琥珀色の憂鬱
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■ショートシナリオ
担当:恋思川幹
対応レベル:1〜5lv
難易度:やや難
成功報酬:1 G 35 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:03月02日〜03月07日
リプレイ公開日:2005年03月10日
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●オープニング
「はぁ」
溜息が漏れる。
「はぁ‥‥」
溜息をつくのは、ほとんど彼女の日課のようなものであった。
だが、ここ最近、いつにも増して溜息の数は増えに増えている。
「‥‥ほんとおに人が嫌なっちゃう‥‥」
そして、ぼやき‥‥。
月道の此方と彼方を問わない、たくさんのお人形が詰まった部屋の中、布団の中に蹲っている少女が一人。
「お嬢様‥‥。お食事をお持ちいたしました」
障子の向こう側から侍女の声がする。
「‥‥いらなあい‥‥」
布団の中から返事をする。
「しかし、お嬢様‥‥もう何日もろくにお食事もなさらず、お部屋に引き篭もってばかりで‥‥」
侍女がすぅっと障子を開けて中へ入ってくる。
「‥‥もお、琥珀、お人形さんだけでいいって思ってたけど‥‥」
少女の名は琥珀と言う。
「今のままではお部屋の掃除もままなりません。そのお人形にも蜘蛛の巣が張っております」
侍女がお人形から蜘蛛の巣を払うと、一匹の蜘蛛がわたわたと逃げていった
「いいよお、もお。‥‥琥珀は‥‥死んじゃったほうがいいし‥‥」
「お嬢様! また、そのようなことを!」
侍女は強い口調で言う。
「琥珀が死んじゃっても、みんなどうでもいいと思うし‥‥」
「お嬢様が亡くなられたら、わたくしが寂しくて悲しゅうございます!」
「明日奈は‥‥お仕事で琥珀のめんどお見てるんだもん‥‥さびしくなるは少しだけだよ‥‥忘れていくと思う‥‥きっと‥‥皆も同じ‥‥だからそれでいいの」
「そんなことは‥‥」
ない、と明日奈は言おうとしたが、琥珀の言葉がそれを遮る。
「琥珀は‥‥もともと‥‥存在しちゃダメだったのかも‥‥琥珀が消えてなくなれば‥‥喜ぶ人もいる‥‥せいせいする人もいる‥‥ざまーみろとか‥‥いろいいろ‥‥」
「ご自分がご自身のことを否定しておられては、他人に愛されてもらうこともできませぬ。どうか、そのようにご自分を卑下なさらないで下さいませ」
「じゃあ、琥珀にはずっと無理なお話だよね‥‥自分が嫌いだし‥‥人信じるのが不安で怖いし‥‥一生無理かも‥‥琥珀は別にいいけどね‥‥もぉ慣れているもん‥‥」
「無理ではございません。努力すれば‥‥」
「‥‥無理なのは無理だもん‥‥。あの人だって、琥珀を裏切ったもん‥‥優しい言葉いっといて‥‥最低だよ‥‥」
「自分の欲望の為で‥‥人の気持ち‥‥平気で踏みにじって‥‥」
「他の人達だってそお‥‥。‥‥人の苦しみ見て‥‥楽しんだり、人の心の傷を開くような発言も、心もない言葉で責めたり‥‥‥‥いくら噂話を誰がゆったかなんて、わからなくっても‥‥」
「罪悪感や辛く感じないのかなって‥‥もし、自分も‥‥同じことされたら‥‥すごく辛いこと‥‥わからないのかな‥‥」
「だから‥‥人は嫌い‥‥そいゆう人が多い‥‥みんながみんなじゃないけど‥‥でも、多すぎるから‥‥」
琥珀の言葉は止め処なく続いていく。
