●リプレイ本文
がしゃーん、ぐしゃり、ばしん、どすんと派手な音が鳴り渡る。
女出入り‥‥「後妻(うわなり)打ち」と言った方が通りが良いだろうか。先妻が後添えのところに仲間と一緒に押し込んでゆき、鍋や箒を武器に見立てるなどして乱暴狼藉を働く。その際、後妻のほうも仲間を集め、これを迎えうつ。そしてある程度の時間が経つと仲裁役が来て双方を宥め、前妻方が引き上げていくというもの。昔、貴婦人がねんごろになった男の妻を嫉妬のあまり生霊となって取り殺したという物語があった。かくも人の念は恐ろしいと思うからこそ、予め発散させる手段としてこのような風習が生まれたものか。
「ふむ。男女の間の機微には疎いゆえよく分からぬが、刀剣に置き換えてみると、良き剣を使いこなせなかったが故に他の者に渡すことになったといった案配であろうか」
「色気の無い事を言う」
箒で調度を破壊しながら真顔で言う天羽朽葉(ea7514)に、苦笑する李雷龍(ea2756)だが、年頃の女性にそういうことをずけずけ言ってしまうあたり、色気に縁が遠いのはこちらも五十歩百歩。
見えないものを見えるものに置き換えて。捨てられないものを捨てること。その先にある幸せを、其々が手にすることのできる様に。
そのために。
壊す。
がしゃーん。
前日。冒険者達は相談の上、出入りの先触れとして使者を立てることにしていた。それは予告だけでなく、討ち入り先である砧家のあるじや後添えとなる木綿たちの真意を知りたいという思いの表れでもあった。
先触れとして名乗りを上げたうち、火澄真緋呂(ea7136)や橘由良(ea1883)は絹に手紙をしたためてもらい、持参していた。武家屋敷街の中ほどにある砧家の屋敷。屋敷と呼ぶにはいささかこぢんまりとしているが、それでも冒険者長屋の数軒分の広さはある。
奉公人に奥に通され、砧家の当主である伊織や、その母の麻香に目通りを果たすと、挨拶もそこそこに橘は口を開いた。
「まず、慣習として『女出入り』を受けていただけるのでしょうか?」
「はい。絹にも思うところがあるでしょうから。絹の気が晴れるだけでなく、木綿もこれですっきりするのでしょうし」
「あの。木綿様と砧様はもう再婚なさっているのでしょうか?」
おっとりと尋ねるのは天鳥都(ea5027)。問われた相手は頷く。
「もうひと月になります。絹と入れ替わりに木綿がこの家に来て。せめて、木綿は幸せにしてやろうと思っております」
「それは、本心でございまするか?」
天鳥よりも一回り小さなやまとなでしこの白羽与一(ea4536)。表情はほかの冒険者に比べると少し、硬い。
「この度の離縁や木綿殿との祝言、それに女出入りの事も。与一には当人達の気持ちが蚊帳の外に思えて仕方ありませぬ。砧殿が武家の家訓とやらで本心を押し殺しておいでならば、日の本の男児ともあろう者がなんと情けなきこと。子が出来ぬのは絹殿一人のせいとお思いか? おなごに我慢をさせ本心さえ言わせられぬ、そのような男がもののふなどと、与一は決して認めませぬぞ!」
「はて、そこなお方は何を憤っておいでか」
砧の母が首をかしげる。白羽ははっと乗り出した身を引き、ご無礼を、と頭を下げた。心の中に去来する影は、拭おうとしても拭いきれぬ、『想い』。けれどそれはここで出してはいけないと、唇をぎゅっと結んだ。
「いえ。確かにその方の言われた通りです。結局私は絹の心を開いてやれなかったのですから、やはりダメな亭主だったのでしょう」
伊織は、目を伏せ、苦い笑みを浮かべた。
「あなた方の様に冒険者であれば、このようなしきたりに囚われる事もありますまい?ですが、私は‥‥この家を、名を守らねばなりません。惚れたはれたで夫婦になるのは簡単です。三行半を渡す時の方がよほど難しいことなのです。‥‥私のような不甲斐無い男が、絹を妻にと望んだのがそもそもの間違いだったのかもしれませんね」
