【街角冒険者】初恋(かもしれない)

■ショートシナリオ


担当:言の羽

対応レベル:1〜5lv

難易度:普通

成功報酬:1 G 35 C

参加人数:7人

サポート参加人数:1人

冒険期間:04月15日〜04月20日

リプレイ公開日:2007年04月23日

●オープニング

 江戸の街の一角に、老舗の呉服屋さんがあります。

 呉服屋さんの名前は『鈴乃屋』といいます。おかげさまで繁盛しています。切り盛りしている若旦那とその奥様は毎日が大忙しです。
 なので、一人娘である六歳の小鈴をかまってあげる事がなかなかできません。小鈴は人見知りでもあるので、同じ年頃のお友達もいません。遊び相手はもっぱら、お人形や、最近飼い始めたにゃんこの母子です。住み込みで修行中の、異国からやってきたセレナお姉さんもいるにはいるのですが、やっぱり忙しいので相手をしてもらえる事は稀です。

 ◆

 そう、とってもとっても稀なのです。お父さんとお母さんが小鈴と一緒に遊んでくれるのは。小鈴は今、右手をお父さんに、左手をお母さんに繋いでもらって、超ご機嫌です。
 どうしてこういう事になっているのかというと、実は、江戸に旅芸人の一座が来ているのです。あまり規模の大きくない、どちらかというとむしろ小さい一座ではありますが、そのくらいのほうが人見知りの子にはちょうどいいかもしれません。そしてお父さんもそう考えたのでしょう。
「あまりしょっちゅう見られるものでもないからね。こういう時くらい連れて行ってあげないとね、親としては」
「あらあら、あなたが小鈴と一緒にいたいだけではなくて? 猫に小鈴をとられたって散々言っていたじゃありませんか」
「お前だって言っていたじゃないか。小鈴どころかセレナまで、って」
「そうねぇ‥‥セレナも連れてきてあげたかったのに。母猫はともかく、子猫の世話は小鈴かあの子にしかできないんだものねぇ」
 セレナお姉さんは残念ながら、おうちでお留守番をしています。子にゃんこはまだ誰かが世話をしてあげないといけない事がいくつかあるのですが、小鈴とセレナお姉さんにしか、母にゃんこが子にゃんこに近寄る事を許してくれないのです。仕方がありません。
 料金を支払ってくる、とお父さんが離れていきました。お母さんは近所の奥さんに話しかけられて、挨拶を交わしています。小鈴はセレナお姉さんに何かお土産を、とあたりをきょろきょろ見渡しました。すると、舞台となる大きめのテントの裏手に、小さめのテントがありました。
 あっちは何の為のテントなんだろう? 小鈴はとてとてと近づいていきました。お母さんは近所の奥さん二人目の登場で、小鈴の手が離れた事に気づきません。怖がりだけれど好奇心はそれなりに備わっている小鈴は、すぐ戻ればいいかと、どんどん小さめテントに迫ります。ですが、テントしか見ていなかったので、すぐそこの物陰から出てきた人影にどすんとぶつかってしまいました。
「なんだお前、客か?」
 男の子でした。小鈴より二つ三つだけ年上のような感じがします。着物姿にたすきがけ、裾もなるべく上げて動きの邪魔にならないようにしているところからすると、旅芸人一座の人のようです。日焼けした肌と硬そうな黒髪に、無駄なお肉のないすらりとした手足。小鈴はその男の子の事を、なんとなくですが、きれいだと思いました。
「こっちに来ちゃダメだろ。刃物とか、危険な物も置いてあるんだからな。親はどうした親は」
 ついぼんやりした小鈴をお父さん達のところに連れて行こうと、男の子が小鈴に手を伸ばしてきました。小鈴はびくりと体を震わせて、一歩後ずさってしまいました。
「‥‥オレ、そんな怖いツラしてるか?」
 お客さんあってのお仕事をしている男の子にとって、小鈴が怯えてしまったのはなかなかにショックだったようです。
 沈み込んだ男の子に対し、小鈴はとても申し訳ない気持ちになりました。
「ち‥‥違う‥‥」
「ん?」
「その‥‥小鈴‥‥知らない人、苦手で‥‥」
 今度は小鈴がしょげてしまいましたが、代わりに男の子がにかっと笑ってくれました。
「そっか、お前、小鈴っていうのか。オレは太助。――これで、知らない人じゃないよな?」
 笑顔のまま頭を撫でてきた太助お兄さんですが、小鈴は不思議ももう、怖いとは感じませんでした。