明日奈はただ黙って聞いている。こういう時、琥珀の話は筋道の立ったものではなく、一つに論理的に答えようとして、次の瞬間にはまったく別な話題になっていることもしばしばである。
それは彼女が体験してきた様々な辛く悲しい体験に基づいた、彼女の見た世界の姿が、脈絡もなく吐き出されているからである。
酷く歪んでおり、酷く悲しい世界であった。
「お嬢様。お嬢様が変らなければ、回りもお嬢様をそのように扱います。せめて、ご自分のことだけは好きになれるようになさって下さいませ。少なくとも、わたくしはお嬢様の為に尽くしたいと願っております」
琥珀が一息ついたところで、明日奈はそう言う。
「‥‥もお、いいよ〜!」
しつこく食い下がる明日奈に、布団から身を起こして強い口調で抗議する琥珀。
起き上がった時にサラサラと流れるような琥珀色の髪が、薄暗い部屋の中に輝いた。
その琥珀色の美しい髪は「琥珀」という名前の由来であり、瑠璃色の美しい瞳とともにイギリス人であった母親の遺してくれたもの‥‥そして、琥珀を苦しめてきた枷である。
江戸などの大都市に限ったならば、月道が開かれて以後、ジャパンで金髪碧眼、その他の多彩な色の瞳や髪を見かけることに慣れてきた頃ではあるかもしれない。だが、ひとたび都市を離れれば、やはりそういった瞳や髪の人間に出会う機会などはやはり稀なことなのである。
まして琥珀が生まれたのが月道が開かれる何年も前であれば、彼女に向けられた奇異の視線の多さは想像に難くない。
実際、琥珀の父の知行地では田舎である為に周囲の視線が辛く、父は琥珀の為の屋敷を江戸に借りて住まわせているのである。田舎よりは人に紛れるであろうという考えからである。
琥珀の父は知行三百石ほどの武家である。イギリスとの行き来が非常に限られていた時代に、縁があってイギリス人の妻を娶るという機会に恵まれた。その為であるのか、夫婦仲は非常に仲睦ましいものであったようだ。
その妻が他界しても、父に再婚の意思を頑固に否定し、ゆくゆくは一人娘の琥珀に婿を迎えて、家督を継がせると公言していたのである。家を残すという観点からは危うい話であるが、万が一には親類の適当な男子に家督を譲ってもよいと考えるほどに、父は妻への一途な想いを貫き通していたようである。
そして、先日、琥珀に結婚の話が持ち上がったのであるが‥‥。
「‥‥この世から‥‥自分自身消えられないかな‥‥本当に‥‥楽に死にたい‥‥」
使われることのなかった花嫁衣裳を眺めながら、琥珀はそんなことを呟いた。
「そおだよ。生きていても仕方ないよ」
「‥‥うん?」
花嫁衣裳の向こう側から声がした。
「だったら‥‥私に魂を差し出せば、幸せになれるよ」
「!!」
琥珀は息を飲んだ。
花嫁衣裳をそっと捲り上げて姿を現したのは、琥珀色の髪、瑠璃色の瞳を持つ少女であった。そう、まるで琥珀のような姿なのである。
「魂‥‥を差し出すって?」
「くすくすくす‥‥ゆっくり考えていいよ。でも、考えてもあなたは死にたいって考えているんでしょう? 私なら楽に死なせてあげられるよ」
琥珀に似た少女は笑っている。
「‥‥うん‥‥」
戸惑いながら琥珀はかすかに俯いた。
「‥‥あれ?」
次の瞬間、琥珀が辺りを見回しても部屋には誰もいなくなっていた。
ただ、お人形達が琥珀を見守っているばかりである。
十日ばかりも経った頃である。
「わたくし、見てしまったのでございます! お嬢様の部屋に青白い首に縄をかけた妖しげな女がいるところを‥‥。その女はお嬢様の体から何やら白い珠を取り出しておりました‥‥」
