●リプレイ本文
●冬の海
一言で言えば、寒い。
故に面々は、漁師や海女が体を休める為の小屋にまずは集まり、作戦の確認をしていた。
「焔さんの話では、ローバーではないかと」
「う〜ん‥‥違うのではないかしら。恐らくシーウォーム――この国の言葉では海長虫と呼ばれる魔物ではないかと思います」
友人の予想を皆に伝える晃塁郁(ec4371)だったが、シーナ・オレアリス(eb7143)はそれをやんわりと否定した。なぜならローバーとは磯巾着の魔物であるのだが、今回退治する魔物は助けを求めてきた天草の採取元いわく、ミミズであるからだ。
「どちらであるにしろ、触手と触手に含まれる毒には注意しなければならないでしょうね」
「海長虫となると、体長10m、太さは一抱え。しかも二匹かぁ‥‥」
魔物に関する知識はまだ勉強中だという神子岡葵(eb9829)が、今ある知識を元に魔物の姿を思い浮かべる。10mというと彼女の身長の6倍ほど。なかなか骨が折れそうだ。しかも今回はただ倒せばいいというものではない。出没地点のすぐ近くにある天草を、守らなければならないのだ。
「では、私が偵察に行って、確認してまいります」
「待て。迂闊に近寄るのは――」
「魔法を使うので近寄りませんから」
ぽわぽわとして見えるレラ(eb5002)を、不安にならずにはいられなかった桐沢相馬(ea5171)が制止しようとした。しかしレラはにっこりと笑みで返すと、そのまま小屋を出て行ってしまった。何かあっても困るので、相馬は彼女の後についていく。
その様子に、ラン・ウノハナ(ea1022)がはっとした表情で小屋の中を見渡した。部屋の隅で壁にもたれていたはずの勇二郎の姿がない。ぼんやりしていて、ここに来るまでの道中でも木の根などに何度つまずいたかわからないくらいなのに。
「勇二郎さまぁーっ!」
教えてもらった天草採取場を見に行ったのだと、ランには容易に想像がつく。
海長虫の脅威に思いをめぐらせていた葵が、頬を撫でた風に顔を上げると、既にランが飛び出していった後だった。
「あらあら。大丈夫かしら?」
「私も行ってきましょう」
シーナなりに心配しているのだろう。口調のせいかあまりそうは聞こえないが。
万が一の事を気にかけるならば自分が、とバデル・ザラーム(ea9933)は横に置いていたカターナを手にして立ち上がる。しかしそのまま戸に手を伸ばす事はせず、シーナに向き直った。
「シーウォームやローバーに斬撃は効くでしょうか」
もし効かないのであれば戦法や装備を変更する必要があるので、とバデルは質問に続けて述べた。
「そうねぇ。効かない、という話を聞いた事はなかったと思うわ。むしろ、触手を切り落とすにはいいんじゃないかしら」
「なるほど‥‥ありがとうございます」
大きなダメージにはならないだろうが、触手を切り落とせれば毒の危険性が減少し、攻撃手段自体も減らせる。実際に対峙する時に考慮すべき点だと考えながら、彼は小屋を出て行った。
――が、ものの数分で、バデルだけではなく全員が戻ってきた。相馬が勇二郎の首根っこを掴んで引きずってきたところを見ると、今回の一番の苦労人はもはや彼で決定なのかもしれない。
収穫もきちんとあった。
「どう見ても磯巾着ではありませんでした。あれはミミズです」
レラのこの言葉で、海長虫である事が確定したも同じだった。
●囮×2作戦
海は敵の領域であり、近くには天草の採取場がある。その場で戦うわけにはいかないと判断し、導き出された案は囮作戦だった。囮で海長虫を誘い、採取場から遠ざけると同時にこちらの領域である陸地に連れてこようというのだ。
囮となるのは、敵が二体いるのに合わせて二人。シフールゆえに空を飛べるランと、十二形意拳奥義のひとつ兎跳姿も含めて攻撃回避に自信のある塁郁だ。
「光や熱源を嫌って突撃してくる習性があるので、ランタンかたいまつを使いましょう」
というシーナからの提案から、塁郁は自分のランタンに油をほんの少しだけ供給した。火のついている時間は数分も必要ないだろうと考えての事だ。ランのほうはというと、体力のない彼女には残念ながらそこまでの余裕はない。
「しかし遠目からもわかるあの巨体‥‥同時撃破がいいのか、各個撃破を狙ったほうがいいのか。悩むな」
判断に迷う相馬。基準をもっと明確にしておくべきだったかもしれない。
波をかきわけ、うねうね動きながら突撃してくる様は、覚悟していても度肝を抜かれるほどだった。採集場から離れるように、かつ、二体の海長虫を引き離すように、ランと塁郁は必死で逃げる。特に攻撃されたが最後ひとたまりもないであろうランは、背後に迫る牙の生えそろった大きな口でひと飲みにされまいと、勇二郎の安否を気遣いながらもとにかく必死で羽ばたく。
