君に餞を。

■ショートシナリオ


担当:言の羽

対応レベル:2〜6lv

難易度:やや易

成功報酬:2 G 72 C

参加人数:4人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月05日〜01月16日

リプレイ公開日:2006年01月16日

●オープニング

「ねえ、あなた‥‥最近のあの子、よく笑うようになったわね」
 喉が渇いてふと起きた晩。
 キッチンに向かう道すがら、セレナ・パーセライトは、ダイニングから明かりと声が漏れている事に気がついた。
「あの子の笑った顔を見ていると、嬉しくなるのよ。こんなに小さかった頃から、ちっとも笑い方が変わらないのですもの」
 その声はセレナの母の声で、母が話している相手は十中八九、セレナの父ラルフであろう。母の言葉にセレナは思う。――ふふっ、とつい漏らしてしまったような母の笑い方も、ちっとも変わらない。
 母のそんな様子をうかがうのは、どれくらい久しぶりになる事か。
 野盗に襲われて足が不自由になってからというもの、母には苦笑ばかりが増えていた。変わらない笑顔を向けてくれる回数が減った。思うように歩けないからだと、傷つけられた時の痛みが母の心を捉えて離さないのだと、セレナは考えていた。
 けれど実際には、彼女の予想は大きく外れていた。母の苦笑の原因はセレナだった。母の怪我に負い目を感じ、自分をきつく戒めるようになった娘の姿にこそ、母は最も大きな痛みを感じていたのだ。
「そうだね。冒険者の方々には感謝をしないと」
 父がカップをすする。その音でセレナは、両親の会話につい耳を傾けている自分を、改めて認識した。
「あの子にきっかけと導きをくれた。そして手本になってくれた‥‥あの子の求めるものとその在り方を見せてくれた。あとはあの子次第だ」
 優しい、落ち着いた父の声。父のこの話し方は何年経ってもちっとも変わらない。
「ええ、でも――そろそろ潮時ではないかと思うのよ」
「‥‥潮時?」
「あの子が貴方の跡を継ぐのか継がないのか。はっきりさせるべきではないかしら」
 セレナはぎくりとした。
 彼女はひとり娘であり、兄弟はいない。そしてパーセライト家はそこそこ大きな商家であり、これを父の代で終わりにしたり他人に渡したりするのはとても惜しく残念な事である。‥‥武術の鍛錬に比べれば、経営についてはほんのわずかにかじったくらいでしかないが、そんなセレナにも痛いほどわかる。

 暫し立ちすくんだ後、両親に気づかれないうちに、セレナはそっとその場を離れた。

 ◆
 
 いつまでもこのままではいられない。

 彼女は進む道を選ばなければならない。

 ――‥‥いや、もう決まっているのかもしれない。

 彼女の心も、その行き先も。

 ◆

 あくる日。庭で訓練するセレナのもとへ、ラルフはやってきた。
「今日は、身が入っていないみたいだね?」
「‥‥‥‥」
 声をかける少し前から、様子をうかがっていたのだろう。セレナの拳にも脚にも、いつものような勢いがない事を、ラルフはわかっているようだった。
「‥‥お父さん」
「ん?」
「あの‥‥‥‥‥‥」
 言う。昨夜のうちに考えた結果だ。セレナはあくまで逡巡したものの、ぐっと顎を引くと、父に向き直った。
 まっすぐ、ひたすらに見てくる娘を、ラルフも柔らかく微笑んで受け止めた。
「私、どっちも諦めたくないの」
「どっちも?」
「うん‥‥強くなる事も、お父さんの跡を継ぐ事も。私の頑張り次第で、どっちも叶えられると思うの!」
 強くなる事。それは初めてそう決めた時から変わらぬ想いのため。大切な人を守るため。
 父の跡を継ぐ事。それは自分が父の娘として生まれた時からの責務であり、権利だ。
 どちらかしか選べないのか、どちらかなんて選べやしないのにそれでも片方だけを選べというのか、選べるわけがないじゃないか。なぜなら彼女はどちらもほしいのだ。どちらも彼女が彼女であるためには必要でかけがえのないものなのだ。
 母のため。父のため。そして何より、自分のため。
「私、訓練はやめない。でも、お父さんの跡を継ぐための勉強もする。してみせる。――だからっ」
 片方だけ、なんて言わないで。
 泣きそうな顔で嘆願するセレナ。必死の姿の娘の頭に、ラルフはぽんと片手を乗せた。
「そうか‥‥じゃあ、ちょっと頑張ってきてもらっちゃおうかな」
「え?」
 セレナはまだ知らなかった。商人の笑顔なんて油断のならないものであるという事を。

