誰かの桜が開くころ

■ショートシナリオ


担当:蜆縮涼鼓丸

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 78 C

参加人数:4人

サポート参加人数:1人

冒険期間:03月26日〜04月02日

リプレイ公開日:2007年04月03日

●オープニング

 あれはもう一年前になるのか、と若い男は頬杖をついて考えた。
 八坂神社の奥のほうに、大きな枝垂れ桜の木がある。
 桜の咲く時期には廻りに篝火を焚き、いくつもの縁台を並べて人々が集い、花見を楽しむ。
 男も悪友どもと酒をぶら下げ、花見に出かけ──恋に、落ちたのだった。

 あれは桜の精ではなかったか。男はため息をつく。
 桜色の白拍子装束の一団が、枝垂れ桜の下で舞い踊っていた。ぬば玉の夜の帳に、篝火が揺れる。揺れる中に、一糸乱れぬ舞を披露する桜色の舞手たち。
 幾人もの女子のなかの、ただ一人。その一人だけが、なぜか目が離せなくて。
 色恋話は幾つも、振ったり振られたりを経験してきたが、こんなに苦しい、心の臓を鷲掴みにされたような気持ちにはなった事がなかった。
 いや。
 今まで恋だと思っていたものは全く違うものだったのだ。
 そして、今感じている苦しみこそが恋だとするならば。
 それは、まだ始まってもいない恋なのだった。

 ぼうっと見惚れている時、一人の酔漢が白拍子に因縁をつけ始めた。
 あ、と男は思ったが、男が動くよりも早くその場にいた一団がさっと酔漢を取り押さえた。魔法を使うものもいたから、冒険者だったのだろう。
 白拍子の一団はそのまま冒険者と相席して、しばらくの間談笑していた。男は悪友達と飲みながら、ちらちらとそちらを眺めていたが、気がつくと忽然と桜色の舞手たちはその姿を消していた。
 最後に一瞬だけ、月に照らされた桜の影にふいっと溶けるように消えたのを見たような気もするのだけれど、酒が入っていた事もあり、その辺りの記憶ははっきりとはしない。

 あれは、あれはやはり桜の精だったのだろうか。
 けれど。
 男は酔漢が踏み潰した白拍子の扇を拾い上げて、未だに大事に持っていた。壊されてなお、扇に施された蒔絵は繊細で美しく、それだけが、あの夜に見たものが夢ではないと信じるに足る証だった。
 男は、一年間探したのだ。
 あちらに踊りの名手が居ると聞けば見に出かけ、こちらに桜の如き美人が居ると聞けばもしやそうではないかと行ってみる。
 ことに、この枝垂れ桜の元へは三日にあげず通いつめた。もしかしたらまた会えるのではないかと思いつめてのことだった。おかげで悪友どもとは疎遠になり、賭場に顔を出すこともしなくなり、両親は大事な息子の半助が更正した、ゆくゆくは松葉屋の商売も継いでくれるのだろうと、諸手を上げて喜んだが、実の所、男の胸中は苦しいばかりなのだった。

 今年も枝垂れ桜が咲き始めた。
 まだ満開には遠いけれど、桜の下でならあのひとに会えるかもしれない。
 会えなければ、俺は。俺は‥‥。
 きっと、狂ってしまう。


 ギルドに持ち込まれた依頼は、人探し。
 去年、八坂神社の枝垂れ桜の下で踊っていた白拍子を探してほしいと。
 一週間後に桜の下に、連れて来て欲しい。
 自分は待っているから、と。

●今回の参加者

 ea2765 ヴァージニア・レヴィン(21歳・♀・バード・エルフ・イギリス王国)
 ea6877 天道 狛(40歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 eb4021 白翼寺 花綾(22歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb6553 頴娃 文乃(26歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)

●サポート参加者

天道 椋(eb2313

●リプレイ本文

●山望月
 散る。花が、散る。はらはら、はらり。
 あの枝垂れ桜は去年と同じ、一昨年と同じに。十年二十年、もっと昔から咲いているときと同じようにゆるぎなく咲き誇っていて。
 散ったのは‥‥。

