●リプレイ本文
●承前
夕焼けが赤かった。帰路をたどる老人の前に、夕日を背にして男が立った。
「桐野様とお見受けいたすが、相違ないか」
「いかにも」
4人の男に囲まれ、只の物取りにしては様子がおかしいと老人は悟る。腰の太刀に手をかけ、何者だ、と誰何した。
男たちは皆黒い布で顔を巻き、隙間から目だけをぎょろりと光らせて。
布越しのくぐもった声が
「源徳様の命により、お命頂戴いたす」
と言い放った。
老いたりとは言えど、刀握る手のまめは未だ硬い。気力は決して負けぬ、と、老人は愛刀を抜き放ち、切りかかる黒装束の男たちと遣り合った。
年甲斐も無く、というよりは多勢に無勢としておくべきか。騒ぎに気が付いた警備の者がその場に走り着たときには、老人の装束は血の色に染まっていた。ただ、己の血のみではなく、幾太刀か呉れてやった、その返り血も絹目には染み込んでいた。
逃げ去る血染めの足跡を警備の者は追ったが、曲者を捕らえることは叶わなかった。
●海上
風涼しく陽は暖かな秋の午後、甲板の端でうつらうつら、老人は舟をこぐ。そんな依頼人に、和泉琴音(eb0059)はそっと単衣を着せ掛けた。出発時の怪我は天道椋(eb2313)のリカバーのおかげで跡形も無く、老人の身体のあちこちに巻かれていた血のにじむ包帯も、今は解かれている。だが、旅の疲れにはリカバーの効き目も及ばず、流石の老人でも応えた様だ。
「桐野さんの様子はどうですか」
神哭月凛(eb1987)がそっと覗き込んだ。
「よく眠っていらっしゃいますよ。船酔いにもなっていらっしゃらないようですし。きっと神哭月様がお貸しした、船乗りのお守りのおかげでしょうね」
「御高齢の上に怪我までされていたから、力になって差し上げたいと思ったのです。役に立てているのなら、良かった‥‥」
神哭月はごくわずか目を細め、眠る老人の首にかかった貝殻の首飾りを眺めた。
「なにやら訳がありそうな方ですが、どうされたのでしょうか。ですが、下手な事は聞かない方が良いのでしょうね‥‥」
「そうですね。あの怪我といい、何やら御事情があおりの御様子‥‥お孫さんへの品というのも、おそらくは虚言でしょうね。『して差し上げられる』などという物言い、普通は己より尊き御方に対してしか申しませんもの。けれど『偽』は人の為と書きます。偽るからには相応の御事情なのでしょう」
和泉はふいとよく晴れた空を見上げた。
「もう少し日が翳って来たら、起こして差し上げましょう。お風邪を召してしまっては、道中が台無しですもの‥‥あら?」
くるりといぶかしげに振り返った和泉につられ、神哭月もそちらを見るが、何があるでもない。
「何か?」
「いえ、今、そこに何か‥‥走っていったような気がしたものですから」
神哭月に向かって苦笑いしながら、和泉は首をかしげた。
●承前・2
老人は仕える主に頭を深々と下げ、自分の身に降りかかったことを申し述べた。
その場に居並ぶ女官の一人が顔を曇らせた。
「‥‥噂を耳にいたしました。遠く江戸の地にて、神器が‥‥神剣『草薙の剣』が見つかった、とか」
「されど、神剣は帝のお膝元に安置されているのでございましょう? 江戸などにあるはずもない、ここに神剣はおわしますと、取り出して見せれば済む話でございます」
若い女官が軽蔑したように笑うが、年かさの女官はかぶりを振った。
「たかが噂の為に神庫の封を紐解くなど、そんな恐れ多いことは出来ますまい。まだ江戸で直接その神剣とやらを確かめた方が早いというものでしょう‥‥大祐」
だいすけ、と名を呼ばれた若い殿上人がかしずく。
「そなた、江戸へ行き、噂の真偽を確かめて参れ」
「恐れながら」
女官の言葉を遮り、老人が毅然としたまなざしで面を上げた。
「その役は私に仰せつかりとうございます。大祐は未だ剣においては未熟。引き換え私めは、老いたりとは申せ、侍従として長年勤め上げてまいりました、引けを取るつもりはございませぬ」
「しかしそのようにお怪我をされて、なんといたします。冷や水はおよし下さいませ」
若い女官だけでなくあちこちで失笑が漏れるのを老人は聞いた。しかし、懸命に訴えた。
