●リプレイ本文
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鎌倉の地に思いを馳せて、イリス・ファングオール(ea4889)は市場で布や絵の具を購入した。鎌倉で季節と景色を絵として切り取るつもりなのだ。
ご機嫌な様子で家に帰ろうとすると、隣を飛んでついてきてくれていたマリス・エストレリータ(ea7246)がふいっと離れた。
「先に戻ってくださいますかな。寄る所がありますのじゃ」
「荷造りがまだ済んでないんですから、早めにお願いしますね」
手を振り、イリスと別れたマリスの行き先とは、冒険者街。
「いらっしゃいますかのぉ?」
小さな手で戸を叩くマリス。根詰めていた衣装選びを一休みして奥から出てきたのはジルベルト・ヴィンダウ(ea7865)だった。ケルピーこと水馬を連れていた冒険者が鎌倉の関所に留め置かれた事があるという話を伝えると、ジルベルトは残念そうに、繋いである水馬の背を撫でた。
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「結構寒いですね」
海からの風がこんな町中にまで届くのだろうか。とりとめもなく歩く瀬戸喪(ea0443)はそっと肩を丸めた。
藩としての鎌倉は豊かでなく、城もない。見所といえば鶴岡八幡宮と大仏くらいだがこれといって興味を惹かれない。町並み探索は1日で終えてしまった。着物や飾りは手持ちで足りるし、化粧や髪も自分で出来る。やる事がないので早々に出向いたというのに、やはりやる事はない。
いい加減辟易してきた頃、聞こえた歌声に喪は足を止めた。
探してみると出所は簡単に見つかった。饅頭屋の前だ。置かれた長椅子にイリスとマリス、その周囲にはイリスに饅頭を奢ってもらった子供達がいる。
近づいてよく見てみると、子供達の誰もが饅頭を食べかけのまま歌に聞き惚れている。ただ歩き回るよりも有効な時間の使い方だと判断して、喪もその輪に加わる事にした。
パン、パン、と拍手を打つジルベルト。賽銭箱の前で頭を垂れると、今回の企画の成功を祈願する。
「どうか楽しくコンテストに参加できますように」
先ほど守国に挨拶へ出向いた時は執務中との事で面会できなかったが、持参した特別な酒二種を奉納してきたくらい、彼女は楽しみにしていた。
そしてその頃、愛馬香影に乗って到着した超美人(ea2831)は、大きな鳥居を見上げて感嘆の息をついていた。
「ここが鶴岡八幡宮か。私が弓術に秀でていれば、流鏑馬で喝采を受けてみたかったところだ」
神事の一環で活躍できたとなれば、その達成感も別格だろう。機会があればせめていつか目にしよう――美人はそう心に決めた。
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いつ設置されたのか。企画当日の朝、舞台が忽然と姿を現していた。
「迅速な働きですね、設置班は」
「それだけ彼らも楽しみにしているという事だ。無論、私もな」
傍らの日乃太にそう言って、大伴守国は舞台に立った。同時に、周りを囲んでいる鎌倉の民が沸く。
「親愛なる鎌倉の諸君、集まってくれた事に礼を言おう。今日は存分に目の保養をして帰るといい」
開会の言葉は民の期待を一層膨らませた。既に異様な盛り上がりである。
守国が舞台端の席に下がると今度は日乃太が前に出て、企画内容と評価法を説明した。誰でも評価可能なよう、拍手や歓声の大きさなど、反応の程度で一番を決めるという。
「では始めましょう。参加者、前へ!」
身を引いた日乃太が促すと、集った冒険者達は順に舞台へと上っていった。
◆