「だから最初から木綿どのを嫁にすればよかったのですよ。そう言ったのに聞かなかったのはお前の方ではありませんか、伊織。‥‥まあともあれ。この度の出入りのこと、確かに承りましたと、絹殿にお伝えくだされ」
老母は息子と共に冒険者達に頭を下げたが、その時ぼそっと「あの女狐」と。そう呟くのを天鳥だけが聞き取り、ひそかにため息をついた。絡んだ糸はもつれにもつれて、もう断ち切るより他にないのかもしれなかった。ならば、と天鳥は思う。物を壊すという形で、凝った心をとかせるなら。未来のために、幸せのために。
白河千里(ea0012)と天羽は絹の実家を訪れていた。こちらは絹の気持ちを確かめるためである。
「この度はお世話になります‥‥」
絹は冒険者達に向かいふかぶかと頭を下げる。色白というよりは青く見えるほどの透き通った肌をした、線の細い女性だった。
「妹御は望んで輿入れしたのだろうか? 何も同じ家から嫁がせなくても良かろうに‥‥予測で物を言って申し訳ないのだが、過去恋模様が合ったのでは?」
「‥‥はい」
ぽつりぽつりと絹は語る。姉妹が二人ながら砧伊織に心を寄せたこと。伊織の母は体の弱い絹でなく木綿を嫁にと望んだが、伊織は絹を選んだこと。嫁ぐ際、絹が砧の家に馴染まない時には木綿を後添えにするという約束を両家で取り交わしたこと‥‥。
「なんとなく、こうなる事はわかっておりましたの。‥‥それでも」
そのまま絹は目を伏せ、口をつぐんだ。
「お待たせ申し上げました、ぐり茶でございます。お口に合いますかどうか」
キヨが春慶塗の盆に茶を載せて運んで来、話はそこまでとなった。
当日の早朝。
西中島導仁(ea2741)は腕を回したり身体をひねったり、準備運動に余念が無い。なんだか嬉しそうなのを見て李が声を掛ける。
「やる気満々ですね」
「ああ。俺は絹殿を護衛して突っ込むつもりだ」
「じゃあ、僕と同じです」
「そうか。やはりボケと突っ込みなら突っ込む方が良いよな」
‥‥多分違う。
火澄はキヨの側に居た。白装束にたすきがけをしてしゃんと白髪頭を上げ、気合十分の様子だが、そんなキヨを火澄は心配そうに見つめる。
「キヨさん、あまり無茶しないでね?‥‥正直、ボクはキヨさんも思いつめる人っぽくて心配なの」
「火澄様、どうぞお気遣いなく。例えこの場で果てましょうとも、お嬢様方の幸せのためならば本望で御座います」
「‥‥あはは」
図星かなあと苦笑いする火澄。人に怪我をさせまいと思って得物には細角材を用意した。なるべく破片が飛ぶようなものは避けるつもりだが、大人数の乱闘でどこまでそれが出来るか。
キヨ同様に白装束の絹を筆頭に、橘、西中島、李。その後ろにキヨと火澄。それから天羽、白河、天鳥、白羽が、朝の冷たい空気の中を進む。
砧の家に到着すると、既にあちらの家の者も門の外で待ち構えていた。伊織、木綿、砧の母。奉公人達。伊織の友人も参戦していた。数はこちらよりも一人二人多いが、こちらは修羅場慣れしている冒険者なのだから、それでも力ではこちらが上だろう。
絹は一度先方に頭を下げたが、その後は気後れしたように棒立ちのまま動かない。白河がすうっと近づき、絹の肩に手を乗せた。
「帰るか? 今ならまだ‥‥」
「いいえ‥‥いいえ」
絹が拳をぎゅっと握り、顔を上げた。
「わたくし‥‥参りますっ! やあああああああっ!!」
走り出す絹。西中島はわが意を得たりとばかりに笑みを浮かべて走り、それに李と橘が続く。突っ込むキヨから離れぬように走る火澄。白河は真先に玄関の引き戸を叩き壊した。木が折れ、紙の破れる音が鳴り響く。迎え撃つ手勢も負けじと竹ぼうきやら落ち葉掃きの熊手やら竹刀やら、思い思いの得物を持って殴りかかる。天羽は短刀を鞘のまま振るい、攻撃をさらりといなした。