 ◆

 ひとたび決まってしまえば、後はとんとん拍子に話が進む。しかもセレナの知らぬ間に。セレナの手の届かないところまで。
「セレナ。お父さんの友達で、やっぱり商売をやっている人がいるんだけどね。手紙を書くからそれを持って、おまえひとりでその人のところにいくんだよ」
「お父さんは行かないの? 一緒に来ればいいのに」
「お金がかかるからね。おまえだけでいいさ」
「そんなに遠いの?」
「どうだろうね。まあ月道を使うのだから、遠いようで近く、近いようで遠い、かな」
「‥‥‥‥‥‥‥‥月道?」
「ああ、月道だよ。なんてったって、ジャパンだから」
「ジャパン!?」
「そう。ジャパン」
 にっこりと極上の笑顔を垂れ流すラルフ。パーセライト家において、彼こそが最強であるのかもしれない。

 とにもかくにも、泣いても笑っても、15日になればセレナはジャパンへ旅立つのである。

●今回の参加者

 ea6006 矢萩 百華(33歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb3234 フェリシア・フェルモイ(29歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb3512 ケイン・コーシェス(37歳・♂・ファイター・人間・イギリス王国)
 eb3518 シェラフィータ・ザインベルト(35歳・♀・ナイト・人間・イギリス王国)

●リプレイ本文

●まずは挨拶から
 使用人に呼ばれて応接間にやってきたセレナ・パーセライトは、そこに父だけでなく、知らない4人の姿がある事に驚いた。彼女の部屋を使用人がノックした時からなんとなく予感はしていたが、その予感がこうも当たるとは。
 まずひとり、ゆったりと立ち上がったフェリシア・フェルモイ(eb3234)が、恭しく頭を垂れて礼をした。
「はじめまして、お嬢様。聖なる母にお仕えする、フェリシアと申します。どうぞよろしくお願いします」
「‥‥‥‥‥‥あ、はいっ、こちらこそよろしくお願いします」
 礼をされたのならば礼を返さなければならない。セレナはそう教えられてきたものだから、なぜこの人達がここにいるのかもよくわからないままに、同じく頭を垂れた。
 フェリシアに続き、他の3人も順に初対面の挨拶を述べていく。
 ソファにおもいきり体を預けたまま、よっ、と片手を挙げたのはケイン・コーシェス(eb3512)。面倒見が良さそうで、見るからに元気なお兄さん系青年だ。
 ケインと対照的にすっと背を伸ばしているのはシェラフィータ・ザインベルト(eb3518)。セレナと視線を合わせて自らの名を述べる事で挨拶にする。
 そして最後は、他の3人とは異なる顔のつくりからおのずとジャパン人と知れる、矢萩百華(ea6006)。服装もジャパン特有の『キモノ』と呼ばれるものだ。
「お父さん、この方達は?」
「おまえが気持ちよく旅立てるように、勉強会を開いてくださるそうだよ」
「そんな‥‥また勝手に冒険者ギルドへ依頼を出したのね!?」
「まあまあ、色々知っておくと、行った時に戸惑う事が少なくて楽だからな」
 にっこり告げる父親にくってかかるセレナだったが、そんな彼女に動じる事もなくケインがとりなす。彼の生い立ちを聞けば、彼が騒がしい状況に慣れている理由もわかるだろう。
「そうよ。向こうに行ってもすぐに馴染めるように、ね。私はこの通りジャパン出身だから、ジャパンの事なら何でも聞いてね」
「わたくしもジャパン語を嗜んでおりますので、旅立たれる前にお教えできればと思って、お邪魔しました。セレナ様に言葉や文化について予習して頂ければと思います」
 百華とフェリシアも言葉を添える。
 段々とセレナの中にも「折角来てくれているのだし‥‥」という思いが生まれてきた。横目で父をうかがえば、先ほどと同じ表情のままで成り行きを見守っている。ここまで父親から徹底的にやんわりと何かを強制されるのは初めての事だ。
 ――これが、商人というものなのだろうか。父のように笑顔で要求できるようにならなければ真の商人ではないという事なのだろうか。
「わかりました。皆さん、ご教授を」
 どこか間違った解釈をしつつも、セレナは生真面目にももう一度頭を垂れたのだった。

