●リプレイ本文
すべてのハーフエルフは怒りなどの激しい感情により狂化を起こす、と言われている。
言われている、と言うのはハーフエルフの絶対数は決して多くはなく、統計的な調査が行われたわけでもないので、大雑把な経験則に基づいた推定でしかないからである。
「狂化の体験談を聞きたいとはのう‥‥また奇特な者もいたものじゃな」
その意味で、皇龍朱蓮(eb1657)の言葉通り、今回の依頼はかなり奇特なものであると言えた。
「‥‥あ、あの、あなたは‥‥こ、混血種のこと‥‥どう、思っていますか?」
リズ・アンキセス(ea8763)は依頼人の同心に尋ねる。
「さて、月道を通ってくる外国人は多くなっているから、これからジャパンでも増えることになろうが‥‥そういったことも含めて、このような調査が必要だと思っている」
同心は答える。
「なら‥‥‥‥あ、ありのままを見て下さい」
受け答えに、微妙な、齟齬がある。
ジャパンにハーフエルフは存在していないし、ジャパンに土着している種族間で混血種が生まれることはない。そこに齟齬が生じているが、そのまますれ違ったまま、話は進む。
「じ、実際の私達を知らないから受け入れる‥‥それでは、かな、悲し、い‥‥ですから」
リズは滑舌を乱しながら言う。それでも引っ込み思案の彼女が、初対面の同心にこれだけ一生懸命に語りかけているのは、彼女に強い願いがあるからである。
「実際を見て‥‥受け入れてほし、欲しいとは言いません。けれど、拒絶して、して欲しくないから、お話します‥‥」
そう言って、リズが最初に語りだし始めた。
これより以下、集まった四人の体験談を纏めるが、四人が自ら語らなかった部分について、幾分の推測により補っている。
故にこれから語られるものは、必ずしもすべてが真実でないことをご容赦願いたい。
●祭りの夜
十年前のことである。
リズは当時、人間で言えば十三歳の少女であった。
生まれ育った村での祭りに、リズもまた、心躍らせていた一人であった。
彼女の生まれたビザンチン帝国はもっとも異種族に寛容な国の一つであり、ハーフエルフであっても比較的暮らしやすい国である。
加えて、リズの生まれた村の人々が実際に「狂化」という物を目撃する経験がなかったことも、リズとその家族が暗黙に許容されていた理由であろう。
「やめてっ! やめて下さい!」
「へっへ〜ん、こっちこっち♪」
そんな祭りの最中、リズをからかっていたのは、見た目には同い歳程の少年である。
当時のリズがとても大切にしていた「兄から貰った宝物」を取り上げた少年は、必死に取り戻そうとしているリズの手を逃れ、祭りの人込みをすり抜けながら駆け回っている。
他愛もない悪戯である。周囲の大人達も大して気にも留めなかった。
「やめて、お願い、返して下さい!」
だが、リズだけは本当に必死である。
相手が必死になるほど、興に乗るのがこの手の悪戯である。祭りの昂揚感もあって、少年はいささか調子に乗りすぎた。
「そ〜らそ〜‥‥‥‥あっ!」
不意の拍子に少年は「宝物」を取り落としまい、そこをたまたま通りかかった男の足元で、硬い音が響いた。
「‥‥っ!!」
リズは力なく膝をついて、無惨に砕け散った「宝物」を拾い集めている。俯いたままのリズの体が震えているのがわかる。
「‥‥ご、ごめんよ、リズ。俺が調子に‥‥うわっ!」
少年が謝罪の言葉をかけた時、リズはいきなり少年を殴り飛ばした。
「ご、ごめんってば‥‥‥‥あっ!」
そこで初めて少年はリズの異変に気づいた。
「うわあああぁぁぁっっっ!!」
