●リプレイ本文
●犬も食わない甘いもの
天螺月律吏(ea0085)は梅雨の湿気もかくやとばかりのじっとりした目で、一人の男を見つめていた。視線の先にいる白河千里はひたすらブツブツと呟き続けている。十三の黒丸が描かれた看板の前で、
「とうみつやのかしとうみつやのかしとうみつやの」
天螺月の目がすうと細くなり、眉間にくっきり皺が寄った。
「‥‥何しに来た」
「何って、口移しで酒を飲ませた詫びを言うためだが」
悪びれもせず答える白河に、‥‥ふーーーー。と深い深いため息をついて、天螺月はぷいとそっぽを向いた。
「まだ、時間、かかるか? ルゥナ、準備、おわった」
まるでさっきまで山で獣と暮らしていたような、服というよりはぼろ布に近いものを纏ったルゥナ・アギト(eb2613)が目を輝かせながらかけた言葉に、天螺月はくるりとそちらを向いて、
「いや、もう済んだ。行こうか」
言い放つが早いかさっさと樽を載せた馬と一緒に歩き出す天螺月。紅い髪がふわりと揺れなびく。
天螺月の友である天城烈閃(ea0629)も南雲紫に用意してもらった樽を馬の背に載せ、清水の湧く山への道を歩き始める。トール・ウッド(ea1919)の戦闘馬を世話していた楠木麻がその手を止め、いかにも暇でたまらないといった顔の馬のあるじに手綱を引き渡した。
神皇家への献上菓子に関る依頼ということで志士の参加もあり、中でも鷹波穂狼(ea4141)は七尺余りの大柄な体をふるふると震わせていた。
「この鷹波穂狼、志士として神皇様の為にはいつなりと一命を投げ出す所存なれば今回の依頼、誠に光栄の極み。ってか、あんな健気な神皇様の為なら清水だろーと何だろうと、黄泉人蹴散らして持ってくるって!」
その目には炎が燃えて‥‥むしろ萌えていた。
同じ志士でも御神楽澄華(ea6526)は穏やかに、
「黄泉人との決戦にそれに絡む多くの思惑…神皇様の心労、一志士である私に計り知れるものではありませんでしょう。せっかくの機会、お菓子を納めるだけとはいえ僅かなりともお力添えが出来れば」
と獣が出たときの用心のために木刀の準備をしながら呟いた。
冒険者達の見送りに店の前に出たかのこが、かち、かちと火打石を切った。金赤色の火花がはぜるのを見ながら、壬生天矢(ea0841)はかのこに向かって微笑みかける。
「服が汚れるのは好みではないが、お嬢さん、あなたのためなら例え手足が泥に埋もれようとも力の限りを尽くそう。その後で、あなたさえ良いのなら、一緒にお茶でもいかがかな?」
かのこはにっこり笑って答えた。
「ええ、もちろんです。うちのお菓子を食べながら、皆さんでお茶にしましょう! 京のお茶はとても美味しいんですよ」
‥‥何かが微妙にずれていた。
「お気をつけて、いってらっしゃいませー!」
冒険者達の後姿を見送った後、店に入ろうとして、それを見てしまったかのこがびくっと立ち止まった。
「‥‥無視された‥‥」
入口脇で白河が、膝を抱えてどんよりと座っていた。
●天気快晴、気温34度4分
山道の両脇を彩る潅木は夏らしく生い茂って、ともすれば見失いそうになるような細い道の上いっぱいにせり出し、よりいっそう道を分かりにくくしていたが、森林の土地勘がある壬生や山道の歩き方を心得ている鷹波などが先導を勤め、一行は迷うことなく目指す清水の元への距離を縮めていった。ただ、馬が楽に通れる道は無かったので、適当に枝や草を払いながら進むことになったのだが、それに向いた得物を持っていた者が非常に少なかったため、進み方は人だけが歩く速度よりも遅いものとなった。既に昼を過ぎ、高く上った陽がじりじりと照りつける。少しの風が吹くことも無く、水無月にも関らず、既に真夏のような暑さであった。
「特に獣が出るようなことも無いようだが、油断してはいかんな」
神山明人(ea5209)がそう言った矢先。
近くの茂みががさりと揺れた。咄嗟に神山は両手で印を結び、詠唱を始めた。冒険者達も得物を構え、茂みの中から出てくる何かを待ったが、それが姿を現すよりも神山が詠唱を終える方が早かった。神山のかざした手から陽炎のようなものが揺らめき出て辺りを覆った。春花の術である。その香りは嗅いだ者に対し、激しい眠気を与える。効果は抜群だった。
