●リプレイ本文
●初日
パンパンと手をはたきながら、今回の依頼人である道場主は外から戻ってきた。子供の教育によろしくない夫婦にお帰りいただいていたのである。
「では皆さん。改めてよろしくお願いしますね」
有無を言わせぬ笑顔で頭を下げられて、冒険者一同も慌てて一礼した。
「ふむ‥‥寒くなってきたし、まずは怪我をしないよう、体をほぐそうかの」
道場内は冷えた空気が溜まっている。上座にいる道場主の傍らには火鉢が置いてあるものの、広い空間を暖めるには小さすぎる。パウェトク(ec4127)の言い分に道場主も頷いているし、よく見てみれば子供達も、特に幼い者は心なしか震えているようだ。だが、「え?」とコンルレラ(eb5094)は素っ頓狂な声を上げた。
「これくらいなら寒いうちに入らないよね」
「北で生まれ育ったわしらと、江戸で生まれ育った者とでは、感じ方が異なるのだよ」
わかったようなわからないような表情をするコンルレラに、パウェトクもやれやれと肩をすくめた。
その横で、高千穂梓(ec4014)が準備運動の開始を伝える。
「体を温め、関節をほぐすんだ。特に、剣を握る指先は念入りに!」
彼女の言葉に短くハキハキと返事をする子供達だったが、よく見れば、男女で左右にくっきりと分かれている。それも、腕を回している最中に間違ってもぶつからないようになのか、それなりの隙間を作っているのだ。
「‥‥」
冒険者達が絶句するのも、道場主がほとほと困り果てるのも、無理ないと言わざるをえない光景だった。
だが、甲賀銀子(eb1804)だけは違った。
「元気な男の子がいっぱいです。なんて素晴らしい光景なのでしょう」
隅の柱に隠れているようで実は丸見えなのだが、本人は全く気づく事なく、うっとりと目を細めて幸せそうにしている。彼女には最初から男子しか見えていないので、男子が女子と離れていようが関係なく、すぐそこに彼らがいるだけで十分なのである。
道場主が渋い顔をしているものの、直接どうこうしようというわけでもなし、ひとまず大丈夫のようだ。
案の定、準備運動が一通り終わった途端、銀子は男子のほうへすっ飛んでいった。いっそすがすがしいまでに女子を無視する彼女の姿に、無視されている者達の目が険しくなる。
「あの様子だと、とりあえず最初は分けて指導するしかなさそうだ。あたしが女子のほうに行く。同性だから気安いだろうし」
「一人では大変だろう、わしもそちらに」
「え、じゃあ僕は? 歳も近いし、分け隔てなく剣術を教えてあげるつもりだったんだけど‥‥」
まずは宥める事から始めなければならないなと梓が女子に近寄っていき、パウェトクもそれに続こうとしたところ、コンルレラが困惑の声を発した。
呼び止められたパウェトクと、同じく足を止めて振り向いた梓が、コンルレラの姿を暫し眺める。それから互いに目線を交わすと、二人して首を左右に振った。
「歳が近いなら男子の仲間とみなされる可能性が高い。甲賀殿があの調子だし、手伝いに来てくれている二人がついていてくれる。すまないが、頼んだぞ」
コンルレラ、そして手伝いのうちの一人であるジェシュファも外見年齢だけなら、十代半ばである。子供達と歳が近いから友達のように接する事が出来ると考えていたが、そうする事が出来るのは同性である男子達に対してだけのようだ。今も、「何よあんた達。男子の仲間でしょ!?」という批難のこもった視線がちらほら飛んできている。
ちょっとしたショックを受けながらも、男子対応を引き受けるコンルレラだった。
「お姉さん、刀使えんの?」
ともすれば抱きつこうとする銀子と一定の距離を保ちながら、男子のリーダー、勝人少年は率直な意見を彼女にぶつけた。
「お察しの通り、使えません。ですが、やはり、実践経験が最もよい練習になるのはどんな物事についても同じでしょう」
話しかけられたのが嬉しいのかにっこり笑う銀子。一歩後退すると、精神を鎮め、詠唱を開始した。魔法の詠唱など初めて目の当たりにした少年達がどよめく。
およそ十秒後、銀子の体を淡い光が包み込んだのと同時に、その魔法は発動した。
「っ!? いきなり‥‥!?」
勝人は目を丸くして驚愕し、木刀を構えた。かと思うと上半身を逸らして、まるで何者かの攻撃を避けるかのように動く。けれど他の男子は不思議そうにしている顔を見合わせるばかり。
「お前らには見えてないのかっ?」
「あなたに見えているのは幻覚ですよ。他の人には見えません」
とにかく斬りつけてくる子供の姿が見えているはずだという銀子の解説が入って、ようやく他の男子にも合点がいったようだ。
「勝人君にかけた魔法の効果が切れたら、次の子に同じ魔法をかけるとしましょう」
「それまでは僕達と一緒に練習してようね」