叫び声をあげるリズの瞳が血の色に染まり、その赤い髪が天にむけて逆立っている。
「な、なんだよ、こいつ!」
「うわああぁぁっ!! 大切に‥‥大切にしてたのに!」
叫びながらリズは少年を殴り続ける。
「おい、リズ、いい加減にしろ! もう謝っているだろ、そこら辺に‥‥」
周囲の大人も異変に気づいてリズを宥めようとする。
「やあああぁぁっ!!」
そんな大人達の手も振り払い、誰彼構わず殴りつけるリズ。手をつけられないとはこのことである。少女のか細い腕で殴られたところで、たかが知れている。
だが、血の色に染まった瞳と逆立つ髪、なによりリズ自身の異常な様子は、村人達に恐怖心を起こさせるのに十分なものであった。
「ば、バケモノだ!」
「ハーフエルフの呪いは本当だったんだ!」
楽しげであったはずの祭りの場は、墨を溢したように黒く塗りつぶされていった‥‥。
リズ達の存在を黙認し、時に微笑みかけてくれた人々が、恐怖に顔を引き攣らせ、口々に彼女をバケモノと呼びつけるのであった。
「‥‥あ、あれから‥‥人混みが、怖いです‥‥。‥‥賑やかで楽しそうな笑顔‥‥それが変貌する‥‥あの一瞬‥‥恐怖に引き攣った顔で‥‥く、口々に‥‥化け物、化け物とあたしを指差して‥‥」
リズは自分で自分を抱き締めるようにして、自分の中に溢れ出てくる感情を必死に押さえつけようとしている。
「‥‥どんなに楽しそうな場所も‥‥またああなるのでは‥‥‥不安な気持ちを抑え‥‥きれません・・‥。不安な気持ちが‥‥昂ぶって‥‥感情の堰を切って、あたしはまた‥‥あたしは‥‥あたしは‥‥ば、化け物なんかじゃありません‥‥!」
リズは人前で話すことに、少なくない緊張を感じている。加えて自らのトラウマを語っていることは、様々な感情を揺り動かして、ほとんど狂化寸前まで気持ちが昂ぶってしまっている。
「よく頑張ったな。‥‥もういいだろう?」
誰かが優しくリズの頭を撫でた。少しでも不安な気持ちが和らぐように、と。
アグリット・バンデス(ea9789)である。アグリットは同心に視線を向け、リズの話を切り上げさせようとする。同心は黙ってうなずいた。
●旅路にて
ハーフエルフの狂化には、怒りなどの激しい感情による他に、特殊な条件によって狂化を引き起こす者もいる。
リズのように後天的なトラウマによって特定条件下で狂化を引き起こしやすいという事例もあるが、特定条件下の狂化はどうやら先天的な体質であるらしい。
イスパニア人でありながら、遠くジャパンにいるアグリット。おそらく旅に費やしてきた時間は短くない。。
その旅の途上での一幕である。
「あの山は難所だってな?」
道の先にそびえる山を見てアグリットは言った。
たまたま、その難所を手前にしてゆきずりとなった旅人達が一緒に山を越えることになる。アグリットのような冒険者についてけば安全だろうと一般の旅人が頼ってくるのである。
正規の依頼ではないが、急ぐ旅路でもなければ歩みを合わせるのを厭うほどのこともなし、ささやかな謝礼を貰う程度のことである。
この時はアグリットの他にも冒険者数名居合わせ、何の不安もない道中となるはずであった。
「山が高いって言ったって、ただの山道で高さなんか意識しないしな。けどな、道中、どうしても切り立った崖のそばを通らなきゃ、ダメだったわけだ」
それまで比較的なだらかな斜面を登ってきた山道は尾根をぐるりと回ったところで、断崖絶壁に面した道に変った。アグリットは身を強張らせた。
万一の時、自分を止めてくれそうな冒険者の間に入り込む。出来るだけ谷側から身体を遠ざけ、山側に身体を傾けるようにし、視線は前を歩く冒険者の腰から上だけを見る。