 ヴァージニア・レヴィン(ea2765)は考えられる限りのあらゆる手を使って情報収集に専念した。自分もその白拍子に会ってみたいと考えてのことだ。それほど人の印象に残る白拍子なら踊りの伴奏などしてみたいとも思った。本当に人の印象に残っているなら、探すのもそれほど骨の折れる作業ではないだろう。
 ギルドでは過去の依頼に関する報告書を探し出し、読みふける。参加者の名前は逐一確認を取った。その後冒険者の酒場に行って該当者を探した。どうやら新撰組の隊士がいるらしいと、新撰組にも行ってみた。
 記録に友人の名前を見つけ、返事が依頼の期間中に来ることを願いながらシフール便で問い合わせもしてみた。
 八坂神社では常連の白拍子の名前を聞こうとして、やんわりと失笑を買った。
「異人さんはこの国のことはお詳しゅうないのですなあ。白拍子というのがどういうもんか、お調べになったことは? あいにく、ここは出会い茶屋とは違いますし」
 さらに吟遊詩人の生業を生かし、噂やら神社の近くにいる白拍子を探し出して話を聞き、礼に一曲披露したりもした。
 去年の依頼の依頼主にも聞こうとしたが、これは手段も方策もないので無理だった。風のある海なら帆を立てておけば舵を切るだけで思う方向へ行けるが、凪の海では漕がねばならぬ。
 これだけ動き回ったのだから何も情報を得られなかったわけではない。ヴァージニアは本当に良くやったと言えるだろう。もっとも、得た情報をどう使えば良いかは何も考えていなかった訳だけれど。
 見付かるか見付からなかったか、の話で言えば、見付からなかった。少なくともヴァージニアには見つけることが出来なかった。それだけの話だ。
 天道狛(ea6877)と白翼寺花綾(eb4021)は親子仲良く手を繋いで歩く。
「父様も来られれば良かったですのに‥‥」
 足元の小さな石を蹴飛ばしながら、ぽろりと白翼寺は零す。そんな娘に柔らかく目を細め、天道は握った手をそっと握り返してやる。
 二人はそのまま連れ立って八坂神社へと向かう。
 そこで繋いだ手を離して、白翼寺はその場に残り、天道は扇を持ち越後屋へと足を運んだ。越後屋だけでなくついでに扇を卸す問屋を教えてもらい、そこでも聞き込みを行う。
 分かりえたことは、扇骨の塗り一つとっても、そこいらの世に出回っている扇とは格が違う‥‥下衆な言い方をすれば値段が一桁も二桁も違う、ということだけだった。恐らくは公家の、それも相応に身分の高い家で、卸などを通さずに直接職人に注文して作られるようなものではないかと。決して新しくない、おそらくは何代にも渡って相当使い込まれた丁寧な拵えの美しい扇に、名前などの文字がないのは先刻ヴァージニアが確認済みだった。

●思川
 天道と分かれ、白翼寺は一人、八坂神社を歩く。参道は濃い緑と、芽吹いたばかりの新緑の色に縁取られ、抜けるとぱあっと桜色に開けた。わあ、と小さく溜息を漏らし、同じ桜の色に頬を染めて胸を押さえる。箱入り娘の彼女には世俗のもろもろも縁遠く、そのどきどきが、酔いとか恋に似た感覚なのだとはわからない。ただ桜に飲まれてしまいそうで、少し怖くて、じっと胸を押さえていた。
 急に耳に飛び込んで来たのは、鳥の声。ふにゅっ? と首をかしげ、白翼寺は月の精霊の力を借り、鳥に話しかけてみた。
『鳥さん鳥さん、ちょっといいかなっ? 前に桜のお花が咲いたころ、桜色のおべべ着て踊ってた女の子を見たことあるですかっ?』
『女の子?』
『たくさんいて、一人はちっちゃい子‥‥たぶん、僕くらい』
 鳥たちはうーんどうだっけ見たっけと考えているような様子だったが、一羽だけ、
『たぶん知ってる』
 と答えた。
『見たことあるなら、どこに行ったか覚えてるですかっ?』
『たぶん、こっち』
 緑色の鳥は羽ばたいてある方向へ飛んだ。慌てて白翼寺が追いかける。少し飛んでは木に止まり、白翼寺が追いつくのを待つ緑の鳥は、よほど気が長いようだった。そのうちにある壁の向こうへ鳥は飛び込んでしまい、白翼寺は仕方なく壁に沿って歩き出した。妙に長くてまっすぐな壁で、やっと入り口が見えたと思ったら、武装した警備の人間がすぐ側にいる。
 入ってもいいですか、と尋ねようとする前にこちらが誰何された。
「御所に何用か」
「‥‥うにゃ? ごしょ?」
 いかにも、そこは神皇がおわします御所の、門の一つ。