「このお役目を頂けるのであれば、この爺めは隠居をしてもかまいませぬ。その時には大祐に侍従の任を譲る所存にございます」
「‥‥あいわかった」
澄んだ、鈴を振るような声が響き、御座の間のざわめきは一瞬で静まった。
「行って参れ、江戸へ。無事に、な?」
「ははっ」
●追い手に帆掛けて
のたりのたりと船は進んだ。実際にはかなりの速度で進んでいるはずだが、水平線を眺めていると、風景があまり変わらないので、それほど早さを感じない。穏やかな天気に恵まれて波の上下もほとんど無いのが、幸いであると同時に、単調さに拍車をかけていた。
大部屋の船室には冒険者と依頼人のほかに数人の客が居て、寝起きしていた。荷物に混じり、所在なげに老人がぽつんと座っている。
「ふあぁ‥‥」
老人はあくびを一つした。
「暇そうだなあ、爺ちゃん」
出し抜けにぽんと肩を叩かれ、老人は目を剥いて振り返る。声の主は天道だった。
「いきなり驚かせるでない。驚いてあごを外すところだったわい」
「や、悪い悪い」
そう言いながら、悪びれている様子も無く天道はにこっと笑った。
そして、桐野老人の荷物らしい大きな長持をぽんぽん叩きながら
「しっかしでっかい荷物だなあ。何が入ってるんだ?」
と尋ねる。
「知らん。そもそも小僧風情が気安く触るものではないわ」
老人はあわてて天道の手を払い、あからさまにむっとした顔で答えた。
「あ、判った。爺ちゃんが貰った餞別か何かだろ。なあなあ、爺ちゃんがお仕えしてる人って、どんな人なん?」
ニコニコと尋ねる様子は、持ち前の童顔も相まって、ただ無邪気に質問しているような──とてもかまをかけているとは思えない。
「そうじゃな。一言で言うと、萌え、かのう」
「‥‥‥へ?」
「早春の、嵐山あたりの木々の葉が、まだ小さな芽を寒風に晒しておるのに似ているかのう。けなげで愛らしくもおいたわしい」
老人は目頭を押さえ、鼻をすすり上げた。天道、訳がわからず、言葉もなくただ見守るだけ。
そこへ天馬巧哉(eb1821)が姿を見せた。
「なんだ、桐野さん、ここに居たのか。京都の菓子でも一緒にどうかと思って探してたんだ」
「ほう、京都の菓子ですか。それは是非。食べつけぬものはこの年だと腹を壊しますでな」
気を取り直したらしい老人に、天馬は包みを差出し、自らもしょうがの風味のある、ほの白い欠片を指で抓んで口に運ぶ。天道にも勧め、男三人、船室で黙々と口の中をじわり、甘くした。
「お孫さんへ届け物だって? 怪我してるのに急いで江戸に行くなんて、よっぽど大事な届け物なんだな。あんたのお孫さんは幸せ者だ」
天馬の顔に愛想の色は薄く、決して調子取りでそう言っている訳ではないらしいことが見て取れる。
老人は少し照れたそぶりであごひげを何度も撫でた。
「‥‥って、かく言う俺も京都に来たばっかりですぐとんぼ返りなんだけどさ。江戸の情勢が何やら不穏とかで知りり合いから呼び出し貰ったんで。ゆっくり里帰りもしてられないから、せめて土産に京都の菓子でも、って思ったらたくさん買いすぎちまった。久々に京都に来るとあれもこれも美味しそうに見えるんだもんな」
「ああ、都のものは何しろ天下一。江戸には外国から、良いにつけ悪いにつけ、種々雑多なものが入ってきていると聞き及ぶ。しかし日の本の国の都は、あくまでも京。神皇様のお過ごし遊ばされる街こそがもっともわが国らしいのだ。今は忌々しい黄泉人どもめが、厚かましくも顔を出しておるが」
口ひげに菓子の粉をつけたまま老人は熱弁を振るった。
「そうだ桐野さん、残った分の菓子、良ければお孫さんにどうかな? 届け物と一緒に持っていけば喜ぶんじゃないかと思うぜ」
「お気持ちありがたいが、だが、受け取れぬよ」
「どうせ買いすぎた物だから遠慮はいらない、ってかむしろ引き取ってもらえると助かるんだがな?」
遠慮する老人に、半ば無理やり押し付けるように包みを握らせ、天馬は口元を緩めた。
●船上にて奏を奉ず
道中も半ばを過ぎて、老人のあくびの回数は増えた。船室に居るよりは、ぼうっと船のへさき近くで行く道を見つめていることが多い。心ここにあらずの体。下手をすると抜けた魂がそのまま戻ってこずに昇天してしまうのではないかと杞憂を覚えるほど、日の出ている間の多くの時間を老人は甲板で過ごした。