力量の差は明らかに討ち入った側の方が上であるのにも関わらず、冒険者側は意外に苦戦を強いられた。流石に本気を出しては死者も出かねない。相手方には女性も居る。白河はなんとか打ちかかるひしゃくを掻い潜り、台所の棚を片っ端から壊していく。しまいこまれた椀や皿が零れ落ち、割れる音がまた響く。ひたすら、ばきり、がしゃんと、行き過ぎとも思えるほどの壊しっぷりは、絹が思わず止める事態を考えてのことであったが、気がつけば絹の姿は白河の近くに無かった。
絹は、申し訳程度に得物を振るいながら奥へ進む。勝手知ったるわが家であった場所のこと、足取りは速く、手勢とやりあっている内に西中島や李は絹とはぐれてしまった。絹同様に壊すのを控えていた橘のみが、絹につかず離れずの距離を保っていた。
「絹さん、あの、どちらへ?」
「寝所へ参ります。与一さんに言われましたの、一番の思い出の品を壊せと」
ふすまを開ける手ももどかしく、息を切らせて小走りに行く絹。淡雪のような色のふすまの向こうに、寝所がほの暗く控えていた。片隅に、盆提灯が一つぽつんとある。
「母が亡くなってから、ずっと提灯を飾っておりましたので、こちらに嫁いで伊織様が新しいものを買ってくださいましたの。わたくしの名と同じ絹張りの‥‥こちらに‥‥ずっと、いられるように‥‥と‥‥」
ほろほろと絹の目から涙がこぼれた。提灯を大事な友のように抱き締めて、嗚咽を漏らす。その声はだんだんと号泣へと変わっていった。
その明かりに何が浮かび上がっていたのか、橘は想像してみる。愛しい人の笑顔、寝顔。あるいは亡き母の思い出か。いずれにせよ、それは幸せの記憶の欠片に違いない。暖かな光に彩られたものを自分の手で壊さなければいけないのは、とても残酷なことのように思えて、寸時、胸が痛んだ。武家の跡取りは子を作り、家の血筋を守らねばならない。それは太陽が天に在り、水が高きより低きに流れるのと同程度に『当たり前』のことだが、橘もまた、その『当たり前』のことが果たせぬ事情にあった。
「絹さん」
少しずつ泣きじゃくる声が収まってきたのを見計らって、橘は声を掛けた。
絹が、顔を上げる。
ゆっくりと立ち上がった絹は、袖で涙を拭い、目を閉じて‥‥手にあるものを、提灯の上へ。
‥‥がしゃん。
「気絶?」
「ええ。絹さん、提灯を壊した直後にそのまま‥‥」
「そっか。ね、キヨさん、もうそろそろ良いんじゃないかな?」
橘からの報告を聞いた火澄がキヨに判断を仰ぐと、キヨもほほを緩め、頷いた。
「止め人の出番でございますね。おや、依田様の姿が見えませぬが」
「依田、って仲裁役の人?」
「はい。年は私くらいで、白髪の総髪に、立派なひげをお持ちの方なのでございますが」
「‥‥もしかして、あそこに倒れてる人かな?」
火澄が指差した先にまさしくその風体の老人が突っ伏していた。周囲は未だ乱闘のさなかである。
「僕が連れてきましょう」
その場に居た李が老人の元へ向かう。
老人を抱え起こそうと仰向けにした瞬間、老人の目が見開かれ、飛び起きようとして‥‥。
ぶちゅっ。
それは一つの不幸な事故であったが、おかげでそれを目にした人間が止め役に仲裁される事も無く争いをやめたのは怪我の功名というものか。単に凍りついただけとも言うが。
布団の中で絹が目を開けると、枕元に伊織が座っていた。暫し、無言で見詰め合う。ややあって、絹が口を開いた。
「伊織様。わたくし、あなたが好きです」
「絹。‥‥はじめてそう言ってくれたな」
「出来るものなら、離れたくない‥‥けれど」
布団から細い手が伸びる。伊織の掌がそれを包む。指が絡んで、温もりを確かめ合い‥‥そして、離れた。
「もう、行きますね。気分も良くなりましたし。そういえば、あの方達は?」
「ああ、今片づけを手伝ってくれているよ。良い人たちだな」
「そうですね」
笑い合う。他愛も無い、束の間の時間。
時は昼に差し掛かり、穏やかな陽気の下、8人の冒険者と、老女と、先妻が女出入りから帰る。
夫だった男と、その母と、後妻が見送る。
絹が振り返り、晴れやかに笑い、手を振った。
「さよなら」