●言葉が通じるという事の重要性
 どこで何をするにも、人と関わる限り挨拶こそが基本中の基本である。よって、まずはジャパン語の習得を目指す事になった。
「ご商売のご修行という事ですから、いつまでも通訳頼りではいられませんわよね」
「そうですね‥‥表現の微妙な意味合いで、うまくいく商談もうまくいかなくなるかもしれませんし」
 場所はセレナの私室に移る。決して16歳の女の子のものとは思えない部屋に。
 うわ‥‥という呟きが誰かの口から漏れた。セレナによって訓練室へと改造されたその部屋は殺風景で寒々しく、ぽつぽつと数点のぬいぐるみが隅に置かれているだけ。どれもが自分から望んだのではなく、単に知人や父親から贈られた物であるに過ぎない。しかもなぜかぼろぼろ。
 無残なぬいぐるみの姿に、色々と想像がついてしまったケインは思わず苦笑し、ぽりぽりと頬をかいた。だが彼は細かい事を気にしない性格であり、とりあえずぬいぐるみを手で撫で、毛並みを直してみた。
「じゃあジャパン語を交えながら、ジャパンの特色について話しましょう」
 言うなり百華は、その場で膝を折るようにして座った。
『あけましておめでとうございます』
 明らかにイギリス語とは異なる流れと響きが、背筋を伸ばしたまま一礼する百華の唇から紡がれて、おお、と一同がどよめく。
「これが新年の挨拶よ。ジャパンでは年が改まって1月1日になると、こんな風に挨拶するの。‥‥ちょっと時期が遅くなってしまったけれど」
「その座り方は‥‥?」
「正座、と言うのよ。ジャパンでは、椅子に座る事よりも畳や板の間に座ることの方が多いから」
「セイザ? タタミ?」
 聞き慣れない単語がぽんぽん飛び出してくるので、セレナの頭上にも疑問符がぽんぽん浮かぶ。
 わらを縫い固めて板状にした物を、いぐさで編んだ敷物で覆ったのが、畳よ。百華は説明をしてくれるのだが、セレナの疑問符は増える一方だ。
「タタミについては存じています」
 フェリシアがローブの裾を押さえながら、百華の真似をして座った。
「いざという時は、タタミを盾にして攻撃を受け止めるのですよね」
「そうなのですか!?」
 場が微妙に凍りつく中で、シェラフィータただひとりが食いついた。
 今の百華の説明を聞き、他の者はタタミとは大きなクッションのような物だと理解したのだが‥‥クッションが盾になるものなのだろうかとケインは憚る事なく首を傾げた。
「まあ矢の1本や2本なら何とか‥‥?」
「違います、カタナで斬りつけられた時にタタミで我が身を守るのです」
「ジャパンというのはすごい国ですね‥‥家々にそのような防具が備え付けられているとは。そして防具があるという事は、それを打ち破るだけの攻撃もおそらく存在するという事‥‥興味があります」
「なるほど。ジャパンの人々は生まれた時から武器防具と共に過ごしているのですね‥‥」
 次々と他の者達も食いつく中で、妙に厳しい顔つきのセレナがむぅ、と唸る。これは気を引き締めてかからなければ、居候先と挨拶を交わした瞬間、地に倒れ伏す事になりかねない。そんな風に考えているらしい。
「その認識は間違っていない気もするけれど、やっぱり間違っているわ」
 百華ががため息混じりにツッコミを入れる。と、フェリシアがさっと青ざめた。
「そんな‥‥ジャパンの男性の方は皆、頭を丸めて、その上に短刀を乗せておられるとも聞いていたのですが、違うのですか? では恥をかいた時に、その短刀でセップクするというのも間違いなのですね‥‥」
 大いなる勘違い。
 フェリシアとケインは多少なりともジャパン語を習得してはいるが、文化についてとなると途端にあやしくなる。
 依頼期間が長くてよかったと百華は思った。間違いを訂正して正しい知識を伝えるには結構な時間がかかりそうだ。