海から引き出してしまえば海長虫の移動速度も大幅に落ちるので、羽のあるランほどには素早く移動できない塁郁も、ぐっと気が楽になった。
しかし。
「ここまで傷が響くなんてっ‥‥」
塁郁の体には徐々に、鞭打たれたような傷跡が増えていっていた。兎跳姿を使えばほぼ確実に回避可能であるといっても、奥義を使用できる回数には限りがある。対して、海長虫の手数はひとつではなかった。触手も決して短いものではなく、一本の触手を避けた後でもう一本の触手の攻撃をくらう事数回。毒を受けずに済んでいる事と、いまだ狂化せずにいられている事は、彼女にとって幸運だった。
とはいえ、傷が増えればそれだけ体の動きも鈍る。避けきれなければまた傷が増えるだろう。経験の乏しさのせいか、塁郁は奥義と己の能力を過信していたのだ。
「いきますわよ〜」
やや離れた所から、角度の計算された吹雪が放たれた。シーナによるものだ。当初は彼女の最大出力を放つつもりだったのだが、味方や天草採取場を巻き込む事無く、動き回る海長虫のみを捉える為には、一瞬で魔法を紡ぐしかない。よって、最大出力よりはやや劣る吹雪ではある――が、それでもかなりの威力である事は間違いない。
この隙に薬で傷を癒そうと考えた塁郁だったが、その薬は荷袋の中。そして荷袋は小屋の中。
行動を決めかね視線の泳ぐ彼女。その時だった。
「こっちこっちっ」
耳をつんざく雷鳴。葵の手から放たれた稲妻は、真っ直ぐに海長虫へとぶつかり、その青い体に焦げ跡を作った。――逆に言えば焦げ跡しか作らなかったのだが、それでも稲妻の持つ輝きは、海長虫の注意を塁郁から引き離すには十分すぎるほどだった。
「塁郁さん、ひとまず下がってください!」
触手に斬りつけながら、バデルが塁郁と海長虫との間に割って入る。続けて二の太刀を振るう彼の奥では、相馬が海長虫の胴体に深い傷を負わせる。
鋭く尖った牙がお返しとばかりに煌めき相馬を狙うが、金属で補強された軍配によって押しのけられた。
葵は根性で何とかなると前線に出たがったけれど、強力な攻撃への対処法がないのと魔法での援護のほうが求められた事から、後衛のままでいる。レラも同じく対処法がないのだが、こちらは太刀筋を隠す事によって、皮膚の薄そうな部分への一撃を当てる事が可能だ。かすり傷にしかならないが、相手の気を散らすには十分だ。
やがていよいよ怒り狂った海長虫は、突進を開始する。巨体がまるごと向かってくるとなれば、この時ばかりはさすがに相馬もバデルも守りに集中し、魔法による遠隔攻撃に任せる。
鈍い、しかし重く足に響く衝撃。牙と巨体を一瞬で押しのけるのは厳しいものがある。堪えている間は当人達は反撃にうつれないが、そのぶん、吹雪が確実に冷たい痛みを与えていく。
痛みにのたうつ海長虫。圧力をかける余裕もなくなった敵の腹に、刃が突き立てられる。
――巨体が砂浜にその身を横たえるまで、それからもう少しだけかかった。
「もっ‥‥もうダメですぅぅぅぅっ」
延々ともう一匹の海長虫の気をひきつけながら飛んでいたランから、救援要請が入る。
「次は向こうだね。行こう!」
「ラン様、早くこちらへっ」
「今のように動けば二匹目もいけるでしょう」
「シーナ、魔力は」
「なんとか大丈夫そうですわ」
へろへろと塁郁の傍らに着地するランに代わって他の者達が、次の海長虫の前に躍り出た。
●かたくな
「海の幸?」
「さすがにそれはちょっと‥‥」
海長虫の死骸を示して言う葵に、レラは苦笑いを浮かべた。
砂浜でそんなやり取りが行われる一方で、幾許か疲労の落ち着いたランは負傷者の傷を魔法で癒していた。しかしやはり勇二郎のほうにちらちらと視線を送っている。
「何かお悩みがあるとお見受けしましたが」
治療の終わらない彼女の前に、まだだった挨拶を済ませたバデルが話しかける。壁にもたれてうとうとしていた勇二郎は、呼びかけられて目を覚まし、顔を上げた。目の下のクマが酷い。
「貴方は一旦思い込むとそれしかない、と決めてしまう頑固な面をお持ちの方だと、以前関わった事件にて失礼ながら思いました」
江戸からの道中もよく眠れていないらしかった事を思い出して、肩をすくめる。勇二郎は「なんでわかる」と言いたそうにしているが、クマで彩られた顔では、何かあったのだと大声で騒いでいるようなものだ。
「勿論、菓子職人であれば拘りを持つのは悪い事ではありません。ですが、心を広く持ち柔軟に考えて行く事も大事ではないでしょうか。自分で決めた結論に拘ってませんか?」
「‥‥」
勇二郎は答えない。図星なのだろう。膝を抱えて、バデルから目を逸らしてしまった。
「思い出に残るほどの菓子でも目指して創ってみたらどうだ? 悩むだけよりいいと思うがな」