 太助お兄さんは、小刀投げの名人でした。とても小さな的にもちゃんと命中させたり、二つの的を一度に狙ったり。機敏で的確な動きは、すっかり小鈴を虜にしてしまったのでした。

「なんだ、また来たのか小鈴」
 それからほぼ毎日、小鈴は子にゃんこを連れて一座のテントを覗きに行きました。太助お兄さんが「困った奴だなぁ」と言いながら頭を撫でてくれるのが嬉しかったのです。小刀投げの練習も、隣で見させてもらいます。カッカッカッとリズミカルに小刀が的に刺さる音は、聞いていると心地よくなれるのですた。
 でも、楽しい日々は長くは続きませんでした。
「お前にさよならを言わなきゃなんないんだ」
「‥‥っ!?」
「オレ達は旅芸人だ。町から町へと渡り歩いて、芸を見せ、楽しんでもらう。そろそろ次の町に移る頃合なんだよ。‥‥せっかく会えたのに、ごめんな」
 その日、太助お兄さんの笑顔も、頭を撫でてくれる手も、いつものような元気がありませんでした。
 どちらかというと泣き虫な小鈴ですが、泣きませんでした。少なくとも太助お兄さんの前では。

 せっかく会えたのに、と太助お兄さんは言いました。
 小鈴はその言葉を、せっかく会えたのだから、に変えようと思いました。
 巡り会えた太助お兄さんの為に。小鈴と仲良くしてくれた太助お兄さんの為に。会えてよかったと、また笑顔で頭を撫でてくれるように。

●今回の参加者

 ea1022 ラン・ウノハナ(15歳・♀・クレリック・シフール・イスパニア王国)
 ea5487 ルルー・コアントロー(24歳・♀・レンジャー・エルフ・フランク王国)
 eb9403 フワル・アールマティ(31歳・♀・ジプシー・人間・エジプト)
 eb9508 小鳥遊 郭之丞(29歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb9531 星宮 綾葉(27歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 ec0097 瀬崎 鐶(24歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ec0997 志摩 千歳(36歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)

●サポート参加者

シルフィリア・ユピオーク(eb3525

●リプレイ本文


 皆が鈴之屋の母屋に一旦集まった時の事。
「‥‥久しぶりだね。僕の事、覚えてる?」
 知らない人が何人かいるのでびくびくしていた小鈴ですが、瀬崎鐶(ec0097)お姉さんにこう言われると、わざわざ母にゃんこと子にゃんこを連れてきました。二匹が元気でいるのは、鐶お姉さんのくれたにゃんこの飼い方まにゅあるのおかげだと主張しているようです。まにゅあるは時間とお金をかけて作られたものなので、作った鐶お姉さんは無表情のなかにもどこか嬉しそうに見えます。
 そして、とても和やかな雰囲気の二人を、羨ましそうに睨み‥‥じゃなくて見つめているのは、小鳥遊郭之丞(eb9508)お姉さんとシルフィリアお姉さんです。妹のように可愛く思っている小鈴と、自分達も仲良くしたいのです。お話したり、ぎゅーってしたり、したいのです。
「う、うむ、今回の依頼について話そうではないか。色恋沙汰は苦手だが他ならぬ小鈴の為、一肌脱ぐとしよう」
 やせ我慢です。郭之丞お姉さん、すごく我慢していますが、目線はちらちらと小鈴に送られています。でも小鈴はまにゅあるでわからなかった部分をここぞとばかりに質問している最中なので、熱視線には全く気づきません。
 仕方がないので、鐶お姉さんは抜きで作戦会議を始めます。
「初恋ですか。可愛らしい事ですね」
「やはり、小さい子でも恋心というのはあるのですね‥‥」
「あら。当の本人は初恋とは気づいていないようですよ。初めてなのですから無理もないでしょうけれど」
 今回が小鈴との初見となる星宮綾葉(eb9531)お姉さん、ルルー・コアントロー(ea5487)お姉さん、志摩千歳(ec0997)お姉さんはとりあえず、思った事を述べてみました。どうやら、この三人のお姉さんだけでなく皆の中で、今回の事が小鈴の初恋だと断定されているようです。
「せめて想い出をだなんて‥‥小鈴さま、なんていじらしい‥‥」
 ラン・ウノハナ(ea1022)お姉さんなんて、感動で今にも泣き出しそうなほどです。
「少々複雑な気持ちがするが、小鈴の為だ。一肌脱ぐとしようではないか!」
 ぐっと拳を握り締め、郭之丞お姉さんが宣言します。
 具体的にはどうするのかというと、手のひらサイズの人形であるちまを作り、ちょうど見頃の桜を愛でながら、ちまを小鈴から太助お兄さんに渡してもらうつもりのようです。ちまは人の姿を模したものなので、太助お兄さんのちまと小鈴のちまを贈る事で、小鈴との楽しかった日々を忘れないでいてもらおうというのです。
「では、行ってきます‥‥」
 ルルーお姉さんが立ち上がりました。ちまに持たせるお守りを手に入れる為、普段お勤めしている神社に向かうのです。太助お兄さんのお仕事は危険と隣り合わせですから、お守りはとてもいい贈り物になるでしょう。
「小鈴さまのお母さまにお願いして、端切れをいただいてきますわ」
「じゃあその間に、作り方の説明をしておくよ」
 ふよふよと飛んでいったランお姉さん。ようやく質問の終わった小鈴が裁縫箱を出してきて、皆はシルフィリアお姉さんからちま作りを教わるのです。