一番手は御門魔諭羅(eb1915)だった。神職にある者が着るような紅の衣装に、長く流れる黒髪がどことなく神秘的だ。
「御門魔諭羅と申します。陰陽師をしておりますわ」
「ほぅ? それは興味深いな」
簡単かつ明確な自己紹介に、彼女と同じ陰陽道の使い手である守国がくいついた。
「私の名前には『魔を諭し巡る』という意味があるそうです。未熟ですので、どうすればそこに辿り着けるか解りませんが、そうなれるように日々精進しております」
「それでなくとも最近は物騒だからな。力を持たぬ民が安心して暮らせるよう、力ある者は尽力しなければならない。これからもその気持ちを忘れずにな」
「ええ、勿論です」
笑顔で頷く魔諭羅に観客から期待の眼差しが向けられたのだが、続いて魔諭羅が普段どんな仕事をしているのかに話が移ると、眼差しの色合いが変化した。通訳をしている、と彼女が言ったからだ。江戸と月道で繋がっているイギリスの言葉のみならず、そのイギリスの隣国であるフランクの公用語にまで通じているという事で、なんと素晴らしい才女かと尊敬の念を抱いているようだ。
「まさしく、日々精進しているというわけだな。他には何かあるか? 趣味なども聞いてみたいものだが」
「そうですわね‥‥ああ、でも、趣味と言えますかどうか。夜に星空を眺めるのが好きで、床に入る前などによく空を見上げております。なんとなく心が落ち着くのです」
お似合いだ、との声が舞台まで届いた。才女らしく奥ゆかしい趣味だと皆が頷いている。
「では、皆様の幸福を祈念いたしまして、舞わせていただきます。音曲が無いのはご勘弁の程をお願い致しますね」
一礼する魔諭羅の耳元で、金属の輪と輪がちりりと鳴った。それは、ゆったりとした足運びが始まると、舞が終わるまで音曲の代わりに彼女の一挙一動を彩った。
「桜と申します、みなさん応援よろしくお願いしますね」
そう言ったかと思うと深々と礼をしたのは御陰桜(eb4757)。化粧彫りの施された黄褐色の櫛を用いて前髪を上げ、普段は隠している右目もよく見えるようにしている。衣装は偶然にも魔諭羅と同じ紅絹のものだったが、桜の場合はその上に薄い純白の布を羽織っているので、また違った色合いと雰囲気がかもし出されている。どうやら髪の色と合わせているようで、にっこり笑顔とよく似合っている。
「お前も正統派だな」
「ふふふ‥‥あたしの魅力はひとつだけじゃありませんっ!」
おそらく最初から下に着込んでいたのだろう、桜が薄布ごと装束を脱ぎさると、がらりと様子の異なる洋風装束姿となった。しっかりと膨らむように成形されているらしい袖をどうやって押さえていたのかは疑問であるが、そんな些細な疑問はこの際どうでもよくなるほど、観客が――とりわけ男性が拳を振り上げて吠え出した。
黒と白のはっきりとした対比、着物を着ていたのでは通常見えることのない膝小僧や腕、そして今にも飛び出しかねないほど豊満な胸。銀のトレイを抱きかかえるようにすれば、胸は押しつぶされた形になって、また男性陣が吠える。
「‥‥わかりやすいな」
開いた扇で口元を隠す守国だったが、その扇の下ではしっかりとにやけている。
「芸というには拙いですが、普段しているお仕事をお見せしますね♪ いらっしゃい、虎の介」
桜が手招きすると、壇上にやってきたのは虎模様の子猫だった。その子猫に向かって、彼女は再び深く頭を下げる。
「お帰りなさいませ、ご主人さまっ♪」
上がる語尾に観客席がどよめいた。
「美味しいですか?」
他にも、あ〜ん♪ と煮干を食べさせてあげたり、
「わるふざけが過ぎますよ」
その煮干をおもちゃにした子猫を抱き上げ逃げられないよう胸に挟み、目を覗き込んで、めっ、と叱ったり。
「その猫! 俺と代われええええっ!」
