●リプレイ本文
●山
山道を歩けばあちらでもこちらでも、木々の枝先からぷっくりと新緑色の可愛らしい芽が顔を出しているのを目にした。
桂武杖(ea9327)は今回の編成の中で唯一の男手と言うこともあり、仲間を気遣い振り返りながら進む。
速水紅燕(eb4629)はその耳の良さをいかして獣の足音でもしないかと耳をそばだてながら歩いていたが、今のところはクマだの猪だのの気配はなかった。兎やりす程度の小動物らしいのが、したしたと音を立てても、人懐こい動物ではなし、此方に人の気配を感じればさっと離れて行ってしまう。天気もよく、道行は穏やかなものだった。
足元は山登り用の長靴でしっかり固めた小鳥遊郭之丞(eb9508)と、山や森の土地勘を猟師の技能で得ている紅鶴いづな(ec1507)は桂たちよりはやや先行し、案内を務めるような形で歩いてゆく。
「要するに葛を持って帰ればいいのね? そういうことならいいんだけど‥‥もっと寒くないときに出来なかったのかな?」
「今年の風邪は春が近くなってから患者が増えたとか言う話だ。それで目算を間違って在庫を切らしたという所か。いずれにしても風邪を引くなど気合の足りぬ証拠だ、全く情けない」
「そうね。とっとと終わらせてしまいましょ」
「ああ。葛湯も旨かろうしな」
小鳥遊の何気ない一言に、ん? という顔で首をかしげる紅鶴。
「ひょっとして、実は葛湯、楽しみにしてたりする?」
「いっ、いや別に、そんなことはっ‥‥」
何故か急に何もない所でつまづきかけて、小鳥遊の腰に獣よけの為に付けられた神楽鈴がしゃりしゃりと騒がしく鳴った。明らかな狼狽を見せる小鳥遊の姿に、他の仲間もくすりと笑みを見せた。
山の麓に着いた辺りで西の空が赤くなり、冒険者達は野営を取ることにする。小鳥遊は暖を取るのと獣よけの為に、火を焚くそだ木を集めた。紅鶴の狩人の知識はここでも遺憾なく発揮され、松のたぐいは油を含んで燃えやすいが燃え尽きてしまうのも早く、煙がひどいだとか、逆にクヌギなどは火がつきにくい代わりに長く燃えるとか、薪に向く木の種類を説明してみせる。猟師の優れたものとなれば、山に一人きりで幾日も篭り狩を続けることもあるが、そこまでの手練れではなくても火の扱いはまず覚えねばならぬ。
二人用のこじんまりとした天幕が三張り並び、女性陣が手荷物と共に潜り込む。それを見守りつつ、桂は自分の天幕の中ではなく、寝袋を引き寄せる。出掛けにマハラ・フィーにこう言われたせいもある。
「女性が多いので守ってくださいね、女性は睡眠を良くとらないとお肌に悪いですしね」
自分の天幕から速水がひょいと顔を出し、桂に問う。
「ほんまにええの?」
桂は育ちの良さそうな笑顔で頷いた。
「寝袋は私が寝る物、女性達と寝る訳にもいかないのでね」
●夜
夜半に至り、円くない早春の月が淡く地を照らす中、野営の炎は絶えず灯っていた。
山の夜気は昼間とは格段に冷たいが、防寒服を着込んでいるおかげでそれも大したことではない。
桂はふと火に薪をくべる手を止め、ゆっくりと燃え続ける火から上方へと視線を巡らせた。
そこには、星。満天の星が輝いている。
「私の生まれ育った場所とは違うが、同じ星の光‥‥やはり、いいものだな」
そう呟き、懐かしげに微笑む。最も美味い水は故郷の水、最も親しいのは故郷の人間、という言葉が彼の祖国には在る。それでも、この国でこうやって生きていくのは決して悪くはない。
そんな事を考えていた時、天幕の外で眠っていた犬たちがぴくりと耳を立てた。ある方向をしばらく見て、やがて牙を剥き、低いうなり声をあげる。