そんな風にしてしばらく進んでいった時のことである。
「おいおい、さっきからそのへっぴり腰はなんだい!」
後ろを歩いていた冒険者が軽い口調で、アグリットの尻を叩いた。その拍子にアグリットの視線は断崖絶壁の深い谷を見てしまった。
「目もくらむような高さに、頭がクラっときちまってな」
その時、アグリットは‥‥。
「ママー!」
子どもの泣き声にしては野太く、そも、一行の中に子どもはいない。一体誰の声かと旅人達は辺りを見回す。
「うえーん、ひっく、うわあぁ‥‥」
泣き声の主が見つかるのに時間は要さなかったが、誰もがその姿に驚愕した。
「このいなせな兄ちゃんがいきなり『ママー』なんて泣き喚きはじめたら、そりゃ誰だってビビるわな」
泣きじゃくりながら、アグリットはブツブツと呟いていた。
「まずい! 呟いているのは呪文の詠唱だ!」
気づいた時は遅かった。アグリットの手にクリスタルソードが生み出されて、そのウィザードらしからぬ、優れた剣技で暴れだしたのである。
「ママー! 怖いよー! ママー!」
高さに怯え、母を求めるアグリットの叫びは山々に木霊した。
冒険者が居合わせなければ、流血の惨事は必至であっただろう。
「‥‥俺、恥ずかしー‥‥」
アグリットのおどけた物言いは、あるいはそうでもしなければ思い出すのが辛いからであろうか?
●静かなる月のように
「今夜、月が顔を見せれば‥‥あなたの目の前で狂化してみせることもできますよ」
シェーンハイト・シュメッター(eb0891)は、そのように話を切り出した。
シェーンハイトとその両親は辺境に隠れ住んでいた。
世間との交わりを絶ち、親子三人、ささやかな幸せの中に暮らしていた‥‥。
だが、辺境に暮らしていたことは仇となる。
その夜、外から聞こえるざわめきに目を覚ましたシェーンハイトは自分がベッドに寝ていないことに気がついた。真っ暗で何も見えないが、酷く狭苦しい場所であるのはわかった。
「お父さん! お母さん!」
不安に駆られたシェーンハイトは大きな声を両親を呼んだ。
「いたぞ! 子どもだ!」
返事をしたのは優しい両親の声ではなく、知らない大人の声であった。
扉が開け放たれる。それで自分が物置の中にいたのだと気づく。
「‥‥だあれ?」
幼いシェーンハイトの質問に男は答えず、腕を掴むと乱暴に外に連れ出した。
「いたい‥‥いたいよぉっ!」
痛みを訴えるのを気にもかけずに、
「火をかけろ! こんな家、燃やしてしまえ!」
と男は仲間達に声をかけた。
持ってきた松明で所々に火がつけられていく。
だが、その炎が燃え上がるのを待つまでもなく、月の光は辺りを明るく照らしていた。
例えば、倒れている両親の身体から流れ出ている、赤い色の液体であるとか‥‥。
「お父さん‥‥? お母さん・・‥?」
シェーンハイトは訳もわからず、それを眺めていた。ただ目を離すことがことが出来ない。
じっとじっと見つめ続けて、その赤い色が瞳の奥に染み付いてしまった頃‥‥、ようやく両親がすでに帰らぬ人になっていることを理解した。
「やああぁぁぁっ!!」
悲鳴を上げるシェーンハイト。
「安心しろ、お前もすぐに同じところへ行く」
「天国ではないがな」
「いやいや、例え地獄でも親子そろってしまっちゃ罰にならないだろ?」
「慈悲深く生かしてやって、親子は離れ離れ、いいじゃないか」
家に放たれた火は徐々に勢いを増して、その明かりに照らされた襲撃者達の姿は、まさに悪魔の如き禍々しさであった。
「印はつけておかないとな」