●戦う者としてのサガ
「自分には何ができるかと悩みあぐねた結果、せめて訓練にお付き合い出来ればと思い至りました」
 パーセライト家の庭にて、それは始まった。適度な距離を保ちながら、油断なく互いを見定める、シェラフィータとセレナ。どちらも徒手空拳であり、防具もなし。身ひとつ。
 足元を確かにし、腰の位置を定める。ざり、と土が唸る。
「初めて向かう土地で、少しでもかかる難事を退ける為の力。その足しに少しでもなるのならば、無駄ではないでしょうし。セレナさんの掲げる目標の達成にも幾ばくかの役には立つでしょう。それに、気分転換になるやも知れませんし」
「‥‥お気遣い、ありがとうございます。騎士様にお相手いただけるなんて光栄です」
「騎士様、ですか? 私など、まだまだひよっこですよ」
 騎士なれば、シェラフィータの本来の得物は拳ではなく、剣もしくは槍といった類の物。だが今回はセレナに合わせ、あえて拳を選択した。
 セレナは剣を使ってくれと要望を出したものの、シェラフィータは左右に首を振った。純粋にセレナの力量を測ってみたかったのと、どうせ時間はたっぷりあるのだから色々やってみるのも悪くないと考えたからだ。
「後で俺とも手合わせしてくれよ!」
「はーいっ、私も私もっ」
「万が一お怪我なさった場合は、わたくしが治療いたしますのでご心配なく」
 邪魔にならない位置から遠巻きに、観客として他の3人が声をかける。そして3人の隣には、セレナの母親であるティアの姿もある。
 可愛いひとり娘が武術の鍛錬をやめない事に、ティアが渋い気持ちを抱いている事実は変わらない。この先も変わる事はないだろう。それでも、ああして動き回る娘の表情がとても活き活きとしている様を見ると、何も言えなくなってしまうのだ。
「せえええいっ!!」
「やああああああっ!」
 ――シュッ――バシッ――ブゥンッ――ガシッ――
 じきに、シェラフィータは冷や汗をかく事になった。油断をしていたわけではない。想像以上にセレナの一撃一撃が鋭かったからだ。
 受け止めてもすぐに次が来る。動作と動作の間にどうしても生じてしまう隙を突こうとして、踏み込みに緩急をつけながら飛び込んでくる。避けられずにくらってしまう事が度重なれば、シェラフィータも徐々に本気を引き出されていく。手加減をしていたつもりはないが、時間の経過と共に手加減をする余裕などなくなっていく。
「結構いい動きするんだなあ」
「わたくしにはよくわからないのですが‥‥すごいのですか?」
「セレナのほうは回避がちゃんとできてるな。シェラフィータのほうは受け止めるのが上手いか」
「実戦も何度か経験したらしいし、所謂、叩き上げってやつかしら」
 セレナを一人前と呼ぶには、まだ心もとない。しかし地道に積み上げてきた訓練は見事に花を開き始めているようだ。
 ティアはじっと娘を見つめていた。折角用意した茶が冷めて、菓子の皿が空になっても、新たに用意するのを忘れてしまうほど。
 ――ガツッ!!
「っ!?」
 その瞬間、誰もが息をのんだ。
 シェラフィータの拳が、ちょうど指の付け根の関節が盛り上がった部分が、セレナの頬にめり込んだのだ。
「セレナ!」
 顔面蒼白のティアが、体を支えるための杖も持たずに駆け寄ろうとして、バランスを崩した。ケインに受け止められた母親に対し、セレナは一言、「平気」と告げた。頬を赤黒く腫らしながら。