●衣通姫
 頴娃文乃(eb6553)は墨染めの衣からはみ出さんばかりの豊かな胸の前で色っぽく手を組み、
「先ずは白拍子を探さないことには始まらないか」
 と気だるげに呟いた。
 以前に白拍子を目撃した冒険者から話を聞こうと思ったが、特にその中の誰かが知り合いなわけでもない。それに話を聞いた所で、その冒険者が白拍子の名前や住まいを知っているはずも無かろうと、その線は早々に諦めた。
 次に神社の付近の出店の店主や参拝客や神社の関係者に片っ端から当たってみた。それこそ朝から晩まで足が棒になるほど。参拝客と一口に言っただけでも莫大な数だ。生まれたばかりの赤ん坊を連れた夫婦者から耳の遠い年寄り、お守りを求めに来た年頃の娘まで。
 宮司に伝承について聞いてみた所では、特に桜にまつわる話はないという。何かの足がかりになるかも知れないと思っていたのが、足がかりでなく肩透かしとなった。
 その頃、天道はつまみ食いにやってきていた眠そうな顔の弟を引っ張り出し、絵師の元へとやってきていた。去年の八坂神社の花見で白拍子を目撃した当人である天道椋の記憶から、似顔絵を描いてもらうためだ。何人もいた白拍子の、それも一年前の記憶だから完全に覚えているというわけにもいかず、また白拍子姿の一団の中には薄絹を被っているものも複数あったので、かなりあいまいなものではあったけれど、とにかくそれなりに似顔絵らしきものはできた。
 それを元に冒険者達を中心に聞き込みを行う。
 けれども、どこかで見たことがあるような、などという話で行ってみれば全く違っていたり、或いはとっくに依頼人が一度訪れた人物であったりと、はかどる気配はなかった。砂山で落とした針を探す行にも似ていた。

●明星
 桜の時期であるから夜になれば篝火が桜の周りで焚かれ、枝垂れ桜も昼とは装いの違う、艶やかな夜桜の顔になる。
 約束の期日、縁台に背を丸めて座っている依頼人の元に白拍子をつれてくることはとうとう出来なかった。
 ヴァージニアは見つからなければ花の精だったという話にするしかないと考えていた。
 依頼人の肩にぽんと手を載せ、頴娃はやや強い調子で説く。
「ほら、元気出して。天の岩戸じゃないけど楽しそうにしてれば姿を現すかも知れないわよ? 飲めや歌えやでついでに踊りでも踊ってみる?」
 依頼人は僅かに力なく笑った。
「そりゃあ想い人に会えない辛さは慮るけど、それで一々狂ってたら世の中狂い人だらけよ? 世の中思い通りにいかない事の方が多いんだから‥‥突き放すようだけど今回は縁が無かったのかもね」
 無言のままの依頼人に、天道が折れた蝙蝠扇を返す。
「これ、どのくらいの価値のものだか分かるかしら? 公家の、それも身分の高い人が使うものですって。縁がなかった、っていうのも間違いじゃないかもしれないわね」
「公家‥‥?」
 ぼんやりと鸚鵡返しに、手の扇をじっと眺める。
「やまかげひびかすしょうのこと じょうどのあそびにことならず‥‥」
 どこで覚えてきたものか、見よう見まねの白拍子舞を白翼寺が披露する。踊りも歌も素人の域ではない。身につけているのは異国の服と彩絵檜扇だったけれど、それが月の魔法ですっと白拍子の装束と蝙蝠扇に変じる。
 桜のように軽やかに、鳥のようにのびのびと。
 ふと依頼人と目が合うと、茶と藍の双眼は不意に潤んだ。
 ねえ、母様。そう言って先ほど白翼寺が耳打ちした内緒話を天道は思い出した。娘が打ち明けた昔話。一日に昼と夜があるように、人生にも光と影がある。娘の上にあった影を払った人物がいて、それで彼女はまた歌いだしたのだと。
 天道もミミクリーを使って去年を再現し、娘と一緒に踊ろうかとも思ったけれど、余計な夢が逆効果になりはしないかとの懸念もあって、やめておこう、と思った。
 ヴァージニアはメロディーの呪歌を歌おうとして、詠唱と共に両手で印を結ぶ。銀色の光が一瞬宿り、紡ぎ始めた言葉は人の声ではないような響きを伝え、辺りの喧騒が一瞬静まった。
「心の目で良く見れば花の中に私が見える筈
 踊っている私の姿が‥‥
 毎年桜は咲くから会いにきて‥‥」
 依頼人はヴァージニアの歌を聴き終わると枝垂れ桜をじっと見つめ、ほろっと一粒涙を零した。
「自分を豊かにし、周りを豊かにし、強く生きて貰いたいわ。未来なんて何が起こるか分からないんだから」
 頴娃がまた依頼人に言う。今度は依頼人も顔を上げ、はっきりと頷いた。

 恋の花は散ってしまったけれど、また新しい花が咲くだろう。
 月はしらじらと空の上で輝き、桜の木の陰は地面に色濃く枝の形を塗りつぶしていて、その影からまた魔法のように白拍子が現れる幻想さえ、赤い桜は描き出す──。