襲撃者の一人が、持っていた十字架を火であぶり始めた。
シェーンハイトの服が剥ぎ取られ、うつ伏せに組み伏せられてしまう。
「お前は化け物だ! そのこと、忘れるんじゃねえぞ!」
シェーンハイトの素肌に真っ赤に焼けた十字架が逆さまの向きで押し付けられた。
「ひぎいいぃぃっ!!」
シェーンハイトの悲鳴があがり、人肉の焼ける独特の臭気が辺りに立ち込める。
「あはははは!」
「くふふふふ!」
狂気を孕んだ笑い声が上がって、幼いシェーンハイトが苦悶するさまを襲撃者達は楽しんでいるのだ。
一方のシェーンハイトは激痛と恐怖に苛まれて、先ほど染み付いてしまった両親の血の色が、瞳の奥から滲み出てくる。
そして、シェーンハイトの顔から苦悶が消えた。
痛みが消えたわけではない。焼けた十字架が皮ごと剥がされた時も、仰向けに転がされて重度の火傷が砂や泥だらけになった時も、激しい痛みを感じて、身体の反射で本能的に痛みから逃れようと反応している。だが、その他は反応らしい反応を見せない。
痛みを感じていても、そこから「苦しい」であるとか「恐ろしい」であるとか、そういった感情がなくなっているのである。
仰向けにされて、視界に飛び込んできた美しい月も‥‥どんなに眺め続けても、シェーンハイトが美しいと感じることは、ついになかった‥‥。
●冷ややかな視線
「さて、わしの話じゃな。多量の血を見ねば狂化は起こさぬ。故に、ここで狂化をしてみせることはできんのじゃが‥‥」
朱蓮はそう言うが、実際はどうであるかはわからない。ただ、物事にあまり悩む性質ではなく、常に自制心も強い男で、怒りによる狂化を経験する機会が稀であったろうから、そう思い違いをしているのかもしれない。
「狂化するとどうなるか、というとじゃな。わしの場合は毒舌家になる。言葉で執拗に攻める。完膚無きまでに徹底的に、情け容赦なくのう」
ハーフエルフにはありがちな話であるが、朱蓮も幼い頃より迫害されて育ってきた。
「穢れた存在」
「禁忌の子」
「混血種」
そういった罵りの言葉が浴びせられ続けてきた。
『‥‥くだらない』
だが、朱蓮は強かであった。そういった迫害者達をどこか冷めた目で見つめていた。
『どれもこれもどこかで聞いた言葉ばかり。罵るなら罵るでもっと気の利いた言葉の一つでもでぬものかの?』
迫害しているはずの自分達が、迫害されている者に冷ややかな視線を投げ返される。それを恐ろしいと感じない者がいるとしたら、相当に鈍感であると言えるだろう。
朱蓮が長ずるに従い、その恐怖はますます増大していった。朱蓮の知識が少しずつでも広がるに従って、
『何年間、同じ言葉を繰り返していれば気が済むのじゃろうか? 何も変っておらぬではないか。まったくもって下らぬ連中じゃ』
口に出されることはなかったが、迫害者に対する辛辣さが益々強烈になっていったのである。
もはや、薄気味悪いどころの話ではなくなってしまった。
人々は手に手に武器ともいえぬ、粗末な鍬や鋤を持ち出して、朱蓮に襲撃するに至った。いつも通りの罵りの言葉を吐きながら。
すでに武闘家としての修練を行っていた朱蓮であったが、多勢に無勢ではどうにもならず、散々に打ち据えられて自らの流したの血溜まりの中に倒れ伏した。
流れ出た血が、瞳に染みこんできたかのように‥‥朱蓮は狂化した。
「毎度毎度、程度の低い罵りをよくもまあ、飽きずにご苦労なことじゃのう。おぬしらにはそれしか頭に入っておらんのか? 憐れなじゃのう。それが人間だというのなら、わしは混血種に生まれて幸せだわい」
溢れ出てきた言葉は、人々の稚拙な言葉を叩き潰してきたのである。