彼女の機嫌をなおすには

■ショートシナリオ


担当:言の羽

対応レベル:フリーlv

難易度:やや難

成功報酬:0 G 52 C

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:06月22日〜06月27日

リプレイ公開日:2006年06月30日

●オープニング

 イギリスはキャメロット出身であるセレナ・パーセライト。齢17の彼女がわざわざ月道を越えてジャパンにまでやってきたのは、家業を継ぐために商人としての修行を積むためだ。
 だがここで忘れてはならないのは、家業を継ぐと決意する前からの彼女の希望――つまり「強くなる」という目標を、彼女が忘れたわけではないという事。居候先である呉服屋『鈴乃屋』の一日はまだ仄暗い頃から始まるのだが、彼女はそれよりも更に早く目を覚まし、心身の鍛錬を開始する。
 水辺の砂地で走り込みをし、体をほぐしてから、誰かと戦っている事を想定しての訓練となる。

 甘味処『華誉』の職人兄弟、そのうち次男のほうは名を勇二郎という。火を扱う仕事なので、より一層体が資本であるとして、こちらも早朝訓練を欠かさない。一応こちらのほうは戦闘など念頭にないのだが、ある日偶然にも訓練に出向いた先でセレナと出会ってしまったのが運の尽きだった。喉自慢の時から面識がある二人だ。セレナは誰かと戦っているという想像の中で訓練を行わずに済むようになった。

「いってぇ〜‥‥お前なぁ、本気でやんじゃねぇよ!」
「訓練といえど常に全力を出さなければ意味がありません。努力を怠れば残るは停滞のみです」
「言いたい事はわかるけどな、いいか、俺は戦う事に関してはまるきりの素人なんだよ! それに手を怪我したら仕事できなくなるだろうがっ」
「大丈夫です、ちゃんと考えてあります。手の他にも、露出する部分は攻撃を当てないように努めています。そちらも客商売ですから、痣などが見えていては差し支えるでしょうし」
 銀色の髪が目を引く少女、その少女の一撃をくらった脇腹を押さえつつ、勇二郎はげんなりとうなだれた。彼が真に言わんとしている事を、彼女は本当にわかっているのだろうか。女性は元気なほうがいいというのは勇二郎の趣味だが、この少女はいささか元気すぎやしないだろうか。
 けれど強くなるための訓練と家業を継ぐための修行とを両立させているのは、素直にすごいとも思っている。勇二郎は兄がいるから店を継ぐ事はないが、傍目から見ているだけでも兄の苦労は計り知れない。
 ‥‥そういえば、と勇二郎は気づいた。兄にしてもセレナにしても、後継者というものは過度の真面目になるものなのだろうか。
「まあいいや。ほれ、お茶でも飲め。水分はとらないとな」
「はい、ありがとうございます」
 水筒に入れてきた茶を注いだ湯飲みを渡せば、ぬるくなっているのに、セレナは嬉しそうに微笑んだ。本当に些細な変化しか伴わない微笑だったが、元々が仏頂面なので、勇二郎を照れさせるには充分だった。
 そうして思わず視線を逸らした勇二郎だったが、故に今まで気づかなかった物に気がついた。セレナの胸元、服の合わせ目から、押し花の栞が顔を出していた。
「何だそれ?」
「ああ、胸ポケットに入れていたのですが、動いたせいで出てきてしまったようですね。落とす前に気づいてよかったです」
 礼を述べ、セレナは栞をしまいなおす。
 ここで、勇二郎はつい、思った事を深く考えず口に出してしまった。
「お前に花とか栞って似合わねぇよなぁ」
 他意があったわけではない。けれどセレナがどれだけその栞を大事にしているか、もっと早く気づくべきだったのだ。
「――そんな事、あなたに言われなくても‥‥」
 セレナの表情の変化から、ようやく自分がひどい事を言ったと勇二郎が理解した時には、彼の顔に飲み残しの茶が浴びせられていた。驚いて呆けながら、彼は走り去る背中をただ瞳に映していた。

 翌日から、セレナはいつもの場所に現れなくなった。訓練をやめたとは考えられないから、場所を変えたのだろう。
 かといって鈴乃屋まで出向けば、店のほうにも迷惑をかけてしまうかもしれない。第一、何を言えばいいのか。
「だからお前は思慮が足りないといつも口をすっぱくして言っているだろうが」
 様子のおかしい弟から何とかいきさつを聞きだした兄、栄一郎は、弟の愚かな行動をこう評したのだった。