冒険者ギルドを訪れていたのは、琥珀の侍女の明日奈であった。
「旦那様は御領地へお帰りになられており、わたくしはお嬢様の身に何が起こっているのかと心配で‥‥心配で‥‥」
明日奈は自分の無力を噛み締めるように、ぎゅっと唇を噛む。
「それで冒険者に調査を依頼したいということですね?」
ギルドの手代が確認する。
「はい‥‥。ただ、一つ問題が‥‥」
明日奈は何かを言い辛そうに口ごもる。
「何かあるのでしたら、先に言ってもらえないと困りますよ?」
「お嬢様は冒険者に対して強い不信感をお持ちです。それでなくとも、他人に対して心を開けない気質なのでございます。詳しいお話は出来ませんが、そのことを踏まえた上で、どうかよろしくよろしくお願いいたします」
明日奈はそう言って頭を下げた。
●リプレイ本文
「はじめまして、琥珀さん。私はエリアル・ホワイトと申します。あなたのお母さんの古い知り合いです」
エリアル・ホワイト(ea9867)がにこやかに挨拶をする。
「気晴らしに明日奈が連れてきた」という名目でエリアル、零亞璃紫阿(ea4759)は琥珀と対面していた。
布団の中から少しだけ顔を動かしてエリアルと亞璃紫阿のほうを見る琥珀。衰弱している様子が見て取れた。
「嘘だよ。だって、琥珀よりすこうし年上くらいでしょ‥‥?」
確かに外見年齢十九歳のエリアルであるから、十六歳の琥珀の母の古い知人という言い訳は滑稽であろう。
「私はイギリスに住むエルフという種族なんです。人間の方からすると若く見えるでしょうけれど、こう見えても五十七歳なんですよ」
ただし、エルフの長寿を鑑みなければの話である。
琥珀は半信半疑と言った様子でエリアルを見つめる。
「‥‥じゃあ、そっちの人は?」
亞璃紫阿に視線を移す琥珀。黒髪であるが、琥珀と同じ瑠璃色の瞳の瞳を持つ女性である。
「私はレイ・アリシアと申します」
琥珀と同じ身の上の女性は自分の名前を、イギリス語の発音で名乗った。イギリス人であるほうの親が残してくれたものなのであろう。
「明日奈さんに琥珀さんを励まして欲しいと頼まれた時、他人事とは思えませんでした。私も‥‥イギリス人と日本人の親がいるのです」
亞璃紫阿は琥珀よりも三歳年長であり、彼女を取り巻いていた環境は琥珀と似ていたとしても不思議はなかった。
「‥‥ありしあさんも琥珀と‥‥一緒なの?」
琥珀が二人に興味を示しだしはじめていた。
「はい、琥珀さんを見ていると、まるで幼い頃の自分を見ているようです。あまりに境遇が似ているのでなんだか可笑しくさえなってきます」
亞璃紫阿は苦く笑う。琥珀に対する親近感を打ち明けたつもりであった。
「‥‥琥珀、そんなに子どもっぽくないもん」
唐突に、琥珀が機嫌を損ねる。
「琥珀さん?」
急な機嫌の変化にエリアルと亞璃紫阿は戸惑ってしまう。
「あっ‥‥! 琥珀さんが子どもっぽいという意味ではありませんよ!」
亞璃紫阿が自分の失言に気づく。三歳しか歳が離れていない、すでに結婚の話も持ちあがる年齢の女性を『自分の幼い頃』になぞらえるのは不適当と言えば、そう言えなくもない。だが、
『この過剰な反応も悪魔の仕業なのでしょうか?』
琥珀が再び布団の中に潜り込んでしまうのを見て、エリアルはそんなことを思う。言葉尻を捕らえてまで自分が貶されていると思い込んでしまうのは、尋常な反応であるようには思えなかった。
当然ながら亞璃紫阿に琥珀を貶そうとする意図などない。