●お礼を兼ねた離別の会
 勉強と訓練に明け暮れた日々は、長いようで、過ぎてみれば早いもの。
 明日はとうとう出立、という夜。パーセライト家の広間にて、それは始まった。主催はセレナという事になっているものの、テーブルに並んでいるのは百華作のジャパン風料理とフェリシア作のイギリス家庭料理、及びティアの手によるパーセライト家の味の焼き菓子である。最も辛いと思われる食生活の変化に慣れておくためと、そうそう食べられなくなる、生来親しんできた味を心に刻むためだ。
「セレナ、こいつをもらってくれないか」
 ほろ酔い気分のケインがごそごそと取り出したのは、茶色い卵だった。
「旅立ちに寂しくないように、な。愛を注げばそいつは孵化して力になる相棒になってくれるだろうさ」
 卵を凝視するセレナに、ケインは何を勘違いしたのかもうひとつ別の卵を取り出し、「こっちのほうがいいか?」と尋ねてくる。
 しかしセレナは質問に質問で返した。
「それは何の卵なんですか? 孵化すると何が生まれるんですか?」
「え? ‥‥いや、その‥‥」
 こんな質問が飛んでこようとは夢にも思っていなかったのだろう。そして彷徨う視線や一気に挙動不審になった事からして、答を知らないのだろう。
 セレナは苦笑した。
「何が生まれてくるのかわからない卵を持って、ジャパンに行く事はできません。私は向こうで居候をさせてもらうつもりですから‥‥居候先に迷惑をかけるわけにはいきません」
 例えば図体の大きい生き物。例えばよく食べすぎる生き物。卵がいざ孵った時にそんな生き物が誕生したのでは、居候の身では面倒を見切れない。生まれてきた生き物ともども、不幸になってしまうだけだ。それはセレナの望むところではない。
「そうかあ」
「すみません、折角の申し出を」
「いや、おまえの言うとおりだ。こっちこそすまんな、考えが及ばなくて」
 抱きたいというセレナに卵を渡していると、フェリシアが「そういえば‥‥」と切り出した。
「商人の方がジャパンに行かれるのは今のトレンドなのでしょうか? 冒険者街に華国の方が出されていた香のお店があったのですけれど‥‥閉店してジャパンに行かれるとの張り紙がありましたわ」
「華国の‥‥香‥‥」
 ただの世間話。だがセレナには思うところがあったようだ。

●月道
「異郷の地にても、人の縁と、神の恵みがセレナ様にありますように‥‥良き修行となります事を祈っておりますわ」
 旅支度を整えて、あとはその時を待つのみとなったセレナに対し、フェリシアは十字を切って祈りを捧げた。
 その横ではシェラフィータが続けて別れの挨拶を述べる。
「‥‥貴女が思っているよりも、貴女の事を大事に思う方は多い」
「それは、どういう?」
「実は私は、体の空かぬ知人の代わりとして、この依頼を受ける事に決めたのです。セレナさんを今まで見守っていた方に請われて」
 セレナの手をとり、自らの手を重ね――
「その方は、かの地でも貴女が病む事無く、無事に日々の成長を遂げられる事を願う事でしょう。お気をつけて」
 瞳の焦点を合わせて、シェラフィータは微笑んだ。
「向こうに行ったら故郷が恋しくなると思う。けどそうなって当然だし、だからって、寂しいばっかりじゃない。いろんな事を経験するのは、自分の力になっていくものだってな」
 ケインの言葉に、思い出されるのは食休みの時の事。そう、彼はこの数日の間に、各地を転々とした経験を話してくれていた。これからのセレナにとって、力強い支えとなる事だろう。
「セレナ君、文化が違う異邦の地に飛び込むのは怖いかもしれないけど、大丈夫よ。私がこんな風にイギリスで暮らしてるんだから」
 同じように、百華の言葉も立ち居振る舞いも、まだ見ぬ地への恐れを和らげてくれた。

 セレナの背負う荷袋の中には、母直筆による母の味のレシピ集が入っている。冒険者からもらったナックルも入っている。想い出も決意も、胸の中にある。
 何があるか、何が起こるかはわからない。けれどきっとやっていけると、そう強く信じられるのは――

「行ってきます」

 ――信じられるのは、自分を支えてくれる人達の存在を知っているから。