●今回の参加者

 ea0604 龍星 美星(33歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea1022 ラン・ウノハナ(15歳・♀・クレリック・シフール・イスパニア王国)
 ea6226 ミリート・アーティア(25歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea7435 システィーナ・ヴィント(22歳・♀・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 ea9885 レイナス・フォルスティン(34歳・♂・侍・人間・エジプト)
 eb1155 チェルシー・ファリュウ(25歳・♀・ファイター・人間・ノルマン王国)
 eb2295 慧神 やゆよ(22歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3525 シルフィリア・ユピオーク(30歳・♀・レンジャー・人間・フランク王国)

●サポート参加者

レンティス・シルハーノ(eb0370)/ 久遠院 桜夜(eb5371

●リプレイ本文


「うーん、やっぱり美味しいね!」
 匙を握り締め頬に手を当てて、システィーナ・ヴィント(ea7435)は至福の笑みを浮かべた。
「甘くて、でも甘すぎずくどくなく‥‥この絶妙さがたまらない〜」
 甘味処『華誉』の菓子を初めて食べるミリート・アーティア(ea6226)も嬉しそうに舌鼓を打つ。皿を運んできた長男、栄一郎は、そんな彼女達の姿にほんのりと微笑んだ。
 ちなみにラン・ウノハナ(ea1022)やチェルシー・ファリュウ(eb1155)も同じ席に座り、まくまくと菓子を食している。自分で払うと明言したシスティーナ以外は、栄一郎の弟であり今回の依頼人である勇二郎からの心配りである。――が、その勇二郎本人はというと、全身脱力して机に突っ伏していた。
「勇二郎さまーっ、しっかりなさってくださいませー!」
「ああ‥‥ランちゃん、俺の心配してくれるのは嬉しいけど口のまわり拭こうぜ」
「えっと、はじめまして。チェルシー・ファリュウだよ、依頼主さん」
 真っ赤になって口元をハンカチで覆うランの代わりに、職人兄弟とは初対面となるチェルシーが頭を下げた。が、突っ伏したまま「おう」と片手を挙げただけで、勇二郎は返事を終わらせてしまった。呆れ顔の栄一郎がため息をつく。
「すまないな、ここの所ずっとこんな調子だ」
 栄一郎曰く、勇二郎は菓子作りもまともにできない状態らしい。女の子大好きな彼の事だから、その女の子を怒らせてしまった事がよほどショックだったのだろう。あまりの元気のなさに、匙を持つ手も止まるというもの。皆はそっと顔を見合わせる。そして勇二郎は栄一郎に首根っこを掴まれ、半ば引きずられるようにして調理場に下がっていった。

 夕刻、店じまいの頃に呉服屋『鈴乃屋』を訪れたのは、シルフィリア・ユピオーク(eb3525)だった。小鈴に会いに来たと告げると、程なくしてその当人が奥から走ってやって来た。珍しい事なので従業員達が目を見張る。人見知りが激しく、積極的なほうではない小鈴が走って客を出迎えるなんて、と。
「おねーちゃん‥‥っ」
「小鈴ちゃん元気だったかい?」
 抱きついてきた小鈴を、シルフィリアは笑顔で抱き返す。小鈴も幸せそうに笑っている。
「約束どおり遊びに来たよ」
「‥‥今から‥‥? でも‥‥今日はもうすぐ夜だよ‥‥?」
「いいや、明日だよ。小鈴ちゃんのお父さんとお母さんに許しをもらって、明日はあたいとお出かけしよう」
 小鈴が来たほうに視線を送れば、彼女の両親がちょうど歩いてくるところだった。