天螺月、壬生、トールの三人を残し、冒険者達はばたばたと香りの魔力に抗えずに夢の中へと落ちていった。眠り自体は起こせば起きる類のものだったので、揺り起こしたりすることで目を覚まさせることが出来たが、術者である神山までがすやすやと寝息を立てていたのはいい土産話になりそうだった。
力あるものは力の使い方を学ぶ必要があるだろう。
先程茂みで音を立てたものが獣であったのかなんだったのかは判然としないが、ともあれ、冒険者達は先へ進むことにした。里山とはいえ野宿の支度をしている者は居らず、必要以上に道行に時間がかかってしまっている以上、戦闘でさらに余計な時間や体力を使うのはどう考えても得策とは言えなかった。
「まだ遠いのでしょうか?」
「いや、もう少しのはずだ。かのこさんに聞いた話では、葛が生い茂った一角に、誰が植えた訳でもないのにくちなしの木が群生している場所だそうだ。この時期なら花も咲いているのだろうな」
やや疲労の色を滲ませながらの御神楽の問いに、天城も額に浮かんだ汗を拭いながら答える。
「くちなし?」
ルゥナが首をかしげた。壬生が少し考えるようにして言う。
「くちなしは白い花で、とても甘い香りがする‥‥まるで、汚れを知らない乙女のような花だ。そうだ、かのこ殿への手土産に一枝手折っていこう」
「しかし、花が咲いているという事は虫も寄ってくるということだが、水に虫が落ちたりしないよう、気をつけねばならんな」
トールの言葉を聞いて、天螺月が口元を緩ませた。
「その点は心配ない、秘策を用意してある‥‥なあ?」
「おう!」
天螺月の目配せに、筋肉質な逞しい腕を自信ありげにぐいと突き出してみせる鷹波。
そのとき、ルゥナが急にふんふんと辺りの臭いをかぎ始めた。
「甘いにおい、近い」
「ああ。俺もくちなしの匂いを感じるぜ」
神山も同意する。
それから一時間ほどした頃、冒険者達は白い花の甘い匂いに囲まれた、一筋の清水を見出した。
●葛の葉の影の清明な玉泉
一陣の風が吹いた。岩肌をびっしりと覆う蔦の葉越しに吹く風は、冒険者達の汗を心地よく冷やしてゆく。
「ここは、なかなか良い風が吹くな」
天城は胸いっぱいにくちなしの香りを吸い込んだ。
トールやルゥナが馬の背から樽を下ろす。真新しい杉の樽は大きいものと小さめのものと二種類が用意された。力仕事が得意な者が集まったのは、水運びの仕事としては僥倖と言えた。
小さな滝のようにちょろちょろと切り立った山肌を流れ落ちる、清涼な清水。渇いた喉を潤すために、それぞれが手ですくって口に運ぶ。じりじりとした暑さの中、それは驚くほど冷たかった。
「ふむ‥‥良い水だ。確かにこれなら、神皇様にも喜んでいただける菓子ができるというのも頷ける」
天城は納得して小樽の中に清水を汲んだ。汲まれた清水は鷹波に手渡される。
「神皇様からいただいた水魔法だ。こーゆー時に使わなくてどうするんだ! ‥‥ってな」
先に清水で洗い流した手で、清水に汚れを入れないよう、慎重にクーリングの魔法を使う。小樽の中の液体は瞬時に結晶化した。丁寧に栓をして、それから大きい樽にさらに詰められた。天螺月が言っていた秘策とはこのことである。
「これだったら虫などの被害は最小限にとどめられるし、小さい樽からこぼれるようなことも防げる」
樽の中は先に御神楽が丁寧に拭い清め、虫が入ったり中身が出てしまうような穴なども無いように、十二分に点検されていた。
「この手で調達した水が神皇様のお召しあがりになる菓子へと変わるというのも‥‥まこと、縁や機会というのは思わぬところに転がっているものですね」
感慨深く、御神楽は呟いた。この国に生まれ育ったものであり、志士であれば尚、神皇という特別の存在に対する思いはことのほか深い。
「しんのーは偉いのか? ならあのこども、このくにの酋長」
ルゥナは拙い日本語でうんうんと頷く。
持って来た樽が全て満たされると、冒険者達は帰途についた。茂る葛の葉がさよならをするようにさややと鳴った。
●甘い三角野郎