「やはり似ています‥‥琥珀さんが子どもっぽいとかそういうことではなくて‥‥まるで世界のすべてが敵であるかのように思っていた、かつての私に‥‥」
亞璃紫阿の真意はそこにある。
「でも、寂しいよね、そういうの。私もそうだったからわかりますよ」
だが、琥珀は閉じこもった布団の中から出てこようとしない。
「‥‥いい加減、甘ったれるな」
障子が大きく開け放たれると、痺れを切らしたウィルマ・ハートマン(ea8545)が部屋の中に入ってきた。
「何から何までウジウジしやがって。貴様、どうしたいんだ?」
「ウィルマ! やめろ!」
部屋の外からセルジュ・リアンクール(ea9328)がウィルマを制止するが、ウィルマは止まらない。
「死ぬのもいいだろう、我々は死ぬ為に生きてる。だが忘れるな、人間は永遠だ。永遠に在った事は無くならん。生きてようが死んでようが、苦しみも無くならん。そういう風にできてる」
ウィルマがそう言いながら、琥珀の布団を強引に引き剥がす。
「ぅー‥‥!」
琥珀は怯えきった表情でウィルマを見上げている。
「‥‥まったく‥‥仕方あるまい。多少、強引なことになってしまったが‥‥」
セルジュが溜息交じりに、エリアルと亞璃紫阿に目配せをする。
「琥珀さん、少しの間、外へ出ましょう。琥珀さんの身に危険が迫っているのかもしれないので、このお部屋を調べさせて欲しいのです」
「‥‥冒険者‥‥なの?」
琥珀にも事態が飲み込めてきたようで、問いかけた質問に亞璃紫阿は黙って頷いた。
「ごめんなさい、琥珀さん。強引なことをしてしまって。けれど、みな、悪魔から貴女を守ろうと、命がけで集まった人たちばかりですから、それだけでもご理解いただけたら‥‥」
エリアルが申し訳なさそうに言う。
「‥‥好きにすればいいじゃない‥‥どうせ、琥珀のことなんか‥‥」
琥珀は一人で起き上がろうとしてフラついたのを、エリアルと亞璃紫阿に支えられて部屋の外にでた。
部屋の外、琥珀の部屋に面する縁側と庭には冒険者達が集まっていた。琥珀は彼らを横目に部屋から離れていった。
主のいなくなった部屋で冒険者達は探索を開始していた。
「エリアル殿の話によると悪魔という妖怪と特徴が一致するということだがのう」
無頼厳豪刃(eb0861)がモンスター全般に詳しいエリアルの話を思い出している。
「‥‥けど、『悪魔』っていうのは大雑把な話なんだろう? 『犬』だとわかっても、『何犬』なのかって話でさ。すまんな、ちょっと失礼するぞ」
黒崎流(eb0833)がオーラを付与した十手で、部屋中に溢れている人形を小突いて回っている。部屋の人形に悪魔が憑依しているという推測に基づくものである。小突くたびに人形に謝っているのは、これらの人形を大切にしているであろう琥珀への礼儀というべきか。
「私達四人以外の何者かの振動は探知することはできません。悪魔は動物や他人などに変身する能力もあるとエリアル様が仰ってましたが、そちらの可能性は薄いと考えてよさそうですね」
魔法を使って部屋の中の動く存在を探査していたステラ・シアフィールド(ea9191)が言う。
「悪魔め‥‥じっと潜んでいるのか‥‥。隠れていないで‥‥俺と殺しあおうじゃないか」
ヴィシャス・アルナ(eb1294)には何か悪魔に対して拘りがあるようだ。本人にも理由のわからない何かが。彼も流にオーラを付与してもらった手裏剣で悪魔の探索を行っている。
「‥‥これがジャパンのウェディングドレス‥‥なのですね」
ふとステラが白無垢を見ながら呟く。やはり、女性としては気になるところなのであろうか。