「話を聞く限り、どう考えてもあの男の思慮不足だな‥‥」
「そうアルネ。セレナが栞をどれだけ大事にしていたかわかっていれば、あんな事は言わなかったと思うヨ」
「あたしもそう思う。‥‥気持ちをちゃんと相手に伝えるのって難しいよね。相手にわかってもらうのって、本当はとても大変で、すごい事なんだよね‥‥」
 連れだって歩くレイナス・フォルスティン(ea9885)と龍星美星(ea0604)、そしてチェルシー。まだ夜明けが始まる前だというのに、彼らが向かっているのは鈴乃屋だ。セレナが訓練の場を変えてしまったというのなら、彼女が出てくるのを店の前で待っていればいい――どうにかして探すつもりだったレイナスは、美星のそんな提案に目から鱗を落とした。
 到着後、雨戸の閉まった店先でしばらく眠い目を擦っていると、カタンと音がした。裏口のほうだ。慌てて走っていくと、セレナが驚いた顔で振り向いた。
「ど、どうしたんですか美星さん。それに、そちらの方々は‥‥?」
「久しぶりネ、セレナ。毎朝修行してるって聞いたヨ。よかったら、ちょっとつき合わせて欲しいヨ。あ、このふたりもセレナと手合わせしたいって言ってるアル」
 よろしく、よろしくね、とレイナスもチェルシーも微笑んだ。セレナは首を傾げたが、こんな時間にわざわざ来てくれたのだからと了承し、道案内をしてくれた。
 彼女が最近、訓練の場として使っているのはやはり水辺だった。ただし、勇二郎と訓練していた所からは建物の陰になって見えないような場所を、わざわざ選んでいた。あまり遠く離れた所へ行かなかったのは、店に戻る時間の都合もあるだろうが、勇二郎を許す余地がセレナの心の中にあるからだと、三人は見当をつけた。
 そして気がつけば、皆揃って走りこみをしていた。
「あのさ‥‥まだ‥‥走るの‥‥?」
「頑張るんだ、チェルシー。あの二人を見てみろ」
「なんで‥‥あんなに‥‥元気、なのぉ‥‥」
 四人の中では最も体力のないチェルシーが、真っ先にダウンした。チェルシー単体でみるなら決して貧弱というわけではないのだが、いかんせん他の者が頑強なのだ。彼女を心配したレイナスは速度を落として隣にいてくれたが、美星とセレナは競争の真っ最中だった。
「遠慮は不要ネ、来イ!」
 しかもそのまま組み手を始める始末。チェルシーは水分を補給しながら、とりあえず観戦に回った。
 まずは軽い打ち合いで、次第に熱の篭ったものとなり、拳が空を切る音やそれを受け止める音が早朝の静けさを飲み込んでいく。セレナが美星の胴体を狙えば、美星はするりと回避してしまう。けれど続けて打ち込まれた二の撃は、回避の直前で急に軌道を変えた。
 まともにくらった美星の足元は一瞬よろめき、たたらを踏んだ。セレナはますます拳をきつく握り締める。
「ちょ、ちょっとタンマアル!」
 これはまずいと思ったか、訓練を中断してまで美星が行ったのは、自分にオーラエリベイションをかける事だった。
「あー! 美星さんずるい!」
「だってセレナがこんなに強くなってたとは思わなかったアル!」
 文句を述べたのは訓練相手のセレナではなく、観客となっていたチェルシーだった。武術の訓練なのに魔法を使うのはどうか、いや訓練だからこそ全力を尽くすべきだという話に発展して、当のセレナ本人を置いてきぼりにしたまま、議論している。
「なんなら俺とやってみるか? セレナといったか、筋がよさそうだからな。自分とは異なる流派の者とやるのは俺にとっても練習になる」
 次の行動を決めかねているセレナを、レイナスが手合わせに誘ったのも自然の流れだったろう。
「‥‥私の戦い方は我流ですが」
「かまわん。そっちに合わせて俺も素手にしよう。――来い!」
 素手どうしの戦いの場合、基本的に接近戦となる。至近距離での手合わせ終了後、「なかなかに俺好みの肌だ」とレイナスは呟いた。一体何を見たのやらとセレナを確認してみると、勢いづいて緩んだ襟元をなおしているところだった。