 作るちまは、太助お兄さんに似せたものと小鈴に似せたものの二体です。あまり大勢いても仕方がないので、交代で休憩を取ったり、買出しに行ったり‥‥そして千歳お姉さんとフワル・アールマティ(eb9403)お姉さんは、太助お兄さんの所属する一座の座長さんの所へ、挨拶に行きました。
「そちらもお忙しいのは重々承知の上ですが、何とか一日だけお休みをいただけませんでしょうか?」
 太助お兄さんは毎日、練習はもとより一座の中でのお仕事をしているので、勝手には抜け出せません。小鈴とのお花見を楽しんでもらう為には、座長さんの許可をもらわなければならないのです。
 自分も芸を見せるからでしょう、座長さんは結構素敵な体格をしているおじさまでした。
「なるほど。太助が最近楽しそうにしていたのはそのお嬢さんのおかげだったわけですか。いいでしょう、どうぞお連れください」
 事情をのみこんだ座長さんは、お姉さん達が太助お兄さんの代わりに働くと言い出す間もなく、即決してくれました。
「あの子は生まれた時からこの一座の一員です。友達と呼べる相手を作る余裕もないままに次の町へ移動してきた‥‥そんなあの子が不憫で仕方なかったのですよ。ですから、今回の事は私としても実に喜ばしい」
 一座は複数の親しい家族で構成されているとの事。太助お兄さんは一座の中で生まれ育ってきたのです。小鈴にとって太助お兄さんが初めての友達であるように、太助お兄さんにとっても小鈴が初めてのお友達だったのでしょう。
 そうと聞けば、お姉さん達も俄然張り切るというもの。小鈴と太助お兄さんには、しっかりと楽しくて綺麗な想い出を持たせてあげなくてはならないのですから。

 一座からの帰り際、フワルお姉さんは一人で太助お兄さんの元を訪れました。小鈴の知り合いだと言うと太助お兄さんは一瞬だけ笑ったのですが、すぐにその笑顔は消えて、うなだれてしまいました。
「あいつ‥‥今日はまだ来てないんだ。急にもう会えないって言ったから、怒ってんのかな‥‥」
 太助お兄さんのほうも小鈴と遊ぶ事を楽しみにしていたのです。それがわかって、フワルお姉さんは嬉しくなりました。そして、計画していた事を太助お兄さんにお話してみたのです。
 太助お兄さんはうろたえました。フワルお姉さんが提案したような事はやったことがない、と。
「大丈夫だよ。わたし、以前に作った事あるから」
「けど」
「‥‥喜ぶと思うよ?」
 小刀投げの得意な太助お兄さんですから、その手はとても器用なはず。器用さと愛情があれば、フワルお姉さんが言うように、きっと大丈夫なのです。

「ふう‥‥」
 神社の境内を竹箒で掃き清めていたルルーお姉さん。じんわりと額に滲んだ汗を、軽く丸めた手の甲で拭います。
 お守りですが、ある程度のお金を出せば売ってもらえるでしょう。けれど大事な贈り物になるのですから、きちんと御祈祷をしてもらった物がよいのです。
 実費としてのお金に加え、いつものお勤めだけでなくお手伝いも。労働はとても尊く、対価とする事が出来ます。
「肌身離さず持っていてもらうつもりなんですから‥‥これくらいはしませんとね‥‥」
 掃除する場所はまだまだあるけれど、へこたれてはいられません。ルルーお姉さんは竹箒を片付けると、雑巾がけの為に、桶を持って水を汲みに行きました。