夜のことだ、マムシでなくとも獣が徘徊している時刻なのは間違いない。火は焚いているが、まだ食べ物が十分とはいえないこの時期に、腹を空かせ、火への恐れより腹を充たすことを優先させる獣がいてもおかしくはないだろう。
桂は用心深く二本の龍叱爪を確かめ、戦闘に備えた。ちらりと天幕に目をやると、吠え始めた犬の声に、眠っていた仲間も起き出して用心深く天幕を抜け出す。最も早く起きて来たのは、桂と見張りを交代するつもりで早めに眠りについていた小鳥遊だった。
速水の言を容れ、天幕は茂みから遠ざけた場所に張りはしたが、ここは人の手の入った場所ではなく、木々と動物と、人にあらざるものが支配している場所なのだから、用心しすぎるということもない。
茂みが揺れ、姿を現したのは大きな猪だった。本来猪は昼間に動き回るものだということを紅鶴と小鳥遊は知っていた。あるいは、嗅ぎ慣れない幾つもの臭いで刺激してしまったのか。
紅鶴は野営地の周りに音の出る罠を仕掛けようとしたのだが、持ってきた猟師用の道具では少々不足があったためにどうもうまくいかなかったようだ。こういったものはむしろ忍者のように戦場における工作を得意とするものの範疇であろう。
火をつけておいたはずの提灯もなぜか消えている。もちろん火を灯してから油が切れるほどの時間は経っていたが、どうやら油が切れたわけではなく風か何かが原因の様だ。しかし、火打石を使い明かりを灯し直している余裕も今は無さそうだった。
猪は襲い掛かってくるわけではないが決して友好的な態度には見えない。
緊張したままにらみ合いを続け、どれほどの時が経ったのだろうか。
しびれを切らした小鳥遊が、
「ぐり」
と一声、供の名を呼んだ。
ばさりと大きな翼が羽ばたき、鷲の顔と獅子の半身を持つ獣が冒険者と猪との間に降り立つ。猪が大きいと言っても、グリフォンはその倍もある生き物だ。猪はもちろん驚いたろうが、それよりも。
きいきいと甲高い声が猪の辺りから発せられ、小さなひづめの音が転びながら走り去って行くのを、速水の耳がはっきりと捉えた。同時に大猪もきびすを返して山の闇の中へ消えていく。
無碍に争うことなく済んだ幸いに、桂は息を吐いた。ペットたちも飼い主も、それぞれが休息へと戻ってゆく。
夜は早くも明けかかり、うっすらと東の空に滲みかけた瑠璃色の光に、緊張を失った桂は欠伸を誘われた。その様子を見て小鳥遊は彼の肩をぽんと叩き、黙って彼の寝袋を指差す。小鳥遊の意図を察し、火の前の場所を譲ると、桂はごそごそと寝袋に入り、僅かな時間をまどろんだ。
●葛
事前にグラス・ラインが提供してくれた情報によれば、必要な箇所は根のみ。蔓は編んでかごを作ったり、またその繊維で布を作ることもあるとは言うが、今回の依頼においてはそれほど重要なものではない。その他、葛が生育を好む場所から見分け方まで、一通りのことを冒険者達は教わった。
「薬に使える場所持って帰る場所を特定できれば、余計な荷ぃは運ばんと、全部要るとこだけ運べるしな」
「量が必要みたいやからな、最大限効果を出すほうがええよ」
速水とグラスの会話を聞いて、小鳥遊は僅かに首を傾げたものだ。
「確かになるべく多目が望ましいのだろうが、一人当たりは250匁ほど在れば良いのだろう?」
「せやけど、ギルドで募集してたんは10人やから。人数が上限まで集まらなかったんや、少しでも多いほうがいいやろ? うちも持てるだけ持って、コリーにもほんの少し運んで貰うんよ」
なるほど、と頷くと、また小鳥遊は普段通り口数の少ない人間に戻ったのだった。
山中を探し歩き、小さな森の端のところで目的の葛を見つけると、一行は早速刈り取りにかかる。