 その日の昼下がり、華誉では、小鈴が小さな手で匙を握り締めていた。苦戦しているのは彼女の手に比べて匙が大きいからだけではない。まだまだ幼い彼女にとって、机が高すぎるのだ。
「ランのように飛べたなら話は早いのですけれど‥‥」
「ねえ、クッション――じゃなくて、こっちではザブトンっていうんだっけ。ザブトンないかなー?」
 ほとんど使い物にならない勇二郎の代わりに、ランとミリート、システィーナが店を手伝っている。一人で菓子を作り続ける栄一郎の補佐をしたり、忙しい店内を兄弟の母親と共に切り盛りしたり。
 小鈴の横にはシルフィリアがついており、食べこぼしを拭いてやっていた。午前中に花畑へ出かけて、その帰りなのだ。一緒に花畑でじゃれあったシルフィリアの愛犬かりんは、さすがに食べ物を扱う店には入れないため、店の外の日陰でうずくまっている。机の上に、二体目となるシルフィリアのちま人形も乗っているのは、どうやら小鈴がもらったらしい。
「今日も綺麗なお花が摘めたし、また押し花の栞を作ろうか」
 おまけにちまの横には野の草花でできた小さな花束がある。白玉団子と格闘中の小鈴は、シルフィリアの言葉にただこくこくと頷いた。
「あの栞、セレナにあげたんだよね? きっと大切にしているよ。可愛い『妹』が一生懸命作った贈り物なんだから」
「‥‥妹‥‥?」
 ――が、「妹」というフレーズには敏感に反応して顔を上げた。純真な瞳でじっと見つめられて、シルフィリアは小鈴の頭を何度も撫でる。
「セレナは小鈴ちゃんの事を妹のように思ってるからねぇ。勿論、あたいもだけどさ。‥‥ああ、ほら、ちゃんと前を向いて食べないとこぼしちまうよ」
 もう一人の「姉」に世話をしてもらいながら、座布団の上に乗り、小鈴は完食に向けて大奮闘した。
 一方その頃の、調理場の片隅では。
「勇二郎さん。セレナおねぇーさんが怒った理由、わかった?」
 隠れて様子を伺っていた慧神やゆよ(eb2295)が、無理やり様子を伺わせていた勇二郎に叱咤を飛ばしていた。
「ほんっと、ダメだなぁ勇二郎さんは。お花の似合わない女の子なんていないんだから! 勇二郎さんはセレナさんを誤解してるんだよっ」
「‥‥悪かったとは思ってるさ」
 勇二郎とて反省はしている。でなければ、仲直りをさせてくれという依頼などわざわざ出さない。仲直りのための方法が思いつかないから、助けを求めたのだ。花を贈ったのではあまりにも露骨過ぎる。それにあの栞がセレナにとってどういう存在なのか、知った今では花を贈るぐらいでは足りないと感じてもいる。
「論より証拠だよ。ほら、セレナさんが小鈴ちゃんをお迎えに来たから、栞もお花も似合う女の子だってところ、見て確かめてくれると嬉しいんだよ」
 俯きがちな勇二郎の頭を掴んで、やゆよは適当な力加減で客席へ向けた。ぐきっという嫌な音がして勇二郎が一瞬声を漏らしたが、「物音たてずに、しー、だよっ」と声を漏らさせた本人からたしなめられた。
 気を改めて客席のほうを確認してみると、鈴乃屋の若旦那に話をつけていた事もあり、セレナは何の疑いもなく華誉にやってきていた。ただし仏頂面をして小鈴を急がせているところからして、勇二郎と顔を合わさないうちに帰りたいと無言のうちにメッセージを飛ばしている。
 けれどその仏頂面がふと揺らいだ。小鈴が花束をセレナに見せたのだ。セレナは香りをかいだ後、綺麗ですね、と柔らかい表情になった。