傷が塞がった事を確認しているのか、軽く腕を回しながら相馬も話に参加するが、勇二郎はぶすっとした表情に変わっただけで、相変わらず返答なし。散々聞かされたという顔だな、と相馬も腹から息を吐き出した。
「簡単にできれば苦労はしないというと思うが、重要なのは美味さじゃない。おまえらしさを出せるかが問題なんだ。食い物でも着物でも、同レベルというのは山ほどいる、それこそ履いて捨てるほどな」
膝を抱えている勇二郎の腕がぴくりと反応した。「同レベルは山ほどいる」――自尊心を刺激する言葉だ。下手をすればいっそ傷つけてしまいかねないほどに。
だがその可能性に臆す事なく、言葉を続けるのが相馬という人物だ。
「そんな中でこれは! と選ばれるのは際立つ特徴があるからこそだ。優れた技術というのは、あるにこしたことはないという程度のもの。趣味が合うかが重要なんだ。近所の飯屋ではなく、遠くの一品料理をわざわざ食いに行くのは大体そんな理由だろう?」
腕を回したせいでやや乱れた着物の合わせを直すと、相馬は改めて勇二郎を注視した。
「お前に足らんのは鋼の心だけだという事だ」
上手か下手かは関係ない。大事なのはそこに心を込められるかどうか。そして、どんな心を込めるのか、という事。込めた心が相手の心を打てば「これは!」と選んでもらえるのだ。
(「‥‥わかってる」)
拒絶を示すかのように瞼を閉じる勇二郎の脳裏に思い浮かぶのは、幼き日に見上げていた父の背中。父の作った菓子を食べて笑顔を溢れさせる人達。自分もいつか、と、願って、努力もしていたはずなのに。
何がどうしてこうなったのか。漏れ出るあくびを、唇を食む事でやり過ごす。
「勇二郎さま‥‥そのようにしては血が出てしまいます」
羽音が近づき、勇二郎の隣に降り立ち、手に手を添えた。全員の治療を終えたランだった。
「勇二郎さまは最初からなかった事にしてしまえばいいとおっしゃいましたが、それが出来ないから今もこうやって多くの事を躊躇われているように思えます。抜け殻になった心を持て余して、いつか綺麗にお別れするために付き合っていく方法に注ぎ込むなんてして欲しくないのです」
小さな手だ。だが温かい。
勇二郎は目を開けた。たっぷりの涙を今にも零れそうなほどに湛えているランの姿が、視界に飛び込んできた。
「確かに、勇二郎さまのお気持ちは結局ランには分からない事なのかも知れません。でも、人は恐怖があるから強くなる事を覚えるのです。‥‥ああ、おこがましい意見ばかりで‥‥いつも押し付けている気が、します‥‥」
絶妙なバランスを保っていた涙もじきに堪えきらなくなり、ぽとぽとと垂れる。それは、ランの手が触れている勇二郎の手にも。
「ひっく‥‥ぐすっ‥‥」
「‥‥泣くなよ」
堰が切れて泣きじゃくるランに、勇二郎もようやく言葉を話した。
「お前の言うとおり、怖い。バデルの言うとおり、拘ってる。相馬の言うとおり、大事なのは心だ。わかってる‥‥わかってるんだ。だから後は、俺が勇気を出して動くだけ」
だから、もう泣くな。お前の涙は見たくない。
掠れた声で囁いて、小さな体の彼女を、優しくそっと抱き寄せた。
「さしあたっては、俺の中にいる精霊と話をつける」
「何と?」
「とりあえず夜は寝かせろ。話は起きてから聞く、ってな」
なるほど、とバデルと相馬は膝を叩いた。寝る必要のない精霊から夜となく昼となく頭の内側で騒がれては、立派なクマもできようというもの。始終眠そうにしているわけだ。
「おなか減ったぁーっ!」
海長虫の死体の処理を終え、葵、シーナ、レラが浜から小屋に戻ってきた。全員が漂う雰囲気にきょとんとするも、特に葵はすぐに空腹に負けて、食料を探し出す。
「ねえねえ、『華誉』ってどんなメニューがあるの? あんたも何か作れるんでしょ?」
「え、あ、ああ」
「ところてんがおいしいそうですよ」
勢いに負けてうろたえる勇二郎に、レラが助け舟を出す。
だがそれも束の間の安息。天草からところてんを作る方法やところてん料理の種類など、彼女も葵のように質問を開始した。
「それは私も教えていただきたいです」
用心の為と安静にさせられていた塁郁までのってくる。
「だーっ、押し寄せてくるな!! ランが潰れる!」
泣き疲れ、自分の腕の中で寝息を立てている少女を、勇二郎は必死でかばった。
とはいえこの様子では、少なくともところてんを作るまでは勘弁してもらえなさそうだ。幸いな事に、採取元に確認をとれば出荷前の天草を手に入れられるだろう。
「もしかして寒天をいただけたりはしないのでしょうか」
シーナもにこにことこんな事を言うが、さすがに寒天だけは無理だろう。華誉の財政を支える、数量限定、高価な品なのだから。