何かあった時に対応できるよう、銀子は勝人少年から目が離せない。ショックから早くも立ち直っているコンルレラが、知人を前に出して紹介する。
「ジェシュファは今までの経験から、多用な戦法がある事を話してくれる。渉は夢想流っていう流派の特徴である素早い動きを教えてくれる。僕は回避に役立つ足捌きを教えるよ。二人ずつくらいで、順番にやっていこう」
ハキハキとした短い返事と共に、子供達は素早く分かれて教えを請い始めた。
袴姿の凛々しい女児達は、梓とパウェトクが名を告げると、揃って頭を下げた。
「わしの出身はこの江戸から遠く離れた地。お前さんがたとは剣や体の使い方も違うであろうから、手合わせ願う前に型など見せていただきたい」
「パウェトク殿もそう考えたか。あたしもよく観察しようと思っていたんだ」
二人とも、子供達の癖や長所短所など、細かいところから確認していくという方針で一致していた。
「教えるには、そこが重要じゃて。では一人ずつ頼むかの。まずは初音さん」
「どうしてわたしの名前を‥‥?」
特にパウェトクは、集合時刻より早くやってきて、道場主に子らの名前を教えてもらっていた。
入念な下調べ、誠実な応対。リーダーである初音を含め女子は全員、前にいる二人を信用に足る人物と捉えた。言われたとおり、順に覚えている型を演じていく。無駄口を発する事なく、粛々と。
なかなか堂に入った動きに、思わずため息が漏れた時の事だった。
「っざけんじゃねーぞ、初音ぇぇぇぇっ!!!」
男子のほうから大声が飛んできた。更に驚いた事に、その声を発した勝人少年は、誰も何もないところへ一人、ぶんぶんと木刀を振り回していた。
「おねしょしたのは自分のくせに、俺に全責任を押し付けて布団干させた事、忘れてねぇからなああっ!!」
「‥‥イリュージョンか。幻影の中で戦っている相手が初音殿なんだな」
冷静に分析する梓と裏腹に、初音は真っ赤になってわなわなと震えている。男子のほうからは笑い声。女子からは気遣うような視線。
「稽古、始めてもらえます?」
低く唸るような申し出に、梓もパウェトクも肩をすくめるのだった。
●幕間
休憩時などに子供達の質問や相談を受けた冒険者達。その合間に小耳に挟んだ話では、勝人の家と初音の家はかなりの近所にあり、付き合いもあるという。生まれた直後から互いの家に預け預けられていたらしい。
「だからかぁ。あのおねしょの話‥‥三歳とか四歳の頃だって」
「いわゆる幼馴染というやつだな。だが、幼馴染とは普通、仲のよいものではないのか?」
「七五三の折、お互いの晴れ姿に文句を付け合っていたと聞きましたよ」
「家族のように深いところまで知っている、だが家族ではない。そのあたりの齟齬が、仲の悪さの原因なのかもしれんな」
道場主はギルドに依頼を出した時点で腹をくくっていたようで、本当に誰の稽古も見ているだけ。徹頭徹尾、口を挟もうとしない。表情も意識しているのか、真剣な面持ちを保っている。聞けば色々と答えてくれるが、そこどまりだ。
彼としては、仲良くさせようと様々な努力をしてきたのだろう。何をやっても実らず、とうとう痺れを切らしたからこその、今回の依頼なのであるが‥‥。
「子供というのは、喧嘩をしながら大きくなっていくものだ。自分の気持ちを示す事は確かに大事ではあるが、他の人の気持ちや感じ方と、いつも同じであるとは限らない」
「大人の世界でだってよくある事だもんね」
「むしろ大人のほうが、規模が大きいぶん、タチが悪いのではないですか?」
「子供はいずれ大人になり、そういう世界に飛び込まねばならなくなる。まだ子供でいられるうちに、対立しながら少しづつ折り合いをつける練習をしていかねばの」
「そういう事は、礼儀作法以上に、実際に経験しなければわからないものだからな」
完全なる解決とならずとも、こうして自分たちが関与した事がよい方向に向かうきっかけとなれば。
依頼人である道場主の意向もそこにあるのだろうと予測がつく以上、先の世を担う子供達の為、一肌脱ごうじゃないかと改めて彼らは決意を固める。
「ところで、それ何? 何を作ってるの?」
ひと段落ついた話をぶった切りにしてまでコンルレラが銀子に尋ねたのは、彼女の手元にある白い布が興味を抱いたからだった。
「これですか。垂れ幕ですよ。試合当日はこれで応援するんですよ」
銀子は楽しそうに垂れ幕未満のそれを広げてみせる。だが彼女は特に裁縫が上手だというわけではないので、見栄えもそれなりだ。後ほど、筆で文字も入れるつもりのようだが、そちらも同様になるだろう。だがおそらく、これでもかというほどに気持ちの込められたものが出来上がるはずだ。
「もしや、男の子ばかり応援するつもりでは――」
「勿論そのつもりですよ」