「‥‥結婚を約束されていた相手の為に袖を通すことはなかったと聞いておりますが‥‥‥‥なぜ、琥珀様はあれほどに傷ついておられるのでしょう‥‥」
「‥‥明日奈殿に聞いたところでは、琥珀殿も幼い頃より異国人の血を引くということ、金色の髪と青い瞳。それらによって本人の意思に関係なく色々なことを言われ続けてきたようだからの。そんな中で数少ない信頼を寄せられる人物、新三郎とやらに裏切れたのなら当然であろうて‥‥」
豪刃が言う。
「だが、この先、日本では似た境遇の子が増えるだろう。外見や血で人を判断していてはいらぬ混乱の元にしかならんのだがな」
「その程度のことで絶望して、事実を否定しても‥‥何も変りません。迫害と裏切り‥‥それらは身近な日常、変えようのない当たり前のことなのだと、私は受け入れました」
ステラはそう言う。
「‥‥あのさ、俺にはうまく言えないんだがね‥‥迫害も裏切りも最初から受け入れてるってのは‥‥最初から何にも望みを持っていない‥‥つまり絶望してるってことだと思うんだが‥‥」
流がステラに、
「違うかね?」
問いかける。
「それは‥‥」
ステラが言葉に詰まる。
「あなたや琥珀さんのように綺麗な女性は、絶望で暗い顔をしているより、笑ってるほうが、もっと可愛いと思うけどな」
流はそう言って笑った。
「それにしても‥‥蜘蛛の巣が鬱陶しいな。こんなになるまでお嬢さんは引き篭もっていたのか」
「む、蜘蛛の巣‥‥だと?」
人形を調べていたヴィシャスが愚痴を洩らしたのに、豪刃が反応した。
「ステラ殿、先ほどわしら意外に反応はない‥‥そう言っておったが、蜘蛛のような小さな虫は探知できぬのか?」
「まったく無理‥‥ということはありませんけれど‥‥あっ! もう一度調べなおします!」
ステラもそのことに気づいて、再度の呪文の詠唱に取り掛かる。
「いや、必要ない。‥‥俺が迂闊だった。蜘蛛はいた、確かに‥‥」
感情こそ表立って表現しないが、ヴィシャスは内心歯軋りしていた。ヴィシャスの鋭い視力は部屋を出ていく琥珀の着物についていた何かを捉えていたのである
庭から亞璃紫阿の吹く呼子笛の音が響いてきたのは、その時である。
「ノコノコと出てきたな、アホが!」
蜘蛛の姿で潜伏していた妖怪は冒険者が二分割されるのを待っていたかのように、首縄をかけた女という本来の姿を顕わにした。
真っ先に反応したウィルマの投げたシルバーナイフが首縄の女に突き刺さる。
『ぎゃあああぁぁぁっ!!』
首縄の女が悲鳴を上げるが、致命傷にはいたっていないだろう。
「気をつけて下さい! あれは私の知らない悪魔です!」
エリアルが警告する。
「任せろ! 二人は琥珀を安全なところまで下がらせろ!」
セルジュが言いながら、自分の武器にオーラを付与している。これで悪魔に対する有効な攻撃が可能になる。
「はい、お願いします」
亞璃紫阿達はセルジュ達に後事を頼むと、琥珀をつれて屋敷へと逃げ込んでいった。
「早くしろ! 銀の武器はあと一本しかねーんだ」
魔法を使用中のセルジュを庇うようにウィルマが首縄の女に相対している。
「かけ終わった! 行く‥‥うぉ!?」
「なに!?」
セルジュがオーラを武器に付与し終わるのと、ほぼ同時に二人の足元の影が爆発した。
「くっ‥‥魔法か!?」
致命的な威力があるわけではなかったが、堪えることは堪える。
「大丈夫か? ウィルマ」
姿勢を建て直しながら、セルジュが声をかける。
「だせえこと、聞いてんじゃねーよ! とっととあの野郎をぶった切りに行け!」