鷹波が心配していたのは、こうして凍らせて持って来た水が菓子として使うのに問題はないのだろうか、ということだった。出立前にかのこに尋ねてみたが、今まで凍らせて運んできた前例がなかったのでかのこにも判断は出来なかったのだ。とはいえ既にこの暑さで大半は水に戻ってしまっているが。
かのこが杯に清水をとって、匂いをかぎ、唇をつけた。眉が驚いたように上がり、それから、笑顔を浮かべた。
「おいしい。今年の水無月は最高の物ができそうです」
菓子作りの間、ルゥナと鷹波、天螺月だけが見学を申し出て、菓子職人たちが水無月の菓子を作るところをじっと見ていた。何種類もの粉を決められた分量に計り、冷たい清水で湿し、甘葛を加え。型に流し込まれたものがほうほうと蒸し上げられる。職人達も見学している鷹波たちも、蒸気の中、汗を流した。一度蒸すだけではなく、その上にかの子豆を散らしてから、もう一度蒸す。蒸気はもうもうと噴出し、しまいにはルゥナは犬のように舌を出してはぁはぁと息をした。
そんなへ張り気味のルゥナの前に、ひょいと手が伸びた。その上にはひとかけら、小さな三角形が載っている。ルゥナが見上げると、それは職人の一人だった。
「ひとかけ、食べてみるか?」
ルゥナは目を輝かせて顔一杯に笑顔を浮かべ、職人から菓子をひったくると、一目散に表に駆け出した。
「ちょっと待て、それは神皇様のだーーー!!」
鷹波の怒鳴り声も既に届かない。手近な木の上に駆け上がり、ルゥナは一人悠然と、とろけるような甘い三角形を頬張った。
「まあまあ、そんなに怒らんでも。神皇様には一番美味しい所を召し上がっていただくんですから、皆さんもどうぞ気にせず召し上がってください、年の残り半分が息災でありますように」
かのこに宥められ、鷹波も恐縮しながら水無月を受け取った。ぷるん、と、もちもち、が合わさったような食感で、冷たさで言えば氷の方がよほど温度は低いのに、口に入れた途端にすっと体温が下がるような気がするのは、さすが暑気払いの食べ物の本領発揮といった所か。
おずおずとかのこに天螺月が申し出る。
「‥‥なぁ、少しお裾分けを頂く訳にはいかんのだろうか? 献上品だから‥‥やはり駄目、かな? いや‥‥一口くらい味合わせてやりたくなってな、あの甘味魔王に」
言い終わり、くすりと天螺月は笑った。かのこは天螺月を見て、ええ、ようございますよ、と言って、一緒にくすりと笑った。
もっとも、天螺月はこのあと、かのこに託された白河からの手紙にたった一言『土産よろしく』とあるのを見て
「‥‥お・ま・え・が・わ・る・い!」
と絶叫することになるのだが。
●御所
献上菓子は天城の提案で竹のすのこの下に融け残りの氷を入れたうつわに収められた。
「同じ歳の子らであれば、ほとんどはまだ親に甘え、友と野山を遊びまわっている頃であろうに‥‥。その上、亡者達との戦いの際には、神皇様も大変苦労しておられたようだからな。せめて、菓子を食う時くらい少しでも楽しんで頂きたいと思う」
しみじみと天城が言う。黄泉人との戦いは非常に大掛かりなものとなった。国同士の争いは絶えることがないが、国という枠組みを超え、『神皇軍』として人が集ったのは、実に久方ぶりのことだった。それほどの難敵である。
「‥‥神皇様って‥‥可愛いよな。俺はガタイがでかいせいかあんな小さくて可愛い神皇様見るたんびに、神皇様の為なら、とか思うんだよなー」
こちらはまた少し違う意味でしみじみと鷹波が呟いた。手にはついでに十三ツ屋の職人にこしらえてもらった葛きりを携えて。広い御所、いずこに彼の人のあるやとも知れず。視線は屋根の稜線を端からなぞっていくばかり。
「神皇様に限らず、御所に勤めておられる方々はお忙しいでしょうし、手短に用件を済ませたほうがご迷惑をおかけする事もないでしょう。少々残念ではありますが‥‥それでも、人の為に剣を振るい続けていれば、また何かの機会もありましょう。その時までに更なる精進を、ですね」
御神楽は慰めるような口ぶりで言った。それは同時に自らを納得させようとする言葉でもあったのだろう。
礼服を持ち合わせているものは冒険者の中には居らず、衛士の先に進むことも出来なかったが、菓子をかのこ達に託して、それぞれ紅柄で塗られた柱の奥に思いをはせた。
一年の半ばを過ぎて、人を思い人に想われる者たちがこれからも健やかでありますように。