梓の言葉を遮り、即答する。いっそすがすがしい。
子供達も彼女の事をそういう人だと認識したようだから、銀子については好きに応援させてやろうと結論付けられた。
●最終日
その日は、朝から誰もがピリピリしていた。
ここ数日、冒険者という外部の人間が訪れていた為に和らいでいた分を補って尚余りあるほどに、道場内の空気は冷たく張り詰めていた。
「逃げなかった事だけは誉めてあげる」
「泣いて許しを請う準備はできてんのかよ」
たすきがけを終えた二人。初音は肩まである髪をひとつに結んでいる。足袋は脱いであるので裸足。板張りの道場内では冷たさが足裏から全身に回っている事だろう。
「まるで果たし合いじゃない?」
「本人達にとってはまさしくそうなのだろうな」
審判は、満場一致で道場主に決まった。彼もたすきがけを終え、今は正座して瞼を閉じ、精神統一を図っている。小声で話すコンルレラとパウェトクの目には、審判というよりも見届け人として映っている事だろう。
その隣で、梓は驚いたような興味深そうな、そんな様子で、にらみ合う勝人と初音を見つめている。
「‥‥昨日あれだけ総当たりを繰り返したというのに、まだあれほどの覇気があるのか」
二日目以降の稽古は、銀子以外、担当を一日ごとに交換して行われていた。基本を重視し、各人の良さを引き出そうと組み手をしながら細かく指導した、梓とパウェトク。実地で活かせる動きや実践そのものを体験させた、銀子とコンルレラ。彼らが伝えようとしたものは子供達にも理解できたようで、日に日に動きがよくなっていった。
試合前最後の稽古となった昨日は、渋る子供達をどうにか男女で織り交ぜて、リーダー格一人ずつ対その他全員という、梓発案の辛く苦しい組み手を行った。どの子も立ち上がれなくなるほど疲弊していたはずなのに。
――それだけ、子供達にとっては大事であるという事だ。
「頃合ですね」
道場主が立ち上がった。
勝人と初音の目つきが変わり、適切な距離を開ける。こそこそと喋っていた者は冒険者だけではなかったが、皆、口を閉ざしてしんと静まり返った。
「礼!」
号令と共に頭を下げる。下げた状態でやや停止してから、ゆっくりと元の体勢に戻る。それから流れるようにして構えに入っていく。
誰かの喉から嚥下の音がした。
「始めッ!!」
軽やかな身のこなし。整った足捌き。
迷いなく振り下ろされた初音の木刀を、勝人も木刀で受け止める。膝の屈伸を利用して木刀を弾き返せば、その反動で構えを正し、踏み込んで脇腹を狙う。しかし初音とて、そこが急所として狙われる場所である事は教わった。たたらを踏むように数歩移動して、抜かりなく回避行動を終える。
なんとも吸収の早い事よ。冒険者たちは心中で感嘆した。彼らには元より素質があったのだろうがそれ以上に、子供相手だからと甘くせず手を抜かず、真摯に接したのが功を奏したに違いない。
とはいえ、このままでは埒が明かないのもまた事実。どちらがより長く持ちこたえられるかの体力勝負になってしまう。
何か、よいきっかけはないものか。流れを変える、何がしかのきっかけは――
「勝人くぅーんっ♪ お姉さんが応援してますからねー、絶対勝つんですよー!」
ぶわっさぶわっさ。垂れ幕が風をはらみ、膨らんでいる。普段であれば聞き流す程度のその音も、極限まで高められた緊張と静寂に割り込んでしまえば、容易く均衡を打ち砕く。
対峙していた少年少女の身体も、瞬間的にこわばってしまった。
「‥‥あ」
我に返るのは、銀子の声援に慣れていた勝人のほうが早かった。わずかに遅れて瞳の焦点を合わせた初音に、容赦なく木刀を叩き込む。
「勝負あった!!」
耐えられず、初音が転倒した時点で、この試合の勝者は決定した。
「ええと‥‥勝負の邪魔を、してしまいましたか?」
「終わりよければいいんじゃない? ほら」
さすがにばつが悪そうにしている銀子の視線を、コンルレラが指先で誘導したその先には。
「あんたは力が強すぎるのよ、跡が残ったらどうしてくれるの!? お嫁に行けなくなるじゃない!」
「万が一の時には責任とってやるから安心しろよ。それより、お前は負けたんだからな、茶くらい淹れてこい。あ、まずかったら承知しねぇからな!」
「‥‥あっ、あんたになんか責任とってもらいたくないわよ!!」
あたたかく見守ってくれと言わんばかりのやり取りが行われていた。道場主でさえも、その光景にはにこにこしている。
「少しは成長したという事か」
「互いを認め始めたんだろうの。よきかなよきかな」
梓とパウェトクの考察の通りであったが、まだまだほんの些細な一歩にしか過ぎない。
けれど、ゆっくりでもいい、確実に――気持ちを切り替えて勝利を祝いに勝人のもとへ駆け寄る銀子に肩をすくめながら、そう願ってやまない冒険者達だった。