誰かが羨ましげにこう叫んだのも、女性陣が一瞬殺気立ったのも、どちらも仕方ない事‥‥なのかもしれなかったりする。
舞い散る花が描かれた京風の振袖に、べっこう製の大輪の花があしらわれたかんざし。結い上げられた黒髪はやはり美しい。
「超どす。よろしゅう」
美人のゆるやかな動きと言葉は、振袖と同じく京を意識したもの。見慣れぬ聞きなれぬものに観客はほぅとため息をついていたが、慣れないゆえに滲むぎこちなさは彼女自身もよくわかっているらしい。挨拶もそこそこに、一芸披露へと移ろうとする。
「若様。たすきと鉢巻、お貸し願えますやろか」
「先に自分で用意しておいてもらいたかったが、まあいい。日乃太」
短く名を呼ばれた従者は主の命に従い、美人の要求した物を取りに行く。その間に美人は振袖を脱ぎ、紅絹の装束に黒い勾玉を下げただけとなった。物が届くと、たすきで装束の袖をたくしあげ、鉢巻をひたいに巻きつけ音がするほど勢いよく縛った。
つい先ほどまでのたおやかな京女の風情はどこかへ消えうせ、一転して、真剣を通り越して鬼気迫る形相へと変貌を遂げたのだ。
「参る!」
手早く摩り下ろした墨を色鮮やかな筆に含ませ、大きめの布へ豪快に滑らせていく。人々は息を呑んで見守っていたが、やがて、静かに布から筆が離れた。
美人が皆に見えるように広げると、そこにあった文字はなんとも達筆な「寿」だった。
「少し早いが来年は、ふとした時に心にこんな一字が浮かぶ年になれば良い‥‥私はここにいる全員、出来るなら鎌倉の全ての民に、来年一年をこの様な気持で過ごして欲しいと思う。これは、その思いを込めた書だ」
慣れぬ京言葉ではない、彼女の素の言葉だ。率直な言葉であるだけに、そこに込められた思いは深く人々に染み渡る。
誰かが手を叩いた。続いて別の者も。そうしてどんどん広がり、いつしか全員が拍手をしていた。
「少し早いが、良き一年を!」
拍手への礼として何度も手を振る美人。縁起のよい文字の書かれた布は、折角なので鶴岡に引き取られる事となった。
「シフールバードのマリスと言いますじゃ。よろしくお願いしますな」
ぺこりと頭を下げたマリスは今回唯一の、人間以外の参加者である。シフールの小さな体に、少女の声で「かわいいー!」との感想が聞こえてくる。だが観客席の後方には見えづらいらしい。背伸びしたり跳ねたりしている者がいる。
「特に言う事もないですし、笛を披露させていただこうと思いますぞ。いつもはあまり真面目に吹かないのじゃが、今日は特別に――」
「不真面目なのか」
「音割れで遊んだりするのですじゃ。これがまた結構奥深いんですぞ」
誇れない事をさらりと言ってのけたので守国からツッコミが入ったが、狙って音を割れさせて聞き苦しくなく出来るのであれば、それはそれですごい事だ。
「曲は‥‥そうですなあ。先日、子供らから童歌を教わりましたのでそれを」
マリスは一番好きで得意だという横笛を取り出すと、唇を添えた。特設会場内に響き渡る、切なく物悲しい旋律――
「待て。その旋律には覚えがある。が、確か楽しい祭の歌のはずだが」
「おお、間違えてしまったようですな。では今一度」
今度は高音を多用した、胸が弾むような別の旋律――
「それはこれから訪れる冬の厳しさを物語る歌で、間違ってもそんな楽しげな歌では‥‥もしや、わざとか?」
「得意なのですじゃ」
悲しげに楽しい曲を。楽しげに悲しい曲を。マリスはどうにも妙な事が得意なようだ。しかし当の本人が虚しそうにため息をつく姿は庇護欲を誘ったようで、多くの支援の声が寄せられた。
髪を後ろの高い位置に結い上げて、紅白の梅の花があしらわれたかんざしで留めているのはイリスだった。美人が着ていたような京染めの振袖で身を包んでいるが、彼女のように演出をする余裕はないようだ。頬の肉が小刻みに震えているのが何よりの証拠。緊張している。