ウィルマがシルバーナイフを投げるのと同時にセルジュが駆け出す。
だが、今度は首縄の女にシルバーナイフは刺さらなかった。
「何だと!? ええいっ!!」
セルジュは疑問に思ったが、逡巡するよりも先に日本刀を振り下ろした。
肩口から深く斬られた首縄の女は多量の血を噴き出した。
「そのまま、殺しちまえ!」
だが、そこで糸が切れた人形のようにセルジュの動きが止まってしまった。
セルジュの瞳が血の色に染まり、鮮やかな金髪がわさわさと逆立っている。
燃え立つような闘争心も、琥珀を守るという使命感も、すべてセルジュの中から消え去っている。
「アホ、何をボサっとしてやがる!」
戦闘放棄したセルジュを押しのけ、ウィルマが地面に落ちたシルバーナイフを拾いあげて首縄の女を攻撃する。格闘はウィルマの得手ではないが、重傷を負って動きが鈍っている相手に突き立てることくらいは問題なく出来る。
何度も何度も攻撃を仕掛ける。だが、ナイフが首縄の女に突き立つことはなかった。
「‥‥なんだってんだ?」
「悪魔よ、お前と戦いたかったぞ」
駆けつけてきたヴィシャスがオーラが付与された手裏剣を首縄の女の顔に投げつけた‥‥が、これも効かない。
「!」
「おおおっ!」
流もオーラを付与した武器で攻撃を仕掛ける。これも効かない。
「オーラを付与してても攻撃が効かないなんてことがあるのか!?」
「急に面の皮が厚くしやがって‥‥」
何度仕掛けても結果は同じであった。
「ここまで追い詰めておいて‥‥」
流が悔しげに歯軋りする。首縄の女は先ほどから何度も魔法の行使を試みては失敗している。ほぼ戦闘能力が失われているのは明らかである。
「拙者も試してみよう」
豪刃が水晶の剣を魔法で作り出す。
「とにかく、倒せるまで攻撃を仕掛けるしかあるまい。どうせ、この怪我で我等から逃れることはできん」
豪刃は慎重に水晶の剣を構える。重傷を負ってもはやまともに戦闘の出来ない相手である。その背後にそっと回りこむと‥‥、
「むんっ!」
据え物を斬るように豪刃は首縄の女を両断した。
首縄の女の懐から小さな白い珠が転がり出た。
「これが琥珀様の魂なのですね」
ステラはその白い珠を大事に大事に取り上げた。
「俺は‥‥また‥‥」
思ったよりも早くセルジュが正気に戻る。あたりには戦闘の痕跡はすでに残っていなかった。
誰が片付けたわけでもなく、セルジュを狂化に導いた血も、首縄の女の骸も残っていなかった。
「‥‥‥」
セルジュのそばについていたヴィシャスが、黙ったまま様々な感情がつまった視線でセルジュを見つめている。個々人でその内容こそ違え、同じ枷に囚われた者同士であった。
「お嬢様は会いたくないと仰られています。申し訳ございません」
明日奈が深々と頭を下げた。
「命を助けていただいたことは、お嬢様も心より感謝しています。とても、嬉しかった、と。けれど、それでも‥‥‥」
「不安がいっぱいあるから‥‥琥珀はいつも嫌われるから‥‥裏切られるんじゃないかなとか‥‥本当はどうおもっているのか‥‥そんな風にいつもみんなをうたぐって‥‥琥珀は最低な子かもしれないとか‥‥」
琥珀は明日奈にそう伝えたのだと言う。
「‥‥不安な気持ちはわかります。でも、だからといってそれに負けててもいけないと思います。ゆっくりとご自分の気持ちを整理して下さい。いつかきっと、琥珀さんを裏切らない、一番琥珀さんを想ってくれる人に会えるはずですから。私達だって‥‥琥珀さんの為にみんな頑張ったのですから」
そうお伝え下さい、とエリアルは結んだ。