!」
 半径3m内が固まった。逃げていた鼠さえ片足を上げたまま慧斗を見ていた。
「‥‥やだな〜演技だよ演技〜。萌っちは可愛いシフ〜ルだも〜ん、テヘッ♪」
 ウインクして舌を出してみたりしても、世の中取り返しのつかないことというのはあるかもしれない。

 鼠退治は思っていたよりも難儀な仕事だった。倉を汚したり壊したりする事がなるべく無いよう、地道に戦闘を繰り返す。2匹ほどはもう戦意を喪失してひたすら逃げ惑っていたが、それも息の根を止めるまで追わなければならない。
 やっと一匹を仕留め、断末魔の声が倉に響いた時、ホーリーフィールドを展開後ミミクリーでの白虎への変身と併用して入口を守っていた天道の横を何かが通った。
「茶々丸! おいでっ!」
「お久美ちゃ‥‥っと、あらやだ」
 ミミクリーが解けた身体を慌てて毛布で隠す。たたたた、と小さな足音が倉の奥から駈けてくる。ホーリーフィールドの効果はとうに切れていた。慌てて呪を結び直すが、再び結界が張られるよりも、お久美が駈けて来た子鼠を抱いて倉の外へ走る方が早かった。
 討ちもらした鼠を退治するために忍者刀を構えていた嵯峨野も、全く予想外の事態に動くことが出来なかった。
 倉の中から二人が走り出てお久美を追った。ほかの冒険者達は離れられない、まだ倉の中には生きている鼠がいる。
 お久美は傷ついた子鼠を抱えて走る。子供ならではの細い抜け道を使ったり、地の利は心得ている。追う者がもたついていると、お久美の悲鳴と水音が聞こえた。駆けつけてみると、川のへりに、赤い鼻緒の切れたぞうりが片方だけ転がっていた。濁った河の流れに子供が流されているのを見つけ、二人は走り出す。

●【結】三宝に登りて追はれ嫁が君
「動物を大事に出来なければ、人も大事に出来ないですよね。きっとお久美さんは優しい大人になりますよ」
 出された茶を手に、ヘリオスが誰に言うとも無く呟いた。その時、そばの布団から小さなうめき声がして、部屋の中の面々はそちらに目をやる。
「う‥‥ん‥‥」
 ようやく目を開けたお久美の頬にはだいぶ赤みが戻っていた。二度も彼女に応急処置を施す羽目になった天道はほっと安堵した。安堵したのは天道ばかりではなく、お久美の親や店の人間や、あるいは冒険者達や、見守っている者は皆そうであったろう。が、一人レヴィンは硬い表情を浮かべていた。天道がお久美に問う。
「大丈夫? 寒くない?」
 お久美はこくんと頷き、周囲を見回して尋ねた。
「‥‥茶々丸は?」
 一瞬、沈黙が訪れた。レヴィンがかすれた声で言葉を紡ぐ。
「‥‥茶々丸は」
 それから深く息を吸って、微笑んだ。
「茶々丸は、安心して住める所にお引っ越ししましたよ。だから心配しないで、早く元気になって下さいね」
「なんだ、やっぱりそうなのね」
 やっぱり、という言葉を聞いて、どういうことかと三倉屋の主人がお久美に尋ねると、
「さっきね、茶々丸が来たの。わたしに、さよならって言ったの。だけどね、夢の中ならまた会えるって。あとね、いっぱいお話したんだ‥‥えっとね、えーと‥‥」
 夢の中の話を、眉間に小さなしわを寄せて一生懸命思い出そうとするお久美。
 やがて、にっこりと笑い、まっすぐにレヴィンの顔を見て言った。
「ありがとう、って」