冒険者たちはあらかじめ決めていた手はずのとおりに、余興を開始した。
老人はその日も長い一日を甲板で始めていた。その耳に、
びいん、
琵琶の音が響いた。老人は海から音のほうへ、ぐるり、目をくぐらせた。
舞手は二人、天馬と神哭月。特に舞の装束を調えていたわけではない。でも陰陽師の修行を共に学んだ仲の二人だから、舞の足取りに少しばかりおぼつかないところがあるものの、呼吸はしっかりと合っていた。
手をかざし、反対方向にくるりと回り、背中合わせになり。数歩進み、振り返り、すれ違い‥‥。
天道は己が琵琶「檜皮雅」の鶴首をしっかりと支え、涼やかな音をかき鳴らす。その度に琵琶の腹板に施された美しい螺鈿が、日の光を虹色にはじき返した。
琵琶の音を流れ行く波とするなら、その波の上を飛ぶ白鳥のように、横笛の音は奔った。芸事の腕では達人の粋に達しようとする和泉の笛は、けれどでしゃばることはなく、時に波の影に身を潜め、時に舞手の動きに寄り添うように、ひらり、ひらり、鳴った。
この船が無事にたどり着きますように。
少しでもこの舞が気晴らしになりますように。
想いを乗せて、楽の音は船上から空へ、そして海へ吸い込まれていった。
ただ一曲の舞と奏楽であったのに、終わったとき、それぞれの額には汗がにじんでいたり、玉になっていたりした。
●客
夜になり、雲のない空には満天の星が輝いて、べたりとした海をうすら明るくした。
静守宗風(eb2585)はむくりと起きて、辺りを見回し、雑魚寝している仲間と老人の寝息を確認した。事を起こすのにわざわざ逃げ場のない船内でするよりは、逃げ場のある、つまり上陸間際のほうが安全である。だから目的地に近づいた今のほうが危ないということになる。
静守は船内を見回り始めた。
老人が刀傷を負っていたことから考えて、襲われたのは確かだ。静守はその事について何回か尋ねてみたが、答えはいつもはぐらかされた。
如何なる訳があるかは分からないが、狙われているとすれば刺客が既に船内に入る込んでいる可能性もあるし、夜の闇に紛れて船外から急襲されるということもある。気は抜けない。静守はそう考えた。
静守は抜群の夜目を持っていた。その目で、船内をゆっくり見て回る。
一周して船室に戻ったとき、依頼人の姿がないのに静守は気づいた。たまたま厠に立っているだけかもしれない。性急に仲間を起こすようなことはせず、一人、探しに出た。
歩いているうち、暗がりで何者かが動いたのを見咎めた。
「‥‥何者だ」
低い声で誰何すると、逃げる気配がした。
「‥‥丁度良い。あまり暇だと、腕が鈍る‥‥」
静守は急いで追う。まっすぐに追っていくと、甲板に出た。
桐野老人の声が聞こえた。
「おお、よしよし。しかしどうやってこの船に来たのだか」
「‥‥ご老体。今、ここに曲者が来なかったか?」
「曲者とは、この猫のことかの?」
声をかけた静守に、老人は撫でていた猫を抱き上げて見せた。
「この猫はの、怪しいものではない。どうやって乗り込んだものかは判らんが、『五位の女御』という、物の怪でもないれっきとした猫じゃ。いや待てよ。そうか、こやつ、荷に紛れ込んでおったのじゃな」
「‥‥猫、か?」
静守は脱力感を覚えた。そして、今にも抜こうと腰の日本刀に掛けていた手を外した。
●騒乱の息吹
そして船は江戸に着いた。神仏の加護でもあったのか、血なまぐさい騒ぎはとうとう一つもないままだった。
別れ際、静守が老人に尋ねた。
「‥‥江戸では何やら神剣がどうのと言う騒ぎになっているようだが、御老体はご存知か‥‥?」
「そういえばそんな話も聞いたな」
「‥‥言いたくないなら無理には聞かんが‥‥その怪我、ただの怪我ではあるまい? 御老体も気をつけられよ」
「ああ。まだ死ぬには早い。まだ見たいものがたくさんある」
だしぬけに神哭月が、まあ、と声を上げた。
「なんてきれい」
旅を終えた者たちが見やると、江戸の街の向こう、抜けるような青空に、白い稜線もくっきりと富士山が輝いていた。