「意外と自分の事を言うのはムズカシイですね‥‥」
「単純だが大事な事だ。そら、皆がお前の名を知りたがっているぞ」
「煽らないでくださいよー。‥‥えと、イリス・ファングオールといいます。ジーザス教の、聖なる母にお仕えしています」
多少表情の柔らかくなった彼女はようやく挨拶に入る。
「聖なる母と言うのは、ええと、皆のお母さんみたいな方だと思います。とても優しいんですよ♪」
ジーザス教圏の者には聞き慣れたフレーズも、この国の者には馴染みが薄い。首を傾げる観客に対し、彼女は丁寧に説明した。おかげで、異国の女神の事だと理解したようだ。
「では歌を聴いて貰いますね。今は寒い冬だけど、桜や梅、スミレの花が咲いてくれて、お散歩に行くのが楽しくなるような季節の歌を」
冬に入ったばかりで春はまだ先の事。けれど、もしかするとほんの少しだけ顔を見せに来てくれたのかもしれない、そんな暖かい歌声だった。
「饅頭のお姉ちゃん、ありがとー!」
清聴に礼をした時、子供達から一斉に先日の感謝の言葉が飛んできた。
「はるかビザンチン帝国より月道を渡って参りました。ウィザードのジルベルト・ヴィンダウです」
登場から洋風装束の者はいなかったので、レースを基調とした白いドレスに刺繍入りのローブを羽織ったジルベルトに、老若男女を問わず誰もが熱い視線を送っていた。
だが当の彼女は観客を通り越す目線でぐるりと見渡すと、頬に手を添え、おっとりとした口調でこう言った。
「本当に立派な御社です事、目の保養ですわ。この地に来たかいがあるというものです。それに‥‥神主さんったらいい男ねぇ。玉の輿狙おうかしら」
余裕というより、どこまでも自分のペースを乱さない、そんな感じだった。
「それでは拙い芸ですが炎舞をお見せします」
ローブを脱ぎ、端に置く。きちんと畳むあたりがまたマイペース。
けれど腰の短剣を抜かれ、それだけではないのだとわかる。単純な動作ひとつで何もない所から炎が生じ、次の動作ではこの国の舞を舞う彼女を中心として細長い紐のように螺旋を描いた。
舞自体に特筆すべき点はない。しかしドレスと炎に彩られたジルベルトはとても美しく、大歓声を受けた。
情熱的な炎舞の後の登場で、その人物の可憐さはとても際立った。
「普段は浪人として冒険者をしています瀬戸喪と申します。こういった場は初めてなので少し緊張しています。よろしくお願いいたしますね」
愛らしい微笑み。楚々とした身のこなし。最後にして今までにいなかった、守ってあげたくなるタイプの登場である。そしてこのタイプに誰よりも強い反応を示したのは、守国その人だった。
衣装に他と大差がない喪は一芸も二番煎じの舞だったのだが、類稀な腕前に加えて視線や指先などの些細だが重要な部分への心配りは、舞を本業とする者ですらそうそういないであろうと思わせるに十分だった。静寂を保ったまま最後まで観覧した人々は、感激のあまり我知らず涙を流しながら手を叩き、そしてそれはなかなか終わらなかった。
「嫁にしたい。というわけで喪に今回の名誉を贈ろうと思う!」
これだけ聞くと守国の独断のようだが、観客は拍手で応えた。
「私と温かい家庭を築こう」
「世継ぎは産めませんけど?」
微笑んだまま言われ、守国の脳裏に嫌な記憶が蘇る。喪の体の数箇所に触れたかと思うと、その場に崩れ落ちた。
「また男か‥‥! ええいっ、名誉は次点の者に贈る!」
「ジルベルトさんになりますね。おめでとうございます、これは記念品です」
観客も衝撃を隠せないでいたが、楽しいひと時を過ごせた事に変わりはない。満足そうな彼らの表情に心安らぐ冒険者全員に、足代として薬酒が配られた。