「‥‥俺、どうしたらいいかな」
 その日の営業が終了するまで、勇二郎はずっと考えていた。暖簾を下げたシスティーナが調理場へ戻ってくると、彼女を捉まえて、尋ねた。
「そうだね、勇二郎さんしかプレゼント出来ないお花、お菓子で作ったお花はどうかと思うんだ」
「花を菓子で作るのか」
「彼女をイメージして心のこもったお菓子のお花を作れば、きっとセレナさんに謝意が伝わる筈だよ。私も手伝うし!」
「‥‥うーん‥‥あ、ランちゃん。ランちゃんはどう思う?」
 システィーナの言葉を受けて、勇二郎の思考が徐々に活発になっていく。しかし自分の腕に自身はあれどいまだ未熟さが残っている事も理解している彼は、もう一人の意見を欲した。
「良い考えだと思いますわ♪ 勇二郎さまの作るお菓子は美味しくて綺麗で‥‥ラン大好きです♪ 誠心誠意作ったものをお渡しになれば、きっと気に入られると思いますの」
「そっか‥‥んじゃ、いっちょやってみるかなぁ」
 曲がっていた膝を伸ばし、ぐるぐる腕を回して肩慣らしをする。見通しが立ち始めた事で、ようやく復活したようだ。
「けど、何の花を作ればいいんだ?」
「セレナさんは青い花が好きみたいだよ」
「青い花ねぇ‥‥」
「花言葉から選んでいけたらと思いますわ。候補は既に幾つか挙げてありますの」
 作る菓子の算段をつけながら、材料を保管してある小屋に向かう彼ら。弟が立ち直ったので、栄一郎もようやく胸を撫で下ろし、ミリートとやゆよに片付けの手伝いを頼んだ。


 また次の日。今日もシルフィリアは小鈴と出かけ、その帰り道に華誉へ寄った。やゆよと若旦那夫妻との連携で、セレナも小鈴を迎えにやってくる手はずになっている。その時に、一晩かけて作り上げた菓子を贈るのだ。
 調理の際の自分の癖を知っているランとシスティーナの補助を受け、腕によりをかけ、この世に生み出したセレナのための菓子だ。できる事はやった。達成感はある。‥‥けれど、胸からは不安が消えない。
「やっぱり謝り辛いのかな?」
 昨日までとは打って変わって菓子作りに精を出す勇二郎に、ミリートが声をかけた。勇二郎は考えていた事がばれたので驚いたが、彼女は自分の眉間を指で示した。確認してみれば、勇二郎の眉間にも皺ができていた。
「‥‥まあ、水ぶっ掛けられたしなぁ」
 それに、と勇二郎は皿の用意をしながら付け加える。美星、レイナス、チェルシーの訓練同行組によると、セレナは「許してあげたらどうか」という問いに、答えなかったらしいのだ。厳しい顔つきになり、一礼するとそのまま訓練を切り上げて帰っていったそうだ。
 おそらく彼女のほうでも葛藤があるのだろう。セレナには優しさがある。そろそろ勇二郎の事を許したくなっているはずだが、それでも、花と栞に対する想いが彼女を素直にしてはくれないのだ。
「仲違いが出来るって事は、相手がいるからこそ。相手自体がいなかったらそういう事は出来ないし、その違ってしまった相手がいなければ仲直りさえも無理だもん」
「そりゃそうだ」
「うん、だから、今は頑張れ、男の子♪」
 言うが早いか、ミリートは勇二郎の背中を押した。虚を疲れた勇二郎は体勢を崩しながら客席に出てしまった。
「何すんだよ、危ないだろうが! ‥‥あ」
 思考と会話に熱中していた勇二郎は気づいていなかったが、セレナはもう迎えに来ていたのだ。互いの急な登場に互いの目が丸くなる。場の雰囲気を察知して、冒険者達や小鈴、他の客の視線まで、二人の動向に注目する。
「勇二郎さん、これこれ!」
 やゆよが皿を持ってくる。勇二郎はその皿を受け取ると、セレナの前に差し出した。
「‥‥その‥‥ごめん」
「‥‥いえ‥‥」
「‥‥俺、知らなかったとはいえ、お前とお前の大切なもの、踏みにじってた。これで済むかわからないけど、お前のためにお前の印象で作ったんだ。もらってくれ」
 皿の上には、一枚の桜の花びら。ラン曰く、桜には「精神美」という意味があるらしい。心の美しさから来る外見の美しさ、高潔さ――思い返してみた時、勇二郎がセレナに対して抱いていた印象だ。
 システィーナに促されて、セレナは一口食べてみる。ふわりと広がる甘さと桜の香り。少々時期はずれではあるが、工夫を凝らして旬時に負けない味になっている。
 心臓をばくばくさせながら全員が見守る。やがて、セレナも先程の勇二郎のように頭を下げた。
「私のほうこそ、水をかけてしまい申し訳ありませんでした。‥‥おいしかったです」
 下げた頭を上げた後は、小鈴に向けられるものと同じ、柔らかな笑顔を、勇二郎に向けた。