●さて
 数日が経ちました。
 というわけで、台所を占拠している人達がひい、ふう、みい‥‥三人います。
「綺麗な玉子焼き‥‥」
 お皿に盛られ、冷めるのを待っている黄色い玉子焼き。綾葉お姉さんは思わず箸を手に取りました。
「あとは煮物と、魚でも焼きましょうか。卵は少々高くつくのが難点なんですよね」
 玉子焼きに伸びた綾葉お姉さんの手を、微笑みを絶やさぬまま、千歳お姉さんがぺしんとひっぱたいてたしなめます。
「私も以前受けた依頼で簡単な料理なら作れるようになったのだが‥‥ううむ、やはり料理はできたほうがよいのだろうか」
 それなりに見られる形のおにぎりを握れているとはいえ、おにぎりしか作っていない郭之丞お姉さんは、ちょっとばかり悔しいような、自分が不甲斐ないような、そんな気持ちがします。隣では小鈴が踏み台に乗っておにぎりを握っているのですが、ご飯の熱さにわたわたしていて、中に具を入れるどころではありません。床にいる子にゃんこも心配そうです。
「‥‥な、なぁに、上手くいかずとも料理は作る者の気持ちが大切だと教わったからな!」
「おにぎりは料理と言えるの?」
 自らを鼓舞する郭之丞お姉さんに、綾葉お姉さんから容赦のないツッコミが入ります。でも手伝いらしい手伝いをしていない綾葉お姉さんですから、今度は逆につっこまれる側になってしまいます。千歳お姉さんから、おはぎ用の小豆を煮るようにお願いをされたのです。
「あまり沢山はいりませんからね」
「わかったわ。‥‥どれくらいの火加減で煮ればいいのかしら」
 結局、千歳お姉さんの仕事は増えこそすれ、減りはしません。けれどそれでもいいのです。食べてくれる人が喜んでくれると思うと、自然と楽しくなってくるもの――千歳お姉さんはいつでもそれを実践しているのですから。
「できた‥‥っ!」
 小さいながらも見事な三角形の海苔つきおにぎりの完成に、小鈴は嬉しそうに宣言しました。
「すごいな、小鈴! とてもおいしそうだぞ!」
「‥‥でも‥‥太助お兄ちゃん‥‥食べてくれるかな‥‥」
「食べてくれるに決まっている。もし万が一にでも太助が小鈴の想いを無碍にするような奴ならば私が――いやいやいや、冗談だぞ、冗談っ」
 無理やり口へ突っ込むというのでしょうか。でも小鈴の眉がへにょっとなったので、必死で取り繕います。
「お重も用意しなくてはいけませんね」
「小鈴ちゃん、お重のある場所わかるかしら」
 聞かれて小鈴は頷き、踏み台から降りて戸棚に向かいました。
 準備に参加しているという実感をなるべく持ってもらう為、小鈴が出来そうなお仕事をなるべく回すお姉さん達でした。

 おはぎだけでなく小鈴の大好きなお団子も用意できたら。そんな思いを胸に、甘味処『華誉』を訪れたのはランお姉さんでした。
 でもここだけのお話、ランお姉さんの目的はお団子だけではなかったかもしれません。本人は焦って否定をするでしょうが。
「いらっしゃい、ランちゃん」
 お店に入るなり、女将さんが声をかけてきました。すっかり顔なじみなのです。
「えっと、お持ち帰りでお団子をいただきたいのですが」
「はいはい。今包むからちょっと待っててくれる? 勇二郎なら調理場にいるから」
「調理場ですね。‥‥ああああの、ランはそれが目的で来たわけではございませんっ」
 勇二郎お兄さんとは、いつもランお姉さんを可愛がってくれる、華誉の職人さんの事です。そしてやっぱり、両手をぶんぶん振って、ランお姉さんは否定しました。
「なら、会わないで帰る?」
「えぇっ」
 会わない、という単語に反応したのでしょう。ランお姉さん、今度はすごくショックを受けているようです。そんなランお姉さんを見た女将さんは、お盆を抱いたまま、肩を震わせて笑っています。遊ばれています。
「ごめんなさいね、からかって。好きにしていいのよ。あなたが来ると、うちの愚息どもが喜ぶから」
 嬉しい言葉でしたが、女将さんの目尻に涙が滲んでいるのに気づいたら、なんだか素直には喜べませんでした。