葛藤、という言葉があるが、これは葛や藤のつるがごちゃごちゃと絡まりあっている状態からきた言葉だと言う。その言葉を実際に形にしたなら、きっといま冒険者達の目の前にあるような状態なのだろう。根の部分だけを掘ろうと言っても、あまりにはびこり過ぎて、どこに根があるのか見ただけでは見当がつかない。伸びた蔓を手斧やナイフで切り取りながら辿り、やっと土から生えている部分を発見してはスコップで掘るという作業になった。
ふんだんに生えているだけあって、一度始めれば仕事は早い。掘り出した根を一定の長さでまとめ、紅鶴は縄で纏めて柴犬に括りつけた。同様に小鳥遊は風呂敷にまとめ、ぱんぱんに膨らんだそれをグリフォンの背に。速水は最初のうちは炎の精霊魔法で知覚を高め、耳聡さを生かしマムシの警戒をしていたが、未だ駆け出しの域を脱しない魔法術では数分おきにかけ続けねばならないし、なにより神楽鈴が音を立てている状態では蛇の這う音を聞き分けるのは難しいことだった。やむを得ず葛の根を掘るのに専念し、持てるだけを抱えた。
帰ろうとした矢先、わんわんと急に犬たちが吠え始め、はっと見れば桂の足元に長いものがぶら下がっていた。流石に手斧やスコップを使うのに龍叱爪を付けたままではいかないから、今の桂は徒手である。小鳥遊はそれが蛇であり、体の模様から間違いなくマムシと判断して咄嗟に荷物の中から解毒剤を出す。速水は死角にも応じられる動きで素早くナイフを振るい、それは見事に三角の頭を地面に繋ぎとめた。
「早く傷口を‥‥その、応急手当‥‥」
微妙に口ごもりながらも小鳥遊は解毒剤を手に桂に言うが、桂が白い毛皮の長靴を脱ぎ、足首から脛にかけて厚めに巻いた布を取り去ってみると、そこに傷はなかった。
まさに、備え有れば憂い無しというものである。
帰り道、マムシは何回か見掛けはしたが、避けて歩けばどうということもなく、解毒剤の小さな壺の蓋は、結局最後まで一度も開封されないままだった。
●薬
依頼を寄越した医者のところへ行くと、案の定、人で賑わっている。広くもない診療所の入り口にたむろって居るのはあまり裕福そうに見えないものばかりだった。小さな子供をおぶい、腕には赤子を抱き、その他にも子供を引き連れて途方に暮れた顔の母親や、座り込んで咳き込む老人の背をさすってやる男や、熱があるのかぼうっと宙をうつろな目で眺める娘や。概して子供と老人が多いようだった。
診療所の手伝いをして居るらしい女性が裏口へ回るよう言い、それに従って冒険者達はやはり小さな木戸口をくぐる。
「助かりました」
と診察の合間を縫って顔を出した医者が頭を下げた。医者自身もやや疲れた表情を見せてはいたが、目には何かに負けまいとする強い意志があった。
「うちはご覧の通りの貧乏医者で、町医者では診きれないような、薬代のない患者も大勢頼ってきます。少しでも、助けたいのです。おかげで、これだけあれば十分になんとかなりそうです」
「これだけの葛が集まったのですから、少々お振る舞いをいたしましょう。此方へどうぞ」
先ほどの女性が笑顔で持って来たのは、葛湯。
あまり上等とはいえない湯椀に盛られたものを一口飲むと、ふわりと微かに爽やかな酸味を持った花の芳香が漂う。
見れば、とろりと緩く練られた葛の下に、桜色が一輪見える。
「これは心憎いことをされる。やはり絹さんは粋ですね」
「嫌ですわ、そんな事を仰っては。先生こそ、医者の不養生では困ります。お口に合いましたら、どうぞお代わりなさってくださいましね。皆様も、どうぞ御随意に」
やりとりの向こうからどこからかウグイスの声が聞こえ、確かな春の風情がほのぼのと、葛湯の湯気の向こうへ流れて行った。