●いざお花見
「おお! なかなかによい席ではないか!」
 片手にお重、片手に茣蓙を抱えた郭之丞お姉さんは、薄桃色の花を咲かせた桜の木に感嘆の声を上げました。
「ぬかりはないよ‥‥」
「うふふ♪ 柏槇さんと一緒でしたから、ちゃんとこの場所を守りぬけましたわ♪」
 茶器まで持ち込んだ鐶お姉さんと、お馬さんと一緒のランお姉さん。二人のおかげで、小鈴と太助お兄さんの為の場所と、冒険者の皆が小鈴達を見守る為の場所の、二箇所を陣取る事が出来たのです。
 準備をしながら待っていると、フワルお姉さんに先導されて太助お兄さんが到着しました。

「あとは、適宜このお湯を急須に入れるだけだから‥‥ぬるめにはしてあるけど気をつけて‥‥」
 小鈴にそう説明しながら、鐶お姉さんが急須に二人分の茶葉を入れます。幼い小鈴を太助お兄さんと二人だけにしてあげるには、色々と気を配らなければなりません。
「‥‥ごゆっくり、ね」
 こくこくと頷く小鈴の頭を優しくそっとひと撫でして、鐶お姉さんはその場を離れました。それから今度は、皆の待つ茣蓙へと移動します。
 鐶お姉さんをの帰還を待っていた郭之丞お姉さんは、居ても立ってもいられない様子で詰め寄りました。
「ど、どうだった!?」
「うん‥‥あのかんざし、誉めてたよ」
 郭之丞お姉さんを慣れた様子で引き剥がし、鐶お姉さんは答えます。
 かんざしとは、郭之丞お姉さんが小鈴に贈った、新緑の若葉を模した翡翠が若々しく可愛らしいかんざしの事です。もうひとつ用意されていた物と合わせて二種類のうちから、小鈴が自分で選んだのです。今、そのかんざしは小鈴の髪を飾っています。紅を変えようが新しい着物を買おうが気づかない男性もいるというのに、太助お兄さんはきちんとかんざしに気づく事が出来るようです。
「なかなか将来有望そうですね。それに比べてうちの人は――」
「そうねぇ、やっぱりそういうところは気づいてもらいたいわよね。女としては」
 女性ばかりが集まっている今回。そして恋愛絡みとくれば、おのずとそういう話も出てきます。お酒など持ってきていないのに、千歳お姉さんと綾葉お姉さんはまるでお酒を飲んだように二人で語り合いだしました。
 他の人達は恋愛の話が苦手か、そもそも興味がないか、もしくは興味があっても大人のお姉さんのお話にはついていけないかなので、それとなく小鈴達の様子をじっくり観察です。せっせとお茶を淹れたり、おかずを取ってあげたり。小鈴の頑張る姿に、見ている側にもついつい力が入ります。
 やがて、うずうずしてきたフワルお姉さんが踊り始めました。風が吹くたびに舞い散る桜吹雪の中、その踊りはとても綺麗でした。

 楽しい時間もいつかは終わります。お重や茶器や茣蓙などをすべて片付け、別々の方向へ帰るだけになった頃。小鈴はようやく、太助お兄さんに二体のちまを渡す事が出来ました。
 遊んでくれて嬉しかったよ。小鈴の事を忘れないでね。泣くのを精一杯のやせ我慢でこらえている小鈴には声を出す事は出来ませんでしたが、代わりにちまの手に縫い付けられたお守りが、小鈴の今の気持ちを太助お兄さんへと伝えてくれました。
「また、会えるんだよね?」
「江戸ほど稼げる街はそうそうないからな。しばらくすればまた来る事になるさ」
「そうですね‥‥その時には、成長なさった小鈴ちゃんを見てやってください」
「ああ、成長したオレも見せてやるさ!」
 小鈴をフォローする別れの言葉に、太助お兄さんは律儀に答えます。別れに慣れているのかもしれません。ただ、お兄さんが鼻をすするかすかな音を聞いたのは、鐶お姉さんだけでした。
「そうそう、オレからも贈り物だ。これ、結構作るの難しいのな」
 最後の最後で、太助お兄さんが小鈴に持たせてくれたのは、小鈴のちまでした。お兄さんはフワルお姉さんから教わって、せっせと小鈴のちまを作っていたのです。予想もしていなかった小鈴は、そのちまをぎゅっと抱きしめました。
「じゃあな」
 お兄さんが遠ざかっていきます。あの笑顔で。何度も小鈴を撫でてくれた手を振って。
「‥‥またねーーーーー!!」
 もう小鈴は我慢できませんでした。ぼろぼろと涙を零し、それでも声を張り上げて、お兄さんの作ってくれたちまと一緒に手を振り返したのでした。